第3話 強盗未遂事件

「まったく、急にぶっ倒れた上、入院だもんな。俺も驚いたよ。でもまあ、単なる熱中症だっていうし、怪我とか病気とかじゃなくて良かった。今日はたくさん食べろよ。俺のおごりだ」

 

 その日は学校が休みだったので、エンジュはイドに連れられて、街で食事をしていた。

 崎守の話によると、「規定値以上の大腸菌が検出された」という名目で、エンジュが瘴気を洗い流してしまった水道や卵の落ちた校庭には、その日のうちに除染作業が入ったという。

 そしてエンジュの身体の「発現」は、表向きには熱中症ということになっていた。

 もし本当のことが明るみになったら、これまで通りの生活を送れなくなるだろうことはエンジュにも容易に想像がついた。

 だからイドは知らない。

 しかし、イドは平気なのだろうか。あの卵騒ぎの時に、そばにいたのはイド一人だ。

 エンジュはふと不安になり、イドを見て、

「君は、身体に異常とか、ない?」

「は?」

 まずい、直球すぎたか。

 エンジュは慌てたが、イドは、ああと頭を掻き、

「俺は平気だったよ。まあ、こまめに水分摂ってたし。これからも気を付ける。お前も、無理すんなよ。ほら、体力つけろ。肉を食え。肉を」

「はは、そうする……」


「また『燃える馬』が出たのか」


 エンジュが苦笑していると、近くの席で新聞を広げているガラの悪いおじさん達が何やら議論をしているのが聞こえてきた。

「警察も人類連合も、コキリコ区で起こったテロの実行犯の尻尾すらつかめてなかったってのに、愚図愚図してたら『燃える馬』がみんな片付けちまったんだってよ」

 テロ、という言葉につい反応してしまったが、どうやら先日近くの区で起きた大量殺人事件の話をしているらしい。

「犯人はまーた頭を踏みつぶされてたのか……。まあ、この『燃える馬』ってのも、いっつもやり口が惨いねえ」

「そのくらい当然だろ。相手はバス乗っ取って、通勤ラッシュに突っこんで何十人も殺したんだ。そんな派手なことしといて、連合にも警察にも捕まらなかった方がおかしいんだって。あいつらが役立たずの税金泥棒なだけなの」

 『燃える馬』というのは、ここ数か月で連続して起こっている殺人事件の容疑者の通称だった。

 犯人は文字通り、身体が炎のように燃えている巨大な馬に載っていて、空を駆け、どこからともなく現れては、逃亡中の殺人鬼や麻薬の売人など、警察や人類連合が取り逃がしている犯罪者を踏み殺していく。謎の存在だが、確実に高位の魔法使いであるだろうとも言われている。強大な魔法は、そうそう簡単に扱えるものではない。

 燃える馬に殺された人間は、いつも頭を潰されている。

 報道規制でも敷かれているのか、大手の新聞社はまったくと言っていいほど燃える馬のことを報道しないが、低俗なゴシップや眉唾な情報も堂々と記事として載せる三流新聞や週刊誌などは、こぞって燃える馬の特集を組んでいた。

 ここのところ、テロや連続殺人といった凶悪犯罪が頻発している。

 そして、それを未然に防げず犯人を捕らえることもできない連合や警察に対し、市民は怒りや不安を募らせていた。

 『燃える馬』はその残虐性とは裏腹に、市民のヒーローになりつつあるのだ。


 役立たずの税金泥棒。

 

 自分たちも近い将来、あんなふうに世間から無能扱いされるようになるのだろうか。

 おじさんたちの談義はなおも続き、イドも少し白けたような顔をしていた。

「エンジュ、食ったらすぐここ出ようか」

「うん……」

 エンジュは急いで皿のものをやっつけにかかった。

 もくもくと食べ、料理を次々と呑み込むように平らげるエンジュの姿を見て、イドは、

「おまえ、そんなにいっぱい食べたっけ?」

「え?」

「いつも食欲ないって青白い顔して、やっとほんのちょっとの弁当食べてたくせに、今日ほんとよく食うな。鼻にケチャップついてても気付かないし」

「え、ついてた?」

「ほらペーパー取ってやるよ」

「ありがと」

 『変化』が起こって以降、エンジュは食欲が増していた。

 というか、食べても食べても満腹にならなかった。

 かといって、物理的に腹に収まる量と言うものにも限界があるので、胃が苦しくなった頃合いを見計らって食事をやめるといった具合なのだが、確かにこれまでは喉に石でもつかえているように物を呑み込むことが苦手で、食べる事自体が苦痛に近かった。それが、今は無い。食事も、おいしいと感じる。

 ただ、薬の副作用のせいか、頭はずっと強い眠気に支配されており、エンジュはぼんやりしている時間が長くなった。

「まあ、健康なのは良いことだ」

「うん、ありがと」

 レストランの入り口でベルが鳴った。

「いらっしゃいませ」

 入ってきた客は、浮浪者のような身なりをしていた。

 大柄な男で、パーカーのフードを目深に被っていたが、潰れた鼻と、ごつごつとした頬骨が印象的だった。

 ウエイトレスが近づくと、その客はポケットから銃を取り出した。そして素早い動作で彼女の腕を引っ掴み、ウエイトレスを後ろから抱き寄せる形で人質にすると、

「金を出せーェ!」

 と叫んだ。

 強盗だった。


「キャアアアア!」


 ホールに客の悲鳴が響く。

 強盗は威嚇のつもりなのか、こちらに向かって一発弾を発射させた。

 それが、おじさん達のテーブルに命中し、おじさん達の「ヒィィ!」という悲鳴とフォークがこちらに吹っ飛んでくる。

「てめえら大人しくしろ! 逃げたら殺す!」

 強盗が客たちに銃口を向ける。

 客は怯えきっていた。

 エンジュの心臓も跳ね上がる。

 頭の奥で、血が沸騰するような感覚に囚われた。

 しかしそれは強盗が怖いからではなかった。奇妙に、気分が高揚していた。

 その一方で、今にもこのストレスで、体の変化が起こってしまうのではないかという思いもあった。

 大丈夫だ、薬なら今朝も飲んだじゃないかと自分に言い聞かせる。

 エンジュはイドとアイコンタクトをとった。

 

  どうする?

 

  隙をついて飛び掛かろう。


 正義感の強いイドが、小さく顎をしゃくる。


  君ならそう言うと思ってた。


 エンジュは、きっと獣の姿に変化すれば、この難局を乗り切ることができると確信していた。

 亜人の身体は、とても強い。

 崎守の話によると、普通の刃物では怪我をしないだろうとのことだった。弾丸はどうなんだろう。もしかしたら大丈夫かもしれない。

 エンジュが考えていると、強盗は客に一か所に集まるように指示した。客たちは皆、涙目になって両手をあげて、じりじりとホールの中央ににじり寄って行く。

しかし、人質となったウエイトレスは声を上げるどころか、眉ひとつ動かさない。

 それどころか、強盗が一瞬外の様子に気を取られ、それを好機とみたイドとエンジュが走り寄ろうとした刹那、彼女は強盗の腕を引っ掴むと、そのままかくんと腰を落とし、その反動で一気に強盗を投げ飛ばしてしまった。見事な背負い投げが決まった。

 強盗は頭から床に叩きつけられた。

 その衝撃で発射された弾が、ウエイトレスの肩を掠めたのをエンジュは見た。しかし彼女は構わず、強盗からさっさとその銃を奪うと、そのままためらわずに強盗の両脚に一発ずつ弾丸をお見舞いした。

「ぐああああああああ!」

 誰もが、呆気にとられる。

「店長!」

 ウエイトレスが、大声を張った。

 すると、すぐさま厨房から、筋骨隆々で犯人に負けないくらい凶悪な顔をした店主が飛び出してきて、床で呻いている強盗の頭を、子豚くらいなら丸ごと煮られそうな大きさの鉄鍋で、でガツン! とやった。

 そして、奥さんらしき女性の方が、荷作りに使うような頑丈なロープを引っ張り出して来て、昏倒した男の手足に素早く巻き付けていった。撃たれた傷が出血多量にならないよう、傷より心臓側の部分をきつく縛っている。

 応急処置と拘束を兼ねたその作業が終わると、むきむきの店主と血を見ても動揺しない女将、そして誰よりも度胸のあるウエイトレスは、空気を読まずにハイタッチをした。

 レストランの客達は、鮮やかな強盗の確保に、一斉に口笛や歓声を上げた。エンジュもイドも、応戦する間もなく立ちつくしてしまったが、ウエイトレスがふらついたのを見て、エンジュは慌てて彼女の体を支え、血のにじむ肩にハンカチを当てた。

「痛みますか?」

「それほどでも」

 この隙に、イドが警察に通報する。

「もう、ジンカったら無茶するんだから~」

 女将さんが、ウエイトレスの肩を新しいナフキンで縛る。

 しかしジンカ、と呼ばれたそのウエイトレスは、

「そうですね、うっかりしました」

 と、澄ました顔で言っていた。

「いや~お嬢ちゃん、大したもんだよ」

「すごい。すごいとしか言いようがない」

「おじさん達、ファンになっちゃったよ~!」

「はあ……」

 新聞を読み散らして、人類連合や警察をこき下ろしていたおじさん達は、三人とも彼女を絶賛していた。

 しかしジンカは興味無さそうな様子で、

「ちょっと喉乾いたんで、中で水飲んできます」

 と、縛られたばかりのナフキンをぐいぐい指でゆるめながら、厨房に引っ込んでしまった。

 その時、エンジュは破けた袖の隙間から見てしまった。

 もう傷が塞がっていた。

 そして彼女の肩には、何やら黒い紋章が描かれていた。

 タトゥーのようだったが、エンジュの目には、それがじりじりとした赤いものに見えた。何かの感覚が騒いでいた。もしかしたら、魔法か呪術に近いものなのではないか。

 

 一般人が魔法を使うという話は、およそ聞かない。

 そもそも、魔法とは素質のある無しに大きく左右される上、理論も術式も難解すぎて習得できる者はごく限られている。だから魔法使いは、大抵政府の何かしらの機関に属している。そして、現在は生贄や血なまぐさい手法を主とする呪術は、全時代的な悪の文化であるとされている向きが大きく、呪術そのものが厳しく制限されている。

 

 傷が、無い。まだ服には血がこびりついているのに。

 

 あの子は、何者なのだろう。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る