第七話 結局のところ、言いたいことは一つだけ


 アルバートの言葉に、オリガ以外の人間達が一様に目を見張った。当たり前だ。これから勇者に渡そうとしていた薬が、よりにもよって魔王の為に使われるのだと明らかになってしまったのだから。


「そ、そんな馬鹿げた話があるか!! どうして、どうして魔王なんかを我々人間が助けなければならない!? 魔王は人間の命を好き勝手に奪って、大切な街やものを壊していく外道じゃないか!」

「魔族は、魔王は人間の敵だ……助ける必要なんか無い!」

「我が主は争いを好まぬ性格ゆえ、人間に危害を加えることはあり得ぬ。薬さえ渡して頂ければ、儂はこのまますぐに魔界へ戻り、人間界へは二度と来ぬと約束しよう」

「魔王の手下が言うことなど、信用出来るものか!!」


 喚き立てる人間達を前にしても、アルバートは冷静だった。……否、あくまでもそれは表面を取り繕っているだけに過ぎない。剣は降ろされているが、柄を握る手は震えている。怒りを必死に堪えているのだろう。

 当たり前だ、自分の主を悪く言われて平気でいられる家臣がどこにいる。彼らの絆は、そんなに薄情な代物ではない。それはオリガも同じだった。

 何も言わない勇者にも、非難の言葉は容赦なく飛んでくる。


「勇者さま……どうして、魔族なんかと一緒に居るのですか!?」

「勇者が魔王を救うだなんて、嘘ですよね? 嘘だって言ってください!」

「オリガ殿……どうして……」


 兵士達に混じって、サンティが困惑を隠せない表情でオリガを見つめてくる。もはや、薬が貰えるかどうかという話ではなかった。

 このままでは人間達とアルバートの戦いは避けられない。否、きっとオリガだって巻き込まれる。


「……魔族の男を葬り、オリガ殿を捕らえよ」

「父上!?」

「その男は魔法が使える。ならば、オリガ殿も魔法で操られているのかもしれない。オリガ殿は我々人間の希望なのじゃ、失うわけにはいかない」

「儂は争うつもりはない。しかし、そなた達が剣を向けて来るつもりなら、相応の抵抗はさせて貰うぞ」


 こちらも主の命がかかっておるのでな。懐から取り出した月の石を噛んで、アルバートが剣を構える。所持している月の石はもうそんなに残っていない。アルバートは強いが、魔力が底をついたら狼になってしまう。そうなれば、魔法も使えなくなり魔界へ戻ることすら出来なくなる。


 そんなことになったら、ジルは死んでしまう。


 でも、魔王を勇者が助けるだなんて許されるのか。


 ……許される?


「……誰に」


 オリガの口から、声が零れる。ジルと、勇者の役目。譲れない二つを、それぞれの皿に乗せた天秤がぐらぐらと揺れている。



 ――そう、



「誰に……ううん、誰かの許しなんかいらねぇえええええええ!!」

「ひぃ!?」


 突如、獣のごとく吼えるオリガ。人間達のざわめきが、大波に攫われたかのように掻き消される。ちなみに、情けない悲鳴を上げたのはアルバートだ。

 たった今まで血管が破れんばかりに握り締めていた剣を落とし、代わりに両耳を押さえて呻いている。


「お、おい勇者……いきなり大きな声を出すでない。狼はそなた達人間の何十倍も耳が良いのだぞ」

「うっさいうっさい! エロ狼オッサンはちょっと黙ってて!!」

「お、オリガ殿、どうされたのじゃ?」

「どうされたって……? 知りたい? 良い度胸ね、教えてあげるわ」


 戦意喪失したアルバートは放置することにして。オリガがキッ、と国王達――王子とか、兵士とか色々――を睨み付ける。

 相当凄い剣幕だったのだろう、人間達が魔法を見た時よりも顔を青くして怯えている。


「あんた達……ジルの、何を知っているの!? 確かに、昔の魔王は人間界を侵略して争いを起こしたわ。でもねぇ、ジルは違うの! ジルは魔王だけど隙あれば寝てるし、人間の命を奪うどころかあたしをお姫様抱っこしてくれたんだから!」

「お、お姫様抱っこ?」

「しかも、二回」

「二回」

「何より、超絶イケメンなんだから!! 知らないでしょ、ジルってば髪の毛さらさらで腰まで長いのに枝毛なんか一本もないのよ! あと、肌もすべすべしてるし、いっつも良い匂いするし、イケボだし!」


 それに! オリガの叫びは止まらなかった。当たり前だ。堰を切った思いを堪えられる程、オリガは出来た人間じゃない。

 ただ、勇者という役目を押し付けられただけ。十七歳の女の子に過ぎない。


 だから、オリガはもう迷わなかった。天秤にかける必要だって、最初からなかった。


「それに、ジルはあたしのことを何度も助けてくれた。火傷でミイラになった時も、一晩中傍に居てくれた。ドラゴンに襲われそうになった時も、武器もないのに庇おうとしてくれた……勇者のあたしに、そこまでするお人好しが……人間界に侵略してくるわけないじゃない!」


 もう決めた。だから、迷う必要なんかない。オリガにとって、ジルはかけがえのない存在なのだ。最初は結構なミーハー心で彼を見ていた。でも、いつしかそれだけではなくなっていた。

 意地悪なところもあるけれど、優しくて。だらけているかと思いきや、魔族に危険が迫れば自ら武器を取って戦場に出る。それでいてどことなく危なげで、放っておけない。


 すぐにとは言わない。いつかで良いから、彼の隣に並びたい。


 だから今、ジルを死なせるわけにはいかない!! オリガは自らの剣を抜き放ち、人間達に向かって構えた。


「どうしても渡さないって言うのなら、力づくのゴリ押しで行くわ! オッサン! 月の石、食べ過ぎないでよね。あんたが魔法使ってくれないと、ジルの元に帰れないんだから!」

「は? わ、わかった」

「なっ!? 勇者が国王に剣を向けるだと!」

「は、反逆だああぁ!! 勇者様が、国王陛下に逆らうだなんて!?」

「お、オリガ殿! 落ち着いてください!」

「うっさい、新種のイモ!」

「新種のイモ!? そんなことを言われたの初めてです!」


 まさに前代未聞の事態だった。勇者が人間に反旗を翻したことなど、どの歴史にも存在しない。でも、もう後戻りは出来ないし、するつもりもない。


 決めたのだ。今度は、自分がジルを護る番だと!


「……オリガ殿。一度だけ、猶予をやろう。今すぐ剣を下ろすのじゃ。さもなくば、我々はお主をそこの魔族同様に敵と見なければならなくなる」

「上等じゃない! ジルの敵なら、人間だって容赦しないんだから! 文句があるならグズグズ言ってないで、かかってきなさい」

「勇者オリガ、その剣は人間を魔族の脅威を撃ち滅ぼす為の刃じゃ。剣を下ろさぬつもりなら、もうお主を勇者だとは認めない」

「ジルを……いや、オッサンや他の魔族達を傷つける為だけの力なら、もう要らない! 何なら自分から捨ててやるわよ!!」


 そうだ、勇者だからうるさく言われるのなら。オリガは勇者の剣を高く上げて、天井に覆われた空に向かって叫んだ。


「おいコラー! 人に勇者の剣を押し付けるだけ押し付けておいて、何もしない放任主義な神さま!! あたしは、オリガ・ヒラソルは! 今この瞬間をもって勇者の権利を完全に放棄するわ! こんな地味な剣、後で底無し沼とかに捨ててやるんだから! それが嫌なら、今すぐこの剣を別の誰かに渡せばいいじゃない! でもね、新しい勇者がジルを討ちに来たとしても、あたしがあいつを護るんだから!」


 だって、もう決めたのだから。この気持ちは今も、これからも、何があろうと変わらない。

 否、多分……変えられない。


「あたしは、ジルのことが好きなの! 魔界の皆が大好きなの! だから、勇者は魔王を倒さなければならないと言うのなら、あたしは勇者を辞める! それで、あいつを幸せにする!! その為なら、何でもする! 王さまや神さまに許されなくても構わない、身勝手だと言いたければ言えば良い。何と言われようと、ジルが魔王だろうと、関係無い! あたしは、ジルのお嫁さんになるんだから!!」


 滅茶苦茶だった。恥ずかしいし、悔しいし、腹立たしい。そんな全く整理出来ていない感情を、まとめて天に居るらしい神さまにぶつけてやった。剣を取り上げるならばやれば良い、雷を落としたければ落とせば良い。

 でも、人間にとって神さまは残酷なまでに遠い存在だった。どんなに願っても、祈っても届かない。それでいて、人間達を一人残らず見守っているかのように振る舞う。居るのか、居ないのかわからない。だからこそ……否、たとえ目の前に神さまが居たとしても構わなかった。

 魔王でも、ジルが好き。それは、それだけは何があっても絶対に変わらない。喉が裂けんばかりに、鉄臭ささえ感じながら、オリガは叫び続けた。そして、奇跡は起こった。


 まさか彼女の叫びが、。むしろ誰が想像出来たと言うのか。

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