第11話 視線

 夏休み直前の土曜日、坂田は山根と待ち合わせして、横浜に向けて電車に揺られていた。

「坂田君の方から誘ってくれるなんて初めてだよねー」

「ああ、まあ、別に、チケットが二枚あったから。それに、会場に行けば斉木もどっかに居るらしいよ」

「なーんだ、お目当ては斉木君か。あんたたちって、どこまでもホモダチだよねー」

 山根は私服でも元気いっぱいなファッションを好むらしい。オフショルダーのシャーリングが入った白いブラウスを黄緑色のタンクトップに重ね、デニムのショートパンツと白黒ボーダーのニーハイソックスを履いて、こちらも黄緑色のハイカットスニーカーを履いている。背中……と言うか殆ど腰の位置だが、背負ったリュックも黄緑色で、タヌキだかアライグマだか、何かのキャラクターの大きなマスコットをぶら下げている。

 一方坂田は薄手のチェックの長袖シャツにジーンズと言う、どこにでもいる目立たない男子の典型例のような出で立ちである。

「山根、化粧してんの?」

「まさか。これ色つきリップだよ。みんな休日はメイクしてるっぽいけど、あたしはそーゆうのしないんだ。このままで十分可愛いから!」

「はいはい……」

「何それ、なんか文句有りそうじゃん」

「ありません」

 車窓から流れる景色を眺めながら、山根が不意に坂田の手を握った。坂田は驚いて山根を見るが、彼女は窓の外を見ているだけで坂田の方を見ない。

「ねえ、ジャズってあたし聴いた事無いんだけど」

「僕も殆ど聴いた事無い」

「贅沢だねー、ウチら」

「そうだね」

 いきなり山根が坂田の方をくるっと振り返る。

「なんかジャズって大人~なイメージだよね」

「うん、そうだね。このチケット、斉木がくれたんだよ。山根と行けば~つって」

「何、斉木君いいヤツじゃん。なんで斉木君一緒に行かないの?」

「久しぶりにお父さんが帰って来るから、お父さんと一緒に行くんだって」

「へー。お父さんいつも一緒に住んでないんだ」

「仕事忙しくて、家には殆ど帰って来ないらしいよ」

 斉木のお父さんがツアーミュージシャンをやっている事を言っていいのか悪いのか判らなかった坂田は、とりあえずやんわりと誤魔化した。

 暫くして電車は最寄駅に到着し、二人は会場に向かったわけだが、どうやら同じ目的で同じ会場に向かっているらしい人の流れがある。

「ねえ、この人たちについて行けばいいような気がしない?」

 スマートフォンを片手に地図を見ていた坂田に山根が提案する。

「そうだね。多分、みんな仲間だ」

 かくして予想は的中し、二人はすんなりと会場に到着した。

 会場の熱気と言ったら無かった。始まる前から凄まじい盛り上がりだ。お祭り騒ぎとはまさにこの事を言うのだろう。

 ここまで来る間にかなり汗をかいた二人は、イチゴのかき氷を一つ買って、二人でつついて食べた。まるで恋人同士のように。山根は少し恥らいながらも嬉しそうにしていて、そんな山根を坂田はちょっとだけ可愛いと思ってしまった。

 ジャズフェスではプロからアマチュアまでいろいろなグループが参加し、次から次へとステージに上がっては曲を披露していた。二人も体を揺らして一緒に楽しんでいた。

 曲はディキシー、ニューオーリンズ、ビッグバンドのようなものからモダンジャズ、フュージョン、R&Bのようなものまであって、ジャズの多様性に坂田は少々面喰らっていた。山根はと言えば、そんな面倒な事は一切気にせずに、ただそこにある音楽を楽しんでいるようだった。

 そんな中で、何組目かの登場の時に突然山根が声を上げた。

「あっ、斉木君!」

「え? どこ?」

「ステージだよ。ドラムの横」

 確かにドラムの横でテナーサックスを首から下げて、親子ほど年の違うドラマーと談笑している斉木の姿があった。何故ステージに?

 考える間もなくドラマーがリズムを刻み始める。ベーシストが上機嫌でピアノに目線を送りながら弦をはじき始める。ピアニストがニヤリと笑ってコードを押さえる。

 ドラマーの横でリズムをとっていた斉木が前に進み出ると、会場が一気に熱を帯びる。短い口笛、拍手、カズヤコール、そうだ、斉木は和也って名前だった。そんな事をぼんやり考えながら、坂田は呆然と斉木を眺めている。カズヤコールが起こると言う事は、この業界では斉木はもしかしたら有名人なのかもしれない。

 ステージの後ろに、サイドに、真上に取り付けられたたくさんの色とりどりのライトに、坂田は頭がクラクラしてくる。この煌びやかな世界の中心に、確かに斉木が居る。

 横では興奮した山根が両手をぶんぶんと振りながら「斉木くーん!」と喚いている。その声に気付いた斉木が、坂田を見てニヤッと笑う。

 遠い世界の人を見ている感覚に陥りながら、坂田が小さく斉木に手を振る。斉木が嬉しそうに坂田に向かって楽器を軽く持ち上げる。

 このステージの上で、観客全員の注目を浴びている斉木が、今、坂田だけに笑顔を向けている。それだけで坂田は意識が遠のきそうになるほど舞い上がった。

 斉木がマウスピースを咥える。その仕草が坂田には妙にセクシーに映る。そう言えば坂田はあれだけ毎日斉木の指導を受けているにもかかわらず、彼の吹くサックスを聴いたことが無いことに今更気づいた。

 斉木はどんな音を出すのだろう。坂田は最初の一音から全てを聴き逃すまいと構えた。そんな坂田から斉木はほんの一秒たりとも視線を外さない。

 熱い視線を坂田に送りながら斉木が最初に出した音、それは聴く者の全てをゾクリとさせるほど官能的な音だった。背筋を何かが駆け上がるような、耳元で吐息混じりに愛を囁かれるような、そんな艶のある音だった。言われなければ高校生が出している音だとは気付かれないだろう。

 観客が総立ちで踊っている中、坂田だけがぼーっと熱に浮かされたように立ち尽くしていた。斉木の長い節くれ立った指がキーの上を滑るように動くたび、その指で首筋を撫でられているような気分にさせられた。斉木にその音で愛撫されているような錯覚に陥っていたのだ。

 それは斉木が一瞬たりとも坂田から視線を外さない事に起因していたかもしれない。じっと熱い視線を投げ続けながら、斉木は舐めるように坂田を目で犯した。

 何曲か演った後、斉木のクァルテットは凄まじい大歓声に包まれながらステージを後にした。その頃には坂田はもう立っているのがやっとという感じで、今にも腰が抜けてしまいそうだった。

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