第四話 偽りの告白

「確かに、そろそろ潮時かもしれませぬな」


 月読つくよみの問いかけに、難升米なしめは思いのほかあっさりとそう答えた。


「月読殿も成人されたことですし、政治も長く安定した状態が続いておる。卑弥呼ひみこ殿の死を公表しても、さして混乱は起こるまいて」


「お前がそう言ってくれるとは思わなかったよ」


 月読はほっと息をついて、盃を傾けた。


「さっそく明朝、民達を広場に集めましょう。その場ではっきり卑弥呼殿の死と、月読大王の誕生をおしめしなさい」


 いつになく愛想の良い顔をして、難升米は月読に酒をすすめた。


宇多子うたこには……」


 ふと、口もとから盃を離し、月読が言った。


「私から言っておきましょう。あなたがやむを得ず卑弥呼殿を偽っていたと」


「すまない」


 安心しきった顔で再び酒を喉に流し込んだ月読の傍らで、難升米は不気味な笑みを浮かべていた。





 翌朝、集合を知らせる銅鑼どらの音が、神殿を見上げる広場に鳴り響いた。


「卑弥呼様が、お顔を見せてくださるそうだ」


「収穫祭でもないのに?」


「何事だろう」


 突然の卑弥呼の登場に民達は戸惑い、広場はざわめいていた。


「卑弥呼様のおなーりー!」


 ひときわ大きく銅鑼の音が鳴り響き、人々は一様にごくりとつばを飲んだ。

 高い柱に支えられ、そびえ立つ神殿に民衆の目は集中した。

 やがて戸口に掛けられた御簾の向こうに、白い巫女の装束を身にまとった女の姿が見えた。

 収穫祭での対面ならここまでである。

 しかしこの日は違った。

 空気を裂くような鋭い音とともに、御簾が引き上げられたのである。


 規則的に銅鑼が打ち鳴らされ、そのたびに地上へ続く長い階段を、女王が一段ずつ降りてくる。

 それに合わせて、民達も額を地面に近付けていった。


「皆の者、よく聞いてくれ」


 何人かがその声にはっと息を飲んだ。

 女王が発したのは女の声ではない。

 明らかに成人した男の声であったのだ。


「私は……。私は月読命だ」


 一斉に人々の顔があがった。


(月読様?)


(なぜだ? どういうことだ?)


(卑弥呼様はどうされたのだ?)


 無言のまま月読を見つめる無数の目から、彼は様々な困惑を読み取った。


「姉上は……女大王ひめのおおきみ卑弥呼は亡くなられた。八年前のあの嵐の夜に……」


 月読の言葉が終わるや否や、広場にどよめきの渦が起こった。

 しかしその後も月読は、ひと言ひと言噛み締めるように言葉を続けた。


「この八年間、私が姉上を偽ってきた。許してくれ。だますつもりはなかった……」


「月読命をひっ捕えろ!」


 突如、野太い男の声が月読の言葉を遮った。

 はっとする間もなく、彼は数十人の兵に囲まれていた。


「その者が、卑弥呼殿を殺したのだ!」


 先ほどの男の声が、月読の後方から聞こえた。


「ばかな! なぜ私が姉上を!」


 声のする方向へ向き直り、月読は思わず我が目を疑った。


「難升米?」


 神殿の入り口で、腕組みをした難升米が月読を見下ろしていたのである。


「その者は姉である女大王卑弥呼を殺害し、容姿が似ていることを利用して女王を偽り、ほとぼりが冷めれば大王として君臨するつもりであったのだ」


 階段を駆け上って反論しようとする月読を、数人の兵が槍の柄で制した。

 難升米はそれを確認すると、一段ずつ階段を下りながら、広場の隅々まで響き渡る大声で続けた。


「そしてそいつは、女王を暗殺する現場に居合わせた私に、命と引き換えに絶対の服従を誓わせただけでなく、私が裏切れぬよう娘の宇多子を人質として強引に奪い取ったのだ!」


「でたらめを言うな!」


 制されてもなお難升米に食って掛かろうとする月読の両腕を、屈強な兵士が羽交い絞めにした。

 そしてそのまま強引にひざまずかされた月読の頭を、別の兵が乱暴に押さえつけた。


「でたらめではない。たった今、あなた自身が告白されたではないか。八年間、卑弥呼殿を偽ってきたことを!」


(はめられた!)


 月読は、血がにじむほど唇を噛み締めた。

 悔しかった。

 このような男を何の疑いも無く信じていた自分の愚かさが、何より情けなかった。

 広場に集まった民達はあまりの出来事に呆然とし、どちらを信じるべきか判断しかねている様子だった。


「皆の者! 忘れてはならぬ! この男は、その誕生により両親を死に至らしめた、生まれながらの罪人。鬼の申し子なのだ!」


 難升米は、誰もがとうの昔に忘れ去っていた、彼がもっとも触れられたくない部分を遠慮なくえぐった。


「皆、姿形に惑わされるな! こいつは人の皮を被った鬼なのだ!」


 もはや自分には、弁明の余地は与えられないことを月読は悟った。

 もうこれ以上、何を言っても民達に自分の言葉は届かず、空回りするばかりだと本能で感じたのである。

 絶望の中、月読は首をうなだれた。

 卑弥呼を装うために垂らした長い髪が、はらはらと肩から滑り落ち、白い横顔を覆った。

 月読が大人しくなったのを認めると、難升米は地上に降り立ち、青年のそばまでやって来た。

 そして荒っぽく月読の黒髪を引っ掴んで面をあげさせると、分厚い唇の端をひきつらせて笑った。


「何の恨みがあって……」


 憎々しげに月読は、難升米を睨みつけた。


「恨み? とんでもない。そもそもお前達姉弟が、私から権力を奪ったのではないか。卑弥呼は私の父王上筒之大王うわづつのおおきみの死を機に大王の座におさまり、継承権を持つ私を魏へ送った。本来なら大王の子である私が継ぐはずだった王の座を取り戻したまでだ!」


「ばかな! 上筒殿は一時しのぎの代理であったのではないか! 正式の王族でなければ世襲は成立しない!」


「だまれ!」


 難升米は、思い切り月読の横面を拳で殴りつけた。

 その瞬間、月読の口の中が切れ、口元から血が滴った。

 月読の襟首を掴み、それを目にした難升米は、再び不気味な笑みを浮かべ、声を上げて笑った。


「ふふっ。王族がどうしたというのだ。所詮、同じ赤い血の流れる人間ではないか」


 難升米は突き放すように月読から手を離すと、広場の出口を指差して兵に命じた。


「行け!」


 月読は兵に両脇を抱えられ、引きずられるように民衆の間を歩みはじめた。

 広場を抜けるまでに、無数の石を投げつけられて全身に痣ができ、あちこちから血が滲んだ。

 涙は出なかった。

 ただただ、これがすべて夢であればと願った。

 しかし口元から流れる血の生あたたかさが、この出来事が現実であることを彼に知らしめていた。

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