第6話:研究所

「――ちょっと、聞いてるの?」

「ああ」

「ああ、じゃないでしょう。本当にここから?」


 少しだけ昔を思い出していた。

 片腕を引きずって、敵になるはずだった女を連れて、昔の職場と鬼ごっこ。

 その上、ぼおっとし始めるなんて、いよいよ俺もやばいかな。


 一度、病院で診てもらうか。

 というのは、俺とサクヤの間でたまに交わされる冗談だ。

 俺達が一般の病院なんぞに行けば、どうなるか。まあまあ趣味の悪いブラックジョークである。


「そうだ、ここから入る」

「……立ち入り、禁止区域」

「外の連中はまだ増える、急ぐぞ」

「でもここは」

「知ってんのか。なら話は早い」


 そこは、一見するとただの建設現場だ。雑な看板が立ててあり、簡単に囲ってあるだけ。

 しかし一部の者は、その中がどうなっているかを知っている。この女も、知っているからこそ躊躇したに違いない。やはり、それなりに情報のパイプも持っているのか。


「本当は、助ける気なんて無いんじゃないの」

「あるから身体はってんだろうが。めんどくせえな」

「どうして、ここが怖くないの」

「まあ……初見でもないしな」


 ぽつりと答えて足を踏み入れる。黒ずくめはいったん撒いたが、直に嗅ぎ付けてくるはずだ。押し問答の時間が惜しい。


「じゃあ前にもここを?」

「いや、ここは初めてだけど」

「他の似たような場所が、あなたの巣ってわけ?」

「巣ってなんだよ、ひでえな」


 如何にも、と言った体の資材やら何やらの間を縫って進む。不自然な程に積み上げられたそれらは、さながらバリケードだ。

 そしてその中心に、それはあった。マンホールをそのまま大きくしたような、直径三メートル程の円形の蓋。


「さ、地獄の蓋を開けるとしますか」

「そういう台詞って恥ずかしくない?」

「くっ、はは」

「何がおかしいの」

「いや、だいぶいい感じにタメ口になってんな、と思ってさ」

「そんなの……どうでも良いでしょ」


 確かにどうでも良いが、それが大切な時もある。ちょっとした積み重ねが、人間らしさとか何とかを形作っているのだから。素で漏れた笑みを隠そうと、上から苦笑いを重ねた。


「ナルカミだ。あんたは?」

「え?」

「名前くらい聞いてもいいだろ」

「……アミー」

「そうか、良かった」


 流石に、名前まであいつそのもの、という訳ではなかったようだ。「良かったってどういう意味?」と訝しげにするアミーを適当にスルーして、蓋に手をかけた。

 これは、いくつかある緊急用の出入り口の一つ。一応、下からナニカが出てくるのを防ぐ為に蓋がしてある。ただし、俺ですら強引に出入りが出来るくらいだ。効果に期待は出来ない。

 鉤状の仕掛けを押し上げ、簡易ロックを解除した。全盛期はきっちりオートロックだったのに、今じゃマンホールもどきか。世知辛いね。

 窪みに指を引っかけ、ぐい、と持ち上げる。がりがりと音を立てて、暗闇が顔を出した。その端には、据え付けられた金属製の梯子。穴の底はぼんやりと光っている。


「お先にどうぞ」

「絶対いや」

「即答かよ。話を聞け」

「いやよ、怪しすぎるもの。どうしてもって言うなら、下で待ち構えてあなたを撃つわ」

「そりゃ駄目だ」

「駄目と言われて、聞くと思う? 今度は頭を溶かしてあげる。そうしたら、少しはいい男になるんじゃない?」

「うるせえな、聞けっつってんだろ。下には俺が先に降りる。あんたは途中で待つんだよ」


 まあ仮に撃たれても当たらねえけど、とにやりと笑う。腑に落ちない顔のアミーを見送り、後に続く。鉤を引っかけ直す事は出来ないが、蓋は閉めておいた方が良い。足を梯子にかけ、右手で金属の円盤を引っ張った。

 それが終わると、銃を握り直して飛び降りる。アミーを追い越し、途中で何度か両足を梯子や壁に寄せ、落下スピードを調節する。

 下は半径五メートル程の半円状で、広々とした通路になっていた。基本的な組織の施設の造りだな。等間隔で薄青い照明と楕円のドアが並び、視界も悪くない。


 が、そんな事よりも――


「悪く思うな」


 着地を待たずに引き金を引き、床に転がる。立ち上がりざまにもう二発。銃弾を受けて倒れたソイツラの頭は、見事に溶けて泡を吹いている。

 対人専用のゴム弾入りと普段使いの通常弾入り、もしもの時の中和弾。そのどれとも違うとっておきだ。


「後ろ……!」

「わかってる」


 背後の気配に向けて、左足を高く振った。古くなったゴムと、濡らした綿わたをかき混ぜて固めたような。嫌な感触と引き換えに、蹴りあげたソイツの頭が胴を離れる。


「あーあ、だいぶ溢れてんな」


 浅黒い肌と、色素の抜けかけたばさばさの髪。褐色に濁った両の瞳。服装や体格はまちまちだが、基本は同じだ。低い唸り声をあげてのろのろと歩いてくるソレが、六体。

 二方向に伸びた通路の反対側からも更に二体。こちら側の一体は、異様に隆起した筋繊維をしならせて駆けてきている。


「変異してんのかよ。いよいよだな」

「ちょっと、大丈夫なの?」

「まだ来るなよ」


 梯子にしがみつくアミーに怒声を飛ばし、筋肉達磨に照準を合わせた。あれは、頭を飛ばしても突っ込んできそうだな。

 心臓に銃口をずらし、三度、銃声を響かせる。筋繊維の塊があっという間に蒸発した。再生が為されない事を確認して、息を吐く。

 集まってくる前に片付けなくては。かと言って、弾の無駄遣いも微妙なところだ。銃を握りしめたまま、片側の一体に回し蹴りを食らわせた。

 司令塔を失った胴体が動かなくなるのを確認して、残りの六体に向き直る。何の変異もしていないのなら、頭か心臓にぶちこむのが効率が良い。組織のマニュアル通りというわけだ。

 残りのヤツラも蹴り飛ばし、アミーに合図を送った。


「街のすぐ下で、こんな」

「どこも似たようなもんだ、上の平和ボケも何時までもつかね」

「どうしたらいいの」

「そんなの、決まってんだろ」

「え?」

「まずはここを無事に抜け出す。それから、サクヤ……俺の連れと落ち合って、あんたの話を聞く」


 そういう事じゃなくて、とアミーは不満そうにするが、結局はそういう事なのだ。

 少しばかり人間から外れた程度では、出来る事など限られている。先を見据えているつもりでも、目の前の事で手一杯。必死で選んで掻い潜った先に、答えのようなものがあったり、無かったりだ。


「ま、なるようになる」

「知った風な事ばっかり」

「そりゃ逆だ」

「逆?」

「考え過ぎなんだよ色々……ってもう来やがったか」

「さっきので終わりじゃ」

「それ、本気で言ってんじゃねえよな? 走るぞ」


 変異したヤツがいたのとは反対から、複数の足音が近付いてきていた。複数というか、大量の、だ。数体であれば、挟み撃ちを避ける為にも一通り潰しておくべきかもしれない。しかし、今はそうも言っていられない。


「一度、上に戻るとか」

「それこそ本末転倒だな、それに」

「それに?」

「もう無理だ」


 俺の言葉に続いて、無数の銃声が鳴り響いた。組織の連中が蓋を開け、俺達を追ってきたソイツラと鉢合わせたに違いない。


「戻らないと……」

「助けなきゃ、とか言うつもりかよ」

「そうよ」

「まあ心配すんな。さっきぐらいの変異っぷりなら、まだ梯子は登れねえ。お互いに足止めしてもらおうぜ」

「さっき以上のが出てきたらどうするの」

「多分、大丈夫だ」

「まあとか、多分とか、適当な事ばっかり」


 憤慨するアミーを制して、俺達がやってきた方を銃口で指し示す。


「根拠はある。さっき、あそこにいなかった」

「話にならないわね」


 アミーは立ち止まり、腕組みして仁王立ちの構えだ。納得出来なければ動かないか、下手をすれば本当に戻ってしまいかねない。


「めんどくせえな」


 ぽつりとこぼし、言葉をまとめる。どちらが追ってくるにしても厄介なのだ。ここでは、ビルの影に隠れて、という事も出来ない。後ろが騒いでいる内に進んでおきたいというのに。


「ここはそこかしこが部屋になってる。通常種は、ロックの切れ目から出てくんだよ」

「通常種……は?」

「そう。やばそうなのは別で隔離されてる」

「でも、さっき」

「さっきのは通常種が後から変異したやつだ。隔離されてんのとは違う」


 アミーの言葉の上から説明を重ね、「ここからが本題」と続ける。質問タイムは無しだ。


「変異が始まると、ある程度まではあっという間だ。あんたは汚染とか言ってくれたけどな」

「ねえ、話が見えないんだけど」

「ここで色々やってたやつらは、変異種を隔離したつもりで育てちまってたんだよ」

「でもそれ、あっちから来ない根拠にはならないでしょ」

「聞けって。部屋で育ったそういうヤツは大抵、縄張り意識みたいなもんがある。だから、ほいほい寄っていかなきゃまず大丈夫だ」

「本当に?」

「寄って行かなきゃ、な」


 これが、上の街がぎりぎりで平和を享受出来ている理由の一つでもある。そして、縄張りを守っているであろう某かのいるかもしれない方角へ、俺達は走っていかなくてはならない。

 後ろから、通常種の群れか組織の黒ずくめか、どちらかが迫ってくるタイムリミット付きだ。


「本当におしゃべりしてる暇はねえんだよ」


 言葉に怒気を込め、再び走り出す。渋々と言った体で付いてくるアミーに、溜め息を一つ。


「……止まれ」

「命令しないで」


 しばらく走ったところで空気が変わった。難色を示しながらもアミーが足を止めたのは、それを感じ取ったからだろう。左前方のドアが開いている。中から漂う空気は、敵意と殺意、そして好奇心に満ちていた。


「ちょっと下がってな。一応、後ろも見ててくれ」

「……気をつけて」

「へえ。心配してもらえるとは思わなかったな」

「ちがっ……こんなところで死なれたら面倒なだけよ」

「そういう事にしとこうか」


 ドアの奥から響き渡る咆哮が、無遠慮に下っ腹を突き上げてくる。未だ動かぬ左腕に奥歯を噛んで、右手の銃を構え直した。


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