第三章 剣の舞

第一話 覚悟の旅

 冬の足音が聞こえ始めた頃、卑弥呼の墓の築造現場で埋め立て作業を見守る男鹿おがのもとに、張政ちょうせいが近付いて来た。


「伊予国の月読つくよみ様から、出兵の要請が来た」


(とうとう……)


 月読が伊予国に渡り、同盟を結べたとの知らせは既に聞いていた。

 その日から狗奴国との決戦が近いことは覚悟していた。

 だが、いざその知らせを耳にすると、これまでに感じたことのない緊張感が少年の全身を駆け巡った。


壹与いよ様には?」


「お伝えし、既に祈りに入られた」


「一旦神殿に戻ります」


 そばにいた役人に工事の監督を命じると、男鹿はまくっていた袖を伸ばしながら、神殿に向かって早足で歩き始めた。





 男鹿が神殿へ戻ると、広場には既に伊予国へ派遣される兵が集められていた。

 戦慣れした傭兵も中にはいるが、大半は兵役のために集められたもと農夫だ。

 皆不安気な表情を浮かべ、広場はざわめいていた。

 そんな男達を横目に、男鹿は壹与が祈りを捧げる祈祷の間へと急いだ。


 祭壇の前には、一身に祈りを捧げる壹与の姿があった。

 男鹿が声をかけようとしたその瞬間、外の兵士達が騒ぎ始めた。


「大王、この戦の結果を占ってくだされ!」


「この戦に勝てるかどうか、神に聞いてください!」


 外から聞こえる男達の声に、壹与は耳を塞ぎ、その場に突っ伏した。

 男鹿が背後から肩を抱えると、壹与は泣きながら少年の腕にすがった。


「男鹿、どうしたらいい? 私には神の声は聞こえないのに」


 なおも神託を迫る外の声に、壹与はとうとう泣き崩れた。

 男鹿には兵達が占いにすがるのは、現実から目を背け、恐怖から逃げるために思えた。

 しかも彼らはその結果の責任を、すべて巫女に負わそうとしている。


(これでは信仰でなく依存だ)


 男鹿は立ち上がり、戸口から部屋の外へ出ると、広場へと続く階段の最上段から騒ぎ立てる男達を見下ろした。

 審神者さにわである男鹿の姿を目にした男達は、神託がくだったものだと思い、口を閉じて一斉に耳をそばだてた。


「神は……」


 男鹿は言いかけて、ごくりと喉を鳴らした。

 たとえ偽りでも勝利するという神託を伝え、彼らを安心させるべきかとも思った。

 しかし、命をかけて戦地に赴く彼らに、神託を偽ることは誠意がないと思い直した。


「神は、勝利は勝ち取れと言われている」


 男鹿の言葉に兵達は不信感を抱き、再び広場はざわめいた。

 自分達に結果を委ねるような物言いを、彼らは神に求めていないのだ。

 戦に勝てるという神託さえあれば、ただそれを信じて戦うこともできるが、自分達で勝ち取れと言われると、無力な自分達は赤子のようにうろたえ、ただ死を待つしかない。

 そんな神託を神が与えるはずがないと、男鹿の言葉を疑ったのだ。

 死への恐怖で正気を失いかけ、彼に罵声を浴びせる者もいた。


狗奴国くなこくは呉の渡来人が支配する国だ。そんな国に敗れれば、どうなると思う」


 男鹿は、騒ぎ続ける男達に構わず語りかけた。


「大陸では強き者が弱き者を支配し、財産や命さえも搾取している。お前達の家族や仲間が奴隷のごとく扱われ、虫けらのように命を奪われることになってもよいのか」


 男鹿の言葉に男達は一瞬静かになったが、ひととき間を置くと、前にも増して騒ぎは大きくなった。

 倭国より遥かに技術が進んでいるとされる呉を相手に戦うなど、彼らにとっては自殺行為にも等しく思われたのだ。


「呉になど、我々がかなうはずがない!」


「そうだ! 無駄死にするだけだ!」


「神が勝つと言わない限り、奇跡は起こらぬ!」


 口々に男達は、男鹿を責め立てた。

 そんな中、祈祷の間から男鹿の後ろ姿を見つめながら、壹与は己を責め続けていた。


(私に神託さえ聞こえたら……)


 巫女として無力な自分に代わり、矢面に立ってくれている男鹿の姿に涙が止まらなかった。

 そんな彼のためにも、何か自分にできることが残されていないか、壹与は心の中で亡き母、卑弥呼に繰り返し問いかけていた。


「あの卑弥呼様の墓を見よ。我々はこの手で山を造ろうとしているのだぞ」


 男鹿は、広場の向こうに小高く見える、築造半ばの卑弥呼の墓を指差した。


「以前であれば、人が山を造ることなど考えられたか? しかしまぎれもなく、あれは我々の手で形になりつつあるのだ。知恵と勇気があれば、奇跡はこの手で起こせる」


 少年の指差す方向に視線を動かした男達は、自分達が造っている巨大な建造物を目にして、今更ながらに息を呑んだ。

 神が創造したとされる大地に、自分達が作り出したものが地形をも変えて存在していることに改めて気が付き、驚愕したのだ。


「この夏の日照りの時期も、水を引き込む水路を造ったことで雨乞いせずとも田が潤ったであろう。神にすがる前に、我々の手でできることはまだまだ沢山ある」


 もう、男鹿に声を荒げる者はなかった。

 彼らもこの二年足らずの間に、男鹿の指導のもと、彼らにとって最大の脅威である自然を相手に成し遂げてきたものを思い起こし、自分達の秘められた力を自覚し始めていた。


「神は救いを求めるものであり、責任を転嫁するものではない。我々には、自分達の未来をこの手で勝ち取る力があるはずだ」


 熱く語りかける男鹿の言葉に、兵達の心は確かに少しずつ変化しつつあった。



 不意に男鹿の背後から壹与が姿を現し、彼の一歩前に進み出た。

 突然現れた女王に兵達の視線は集中し、広場は一瞬で静まり返った。

 神の血をひく巫女を前にして、兵達は誰からともなくひざまずき、頭を下げだした。


「お前達の魂は私が預かる。たとえ敵地でその身が滅びたとしても、魂は私がここへ持ち帰り、祈りを捧げる」


 そう語る壹与の言葉に、兵達は一層深く頭を下げてひれ伏した。

 彼らにとっては、死よりも魂が行き場を失くすことが何よりの恐怖なのだ。

 それを女王が救ってくれると聞き、彼らの表情から不安の色が薄れていった。


「だから、この国とお前達の大切な者達、そして未来のために戦って欲しい」


 広場を埋め尽くす兵士達を前に、凛として立つ壹与の姿を、男鹿もひざまずき、眩しそうに目を細めて見上げていた。

 そんな男鹿に、壹与は広場に顔を向けたまま小さな声でささやいた。


「男鹿、河内国王へ使いを送って。頼みがあると」


 何かを決意したような壹与の横顔を見つめながら、男鹿はうなずき、深く頭を下げた。






 珍しく壹与から頼みごとがあるとの連絡を受け、河内国王は日を置かず邪馬台国を訪れた。


「私は伊予国へ赴き、兵達のため祈りを捧げようと思います」


「なんですって?」


 娘の口から出た言葉に、父は思わず大きな声を上げた。


「自分は安全な場所で守られながら、兵に命をかけろとは言えませぬ」


 壹与は毅然とした表情で、父の顔を見つめていた。


「危険すぎる……」


 父は吐き捨てるように言って首を振った。

 確かに女王が直々に赴けば兵の士気は高まり、より勝機も見いだせるであろう。

 だがわずか数ヶ月前、多くの侍従達に守られた神殿にいながらも、危険な目に遭ったのだ。

 またいつ暗殺者に狙われるかわからない壹与が、敵陣の近くへ行くなど危険この上ない。

 伊予国へ辿り着く前に、海上で襲われる恐れも十分にある。

 父として、とても賛成できる用件ではなかった。


「第一、あなたが邪馬台の地を離れれば、この国は誰が守るのです? あなたはこの国の女王なのですよ」


「それをお願いするため、父上に来ていただきました」


 壹与は顔色を変えずに淡々と父に語りかけた。

 自分の身を案じて口にする父の言葉は有り難かったが、少女の心は既に決まっていた。


「私の留守中、この国を守っていただけませぬか。このようなこと、父上にしかお願いできませぬ」


 壹与はそう言って手をつき、父に深く頭を下げた。

 彼女は自分が戦地へ赴く間、同盟国の頂点に立つ邪馬台国のまつりごとを任せるため、信頼できる父を呼び寄せたのだった。


「邪馬台国の王としてではなく、同盟国を束ねる国の巫女として、兵達のそばに寄り添いたいと思うのです。どうかお願いします」


 頭を下げたまま強い口調でそう言う娘に、父は戸惑い、助けを求めるように女王の後ろに控える少年に視線を向けた。

 だが、彼も少女に同調するように、ただ黙って頭を下げ続けていた。




「なぜ反対しなかった。そなたが説得すれば、大王も思い直されたのではないのか」


 祈祷の間を後にする河内国王を見送ろうと回廊に出た男鹿に、王は責めるような口調で問いかけた。

 男鹿はうつむいてしばらく唇を噛み締めていたが、やがてつぶやくように答えた。


「大王の決められたことに、私は意見できる立場にありませぬ」


 普通の恋人同士であれば、自分のために自重して欲しいとも言えるだろう。

 しかし、未来を約束できない彼には、彼女の希望を叶えてやることしか選択肢は残されていなかった。

 やがて顔を上げた少年は、河内国王を澄んだ目でまっすぐ見つめた。


「何があっても、命をかけてあの方をお護りします」


 そう言うと、男鹿は王に深く一礼し、壹与の待つ祈祷の間へと引き返して行った。




「純粋過ぎるということは、恐ろしいですな」


 男鹿とのやり取りを聞いていた張政が、河内国王に背後から語りかけた。

 少年の後ろ姿を見送っていた王は、眉根を寄せて異国の老人に向き直った。


「あの二人は共に過ごせる未来がないことを知っています。未来への欲がないために、今に妥協することを知らぬのです」


 少年が去った空間に遠い目を向けながら、老人は切な気な表情を浮かべた。

 河内国王はしばらく言葉を失い、立ち尽くしていた。


壹与あのこは、卑弥呼様あのかたと同じ目をしていた……」


 先ほどの悲しいほどに毅然とした壹与の姿を思い出し、王の瞳から熱いものが流れ落ちた。


卑弥呼様あのかたに何もできなかった分、私にできることならば力を尽くそう。しかし、壹与あのこには一日も早く、普通の少女のように笑える日が訪れて欲しい……」


 口元を押さえて涙をこらえる河内国王を、張政も同じ気持ちで見つめていた。






 しばらくして、邪馬台国の兵が伊予国を目指し、旅立つ日がやってきた。

 その日、旅支度の進み具合を確認するために、男鹿は壹与の寝所を訪れた。


「壹与様、準備のほどはいかがですか?」


 男鹿が部屋の戸口から中を覗くと、そこには小柄な少年の後ろ姿があった。

 彼の声に気が付いた少年は、恥ずかしそうにゆっくり振り向いた。


「……どう?」


 少年に見えたのは、男の衣装を身に着けた壹与だった。


「昔の月読様に、そっくりです」


 男鹿は一瞬目を丸くしてその姿に驚き、次の瞬間くすくすと笑った。

 髪を美豆良みずらに結い、丈の短い上着に身を包んだ壹与の姿は、卑弥呼を偽り始めた頃の、少年の日の月読を思い起こさせた。

 今回、壹与は邪馬台国から派遣される兵と共に伊予国へ向かうことにした。

 女王が同行しているとなれば、本人だけでなく、周りの者達にも危険が及ぶ恐れがあるため、兵達にも内密に、少年兵に紛れて旅立つことにしたのだ。


「今日からあなたは、私の兄上ね」


 旅の間、男鹿が常にそばにいても不審がられぬよう、二人は兄弟を装うことにしていた。

 照れくさそうに頭を掻く男鹿の胸に、壹与は微笑んで身を寄せた。


「まだもう少し、女でいていい?」


 男鹿は愛し気に彼女の体を両手で包み込んだ。

 優しい腕の中で、壹与は今回の旅が危険なものになると覚悟していた。

 だが同時に、愛する少年としばらく共に過ごせると思うと、少女の心をささやかな幸福感が満たしていた。





 旅の準備が整った壹与と男鹿は、出発の挨拶をするため謁見の間を訪れた。

 そこには、大王の代理を務める河内国王の姿があった。

 男の衣装を身に着けて現れた娘に、父は一瞬やりきれない表情を浮かべた。


「河内国の港には、邪馬台兵の船を用意させてあります。そこから河内の兵も合流します。王子が私の代わりを務めていますので、不自由があればなんなりとお申し付けください」


「ありがとうございます」


 父の心遣いに壹与は感謝の言葉を口にし、深く頭を下げた。


「では、行って参ります」


 微笑みを浮かべてそう言うと、壹与は立ち上がり、謁見の間を後にした。

 一礼して彼女の後に続こうと立ち上がった男鹿を、河内国王が呼び止めた。


「決して壹与あのこに、あのような姿のままで命を落とさせないでくれ」


 涙ぐみ懇願する王に、男鹿は腰に挿した剣を両手で握りしめ、力強くうなずいて見せた。





「壹与がここへ?」


 壹与が兵と共に伊予国を目指して旅に出たとの報告を受け、月読は思わず大きな声を上げ、目をむいて驚いた。


「……無茶なことを……」


 眉間に皺を寄せ、不安気に耳の後ろを掻く月読に覇夜斗はやとは苦笑した。


「無茶をするのは、そなたの血筋か?」


 覇夜斗のいつもの軽口にも、月読は今回ばかりは応える余裕がなかった。


「男鹿がそばにいながら、なんてことを。……申し訳ありませぬ」


 牛利ぎゅうりは月読に向かって頭を下げた。

 彼は父親がわりになって育ててきた男鹿が、壹与の危険な旅を阻止できなかったことに憤慨していた。

 誰よりも壹与を愛する男鹿なら、決して彼女を危険な目に遭わせることはないと信じていた。

 その思いを裏切られた気がしていたのだ。


「いや、男鹿には止められぬよ。それより壹与の希望を重んじてくれたのであろう」


 月読は男鹿の心中を察し、拳を震わせて怒りを抑えている牛利をなだめた。


「牛利、明石国と吉備国へ使いを送ってくれ。邪馬台の兵に合流しながら、こちらへ向かうようにと。大船団を組みながら進めば、敵も簡単には手を出せまい」


「はっ!」


 牛利は月読の指示を伝える使者を送るため、矢のような勢いでその場から立ち去って行った。


「女王はまだ十四、五の少女なのであろう? それでいて危険を顧みず、巫女の役割を果たそうとするとはたいしたものだな」


 覇夜斗はまだ見ぬ邪馬台国の女王に、どれほど神がかり的な人物かと思いを巡らせているようだった。


「いつも私の背を追い泣いている、か弱い少女だったよ」


 月読は、遠い日の壹与の姿をまぶたに思い浮かべていた。

 彼が邪馬台から旅立つあの日、気丈に振る舞ってはいたが、立っているのがやっとに見えた壹与。

 それがここまで成長するには、どんな日々を過ごしてきたのだろう。

 また、巫女として致命的な、神託が聞こえなくなるという現実と向き合うために、どれほど涙を流してきたのだろう。

 だが、そのどんな場面にもそばにいてやれなかった自分に、憤りを感じていた。


「この二年たらずの間に、大人になったのだろうな」


 そして、そこには常に男鹿の存在が大きく影響してきたのであろう。

 すると、重なるはずのない二人の未来を、なんとかひとつにしてやりたいという思いが月読の胸に溢れだした。

 だがいくら思いを巡らせても、今の彼にはそれを叶えてやれる秘策は見つからなかった。

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