弟に憑いてこないで!

@aratahitotose

第1話「弟の背後に女の影が見えました」(1)

 唐突に言うのもなんですが、うちの弟は可愛いです。

 別に女顔というわけではなく、外見はどっちかというと男っぽいんですが。割とかわいげがあるというか、ひいき目ではない……と思いますよ、ええ。


 今は高校生で、来年は受験だねーって気軽に言っています。

 お姉ちゃんである私は、かなり苦労してようやく公立に受かったので、お前も苦労すればいい……とか思いつつ、それでもあまり苦労して欲しくはないなーと思ったり。姉というものは複雑なのです。

 姉弟の仲は、まぁ世間的な一般家庭よりはちょっと仲がいいかなくらい。

 団地住まいの両親も、そんなにお金持ちじゃないのに私と弟の二人を大学に通わせてくれるというのはありがたい話で……と、話がずれました。弟がどう可愛いかってことですね。

 喧嘩もしないわけではないし、デリカシーのなさに時々あきれますが、私の背丈をとっくに追い越したのに、怒られてしょんぼり謝ってくる姿とかはなんだか大型犬みたいで。


 一応、人生の先輩である姉としては、弟には彼女がいるのだろうかとか気になるわけですよ。うちに彼女を連れてきたときとかどうしようかなってシミュレートしたり。

 ただ、まだ友達と遊んでいる方が楽しい時期なのかその気配がなく。まさか男友達の中に恋の相手が……とかは無いと思うんだけど、お姉ちゃんとしてはそうであっても応援はしたいかなって。

 ……え、私の方はどうなのか?

 そんな時間を無駄にするようなことは聞かないでください。


 で……ですね。

 最近、そんなうちの弟に女の人の影が見え始めたんですよ。

 ちらちらと。ええ。

 肩の上あたりから背後にかけて。


 ……「背後霊」なんていったら、あなたは信じてくれますか?


 ◆◆◆


 今更ですが、姉である私は昔風に言えば「霊感少女」でした。

 先に言っておくと、今風ならどう呼ばれるのかとかは別に知りたくないです。

 「でした」というのは。もう成人も近いこの時期に少女というのもどうなのか……と言うことと、霊感がどうだとか幽霊がどうだとか言っているのは単純に痛い人に見えてしまうため。

 今思えば、中学校あのころの頃の私は……いえ、記憶の奥に仕舞い込んだいたい歴史を掘り返すのはやめておきましょう。数は少ないけど当時からの友人達は、よくあの頃の私を見捨てなかったものだと思います。


 さて、ここまでならよくある話かもしれません。

 問題は、霊感があるというのはふりでも何でもなくて。

 ぎりぎり未成年でも少女と言うには厳しそうなこの時期になっても、まだ私にはその手のモノが割と明確に、と言うことでしょうか。


 何年か前に亡くなった父方のおばあちゃんが、その手の「力の強い人」で、小学生の頃は田舎に遊びにいくたびに色々と相談をしていました。

 おばあちゃんに教えてもらった最も確実な対策は「」をすること。

 あいつら、こっちが見えてないと思うと何もしてこないんです!


 ……ええと、その。今更ながらこういうことを他人に説明するのは難しいのですが、世間一般の人が幽霊とか霊現象と言う存在は大半が気のせいですし、本物でもこっちがちょっかいをかけない限り滅多に寄ってきません。

 詳しいことはわかりませんけど、彼らにも何か決まりや執着があるみたいです。


 あなたは道ばたで『妙な目つきで奇声を上げている派手な格好の若者あきらかにヤバそうなひと』を見かけたどうしますか?

 じっと見つめたり、動画や写真を撮っていると気付かれますよね?

 なので、見ない振り。見ない振りをするのが一番。そうやって私は中学後半から高校生活を過ごしてきたのですが……

 月曜日の朝。食卓で顔を合わせた弟の背後にがいるのを見て、口に含んでいたコーヒーを思いっきり吹き出してしまいました。


 あああああああっ!?


 ◆◆◆


 ……思えば、田舎のおばあちゃんは私よりも弟にご執心でした。

 弟は可愛いのでそれも仕方ないなーと思っていたのですが、実際には少し違ったみたいです。

「時子や、なんかあったらお姉ちゃんのあなたが計一を守ってあげるんですよ」

 と、よくおばあちゃんに……あ、時子は私の名前です。

 名前すら伝えてなかったですね。計一は弟の名前です。いい名前でしょ?


 でもって、おばあちゃんは私には見ない振りとか変な儀式しか教えてくれなかったのに、弟には色々なものをあげていたんです。お守りとか、お念珠とか。

 ……今思うと、あれは全部弟をその手のものから守るための、文字通りのお守りだったんですよね。


 ◆◆◆


「うわっ、なんだよ姉ちゃんきったねぇなあ!」

「いやだってけーいちそれ……」

 と、そこまで言ってから事態に気がつく私。時すでに遅し。

 背後霊は見事に私をロックオン。視線が痛いです。

 ここでは一応背後霊と言っていますが、いわゆるその人を守ってくれるようなそれとは違う感じです。背後にいるだけなら、単純に幽霊って言った方がいいのかな。

「それ?」

「……えっとー。ごめんねー。あ、髪型変えたんだ、いいねそれ」

 ごまかすように話題を変え、視線を合わせないようにして吹き付けたコーヒーをふき取ります。弟が制服に着替える前で本当に良かった。なお、髪型がちょっと変わっているのは本当です。軽くパーマかけたのかな、お姉ちゃんの目はごまかせません。

「で、髪型の前に言ってたそれって何さ?」

 うう、弟よ。お前見えてないからって言いにくいことをズバズバと……いや、確実に私の自爆なんですけど。

 幸か不幸か、その背後霊の女性は私のことをじっと見つめてきたものの、攻撃的な様子はなく、しばらくすると弟の背後に戻りました。


 ……なんだか、この背後霊の弟を見る目がやましいモノに見えるのはきっと気のせいではないでしょう。生きている女性だって基本的には許したくないのに、まして幽霊がうちの弟につきまとうなんてどういう了見でしょう!?

「……ねーちゃん、大丈夫か? コーヒー吹いたり急に黙ったり。厨二病が再発したか?」

 ううっ、過去の自分を知っているだけに弟の一言は容赦ないです。くそう。

「いや、その……。襟元になんかキスマークみたいのが見えたんだけど、気のせいだったかなって」

 これはいわゆる口から出任せという奴です。もちろんそんな物があったら見逃しはしない自信があります。


「あらあら、本当? 計一にも春が来たのかしら?」

 と、台所から母さんの声。いい耳をしています。

「んなわけねーだろ!? そんな春が来てたら自慢するわ!」

 わずかに顔を赤くして反論する弟。でも、絶対そう言うときは君黙ってるよね。お姉ちゃんは知ってるのだ。多分、母さんも。

「はいはい、二人とも早く孫の顔を見せてねー」

 いや、さすがに学生の身分でそれはちょっと……。

 と、気がつくとあの背後霊の気配がしました。なんか動揺してる? 怒ってる? ……まさか、照れてるわけはないですよね?


 目を合わせないように、改めて背後霊の様子を観察します。

 女性だと思ったのは間違いではありませんでした。長い髪の毛、線の細い身体、まぁ幽霊なので身体はないんですけどね。

 衣服は……よくわからないけど、白いシャツかな。なんで幽霊なんかしてるのかわからないけど、割と美人さんなんじゃないかと思います。彼女は弟の肩のあたりをふわふわと漂いつつ、何かをささやき続けているのだけれど、それは当然ながら弟には届かない。


 どうしよう。どうすればいいんだろう?

 この人が害のある霊なのか、無害な霊なのかもわかりません。かといって、うちの弟にこんな妙な背後霊がとりつきっぱなしでは私の神経がどうにかなりそうだし。

 そんなことを考えていたからだろうか、私はおばあちゃんにあれだけいわれた教えをすっかり忘れていました。

 ……そう、幽霊をずっと注視するということは、相手にも「自分が観られている」と気付かれる危険を伴うという……!


 視線に気がついて、改めて観るとがありました。

 わかっていたけど、すっごく心臓に悪い。鼓動がむちゃくちゃ早くなってる。徒競走をした後みたいにバクバクいってる。はい、私運動苦手なんです。

 よく見れば、この幽霊は死んでる……というのは当たり前だけど、明確に外傷がありました。

 ぼんやりとだけど、おなかのあたりが赤黒くなっているように見えます。首もとに紫色の痣のような物が見えます……ああ、やっぱり。この人、誰かに殺されたんだ。


『……なの?』

 何かぶつぶつとつぶやいている。声が聞こえちゃうタイプだ。聞くべきだろうか、聞いてしまって大丈夫だろうか。

 今までに遭遇したことのあるあんまり害のない幽霊は、たいてい意味のないことをつぶやいているだけで、会話が成立したことなんて滅多にありません。そもそも、幽霊と会話することはおばあちゃんにきつく禁止されていました。


「計一は早く着替えて学校に行くの! 時子はさっさとご飯食べちゃいなさい!」

 母さんの空気を読まない一言で、弟があわてて部屋に戻っていく。母さんはこういうのはいっさい見えないので、ある意味助かります。

 気がつけば、弟はもう家を出ないと危ない時間帯。対して、大学生は朝余裕があるのです……朝の講義とらなかったからだけど。

「けーいち、ごめんねー」

 精一杯平静を装って弟を送り出す。幽霊は弟に付き添うかのように部屋に入っていって……あ、出てきた。

 ……もしかして、弟が着替えてるから恥ずかしがっていたりするの……シャイなの……?


 弟と一緒に、幽霊は出て行きました。そのままどこかに行ってくれればいいのだけど、あれは多分帰ってきますね。

 背後霊なんて言っても、霊的なトラブルから守ってくれる訳ではありません。

 あれは、明らかに亡霊……トラブルそのものです。

 こんな精神状態では味もなにもわからないかと思ったけど、母さんの朝ご飯はいつも通りの味でした。つまり、普通。

 コーヒーはかなり濃く淹れるので、目は覚めるけど苦い。

 弟の周囲は激変してるけど、私以外気が付く者はなし。

 結局、その日の大学の講義は何を聴いているのかもわからない有様だったのは言うまでもありません。

 ……どうしよう、あれ。

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