第30話 「地底の悪夢」



「お久しぶりです、警視」

「忘年会ぶりだね!」

「あの悪夢の飲み会って忘年会の範疇に含まれているんですか。世の中って奇々怪々ですね」


 仲が良いわけでもないのに、僕は年末に信仰問題管理室の飲み会に参加させられた。

 面子は僕と警視と吉柳鳶彦の三人だ。

 それがどんな結末になったのかは、ぬくぬくと惰眠を貪る連中には絶対にわからないだろう。

 おかげで僕は三ヶ月ほど回復しない精神的瑕疵を負ってしまった。

 心という器にはいったん罅が入ったら元には戻らないというのに、管理室の悪魔どもはお構いなしなのだ。


「ところで、おかしいんだよ」

「警視の考え方がですか?」

「あの愚かで人語を断片的にしか解さない熊が、私が到着するなり手下を使ってこんなところに押し込めようとするんだ。異常だとは思わないかい? 同じ警察官で、階級も同じだというのに理解しがたいおかしさだよ」


 有無を言わさず隔離するというのは、なるほど防疫の最良手段なのかもしれない。

 まっとうな警察官が降三世警視と接触すると精神が汚染されかねないからね。


「あまりおかしくはありませんよ。……ところで、警視ほどのお方がこんな所轄にまで足を運ばれるなんて珍しいですね。どうなされたのですか」


 正直、少しだけ希望を持っていたかったのだが、すぐに打ち砕かれた。

 僕にはパンドラの魂は乗り移っていないらしい。


「いや、なにね、ここの所轄の管轄内に人食いの食屍鬼が出たときいてね。すわ、そいつは珍しいとやってきたのさ。ついでにいうと、そういえば友達もいたなあと君のことを思い出したから会いに来てあげた訳だよ。なんと人情に篤いいい人格の持ち主だろうか、この私は」

「友達って都庁みたいな高所から鬼みたいなマウントをとってきたりはしないと思いますが…… って食屍鬼が出たってなんですか!?」


 さすがの僕でも食屍鬼ぐらいは知っている。

 人の死体を食らう低級の鬼の事だ。

 ラフカディオ・ハーンの小説にもでてくるから、学生時代に授業でやったことがある。

 ただ、それがうちの管轄に出ると聞いて、真っ先に思い浮かんだのは山岸の遺体についてのことだ。

 あれには人の歯形がついていたうえに、犯人はお弁当のように人間の内臓を持ち帰っている。


「まさか? 警視はあの事件の犯人が食屍鬼だなんていう気なんですか? 確かに、新宿とか六本木に比べればこのあたりは今一つ都会っぽくないですけれど、それでも現場は繁華街です。そんな怪物が出る余地はありませんよ。怖い話をしないでください」

「なんだ、君は魑魅魍魎が田舎にしか出ないものと決めつけているのかい? それは頭が固いねえ。世の中というのはもっと驚きに満ち満ちているのさ。例えば―――」


 警視は長い足を一回高く伸ばしてから、組み直した。

 トシちゃんみたいな真似をする。


「今でこそ、各電車の路線は監視カメラが設置されているが、昔、まだE電が国電であったころ、東京の地下というのは正真正銘の魔境だったんだよ」

「……せめてJRって言ってくださいよ」


 意外と歳食っているのか、この人は?


「そもそも現在の地下鉄国会議事堂駅が核シェルターとして設計されているように、東京の地下構造は機密事項になっていることが多い。太平洋戦争の前から始まっていた帝都の地下の開発が敗戦によってGHQに引き継がれてしまった。戦後に始められた開発とは断絶しているせいもあるが、現状でも政府や行政が完全に把握できているわけではないんだ。だから、我々の知らない空間や通路が網の目のように存在していて、それは長い間放置されているのが現状だ。そこに、もし棲みついている連中がいるとしたら、そいつらが人知を超えた存在であったとしたら、魔境という言葉こそ、相応しいものだとは思わないかね?」


 僕は都民なので頻繁に地下鉄は利用する。

 何かおかしなことがあったこともない。

 だから、降三世警視のいうような変なことがあるはずがない。

 まさか、僕らの世界の足元がそんな風になっているはずが……


「1926年に、旧大蔵省の仮庁舎あとで当時の大蔵大臣早速整爾が病死し、管財局課長はじめ数十人が死亡した事件も地下の何かに手を出したからだと言われている。ちなみに、この事件はかわいそうなことに平将門公の責任にされてしまい、いまだに彼のことを大怨霊だと恐れている人がいるぐらい有名な事件だ。中にはGHQの陰謀論を持ち出すオカルトマニアもいるぐらいさ。それに、地下鉄の路線図などいまだに出版社によって微妙に違うものが出版されているのは、何かの情報統制が図られている可能性が高いね」

「だからといって……そんな」

「まあ、地下に色々と変なものが巣食っているというのは、日本に限った話じゃない。ローマのカタコンベをはじめとした地下遺跡、パリの下にも放置されて顧みられない下水道が多数存在するし、比較的新しいはずのアメリカの大都市でもわざとやっているんじゃないかというほど蟻の巣なみに酷い複雑さだ。アリゲーターとかもいるしね! だから、そこに色々と変なものが潜んでいても、人間は決して把握しきれない。―――その中に、食屍鬼がいたとしても、さ」


 警視のいつものヨタ話に比べたら、かなり現実味がある。

 確かに地下は、僕たちが知らないうちに掘られていて、いつのまにか地下鉄が開業しているなんてことはざらだ。

 都営地下鉄の各会社だって、本当に自分たちの路線のすべてを把握しているとは思えない。

 知識を悪用できるずる賢いやつらがいたら、気が付かれないように地下に住居を作って集落を構成してもバレないかもしれなかった。


「地獄の悪鬼が好んで生息し、跳梁跋扈する場所として相応しいのは都市の地下さ。最新の土木技術がいくらあっても制圧しきれない空間スペース。地底深く縦横に張り巡らされた竪穴。頼りない人工の照明では誤魔化しきれない虚無の暗黒。武器も持てないサラリーマンの職員ぐらいしか敵のいない無法地帯。それが地底さ」

「生物が生きていくための飲み水だってないでしょう―――いや、まてよ、地下水があるのか」

「食料だってある。……がね」


 ―――食材。

 僕らのことか。

 毎日毎日何百万人もやってくる人間がいるではないか。

 そう、確かに、そうだ。


「人の肉を食う化け物たちがいても、十分に生きていけるのですか……」

「ああ。食屍鬼は昔からそうやって人間の足元をみて生きてきた。特に顕著なのがボストンにすんでいたある高名な画家についてだが。私もね、そろそろ、警視庁が地下を完全に捜索するべきではないかと進言するつもりなんだ。内閣官房やらCIAやらがとにかく言いそうだが、地下を把握するだけで年間の行方不明の数値がかなり減るとは考えているしね。まあ、そういう考えもあって、今回の事件が食屍鬼の仕業ではないかと、思っているとのさ」

「山岸を殺したのは食屍鬼だと……」

「だから、さっさと説明を始めたまえよ。まったく、君は気が利かないねえ。僕の友達だったらもう少し話の前のあたりで一を聞いて十を知るぐらいの気づきが欲しいものだ。困ったものだ」

 

 あんたの話を聞いて、すぐに「犯人は人外のモンスターだったんですね。あ、そういえばこれこれこういう証拠がありました。それが事件の鍵に違いないですね!」なんてアクロバティックな反応できる奴が世の中にいるかってんだ。

 人間舐めんなよ。

 あと、もしそいつがいたら僕と代わってください。ぜひお願いいたします。


「わかりました……では、第一の事件から……」



 ◇◆◇



 第一の事件は住宅街にある少し大きめの池のある公園で起こった。

 その公園の池には巨大なワニがでるというので一時期周囲が騒然としたことがあるが、結局ワニはいないことが判明し、住民の憩いの場所として戻った。

 そこで、五十代の男性が首を真横に切られて死亡し、腹を裂かれて心臓と臓器を持っていかれて発見された。

 この公園は監視カメラが入り口にしかないのだが、出入りする場所が数か所あるうえ、都心にしては叢が多かったせいで目撃者も見つかっていない。

 連続犯人だとするとやはり手際が一番雑にもかかわらず、物的証拠はまったく見つかっていないという有様だった。


 第二の事件は住人のいなくなった空き家で行われた。

 空き家といってももともとミニコミ誌などをつくる印刷会社の工場だった場所で、防音がしっかりしているうえ、水場も確保されていたため、三件の中ではもっとも犯行が行いやすかったと考えられている。

 ここでも殺し方と解体の仕方は同じ。

 どうやって元印刷工場の中に入ったかだけが手がかりだったが、単に鍵を仕舞う数字錠のついたケースを壊されて侵入されたということで終わった。


 そして、今回の事件。

 繁華街の片隅ということで最も犯行が難しいケースのはずなのに、こちらでもまた何の手掛かりを得られていない。

 とりあえず、三つの事件を結ぶミッシング・リンクを探すのが今の捜査本部の仕事となっていた。


「―――こんな感じです。でも、警視がおっしゃるように地下に食屍鬼がいたとしても、第一の事件と第二の事件では地下に何か結ぶ突くような場所はありませんよ」


 僕の話を全部聞いても警視は特に感慨もなさそうだった。

 いつものように妙な興奮もしていない。

 しかも第二の事件辺りで飽きてきたのか、でかい欠伸までしやがった。

 山岸の事件についてなど、もう医師の加藤の聞き込みの段階で遮られてしまったのである。


「―――まず、一つだけ確認するが、手口はすべて一緒なんだね。解体に使った刃物も、刃の差し込み方も」

「は、はい。そうです。法医学の先生も塩田さんも見解は一致しています」

「私に塩対応の塩田の意見などどうでもいいが、あいつはそこらへんしっかりしているから多分その通りなのだろうね」


 超ベテランの塩田さんと、この頭のおかしい変人が同じ階級だというのが今一つ納得できない。


「だったら、全部聞くまでもないな。犯人は決まっているよ」

「―――食屍鬼なんですか?」


 僕の指摘は刑事としてはあるまじきものだったが、ここまで何度も降三世警視と事件にかかわってきた経験上、必ずしも頭ごなしに否定するわけにもいかない。

 それに、さっきの地下での話は妙に説得力もあったし。

 だが、警視は面倒くさそうに首を振った。

 横に。


「えっ」


 それから、彼はソファから立ち上がり、帰り支度を始めた。

 ちょっと不機嫌な顔つきでもある。

 

「どうしました、警視」

「帰る。つまらん。来て損した。久遠くんの顔なんぞ見ても私の好奇心は満たされん。徒労もいいところだ。絶望した」

「ちょっと待ってくださいよ!」


 こういう顔つきを警視がするときは、いつもの変な神話以外の真面目な捜査のときだけだ。

 わざわざ自分からやってきたのに、警視は完全に興味を失い、やる気をなくしているのだ。

 いったい、どういうことだ。

 食屍鬼の仕業だと思って嬉々としてやってきたのではないのか。


「簡単すぎてアホらしすぎる。食屍鬼が犯人でないのならば私がいる意味がない」

「食屍鬼ではないのですか!?」

「そんな訳ないだろう。その事件の犯人は人間さ」

「ニンゲン? まさか!?」


 僕が扉の前に立ちふさがる格好になっているので、副署長室から出られない警視は憮然とした顔で、


「どいて。どいてくれたら、犯人の名前ぐらいは教えてあげよう」

「あ、はい」


 交換条件はともかく僕は横に退いた。

 腐っても狂っていてお近づきにはなりたくなくても上役は上役だ。


「むー、仕方ない。このままついてこられても厄介だから、少し説明もしてあげよう」


 警視はソファーの背もたれに腰かけて言った。


「犯人は、外科医だよ。通り魔なんてはずがない」


 と。




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