夕闇の刃(三)

 ネクスタが陥落した。

 ハリルの所を訪ねてから四ヶ月と少し。

 いつかは来るだろうと予測されていた事ではあったが、予想以上に早かった。

 ゴブリン四十八体にオーク十七体ほどだったという。以前のネクスタなら数日以上は持ち堪えたはずだが、今のネクスタでは一日さえも耐えられなかったという。

 ネクスタが襲撃を受けた時に私はヘプタ海の方へいて、連絡を受けてから急いで駆け付けたが間に合わなかった。

 ネクスタから少し内地に幾つもの駐屯地が設営され、更なる襲撃を警戒している。私はその真ん中当たりの駐屯地で、連絡があればすぐに出られるように待機している。

 私がヘプタ海の方から一気にここまで駆けてしまったのでレフとは一旦はぐれているが、今日中には合流できるだろう。


「水で構いませんか、勇者様」


 焚火の前で座っていると、ネクスタの自警団の残兵からそう尋ねられた。

 構わない、と私が告げると「よかった、水がダメでもそれ以外には何も出すもんが無かったので」と言って軽く笑った。その顔には疲労の色が強く出ていて、気力と責任感だけで動いているようだった。

 その兵士は天幕の近くから鉄のカップを一つ持ってくる。腰に下げたなめし皮の水筒から水を注いで私に手渡し、隣に座っていいか尋ねてきた。首肯すると彼は、腰を降ろした。


「俺はこの分隊を指揮しているエルヴィン・ヘンシェル。隊長って言っても前任の隊長と副隊長が死んじまったからで、ほんとはまとめ役とか苦手なんですけどね」

「勇者、アルマです」


 エルヴィンの言葉にそう返して、軽く頭を下げる。

 彼は少しきょとんとしてから、小さく笑った。


「その名前は流石に誰でも知っています」


 そう言って彼は革の水筒に口を付けて、水を煽った。私も一口飲む。生温い水だった。


「まさか、勇者様と焚火を囲む日が来るとは思いませんでしたよ」


 土埃に塗れた彼の鉄鎧が火を照り返してぬらぬらと輝いている。


「実は俺、何度も勇者様と会ってるんですよ」

「本当?」


 そう言われて、彼の顔を見直す。疲労や肌の汚れで少し老けて見えるが三十歳手前だろうか。少なくとも、私はその顔に見覚えは無かった。


「って言っても、お声を掛けたことはありませんし、いつも兜を着けているから勇者様は俺の顔なんて知らないと思いますけど」

「ああ、そっか。兜か」


 そうは返したが、例え何度顔を合わせていたとしても覚えてはいなかっただろう。私は積極的に人の顔を覚えることなど、止めてしまっている。いつその人の命を私が使うことになるのか、分からないからだ。


「最初にお見かけしたのは、二年ほど前のあの大規模侵攻の時ですよ。百以上の魔物を次々に倒す勇者様、格好良かったなあ」

「格好良い?」


 それがいつの戦いか思い出せている訳でもなかったが、格好が良いなどと言われたのは意外だった。私はただ勇者として、行うべきを行っているだけだ。


「格好良いです。行くとこ無敵って感じで。勇者様ならあの四大も倒せるんじゃないかな」

「四大?」


 耳慣れない言葉に、思わずそう聞き返す。


「あれ、知りませんか? 人間をここまで追い詰められているのは四大……、ケルベロス、オルトロス、ヒュドラ、……ラードーン、だったかな? そいつらのせいだって伝説。まあ、ともかくそれくらいの安心感があるんですよ。ああ、勇者様が来た。俺は助かるんだってね」


 手の中で鉄のカップを回す。つられて中の水も波紋を立てた。

 エルヴィンの告白が、私には後ろめたかった。


「でも私も……、人の命を使うよ」

「それは神様との約束だ。勇者様のせいじゃない。勇者様がいなきゃあ、もっと魔物に殺されてます。それに、好きでやっているわけじゃない。感謝こそすれ勇者様を恨むなんてお門違いですよ。もし勇者様のことを悪く言う奴がいたら俺が殴ってやりますよ」


 彼は握った拳を私に見せて、にひひと笑った。「まあそんな奴いませんがね」と付け足して、また笑う。

 確かに好きでそうしているわけじゃなかった。

 けれど、前ほど嫌々でもない。以前より魔物の侵攻が激しくなって、血を飲んでいる時間がない時も増えた。聖剣を以って人を斬ることも、今では躊躇いなくできる。


「そういや、お付きの人はどうしたんです?」


 エルヴィンはそう聞いてきた。私とレフが一緒に行動し始めてから二年弱。勇者の付き人として知られ始めている。


「レフ……彼とは一旦分かれて行動してる。彼もそろそろこの辺りに着くと思うけど」

「勇者様の足の速さは無類ですもんね。じゃあ、勇者様も付き人と離れて寂しいってわけだ」

「え?」

「だってあの少年、勇者様の付き人で恋人でしょ?」


 このエルヴィン・ヘンシェルという男、何か勘違いしている節があるようだ。


「彼とは、あなたが思っているような関係じゃない」


 そう否定する。


「でも、付き人と勇者様が抱き合ってるのを見たって聞きましたよ」


 エルヴィンは口角を上げて、意地悪く笑った。あ、あれを見られたのか……。確かにそれは勘違いされても仕方ないけれど。


「でも、本当に違う」

「くくく……、勇者様ってかなり顔に出るタイプなんですね」

「そんなことは……、ない」


 自信を持って言い切れなかったが、自分ではポーカーフェイスな方だと思う。


「顔、真っ赤ですよ」


 エルヴィンはそう言って笑った。

 私は慌てて顔に力を入れて、キリッとした表情を作る。

 それを見て彼はまた笑う。


「でも結構意外だったなー。いっつも見かける勇者様は表情が無いから」


 エルヴィンが何の気無しに放ったその言葉に、はっとした。

 ああ、そうだ。

 勇者として人の命を使う時、悲しい顔も辛い顔もしていないのだ、私は。

 それに何も感じてはいないのだ。


「表情豊かな勇者様も悪くないですよ」

「ああ、うん。ありがと」


 適当に返事を返して、受けた衝撃をぐっと胸の奥にしまった。

 勇者なのだ、私は勇者なのだと、無理に自分を納得させた。


「はあ」


 思わず、ため息が漏れだした。

 エルヴィンは隣でいつだかの襲撃の時の話を喋っていて、私のため息など聞こえていないようだった。片耳に入れるエルヴィンの話は、いつかの私の武勇伝。

 話の中の私は、まさしく勇者だった。


「おい、大丈夫か?」


 エルヴィンの話の途中で、その声が響いた。

 驚いてそちらへ振り向けば、血塗れの兵が抱きかかえられている。

 手から鉄のカップが落ちたのも構わずに、聖剣を掴んで立ち上がり、私はその兵に近付いた。


「勇者さ……、オ……が一体。……の付近で……」


 息も絶え絶えなその兵士は、必死に口をパクパクさせているが、言葉は出てこない。

 しかし、私は状況を理解した。この兵士の言葉と、泡がはじけるその感覚で。

 今一度、その兵士の顔を見る。

 土気色に変わっていく肌、徐々に光を失っていく眼。

 もう、手遅れだろう。

 人の死を見過ぎだ私にははっきりと分かった。


「うん、分かった。もう私に、任せて」


 そう伝えると、その兵士は口角を僅かに上げて。


「あり……が……ます」


 彼の命を無駄にしない方法。それは一つだ。

 私は、すらりと聖剣を抜く。

 そのまま、彼の胸に剣先を当てがい、そして、貫いた。泡がまた一つ、消える。


「魔物が一体、おそらくオーク。私は今から交戦中の哨戒部隊の救援に向かう」


 一気に緊張した面持ちに変わった十二人の兵士達にそう告げる。

 そして返事も聞かないで、走り始めた。

 木々の合間を駆け抜ける。

 交戦している場所は恐らくここから二キロメートル程度。私の脚でなら三分くらいで着くだろう。

 しかし、四人の兵でオーク一体の足止め。間に合うのか。そんな考えがちらりと浮かんだが、頭の隅に追いやって、私は更に強く地面を蹴った。

 そして、直ぐに鈍い音が耳に入った。それは魔物の硬い皮膚に剣や槍をぶつけた時に出る独特な音だ。

 私は音源の方へと近付く。男の気合を入れる声が響いて、そして戦いの様子が目に入った。

 オークの手に持つ棍棒が届かないぎりぎりの場所で四人の兵が取り囲んでいた。隙を見せた方向から剣でオークの目を狙って突いている。

 人間が魔物を討つ時、目を狙う以外には無い。そこだけが普通の剣や槍を以って穿てる場所だ。

 私は聖剣を振り被って跳んだ。

 そして、すれ違いざまにオークの首筋へ一閃。

 着地して振り返ると、首の無いオークが倒れた。

 構えていた兵士たちが、一斉に脱力した。


「ありがとうございます。勇者様」


 恐らくこの隊の隊長であろう兵士にそう言われ、私は軽く頷いた。


「これで魔物の追撃はあるとはっきりした。二人は付近の駐屯地にも知らせてきてくれ。勇者様と我々はとりあえず戻ろう。槍も折れてしまったからな。勇者様、構いませんか」


 分隊長は一通りの支持をして、私に同意を求めてきた。私はそれに首肯した。

 近くの駐屯地への伝令を支持された兵は、それぞれに散っていった。

 若い、顔を見るにまだ十五、六だろう、兵の死体が近くに転がっている。それを私が眺めていると、その隊長は言った。


「死んでいくのはいつも新入りからです、勇者様。俺のような無駄に生き永らえたや奴は死にたくてもなかなか死ねない。…………行きましょう」


 そして、駐屯地の方へと歩き始めた。

 ネクスタが陥落した今、この戦線より更に内地の街が夜を徹して防壁を築いている。ファステルの王直属の騎士団も動いているという。夜を徹しての作業で、次の朝日が昇るころには一応のモノは出来上がるそうだ。

 それまでは絶対にこの戦線は退くわけにはいかない。ここを退けば、人間の生活領域を大幅に狭めることに直結する。

 「全ては早いか遅いか、それだけなのだから」

 いつか王は私にそう言ったが、その王でさえ人間の最期を少しでも未来に追いやることに腐心している。ならば、勇者の私がそうしないわけにはいかない。

 多くの人間が、結末を先延ばしにすることを望んでいるのだから。

 この場にいる全員の血を飲む。

 それが私の出した結論だった。魔物を発見してから行ったのでは、もう遅いからだ。

 思考を巡らせていると、駐屯地に戻っていた。

 そして直ぐに総勢十四人の兵士たちは情報を共有し始め、私が入り込む余地は無くなってしまった。私の出したその結論も言える雰囲気ではない。

 私は転がっていた鞘を拾い上げ、聖剣を収める。

 魔物が襲ってきて切迫した状況になって血を飲んでいるような時間は無くとも、首を斬るくらいの余裕はあるだろうと思い直す。それでも構わないだろう。

 それよりも問題は十五体以上の魔物が襲ってきた場合だと思った。隣の駐屯地まで走って、間に合うのか。間に合わなければ、より厳しい戦いになると思った。


「勇者様」


 エルヴィンが、私に声を掛ける。

 兵士たちの話は終わったようだった。全員が私の方を向いている。


「俺たち全員の血を飲んでください」


 恐怖を覚悟で押し潰したその顔を、私は見慣れていた。


「ここを退けば、人間の未来はより暗くなってしまう。けれど、俺たちには魔物を倒すだけの力が無い。勇者様、俺たちの命で……お願いします」


 首肯する。迷いはない。彼らの覚悟を請け負う義務が、私にはあった。


「分かった。任せてほしい」


 彼らの目を見て、そう返す。


「……ありがとうございます」


 エルヴィンは安堵した表情で言った。

 それから、十三人の血を飲んだ。最後はエルヴィンだ。

 彼は腰から長剣を抜いて、縦に構えた。火に照らされて、橙に輝くその刃に人差し指を沿わした。つう、と赤い血が剣に流れる。そっと離して、彼は指を私に差し出した。

 私はまず舌先で傷の場所を触れて、そして、口の中へと含んだ。鉄の味。飲み込む。何度も味わったそれは、喉を過ぎて安堵へと変わった。

 エルヴィンが指を抜くと、血の混ざった赤い唾液が少し糸を引いて、ぷつりと切れた。

 十四人分の儀式が終わった。

 今回ばかりは倒した魔物を指折り数えていなければいけないなと思った。十五体目の魔物が来たら、即座に隣の駐屯地へ贄を求めに行かなければ。

 そんなことを考えていると早速、魔物の吠え声が響いた。

 乾燥した、秋の空気を吸い込む。

 並んだ兵士たちの顔を見遣る。私が最初に血を飲んだ兵士は荒い呼吸で、震えていた。


「行ってくる」


 聖剣を引き抜き、その兵士に告げる。

 火の光さえも吸い込むその漆黒の剣を振った。その重さは手に馴染み切っている。


「……お願い、します」


 兵士のその震えた声を聞き終えると、私は踵を返して、魔物の声のした方へと走り始めた。

 そして、出会ったそのゴブリンの胴へと一閃。一。

 二、三。

 四。

 六、七、八。

 九。

 十。

 数えながら、私は剣を振る。

 跳んで襲って来たゴブリンの顔を叩き斬る。脳みそが零れて、紅葉の上に落ちた。十一。

 間髪入れずにオークが二体、私を挟んだ。右と左。魔物特有の赤く輝くその目は闇夜でもよく分かる。

 風。

 足元と顔。ほぼ同時に繰り出された二つの棍棒。私は僅かに飛んで、その間を抜ける。そして右のオークの足元に着地。斬り上げて、首元まで股にする。十二。

 それを見て醜く吠えた左のオークは二歩踏み込んで、さらにもう一打。私は斬ったオークを駆け上り、頭上へと跳んだ。屍体ごと薙ぎ払った一撃を双眸で見定めて、左のオークの頭頂に黒い切っ先を突き刺した。十三。

 二つの死体は、どさりと音を立てて重なった。軽く舞った紅葉が、ひらりと地面に舞い戻る。

 それで終わりだった。

 もう東の空は白み始めていて、魔物の吠え声は聞こえず、静寂だった。

 私は聖剣にこびり付いた魔物の血をローブで拭う。

 一息ついて、私は駐屯地へと帰った。

 戻ると、エルヴィンが一人で焚火に枯れ木をくべながら、皮の水筒に入った水を煽っていた。私に気付くと、無表情のまま立ち上がり、声を掛けてきた。


「勇者様、戻ったんですね」


 その言葉に首肯する。


「もう周囲に魔物はいないんですか」

「多分」


 そう答えると、エルヴィンはゆっくりと目を閉じた。それから、息を吸って、瞼を開く。私をしっかりと見据えて、口を開いた。


「死んだ十三人に代わって、お礼を申し上げます。俺たちだけではここを守り切れなかったでしょう。ありがとうございました」

 今にも崩れそうな表情で、それでも彼は私にそう言った。

 転がる十三の死体を一瞥する。

 一緒に落ちている皮の水筒を見て、死に際に水を飲み交わしていたのだなと思った。

 そして、朝日が差し込む。

 エルヴィンの頬の一筋の濡れ痕が陽光を返した。

 ぶつり、と。

 切れ味の悪い刃物が肉に刺さる音がした。

 何なのか理解できないままエルヴィンと顔を合わしていると、彼は僅かに笑った。

 それから、口の端からたらりと血が流れて、顎に赤い雫を作る。

 そして、私はエルヴィンの背中をゴブリンがナイフで刺しているのだと悟った。

 私は地面を蹴って、エルヴィンに近づく。


「よかった、俺だけ生き残らないで」


 そう、はっきりと聞こえた。

 私は聖剣を振り被って、エルヴィンごとゴブリンを斬った。十四。

 命を使った聖剣の一閃は鋭すぎて、私に何の感触も与えはしない。

 そして転がった二つの死体。


「アルマ」


 声のした方を見れば、レフが立っていた。


「……守ったんだね」

「うん」


 私は躊躇いなく、そう答えた。

 彼は少し悲しそうな顔で、頷いてくれた。

 だから、私は進める。

 未だに時々不安にもなるけれど、私は命の天秤を計り続けられる。

 レフは背負った大きなシャベルを手に持った。それを見て私が尋ねる。


「レフ、今日もまたするの?」

「うん。大事なことだと、思うんだ」


 レフは二ヶ月くらい前から、私の使った命たちから屠った魔物に至るまで丁寧に穴を掘って埋葬していた。

 そのために彼は大きなシャベルを背負う羽目になっている。手間なことだと思ったが、口は出さないでいた。

 内地の街の市壁が一応完成したこと。暫らくはそこに王直属の騎士団が滞在すること。レフは穴を掘りながら語った。

 最悪の事態は免れたのだと、そう思った。

 焚火はいつの間にか消えかけている。

 紅葉が一枚舞い落ちて、赤く明滅する薪に飛び込む。そしてそれは、じりじりと燃えて、灰へと変わった。

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