もう遅い

「ご苦労。よくあの医師を説得出来たな」


 瀬野を部屋へ連れ帰ると、久瀬と美月、そして大郷が部屋で待っていた。


「桐谷三佐、お身体は大丈夫ですか」


「全然平気。本当、二人揃って情けない。自分に腹が立つよ」


 美月と大郷は悲痛な表情を浮かべていた。


「この奥の部屋へ。窓はすべてはめ殺しにしておいた。盗聴器や発信機なども一切無いし、鍵は外側からしか掛けることは出来ない」


 瀬野は依然として目を覚まさない。もしかしたら、すでに意識が戻っているのではと検査も行ったが、未だ意識はないままだった。


「では相馬と結城、ここは頼んだぞ。橋本将官は俺がなんとか」


「久瀬将官、もう完璧にそちらの話し方なんですね。その方がいいです」


 相馬が笑いかけた。久瀬は相馬に言われて気が付いたようで、自分で驚いていた。


「あの、私たちはなにかありますか?」


 美月が恐る恐る声を掛ける。


「君たちにも手を貸して欲しいのはやまやまなんだが、私たちにとっての一番の弱みは君たち二人なんだ。下手に動いて相手に捕まるのだけは避けたい。二人には俺の補佐官になってもらう。一日中俺につきっきりだ。もちろん、第三部隊との兼務だがな」


「……承知しました。よろしくお願いいたします」


 美月と大郷は、揃って敬礼を掲げた。


 ***


「では、これで終了です。お身体の方はいかがですか?」


 点滴治療が終わり、上総は身支度を整えていた。


「だいぶ楽になった、ありがとう。それと、薬をもっと強いものに替えてくれないか」


「……お言葉ですが、今お飲みになっているものでも、かなりお身体に影響が出ているはずです。都築一佐ご自身も認識されている通り、これ以上のものとなりますと酷い副作用が……」


 上総は、この短期間でかなりやつれていた。服用している薬の副作用と、ここ数ヶ月の激務が影響しているのは確実だ。


「ああ、わかってはいるよ。俺は、医師でありながら薬の開発もしているっていうのに、自分の身体さえまともに治せないだなんて本当に情けない」


 自分の身体に違和感を感じ始めた頃は、上総自ら薬を調合し治療を施していた。だが、徐々に薬が効かなくなり、あまりの乱用のせいで強いものに替えてはすぐに効かなくなってしまう状態だった。


 誰も上総の異常を知らない。上総も誰にも話さなかった。治療する時間なんてない。休んでいる暇なんてない。とにかく薬を服用して、今目の前の仕事を終わらせる。そんな状態を繰り返していた。


「……正直、都築一佐がいなくなってしまわれたら、私たちはどうしたらいいのかわかりません。都築一佐は周りの研究者よりもかなりの知識がお有りですし、よく勉強もなさっています。私たちには必要な存在です」


 この医師が本心で言っているのはわかっていた。とてもありがたい言葉だった。


「時代も人も次々に変わっていく、進化していく。だから古いものだけではなく、新しいなにかが必要だ。知識なんて後からいくらでも得ることが出来る。安心しろ、俺の後に続く奴はすでに前へ進み始めている」


 上総は研究者になるため、医学部を卒業しこの製薬会社へと入社した。この医師とはその頃からの付き合いだった。自分が組織の方へ移ると伝えたときは、最後まで反対していた。


「……非力で、本当に申し訳ありません。正直、薬はお渡ししたくはありません。大変失礼ですが、ベッドに縛り付けてでも安静にしていていただきたい」


「はは。俺も同じ立場ならそう言うだろうし、むしろ無理やりにでもそうしただろうね」


 医師のまっすぐな瞳には、彼が伝えたいあらゆる想いが込められている。研究所にいた頃から、こうやってなにかと気に掛けてくれていた。


「……大丈夫だから」


 ***


「もう平気なのか」


 本部へ戻る途中、すれ違いざま将官に声を掛けられた。


「ええ、ご心配おかけしました。そちらこそどうですか、順調ですか」


「ああ、なんとかな。奴らが本格的に動き出す前に、こちらも出来るだけ準備しておかないといけないからな」


「そうですね。彼らは一筋縄ではいかないでしょう。私も、なかなか首を突っ込むことが出来ませんよ」


 二人はしばらくの間言葉を交わし、別々の方向へ歩を進めた。


 ***


 まもなく日付が変わろうとしている漆黒の闇の中、ビルの屋上で久瀬はある男を待っていた。なんとかせねばという気持ちばかりが先走り、先ほどからどうにも落ちつかない。


「……どうした、こんな時間に」


 約束の時間を五分ほど過ぎて、橋本将官が姿を見せた。


「すみませんね、少し込み入った話をしたくて」


 久瀬は作り笑いで橋本の機嫌を伺う。そんなことをしても、橋本には見抜かれているだろうが。


「そういえば、山梨の件だが驚いたよ。視察と銘打って、実は支部ごと堕としにかかるとはね。いや私もね、あそこはどうにかするべきじゃないかとは思っていたんだけど、なかなか手を回せなくてね。しかし、結構な損害だったそうじゃないか。また有能な部下を失ったんだろう?」


 橋本は淡々と話し続ける。自分の仲間が大勢殺されたことや、人質に捕られていることなどまるでお構いなしな様子だ。


「少々先走ってしまいましたが、懸念材料は早めに摘んでおかねばと思いまして。おかげで、何名か連れて帰ることが出来ました」


「そうか。都築も大変な怪我を負ったと聞いていたが、それでも捕虜を連れて来ることが出来たとはさすがだな。どれ、私もぜひ彼らに話を聞いてみたいものだな」


 捕虜二名の身体の中に残っていた弾丸は、間違いなく橋本が使用しているものだった。弾丸をそのままにしているということは、特に隠す気もないということだ。しらを切るつもりか。


「……まあ、彼らのことよりも、重要なのはそのトップにいた瀬野という男です。橋本将官、ご存知ではないですか。うちの都築がね、少々世話になったようで。以前、ちょっとした事件があったようですね。都築は、瀬野の存在を知って必ず連れて帰ると意気込んでいましてね」


「ほう、瀬野か。覚えているよ。都築に継ぐ有能な尉官だったね。いつの間に辞めてしまったようで残念だったが、そうか山梨にいたか」


「その瀬野には、聞きたいことがたくさんあるんですよ。瀬野も元々は本部にいましたし、あれだけの賛同者を集められたのは、おそらく誰かの手助けがあったからではないかと」


 久瀬は徐々に核心に近付いていく。橋本は未だ、なにひとつ表情を変えない。なにを話そうとしているのか、すでにわかっているだろうに。


「橋本将官、瀬野が本部から姿を消したときに手を貸したのはあなたですね。本部を、いや私たちを潰すために、人員を集め機会を伺っていたのではないですか?」


「私が瀬野にね……。まあ、彼は当時の私の部下だからね、協力してあげるのは当たり前じゃないのかな。しかし、もうじき作戦を開始しようと考えていた矢先、君が視察に行くなんて言い出したものだからさ。仕方なく計画を少し練り直したんだけど、あえてそれに乗っかることにしたよ。そこで君たちが運良く死ぬかもしれないし、たとえ死ななくても損害は大きい。しかも君の独断の作戦だから、放っておいても君の失脚は時間の問題だ。事実、今回の件で福島と群馬はほぼ壊滅だ。あれじゃあ、この先とてもやっていけないよ。君の今後についても会議が行われる」


「私は地位になど興味はありません。とにかく、ここに渦巻く闇を暴くまで。橋本将官、あなたはやはり敵と見なしてよろしいのですね」


 久瀬は橋本の目を睨みつける。しかし橋本は依然余裕の表情を浮かべていた。


「どうぞご勝手に。あなたの好きなようにやればいい。でもね、そうやって前にばかり目をやっていると、大事なものを見落とすよ」


 まだ仕事が残っていると、橋本はこの場を後にした。


「はあ、俺はなにをやっているんだろうな……」


 地位に興味がないのは事実だが、将官という地位が失脚となると今以上に動けなくなる。やはり一刻を争うようだ。

 ふと、携帯電話が鳴っているのに気が付いた。


「大郷か、どうした」


「久瀬将官!あの、桐谷さんの姿が見えないんです。誰かに連れて行かれたかもしれません」


「……今行く」


 そんな、いったい誰に。夜は絶対に部屋から出るなと言っておいたはず。彼女が命令を破るはずがない。

 美月の部屋がある階に到着すると、エレベーターホールですでに大郷が待ち構えていた。


「なにがあった」


「桐谷さんと電話が繋がらなくて、普段この時間は起きていらっしゃるのでおかしいと思い部屋まで行ったんです。将官から頂いたマスターキーのスペアと、いざというときのために暗証番号を教えられていたので入ってみたら、もう……」


 もし誰かに連れ去られたのだとすれば、大声を出すなりなにかしらするはず。それに、拳銃だって所持している。

 そう考えると、連れ去られたというよりはついて行ったと考える方が適切。


「橋本将官、でしょうか……」


 久瀬ははっとした。大事なものを見落とすとはこのことだったのだろうか。


「とりあえず、瀬野のところへ行こう」


 二人は五十三階へと急いだ。

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