2-2 悪魔の証明

「……それは、業務命令ということですか」



 ナナイの質問に、長野市役所企画政策部・部長の増田イチタカは表情を殺して頷いた。



「君の言いたいことはわかる。確かに困難な話ではある」


「困難かどうかって問題じゃありません」



 ナナイは長い髪をかき上げ、頭をかいた。



「ダンジョンの、少なくとも浅い階層に、ドラゴンのような手に負えないほどの凶悪な魔獣が調……不可能な命題ですし、そもそも理不尽に過ぎます。例のラーメン屋では、竜の骨を使ってないんですから」


「君のとこの職員の舌を信用しろと?」


「必要なら保健所でも信大の教授でも連れてきたらいいでしょう。簡単なことです」


「瀧沢さん、君にもわかるはずだ。必要なのは結果よりもむしろ、経過プロセスの方なんだよ」



 増田イチタカは皺の寄った顔をさらに険しくして答える。掘りの深い赤ら顔は、ナナイの視線を避けるように横を向いている。



「『九涼』のラーメンのダシが実際になにかっていうのは問題じゃない。こういう話が出てしまった以上、うちが何かしている姿を見せなくてはまずいんだよ。役所というのはそういう場所だ」



 ナナイはため息をついた。増田の言うことには「上に対して」という目的語が意図的に省略されている。間違っても「市民に」ではない。ここでもまた「忖度」だ。



「……せめて、期限や範囲を区切るとか、そういう指針はないんですか?」


「……いやぁね、正直言うと、僕も困ってるんだよ」



 増田は突然、眉間に寄っていた顔の皺を逆方向に動かした。眉がヘの字に曲がり、「心底困っている」という表情を形作る。



「市長や市会議員とかならまだ、その辺の話のしようもあるんだけどね……詳しくは言えないけど、中央の方がアレでさ……」



 先ほどまでとは打って変わって砕けた口調で、増田はナナイに自らの窮状を訴える。ナナイはため息をついた。この部長のこうした見え透いた手口はもはや見慣れたものだったが、増田も困っているというのは嘘ではないのだろう。



「……わかりました。元々ダンジョンと魔獣の調査は仕事の内ですから、それを重点的に行ってなにか報告が出来るようにします」


「さっすが瀧沢さん! ありがたい!」



 頭を下げて手まで合わせて見せる増田に一礼して、ナナイは部長の部屋を出た。


 ナナイが離れていく様子を確認した増田は、合わせていた手を降ろし、ふん、と鼻息をひとつ鳴らした。そしてデスクの上にあった携帯電話――スマートフォンではなく、ひと昔前のガラケーだ――を手に取り、数回、操作した後、耳につける。



「……あ、どうも、お電話いただいていたようで、申し訳ありません」



 その声は、先ほどの砕けた感じでもなければ、前半の厳しい感じでもなく。静かな緊張感に満ちていた。



「ええ、まさにその件で今……はい、例の『法案』には影響が無いように、いくつか手を打っています。まぁ……なんとかしますよ、ええ」



 電話を切り、増田はそれをデスクの上に再び置いてから背もたれに寄りかかり、眉間を抑える。少しの間そうしていた後、身体を起こして、今度は卓上の内線電話を手に取った。



「あーごめん、増田だけど。お茶、淹れてくれない?……あ、自分で淹れろって? うん、まぁ、そうだよね……うん、ちょっとやってみたかっただけ。はい」



 増田は受話器を置いて、椅子を立ち上がった。


 * * *


「……と、いうわけだ」



 ホワイトボードの前に立ったナナイが、仏頂面で話を区切った。


 長テーブルに座ったダンジョン課の面々は顔を見合わせ、一様に微妙な表情を作った。イサナはテーブルの面々を見まわした後、身を乗り出して口を開く。



「……つまり、市内のダンジョン全域と、全魔獣を調べろ、と?」


「そうは言っていない」


「でも、ドラゴンがいないことを証明するってのは、そういうことじゃ……」



 リコが口を挟む。その横で、黙ってお茶を飲んでいた金箱が口を開いた。



「正面からの証明、仕事は混迷……」



 ナナイはため息をついた。



「……要は、現状のダンジョン施策で市民に危険はない、ってことをPRすればいいんだ」


「加えて、ダンジョンへの立ち入りは違法であり、それを犯した市民の安全までは保障しかねる、という線引きを明確にする……といったところですか」



 美谷島が話を受けて言い、ナナイは頷く。



「実際のところ、ダンジョン行政はまだ発足したばかりだからな。市民の理解を地道に得ていくのも仕事の内なのは確かだ……この前のような事件があったばかりでもある」



 第二次裾花ダンジョン事件――そしてその後の、『モグラ』と過激派右翼・坂上の暗躍。後者は一般に公表されてはいないが、ダンジョン行政は転換期に差し掛かったと言っていい。


 これまでも、ダンジョンに不法投棄がされるなど、違法行為の現場となる事例は存在していた。しかし、「危険な野生生物」である魔獣以外に、明確な「勢力」がダンジョン内に現れたのは史上初の出来事だろう。社会制度の中にどうやってダンジョンを位置づけるのか――これまで目を背けていた課題が、重くのしかかって来ている。


 しかしその一方で役所、および議会の動きは鈍く、先日イサナたちが捕えた「モグラ」の一味・香田の処遇もまだ決めかねているのが実情だ。


 とはいえ――現場としては、目の前の仕事をひとつひとつ、こなしていくしかない。イサナは自分の右手を見つめ、鳩尾のあたりからこみ上げる思いを噛み殺した。


 ――と、思い当たることがあった。



「……ドラゴン、出たことあるんですよね? しかも地上に……」



 第一次裾花ダンジョン事件――4年前に、市内を流れる一級河川・裾花川の上流の山間やまあいに現れた「裾花ダンジョン」から、竜が姿を現した事件。


 武装した警官隊によって竜は撃退されたが、この事件を契機に長野市役所はダンジョン対策を真剣に検討することとなり、全国に先駆けて「ダンジョン課」が発足するきっかけとなった。



「しかも、それを撃退したのは、ダンジョン内から現れた『特能者』だったっていう……」



 今にして思えば、その人物も「モグラ」の一味なのかもしれない。しかし――



「そう、そうなんだが、その件に関しては疑問点も多い」



 ナナイは椅子を引いて座り、組んだ手を長テーブルの上に置いた。



「第一に、なぜ瘴気の薄い第一階層に、あんな巨大な魔獣が現れたのか? 通常、強力で巨大な魔獣ほど、瘴気の濃い深層から出て来ないのに、だ」


「それに」



 リコがその後を受けて言う。



「警官隊が対応に当たって、銃火器まで総動員しているのに、この件について知ってる人が全然いないの。事件の後はマスコミが随分騒いだんだけど、でもそれっきり。役所でも警察でも、あれに関わった人ってほとんど会ったことなくって」


「なにしろ、あの事件の詳細は私でも資料を見れないんだ」



 ナナイは冷めてしまったお茶をすする。



「そしてなにより……あの事件で撃退したはずのドラゴンの死体が、どこへいったのか? 魔獣の、しかも竜の貴重な標本だ。研究施設へ回され、なんらかの結果が魔界技術研究の論文として発表されてもいいはずなんだが……」



 そもそも、その研究標本があればこの件だって、もう少し話が違うはずなのだ。イサナは喉の奥で唸った。どうにもこうにも、地方行政というやつはダンジョン以上に見通しが悪い。



「……しかし、その辺りは足がかりに出来そうですね」


「……そうだな。この件を理由に、上から情報を引き出せないか、私の方でも動いてみよう。事は今後のマスター・プランに関わるからな」



 それに、とイサナは心の中で付け加える。自分たちや市民、そして「モグラ」の連中の生活にも、だ。



「調査は裾花ダンジョンから始めよう。既に調査しているところから、大型魔獣の調査に標的を絞って範囲を広げていく。まずは一週間ほどやってみて、進行具合で最終的な落とし所を探る……っていうところで、どうだ?」



 ナナイの提案に、一同は苦笑いをした。



「まぁ、それしかないけども」


「場当たり的というか、泥縄というか……」


「何を言ってるんだ、お前ら」



 ナナイはそう言って場を制し、少し笑って言った。



「こういうのは昔から『お役所仕事』って言うのさ」


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※信大……長野県の誇る国立・信州大学のこと。県内の広範囲にキャンパスが分散している「タコ足キャンパス」の大学でもあり、長野市内にあるのは工学部と教育学部である。


※最近は女性職員がお茶汲みをするようなことはないらしい。

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