――フユはブランコに座って、じっとしている。

 奈義がいなくなってしばらくすると、雪が降りはじめた。言葉にならないものを伝えようとするような、そんな雪だった。手をのばすと、雪はかすかな冷たさだけを残して音もなく融けていく。

 結局、フユは一人だった。奈義は彼女を置いて行ってしまった。自分の完全世界を求めて。フユはまた、一人だけ残された。

 いや――

 それは、違う。

 フユはふと、水銀灯の光に人影が差したのに気づいた。奈義ではない。それよりはひとまわりほど背が低い。それに、奈義真太郎が戻ってくることはありえない。

 人影はフユの前に立つと、口を開いた。

「俺のこと覚えてるか?」

 フユはその少年を見て、そして気づいた。中学校の階段で、フユに声をかけてきた例の少年である。

「どうして、あなたがここに……?」

「――俺は久良野奈津」

 と、少年は名のった。

「早い話が、あんたの味方だな」

 フユには知るよしなどなかったが、この少年は二年ほど前のある出来事をきっかけにして、委員会と結社の両方に接触を持っていた。

「ここに来たのは、奈義さんにそう言われてたからだ」

「奈義に?」

 フユにはわからなかった。この少年と奈義に、どんな関係があったというのか。

「あなたはあの時、私に警告したはずよ。奈義の協力者だというなら、そんな必要はなかったはず」

「あの時は時間稼ぎをする必要があったんでね」

 ナツは飄々とした、どこかとらえどころのない態度で言った。

「魔法が完成するまでは、あんたにあまり手を出されるわけにはいかなかった。そのためにあんたの注意を少しそらしておくよう、頼まれたってわけだ」

「路上ライブの時、近くにいたのは?」

「あれは偶然だ。何かまずいことがあったときに対応するため、こっちでも駅の周辺を警戒してた。魔法使いを探してたのは、あんたたちだけじゃなかったってことだ」

 フユはけれど、まだわからないことがあった。

「どうして奈義は、あなたといっしょに? あなたは魔法委員会の人間ということ? 奈義は結社に入る前からあなたと?」

 ナツはうるさがりもせず、質問の一つ一つに答えていく。

「まず、俺は魔法委員会とは直接の関わりはない。ただ、結社の連中とは対立関係にあるってところだな。昔、追いかけまわされたことがある」

「…………」

「奈義真太郎は、最初から復讐するつもりで結社に入った。ただ、そのつもりで結社に入っても、結社を裏切ることはできなかった。例の魔法にひっかかるからだ。ただ、裏切りをどう定義するかの問題がある。今回のことは、その間隙を突いたってところだな。例の魔法は例えば、魔法委員会との接触そのものは禁止していない。現に、雨賀秀平は過去に委員会と取り引きをしている。明確な敵対行為や禁止事項以外は、裏切りとはみなされないらしい」

「だから、奈義はあなたの協力を得ることができた?」

「俺が手伝ったことは、具体的には二つある。一つは魔法使い探し。もう一つは、魔法の偽装」

「〈境界連鎖〉のこと?」

 ナツはうなずいた。

「あれはただの〝追跡魔法〟だ。けどいつも魔術具を持ち歩いてたんじゃ、すぐに偽装がばれてしまう。だから一手間入れた。俺と千ヶ崎朝美という人の魔法を使って」

「…………」

「詳しい説明は省くが、俺が奈義さんの服に魔術具の記号を描きこんで、千ヶ崎さんの魔法でそこに魔法をコピーした。魔法のことを偽っておけば、いざというときに役立つだろうと思ったからだ。そこまでの細工をしてから、あの人は結社に入った」

 五年前の爆発事故、その事故を起こしたのが結社だと突きとめる、魔法委員会との協力、結社への潜入、魔法を解除した奈義は復讐をはたすためにどこかへ向かった――

「そして魔法委員会は、奈義を捨て駒として利用した、というわけね」

「平たく言えば、そういうことになるだろうな」

 にらみつけるようなフユの視線を、ナツは軽くいなしている。

「委員会では今回の見返りに、奈義さんからいくつかの情報を得た。ただ、委員会ではまだ結社と本格的に事を構えるつもりはないらしいから、奈義さんを援護することもないし、見殺しにしたと言われても反論はできない」

「だったら――!」

「なら、どうしてあんたはここにいる?」

 ナツが静かに告げると、フユは口を閉ざした。

「それはあの人が、自分で決めたことだからだ。自分一人で行くと、決めたから。誰かにそれを翻させることはできない。干渉することも――」

 わかっていた。

 フユにもそれは、わかっていた。奈義は最初から、そのつもりだった。一人ですべてを終わらせるつもりだったのだ。

 すべての関係は、彼からはじまっていたから。

「でも、私は――」

 フユはブランコの鎖を強く握りながら言う。

「私はこれでまた、一人になってしまう」

「――いや、一人じゃない」

 ナツは言って、何か合図のようなものを送った。

 すると暗がりの向こうから、人影が二つ現れている。それは意外なことに、両方ともフユのよく知っている人物のものだった。

「どうして、あなたたちが……?」

 二つの人影――宮藤晴と水奈瀬陽は、にっこりとフユに笑いかけている。

「あの人も言ってたよね」

 と、ハルは言った。ずっと昔、小学生だった頃と同じ態度で。

「つながりはなくならない。それは少し、形を変えるだけだって――」



 ――四つの季節が巡る。

 四人の子供たちと、いっしょに。すべての事柄がつながりながら。

 空からは静かに、雪が降りはじめていた。すべてのものを柔らかく押しつぶしてしまおうとするように。透明な、名前もつけられることのない花々が、世界を覆う。

 けれどそこに、フユは一人ではない。そこには仲間がいる。同じように不完全世界をくぐり抜けてきた仲間が。

 この世界で、志条芙夕は決して一人でいることはない。

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