四つめの関係

 少年は伯父に引きとられた。家庭の事情というやつだった。

 実の父親は数年前に多額の借金を残して蒸発し、母親のほうはそれから何年かして精神のバランスを崩した。

 母親は一日中とりとめのない妄想を口にしていたが、しばらくして病院に隔離されることになった。それと同時に、少年は伯父である彼の家に預けられた。ほかに引きとり手が現れなかったからである。

 独身で子供とは無縁だった彼の伯父は、当然ながら少年の扱いに戸惑った。

 そして少年のほうは少年のほうで、母親との離別や自宅を追われたことで、強いショックを受けていた。少年は頑なに口を固く閉ざし、その表情は植物と同じ程度にしか変化しなかった。

 普通ならそれは、ただの荷厄介を抱えただけのことでしかない。

 けれど彼は、そんな少年を無理に変えようとはしなかった。少年の態度に辟易するわけでも、家族めいた関係を強要するわけでもない。季節が変わるのをじっと待ち続けるみたいに、彼はただ少年のそばによりそっていた。

 彼はそんな時間も必要なことを、知っていたのである。

 何かが壊れたときには、まず故障箇所を知る必要があることを――

 欠けた部分やなくなった部品は、また新しく作り直してやる必要があることを――

 何もかもを自分の都合のいいように扱うことはできない。ある場合に人にできるのは、ただ待つことだけなのだ。

 そして少しずつ、少しずつ、少年は彼との生活に慣れていった。

 がらんとした部屋に家具を運びいれ、壁を飾るように、言葉が増え、表情が変化した。春の陽射しに雪が融けていくように、ゆっくり、でも確かに。

 ずぼらな彼の代わりに家事を手伝ったり、二人で宿題を考えたり、学校の発表会に見学に来てもらったり、知人の住む田舎をいっしょに訪ねたり、重い荷物を背負って高い山に登ったり――

 彼はよく、笑う人だった。

 おかしいことでも、おかしくないことでも笑った。悲しいことや、腹の立つことでも。そうすればまるで、世界をいつまでも守っていられるみたいに。少年はそれが、不思議だった。

「お前は楽しいのは嫌いか?」

 と、彼は一度そんなことを言った。少年が首を振ると、彼は続けた。

「なら、笑っていることだ」

 そう言う彼の顔は、やっぱり笑っている。

「ちょっとくらい辛いことや、苦しいことがあっても、それでどうにかなるわけじゃない。少しくらい欠けたり、壊れたりしたって平気だ。そこからは何も失われることなんてない。それはただ少し、形を変えるだけなんだ」

 どうやらそれが、彼の人生哲学だったらしい。

 少年は次第に、笑うようになった。彼はそのことを何より誇らしく、嬉しく思った――

 それから数年続いた伯父との暮らしは、彼にとって何よりかけがえのないものだった。

 必要なもののすべては、彼からもらった。喜ぶこと、怒ること、悲しむこと、楽しむこと、そして、笑うこと。この世界に必要な、すべてのものは――


 そしてそのすべては、ある日失われてしまった。

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