英雄

文月遼、

1 エアロスミスは流れない

 かつて栄華を誇ったニューヨークの街並みは、見る影も無かった。エンパイアステートビル、クライスラービル、ツイン・タワーの貿易センター。無数にそびえ立つビル群は全てへし折れ、その残骸をあちこちに晒している。


 あちこちで煙が見えた。白い棒は人骨だろうか。普通なら聞こえてもよいはずの救急車や消防車のサイレンの音は聞こえない。当然のことだった。すべてが人工の街には既に、助けるべき人などはとうにいないのだ。


 遠く、数キロ先のリバティー島にはその身を横たえた自由の女神が見える。その表情は穏やかだ。常に傍にいた人々がいないことを知って休息を享受しているかのように見えなくもない。


 そのお腹の辺りに、何かの巣が作り上げられ、禍々しい卵のようなものが産みつけられていること。それを守るようにいる、鱗をまとった無数の異形の生物、〝カイジン〟の姿を除けば。


 崩れて、瓦礫の丘と化したビルから、おれたちはリバティー島を見ていた。振り向くと、三人の男女がぼろぼろの出で立ちでおれと同じように巣と化した自由の女神を見ている。


「天下御免のM・A・M・∞も今じゃ四人か。丸を一個除いた方が良いかもしれねえな」


 指先から炎を灯し、〝バックドラフト〟はタバコに火を付けぼやく。彫りの深い顔に浮かぶ疲労を笑みで覆い隠す。かつてはぱりっと糊付けされていた防弾の紳士服はよれてあちこちがほつれ、解析装置アナライザーの入った眼鏡にはヒビが入っている。

 バックドラフトが煙草を咥えた瞬間、音も無く少女――暴風バオフェンが彼の懐へと飛び込む。勇ましい名と裏腹に子供っぽい鋭角的ツインテールが揺れる。一切の無駄の無い足さばきと体重移動、踏み込みが、小柄な体躯からは想像もつかぬ俊敏さを見せる。

 タバコをフィルターギリギリで両断する青龍刀。落ちた煙草をチャイナドレスの深いスリットから覗く足が踏み消した。彼女も無傷では無く、白磁の様な脚には無数の細い傷が走り、胸当てはざっくりと切り裂かれている。


「それじゃゼロリンになっちゃうじゃん。後、アンタ未成年っしょ」

「ハッ! ちびっこが言ってくれるぜ。お前がヤニ嫌いってだけだろう」

「誰がチビだってふにゃちん。今度はアンタのナニも――」


「そこまでにしておいたほうが良いですよぉ」


 間延びした少女の声。それと同時に、いがみあうバックドラフトと、暴風バオフェンの間の空間が揺れる。陽炎が徐々に像を結び、二メートルほどのサイズの鎧が姿を見せる。

 テクノロジーによって再生リブートされた、現代のニンジャがそこにいた。彼女は両手に小型の拳銃を構え、二人の喉元へと突きつけている。ゾウだって一瞬で昏倒する量と威力の麻酔ダーツが装填されていることをバックドラフトも、暴風バオフェンも良く知っている。


 能動的アクティブステルス、弾道ミサイルにすら耐えうる装甲、そもそも当たらない機動性。そして鎧からは想像も出来ない携行量の兵器を備えた強化外骨格エグゾスケルトン。彼女を怒らせれば現代テクノロジーの全てを相手取るに等しい。


「じゃれあいだよ、〝クノイチ〟。な? おちびちゃん」

「う、うん。そだね。仲良し仲良し。うははは」

「そうでしたかぁ。それなら、良かったです」


 カシャリと頭部のアーマーが展開し、クノイチの顔が見えるようになる。どこか眠そうな表情のまま、彼女は装甲の中に麻酔銃を格納。そのまま両腕に大口径の機関砲を取り出す。


 おれは思わず苦笑する。この中のだれも、彼女には逆らえない。バックドラフトの解析装置アナライザーや防弾スーツ、暴風バオフェンの青龍刀といったガジェットも皆、彼女のお手製だ。


「それで、作戦とかはあるのか、〝スレイブ〟」


 話を切り替えるように、バックドラフトはスレイブ、つまりは俺に問い質す。


「ここが〝カイジン〟どもの最後の、最大の砦だ。小手先でどうこうできる相手じゃあない……総力戦だ。どちらが先に倒れるかの、地力勝負だ」


 一瞬の沈黙。それを破ったのは暴風バオフェンだった。


「いーんじゃない。決死隊。思いっきりカイジンどもをぶった斬れるんだったら、文句ないよ」


 少ししてから、バックドラフトも、軽く肩を竦める。


「薄々勘付いてはいたよ。作戦立案出来るメンバーは、もういないんだ」


「計画とか、私もやっていたんですけど。分は悪いですけれど……希望的観測で、7対3が良い所でしょう。もちろん、3が私達」


 ほんの少し肩を落としてクノイチも答える。けれども、そこに躊躇いは無い。三人へと軽く拳を突き出した。三人もそれに応じて拳を突き出す。声をそろえて、おれたちは宣誓する。おれたちを繋ぐ絆だ。くじけそうな時に何度も救われた言葉だ。



 全員の顔を見渡す。疲労、苦痛、そして希望のないまぜになった、いつも通りの頼もしい表情だ。自然とおれのからだにも力が漲って来るのが分かった。何でもやれるという全能感に浸りながら、おれは続ける。


「……そう言えば、おれたちはずっと本名を名乗らずにここまで来た。全部終わったら、名前を教えあおう」


「へ? いいけど……ああ、なるほど。シボーフラグってやつ?」


 暴風バオフェンの言葉にバックドラフトが眼を剥いた。


「バカ野郎。台無しじゃねえか。誰に教……クノイチ、テメェだな! ガキに変な事吹き込みやがって! くそおたくギークめ!」


 一気に肩の力が抜けてしまった。少し遅れて、笑みが浮かぶ。他の三人も同じだった。安心感が胸を満たす。最後の戦いを終えても、帰って来れる。そんな思いが湧き上がる。


「緊張がほぐれたな。よくやった、暴風バオフェン。真っ先にお前の名前を聞いてやる。だから死ぬなよ……皆、行くぞ!」

「うっす」



 2001年、9月11日。それはニューヨークを含め、世界全土8つの都市に突然現れた。まるで日本の特撮の悪役の様な姿をした〝カイジン〟は、瞬く間にその都市を破壊しつくした。


 それが俺たちの産まれた日だ。8つの都市にいた生き残り。おれを含めた8人は、ある超人的な力に目覚めた。おれと暴風は卓越した身体能力。バックドラフトは発火能力、クノイチはスーパーコンピューターも打ち負かす頭脳に。そしておれたち8人は終結して、〝カイジン〟たちへ復讐を誓った。


 組織の名はM・A・M・I(マン・アフター・マン・インフィニティ)。最初はM・A・M・8(マン・アフター・マン・エイト)と呼ばれていた筈が、いつの間にか8は∞、無限へと変わっていた。


 個人的な復讐は、世界を救う無限の可能性きぼうへと変わったのだ。

 おれたちは、誰からでもなく、力強く地面を蹴った。カイジンもおれたちに気付くがもう遅い。クノイチの両手に構えた機関砲から放たれる無数の弾丸がカイジンの足を止め、バックドラフトの放つ業火が消し炭に変える。


 炎を突破してきたカイジンは、疾風の如く駆ける暴風バオフェンの振るう青龍刀が両断する。それさえも潜り抜けて来る猛者はおれの相手だ。


「スレイブ! 抜けて来たよ!」

「任せろ!」


 近づいて来たカイジンがあぎとを開き、鋭い牙を剥いて襲い掛かる。前に出て、おれは腕を盾にするように突き出す。鋭い牙が、腕に軽く食い込む。だが、それだけだ。


「邪魔だ!」


 空いている腕でカイジンの頭を掴み、地面に叩き付ける。そのまま頭めがけてストンピング。


 いかなる兵器も、武器も。俺の前には無意味だ。


「怯むなよ!」


 おれたちは前へと進み続ける。ゴールである、カイジンの巣へと。憎むべき敵へと。


 ふと脳裏へあることが浮かぶ。カイジンを絶滅させたら、それから俺たちはどうなるだろうかと。


 おばかなハリウッド映画であれば、エアロスミスだとか、エミネムだとかの曲が流れてエンドクレジットだ。売れれば続編も作られるかもしれない。


 でも、現実はどうだろうか。


 多分、これから世界は平和になって、おれたちのような人間は必要なくなるだろう。おれたちはどうなるのだろう。先は見えないが、みんな同じの筈だ。倒すことで全てが解決する存在など、あり得ない。あり得てはならない。


 おれたちは叫ぶ。憎きカイジンを前にして。全てを奪われた怒りを発散させるために。己を奮い立たせるために。そして――


 かくして、世界は救われた。


 凱旋パレードは派手だった。


 誰もがおれたちを讃えた。


 けれど。


 エミネムもエアロスミスも、流れなかった。

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