第38話 A群β溶血連鎖球菌

「僕を心療内科に連れてって欲しい」

 翌朝一番に坂田はそう言った。

「どうした?」

「昨日の僕は、母さんと同じだった。僕があれだけ蔑んだ母さんと。あんな風に醜態を晒して死ぬのは嫌だ。今日これから心療内科に連れてってくれ」

「わかった」

 昨夜暴れたことで、狭いバスルームのあちこちにぶつけたのだろう、脚にも手にもいくつかの打撲が見られた。昨日だけでも斉木にこの先耐える自信を失わせるだけの破壊力を坂田は見せていた。

 水谷が言っていた『引きずられる』とはこの事だったのか、と今更ながら身をもって実感する。本当にあいつが居て良かった、水谷の存在は斉木に心底そう思わせた。

 実際、水谷の功績は大きかった。斉木だけでは気づけなかったであろう坂田の異変をナンプレの数字から見つけ出し、斉木が戻るまでの時間をメールで繋ぎ、斉木が全てを片付け終えてやっと落ち着いたころを狙ってねぎらいのメールを送ってくる。

 そして今もなお、坂田が心療内科の話を出した時に慌てなかったのは水谷のおかげだ。昨日のうちに既にこの事態を予測して、信頼できる心療内科をリストアップしておいてくれたのだ。斉木が身体を使っている間に水谷が頭を使ってくれている、これだけで斉木が如何に心強かったかは言うまでもない。

 坂田を病院に連れて行き、診察して貰っている間に水谷にメールを入れると、すぐに彼から電話がかかってきた。

「斉木、午後になったら学校に電話しろ。お前は溶連菌か何かにやられたことにして今週いっぱい休め。感染症なら学校も納得するから」

「ヨーレンキン? 何だそれは?」

「正式にはA群ベータ溶血連鎖球菌だよ。後で詳細はメールする。あいつの手術後、三~四日くらいは安静にしなきゃならない筈だろ? その間お前も『偶々』溶連菌感染で休むんだ。いいな。今週いっぱい二人一緒に居ろ。あいつから目を離すな」

「わかった」

「それと、ずっと家の中にいると余計な事ばかり考えるようになるから、来週はあいつも登校させろ。ただし心療内科の医師のOKは取れ。学校でもお前はなるべく目を離すな。数学と英語の授業は俺が一緒だから心配しなくていい」

 全く無駄のない完璧なプランだ。

「お前が居てほんと助かった」

「フン、お前の為じゃねーからな。あいつの為だ」

「ハイハイ」

「あ、ごめん、授業始まる。また後でメール入れるから」

「ああ、サンキュー」

 斉木は電話を切って、大きな溜息をつく。――水谷が居なかったら、俺、どうなってたんだろう?

 それから十五分ほどして水谷からメールが来た。授業中に打っていたと思われる。それでも学年二位を維持しているのだから大したものだ。

『①学校に今週いっぱい休む旨、連絡を入れる。病名はA群ベータ溶血連鎖球菌感染(えーぐんべーたようけつれんさきゅうきん)病状は喉の痛みと発熱(三十八度) ②家の中の刃物、ひも状のものをなるべく目につかないところに隠す ③報酬として斉木の最新アルバムをサイン入りCDで俺に寄越せ』

 斉木は読んでいて苦笑してしまう。――水谷、お前マジでいい奴だ。生演奏聴かせてやるよ、こんちくしょう。

 斉木はメールを閉じると、学校に電話を掛けた。

「1年B組の斉木和也ですけど。今、病院出たとこなんですけど、溶連菌とかっていう感染症で……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る