得ることは失うこと、失うことは得ることだ

 魔法少女とはプラスする物語だとどこかで聞いたことがあります。
 マイナスからプラスを足してゼロに還っていく物語だとも。

 ネガティブ思考の魔法少女ネガティブフラワー(山潟花紗里)、その目撃者としての主人公「南ヶ川由」。

 そんなボーイミーツガールから物語ははじまります。
 邪道魔法少女もすっかり定着しましたが、そう言ってしまうには素直過ぎるほど素直、王道過ぎて少しだけ脇道に逸れて転んでしまった、そういった趣があります。
 戦い自体に情熱はなく、無機質にシステマティックに組み上げられた魔法少女と敵(バッド)との戦いも舞台装置のように営まれるだけのように。

 舞台で舞い踊るバレリーナと見守り続けることしか出来ない観客、無力でした。劇的な悲劇はなく、ただ物語を続けるために物語は続く。
 感情の閾値がプラスにぶれても、ゼロ未満に戻してしまう。悲観的=ネガティブと言うのは彼女の心そのもの、力の源でした。

 どうしてだろう、花紗里ちゃんを抱きしめてあげてほしいと思います。
 だけど、そこから先を読みたくないと思うのも読者のエゴであり、ある登場人物のエゴでもあります。
 
 生まれた瞬間に人間はゼロしか持ちません。
 プラスはもちろん、マイナスもまた獲得して生きていくのです。
 だから、負債としか思えない思い出も、それ以外も立派な財産であり手放したいと願ってしまうこと、そんなネガティブな思考を責めたくはない。
 
 物語はゼロに還り、そこからプラスに踏み出すところで終わっています。それだけなのに、喪失感を感じて、泣きたくなってしまうのですよ。
 痛みを感じさせる、喪失なき喪失感、そんな物語を今まで読んだことがありませんでした。
 劇的さがないゆえに少年少女は泣きたくなる。少年少女、すべての人々にこの綺麗な喪失感とかすかな希望は届くのだと信じています。
 完結、おめでとうございます!
 

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