その日、奈義とは顔あわせと簡単な打ちあわせをしただけで、そのまま別れている。以降の指示は奈義から連絡されるので、フユはそれに従っていればよい、ということだった。

 結社の中でのフユの立場というのは、基本的にはそんなものだった。体のいい使い走りのようなもので、その魔法だけが利用されている。とはいえ、言われたことをやっていればいいだけなので、フユのほうでは特に文句はない。

 公園から自宅に戻ると、昼を少し過ぎたくらいの時間だった。玄関をあがってみるが、人の気配はない。部屋には電気もつけられていなかった。

(……工房か)

 と思って、フユはサンダルをはいて家の裏手にまわった。

 そこには耐火性を考慮して作られた、コンクリート打ちっぱなしの建物が隣接している。現在、この家にはフユとその母親である志条夕葵の二人が暮らしていた。ガラス工芸作家である夕葵の個人工房が、家の裏手にあるその建築物である。無愛想で何の装飾性もない、ただの四角い箱のような代物だった。

 ガラス戸から中をのぞくと、夕葵は中にいるらしい。フユは軽くノックしてから、扉を開ける。

「――何?」

 型取り用の粘土を成形していた夕葵は、振りむきもせずに言った。

 工房といっても個人のものであるため、それほどの広さはない。吹きガラスに使うような大型のガラス溶解炉はなく、置かれているのはグラインダーや、サンドブラスト用の工作機、酸素バーナー、電気炉といった小さなものだった。必要なものがあれば、別の大きな工房でスペースを借りることになっている。

 ただ、壁際の棚に収められた色とりどりのガラス棒や、原料になる何種類ものガラス片を見ると、ここがガラス工房なのだということがわかった。それらを見ていると、何となく光の原質料が保管されているようでもある。

 フユは一歩建物に入って、後ろ手に扉を閉めた。母親の志条夕葵は作業着というほどではないが、ひどく飾り気のない服を着ている。

 志条夕葵は、さっぱりとしたシンプルなショートカットに、どこかガラスのように脆そうな肢体をしていた。そのくせ芯にあるものは鋼線のように強靭で、無骨そうな感じがしている。それが逆に、見ための繊細さを優美なものに見せているようだった。透明でありながら硬質な輪郭をもって存在するガラスという材質に、それはどこか似ているようでもある。

「結社から依頼が来た」

 と、フユは短く報告した。

「そう――」

 夕葵はほとんど興味もなさそうに、つぶやくように答える。

「街に魔法使いがいるらしいから、それを探せとかいう話。私と、もう一人の奈義っていう人で」

 夕葵は黙ったまま、ヘラを使って粘土に微細な彫刻を施している。

 ガラス工房というわりに、室内には火の気はなかった。コンクリートの床や壁が剥きだしになったその場所には、凍えるような寒さしかない。

「……しばらく、家にいないことが多くなるかもしれない」

「好きにすればいいわ」と夕葵は少し離れて、試すように粘土の塊を眺めながら言った。「あたしには関係のないことよ」

 ――志条夕葵は、魔法使いではない。

 彼女自身には魔法についての素養は一切なかった。世界に生じた揺らぎを知ることも、それを作りだすこともできない。

 それでも彼女が結社の一員であり、彼女の娘であるフユが構成員の一人になったのは、志条夕葵がかつてある魔法に関わったためだった。その時、彼女はあるものを失い、あるものを得た。それは彼女の完全世界を半分ほど壊す出来事だったのである。

 結社に誘われたのは、そのあとのことだった。完全世界を取りもどすというその目的を自分で果たす気にはなれなかったが、協力するくらいは問題なかった。魔法使いではない彼女にとっては、むしろそのほうが都合がいい。

 そのため、志条夕葵は実働的な計画には参加せず、もっぱら協力者としての立場であり続けた。一般人であり芸術家というその特性から、魔術具の管理を任されたりもしている。

「――魔法に関することは、あんたが勝手にやればいいわ。倉庫にある魔術具も好きにすればいい。造形的にはともかく、あたしにはただのガラクタよ」

 夕葵はそう言って、再び作業に取りかかる。

 おそらくそれは、彼女の専門でもあるキルン(電気炉)キャストに使うための型なのだろう。抽象化された人物と、何かの場面を表現したものらしかった。志条夕葵は物語性の濃い作品で名の知れた新進気鋭の作家でもある。すでに個展も何度か開いていて、その業界では著名人だった。

 工房には仕上げを待つばかりの作品がいくつか並べられている。ガラスらしい透明感にあふれたものから、金属や大理石のような肌あいのものまで、様々だった。ただ、その造形や色調には鑑賞者に訴えかける何かがあった。順応限界を超えた高高度の山嶺を仰ぎ見るのに似た、何かが。

 そしてその何かは同時に、志条夕葵本人にも感じられるものだった。

 工房をあとにする前に、フユは必要なことを一つだけ訊いた。

「……昼食はどうするの?」

「いらないわ」と夕葵は言った。「あんたは冷蔵庫にあるものを適当に食べなさい」

 そう言われると、フユも食事をとるのが面倒になってきた。

 少なくとも体型的にこの二人がよく似ているのは、当然のことのようだった。

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