一人、また一人と去って行く

「あれがお前の本性か、本当に敵には回したくないね。見たか?あいつらの顔。この世の終わりのような表情だったな」


 橋本は、実に愉快な様子で話が途切れない。上総の頭にも、先ほどまでの久瀬や美月たちの絶望の表情が未だ焼きついていた。


「まだ奴らは諦めていないぞ」


「ええ、わかっています。まだまだこれからですよ」


 上総の眼は、昔のような憎悪に満ち溢れた頃の眼に戻っていた。自分でもよくわかる。ここ何年かは、少しゆっくりとした時が流れ過ぎていた。

 先日の山梨の戦闘で実感した。部下は手駒に過ぎない、死んで当然の存在。そうだ、これが自分だ。


「第一部隊はどうするんだ、まだ奴らの上官でいるつもりか?久瀬はなかなかの曲者だぞ、なにを考えているかわからない」


「そうですね、もちろん放っておくわけにはいきません。彼らは私を消そうとするでしょう。ですが、ご安心ください。彼らがどう出るかなど、すべて想像がつきます」


 目線は下がったまま、上総は蔑んだ表情で笑う。それはまさに、恩田や橋本が求めていた"狂気じみた先導者"そのものだった。


「……いいですか。階級では私が下ですが、力や頭脳の上では、久瀬将官は私に劣っています」


 ***


 悪夢のような夜から数日が経ったある日、組織全体に一通のメールが届いた。特務室はある会議の真っ只中。

 差出人は、「一佐 都築」

 この差出名に何故か違和感を感じつつもメールを開くと、それは驚愕の内容だった。


 "人事報告書 各位 私の方から特務室の人事の件で至急報告があり、このような文書をお送り致します。お忙しいとは思いますが、一読願います"


 特務室の人事だと……。そんなこと、美月はなにも聞いていない。大郷たちも困惑の表情を見せている。


 "まず、特務室第二部隊隊長の柏樹二佐ですが、急な海外出張が決まり、しばらくの間本部を留守にします。その間、第二部隊の藤堂二尉を第二部隊隊長代理、結城二尉を補佐とします。次に、第三部隊隊長の桐谷三佐と大郷二尉の二名は、久瀬将官の補佐官を兼務することとなりました"


「俺が、部隊長代理……?」


 陽の行方も不明なままなのに、突然の人事に藤堂は戸惑いを隠せないでいた。


 "いろいろとご意見はあるかと思いますが、私が補佐官を降りたのはこの組織の未来のためとお考えください。隊員たちには、常に新しい仕事、そして責任のある仕事に挑戦してもらい、いずれ私のこの席を譲りたいと今から心待ちにしております。どうぞご理解ください"


 こうも堂々と嘘を連ねようとも、これが嘘だと知っているのは特務室の隊員のみ。他の者たちには、さぞかし立派な姿に映っているのだろう。


 "大きく組織を改変してから約三年。ISAは目覚しい成長を遂げたと実感しております。ですが、私の主観といたしますと、隊員たちの頑張りそして努力を最大限に評価してあげることが出来なかったことはとても悔やまれ……"


 メールの文面からは、誰もが敬う凛々しい姿が思い浮かぶ。彼が裏切ったなんて、それこそ嘘だったのではないか。思わず、そんなことを考えてしまう。


 "……そして最後に"


 最後の最後で、まさかの文章が待っていた。その瞬間、はじめに抱いた違和感の正体を知ることになる。


 "私都築は、本日を以って特務室第一部隊の隊長を辞することを決定いたしました。後任として、私の直属の部下である相馬一尉を本日付けで第一部隊隊長として任命いたします。今後、私はどの部隊にも属しませんが、引き続き一佐としてこちらに尽くす所存です"


 突然の発表に、組織内に一瞬の静寂が訪れた。彼はもう、特務室第一部隊隊長ではないのだ。


「え、俺が第一部隊長……?」


「桐谷さん、これは」


「決意したってことね。陽に続いて上総まで」


 だけど、あまりにも急すぎやしないか。上総は、今や役員を除く全隊員の中で、実力名声共に頂点を行く存在。その上総率いる第一部隊もまた、最高の評価を受けている。

 いくら仲間を裏切ったにしろ、これだけの地位に立ち組織を背負って行く立場なのに、こうも簡単に放棄してしまうとは。一佐の階級は残しても、この先の昇進は望めない。上総の決意は相当なものだった。


「……やはり、やらなければならないようですね」


 相馬は伏し目がちに呟いた。


 先週、久瀬は橋本と上総を拘束するよう命令を出した。久瀬自身も多少の迷いがあったようだが、致し方ないことだった。

 しかし、橋本はともかく上総の頭脳と実力は誰もが知っている。彼を確実に仕留めるのは恐らく不可能。


「数人で一撃を狙って突っ込むしかありませんよ。我々がどんなに巧妙な策を練ったところで、都築一佐にはすべて見抜かれるでしょう」


「うん……。だって、私たちが身体で覚えた戦い方のほとんどは、上総から教えられたものだもの。指揮官であった彼の戦術通りに私たちは動いてきた。もう、その癖が染みついてしまってる」


 すると、黙って話を聞いていた相馬が意見した。


「あの、最後は私にやらせていただけませんか。成功する確率は下がるかもしれません。ですが、上官の間違いは部下が正すべきです。私はもう直属の部下ではありませんが、都築さんは我々に背中を預けていたんです。その背中を撃つ資格が私にはあります」


 部下を信頼していればいるほどに、上官は安心して背中を預けることが出来る。逆に、この部下たちになら撃たれてもいいとさえ思っているのだ。


「……都築さんは間違っています。どんなことがあろうと、ここを引っ張って行かないといけないのは都築さんです。実は、任務のこと少し迷っていたのですが決心しました。私が都築さんを拘束します。抵抗するようなら、撃ちます」


 相馬は身体全体に力が入り、力強く拳を握り締めた。彼の中には怒りと哀しみ、そして強い覚悟が感じられた。


 ***


 その日の夜、久瀬は会議室に上総を呼び出した。


「おい都築、俺は補佐官の話しかしていないはずだぞ」


「では、私がこの先もずっと将官の下にいてもよろしいのですか?私は、目的のためならなんだってします。それは、将官ご自身が一番ご存知でしょう」


 上総は別人のようだった。彼の目には、もはやなにも映っていない。


「藤堂結城両二尉。あいつはもう戻らない、第二部隊は頼むぞ。相馬一尉。あとですべてのデータを送っておく、お前にはそれで充分だろう。桐谷三佐、大郷二尉。久瀬将官はなかなか仕事をしないから大変かもしれないな」


 まるでもう会えないかのような、上総の声を聞くのはこれが最後になるような、そんな気がしてならなかった。


「……久瀬将官。私の勝手な行動と決断、大変申し訳ありませんでした。そして、大変お世話になりました」


 そして、呆気なく上総は去って行った。彼はもう仲間ではない。共に戦うこともない。


「俺たちじゃあ、頼りにならなかったのかな……」


 結城は酷く落胆していた。上官であった陽が姿を消し、遠い存在だった上総が上についたと思ったら、そのすべてが偽りだった。


「やっぱり生きる世界が違うんだ。俺たちのことなんて、ただの駒としか見ていなかったんだ」


 それぞれが上総に対し絶望を感じていた。


「……早々に行動を開始するぞ。ここを乗っ取られる前に」

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