カラカラ姫と騎士の子ども

 親父の剣を見つけてから、数日が過ぎた。

 あれから刀身について考えてみたが、わからないままだった。親父に聞き出そうかと何度も思った。だが、あれは親父が隠してきた秘密だ。俺が勝手に興味本位で探り当ててしまったものだ。子どもにだってそのくらいわかる。罪悪感がないわけじゃない。親父のことは尊敬しているんだ。騎士であっても漁夫であっても、親父は親父だ。俺の親父は一人しかいない。

 俺の親父は、立派な人間なんだ。

 ずっとひとつのことを考えられるほど、俺は真面目じゃない。興味はすぐに変わる。漁の手伝いや村のみんなと遊んでいるうちに、秘密を見つけた日のことを海の底に沈めるよう深く深く記憶の片隅に追いやるようになっていった。

 海の子どもは素潜りができる。

 ある日、誰が大物を獲れるか勝負することになった。ちびすけの子守りを任された女子たちは誰が勝利するか、かしましくしゃべり、参加する男子たちは気合いを入れて準備運動をしていた。中には、始まってもいないのに英雄譚を作り始める奴もいた。

 女子の中で一番人気は俺だ。騎士の子だから、そのくらい容易いだろうと身も蓋もないことを言われたのだ。もちろん、嬉しくないわけじゃない。そんなの関係ないだろとつっけんどんには言ったけれど、内心、にやにや笑いが止まらなかった。

 空に高く昇った太陽は、今日も日射しを熱く注ぎ、俺たちの皮膚を赤く黒く焦がしていく。海面は穏やかで荒れる様子もなく、潮風も勝負にはいい日だと祝福してくれているようだった。

 女子の合図に、男子たちは一斉に海へ飛び込んだ。空が逆さまになって降ってくるこの感覚がたまらなく好きだ。世界が蒼色に沈み、音が遠くなる。慣れ親しんだ海中で銛を握り直し、笑みを浮かべた。

 漁にはいくつかの穴場がある。他の奴らはそこに向かったが、俺はわざと離れた。珊瑚や小魚の群れを通り過ぎ、時折、ついてくる奴がいれば物陰に隠れてやり過ごした。

 こんなことをしているのは、大物に心当たりがあるからだ。

 数日前、親父と漁に出かけたとき、舟の下に大きな影を見つけた。親父も気づいていたらしく、銛を掴んで海面を睨みつけていた。影は魚の形をしていたが、俺の身長を悠々と越えてしまいそうなほどの大きさだった。船底の下を通ったかと思えば、舟の回りを旋回する。まるで遊んでいるようだ。その貫禄が漂う壮大さに、俺も親父も動けなかった。影が舟から遠ざかって行くのを見つめていると、あいつは突然海面を叩いた。

 白銀の尾鰭が、太陽の下で輝いていた。

「海の王か……」

 親父が呟いた。銛を置き、舟を漕ぎ出した。

「いいのかよ」

「あれは海の王だ。手をだしたらいけない」

「親父は騎士だったんだろう。だったら、海の王なんて怖くないだろ」

「関係ない」

 親父はいつも一言で片づけようとする。重低音の声にはそれだけの重みがあった。

 だけど、その日の俺は黙っていなかった。

「英雄と言われた騎士でも、王には手をだせないのかよ……」

 皮肉に何も返さない親父を、尚更腹立たしく感じた。

 目標の場所に辿りつき、誰もいないことを確認してから浮上した。村が小さく見えるが、泳いで帰れる距離だ。海の王というやつに会ったときと同じ時間と場所。確証はなかったが確信はあった。ようするに、ただの勘だ。

 俺が海の王を捕獲したら、村の皆は誇りに思ってくれるはずだ。「さすが騎士の子」だと讃えてくれる。滅多に誉めてくれない親父だって、喜んでくれるに決まっている。

 あの親父が関わるなと言った海の王を捕まえるのだから、認めてくれるに違いない。

 なぁ、そうなったら、親父が騎士だった頃の話、聞かせてくれよ。

 俺の勘は当たった。ざわりと海の様子が慌ただしくなった。小さな生物たちが、皆、隠れ始めたのだ。俺もそいつらに習い、再び海に潜り岩に隠れた。岩に張りついたヤドカリが貝の中からこっそり外を覗いている。今の俺、そのものの姿だった。

 海の王は、巨大な魚に似た生物だった。鯨でもイルカでもない。ただ、形だけが魚だ。真白い体は蒼い海の中で一際目立っている。銀色の尾鰭を動かすたびに、きらりきらりと王の威厳を見せているかのように見えた。つぶらな眼は穏やかさを感じさせたが、赤く光るその色にぎょっとした。

 これが、海の王。

 銛を強く握る。俺は騎士の子だ。王に怯えたらいけない。ヤドカリの貝をつついてから、そっと岩を離れた。

 海の王に一定の距離を空けながら、追跡を始めた。海の王は面白いぐらいに隙があった。泳ぎはそれほど早くはない。むしろ遅いほうだ。体も巨大なため、非常に狙いやすい。

 少しずつ慎重に悟られないよう距離を縮め、銛の範囲内に入れていく。銛を構え、狙いを定めたとき、黒色が視界を遮った。

 真っ黒な髪が海中になびくようにして揺れている。同色の瞳の女の子が、立ち塞がるように両手を広げていたのだ。

 俺は固まった。

 何しろ、彼女の下半身は魚だったのだから。


 ※ ※ ※


 彼女は口がきけない。

 声が枯れているから、カラカラ姫。

 俺が勝手につけたあだ名に、困惑した顔を見せた。

 カラカラ姫は海の王の娘らしい。いったい、どこでどうしたらあんな魚から彼女のようなお姫様が生まれるかはわからないが、彼女曰く、そういうものだと文字で教えてくれた。

 あのとき、人魚を初めて見た俺は驚きのあまり動けなくなった。彼女が何も身につけていないと理解した途端、体が一気に熱くなって海水を飲み込んでしまったのだ。そのまま意識が遠くなり、沈んでいった。

 気がついたら浜辺で寝ていた。心配そうに覗きこんだ彼女とばっちり眼が合った。全速力で彼女から離れ、両手で眼を隠して力いっぱい叫んだ。

「頼むから服を着ろ!」

 これが初めて、彼女に向けた言葉だった。

 彼女が口をきけないとわかったから、砂浜に文字を書いてみた。彼女は読み書きができるらしい。どうして人魚が人間の文字を知っているのかと尋ねたら、どうして人間は人魚の文字を知っているのと問い返されてしまった。俺が答えを知るわけがない。

 俺の薄っぺらい濡れたシャツを渡された彼女は、服を着たことがないのかひっくり返したり逆さまにしたりしている。服を奪って着せて見せたが、漆黒の眼にまじまじと見つめられるだけだ。赤く染まった顔を誤魔化すようにシャツを投げつけ、前を隠せと言い放った。彼女がシャツで前を隠した姿に、ほっと息をついたのは言うまでもない。

 彼女の肌は眩しいほどの白色だ。貝殻の色に似ている。漆黒の髪と瞳は太陽が焦がした肌の色と違うなと思っていたら、砂に文字を書き始めた。

『あなたは悪い人間か』

 悪い人か良い人かと訊かれると、悪い人だと言って怯えさせたくなった。

『お父様を狙っていた』

 だけど、その言葉に口を噤んだ。

 彼女の眼が不安に揺れていた。あの大きな魚が父親だったのは驚いたが、守ろうと俺の前に飛び出してきたのは確かだ。

「お前の親父だったのか……。そうだよな。王様だって、家族がいてもおかしくないよな」

 騎士に子どもがいるように、王様にだって子どもがいる。俺と違って、母親や兄弟がいるかも知れない。もし、たった一人の家族である親父が殺されそうになったら、俺は暴れると思う。とにかく叫んで殴って戦うはずだ。

 それなのに、あいつは俺を助けてくれた。

 自分の名誉のために、大切な家族を狙ったのに。

「ごめん」

 膝を抱えて俯いた。謝罪の言葉で許して貰おうなんて思わない。けれど、他に思いつかなかった。

 カラカラ姫の白い手が視界に入り、俺の足下でさらさらと文字を書いていく。

『お父様は、どんな人』

 返答に詰まった。彼女の顔を見ることはできず、手に話しかけるようにぽつりと返す。

「……お前、俺のこと許してくれるのか」

『許さない』

「だろうな」

 滑らかに砂に文字を描く白い手は、海鳥が旋回しているようだ。見た目だけではなく所作も洗練されている。俺のような小さな村の子どもではない、正真正銘のお姫様なのだろう。

『許さないから、お前のことを話せ』

「なんだそれ」

『敵を知ることは大切』

「あぁ、そう。別に、いいけど」

 言葉が乱雑に思えるのは、文字を省略しているからそうなっているだけなのだろうか。それとも、元からそういう話し方なのだろうか。口がきけないからわからない。

「カラカラ姫は、どうして口がきけないんだ?」

『カラカラ姫だからだ』

 意図がわからずに視線を投げれば、漆黒の大きな瞳が真っ直ぐ俺を映していた。

『あなたが、私に勝手につけたのだろう』

 言葉を書いた彼女は、微笑んでいた。


 ※ ※ ※


 こうして、俺とカラカラ姫の交流は始まった。

 大物は捕れなかったが、人魚の友人ができた。もちろん、これは二人だけの秘密だ。俺は村の誰にも話さなかったし、カラカラ姫も海の住人に内緒で来ているらしい。

 俺はカラカラ姫に色んな話をした。漁の話や本の話、岩壁によじ登って誰が一番早く頂上に上がれるか勝負する話もした。人間はそんなことをするのかと、驚いたあいつの顔をもっと見たくてたくさん話をした。

 カラカラ姫と海を泳いだこともあった。海は人魚の領域だ。泳ぎの勝負をしても敵うわけがない。わかっていても、何度も勝負を挑んだ。あいつに笑われて悔しかったのに、なぜか楽しかった。

 気づけば、もっと彼女と一緒にいたいと思うようになっていた。

 時々、海の王国の話をしてくれた。人が入ることができない、海の王が統べる深海の王国。最初は半信半疑だったが、カラカラ姫からすればこの世界が信じられないと言う。人の営みが奇妙にしか見えないのだ。

 昔は、王国の住民と人間たちは交流していたらしい。人が大きな罪を犯してから、関わらなくなったそうだ。人がいったいどういう罪を犯したのか、カラカラ姫さえ知らないようだ。

「っていうかさ、前々から思っていたけれどあんたは俺と関わっていいわけ」

『だめだろうな』

 躊躇いもなく書かれた砂の文字に戸惑った。

「じゃあ、なんで来ているんだよ……」

 しかも、彼女は姫君だ。

 たった一人の人魚姫だ。

『あなたは私と会いたくないのか』

「そりゃ、会いたいけど、さ」

 最初は敵の秘密を探るために来ていたはずだったのに、いつの間にか二人で遊ぶのが日常になっていた。たくさん泳いで話をして、笑い合うのが当たり前だった。

 夕暮れの海は地平線を赤く覆い、徐々に落ちていく。夕焼けのおかげで、俺の顔が赤く染まっているのを誤魔化せた。

「俺、お前にとって悪い奴だろ……」

『あなたは私が怖くないのか』

 突拍子のない質問に面を食らった。カラカラ姫は、時折、俺の話を聞いているようで聞いていない。

「は、なんでだよ」

『人は私を恐ろしいと言う。私を見ると災厄が起きると言う』

「そんなの、ただの言い伝えだろ」

『だが、あなたにとって言い伝えだと言われた海の王国は本当にある。ただの空想だと思っていた人の王国も本当にある。私たちが境界線を引いたのは、お互いの世界を守るためなのかも知れない』

 夕焼けに照らされるカラカラ姫の横顔は、俺と変わらない年頃なのに大人っぽく見えた。

黒の瞳は赤く熟れた夕日に注がれている。彼女を直視することが耐えられなくなり、砂浜に書かれた文字を読み直した。彼女が何を言いたいか気づいていた。

 だから、俺は彼女を惹きつける話に変えた。

「あのさ、親父の話はしたよな」

『聞いた。有名な騎士だったのだろう』

「そうだ。じゃあ、親父の秘密の話は?」

『秘密の話とは』

 砂文字を書いた後、俺へと注がれる視線を心地よく感じてようやく笑えることができた。


 ※ ※ ※


『夢だ』

「夢?」

 親父の眼を盗んで持ってきた空っぽの剣に、カラカラ姫は即答した。砂文字にはそれだけしか書かれていない。何を言おうとしているのかさっぱりだ。

『この剣の刀身には、あなたのお父様の夢が詰まっていた』

「夢って、なんだ?」

『夢は夢だ。こころの欠片だ。こころがあるものなら、誰でも抱くもの』

 俺の頭では理解できず、どう説明してもらおうか考えあぐねていると、カラカラ姫は寂しそうに眼を伏せた。まるで、そこに刀身があるかのように撫でる素振りを見せる。さらさらと書かれた文字に目を見張った。

『これは、このままでいい』

「なんでだよ?」

『お父様が望んだことだろう。願いを叶えるために夢を代償にした。それが形となって現れただけだ』

「何を望んだんだよ。親父は」

『それは私ではなく、あなたが聞くことだ』 

 返す言葉がなかった。剣を抱え、砂浜に腰を下ろして溜息をつく。

「聞くことができたら、すでに聞いている」

『勝手に秘密を暴いておきながら、罪悪感がでたか』

「うるさい」

 否定できないから、そんな言葉しかでてこなかった。あいつの顔も文字も見たくなくなって、背中を向けた。

「そのくらい、わかってる……」

 俺の声音は波の音に掻き消されてしまいそうなほど、か細いものだった。

「俺は騎士の子だ。騎士の子なのに、親父は何も話してくれない。今までの話だって、全部、村のみんなから聞いた話だ。肖像画を見つけるまで信じられなかった。そのくらい、親父は寡黙なんだ。母さんのことも話さない。この剣だって、俺に隠していた。親父は英雄だと言われた立派な人間なのに、どうして隠すんだ。誇りに思わないのか。俺はそんな親父を誇りに思っているのに、なんで息子には隠すんだよ。言わないんだよ」

 吐き出したら止まらなかった。ぼとぼとと自分でも驚くくらいに溢れだしていた。肩が震えて、釣られるかのように声も震えだした。挙げ句の果てには鼻水まで出てくる。

「親父は俺を誇りに思わないのか。どうやったら、俺を認めてくれるんだ」

 景色が滲んだ。

「俺は、いらない奴なのか」

 背中に小さな衝撃があった。

 俺は何も言わず、下唇を噛みしめて声を殺した。あいつが額を背中に押しつけているのを振り向かなくても知っていた。

 両肩に手を置かれ、振り向かされる。どうしようもないほど情けない顔をしている騎士の子どもを、カラカラ姫は馬鹿にしなかった。

 漆黒の瞳は優しい眼差しで、俺の額に口づけをした。

『私は、あなたを立派な騎士だと認める』

 視線を落とした先に見つけた砂文字に、俺は黙って頷くことしかできなかった。


 ※ ※ ※


 親父が守れなかった人というのは、母さんではないのかと考えるようになった。本の形をした入れ物に収められていた紙切れ。癖のない親父の筆跡が頭に浮かぶ。

「なんで親父は母さんを守れなかったんだろう」

 母さんがお城に行ったことも、親父が夢を代償に何を願ったのかも、考えてもキリがなかった。隣に座るカラカラ姫に尋ねてみるが、話を聞いていなかったのか反応が遅れた。漆黒の眼が何度か瞬いたのは、先程まで気を取られていた証拠だ。

「あのなぁ、姫君。騎士の話ぐらい聞いてくれよ」

 カラカラ姫は眉尻を下げて笑う。文字にしなくても、何を伝えたいのか読みとれた。

「村の大人は、王様の大切な人になったって言うんだ。しかも、何番目かの。何番目かの大切な人ってなんだ? 出稼ぎかと思ったけれど、それなら親父と別れるのはおかしいよな」

 一瞥してみるが、やっぱりカラカラ姫は話を聞いていない。上の空だ。こういう話はつまらないだろうか。それとも、具合が悪いのだろうか。穏やかな海面を眺めながら、何気なく訊いてみた。

「なぁ、どうしたんだ。今日はぼーっとしているけど」

 振り向いた姫君の目は不安に揺れていた。俺と初めて出会ったときも、こんな目をしていた。

 躊躇いがちに書かれた砂文字から、彼女の困惑が滲み出ていた。

『ここのところ、不漁なのだろう』

 人魚は災厄の種だという伝承がある。不幸の兆しだというのだ。カラカラ姫は人魚である自分のせいで、村に不幸が降りかかっているのではないかと思い込んでしまう節があった。

「前も言ったけど、違うだろ」

『だが、死者がでた』

 確かに、死者はでた。村の爺さんが荒海に飲まれて亡くなった。漁から戻ろうとしたとき、突然、天気が変わったらしい。

「そういう事故は全くないわけじゃない」

『長年海にいる人間が、天気を読めないわけではない』

 カラカラ姫にも一理ある。でも、そろそろ引退の話が出ていた爺さんだ。

「ほら、もしかしたら、長年の勘が鈍ったのかも知れないだろ」

『私は、ここにいたらいけない』

 素早く書かれた文字に、息を呑んだ。

「なんでだよ。そんなの関係ない」

『人が海の王国に行けなくなったように、海の住民も人と関わってはいけない。境界線があるんだ。私たちには』

「嫌だ。俺は、絶対に嫌だ!」

 頑なに拒む俺に、姫君は哀れんだ眼で見上げた。そんな眼で俺を映さないで欲しかった。いつものように笑ってくれればそれで良かった。

「だって、俺はあんたの」

「人魚だ!」

 割って入った大声に、俺とカラカラ姫は硬直した。

 大人たちは言う。やっぱり人魚がいたんだと。

 人魚がいたから、たぶらかされた村人がいたから不漁になったのだと。爺さんが亡くなってしまったのも、人魚が惑わしたからだと。

 村の不幸を、勝手にカラカラ姫に押しつけた。

 俺は叫んだ。必死に叫んだ。カラカラ姫は声がきけない。あいつは何も言えない。だから俺はひたすら叫んだ。それなのに、惑わされた人間だとして取り合ってくれず、暴れる俺を押さえつけた。村人たちに囲まれた彼女は、陸の上で抵抗せずにいた。カラカラ姫を抱えて、今すぐに海に逃がしてやらないといけないのに、大人の力には適わなかった。

「燃やせ」

 誰かが言った。幻聴だと思った。

「村の掟だ。燃やせ」

 二回目の声で、これが現実だと知った。

 目の前に、磔にされたカラカラ姫がいた。

 どうしてだよ。もし、親父が悪い奴に殺されそうになったら、必死に戦うんじゃなかったのかよ。どうして、俺の姫君が殺されそうになっているのに動けないんだよ。家族と同じくらいに、大事に想っている姫君じゃないのかよ。

 騎士だと認めてくれた姫君を、守らなければいけないのに。

 火が上がった。小さな火は大火となって姫君を襲った。煌めく鱗も、白い肌も、長い黒髪も全て食い尽くしていった。彼女は苦しそうに口を開けていたのに、声がでないから誰にも伝わらなかった。苦痛も、嘆きも、空気を震わせることさえ許さなかった。

 漆黒の瞳と目が合った。うつ伏せに倒されて、動けない俺を見て微笑んだ。全てを受け入れるかのような目は、太陽よりも暖かかった。


「     」


 彼女の最期の言葉は、炎に覆われた。

 吠えた。もはや、叫び声ではなく吠えていた。

獣になったようにひたすら吠えた。無理やり村人たちの手から離れ、炎の中に飛び込もうとした。

 太い腕に後ろから抱きしめられた。

 親父の腕だとすぐに理解した。言葉になっていない声を喚き散らしていた俺は、もはや人の形をした魔物のように思えた。親父の制止の声すら無視して、腕の中で馬鹿のひとつ覚えみたいに暴れた。

「離せ! 母さんを守れなかった癖に!」

 親父に言ってはいけない言葉だと気づいていたが、もう遅かった。力が緩くなった隙をついて走っていた。

 そこには燃え尽きた残骸があった。焦げた臭いが立ちこめる中、カラカラ姫の亡骸が砂の上に横たわっていた。骨を拾い集め、柩の中に寝かせた。親父は何も言わなかった。話すつもりもなかった。

 彼女だけの騎士になろう。

 彼女を眠りから救う騎士になろう。

 騎士の証となる空っぽの剣を腰に挿した。荷車に柩を固定して、夜中に彼女と一緒に村を抜け出した。

 俺の夢を代償に、カラカラ姫を救ってくれる誰かを捜すために。

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