第8話 ストーカー女



 数人の男子が、大きな声でなにやら真剣に話し合っている。

「なあ秦野。遂に『燃える馬』の本物の情報提供に賞金出たってよ。五百万!」

「うそだろ! うわ、マジだ」

「パトロールすっか、パトロール」

「一番良いのは正体を突き止めることだけど、まあまず無理だろうからな。あ、でも写真にもかなり報酬出るらしいぜ。あるいは詳細な特徴とか、どこに出たとかって情報。最高金額が五百万」

「でも、魔法ってのは普通のカメラには映らないんだろ? もし運よく出くわしたとして、写んなかったら話にならねえ」

「写真じゃなくたって、似顔絵でも良いんだよきっと」

「堂島お前、絵、へたじゃん」

「言ったな!」

 取っ組み合いが始まった。教室は今日も賑やかだ。

 そのうち、足をもつれさせた堂島が、自分の席で静かに文庫本を開いていた女子の机にぶつかった。

「ごめん、仁実さん!」

 威勢の良い謝罪に、ぶつかられた方の女子は、

「いいのよ。別に。でも、気を付けてね。こんなことで怪我したら、つまらないわ」

 と、やわらかに応える。彼女はクラスの中で、一番の美人である。

 堂島の頬が、ぽっと赤くなる。

「あ、こいつ照れてる」

 先ほど彼を突き飛ばした荻原が、堂島に尻を蹴られる。

「うるせえ! 見てんじゃねえ」

「てめえ図星のくせに!」

 またしても始まった小競り合いをさらりと無視して、仁実ぐりこはもくもくとパンを齧っているエンジュの後ろ姿を眺めた。ほっぺたの動きが何とも小動物のようで平和である。

 最近、エンジュの顔色が良い。

 それはとても良いことだ、と仁実は人知れず微笑む。

 彼女は、ひそかにエンジュに思いを寄せているクラスメイトの一人である。

 鏑矢エンジュは、美男子である。その上、性格は至って温厚で、成績も良ければ親はこの地区で一番偉い人物だ。女子にモテないわけがなかった。

 しかし、当の本人はのらりくらりと幾たびもの女の子からのアプローチをかわし続けているという。恋に敗れた女の子たちは、それでも躍起になってエンジュを構い続けたり、ショックのあまりしばらく学校に来なかったりした。

 自惚れの強い子は逆に、エンジュを責めたりした。冷たい人間だの、女に興味が無いのだという噂までまことしやかに語られている。

 仁実は、それらをすべて知っている。知った上でなお、エンジュを好きだと思っている。

 だから彼女は、エンジュに自分の気持ちを押し付けるということをしなかった。それは、彼に何のメリットもないことだと思っていたからだ。自分に何の得もないことを、エンジュはしない。

 また彼女はエンジュに好意を持っていたが、同時に嫌悪も抱いていた。脳が心のバランスをとるために、そういった反対の気持ちを起こさせるのだと信じていた彼女は、きっとここまで苦しい矛盾を抱かなければならないほど自分は彼に情を持っているのだと思った。

 恋はヒトの理性を狂わせる。

 仁実は、エンジュをよく尾行した。だからエンジュの身に起きたことは、ほとんど知っている。

 仁実が得意とするのは、自分の気配を消す魔法と、影を飛ばすことである。前者は自ら習得した魔法だが、後者は生来のものだ。彼女は呪術師の末裔であるため、学ばなくても使える術があった。

 飛ばした影は、重力の介入を受けない。すいすいと好きな場所へ飛び、またその光景を見聞きすることができる。影を飛ばしている間、仁実の身体は意識を失ってしまうが、影の見たものは、そのまま仁実の記憶に残る。そして影の微弱な気配を魔法で消すことによって、彼女は完璧ともいえるストーキングをこなしていた。

 もちろんこれは、違法行為だった。発覚すれば警察や連合からの拘束は免れないだろう。しかし、今の仁実は信号無視をするくらいの罪悪感しか持っていなかった。

 この術を使えることも、実際悪用していることも、誰にも打ち明けたことがなかった。家族でさえ、彼女がクラスメイトをストーカーしていることを知らない。

 仁実はこれがエゴで、私生活をのぞき見されているエンジュにとっては迷惑なことだという自覚はあった。それに対しては、ごめんなさいという気持ちがあった。

だが、仁実はエンジュの弱みを握って脅迫したいわけではなかった。ただ、エンジュのことがたくさん知りたかったから、歯止めが利かなくなっただけなのだ。

 仁実は、エンジュとは現状の関係で満足だった。

 エンジュが亜人であることを知るまでは。


 高熱を出したエンジュが倒れた日、仁実は彼の苦しみようを見て、これはただごとではないなと思った。

 後日、あれは熱中症だったと言われたが、個人医院に連れ去られたエンジュが檻に入れられていたことも、正気に戻るまでその檻の中でずっと暴れていたことも、仁実は影を通してずっと観察していたのだった。

 化け物の姿に変化したエンジュは、ただの人間だった頃のエンジュよりも、ずっと凛々しかった。額から生える一本の角はすらりと美しかったし、猫のような耳はとても愛らしかった。仁実は、変化したエンジュの姿にすっかり心を奪われてしまった。

 けれども変化の解けないエンジュはとても凶暴だった。暗闇でも光る両の目をぎらつかせて、野獣のように唸りながら長い爪でそこらじゅうを荒々しく引っ掻き回し、何とか檻から出ようとしたり、かと思えば自分を傷つけて、主治医と思われる男を困らせたりした。

 亜人の強い生命力のせいか、傷はみるみるうちに治ってしまったが、繰り返し喉を掻き切ろうとするので、仁実はエンジュはこのまま死んでしまうのではないかとはらはらし通しだった。

 幸い、エンジュは自我と人間の姿を取り戻した。ただし意識のない間、自分がどんな状態であったかを覚えていないようだった。主治医も、敢えてそれを言わなかった。主治医は、何かほかにも色んなことを隠していそうだなと仁実は思った。

 学校に復帰したエンジュは、これまで通りの生活を送っていた。ただ、薬の副作用でずっと眠いらしく、欠伸や居眠りをする回数がとても増えた。ぼうっとしているエンジュはそれはそれで隙だらけで可愛かったが、仁実は変化したエンジュの姿が忘れられないでいた。

 もう一度、変化したエンジュを見たい。今度はじかに。

 そして出来るならば、彼に触りたい。それが叶ったら、ずたずたにされたい。あわよくば殺されてしまいたい。

 淡く根深いその執着は、仁実の胸にずっと巣食っていた。

この気持ちが何なのか、仁実には分からない。恋よりも、切ない気がした。愛よりも、醜い気がした。

 ただ、自分が異常であるという認識は相変わらず持っていたので、周囲への警戒を怠らなかった仁実の行為は、誰にも悟られることがなかった。

 

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