第47話 ▲太陽帝国 ラ・レミュルーの黄昏

アクエリアスの時代 二万六千年前


 暑い。眩しい。眼を開けると純白の神殿の中に立っている。

「やはり、『閃光のラ・ピュセル』とはあなたの事だったのか。久しぶりね、ヴェルデ」

 指名手配中のレジスタンスの女は、ゆっくりと顔を上げる。赤い軍服に身を纏う男装の、ウェーブがかったショートヘアの栗毛。オーロは彼女を、ずっと探していた。

「そうだよ、オーロ。あたしだよ。ようやく会えたね」

 オーロの後ろにそびえる巨大な虹色に輝く大トーラス。それはラ・レミュルーの神聖幾何学の最高峰である。ティターン党の「金の巫女長」アウルムはその前に立って、ヴェルデ・レイピアを見下ろしている。

 大トーラスは大神殿の中に鎮座する「冠柱石」と呼ばれる、円柱に球体が乗った構造体だ。中心からエネルギーが吹きあがり、リンゴ状に円柱の下部へと戻っていくトーラス構造のエネルギー循環を伴う。まさに、これがツーオイ石と酷似した形状の装置。だが、この装置はクリスタル製ではなく、表面が虹色をした金属「超星石」製で、高さ十五メートルとアトランティスのものより遥かに巨大だった。

 この神殿「大トーラス・カテドラル」は丘の上に立っており、窓から見える景色には、アヴァロンにあったキャメロット城のような様式の建築物が無数に存在している。ここは南インド洋上に浮かぶラ・レミュルー。

 太陽帝国ラ・レミュルーには、様々な素材で多種多様な「装置」が存在していた。かつて「神々の黄金時代」に旧神たち、つまり宇宙連合から授けられた設計図に基づく装置や建築群である。その中でも大トーラスは特別である事を金の巫女長アウルム、すなわちオーロは知っていた。

 オーロがシュリーヤントラに守られた白亜の神殿の中に立ち、ヴェルデを見下ろしているのは、その黄金時代から二千年が経過した時代だ。永い平和は続かなかった。ラ・レミュルー帝国は、西に植民地ムーを持っていた。その植民地が独立戦争を起こし、帝国と現地での戦いが激化していたのだ。

 オーロはラ・レミュルー帝国に生きたマリスの意識体だ。オーロは、植民地で蜂起した反乱者を倒すためにこの装置を作動させるつもりだった。それを邪魔する者は何者であろうと戦う。そう覚悟を決めている。

 オーロは、ティターンのスワルト総帥の右腕アウルムとしてレジスタンス「ファントム騎士団」を追っていた。金の巫女長アウルムは、「閃光のラ・ピュセル」を捕らえる作戦を考案し、遂に逮捕に成功した。

 閃光のラ・ピュセルは、これまで数々の妨害工作、テロを働いてきた札付きの女性テロリストである。治安部隊をちぎっては投げ、ちぎっては投げ、恐れられ決して捕らえる事が出来ないとも言われてきた。だがそれも、昨日までの事。これで、レジスタンス「ファントム騎士団」の本拠を見つけ出す事ができる。

「久しぶりね」

「これでやっと言える。……本当にすまなかった。あの時、援けられなくてごめん。あんたのお陰だよ。私が、今日あるのは」

 十年の時の流れはあっという間である。当時、まだ十代の少女だった二人は、緑竜院(グリュンドラゴンロッジ)の生徒だった。二人は親友だった。緑竜院は、学長の大竜オリンを中心とし、その当時反政府運動の拠点と化していた。そこへティターンの治安部隊が襲撃した。ティターンは、ラ・レミュルーで急成長を遂げる政党だ。数千年続いてきた自由選挙「オリオンピック」による民主政治は腐敗にまみれ、形骸化した。混乱を収拾するために台頭してきた武闘派がティターンである。彼らの思想は後の国家社会主義に酷似している。だが、その急劇な改革は多くの反発を生んだ。伝統復活を掲げるティターンこそ伝統を破壊しているのだというグループが出現する。そうして「黄金時代に立ち戻れ」運動を展開した。しかし、ティターンはそれらの言論を実力で悉く封殺した。腐敗が消え去ると同時に、自由も消え去った。教師はもとより、学院の生徒達が次々ティターンの兵士に逮捕されていった。逆らう者は悉く、その場で即殺された。

 オーロはヴェルデ・レイピアと仲間たちを逃すために、囮になった。連行された大竜オリンは処刑された。三々五々逃げ伸びたヴェルデ・レイピアはその後、仲間との再会を果たしたが、結局オーロと会う事はなかった。

「こんな形で再会するとは。時の流れって残酷ね」

「それはこっちのセリフだよ! 一体この十年が、あんたの何を変えてしまったんだ」

 この十年でティターン党は勢力を拡大していた。党員のオーロは巫女として異例の出世を遂げ、ティターンの指導者アウルムとなったのだ。ティターンはエレーナ女王を暗殺すると同時に政府を転覆させると、太陽帝国の異名を持つラ・レミュルーの全権を握った。

 植民地ムーの独立を容認しようとした、主だった者たちは皆処刑された。アウルム達に反対する者は、レジスタンスとなって地下抵抗運動を続けてきた。ヴェルデ・レイピアは、その中で「閃光のラ・ピュセル」として新政府に追われる身だった。

 だが、アウルムが直接逮捕に加わると知り、ヴェルデ・レイピアはチャンスだと思い、あえて捕らえられたのだ。オーロが共に学んだ仲間であり、唯一無二の親友だったからだ。ヴェルデ・レイピアは決死の賭けに出たのであった。

「ヴェルデ・レイピア、閃光のラ・ピュセル。残念だけど私は今や大トーラス・カテドラルの金の巫女長アウルム。それに対してあなたはこの国の美しい伝統を全て破壊する者。哀れなものね。ムーの奴隷たちを焚きつける反乱軍の一味に与するなんて、馬鹿な女よね」

「馬鹿はお前だろ! この大トーラスは、決して、個人の欲望の為にあるわけじゃない。あんたが植民地戦争で、世界を滅ぼすためにこれを使う事は決して許されない。そんな事させるために、大竜オリンは私達を育ててくれた訳じゃない!」

 窓からパステルカラーに輝くメタリックな素材の建築群が見渡す。ラ・レミュルーの都市は、美しいだけでなく、全てが神聖幾何学で出来ている。この世界の建築物は、高次元幾何学の世界であり、ピラミッドもそのひとつだ。その神聖幾何学の頂点に位置するのが、冠柱の最高峰と誉れ高い大トーラスなのだ。

「覚えている? オーロ。大竜オリンがあたし達に言った事……。全ての神聖幾何学はあまねく世を照らし、全ての生命を生かすためにある」

「神聖幾何学を知らぬ者はこの門をくぐってはならない」緑竜院の入口には、そう記されていた。

「あんな男の言った言葉をまだ覚えているとはね。あの男こそ伝統の破壊者よ。誰も、もうこの国では今やあの男の名を口にしたりはしない」

「忘れたなんて言わせない……あんたにとっては、オリンは罪人以外ではないだなんて。そんなはずないじゃない。私達を育ててくれた恩人だよ? そんな事決して言う人間じゃなかった。今のあんたがここに居るのも、彼が教えてくれたからこそ。だけど、それをあんたは悪用している!」

「彼はムー人をかくまった重罪人よ! 汚らわしい。このカテドラルで、二度とその名を口にしないで」

「あんた達は、ムー人には魂がないと言い張っている」

「それが真実だから。彼らは『人』ではない。彼らは、ラ・レミュルー人と一緒ではない」

 ラ・レミュルーの植民地ムーは、太平洋上の広大な土地に、ラ・レミュルー人の十倍の人口を抱え、農業が発達していた。農作物は世界中に輸出してまだ余りある程の農業大国となっていたが、宗主国ラ・レミュルーがその利益を独占していた。それだけでなく、ムー人は奴隷として売買され、帝国内の第一次産業、第二次産業に従事していた。ラ・レミュルー人は労働を最低賃金で彼らに押し付ける一方で、自分達は学芸、すなわち学問・芸術などの文化やスポーツに興じる貴族として市民生活を満喫した。確かにそれで、ラ・レミュルーでは学芸が著しく発展を遂げた。一方、ムーは世界一豊かな農業大国として成長していたにも関わらず、永年隷属関係におかれている事に日々不満が高まっていた。ティターン党が政権になってからはますますその関係が強化した。怨みは蓄積し、不当な扱いを受けている不満が爆発し、遂に植民地独立戦争として発展した。

 植民地戦争は泥沼と化していた。このままではムーの独立は免れなかった。数においてムー人はラ・レミュルーの十倍も存在する。政府たるティターンは、ラ・レミュルーの権益を守るため、ムーとの戦争を継続しなければならなかった。止めることは決してできない。それと同時に、彼らは和平を提唱する反政府レジスタンス勢力とも戦わなくてはならなかった。なぜなら、国内のムー奴隷たちを反乱の兵士として組織化しているのがレジスタンスだったからだ。その中心がファントム騎士団、すなわちかつての緑竜院のグループだ。

「そんなのウソだ、嘘だ! 自分に都合のいい論理でしかない……。人だと思ったらら奴隷扱いできないからなんだ。あたし達、ムーの友達と一緒に遊んで育ったじゃない。忘れたの? あなたの美しい魂は、一体どこに行ったんだ」

 ファントム騎士団はプロパガンダを打ち、植民地奴隷のムー人を糾合していた。


「ムー人もまたラ・レミュルー人と等しい権利を持った『人間』であり、ラ・レミュルー人がそれを勝手に自由にする事は赦されない」


「黙るのよ。事の善悪は私達が決めるわ。ヴェルデ。奴隷は私達の生活に必要不可欠な存在。誰も、その利便性を手放す気はない。あなたにも奪う権利はない。間もなく、植民地戦争は雌雄を決する。ラグナロックが始まるわ」

 ヴェルデは「大トーラス」の名で知られる冠柱石を見上げて言った。

「そんな事したらこの国はすぐにヴリトラが充満する! この大トーラスは世界を映し出す鏡だ。そうして、あっという間に大陸が沈んでしまう!」

 ヴェルデの大声が大カテドラル内にこだました。五十人の衛兵達が構える銃剣がガチャンと音を立て、一斉にその切っ先がヴェルデ・レイピアに向けられた。

「あんた達は、今がアクエリアスの時代だって事がまるで分かってないよ。古の予言は真実だった。二千年前。一体何の為にこの島に、これらの神聖幾何学を、旧神たちは私達に授けたのか。全部、今日の時代の為だったんだ。そのギフトは、地球人が宇宙社会の仲間入りを果たすために他ならないんだ! もしも今日ガイアが次元上昇に失敗したら、その時はこの国は沈む。この国にある、全てのエネルギーを引き込む構造計算の建築物にヴリトラが充満して、一日で沈む。今のアクエリアスの時代に旧神の仲間入りをしなけりゃ、次のチャンスは一体いつだ? レオの時代だよ。一万年後になる。そのビッグチャンスを、みすみすあたし達は地べたの争いで逃そうとしているんだ!」

 二千年前は旧神の時代と呼ばれる、宇宙文明と交流が盛んだった時代だ。永い事、ラ・レミュルーでは旧神との交流は途絶えていた。それはラ・レミュルー人が空へ意識を向ける事を止めて、地上の利に眼がくらみ、ムーの植民地へと意識が向かうことによって次第に減少していったのである。

「どうやらあなたには、もう手がないようね……。でたらめな予言なんか持ち出して、あたしを説得できると思うの。フン。残念ながら、あなたの言葉、私には響かないわね。無駄ね」

 ヴェルデは接見の後、独房に入れられ、尋問を受ける予定になっていた。

「この大トーラスは、あんた達のおもちゃじゃ……ないんだ! あんたにはリリ・アクヤが宿ってしまっている! 忘れたのか、私がどんなに狡猾だったか。オーロ。私はあんたが、閃光のラ・ピュセルが私だって事に気づいたら、必ず会おうとする事を予想していた。もしあんたが改心しないんだったら、私はあんたを殺す」

 リリ・アクヤとは、ラ・レミュルーで伝わる世界を滅ぼす悪魔の名だ。

「私にそんな口を聞くなんて! 許せない、罪人のくせして。二度と、二度と私にそんな口を聞くな」

 オーロの金髪が蛇のようにうねっている。ヴェルデ・レイピアが説得に失敗した事は明白だった。

「戦闘舞踏チェスで勝負だ」

 衛兵たちが取り押さえようとするのをアウルムは制止した。それはラ・レミュルーの魔術師にとっての決闘の儀式である。オーロは自分の手で処罰するのだと云った。

「受けて立つ、デュアル。決して……誰も手を出してはならない」

 ヴェルデは、閃光のラ・ピュセルは金の巫女アウルムの力を見くびっている。大トーラスはオーロの力を増幅するように調整されているのだ。

 大トーラスのあるこのホールで、ヴェルデ・レイピアとオーロは戦いの舞踏を通して、五感に反応するコマを生み出し操作し、戦った。ヴェルデはジャズダンス風、オーロはロックダンス風。二人の激しいダンスは、カテドラルを揺るがすコマ同士の無数の色と音、フレグランス、あらゆる感覚器官に反応して破裂する花火のような美しくも壮絶な戦いを展開していった。

 だがこの空間でヴェルデ・レイピアの魔術は最初から弱められおり、オーロは相手を圧倒した。ヴェルデ・レイピアには初めから勝ち目はなかった。それでもヴェルデは勝負を挑んだのである。

「これで勝ったと思うのか?!」

「いいやもう終わりよ、ヴェルデ。諦めなさい」

「私がこうなる事を予想してなかったと思うのか! あんたに会うために、わざと捕まったんだ。……あんたにはまだ、美しい魂が宿っているのが私には分かる。今ならまだ間に合う。ムーンムーン、ラピサ、ハーキュリー、ムート隊長、そしてマアト様。皆助かったんだ! 皆居るよ。あの時、オーロが逃してくれたからさ。みんな待ってるんだ。マアト様なんかさ、もしあたしが連れ帰ったら、自慢のカレー・パニール作るってさ。あんた、鍋好きだったろ? 私達の仲間になって、一緒に行こうよ」

「そうやって、本当にもう打つ手がないようね。負け惜しみのつもり。いちいち言う事なす事あなたの存在全てが、……やることなすこと全て、私の邪魔なのよ!」

「邪魔? あなたの」

 大トーラスをコントロールする権限を任されたオーロに何とか会い、説得する事が出来れば、今日この再会をどんなに夢見た事か。彼女はきっと分かってくれる。かろうじてヴェルデ・レイピアは大カテドラルを脱出した。

「私はあきらめないよ。オーロ、いつかきっと分かってくれるって信じてる」


(私の友達。許して……ヴェルデ。いいえ、許して欲しいなんて都合のいいことは言わない。誰にも、理解されなくてもいい。やつらを、ティターン党の恐ろしさを私は誰よりも知っている。あなたたちよりも誰よりも。だから、ティターン党が私を信じている間は、絶対に絶対に、大トーラスをやつ等の自由にはさせない。一切、私は触らせはしない。だから、私に任せて欲しい。あなたの言った事はすべて、本当のことよ。……いつか、分かってくれるかな)

 子供の頃、オーロとヴェルデは一緒によくニンフを探しに行った。一緒にニンフを追いかけた。何をするにもずっと一緒だった。楽しかった。

 この大トーラスをティターンの邪悪な力から守るためにオーロは党員になった。そして金の巫女長アウルムとなってここに結界を張って、暗黒神リリ・アクヤを寄せ付けないために。ムー人に魂がないなんて、そんなばかばかしい党の方針なんか決して信じちゃいない。やつ等がリリ・アクヤを召還する前に、自分が光明神キーラ・メルパを召還してやるのだ。


 ファントム騎士団の拠点は、緑光都市にあった。そこは、文字通り建築物が緑色で統一された美しい街だった。帰還早々、ヴェルデの身体に問題が起こっていた。ヴェルデの身体には霊的な光る剣が数多く突き刺さっていた。バトルの最中に突き刺さった霊的な剣だ。それを術者が一つ一つ取り外して治療する。

 翌日、ヴェルデ・レイピアの身体に光の花が芽を出した。ティターン党は彼女がオーロと会う前に、ヴェルデ・レイピアに「印」をつけていたのである。オーロが気づかぬうちに。

 緑光都市に、ティターン党の精鋭部隊が襲来したのはそれから四日後のことであった。

 ヴェルデ・レイピアから出現した黄金色の光は、八つの頭を持ったヒュドラと化した。それはヴェルデ・レイピアを喰らうと、さらに巨大化した。

 ルージュの巫女マアトが通信している旧神の一人が言った。

「アウルムがリリ・アクヤを召還してしまう。この戦いは、宇宙戦争のひな型だ。ラ・レミュルーでの戦いは、宇宙的影響が大きい。ここで失敗すれば、地球は次元上昇できず、眠りに着く」

 旧神たちはなぜ黄金時代以降去ったのか。それは今日の状況を見越しての事だったのかもしれない。

 光の大蛇に翻弄されつつ、ティターンの兵士の攻撃を受けたファントム騎士団は全滅した。

 残されたオーロ、即ちアウルムは、大トーラスに向き合っていた。これこそ神聖幾何学の最高峰。そこには魂が宿るという。アウルムは大トーラスにエネルギーを充電していった。ムーへの気象兵器として活用する表立った理由で、地球を次元上昇するために。あたかも、ティターン党には、ラグナロックで秘術を駆使してムーの反乱者に呪いをかけていくことになっている。もうすぐだ。

 大トーラスが、「久しき昔」を奏で始めた。

 その直後、上空に、リリ・アクヤが出現した。大トーラスはヴリトラの循環機と化している。

「そんな、そんな馬鹿な……私は今度こそ、あなたを……キーラ・メルパを、いいえプレベールを召還したはずだったのに!」

 ヴェルデ・レイピアの予言は正しかったのだ。だがその反応が表れたのは、ラ・レミュルー大陸だけだった。ムーには何の影響も及ぼさなかった。それがエネルギーを受信する装置が山ほどあふれたこの国の宿命だった。エネルギーを受信する建築物という建築物が反応を示し、ヴリトラが国土を満たしてゆく。華麗で繊細な大伽藍、大トーラス・カテドラルに亀裂が走り、崩れていく。二度と再現できない、細部まで凝らした意匠や創意工夫の全てが、永遠に失われて朽ち果てていく。ラ・レミュルー大陸は沈み始め、カテドラルは海水へ沈む泡に包まれていった。翌朝には大洋が全てを飲み込んでいた。

 こうしてラ・レミュルーが沈んだのは、僅か一日の出来事だった。大トーラスは世界を映し出す鏡。その意味をオーロは最後に理解した。太陽の帝国を滅ぼしたのはオーロ、マリス・ヴェスタその者だったのである。


 悲しい。悲しい……っ!

 マリスは突っ伏し、涙がとめどなく流れている。

「何を泣いているの?」

 横に立ったプレベールが心配げに尋ねた。

「悲しい、芸術が滅んでいくのは悲しい」

 マリスはわんわんと泣き、自分がどれだけラ・レミュルーを、この芸術が、美が真理の、感性を磨き上げた文明を愛していたかを知った。泣けて泣けて仕方がない。

「自分が芸術家だから、悲しいの」

 その美が、どれだけ価値があるかということを知っているから。

「そういう時期なのかもね」


 オマエの……オ・マ・エの……せいだッ!


「私……まるでシャフトの議長そのものだ。そんな……そんな事。決して認められない」

 今世の話だけなら自分で自分の行動には責任が取れる。ムー、ラ・レミュルーの生はマリスに取って不本意で、想定外な結果だ。いいやそうじゃない。この過去への旅は、プレベールと契約して飛んだもの。だがムーでは非力さを感じ、さらに過去へと遡ったマリス・ヴェスタは、このラ・レミュルーでシャフトのような勢力に負けない、誰にも邪魔されない絶対権力を獲得して世界を救おうとした。それがなぜシャフトのようになる?

「マリス・ヴェスタよ。お前は私と契約したのだ。この悲しみの星で、お前に力を与えて来たのは私だ。お前は闇の子だぞ」

 アポフィスが三日月の様に眼を細めた笑顔でマリスを狙う。

 そうじゃない。私は、プレベールと契約したんだ。アポフィス、お前なんかじゃない!! マリスは過去の文明末期のラグナロックで、何度も何度もアポフィスの召喚に利用され、闇の世界へと引きずり込まれていった。

「マリス……戻ってきなさぁい!」

 正義の女神として知られるマアトがマリスに接触する。マアトは、ラ・レミュルーの末期にファントム騎士団のルージュの巫女と呼ばれた、数少ない旧神たちとの通信者として生を受けていた存在だった。マアト、つまり今日のアマネセル・アレクトリア王女である。

「もうどうすればいいのか分からない。あたしは闇の子。だから、幾ら助けてくれても救いなんかない!」

 いつだってアポフィスに騙されている。

「いいえ、あなたは光の子よ。あなたさえ、心を変えれば……全ては変わるはず。世界は変わる」

 アポフィスとマアトの引っ張り合いの狭間にマリスは居た。

「私がいるから、いつもいつもレジスタンスは失敗してしまう。私がいると。やっぱり私なんか、私なんかいない方がいいんだ!」

 これまでマアト女神は何度も何度も、彼女を救済しようとしてきたのだ。その都度、マリスは結局、アトランティスでもアポフィスに利用された。

 絶望の渦に、マリス・ヴェスタは引きずり込まれていった。こうして幾転生、マリスは取り囲む闇から這い出そうとして、何度も何度も闇に取り囲まれていったのか。

「あなたの心には光がある。早くそれに目覚めて、私の仲間になりなさい!」

 マアトの光り輝く実相は、アウローラという虹色の暁の女神に変わっていた。マリスはその言葉にひるんだ。

「お断りよ」

 自分が光の子だなんていわれても虫唾が走るだけ……どう考えても闇の子だ。マリスはそう思った。

 マリスに呼びかける者は、決してマアトだけではない。他にも仲間がいる。深淵に落ちていくマリスを、ヱメラリーダが腕を引っ張っている。こんなマリスを仲間が助けに来てくれる。

「何言ってんの。オマエはもうあたし達の仲間だよ! あんたが居ないと、このドラマのパズルは完成しない。インディックがそう言ったはずだろ。私さ、……私あんたにエラそーな事言ったけど、昔メチャクチャ悪人だったらしいんだ。その事自体はよく覚えてないんだけど、凄く前の時代の事らしい。それが嫌で嫌で、なんとか人の、姫の役に立ちたくて、いつも死んでしまうのかもしれない。でもライダーだって……ムーの頃に世界を破壊してたでしょ。そうだよ、インディックだって札付きのウィザードハッカーだし。隊長だってオージン卿だって……円卓の連中って、皆どこか脛に傷を持っている奴らなんだ。政府に追われてるだけじゃない。姫も、実はラ・レミュルーで何かがあったみたい。完全にまっ白い人間なんて、きっと、どこにもいやしないんだ」

「ヱメラリーダ! 私は本当は悪魔じゃない。アポフィスの手先じゃない! 手先なんかじゃ……もうこんな人生イヤだ!」

 マリス・ヴェスタは叫んだ。

 一時はっきりと拒否したものの、正義の女神マアトの言葉はマリスの魂にやきついていたらしかった。大陸が崩壊した直後、マリスの魂は強烈に思ったのだ。次の文明アトランティスで失敗しないという決心を。

 マリスを救ったヱメラリーダの意識体は遠のいていく。

「ま、待ってヱメラリーダ。私を置いていかないでェ!」

 ヱメラリーダなら、闇落ちした自分を救ってくれるヒントを何か持っているんだ。そうに違いない。

 プレベールはずっとそこにいる。マリスを、決して見捨てたりはしない。

「私とヱメラリーダは、ずっと戦いを続けて来た。そういう事でしょ」

 ヱメラリーダとマリスの意識体は、サンサーラ(輪廻)を繰り返して、文明末期に必ず訪れる光と闇の戦いで、何度も何度も同じ戦いを行ってきた。二人は宿命のライバルだった。ヱメラリーダ自身は、生前ヱイリア・ドネこそライバルだと思っていたが、真のライバルはマリス・ヴェスタだったのだ。

 二人のように、光の子らと闇の子らの戦いは、この星でずっと続けられてきた。

 人類は、最高度の文明を築き上げ、様々な素材で出来た、ツーオイと類似した「装置」に希望を託しつつ、そこへ「プレベール」のような光の存在を召喚しようとしたが、結局は「アポフィス」に乗っ取られていった。闇の勢力が世界を支配してアポフィスを召喚し、ヴリトラをまき散らす最後の瞬間、レジスタンス・ワルキューレが立ちあがり、彼らの魂集団と戦う運命は、いつの文明末期でも同じだったのだ。

 ラ・レミュルー、ムー、有史以前からガイア史上、何度も繰り返されてきた人類の「ラグナロック」の歴史。それはマリス自身の物語でもあった。自分の闇にまみれた歴史。

 マリス・ヴェスタの意識体はその転生の歴史の過程で、数多く闇の勢力に属してきた。常に闇の側として、光の側、つまり円卓の騎士たちを攻撃した。それが、プレベールが明らかにした記憶なのだ。

「そしてあなた達の文明。……アトランティスもね」

「くっ」

 やっぱり認めたくなかった。

「ラ・レミュルーの前の文明はハイパーボリア大陸。ハイパーボリアは、かつて『真夏の大陸』と呼ばれた理想郷だった。もう、想像がつくでしょうけど、その時、極移動が起こった。そこであなたは、やはりリリ・アクヤという名の悪魔と同一視されていた。ところが極移動が起こり、自然と一体となった農業大国・ハイパーボリアは氷河期で極寒の地となって滅んでいった」

「もう分かったワ! もう聴きたくない」

 プレベールはそれに反応せず、さらに記憶を紡ぎ出す。

「もういい。自分が過去、今と全く同じ事をしている事を、わざわざ聞きたいわけじゃない! 私がどんな気分だと思っているの? どこまで遡っても、私は世界を滅ぼした罪人だった、そうことでしょう」

「カルマは正反合の統合を自己の魂の中で行い、バランスを取ろうとしているの。今度こそ失敗しないようにとね」

 プレベールは相変わらず澄んだ声でやさしく語る。

「だけど、ずっと私は失敗し続けている」

 それに対するプレベールの返事はない。

「それでヱメラリーダは? アトランティスで最後、長く苦しみに留め置かれるって帝が言ってたけど」

「ヱメラリーダはその自死によって、魂を損傷した。だから、彼女の魂の中でヱメラリーダの部分が欠損している。その修復には長い時間が掛かる。それを救えるのは、あなたしかいない」

 わたしが……。

「いつもいつも、私は世界を救うつもりが失敗して、何よりヱメラリーダを傷つけている。今度は世界を救えるかどうか分からない。けど、もう自分のせいで二度とヱメラリーダを傷つけたくない。苦しめたくない。ヱメラリーダを救いたい。彼女を。もしやり直せるんだったら、問題のきっかけになった根源の時代に、私は行きたい……」

 こんな自分じゃダメだ! オーロは、金晶は、マリス・ヴェスタは決心していた。

「最初の根源の時代に戻って。……私、どうしても諦めきれない」

「あなた達の対立の根源の時代へと遡る。アフリカのエデナにね」

「……それってヱデンの事?」

「そうよ。そこも、ヱデンと言う名の文明のヴァージョンの一つ。これ以前の事を、私は旧世界と呼んで区別している。なぜならムーやアトランティスと違って、それ以前の世界は、本当に全面核戦争で滅んでしまったからね」

 とうとう海王オルカが言っていた時代だ。

「私もそこに、きっと関わってるのね」

「覚悟を決めて。古代核戦争は、太古に実際に起こった出来事。このアフリカのエデナという文明であなた達は……」


 もっともっとさかのぼる。

 私はどこまでだってさかのぼる。すべての問題を解決するために。


 あきらめない。私はあきらめない。

 たとえ世界を救えなくても、私はヱメラリーダを救う。私は……


 あなたを。

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