花喰い娘と約束事

 夢を喰う魔物さんは、不思議なお方です。

 わたしに出会ってからというもの、毎日おいでになりました。魔物さんの目的は、どうやら花喰いをやめさせることのようです。わたしとしてはとても嬉しい話ですが、なぜわたしのような奇妙な人間に構うのかわかりませんでした。けれど、魔物さんはわたしのほうが奇妙だとおっしゃるのです。

「君は僕を怖がらないの?」

「怖がったほうがよろしいのでしょうか」

「そうじゃなくてさ。たいていの人間は魔物だと言うと身構えるよ」

「そうですか。人に怖がられてしまうのに、夢を食べるため交渉される魔物さんは大変ですね」

 魔物さんは困った顔をなされます。本当に人間なのかと尋ねられたことがありました。

 わたしは花喰いであって普通の人間とは違いますが、魔物ではありませんと回答致します。花を食べる代わりに願いを叶えられないと説明しますと、口ではわかったと言うものの納得されていない表情をなされるのです。

「君のこころがわからない」

 良く晴れた暖かな日に、魔物さんはぽつりと呟きました。

 部屋の窓は開き、優しい風が流れ込んでいました。ぽかぽかとした陽気が気持ちよく、一眠りしてしまいそうです。外では今日も花が誇らしげに咲き、時折、小鳥のさえずりが聞こえてきました。塔の中は外よりも静かで、わたしと魔物さんしかいません。

 魔物さんは綺麗好きのようで、掃除をよくなさいます。螺旋階段の埃を箒で払い、布で丁寧に窓を拭きます。わたしの部屋も掃除してくださいました。申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、魔物さん曰く、少しでもここに長くいるようにしているとのことです。

 わたしたちは、円形の小さな机を挟んで向かい合っていました。わたしは運び込まれた椅子に座り、魔物さんは脚を修理した椅子に座っています。どこからか拾ってきた椅子を、壊れるたびに直している器用な方です。

「わたしのこころ、ですか」

 昼食をとるために、花を食べようとしていたときでした。魔物さんは何食わぬ顔で、手から花を取り上げてしまいます。代わりにかごに入ったりんごを差し出されますが、どうも食べる気が起きません。赤く熟れたりんごを見つめるわたしを、頬杖をつきながら眺めます。

「どうして花を食べるのかわからない」

 りんごよりも紅く輝く瞳がわたしを捉えます。ふわりとした銀色の髪の毛は、陽光を浴びてはらはらと光を零していくようでした。

 年若い男性の姿をしているこの方は、ちっとも「魔物」に見えません。魔物さんの顔にたいていの人は認めてくれるそうですが、端正な顔の持ち主である方と言うことだけしかわかりませんでした。

 実を言うと、最初は商人の方だと思っておりました。豪奢でもない品の良い服を纏った格好は、定期的に家に訪れる商人と似ていたからです。逃げ出したわたしに愛想をつかした両親が、場所を突き止めて身売りでもしようとしたのかと覚悟しました。

「どうして紙袋を被っているのかもわからない」

 今にも溜息をついてしまいそうな魔物さんに、身を竦めました。わからないことばかりですが、わたしに何かを期待しているということは理解しておりました。

「僕といるときは、顔を隠さなくていいって言った」

 紙袋を被った頭で、その声から逃げるように俯きました。

「そして、肝心の花を食べてはいけないとも言った」

 約束事を述べていく魔物さんの期待に応えたいのに、わたしは守れませんでした。何度も指切りをして、明日こそはと決めてもまた破ってしまうのです。

「僕はどうしたら君のこころを知れるの?」

 純粋な疑問がわたしの体を震わせます。

 簡単なことなのです。顔を隠さなければ、花を食べなければよいのです。

 汗ばんだ手で紙袋の両端を掴みます。勢いに任せて紙袋を持ち上げました。

外界の空気がわたしの頬に触れます。

 わたしの瞳に驚きを露わにした紅玉の眼が映り込みましたが、その瞳の中にわたしがいると思うと、いてもたってもいられなくなり紙袋を下ろそうとしました。

「だめ」

 魔物さんが腕を伸ばして、手首を掴まれたのです。両手を上げたまま首を振りますが、離してくれそうにありません。

「いけません。離してください。わたしの顔を見てはいけないのです。わたしのような顔を見ないでください。お願いします。怖いのです。とても怖いのです」

 情けなくも、自分の声が上擦っていました。

 魔物さんから逃げたいのに、体は硬直しています。紅玉の煌めきに引き込まれてしまいそうで、目を逸らすことができません。

「君の怖いものは魔物の僕じゃなくて、視線なんだね」

 魔物さんは得心したように頷きます。わたしから奪い取った紙袋を興味深そうに見たあと、何を思ったのかすっぽりと被ってしまいました。

 目の前に、紙袋を被った魔物さんが出来上がります。

「あの……」

 何も話さない紙袋の魔物さんに、気まずさを感じました。

「狭い」

「そうでしょう」

「どうして、こんな狭いところにいるの」

「それは、あの」

「出てくればいいのに」

「わたしは」

「僕は君の顔と話がしたい」

 途端に、わたしの頬が風邪でもひいたかのように熱を帯びました。体調は悪くはありません。どちらかといえば、調子は良いほうです。

 うろたえるわたしに、魔物さんは小指をだしました。

「じゃあ、今度こそ約束しようか」

「また、破るかも知れません」

 はっきり申し上げれば、破ってしまう可能性が高いのです。これ以上、約束を重ねても魔物さんを傷つけてしまうだけでしょう。

「破らないよ」

 紙袋から覗く紅玉が断言しました。 

「君は、破らない」

 まるで魔法の言葉のように、わたしの耳に入り込んでいきます。その声を聞くと、不思議と約束を守れるような気が致しました。

「君は紙袋を被らない。僕にだけ見せてくれる」

 一字一句丁寧に呪文を紡ぐ魔物さんは、やはり魔物には見えませんでした。例えわたしの夢を食べるためだとしても、なぜそこまでするのか疑問に感じました。

 わたしは、魔物さんのことを何一つ知らないのです。

「あの、魔物さん」

「何?」

「わたしも、あなたに約束していいでしょうか」

 魔物さんが紙袋を持ち上げると、銀色の髪の毛と紅玉の瞳を持つ青年が現れます。

「どんな?」

「約束と言うよりも、申し出なのですが」

「うん」

「お掃除の手伝いをしてもよろしいでしょうか」

「どうして?」

 わたしの申し出に率直な疑問を投げかけます。

「魔物さんは紙袋を被って、わたしのこころを理解しようとしてくださいました。ですが、ここまでしてくださる魔物さんをわたしは何も知りません。魔物さんと同じように、掃除をすればわかるのではないかと思ったのです」

「それって、僕の真似をするということ?」

「そういうことになるのでしょう。ただ、わたしは掃除をしたことないので、ご教授頂ければと……」

 家事全般は使用人任せの家でした。お手伝いをしようにも断られてしまいます。恥ずかしながら、この部屋に家具を運んだのも使用人なのです。

 両親に内緒でわたしは家から抜け出しました。

 わたしを心配する眼に、堪えられる自信がなかったのです。走っているうちに森の中に迷い込み、見つけたのが花畑の中に佇む塔でした。

 数日間は寂しい部屋に一人でいましたが、幼い頃から働いている使用人が捜しに来てくれました。家に戻らない意思を伝えますと、両親には内緒で家具を運びだしてくれたのです。

 こうしてわたしは、人らしい生活を塔の中で送ることができています。

 苦労知らずの家に住んでいたこともあり、十四歳でありながら家事を知りません。

 わたしには、家事をする「こころ」というのがわからないのです。

「掃除をするのは楽しいでしょうか」

 問いかけに答えは返ってきませんでした。魔物さんは人形のように固まっています。紅玉の眼は驚きの色を湛えていました。

「そう、だね。楽しいのは、あるのかも知れない……」

「魔物さん?」

「花喰い娘。捜すのを手伝ってくれないかな」

「あの、それは」

「もちろん、掃除は教えるよ。それでね、君が言った話をして欲しいんだ。何が楽しいのか、何が悲しいのか、そういう色んな話をね」

「どうしてでしょうか」

「こころを震わせる物語とやらを、この眼で見てみたいから」

 魔物さんの眼差しは真剣でした。

 それがどういう意味なのかわたしには理解が足りませんでしたが、魔物さんに恩返しができるのなら叶えてあげたいと強く思ったのです。

「わかりました。お約束致します」

 指を絡めて誓い合いました。

 ひとつは魔物さんの前では紙袋を被らないこと。

 ふたつは掃除を二人ですること。

 みっつは心を震わせる物語を見つけること。

「あ」

 魔物さんは間の抜けた声を上げます。

「しまった。花喰いをやめさせる約束をするのを忘れていた」

 わたしも失念しておりました。こちらとしてはまた指切りをしてもよいのですが、魔物さんの中では一日に一回だけという取り決めがあるようです。

「僕は花には勝てないのかな」

 魔物さんは、ふてくされた子どものような顔で花をむしり、食べてしまいました。


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