「ゴミ屋敷事件」

第7話「臭い現場」



「うぇっ、まったくスゲエ臭いだな、おい」


 市販のマスクを付けた上に、さらに手ぬぐいで鼻を押さえている藤山さんが、心底嫌そうに言った。

 隣の佐原先輩は、流行りの黒いマスクをつけてちょっとお洒落をしているが、場所が場所だけに見事に浮いている。


「おまえはいいよな、久遠くどう。こういう臭いに鈍感で。ホントに羨ましいよ」

「僕からすると、藤山さんたちの方が神経質っぽく感じますけど」

「それはない。絶対にない。おまえだけが異常だ」

「そうですかね」


 先輩刑事の二人に呆れられたように言われると、まるで本当に僕が鈍感なだけという風に思えてしまう。

 実際、僕は臭いに関しては敏感な方ではないけれど……。

 もっとも事件の現場は悪臭が漂いまくっていることが多いので、とても運がいいことなのかもしれない。


「それにしても、ある意味荘厳ですね」

「この庭の隅だけが、ぽつんと空いているのが奇跡のようだな」

「そうですね。母屋なんか窓から室内が見えないぐらいに埋まっていますよ」

「所有者に話を聞きに行った機捜の浅利が、『居間の床から三十センチはゴミが堆積していたぜ』とか言っていたぐらいだからな。俺たちみたいに廊下を通っただけでもあの有様だと、住人の生活圏内はいったいどれぐらい酷いんだろうな」

「ニュースでたまに見たことありますけど、実際に目の当たりにしてみると、また酷さが一層深刻になる気がしますね」


 佐原先輩が、眼を眇めながら背中を向けていた母屋の方を見やる。

 ごく普通の一軒家というには大きすぎる、元は立派なお屋敷だったとも思える日本家屋だった。

 なんでも部屋数だけで十部屋以上で、厠―――トイレは別の棟にあり、裏には駐車場とガレージがあるという大きさだ。

 田舎ならばともかく、東京二十三区内にある個人所有の住宅としてはかなり大きな部類に入るだろう。

 だけど、大きいと言うだけなら特に問題はない。

 もっと広大な敷地を持つ家は腐るほどあるのだから。

 今回、凄まじく問題があるといえるのは、この屋敷の軒下や庭、駐車場、玄関口……ありとあらゆるスペースに所狭しと並べられたゴミの山だったのだ。

 壊れたテレビや家具、コンビニの手持ち部分を縛って丸められた袋、使用用途のわからないガラクタ、おそらくどこからか勝手にもってきたのだろう工事現場のコーン、パンクした廃品そのものの自転車など、そういういらないものが雑然となんの意味もなく打ち捨てられている。

 いや、この屋敷の所有者に言わせれば、「並べてある」のだそうだ。

 しかも、コンビニの袋には生ゴミでも入っているだろう、それが腐って発するすえた臭いや、気持ち悪いぐらいに多量のショウジョウバエが発生し、時折明らかにゴキブリとわかる黒いものがカサカサと這いずり回るので不衛生なことこの上ないのである。

 おかげで靴の裏までが色々と汚れがべっちょりとついていて酷い有様だった。

 まさにゴミで覆われている場所であった。

 もっとも、僕らの捜査の対象は、このいわゆる“ゴミ屋敷”についてではない。

 今、僕の足元に横たわる、この遺体の捜査が目的であった。

 遺体となっていたのは七十歳ほどの男性で、薄汚れたパジャマを着て、足元は靴を履いていない素足だったが、足裏は意外と綺麗なものだった。

 目を見開き、何かに驚いているような苦悶の表情のまま硬直している。

 指先が死後硬直で掴みかかるように固まっているのが、とても生々しい。

 よほど死に際が苦しかったのだろうか。

 自分を苦しめて殺そうとする死神に食って掛かっているようにさえ見える。


「……見たところ外傷はないか」

「ええ。解剖を頼まないとダメでしょうね」

「機捜の連中も事件性は五分五分みたいなことを言っていたな。殺人と事故の両方から捜査しないとならねえのはちょっと面倒だ」

「でも、藤山さん。問題は、この死体がどこからやってきたかということですよ」

「ああ。それとも……、だ」


 僕はぐるりと周りを見渡した。

 この庭の周囲は2メートル以上ある板塀に囲まれ、ご丁寧に上部には鋭い有刺鉄線が巻きつけられていて、隙間はどこにもない。

 裏にも木戸があるのだが、そちらは例によってゴミ袋が無尽蔵に積み重ねられてただ開けるのでさえどれだけの時間がかかるかわからないぐらいである。

 さらに言うと、ここはちょっと変わった構造の家で、庭に出るためには家の廊下を必ず通らなければならず、玄関側から庭にでる通路は皆無なのだ。

 隣家となる三階建てのマンションも道を一つ隔てて離れており、この庭との距離は幅員で6メートル以上はある。

 もし、この生前の被害者がここに生きたまま侵入するには塀をよじ登るしかないが、七十歳ほどという年齢を考えればまず不可能だ。

 有刺鉄線による怪我も目立った外傷なしということから、壁を越してきたものとは思えない。

 あと、いくらなんでも人間一人の遺体をハンドボールの遠投のごとく、ぽいっと投げ捨てられたとも考えられない。

 遺体には落下した跡もなかったからだ。

 そうなると、ルートは一つしかない。

 つまり、この遺体がここにたどり着くためには、あのゴミ屋敷の中を通り抜けなければならないということだ。

 要するに、さっきの僕たちのように、渋る所有者を説得し、母屋の廊下を抜けてここに来るのが一番というわけである。


「やっぱり、さっきの所有者が怪しいでしょ。というか、あいつしかいないはずですよ。ここに入ってこられるのはあの家の住人だけなんですから」

「うーん、しかしなあ、事情聴取するにしても、まず死因がはっきりしないと」

「任意で聞くしかないわけですね」

「だが、さっきの調子を見たろ。はっきりいって言葉が通じる気がしない。鬼の浅利が泣きそうになっていたぐらいだ。少なくとも、解剖の結果、死因ぐらいは特定せんと面倒なことになりそうだ。幸い、逃走のおそれはなさそうだし」

「そうですけど」


 僕はさきほどの家の住人の態度を思い出した。

 マンションの三階の住民からの「隣のゴミ屋敷の庭で誰かが倒れている。死んでいるんじゃないか」という通報を受けて駆けつけた機捜が、いつまでたっても現場に入れず、少し遅れた僕たちがなんとか宥めすかしつつ、母屋を抜けてここにたどり着いた時の面倒な顛末と一緒に。

 ゴミ屋敷の住人にしては意外にこざっぱりとしたシャツを着た四十代の男性で、見た目は普通だったが、目が中央に寄っているような妙な視線の持ち主だった。

 なんでも、もともと弁護士だったという話だが、数年前に病気になり職を辞したという話だ。

 おかげで口は立つし、刑事訴訟法にも詳しく、この遺体の元にたどり着くにも一時間以上を浪費してしまった。

 そして、さっきからずっと二階の窓から僕たちの様子を睨み続けている。


「弁護士崩れというだけでも、正直な話、面倒が多いんだ。変な見込み搜査をやるとまずい結果しか起きそうにない」

「確かにそうですけど……」


 ようやく鑑識が初動の調べを終えて、遺体が運び出されようとしているとき、僕は庭の隅に奇妙なガラスの破片を見つけた。

 かなり大きい。

 もしかして、あれは……?


「先輩、あのガラス」

「なんだ」

「一ヶ月前ぐらいに、このあたりで墜落したヘリコプターの破片じゃないでしょうか」

「どれ」


 僕たちは好奇心に駆られて、庭の片隅に並べられていたガラスのところに近寄った。

 大きさや厚さからして十分にヘリコプターの操縦席の部分を覆うものであってもおかしくない。


「そんな感じがするな。車とかのガラスに較べて硬そうだし。あの事故のとき、ここに落ちてきたのかもな」

「部品が幾つも住宅街に落ちたって話はニュースで流していましたから、これもその一つかもしれませんね」

「あとで事故を調べている航空局に連絡しておくか」

「そうですね」


 僕たちがそんなことを話していると、二階から怒鳴り声が聞こえてきた。


「貴様ら、私の大切な宝物たちに勝手に触るな!!」


 このゴミ屋敷の主人だった。

 僕らの様子をまだ見張っていたらしい。

 口から泡を噴かんばかりに興奮している。


「ここにあるものは全部私の宝物だ!! 貴様らが勝手に触れていいものではないぞ!! もし盗み出しでもしたら、すぐにでも警察を呼んでやる!!」

「……僕らが警察なんですけど」

「しぃ。聞こえるぞ、久遠。黙ってはいはい聞いておけ」

「はいはい」


 目が血走っているおじさんと話し合う気はしないので、僕らはそれ以上関わらないようにヘリコプターの破片らしきものから離れた。


「どうも自分の家のものに対して、異常なまでに執着心が強いやつのようだな」

「ええ。『家からは何も持ち出させんぞ!!』とかいってずっと見張ってますし。まあ、目録片手にじっと傍にいられるよりはマシですけど」

「そうだな。しかし、だったら、あの死体についてだって『自分の家のものだ』とか主張しろってんだ。死体は別腹ってか」


 二階の主に聞こえないように僕たちは不平を漏らした。

 彼はこの死体についてはさっさと撤去していいと主張しているのだ。

 こっちがまともに現場検証もできないのに、偉そうに命令だけはしてくる。

 それから、ようやくというか、やっと遺体が運搬できることになり、それに付き添っていると、今度は母屋の入口の方から素っ頓狂な怒鳴り声が聞こえてきた。

 しかも僕には聴き覚えのあるものだ。


「なんでこんなにゴミばかりなんだぁぁ!!」

「ん、この声って……」


 嫌な予感がして僕が振り向くと、そこには……


「あっ、久遠くん、久しぶりだねぇ、私だよ、私」


 と、手を振りながら挨拶をしてくる降三世明ごうざんぜあきら警視がいた。

 相変わらず高級ブランドの三つ揃いと、外人モデルのような高い鼻梁、切れ長の目、柳のように整った眉、意志の強そうなきゅっとした唇、それ以外の他をがっくりさせるボサボサの寝癖という髪型の残念な美青年だった。

 警視はばっと母屋の廊下から庭におりて(土足のままだった)、僕の隣にやってきてポンポンと肩を叩いた。


「んー、元気にしていたかい、久遠くん」

「……ええ、警視こそ、ご健勝そうで」

「ところで、なんだい、どうしてミ=ゴがいないんだね?」

「え、なんですって?」


 突然警視が口にした単語に、僕は戸惑った。

 たしか、『』とか言ったよな。

 このゴミ屋敷の『ゴミ』という訳ではなくて。


「だから、ミ=ゴだよ、ミ=ゴ。私はこの東京における、ミ=ゴの隠れアジトが見つかったからという理由ではるばる霞ヶ関からタクシーを飛ばしてやってきたんだよ!」


 なんだかよくわからない理由で無駄足を踏んだと、ぷんすか腹を立てる警視。

 また例の変なオカルト話かと思うとかかわり合いにはなりたくないが、この人に現場で騒がれると捜査が進まなくなる。

 藤山さんが、僕を見て顎をしゃくって「連れていけ」と言っていた。

 先輩の命令は絶対だ。

 どんなに面倒くさくても。

 僕は降三世警視の腕を引いて、ゴミで埋もれた庭の片隅に連れて行く。


「警視、残念ですが、貴方がどのようなものを求めてここに来られたかはわかりませんが、これだけは言えます」

「何かね」

「ここはただのゴミ屋敷です。おかしなオカルトの関わる余地など欠片もない、

「なんだとっ! それは本当かね! 詳しく説明してくれたまえよ!!」


 ……これが、今回のゴミ屋敷での事件に、降三世警視が勝手に介入することになった発端である。



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