フユと奈義は二人で並んで、いつもの通学路を下校している。やはり人通りはほとんどなくて、時折自動車がのろのろと通りすぎたり、額縁の外から不意に現れたような小学生が、数人で走り去っていくだけだった。

「……いったい、何の嫌がらせかしら?」

 と、フユは開口一番でまずそれを訊いた。もちろん、真花とはすでに別れている。奈義のことは、遠い親戚とちょっとした知人の中間、といったくらいの曖昧な表現でごまかしておいた。何をどうごまかしたのかは、フユにもわからなかったが。

「わざわざ迎えに来てやったのに、それはないだろう?」

 奈義は不服そうな顔をした。本気なのかどうかは、よくわからない。

「誰も頼んでないわよ」

 フユはこういう場合に大抵の人間が口にするのと同じ常套句を使った。けれど奈義にはあまり効果はないらしい。

「はじめに見かけたとき何の反応もないから、忘れられたのかと思ったよ」

 と、けろりとした顔で嘆いてみせている。

「私としては、忘れられてたらよかったと思うけど」

 フユはあくまで無表情に言った。

「傷つくなあ、その言いかた」

「いったい、何のつもりで学校に来たの?」

 フユがあらためて訊くと、奈義は何でもなさそうな顔で答えた。

「お前の家に行ったら誰もいなくてな。ついでだと思って学校まで行ってみた」

「そこで待ってればいいでしょ」

「この寒空の下でか?」奈義は大げさな身ぶりで空を仰いだ。「家の中にでもいないと、凍え死ぬぞ」

「キリギリスは死ぬべきだったのよ」

 フユは無慈悲に告げた。

「どこかの浪漫派詩人みたいにか。でもあれは、元々はセミのことだったらしいな」

「どうでもいいわよ、そんなこと」

 口調こそいつも通りだったが、フユは多少苛立っているようだった。

「わざわざ学校に来られると、迷惑よ」

「何でだ?」

「説明が面倒だから。まさか、私たちは魔法使いなんです、って学校中に言いふらすわけにもいかないでしょう」

「それで信じるやつがいると面白いけどな」

「私は面白くない、少なくとも」

 フユの剣幕に、奈義は肩をすくめてみせた。

「……わかった、今後は用もなく学校を訪ねたりはしない」

「用があっても訪ねないで。第一、どうして連絡もせずに来たりしたの」

 必要なことがあれば、携帯電話をかければすむはずのことだ。

「古い人間なんでね。あまりそういうのを信用していない」

 奈義は気どったふうにうそぶいた。

「なら、今度は伝書鳩でも使うことね」

 それから少しして、フユはふと弓村真花の言葉を思い出していた。

「――そういえば、クラスメートがあんたのことを知ってるみたいな口ぶりをしていたけど?」

 あの時は問いただす暇はなかったが、どうして真花が奈義のことを知っていたのか。

「クラスメートって、お前がいっしょに歩いてた女の子のことか」

「ええ、そうよ」

「お前に友達がいるなんて、少し意外だな」

「……たまたま話してただけよ。友達なんてものじゃない」

「照れてるのか?」

「そう見える?」

 奈義は何となく諦めたようなそぶりをして、最初の質問に答えた。

「少し前、あの近くの本屋でバイトしてたことがある。もしかしたそれで、記憶に残ってるのかもしれないな……そういえばレジにかっこいい人がいたな、とか」

「あんた、普段は何してる人なの?」

 フユは奈義の発言をほとんど頭から無視して言った。

「何に見える?」

 奈義はめげずに訊きかえした。フユは目を細めて奈義を見る。

「何にも見えないわね」

「……大学生だよ、これでも」

 さすがに疲労感のある応答だった。フユはそんなことは一顧もせずに訊く。

「じゃあ何でこんなとこにいるの? 大人しく講義でも受けていればいいでしょ」

「出席もとらない一般教養なんて、まじめに受講する必要はないんだよ。何しろ、俺にはもうその手の教養は身についてるんだからな」

「そうだったらよかったのに、と思ってたところよ、私は」

 フユはごく無造作に、客観的事実だけを述べた。


 その後、自宅に戻って着替えをすませたフユは、奈義と二人でバスに乗った。「どこに行くの?」と訊くと、「駅まで」と答えられている。そこから移動するというわけではなく、どうやら駅前に用事があるらしい。

 暖房の効いたバスの中は、毛布をかぶせられたみたいに温かかった。乗っているのは学生と買い物客くらいで、席の大半は空いている。ただしフユは一人用の席に座って、奈義はその隣で吊り革を手に揺られていた。

「駅に何の用事があるわけ?」

 と、フユは途中で訊いてみた。

「いや、特に駅に用事があるってわけじゃない」

 とぼけているわけではないのだろうが、奈義は迂遠な言いかたをした。

「じゃあ、何でわざわざ」

「そのあたりで怪しい噂話や目撃談が多くてな」

 例の、正体不明の魔法使いのことだろう。

「現場で説明したほうが手っとり早いと思ってな。報告書があるんだ。今日はそいつをお前に見せてやるよ」

 その話では必ずしも駅まで移動する必要はなさそうだったが、どうせすべての経費は結社で処理されるのだ。バスの運賃がいくらになったところで、気にすることでもない。

 やがてバスが駅前に到着すると、二人はターミナルに足を降ろした。天橋市の中心部だけあって、さすがに人ごみであふれている。電車やバスの利用者、他県からの観光客、デパートや地下街に向かう買い物客、ついさっき到着したばかりのようなビジネスマンたち。

「…………」

 フユはそんな光景に、ややうんざりした。どうしてこうも大勢の人間が、一ヶ所に集まる必要があるのだろう。そんなことをしても、不愉快なだけだというのに――

「さて、どこか静かに話のできる場所でも探すか」

 そんなフユの内心を読みとったわけではないのだろうが、奈義は先に立って歩きはじめた。行く先にあてはないらしく、その足どりは適当である。

 駅のシンボルでもある和風の大時計を横目に見ながら、奈義は細い路地のほうへと入っていった。少し行くと人の姿はほとんどなくなり、駅前の喧騒もすっかり遠くなっている。見あげると、建物のあいだに凍てついた青空がはりついていた。

「ここら辺でいいか」

 と奈義が足をとめたのは、一軒の古びた喫茶店の前だった。黒ずんだ木造の建物で、すぐ隣には営業しているのかどうかも怪しい金物屋が連なっている。大通りからはかなり外れたところにあって、木星にある冴えない衛星の一つみたいに、賑やかさとは無縁の場所だった。

「少なくとも、人がいなくて静かなのは確かそうね」

 フユは率直な意見を口にした。

「案外、こういうのが隠れた名店だったりするからな」

 奈義は根拠のない自信を見せた。フユは首を傾げる。

「それは、経験則?」

「ただの願望」

「……隠れてるのはともかく、この様子だと店主がいるかどうかも怪しいんじゃないかしら?」

「営業中の看板が出てるんだから、幽霊でないかぎりはいるだろう」

 言いながら、奈義は扉を開ける。軋みもなく開いたドアからは、からんころんという古いカウベルの音がした。どこか遠くの時間からすくいとってきたような音色である。

 こぢんまりとした店内には、カウンターといくつかのテーブル席があって、客はいないが、もちろん店主はいた。おそらくは、主として近所の客や知人たちを相手にする店なのだろう。

 奥のテーブルに着くと、奈義はコーヒーを、フユはココアを注文した。

 あらためて店内を見渡すと、外観通りのクラシックな内装で、柱や床の古び具合が歴史を感じさせた。控えめな照明の下に、主人が集めたらしい外国の小物や調度品が飾られている。空調は抑え気味で、この手の店によくあるようなねっとりとした暖気はなかった。

 二人の座ったテーブル席からは、格子風になったガラス窓から外の様子をうかがうことができたが、狭くて薄暗いだけの路地を見ていても、心が和むわけでもない。

「――さてと、とりあえずこれを見てもらおうか」

 と奈義が机の上に取りだしたのは、それなりの厚さのある紙束を、クリップで留めたものだった。

「何なの、これ?」

「街の噂に関する報告書だ」

 フユはその、『天橋市における特異現象についての報告書』と題されたレポートをめくってみた。冒頭に目次がつけられ、全体の概要から個々の項目まで、手際よく整理して書かれている。

「これ、あんたがまとめたの?」

 フユは疑わしそうに訊いた。

「まさか――」と奈義は悪びれもせずに頭を振っている。「雨賀さんだよ、それを書いたのは」

 なるほど、とフユは思った。直接会ったことはなかったが、雨賀秀平という探偵家業の人間が結社にいることは聞いていた。

 そうこうするうち、注文したコーヒーとココアが運ばれている。奈義はミルクと砂糖を多めに入れてから、フユに報告書の地図を見るよう指示した。

「天橋市の地図ね」

 あまり細かいものではないが、そこにはほぼ市の中心地域をカバーした地図が載せられていた。地図上には何かを示す点が、何色かに分けて番号とともに記されている。

「この点は?」

「噂話の現場になった場所だ。色は噂の信頼度を示している。赤のほうが確実性が高くて、黄色は真偽不明、青はおそらく与太話だ」

 説明されて、フユはあらためて地図上の点を確認してみる。

 ざっと概観したところでは、点は駅周辺地域に集中しているようだった。駅前で多くの怪事件が発生している、ということだろう。けれど情報の信頼度を表す三色については、あまり偏向は見られなかった。色の分布は全体に平均しているように感じられる。

「魔法使いは駅の近くに住んでいるか、駅をよく利用する人間ということ?」

 ごく一般的な見解として、フユは訊いてみた。

「その辺はまだ何とも言えない。噂話が確かで、それが魔法使いによるものだというなら、少なくともその魔法使いは駅周辺によく出没している、ということになるな」

「ずいぶん曖昧ね」

 フユが呆れたように言うと、奈義は仕方ないさ、と言ってコーヒーをすすった。

「具体的な噂話のほうも見てみるといい。地図の点に照合する形で、信頼度の高いものから順に載せられている」

 フユはもう一度、報告書のページをめくった。

 真実性の高そうなものとして最初に記載されていたのは、次のような話だった。


 情報提供者:市内の県立高校に通う学生A(男)

 経緯:駅前での聞きこみ中、同校の生徒から話を聞き、さらに詳しい内容を知っている関係者としてAを紹介してもらう。

 場所:某ハンバーガーショップ二階

 概要:聴取対象の学生Aには、同じ部活に所属する友人Bがいた。Bは友達の紹介で同じ高校に通うCとつきあいはじめた。BとCの交際は順調で、周囲との関係も良好だった。ところが最近になって、二人は突然別れることになった。不審に思ったAはBに事情を問いただしてみたが、Bの話は要領を得ず、ただ次のような発言を繰りかえすだけだった。「デートしている途中、急に相手に対して何の感情も湧かなくなった。嫌いになったとか、別の相手を好きになったとか、そういうことはない。ただ何故だか、もういっしょにはいられなくなっていた」BとCの二人が最後にデートをしたのは、駅前だった。類似した話が、他にもA-3やB-15で報告されている。


「――何なの、これ?」

 フユは顔をしかめた。

「よくある別れ話の類じゃないかしら。これが魔法によるものだっていうの?」

 恋人を別れさせる魔法なんて、あまりぞっとしない話だ。

「かもしれないが」と奈義はあくまで真剣な様子だった。「雨賀さんの話によると、ここ最近その手の噂話が急に増えたらしい。高校生のあいだでは、駅前でデートすると縁が切れるとかっていうもっぱらの評判だ」

「ご愁傷さまね」

「しかし数や話の中身自体は無視できないものだ。同じ種類のものが何件も報告されている」

「噂の元になるような、何か別の原因があるんじゃないの?」

「それらしいものは確認できなかったらしい」

「仮にこれが魔法によるものだとして」

 フユは言いながら、ココアを一口飲んだ。小犬を抱きしめたような柔らかな甘味と温かさが口の中に広がる。

「――それはいったい、どんな魔法だっていうの?」

「さあな、見当もつかん。あるいは人の心を操るような魔法かもな」

「…………」

 報告書に書かれていた様子では、どちらかといえばそれは感情を変化させられたというより、ロボトミー的にごっそり切除された、という感じではあったが。

 そのほかにも、報告書にはいくつかの事象が記載されていた。街灯の明かりが何の前触れもなく消えたとか、電子機器の不調、羊の皮をかぶって徘徊する男、自動販売機の故障など。もっとも、羊の皮の話には青色評価がつけられていた。

「例え不可解な現象が起こったからって、それがすべて魔法によるものと決まったわけじゃないわ」

「そりゃそうだ。けどこの中に、本当の魔法によるものが混ざっている可能性は否定できない」

「玉石混交ね」

「難しい言葉を知ってるな」

「そもそも、この件を調査してた雨賀秀平はどこに行ったわけ?」

 この状態なら、本職の人間に任せるのが一番というものだろう。

「雨賀さんは別のもっと重要な案件のほうにまわっている。優先順位が下がったぶん、俺たちのほうにまわってきた、ということだな」

「なるほどね」

 フユは肩をすくめるようにして言った。要するに、重要度の低い仕事だから割りあてられたということだ。

「……話はどれもはっきりしないし、魔法使いが何人いるかもわからない。もしかしたら、一人でなく複数いる可能性だってあるわ」

「野良の魔法使いがそうごろごろいるとも思えないが、否定はできないな」

「可能性としては、ね」

 フユはうんざりしたように言った。早い話がこれは、お手上げということではないだろうか。

「いや、昔の人の格言にこんなのがある」

 と奈義は何故だかひどく自信あり気な様子で言った。

「どんな?」

「犬も歩けば棒に当たる」

 聞いた私が馬鹿だったのだと、フユは冷静にそんなことを思った。

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