目が覚めると、ハルは自分が古い夢を見ていたことに気づいた。

 ゆっくりと起きあがって、ぼんやりとする。夢と現実の境界がうまく体に馴じんでいなかった。まるで、眠った気がしない。

 それともこれは、夢の続きなんだろうか――?

 ベッドの横にある、カーテンを引いてみた。冬の朝の、まだどこか鈍い陽の光が射しこんで、目の奥の暗闇を照らす。遠くにまで見える家々の屋根は、まだどれも浅い眠りの中にあるようだった。

「…………」

 夢のことを、ハルは考えてみた。

 それは夢というよりも、単なる事実の再現だった。ビデオテープを何度見てもその内容が変わらないのと同じように、その夢の内容はいつも変わることがなかった。

 いつもと同じ時間――

 いつもと同じ場所――

 何も変わらない。

(どうしてだろう――)

 ハルは目を閉じてみる。

(どうして、あの時――)

 けれどその答えも、いつも同じだった。

 ハルは抱えた膝に顔をうずめ、そっとつぶやいてみる。

「わからないよ……」


 天橋市立図書館は、ハルの家から自転車で三十分くらいのところにあった。

 春の季節はもうすぐそことはいえ、空が灰色になって、冬が悪あがきでもするように雪が降ってくることもある。三月になっても空気はまだ冷たく、自転車で切る風は容赦なく肌を刺してきた。

 図書館に着くと、ハルは公園近くの駐輪場に自転車をとめて、中に入った。

 館内に入ると温かい空気が体を包み、かすかな本のにおいが鼻をつく。日曜日の図書館は静かで、まだ人影も少なかった。

 ガラス張りの壁面からは、水槽の中を照らすように透明な光が射しこんでいる。沈黙が、ひやりとした液体のようにあたりを漂っていた。

 ハルは閲覧コーナーの奥に歩いていって、目的のものを見つけた。イスに座って、持ってきたものをテーブルの上に広げる。

 それは一年近く前の、古い新聞だった。縮刷版にまとめられたその本を、ハルはゆっくりとめくっていく。ページをめくるたびに、古い時間のかさぶたをはがすような、乾いた音が響いた。

 目的の記事は、四月某日づけの新聞に載っていた。

「…………」

 ハルはその記事の文字を、一つ一つ丁寧に拾っていく。

 その日の午後、ある女の子が車に轢かれて死んだ。

 信号もない、見通しの悪い十字路のことである。女の子は学校帰りで、帰宅途中だった。問題の十字路のところで、女の子は走ってきた車にぶつかる。たいしたスピードではなかったが、女の子は地面に転んで頭を打った。

 結局、女の子は打ち所が悪かったせいで、病院につく頃には死んでまってしまっていた。別に、何が悪かったわけではない。ただ運が悪かったとしかいいようのない事故だった。

 その女の子の名前は、結城可奈という。

(やっぱり、そうなんだ――)

 その名前に、ハルは聞き覚えがあった。新学期がはじまった頃、臨時に行われた全校集会で、ハルはその名前を聞いている。

 あの時、全校集会が開かれたのは彼女の事故に関してのためだった。校長先生が壇上から弔意を述べ、冷たい床に生徒たちが座っていたのは、そのためだった。

 そしてハルが思い出したのは、それだけではなかった。

(結城季早……)

 ハルはガラスの壁の向こうにある、透明な光に目をこらしてみる。

 結城季早と結城可奈――

 その二人を結びつけるものは、ハルの中にはなかった。この二人を結びつけて考えなくてはならない理由は、必ずしも存在しない。

 けれど――

 一年のあいだの、いくつかの事件。

 結城季早に出会ったときの、奇妙な印象。

 新聞に書かれていた、古い事故の記事。

 それらを考えると、ハルにはその二人のことが、その父親と娘のことが、何となくわかるような気がした。

 ハルはそっと新聞を閉じ、元に戻す。

 もし過去の時間もそんなふうに、どこかに閉じこめて元に戻すことができたとしたら――

(そうすれば、人は幸せになることができるんだろうか……?)

 けれど、答えが出ることはなかった。

 その答えはハルの中からずっと昔に、すでに失われてしまっているのだ。

 ハルはじっと、形のない光に目をこらしてみる。

 けれどそこに何かが見えることは、やはりなかった。

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