大きすぎた代償

「お身体の方はどうですか……」


 先ほどから前を歩く上総に声を掛けているが、一向に返事はない。


「都築さん……」


 その背中からは、嫌というほどに怒りや哀しみが伝わってくる。

 やめさせるべきなんだろう。今の上総は、指揮官というよりも個人の感情で動いている。

 もちろん、上総自身もそれはよくわかっているのだろうが、それでももうどうにもならないんだ。


 扉の先には十数メートルほどの廊下が延びており、窓はあるがかなり薄暗い。進めば進むほどに、闇の中へ引きずり込まれて行きそうな先の見えない出口。


「……」


 上総は、目の前で起きた惨状を認めることが出来なかった。今までもこのような戦闘は幾度も経験してきたが、もう限界だった。

 階級が高いというだけで、どうしても護られる立場になってしまう。違うんだ、こうなりたかったわけじゃない。自分自身のこの手で戦って護らなければならないのに。


「しっかりなさってください、まだ終わっていません。彼らの、和泉の命を無駄には出来ません」


 しかし、上総はこれ以上前へ進むことが出来なかった。自分が万全ではなかったために、あれだけ多くの命が犠牲になった。彼らを置いてこのまま先へなんて進めない。


「……俺のせいだ」


 そして、本当に尊い人間を失ってしまった。そのすべては他でもない、自分のせい。


「なにも出来なかった。彼らの命は、こんなところで終わってしまうのか……」


 相馬は言葉を失った。今目の前にいるのは、本当にあの都築一佐なのか。目も当てられないほどに憔悴しきっているではないか。


「都築さん、なんですかその弱気な発言は。都築さんは最高司令官なんです、護られて当たり前なんです。都築さんだって、嫌というほど理解しておられるでしょう。皆、都築さんに希望を託しているんですよ」


 相馬自身も後悔していた。どうしてもっと早く上総の異変に気付けなかったのか。どうして自分も和泉と共に前へ出なかったのか。


「私だって彼らを、和泉を失って辛いです。今すぐに戻って仇を討ってやりたいです。ですが、最も辛いのは都築さん、あなたを失うことです。出来るなら、和泉によくやったと言ってやりたい……!」


 依然、上総は顔を伏せている。相馬だって充分わかっている。この三年間、どんなときも共に行動してきたんだ。辛い経験はたくさんあった。しかし、その分喜びも共有してきた。


「私も、自分の不甲斐なさを痛感しました。これまでの教練を存分に生かすことが出来ませんでした。……都築さん、先に無礼をお詫びいたします」


 上総の前に立った相馬は、意を決し大きく息を吸った。


「しっかりしろ!いい加減前を向け!立ち止まっている時間はないんだよ。今この瞬間にも、敵味方関係なく多くの命が失われているんだ!!」


 相馬は、補佐官として共に戦う仲間として、無礼を承知で声の限りに叫んだ。


「都築さん、早く終わらせましょう……」


 すると、相馬の声が届いたのか上総はゆっくりと顔を上げ、強く握り締めた拳を力の限り窓ガラスに叩きつけた。上総の怒りを象徴しているかのごとく、無数のひびが散りばめられた。


「……ああ、わかっている」


 上総の表情を目にした相馬は背筋が凍った。怒り、憎しみ、後悔が入り混じったとてつもない形相。


「……!!都築さん!」


 しかし、上総は一歩を踏み出すも全身が崩れ落ち倒れ込んでしまった。呼吸は荒く、目は虚ろだ。

 咄嗟に上総の肩に手を貸した相馬は、あることに気が付いた。

 右上腕部に銃創が数箇所見受けられ、戦闘服に血が滲んでいた。しかし、この位置は小銃を構えていれば常に覆われている部分。敵に撃たれたとは考えにくい。


「これは……。都築さん、いつの間に」


 どう考えても、それは上総自ら拳銃で撃ったものだった。おそらく、何度も気を失いかけていたのだろう。なんとかして目を覚まさせるために、苦肉の策として自らの腕を撃っていたというのか。


「これでは、急所を外すのも無理ありません。気付かず申し訳ありませんでした。すぐに止血します」


「……悪い。でも、まだ動く」


 簡易処置を行うが、明らかに上総の右腕には力が入っていない。それどころか、今自分が触れていることすらわかっていないのではないか。


「大丈夫ですか。このまま、進めますか」


「当たり前だ、行くぞ」


 上総は重い足取りで立ち上がり、荒い呼吸で配電室へと向かう。歩くのも辛いだろうに、怒りに我を忘れているのかどんどん早足になる。


「ま、待ってください。私が開けますから……」


 もう声も届かないのか、上総は自ら乱暴に扉を開けた。そこは、とても配電室とは言えないほどの部屋だった。多数の巨大なコンピュータが並び、前方には大画面、そして対陸空レーダーが設置されている。


「これは……、まるで地下作戦室ですね」


 画面には、ここ山梨支部内部や周辺の映像がリアルタイムで流れていた。それは、もはや地獄絵図でしかない。

 敵も味方も殺し殺され戦い合う様子が鮮明に映っている。こんなに目の前で見ているのに、助けることが出来ないとはなんて残酷なんだろう。


「素晴らしい眺めだよね。でもさ、本当になんて事をしてくれたのさ。何百万と作った大事な薬が全部無駄になったじゃないか。額面にして、兆はくだらないよ?」


 大画面を見渡せる椅子に腰掛けている人物が口を開く。そして、ゆっくりと回転しこちらを向いた。


「瀬野……」


 その人物は、かつての上総の仲間であった瀬野という男だった。


「よくここまで来てくれた。お前のことは、ここで監視していたよ」


 瀬野は不気味な笑みを浮かべる。


「それにしても、お前一佐なんだってね。そんなスピード出世ってあり得る?あのとき、なんのためにあんなことをしたと思ってるんだよ。まったく意味がなかったね」


「意味が、ないだと……」


 上総は、拳を握り締め歯を食いしばり、なんとか怒りを抑えている状態だった。


「お前のかつての部下は、無駄死にだったな」


 その一言でリミッターが外れたのか、上総は小銃を構えた。


「やはり、お前はあのとき消しておくべきだった」


 引鉄を引こうとした瞬間、そっと瀬野が立ち上がった。


「やめた方がいい。俺を殺せば支部ごと吹っ飛ぶぞ」


「……お前と繋がっているのか」


 瀬野の身体には心電図が繋がれており、その先には起爆装置が設置されていた。瀬野の心臓が止まるか、身体から心電図装置が外れた瞬間に爆発する。 


「俺の生命反応がなくなるのと同時に起爆する。まだ中には仲間がいるんだろう?お前にそんな酷いことは出来ない」


「小賢しい手を……」


 相馬も小銃を構えてはいたが、なにも手出し出来ない状態だった。


「さあ、どうする?都築一佐。今なら、あのときの部下の仇を討つことが出来るよ。他の奴らはいいじゃない、直属の部下ではないんだしさ」


 瀬野は上総を挑発するかのごとく、立ち上がり嘲りながら話し続ける。


「ああ、でも……。大事な部下をひとり失ってしまったんだね。ここで観ていたよ。自分自身を盾にだなんて。俺にはあんなこととても出来ないよ」


 上総の顔がみるみる蒼白になっていくのがわかる。相馬は願っていた。どうかもう、これ以上は続けないで欲しいと。


「お前はさあ、こう考えているんだろ?あの盾になった奴は、自ら進んで命を犠牲にしたと」


「……もう、やめてくれ」


 相馬が訴えるが、瀬野はまるで聞き耳を立てるそぶりを見せない。そして、嘲笑はさらに勢いを増す。


「はは!そんなわけないだろ!誰だって自分の命が一番なんだよ。お前の部下になってしまったばかりに、本当可哀想。お前が鈍臭いから仕方なくだよ、仕方なく!わかってんの?そいつが一番無駄死にだったんだよ!」


「もうやめろ!!」


 相馬が声を張り上げるも、すでに遅かった。上総の頭の中で、救ってあげられずに死んでいったかつての部下と、自分の命と引き換えに死んでいった和泉の姿が重なっていた。


「……そうだな、その通りだ。俺のせいだ。本当に、申し訳ないことをしたと思っている」


「都築さん……」


 すると、上総は無線を取り出した。


「……総員、直ちに退避。航空部隊は即降下し、全隊員ヘリへ搭乗。もう一度繰り返す、総員直ちに退避せよ。この場から今すぐに離れろ!」


「都築さん……?」


 相馬は困惑していた。ここまで来て退避?上総はなにを考えている……。


「どうした、聞こえなかったか。退避だ」


「……承服出来ません」


 相馬は動こうとしない。この作戦は、なにがなんでも遂行させなければならない。たとえすべての部下を失おうとも、はじめからそれを承知で立てた作戦だ。


「上官に逆らうのか、いい度胸だな。……いいか、命令だ。今すぐ退避しヘリに乗れ!」


「……!承知、しました」


 上総の眼を見て相馬は決心した。大丈夫だ、この人は必ず戻って来る。


「いい判断だが、ここから出られると思うか?お前の指示に従った可愛い部下たちは、全員すぐに死んでしまうよ。再び戻ってみろ。そいつは一瞬で蜂の巣だ」


 その言葉に、思わず相馬の足が止まる。


「お前はなにもわかっていないな。俺の仲間は、最後の一人になっても決して諦めない。戦い続ける」


 瀬野は上総を睨みつける。相馬は意を決して扉を開き、そのまま出口へと走って行った。


「……つまらないね。さあ、お前はどうするの?」


 余裕の表情で、瀬野は上総の動きを待っている。もう、皆は退避を始めただろうか。


「俺はね都築、お前をずっと憎んでいたんだ。お前が逃げればその背中を撃つし、俺と心中でもなんでもいい。とにかく死んでくれればそれでいい」


「黙れ」


 瀬野は思わず口を噤んだ。昔もこうだった。この男に黙れと言われたら、誰だって言葉を発せなくなる。


「……今のは、相馬君だっけ?知ってるよ。予備軍のなかでも結構優秀だったよね」


「それがどうした」


「あの子は、俺の代わりに死んだ部下の代用なの?第一部隊の小隊長なんて務まるの?俺にはそうは見えないんだけど。まだ、さっきの和泉君の方が使えたんじゃないのかな。盾は、逆だったらよかっ……」


 ……?一瞬、銃声が聞こえた気が……。


「あ……。あああ……うわああああっ!!!」


 配電室中に、左耳を押さえ喚き苦しむ瀬野の金切り声が響き渡った。


「それくらいで、随分と大袈裟だな」


 指の間から流れ出る赤黒い血は止まらない。流れれば流れ出るほどに、瀬野の表情は醜く変化していく。


「次は右だ」


「は、外すぞ!これを外せば、全員が死ぬんだからな!」


 瀬野は、コードを鷲掴みにしながら鬼の形相で怒声を上げる。


「……いや、もう一度左だ」


 瀬野の言葉など気にもせず、上総の放った銃弾は、左耳を押さえる瀬野の手を貫いた。


「ぎゃああああ!!」


 次いで、もう片方の手。両肩。両肘。

 一歩、また一歩と近付きながら、上総は的確に射抜いていく。


「……ああ、まただ」


 だめだ、また意識が飛んでしまっていた。気が付くと目の前の敵が満身創痍に陥っている。


「どうしてこうなってしまったのか。いつから……」


 そして、両脚を撃ち抜いたところで、瀬野の身体からコードが外れた。

 それと同時に、遠くの方から爆発音が響き渡る。


「お前、馬鹿か。このままどうなるかなんて想像つくだろ。ここで終わっていいのかよ……」


 爆音と共に天井が崩れ出す。凄まじい爆風に飛び散る瓦礫。なんとか目を見開いて顔を上げると、もうすぐ目の前に上総が立っていた。


「ひっ……!」


 逃げたくても逃げられない。掌も肩も肘も膝も撃ち抜かれ、一切身体が動かない。


「その眼……、その眼だよ!やめろ!……見るな、俺を見るな!!」


 最後の爆破が二人を襲う。視界は炎と煙に覆われ爆風が迫る。


「ここで作った薬を打ってやる。覚悟してろ、死んだ方がマシだと思うほどの薬だからな!」


「知ってるよ。その薬を開発したのは俺だから。その威力がどれほどのものなのか、嫌というほどこの眼で見てきた」


「は……、お前が作った?」


 上総の言葉に瀬野は耳を疑った。だが、もう言い返す力も残ってはいない。


「……都築。お前は、この世に存在してはいけない人間だ」


「そうだな。俺があの薬さえ作らなければ、こんなことにはならなかったのかもしれない」


 ***


「都築さん!意識はありますか!?今助けますから!」


 すでに上総は力尽き、意識を失っていた。身体中に擦り傷や切り傷、そして全身を強く打っており、肋骨が数本折れていた。


「都築さん、無茶しすぎですよ。ですが、やっぱり都築さんは優しすぎます。出来るだけ多くの隊員を逃がしたかったんですよね。だって、都築さんが指示していたルート、そのすべてが必ず非常口付近を通るルートだったじゃないですか……」


 上総と瀬野を乗せたヘリコプターは本部へと急行した。


 ***


「桐谷さん!都築一佐たちが戻って来るそうです」


 大郷が、息を切らせて美月の部屋へ飛び込んで来た。


「たった今、久瀬将官らがヘリで帰還しました。将官は怪我を負っていますが、命に別状はありません。二人の捕虜を連れています。都築一佐らを乗せたヘリもじきにこちらへ到着するそうです」


 美月は静かに立ち上がり、そのまま歩き出した。


「……屋上、行かないと」


 美月と大郷は急いで屋上へ向かった。その様子に陽も気付いていたが、部屋から出ることはなかった。


 なんとか、瀬野をはじめ上層部二名を連れて帰ることが出来たが、五百名中半数以下の百八十名余りしか生き残ることが出来なかった。

 山梨部隊もおそらく大多数は始末したが、退避した際逃亡した者も数多くいるだろう。

 とりあえず作戦は成功したと言えるが、あまりにも代償が大きすぎた。


「上総!」


 ヘリコプターが到着し、上総は担架に載せられて降りて来た。酸素マスクをつけ、身体中傷だらけだ。


「ねえ、上総は大丈夫なの?この怪我は、意識はあるの……?」


 酷い状態の上総を目にして、美月は息が止まりそうだった。本当に生きているのか?まさか、今にも死にそうだなんてことは……。


「今は意識はなく、頭のこともあって大変危険な状態です。大爆発に巻き込まれてしまい……」


「……そんな」


 上総と瀬野は急いで集中治療室へ運ばれた。瀬野も危険な状態だった。


「ではこれより、遺体回収へ向かいます」


 上総らを医師に託し、相馬は美月に敬礼を掲げた。なんだ?なにかがおかしい。誰かが、足りない。


「相馬一尉、和泉一尉は別のヘリですか?」


 大郷が大変なことに気が付いた。その言葉に、思わず相馬は顔を顰める。


「……遺体回収へ、行って来る」


「え、どういうこと。和泉は……」


「和泉一尉は、最期まで任務を全うし我々を救ってくれました。彼なしでは、今回の任務成功はあり得ません」


 相馬は再びヘリコプターへ乗り込み、親友を迎えに山梨へ向かった。

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