第06話:猫はお茶なんて飲みません!

 夏梅とスーは、二人でマンションへと帰宅した。


 スーをリビングに案内した夏梅は、部屋の奥から毛布やペット用の哺乳瓶を持ってきた。


 手持ち無沙汰でウロウロとしているスーを無視して、手際よく子猫にミルクを与えていく。


 排泄の介助を済ませ、子猫が眠りについたところで、夏梅は肩の力を抜くように大きく息を吐いた。


「明日には病院に連れてって、お医者さんに診てもらおう」

「どうして」

「ルナちゃんを助けた時に、残ってた道具を押し入れから引っ張り出してきたんだよ」

「そうじゃなくて!」


 満足げな顔でお茶を用意する夏梅とは対照的に、スーは納得いかないという表情を浮かべて立っていた。


「逆に質問なんだけど、どうして人間を憎んでいるの?」


 夏梅に座るのを勧められ、スーは警戒しながらも正座をする。


「人間は、私たちを玩具としか見ていない。だから不良品は処分する。憎まない理由がないです」


 言いながら、スーはピンと立った右耳を撫でる。対称的に、左耳は半分折れているのが特徴的だ。


「……まさか、スーちゃんも」

「捨てられましたよ。他のみんなは両耳が折れているのに、私だけが片方。だから不良品だと、山の奥に置き去りですよ」


 鼻で笑いながらも、陰鬱な表情を浮かべてスーが語る。


 人間の身勝手さに怒りを覚えた。そういった感情が芽生えていることは夏梅にも伺えた。


「……君が、この闘いでかけている願いはなんだい?」


 夏梅は、ふと思い出したことを、聞くべきか悩む前に口に出していた。


 少女は深く息を吐く。


「私に願いなんてありません。私は生きたかった……それだけです」

「……どういうこと?」

「簡単な話です。捨てられて――生きていられなかった」


 その言葉で、夏梅はすべてを悟った。


「私はすでに一度、猫の生を終えました」



◆■◆



 見えるのは暗い世界。感じるのは冷たい風と土。


 聞こえてくるのは止まりかけの心臓音。


 ――死ぬ。


 猫は生まれた幸福を味わうこともなく、目の前の死を睨み続けた。


 そこに、足音が一つ。


「死ぬ前に問おう。君の願いはなんだい?」


 ――誰?


「女神だ。君の願いのため、手を差し伸べよう」


 ――願い……?


「願いというのは、いま君が思っていること、したいことだ」


 ――思っていること、したいこと……。


 ――そんなの、決まっている。






 ――人間が憎い。


 ――人間を殺す。



◆■◆



「人間を殺すために、勝利し生きる。強いて言えば、願いはそれですね」


 静かに、冷たく、スーは続ける。


「周りと少しだけ違うから。そんな理由で、不良品だと捨てるんです。簡単ですよね、人間と違って、いなくなっても誰も気づかないんですから。いい迷惑ですよ。勝手に作って、勝手に捨てて、この世に生まれて息までしてるのに、強い力で簡単に握りつぶすんです。怖いです卑怯です許せないです。なにもかも、誰もが消えてしまえばいい。あんなやつらこそ、この世界の不良品なんだ」


 徐々に熱を帯びていく言葉が夏梅の鼓膜を焼いていく。


 しかし、夏梅は異様な違和感を感じていた。


 ――この子の言葉は、どこか本物らしくない。


 否、真意を伝えていないというべきか。どことなく本音らしくない言い回しであると感じていた。


 ――彼女の気持ちを知りたい。


 夏梅はポケットからスマートフォンを取り出す。画面が光ったせいか、スーの耳がピクリと反応した。


「なんですか、それ」

「写真だよ」


 夏梅が画面をスーへと向ける。そこに映し出されていたのは、幼い夏梅と、彼に抱きかかえられた三毛猫だった。


「名前はタマ。僕が小さい頃から実家にいた猫だったんだ。親が動物好きで他にもいろいろ飼ってたんだけど、僕と仲良くなってくれたのはタマだけだったな」


 夏梅の言葉を、スーは画面を見ながら聞き続ける。


「こっちに一人暮らしすることになったときも、タマは全然離れてくれなくて、結局一緒に住むことにしたんだ」

「……この子は」

「残念だけど、ちょっと前に亡くなっちゃってね。二十年も生きたから、大往生だとは思うけどね」


 遠い目をした夏梅を、スーは見逃さなかった。少しだけ警戒心が解かれたのか、パーカーの中から出てた尻尾が揺らめく。


「スーちゃんなら、タマがどんな気持ちで写っているのか、分かるんじゃない?」


 スーはじっと写真を見つめて、一度だけゆっくりと瞬きをすると、ふっと息を漏らした。


「すごく、暑苦しそうな表情です」

「ありゃ」


 見せる写真が悪かったかと、夏梅は他の写真を探し出す。


 その時、スーが夏梅を見つめていたことには気づかなかった。


 スーが空気を改めるように、咳を一つする。


「結局、何が言いたいんですか?」

「うーん、なんだっけ、言いたいことはいろいろあったんだけどね」


 夏梅は誤魔化すように笑う。


「ただ、この写真が幸せそうに見えたなら……」


 一度写真に視線を落とし、それからスーを見つめて、


「君のみたものだけが人間じゃない、それを知ってほしい」

「……」

「君の知らない、いい人間だっているはずだよ」

「それは……」


 スーが何か言い返そうと口を開くが、すぐに閉じられた。


 二人の視線が交わる。どちらも逸らそうとはせず、時計の針が進む音だけが聞こえてくる。


 しばらくして、スーが視線を落とした。


「私はもう失礼します」


 逃げるようにスーが立ち上がった瞬間、


「いぎっ!?」


 少女のものとは思えない声と共に、青色の目が見開かれた。


 同時に、小さな身体が倒れそうになる。


「あぶなっ!」


 夏梅が慌てて立ち上がり、テーブルを飛び越えた。


 大きな音を立てながら、二人そろって倒れる。


「いてて……スーちゃん大丈――」

「動かないでください!」


 スーが大声を上げた。その口が夏梅の視界に大きくあった。


 夏梅が仰向けで下敷きとなり、その上にスーが跨っている状態である。


 怪我はないようだが、お互いの顔が至近距離にあるにも関わらず、スーは一向に動かない。


「ど、どうしたの」

「あ、あ、足が……」


 夏梅が「あー」と、納得がいったような声を上げる。


 話の間、スーはずっと正座をしていた。きっと慣れていなかったのだろう。足が痺れてしまったのだ。


「くっ……こんな、やはり人間は汚い……」

「いやいや、それは人間とか関係ないから!」


 涙を浮かべ悔しそうにしているスーに、夏梅が顔をそむけながら突っ込む。


 そんな中、勢いよくリビングのドアが開かれた。


「夏梅~って、にゃあああ!?」

「おやおや」


 最初に入ってきて声を上げたのはルナだ。続いて女神がリビングをみて、わずかな笑みを浮かべる。


「いや、ルナちゃん、これは違うよ!」


「何が違うのよ! どう見てもスーちゃんが夏梅を襲ってるじゃない! この泥棒猫! 夏梅を見つけたのはルナなんだから!」


 夏梅の言葉も聞かず、ルナが声を荒げる。


「こうなったら、ここで決着をつけるわ!」


 ルナが叫んだ途端、世界が青色へと豹変した。


「さぁ、ルナにその首を――」

「ぅ~~~~!」


 スーが声にならない悲鳴を上げながら、夏梅の横を殴りつけた。


 怪力が床を突き破る。それは部屋だけでなくマンション全体に響き渡り、割れ目を形成していく。


「ま、また部屋がっ!?」


 夏梅が叫ぶより早く、その体を浮遊感が襲った。前回と同様にマンションが崩壊したのだ。


「夏梅、女神様!」


 ルナが叫んで、動きのとれない女神を抱え上げる。が、夏梅にまで手が届かない。


「夏――」


 声が、崩壊する音によって掻き消された。

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