「別人事件」

第13話「強行班は春うらら」



 その日の強行班係は、前日に大きな事件が片付いたこともあってか、ほとんどがいつもは使うこともないデスクで、パソコンとにらめっこをしながら書類整理に没頭していた。

 こんな昼間に強行班全員が揃っているというのはあまりないことだった。

 ベテランの藤山さん、佐原先輩、その他の同僚たちも気が緩み切っている。

 要するに管轄内はとことん平和だということである。

 少し前まではパソコンを使える警察官は一握りしかいなかったらしいけれど、今は一番年配の藤山さんですら普通にキーボードの操作ができるので、手書き書類ということも滅多になくなっていた。

 僕も幾つかの書類を今日中に仕上げるつもりで真剣にキーボードを叩いていた。


「ちょっといい! 強行班!」


 捜査課の入口で誰かが大声をあげて僕らを呼んでいた。

 今までの経験則上、警察署内でこんな大声をあげる素っ頓狂な人材は二人しかいない。

 一人は警視庁の信仰問題管理室というけったいな部署にいるキャリアの某警視。

 あと一人は、僕らが扱う事件についてほとんどの場合に担当となる検察官。

 そして、今回の場合は女性らしい甲高い声の質から、後者ということはであった。


「どうしました、長谷川検事。もう坪井のやつは検察の方に送致しましたよね。証拠が足りなかったりしましたか?」


 応対したのは、藤山さんだ。

 係長はどこかに出掛けてしまっていて、この中での最年長ということから自然と藤山さんが出ざるをえなかったのである。


「いえ、証拠は揃ってました。あなた方はさすがという働きをしてくれたと思っています」


 担当検事―――彼女の名前は、長谷川アリといい、最年少で新司法試験に合格し、最年少で検察官になった才媛だ。

 軽くウェーブのかかった黒髪といかにもキャリア志向というコンサバ系トレンチコート、メイクも相手を威圧できそうなアイシャドウが入っていて、とてもな外見をしている。

 性格もとてつもなくキツく、歩いて呼吸をしているだけで敵を作りそうなタイプだ。

 ただ、能力だけは別格といってもよく、僕たちがよく接触する検察官の中でもトップクラスの優秀さを誇っていた。

 僕らの仕事についても十分に理解を示し、よくみて評価していてくれるのでそのあたりは好印象をもたれている。

 だから、僕らは多少のうとましさと、仕事上の絶大な信頼を彼女には感じているのであった。

 とはいえ、とても面倒くさい相手であることは確かなので、僕らは陰で「ヤバ姫さま」と綽名をつけて仕事以外では寄り付かないようにしていたのではあるが。


「じゃあ、どうしてヤバ―――長谷川検事はうちに来られたんですか?」

「坪井の案件よ」

「……坪井がどうかしたんですか? もう検察官送致はしたし、そちらでの捜査が終わればあとは起訴の判断をするだけですよね。私らはもうお役御免じゃあ……」


 坪井というのは、僕らがしばらく取りかかっていた事件の犯人だ。

 実に二人もの人間を殺害していて、現行犯でこそなかったが、完璧に犯人であることは立証できる証拠もある。

 身柄はすぐに拘束して、逮捕までしてあるし、起訴してさえしまえばほぼ有罪を勝ち取れるだろう。

 多少の気がかりはあったけれど……


「起訴しても有罪が勝ち取れる確率が減りそうなの」

「どうしてですか? 犯行こそ現認されてませんが、凶器も、殺し方も、全部あいつが犯人だと決まっているじゃありませんか。冤罪のおそれの欠片もないですよ」

「犯人は坪井で確定しているわ。問題は、坪井の精神鑑定の結果よ」

「精神鑑定? 39条ですか?」

「正確には39条1項2項ね。坪井は心神喪失で無罪になるかもしれないの」

「そんな馬鹿な」


 藤山さんの嘆きは僕たちにもわかる。

 被疑者取り調べ段階でも、坪井は変なことを喚き散らしていたが、犯行時に心神喪失状態にあったとは絶対に言えないからだ。

 なんといっても犯行後の逮捕時に、機捜や僕らに対してきちんとした思考能力のある対応をしていたのであるから、心神耗弱であったともいえそうにない。


「弁護士が……主張しているのよ、精神鑑定を」

「まあ、あいつらのいつもの手ですな」

「私も非公式なんだけど、坪井の名前は隠して精神医に聞いたところ、精神鑑定をしてもおかしなところはでないでしょうと断言されたわ」

「そりゃそうだ。あんなにきちんと後始末をしておいて気狂いのフリなんて認められるはずがない」

「ただ、相手の弁護士はどうもある理由をもって、坪井は精神が錯乱していたと主張するようなの。それがわりと厄介なのよ」


 長谷川検事の言いたいことはわかる。

 でも、あんなはっきりとした後始末をした犯人を心神喪失で無罪にできるものなのだろうか。

 それに、この綺麗なんだけどアンタッチャブルな検事がこうまで荒れているのはどういうことだろうか。


「―――久遠くどおくん」

「はい、アリ慧ちゃ……いえ長谷川検事」


 なぜか、いきなり名指しされた。

 思わず、昔の呼び名が出そうになった。

 名指しどころか、人差し指を突き付けられ、


「あなた、坪井が気狂いなんかじゃなくて佯狂ようきょうだということを証明する証拠を見つけてきて。人証、物証、書証、なんでもいいから精神鑑定でどんな結果がでようともそれを覆せるものを捜してきなさい。でないと、酷い目にあわすわよ」


 と、命令―――いや脅迫された。

 いや、ちょっと待ってほしい。

 検察官には確かに司法警察職員への指示権と指揮権があるが、二つは対等な関係が基本のはずだ。

 それなのに、酷い目あわすから捜査してこいって……

 権限濫用にも程があるんじゃないのか!

 ここはしっかりと抗議しようとしたのだが、その前に佐原先輩に遮られた。


「わかりました、長谷川検事。俺たちは別件の捜査がありますので坪井の件の再捜査は久遠だけになってしまいますが、こいつは優秀ですし、最近では足でする捜査も身につけましたからね。検事の指揮に従って必ずいい結果を出してくれますよ。な、久遠」

「頼むぞ、久遠」

「頑張れ、強行班のルーキーエース!」

「負けるな久遠!」

「わかったわ。久遠君だけではちょっと心配だけど、私も他の事件で手一杯だから今回だけはあなたに一任しますからね。私の期待を裏切らないように頑張ってちょうだい!」

「ぇ、どうして……」


 しかし、先輩たちに裏切られた段階で僕の抵抗権は失われていたといってもいい。

 なんというか、某警視に絡まれた時のことを思い出した。


 ―――こうして僕の意志とはまるで正反対に、長谷川検事に命じられるまま、僕は終わったはずの事件の再捜査に取り掛かることになったのである。

 でるかわからない証拠を捜しだすという当てのない捜査に…… 



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