第10章 するめ男の真の動機とはいったいなんだ?

 橘は思いのほか、足が速かった。俺も必死で追ったがなかなか差は詰まらない。橘は上履きのまま外に飛び出し、そのまま校舎裏に逃げる。俺が追いついたとき、まさに学校のまわりを囲っている塀をよじ登って外に逃げようとしているところだった。

 俺は橘の腕をつかみ、引き寄せる。


「離してよ」

 橘は地面に足をつけ、手をふりほどいた。

「これ以上、あたしになんの用よ? 気がすんだでしょう」

 橘は俺を睨む。

「確認したい」

 俺は橘の視線を真っ正面から受け止めて、いった。

「動機だ。おまえいったいなんのためにあんなことをやったんだ? ほんとうに愛子のいうとおりなのか?」

「……なにがいいたいの?」

「おまえの狙いは浅丘先生なんかじゃない。端から俺が狙いなんじゃないかってことさ」

「なんですって?」

 橘は驚いた。俺にはその驚きようがオーバーに思えた。


「俺を浅丘先生を襲った破廉恥男に仕立てることが目的だったんじゃないかっていってるんだ」

「つまり、あれを計画的にやったっていいたいわけ?」

 たしかに馬鹿げている。ほんの一瞬タイミングが狂っただけで失敗する計画。そもそもこっちの動きが読めないことには仕掛けることさえできない。

「あり得なさそうな話だが、可能だ」

 俺はいい切った。


「おまえは今朝、盗聴器を仕掛けたんだ。社会科準備室と浅丘先生の体に。きのう、あんなファックスを送ったんだから、きょう呼び出しメールを送った段階で、先生が俺たちに連絡することを読んでいた。そして盗聴器でその内容を聞く。それを逆に利用することを思い立った。さいわいおまえは俺と似たような体格をしている。顔さえ映らなきゃ、偽物になりうるからな。もちろん、俺が社会科準備室を見張っていたとき、アフロの男にけんかを売られたのは偶然じゃない。あいつはグルだ。本当はもっと長い時間、足止めしているはずだったが、あいつは弱すぎた。その結果、時間的にかなりきわどいことになった。一歩間違うと、俺と鉢合わせするくらいのぎりぎりのタイミングにな」

「なにをいってるの?」

 そういう橘の顔には、動揺の色が浮かんでいる。


「そう考えると、もちろんおまえが部屋に入る前に、浅丘先生が悲鳴を上げたのも偶然じゃなくなる。なにか脅かす仕掛けをしておいたんだろうな。なに、たいしたものじゃなくてもいいのさ。愛子もいったが、あのとき浅丘先生はちょっとしたことで悲鳴を上げる状態だった。愛子がいったようなことを偶然じゃなくて故意に起こしただけだ。リモコンでも使ってなにかを落としたり、それこそお化け屋敷式の驚かす簡単な仕掛けをな」

「馬鹿馬鹿しい」

「おまえはこずえが愛子と仲がいいことを利用して、わざと浅丘先生を怪しい男がストーキングしているという噂を流した。もちろんそのためにじっさいに盗聴器を仕掛けたり、尾行や張り込みまでした。するめまで持ち出したのは、より魅力的な謎を作るためだ。それもこれもぜんぶ愛子を釣るためだ。あいつなら自分から関わってくるのは目に見えるようだからな」

「なんのために、あたしがそんなめんどくさい……」

「だから俺を嵌めるためだ。俺を愛子から引き離すためだ。おまえの狙いは最初から愛子だ」

「なぜあたしがそんなことを?」


 橘はもう動揺していない。いや、少なくとも表には表していない。表情は凍り付き、人形のような顔で聞いた。 俺はあたりを見回し、誰もいないことを確認してからいう。

「おまえが『神の会』のメンバーだからだ。おまえたちは王国の左翼グループをそそのかし、クーデターをねらっている。おまえたちの最終的な狙いがなんなのかは知らないが、とりあえず、王国の王制を打破しようとしているのはわかっている。そのために、愛……いや、サルを利用しようとしているんだ」

 橘はなにもいわずに無表情のまま聞き流した。


「メンバーはおまえだけじゃない。まず如月。こいつが俺たちにちょっかい出したのは偶然だった。やつは個人的な理由で五月を襲った。俺たちはその巻き添えを食っただけだ。しかしその結果、やつは愛子が『神の会』にとって標的のひとつ、サル王女ではないのかと疑った。そこで仕掛けられたのが、裏カジノの勝負だ。メンバーの百合子を使って、サルを勝負に引きずり込んだ。そしてメンバーの玉城を使い、サルに大きな借金を負わせ、いいように操ろうとしたが失敗した。しかしその結果、愛子がサルであると確信した。そこで今回の仕掛けだ。単純な暴力とギャンブルで失敗したおまえたちは、今度は罠を張り、俺をねらった。将を射んと欲すればまず馬を射よだ。違うか?」

 俺は確信していた。最初は浅丘先生が『神の会』のメンバーで、自作自演で俺を陥れようとしているのかと誤解したが、こいつこそがメンバーだ。


「あなたがそちら側のカードをさらしたことに敬意を払っていうわ。その通りよ」

 橘は氷のような表情のまま、認めた。如月も玉城も百合子も認めなかった事実を。

「おまえたちはなにがしたいんだ?」

「まずは王制などという過去の遺物の打破」

「なに?」

「続いて資本主義というすべての争いの元を消滅させ、国境という概念を消し去る」

 なにをいってるんだ、こいつは?

「そして最後には民主主義を捨て去り、真のエリート集団である『神の会』が自由で平和で平等な世界を築き上げ、永遠に管理する」

「本気でいっているのか、そんなこと?」

「冗談でそんなことやれるはずないじゃないの。もちろん本気よ。いい? なぜ世界中から戦争がなくならないの? それは異なる宗教があるから。あるいは異なるイデオロギーがあるから。そしてなにより複数の国家があり、それぞれが自国のことばかりを考えているからよ。もしそれらがなくなれば世界はひとつになって平等で平和な世の中になるのよ」

 それは理想。いや、夢想だ。


「そのためには絶対的に正しいものが、おろかな大衆を絶対的に支配する必要がある。そのためには民主主義ではだめなのよ。大衆に真の指導者を選ぶ力なんてないんだもの。それこそ神のごとき絶対的に正しく強いものが民主主義を超越した状態でリーダーになり、大衆を正しく導く必要がある。つまり、独裁政治こそが世界の最終形態になるの。問題は誰が独裁者になるかだわ。愚かなものが独裁者になればどうなるかは、歴史が証明している。ヒトラー、スターリン、毛沢東。みんな失敗したわ。だからこそ『神の会』が神に成り代わるのよ。世界を最終形態に導くために。あなた知っていた? 資本主義や民主主義というのは理想の社会でもなんでもない。たんに進化の途中形態に過ぎないってことを。かといって共産主義が理想ってわけでもないわ。最終的にたどり着く理想の社会というのは、ひとりの絶対的に正しい神が人類を平等で平和な状態で統治すること。だからこそキリスト教やイスラム教のように絶対神をたたえる宗教が世界中にはびこっているのよ。そして信仰心の深い人ほど、自分の信じる神にはすべてを投げ打ち、そのこと自体に幸福を覚えてしまう」

 橘は夢見る乙女のように微笑んだ。


「でもいきなりそんな神のごとき人が現れてもうまくいかないでしょうね。だってそれはある意味、平和と平等と引き替えに神に絶対服従を誓うこと。世の中、信仰心の深い人ばっかりじゃないわ。世界中が反発するに決まってる。だから『神』を受け入れるための準備をしなくてはいけない。世界中の人々が『神に服従する自由』を選択するようにし向けなければならない。そのための第一歩として世界の強国をまず支配する必要があるの。アメリカ、中国、ロシア、フランス、ドイツ、イギリス、日本、そしてサンリゾート王国。これらの国をコントロールすれば、『世界の世論』を操れるようになるわ。神に服従することが正義であり、幸せであるという世論を。その後、わたしたちは世界に再来した『神』を作り出す。そして『神の命令』において国家と宗教をひとつに統一する。そうすれば世界はひとつになれる」

 つまり世界はひとつの国家になるべきで、その指導者である『神』選びは大衆になど任せておけないから、『神の会』で決めてやる。おまえらはそれを信仰していれば幸せになれるんだ。といいたいらしい。

 人はそれを世界征服という。


 そしてサルにちょっかいを出すのは、その第一歩であることのひとつ、サンリゾート王国の支配に利用できると考えているんだろう。

 橘は今自分がいったことを少しも疑ってなどいない顔をしている。

「まあ、いいさ。好きなだけ理想を語れよ。俺にはカルト宗教の教義なんかわからなくたっていい。だが現実的なことでわからないことがひとつある。如月、百合子、それにおまえ。どうしてたまたま転校してきたこの学校に、おまえたちの関係者がこんなにたくさんいるんだ?」

「あはははははは。まだわからないの。たまたまこの学校だけじゃないのよ。だってそうでしょう、『神の会』の思想に共鳴する若者がこの学校に限定されるわけがないじゃない?」

「なんだって? まさか……」

 つまりこの学園に限らず、こいつらのメンバーはそこら中の学校にもいるっていうのか?

 考えがたいが、ある意味、偶然こいつらの巣窟になっている学校に転校してしまったということよりも信じられるかもしれない。

 こいつらは誰にも気づかれずに日本中、いや我が王国を含め世界中に見知らぬ顔で潜伏しているとでもいうのか?


「嘘だ。貴様らは狂っている。そんなことは夢に過ぎない。絶対に不可能だ」

「あら、そんなことあなたが心配する必要はないわ」

 橘はそういって、ぽんと俺の肩を軽くたたいた。

 次の瞬間、体中に衝撃が走る。スタンガンだ。掌に隠し持っていたらしい。

 俺は意識こそ失わなかったが、体中が麻痺し、立っていることができなかった。

 地面に崩れ落ちた俺に向かって、橘は話を続ける。


「だって、あなたは今ここで死ぬんですもの」

 橘はスカートの中からナイフを取り出す。刃渡りの長い軍用ナイフだ。

「こういう予定じゃなかったけど仕方ないわ。あなたたちが悪いのよ。すべて見抜くから。それにわたしたちのことをカルト宗教だという人は許せないの」

 橘は笑った。口元だけをゆがめて。

 そして逆手に持ったナイフを振りかざす。俺は逃げようにも指先一本動かせなかった。

 俺はここで死ぬのか?

 そう思わざるを得ない、絶体絶命の状態だ。

 だめだ。サルを守らなくちゃならない。こいつらのことをユマに報告しなくちゃんならない。

 だがそれでも体は動かない。声すら出なかった。


 橘が渾身の力でナイフを俺の胸に振り下ろそうとしたとき、ひゅん、と風がなった。

 ばきん、という音とともに橘の体がくの字に折れ、はじけ飛ぶ。

 橘は叫び声さえ上げられずに、地面に崩れ落ちた。

 代わりに俺の前に立っていたのは五月だった。五月は木刀を両手に持ち、体ごと体当たりの要領で切っ先を橘の脇腹にぶち当てたらしい。

 どうやら俺のことを心配してあとを追ったらしいが、はっきりいって助かった。


「だいじょうぶか、影麻呂?」

 悲鳴に近い五月の声が耳に響く。

 覗き込む五月の顔は今まで見たことのない表情をしていた。まるで大切なものが壊れたときのような絶望的な顔。

 馬鹿。俺はどこにも行かないよ。

 安心したせいか、俺はそのまま意識を失った。

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