上に立つもの

 病棟を抜け、本部へと続く廊下でとある人物とすれ違った。


「おや、目が覚めたのか」


 それはISAの最高司令官、恩田義輝だった。


「君はともかく、久瀬や相馬くんも生きていたんだね。……残念ながら」


「なっ……」


 恩田の言葉に相馬は驚嘆する。今、この人はなんて言った。

 恩田は、微かな笑みを浮かべながらも上総を睨みつけている。上総は一度大きく息を吸った。


「ご心配をお掛けしました。この通り、しぶとく戻って参りました」


 上総も負けてはいない。恩田がどう出るか、何通りも頭に思い浮かべて言葉を選んでいく。


「これから病棟へ向かわれるということは、部下である私の様子を見に来られるつもりだったのでしょうか。それとも、敵である瀬野の様子を見に行かれるのでしょうか」


 恩田はにやりとほくそ笑む。


「……ああ。もしや、を消そうと」


 恩田はジャケットの中に右手を差し伸べた。それを確認した相馬が上総の前に立つ。


「都築さん、下がっていてください」


 相馬は、腰に装着してある拳銃へ手を掛ける。


「いや、大丈夫だ。落ち着け」


「これだよ、電子煙草さ。私も歳だからね、これから診察に行くんだよ。なに、相馬くんがいなくたって君たちの部下が張っているんだろう。さすがの私も敵わないよ」


「そうでしたか。どうぞお大事に」


 上総が頭を下げている横を、恩田は颯爽と通り過ぎる。


「さっきの質問の答えだが」


 すると、恩田がこちらを振り返った。


「……すべてだ」


 そう言って、恩田は病棟へ入って行った。


「都築さん。聞いてはいましたが、あれでは……」


「ああ、もう隠すつもりもないようだな。一応部下たちに指示しておけ。司令官はなにをするかわかったもんじゃない」


「承知しました」


 遂に始まってしまった。いつかこんな日が来るだろうとは思っていたが、想像以上に事態は複雑そうだった。

 恩田がついている以上、橋本や他の将官の部隊はあてにならない。信じられるのは特務室のみ。

 それでも、可能な限りこの争いに関わるのは自分だけに留めておきたい。だが、身体が万全な状態でない以上、自分はどこまでやれることが出来るだろう。


「失礼いたします。申し訳ありません、大変遅くなりました」


 部屋の奥では、久瀬と藤堂が眠っている美月と大郷の様子を看ていたが、上総の姿を見るなり血相を変えて走り寄って来た。


「……都築、お前大丈夫か。いろいろと大変だったな」


 すまないという想いが表情から伝わってくる。上総は、久瀬が言わんとしていることはよくわかっていた。


「今回の甚大な被害、そのすべての責任は私にあります。今すぐにでもこの身をもって責任を取るべきところですが、まだ退くわけにはいきません。ですが、必ず責任は取ります。私のこの身勝手、どうかお許しいただけませんでしょうか」


 悲痛な表情を浮かべて、あの都築一佐が頭を下げている。そんな姿を初めて目にした相馬と藤堂は、もはやなにも言葉が出て来なかった。

 彼はこうやって、自分たちの知らないところで様々な責任を背負い頭を下げていたのだろう。過去の任務で部下がミスをしても、それでも上総はなにひとつ叱責することはなかった。


「今回の被害は想定内だ。お前が責任をとる必要はない。和泉たちのためにも、このまま尽力に努めてくれ」


「……承知しました」


 上総は、奥で眠る二人の方へ視線を向ける。


「柏樹にやられたよ。そっちにも行っただろう」


「ええ、危うく殴られるところでした。ですが、伝えたいことは伝えられたと思います」


「そうか」


 上総はかなり疲弊しているようで胸を抑えていたが、たまらず鎮痛剤を取り出し自ら腕に注射をした。


「お前、そんな身体じゃ無理だ。今は少し休んでろ」


「いえ、この身体がどうなろうとも私は最後まで戦います。まだ片付けなければならないことはたくさん残っています。そして私自身の問題も、きちんと解決しなければなりません」


 相馬は思い出していた。福島で上総に聞いたことは本当に衝撃的だった。それでも、上総は何事もなかったかのように今日まで振る舞っている。


「強いな」


 たった二つしか歳が離れていないのに、第一部隊隊長であり一佐の上総と一尉の自分とではやはり大きな差があると痛感した。


「山梨から連れて来た二人だが、先ほど牢の中で殺されていたよ。おそらく橋本だろう。結局、有力な情報は聞き出せなかった。瀬野も使えるかどうか」


 しばらくの間沈黙が続いた。今の状況は圧倒的にこちらが不利な状態だ。


「失礼いたします、お待たせいたしました」


 結城が息を切らせて飛び込んで来た。


「相馬一尉からいただいたリストですが、やはりほとんどが政府関係者でした」


 結城は急いでパソコンを開く。


「これは……」


「遺体回収に向かったときに、山梨部隊の遺体をすべて調べて来ました。その身元を結城に調査させていたのですが、思った通り山梨支部には政府が絡んでいます」


「そうか、初めからグルだったか。前に司令官も政府と裏で繋がりがあるとわかったんだが、すぐにその証拠は消されてしまった。どうやら司令官の方から繋がりを一度切ったようだから、司令官は政府の中ではそこそこの顔利きだろう」


「山梨支部がほとんど政府関係者の塊だとすれば……。あれ?元々は皆本部の人間だったんですよね。そうしたら、かなりの数の政府の諜報員が本部にいたってことになりますね」


「やはり、司令官が鍵を握っているな。本部にまだ残っている諜報員についてはすでに検討はついている。瀬野の回復を待っていては間に合わないかもしれない。直接行くしかないか」


 久瀬は腕を組みしばし考える。むやみやたらに攻めればいいというわけではない。


「……私にお任せください」


 上総が名乗りを上げた。


「私でしたら、病棟や研究所にも堂々と入ることが可能ですし、以前よりいくつか予防線は張っております」


「しかし……。都築さん、そのお身体では」


 相馬をはじめ、この場の皆が上総の身体を見て無理だと判断していた。しかし、その言葉に上総の目つきが変わる。


「俺はこのときのために、最大限の権力を行使するためにこの地位を保ってきたんだ。いいか、すべてを俺に任せろ」


 この場の全員が慄然とした。身体が動かない、視線を外せない。上総を目の前にした敵は、これほどの恐怖を感じていたというのか。


「わかった、お前にすべて任せる。ただ、本当に無理だけはするな」


 久瀬は、この件のすべてを上総に託した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る