第8話 潜伏
「カインさん、お体のほうはもうよろしいのですか?」
「なんとかな」
下層での一件から数日後、カインは例の創生旅団のアジトに召集されていた。
普通に生活していればまず訪れることのないだろう路地裏の奥の奥に構える飲食店の更に一番奥のテーブルに、カインとミーリルとフリージアの三人が座っていた。
「他のノーマルキャラ達も運営によって復元されたようです。活動に支障はありません」
「ソースプログラムを破損させるほどの一撃か。滅茶苦茶だな」
さしものフリージアも呆れたように嘆息していた。
あのとき、カインは本当の破滅を目撃した。地が大気が、プログラムそのものが絶叫し崩壊していく様を目の当たりにした。
はっきり言って……あのスキルに対抗する手段はないだろう。
「……フリージアさん、あんなスキルに……俺達は勝てるんですか?」
フリージアは腕を組みなおしてカインを見返してきた。
「それも含めて今後の作戦を考えるためにお前をここに呼んだんだ。あの戦闘に参加した者の中で唯一の生存者だからな」
「……生存者なんて立派なもんじゃないですよ。俺はただ物陰に隠れてただけです」
惨めさに拳を握りしめるカイン。だがミーリルは意外そうに眼を丸くした。
「あなたが戦闘に参加しなかったことを我々は非常に高く評価していたのですが……」
「評価?」
いったい何を評価されたのかカインには分からなかった。カインにしてみればノーマルキャラクター達が死を恐れず果敢に立ち向かう中、ラティに姿を見られたくないなどという益体もない感傷に浸って一人隠れ続けてただけだ。
「下層での一件は我々の想定外のものでした。確かに貴重なデータを取れましたが、大きなリスクもありました」
「リスク……こっちの戦力が割れるってことか?」
「その通りです。まさに私たちにとって死活問題です。結果的に戦闘に参加したキャラクターはノーマルキャラだけで、創生旅団のレアキャラクターは一人も参加していません。こちらの主力になるレアキャラクターの存在を一切騎士団に伝えずに済んだことは非常に大きいです」
「そういう冷静な判断をお前が下したのだと解釈していたが……なるほど、ビビっていただけだったのか」
「う……」
ニヤニヤと笑うフリージアから逃げるように俯く。返す言葉もなかった。
「結果オーライですカインさん。あなたは物陰から戦闘を終始観察していたはずです。そしてバルバトスのスキルを受けても意識があった。誰よりも多くの情報を持っているはずです」
なるほどと納得するカイン。それが今日ここに呼ばれた理由か。
「じゃあ順を追って説明してくれ。覚えている限り、全てだ」
一○分ほどで全てを話し終えた。その間フリージアはじっと話を聞き入り、ミーリルはしきりにメモを取っていた。
「戦闘に参加したキャラクターは、騎士団はスーパーレア四人、レアキャラクター一人。創生旅団はノーマルキャラクターが八七人、レアキャラクター一人ですか」
「俺は省いてくれ」
「形式的なものです。続いて双方の被害規模は――騎士団はスーパーレア二人が重傷。創生旅団は――ノーマルキャラ八七人が戦闘不能……ですね」
……酷い数字だ。単純計算、スーパーレアを一人倒すのに四○人以上の犠牲が出ている。
以前聞いた説明だと、騎士団の十倍の戦力による人海戦術で押しつぶすという話だったが、十倍どころの話じゃない。
カインの不安をよそにフリージアが、ふむ、と鼻を鳴らした。
「悪くないな」
「そうですね」
「は!?」
思わず椅子から腰を浮かせるカイン。何が悪くないというのか。想定の四倍以上の被害が出ているというのに。
「一○○人弱で挑んで二人しか倒せてないんですよ? 大敗北じゃないですか!」
「額面通りに受け止めればそうだが、実際は大きく違う」
「な、何が違うんですか!」
納得できないカインに、ミーリルは取っていたメモをテーブルに置きながら説明した。
「まず、この戦闘は八七人対五人の戦闘ではありません。〝戦闘は二回あった〟と考えるべきです」
「二回……?」
「そう。バルバトスとシンシアとラティが参戦するまでは八七人対二人の戦いだった。そしてその戦闘での生き残り対バルバトスパーティの三人の戦闘……この二つを分けて考えなくてはいけません」
「そう考えると、悪くないデータが浮かび上がってくる。正確な人数は分からないが、お前の話を聞く限り最初の戦闘でざっと五○人は生き残ったようだし、メドヴィエルとラクシュミーはノーマルキャラクターを四○人程度しか倒せなかったということになる」
「二人を倒すために四○人……一人あたり約二○人、か……これは……」
「許容範囲内です。こちらは一人のレアキャラクターも参戦していなかったわけですから、本番ならばここから更に被害が小さくなる見込みが立ちます」
「……確かに数字の上ではつり合いは取れているかもしれないけど、それでもギリギリなんじゃないのか……?」
「もともと楽に勝てる相手ではありません。しかしノーマルキャラだけでスーパーレアを二人倒した……これは明るい結果です」
「ギリギリだなんてのは次の話を聞いてからにしてもらおうかカイン」
フリージアはミーリルがとっていたメモをひったくり、テーブルの上に放り出した。
「ノーマルキャラクター五○人対スーパーレア二人とレアキャラクター一人。創生旅団の損害はノーマルキャラクター全滅。騎士団は全員が無傷。これは問答無用でヤバい数字だ」
フリージアも嘆息交じりで額を抑えた。
「カイン、確認するがバルバトスは決して攻撃を受けなかったわけじゃないんだな?」
「はい。というかメドヴィエルよりもずっと多い頻度でダメージを負っていました」
「とすると、戦法自体は間違ってないはずなんだが」
「単純に火力の問題でしょう。ノーマルキャラクターが出せるダメージがラティの回復速度を大きく下回っていたということになります」
「回復する間もなく一瞬でヒットポイントを吹っ飛ばせればいいんだろうが、あのクソ女のせいでそれも難しい。ちっ……忌々しい」
嫌悪感も露わにフリージアが悪態を吐く。クソ女、とはもちろん深緑のシンシアのことだ。
パーティメンバーのヒットポイントを大幅に上昇させるアビリティスキルもさることながら、あの強力な防御魔法も大きな脅威だ。
「こいつらは別格だ。専用の対策を練る必要がある。問題なのは、騎士団の連中が最適なパーティを構成しだしたらこういう結果になるということだ」
対キャラクター戦闘において有効な戦術を模索しているのは創生旅団だけではない。騎士団もまた当然のように対策を進めているだろう。メドヴィエルとラクシュミーのような即席パーティを相手にすらギリギリの戦いを強いられているようでは先行きなど見えるはずもない。
「今回のアップデートで革命が失敗したら次はない、くらいに考えたほうがいい。日を増す毎にスーパーレアは追加され、騎士団は戦術を編み出していく。そうなればもう手詰まりだろうな。革命が成功するチャンスは、今回一回限りだ」
下層での一件以来、カインもそのことはずっと考えていた。
騎士団の力はこの先もずっと増していくばかりだろう。ミーリルから話を聞いた限りではアップデートの度に革命のチャンスはあると思っていたが、分水嶺はまさに今ということだ。
「あの、そういえばワンダー・ブレイドのダウンロード数が790万を突破したって聞いたんですけど」
暗い話題を逸らすようにカインは切り出した。
始まりの町の食堂はその話題で持ち切りだった。
……だがその意味合いは以前までとは全く違っていた。
次はどんなイベントが始まるのだろう、どんなスーパーレアが追加されるんだろう、もしかしたら自分はアップグレードされるんじゃないか……そんな和やかなお祭りムードは一切なかった。
今や始まりの町にとって、ダウンロード数は決戦までのカウントダウンに過ぎない。
「私の調べた限りでは、あと二、三日もすれば800万ダウンロードを突破するでしょう」
「イベントが始まるのはその二日後ってところだな。つまりあと一週間もしない内に騎士団との決戦が始まるわけだ」
淡々と語るミーリルとフリージア。一方のカインは思わず生唾を呑み込む。
「勝てる……んですよね?」
「データの上では五分って感じだな。如何にしてバルバトスのパーティを攻略するかが鍵になるのは間違いない」
攻略……バルバトスを。本当にそんなことができるのだろうか?
カインの脳裏には、未だにバルバトスのエアロ・シュトロームの残滓がちらついている。正直なところ、あのスキルに適うとは到底思えない。
「下層での戦いでのように、無闇にノーマルキャラクターを仕掛けてもバルバトスのスキルを溜めさせるだけだ。奴のスキルは絶対に発動させてはならない」
「だからといって貴重なレアキャラクターをバルバトスにばかりつぎ込むの得策ではありません。悩みどころですね」
こちらの戦力がどれほどのものなのかカインも知らされていない。
仮に二○○人ほどだと仮定して、バルバトスには五○人がかりで返り討ちにあった。どのような采配を下すかフリージアもミーリルも決めかねているようだ。
「最悪スキルを溜めさせるのは仕方ないとして、そうなると使えないような状況に追い込むしかないんだが……そこはもう戦力の割り振り方しかないな。他のスーパーレアへの対策との兼ね合いになる」
「あの、騎士団のメンバーはどれくらいなんですか? それがわかるだけでもかなり違うと思うんですけど」
現ワンダー・ブレイドに存在するスーパーレアキャラクターは総勢で四○人ほど。もしその数字がそのまま騎士団の勢力規模ならば……ゾッとするものがカインの背筋を這い回る。
「とあるレアキャラクターに騎士団の内情を探ってもらっているが、そいつの情報によると、騎士団メンバーは一○人強らしい」
「じゅ、一○人!?」
素っ頓狂な声をあげてしまう。予想よりも遥かに少ない。もしそれが本当なら……確かに勝機は十分ある。
「もっとも、少し古いデータだからな。今はもう少し増えているかもしれんが」
「だ、誰なんですかそのレアキャラクターって」
「それは、」
フリージアの言葉を遮り、部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。「入れ」とフリージアが声をかけると二人の男女が入室してきた。
「お。お前も来てたのかカイン」
一人はディーンだった。先程のこの部屋の空気とは打って変わって陽気な声で、ディーンはもう一人の来訪者に道を譲った。
ディーンの後ろから現れたのは、一人の黒装束の少女だった。
「遅れてすみませんフリージアさん」
「気にするな、ちょうどお前の話をしていたんだ」
フリージアはそう言って、二人に適当な席にかけるように促した。
「紹介するよカイン。彼女はリリィ。私のパーティメンバーで、今はなしてた優秀な諜報員だ」
リリィと呼ばれた少女はカインを見つけると一礼した。
「初めまして……ですよね、カインさん?」
「あ、ああ。そうだな」
「彼はつい数日前に加わったばかりだ。お前が知らなくても無理はない」
リリィはしげしげとカインを見つめていた。その表情が何を意味しているのかカインには読み取れなかった。
「彼女には騎士団の内情を探ってもらっている。それも相当深いところまでな」
「彼女のデータは非常に役立っています。しかもレアキャラクター。言うことなしですね」
「いえ、私なんてこのくらいしかできませんから……」
「なーに言ってんだよ。マジでリリィはすげえって! 俺が保証する!」
ディーンは軽く背を叩いてリリィを鼓舞した。どこか媚びるような雰囲気すら感じられる。リリィは困ったように苦笑した。
「フリージアさん、依頼されていた資料です」
仕切りなおすようにリリィは数枚の書類をフリージアに手渡した。ざっと流し読みしながら、フリージアはしきりに頷きを繰り返していた。
「相変わらず素晴らしいな。どうやればこんなものを集めてこれるんだ?」
「まあ……これでも暗殺者ですので。闇に紛れるのは得意なんです」
「……騎士団メンバーの数は一五名。――間違いないんだな?」
す、とフリージアの眉が下がる。
「はい。仮に私が確認できなかった者がいたとしても、せいぜい一人。二人以上ということはないでしょう」
「ってことは騎士団は多くても一六人しかいないってことっすね!」
ディーンが喜ぶ傍らで、フリージアとミーリルがそっと目配せするのが見えた。
「上出来だ。これでこちらもかなり作戦が練りやすくなった」
「ありがとうございます」
一五人。これを少ないと捉えるかは議論の余地が残る。カインとしては決して楽観視できる数字とは思えなかった。
「よし。ではこのデータを基に作戦の最終確認を行う。決戦は近い。くれぐれも準備を怠るな」
「はい!」
その場の全員が威勢よく返答する。ミーリルとフリージアは変わらず席に着いたままリリィのデータを穴が開くほど真剣に読み込んでいた。
その二人以外の三人は一緒に店を出て、周囲に人がいないことを確認して路地裏を抜けた。薄暗い路地裏では当たらなかった日光を全身に浴びてディーンが大きく伸びをする。
「リリィ、フリージアさんへの報告も終わったし、この後どこか行かねえか?」
「あ、すみません。私この後行くところがあるので」
誘いをあっさり断られガクッと項垂れるディーン。
「ではお疲れ様でしたディーンさん」
リリィはディーンに軽く会釈したあと、カインの方をじっと見遣った。
「……カインさんも」
「ん? ああ、またな」
挨拶を返した後も、数秒ほどじっとカインのことを見つめていたリリィはやがてカインにもすっと会釈し去っていった。
「カイン」
「なんだ?」
「俺、結構マジでリリィのこと狙ってんだ。……邪魔するなよな」
「するかよ」
ディーンがリリィに気があるのは雰囲気でバレバレだった。わざわざ釘をさすまでもなくカインにはそんな気はない。
「なあ、あの人ってお前と同じパーティなんだよな?」
「ああ。それがどうした?」
「どういう人なんだ?」
ほんの好奇心の延長でカインは尋ねた。
フリージアのパーティメンバーは、フリージア、ミーリル、ディーン、リリィ、ということになる。創生旅団の中でも主力が揃うパーティだ。その中でリリィの存在だけを今日まで全く知らなかった。
んー、とディーンは視線を上にあげて考え込んだ。
「やっぱなんといっても可愛いよな」
どこが好きか、を訊いたつもりはなかったが、カインはとりあえず黙っておいた。
「あと優しい。他のノーマルキャラともすげえ仲いいみたいだし、結構慕われてるな」
「? 他の旅団員と会ってるのか?」
可能な限り他の旅団員との接触は避けるように、とミーリルからの指示を受けていたカインには意外な話だった。
「いや、創生旅団に入る前からそんな感じだったらしい。純粋に友人が多いみたいだ」
「へー」
レアリティの垣根を全く意識しないタイプなのだろう。
「創生旅団にはかなり初期の段階から入ってたな。俺とほとんど同じくらいの時期だと思う。……俺が言うのもなんだけど、リリィって典型的な外れキャラだから」
「……まあ、暗殺者なんてもう使うプレイヤーいないよな」
「でもその職業のおかげで騎士団を滅茶苦茶調べてくれるし、フリージアさんもかなり信頼してるっぽいな」
まあ騎士団の情報など普通は手に入るものじゃない。創生旅団には喉から手が出るほど欲しいに違いない。創生旅団へのリリィの貢献は計り知れない。
「まあ要約するとすげえいい子ってことか?」
「そうそう。あと可愛い。真面目だし」
「はいはい」
苦笑しながら歩き出すカイン。二人はその後久しぶりに昼食を一緒に摂り、そこでもカインはディーンの惚気を長時間聞かされる羽目になった。
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