第13話 制裁 ――その①

「おーい、涼子ちゃん!まだ準備できないの?」

「ん、急かさないでよ。もうちょっとだから。」

扉越しの僕の声に、涼子ちゃんの不満そうな応答が返ってきた。


今日は日曜日。

運動会のフォークダンスの時に、西原と映画に行く約束を交わしたのが、二週間前の事。その約束の決行日である。


集合時間は迫ってきている。

遅刻なんかして西原と治樹を待たせるわけにはいかない。

もっとも治樹の方が遅刻してくる可能性も大いにあるのだが、もし、あいつが時間どおりに来て僕が遅刻するような事があれば、今後、時間にルーズなあいつへの僕の小言が説得力を失ってしまう。


涼子ちゃんの部屋の前で、多少の苛立ちを覚えながらつま先でトントンと床をつついていると、不意に目の前のドアが開かれた。

「えっと、お待たせ・・・」

声は僕の方に向いていたが、その視線は逃げる様に脇に逸れている。

(おおっ・・・)

その姿を見て、僕は心の中で感嘆の声を漏らした。

絹のような黒髪は纏めずにサラリと流れるままにしてあり、ブロウしながら作ったのだろう前髪がアクセントになっている。

チェック柄のミニのプリーツスカートからはスラリと細い脚が伸び、その膝上から下は黒のニーソックスで覆われていた。ポップな文字が踊る黄色いカットソーの上に、少しダボッとした赤っぽいダッフルコートを羽織っている。

リップカラーで色付いた唇に加え、何やら目元がキラキラ光を放っていた。どうやらラメを使っているらしい。


出合った頃は全く化粧っ気のなかった涼子ちゃんだったが、徐々に変わってきているようだ。メイクのしかたやアイテムの情報などは、ほとんどが西原から提供されているのだろう。

涼子ちゃんに色々教えてあげてるみたいな話を、嬉しそうに西原がしているのを聞いた事がある。

師匠である西原の指導がいいのか、本人のセンスがいいのか、涼子ちゃんのメイクは彼女の持つ無垢な美しさを寸分も損ねる事なく、その魅力を存分に引き立てていた。


「・・・さっ、時間も無いし急ごうか。」

無意味に照れてしまった僕は、感想を胸に秘めたまま涼子ちゃんに出発を促した。

「ちょっと待ってよ。」

早足の僕に追い縋る様に涼子ちゃんが駆け寄ってくる。



例年より半月も早い紅葉が道端に彩を添え、街は秋の装いを見せ始めていた。

自宅を発ってから、待ち合わせ場所の駅までの道中、僕は少し後ろを付いてくる涼子ちゃんの事が気掛かりでならなかった。

手間をかけて念入りに身支度をしたからこそ、あんなに準備に時間を費やしたのだろう。その努力に何かしら応えてあげなければいけない気がする。

僕が賛辞を送る事が彼女にとってその報いになるとは思えないが、居を共にする者としては、単なる杞憂であったとしても、何も言わずに彼女の機嫌を損ねてしまうよりはマシに思えた。

意を決した僕は、一旦立ち止まると僅かに涼子ちゃんの方に振り返って、喉に詰まっていた言葉を吐き出した。

「その、すごく、似合ってると思うよ・・・」

短い間を置いて、涼子ちゃんの返事が再び歩き始めた僕の背中に届いた。

「・・・ありがと。」

その単語は謝意を表すものである筈だが、それを告げる涼子ちゃんの口調はそっけなく、やや拗ねている様にも聞こえる。

僕の掛けた言葉が果たして彼女にとって満足のいくものだったのか、その返答から窺い知るのは困難だった。


集合時間ギリギリに、僕たちは駅に到着した。

「白峰くん!涼子ちゃん!こっちこっち~!」

「何だよ、遅刻したら奢らせようと思ってたのに。」

駅には、西原と治樹が既に着いており、僕たち二人を待っていた。

(珍しく治樹も時間通りに来てるし・・・)

これで僕が遅れていたら、日頃の仕返しとばかりに治樹は喜んで食いかかってきた事だろう。そうならずに済んだ事に、とりあえずほっと胸を撫で下ろした。

「ていうかその理屈なら、治樹が遅れたときも、そのたびに僕は奢ってもらえるって事になるけど?」

「なっ・・・ちょっと、それはねえって。不公平じゃねえか!」

「どこがだよ。治樹お前公平って言葉の意味知らないだろ。」

僕と治樹の挨拶代わりの軽口の応酬を聞いていた西原が、「ふふっ」と笑いをこぼした。

鈴のようなその声につられて西原の方を見る。

髪は団子に纏め上げ、前髪をピンで留めている。おでこが強調されるヘアスタイルだ。

真っ白なブラウスの胸元を飾る暗いベージュのタイ、スーツスタイルの水色のジャケットに紺のタイトスカート、黒のストッキングとダークブラウンのパンプスが絶妙の組み合わせで、いつもとは違った大人びた魅力を漂わせていた。

襟元に白いラインの入ったほぼ黒に近い濃紺のトレンチコートをすっきりと着こなしているあたりも、スマートな印象を醸し出す一因となっている。

その新鮮な姿から目を離せずにいると、少し恥かしそうに西原が訊いてきた。

「ちょっとコンセプト変えてみたんだけど、どうかな・・・やっぱりおかしい?」

「ううん、そんな事ないよ!」

激しく頭を振って否定する僕。

「すごくカッコよくて、ビックリしたよ!」

「ふぅん・・・カッコいいっていうのは、女の子へのお世辞としてはイマイチなんだけどな・・・」

やや沈んだ様子で俯く西原を見て、僕は慌てて別の言葉を探した。

美しい、綺麗だ・・・今の西原を形容するのに相応しい言葉は既にいくつか浮かんできている。しかし、その言葉を面と向かって西原に伝える勇気は僕には無かった。

明後日の方向を見ながらパニックを起こしそうな頭で必死に考えていた僕だったが、ふと気付くと、俯いたままの西原が上目遣いでこちらの表情を面白そうに観察していた。

僕と目が合った彼女は、ぺろっと舌を出して悪戯っぽく笑う。

落ち込んだ演技をしていたのだと知った僕は、安堵の息を漏らしながら苦言を口にした。

「もう、からかわないでよ。」

「あはは、ごめんごめん。白峰くんが言ってくれたのが今回のテーマ通りの言葉だったから、すごく嬉しい!」

満面の笑顔で、西原はまたも僕の視線を釘付けにした。

くるりと一回転してみせる茶目っ気たっぷりのその仕草は、彼女の言うコンセプトとやらとはかけ離れているのではと言いたくもなるが、クールな服装とのギャップは強く心を惹きつけるものがあった。

「わあっ、涼子ちゃんかわいい!」

僕をダシにひとしきり遊んで満足したのか、西原は今度は涼子ちゃんの側に駆け寄った。

「うん、涼子ちゃんにはビビットなのが似合うってずうっと思ってたんだよね!あ、早速ラメも使ってみたんだ!」

ふんふんと頷きながら覗き込む西原の目から逃れるように、涼子ちゃんは体を左右によじる。

「や、ちょっと、先輩っ・・・あんまり見ないでください。」

「えーっ、いいじゃない。白峰くんにはちゃんと褒めてもらえた?」

西原の問いかけに、涼子ちゃんの顔がみるみる赤くなった。

「えと・・・その・・・まあ、お世辞程度には・・・」

拗ねたようなその物言いは、駅まで来る途中に僕が涼子ちゃんに賞賛の言葉を送った際、背中に返ってきたものと類似しているように思えた。

(あの時も後ろでこんな顔してたのかな・・・)

すっかり恥じ入って目を伏せる涼子ちゃんは、思わず頭を撫でてやりたくなるほど可愛らしい。

そんな事をすれば平手打ちが飛んできそうなので、もちろん実行には移さないが・・・

西原は涼子ちゃんの様子を見て満足そうに目を細めると、パッと僕の方に向き直って「えらいじゃない!」と親指を立てた。

そのはしゃぎっぷりを見た治樹は、やれやれといった感じで首を振りつつ、呆れた口調で西原に言った。

「あのなぁ、西原。お前敵に塩送ってどうするんだよ。」

「敵って何よ。私と涼子ちゃんは友達だもん!」

涼子ちゃんの腕に組み付きながら発せられた西原の言葉は、語気こそ強くなかったものの、彼女には珍しく頑なな否定の意を感じさせるものだった。

そもそも、治樹の言う敵だの味方だのの意味が僕にはさっぱりだったので、西原が意固地になる理由も分からなかった。

「え、えっと、とりあえず電車に乗ろうか。」

僕らは何も立ち話をするために集まったわけでは無い。僕の声に促されてようやくみんなはホームに向かい、電車に乗り込んだ。

目的地は、隣町のショッピングモールである。


到着した僕らがまず訪れたのは、ファッションフロアーだった。

僕は先日服を買ったばかりだし、治樹はあまり格好に頓着するタイプでは無い。

僕と治樹は女の子二人に付いていく形で、自然とレディース中心のショップを回る事になった。

「あっ、ねえねえ!これ可愛くない?」

走り回る女の子たちのテンションに、僕も治樹も若干取り残され気味だ。

いやむしろ涼子ちゃんをグイグイ引っ張っている西原だけが五馬身くらい周囲を引き離している気がしなくもない。

「そうだ!涼子ちゃん、勝負しない?」

「・・・勝負・・・ですか?」

西原の唐突な振りに、涼子ちゃんが怪訝な顔をする。

「そう、勝負!丁度いいんじゃない?私と涼子ちゃんが敵だって思ってる人もいるみたいだし。」

治樹のほうを見やりながらそんな事を言う西原。

「なんだよ、根に持ってるのかよ。」

先刻の自分の発言に当て付けられた治樹としては、苦笑しながら頭を掻くしかない。

「でも、勝負って、一体何を競うんですか?」

そう言いつつ、涼子ちゃんはなぜかちらっと一瞬僕の方を見た。

どういう意図の視線だか分からないが、僕だって頭の中にクエスチョンマークが浮かんでいるのは涼子ちゃんと同じだ。発案者である西原の言葉を待つのが賢明だろう。

「そうねぇ、私と涼子ちゃんが、お互い相手の服をコーディネートするのはどう?それで、上手くコーディネートできた方が勝ち!面白そうでしょ?

判定は・・・ええと、男性陣の二人にお願いしよっか。」

西原があっという間に話を具体化させていくので、涼子ちゃんは展開についていけずにいた。

「え、コーディネート?ちょ、ちょっと待ってください、判定は男性陣二人って・・・」

「いいのいいの!とりあえずやってみれば分かるって。

白峰くんと鈴掛くんは、ええっと、あそこの長椅子のあたりで待っててくれる?あ、時間かかるかもしれないから適当に回っててもいいよ。準備できたらこっちから連絡するから。」

まくし立てるようにそう言うと、西原はショップ内へと涼子ちゃんを引きずり込んでいった。

「え、ちょっと、先輩っ、待って・・・」

困惑する涼子ちゃんの呟きだけを残して・・・


僕と治樹は、西原に言われるがまま、指定された長椅子に腰掛けた。

「ふーっ、凄いな、西原のパワー。前の時もあんなだったのか?」

溜息を吐きながらそう訊いてくる治樹。

「まあ、今日は格別な気もするけど、大体あんな感じかな。」

「学校でも元気なのは元気だけど、ここまでじゃあないよな。お前らと遊ぶのがよっぽど楽しいんだろ。」

些細な事かもしれないが、治樹が“俺たち”ではなく、“お前ら”と表現した事が僕の気にかかった。

自分などいなくても関係ないと思っている様な口ぶりだ。

「何言ってんだよ。今日は治樹がいるから西原のテンションも格別なんだって。」

大体、治樹を誘おうと提案したのは西原なのだ。その事を思い出して、胸の奥がチクリと痛んだ。

治樹は僕の見解を聞いてやや黙り込むと、急に話題を変えてきた。

「ところで、あの涼子ちゃんって娘は、今もお前ん家に住んでるのか?」

「ああ、うん、そうだけど・・・」

「太田の奴もか?」

「・・・うん、まあ・・・」

僕としては、正直避けたい話題である。治樹が太田先生の事を良く思っていないのは重々認識しているので、後ろめたさを感じずにいられない。

「お前と同居してるのがその二人ってのはまさか偶然って訳じゃないだろ?太田と涼子ちゃんはどういう関係なんだ?」

「えっと・・・親子だよ。太田先生は涼子ちゃんの父親なんだ。」

「父親って、涼子ちゃんは・・・確か神谷とかいう姓じゃなかったか?苗字が違うじゃねえか。」

その質問に答えるべきかしばし考える僕。

言いふらすような内容でない事は確かだが、どちらかというと涼子ちゃんはこの事に関してこそこそと気を遣われるほうが鬱陶しいと感じている節がある。

「涼子ちゃんの両親は・・・離婚してるんだ。今は涼子ちゃんは母方の姓を名乗ってるんだって。」

それを教えてくれたときの涼子ちゃんを真似て、どうという事のない様な口ぶりで説明しようとしてみたものの、なかなか上手くいかない。

「・・・そうか。」

さすがに他人の家庭事情にこれ以上立ち入るべきでは無いと判断したらしく、治樹は涼子ちゃんについての質問をここまでで打ち切った。


次に治樹が発した問いは、またも脈絡の無い唐突なものだった。

いや、治樹の中では会話の流れとしてごく自然な質問なのかもしれない・・・

「なあ、お前、いつの間にか智子と知り合いになってたみたいだけど、あいつの兄貴の事は知ってるのか?」

「・・・へぇ、新沼さんには、お兄さんがいるの?」

僕の口から咄嗟に出たのは、偽りの言葉だった。

僕は知っていた。新沼さんのお兄さん・・・新沼純一という人物の事を。忘れられるワケが無い。彼と相見えたのは二度だけだが、彼の存在は負の記憶とともに僕の胸に深く刻まれている。

僕が嘘をついたのは、何かしらの計算に基づいた事では無かった。脳裏に刷り込まれた恐怖心が、条件反射的に“新沼純一を知っている”という事実を拒絶したのかもしれない。

返答の後、ジワジワと後悔の念が立ち上ってきた。治樹の方からこの話題を振ってきた今こそが、色んな悩みを打ち明ける貴重な機会だったのではないか・・・

それが容易でないのは身に染みている。でも、いつかは話さないといけない事なのだろうと思う。

せめて、新沼さん経由で治樹の耳に入る前に、僕が自分自身の口で伝える事が、信頼を完全に失うのを防ぐ唯一の道ではないだろうか。

しかし、覆水は盆に返らない。いまさら取り繕いようも無く、僕はただ沈黙するしかなかった。

「あいつの兄貴は新沼純一って名前なんだけど、俺とはサッカー部仲間だったんだよ。」

「・・・ふぅん・・・」

それも知っている。そして、部活において彼に降りかかった災難の事も。僕はそのあたりの事情に何ら関わりを持たないが、治樹はまさに当事者の1人だった筈だ。

「あいつは・・・純一は、天才だったよ。」

目を細めながら、治樹は語りだした。

宙に浮いた視線は、目の前の空間ではなく過去を見つめているようだった・・・

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