[2] 終わりの始まり

 12月6日、中央軍集団では各軍司令部から絶え間なく報告が送られてきていた。

 第2装甲軍司令官グデーリアン上級大将はボックに対して「即座にモスクワへの攻勢の中止と移動の足手まといとなる重装備の破壊、そして西への撤退を許可する命令を出していただきたい」と要請した。

 第2軍司令官ヴァイクス上級大将は「敵が重要地点を何か所も突破しており、部隊は重大な危機に瀕している」との悲痛な報告を行った。

 第3装甲軍司令官ラインハルト大将は「麾下の装甲部隊は既に敵の圧力に晒されながら、ヴォルガ=モスクワ運河から西へ撤退中」と報告した。

 第4軍司令官クルーゲ元帥は「敵の圧力は自軍が対処可能な範囲を超えており、全正面で防勢に転じます」とボックに伝えた。

 第4装甲軍司令部とは連絡がつかない状態となっていたが、各種の報告から判断して第4装甲軍もモスクワ北西の突出部から全力で撤退していることは確実と思われた。あらゆる前線で、低温のためエンジンが作動しなくなった戦車やトラック、凍結して作動不良に陥った火砲が放棄され始めた。

 これらの報告を受けたボックは、ようやく尋常でない出来事が起こりつつあることを理解した。モスクワ北西の突出部を放棄して部隊を西へ撤退させるべきか否かについて、第4軍司令官クルーゲ元帥と第3装甲軍司令官ラインハルト大将と協議を開始した。

 12月8日、ヒトラーは「総統指令第39号」を発令した。モスクワ南北の広い範囲でソ連軍が総反攻に転じ、自軍の前線部隊が次々と退却していることを知り、攻撃態勢から防御態勢への速やかな転換を正式に中央軍集団に指示した。

「東部戦線には驚くほど早く厳しい冬が到来し、それに伴う補給の困難もあり、我々は止むを得ず全ての攻勢作戦を中止し、防勢作戦に転じる。この防勢作戦の実施要領は、次の3つの目的に沿って決定される。

 (a)敵にとって作戦上または経済上きわめて重要な地域を確保する。

 (b)東部戦線の将兵を休息させて、出来る限り体力の回復を図る。

 (c)1942年の大規模攻勢作戦の再興に備え、有利な条件の形成に努める。

 東部正面の主力部隊(中央軍集団)は、陸軍総司令官(ブラウヒッチュ元帥)の指示する防御に適した前線沿いに布陣し、部隊の戦力回復に努めること。その際、装甲師団と自動車化歩兵師団を優先的に後方へ下げること。防御線は雪解けの時期における宿舎、防御および補給に関する利点を特に考慮して設定すること。個々の正面における退却のタイミングは、全般的な情勢を踏まえて決定されなくてはならない。

 南方軍集団は冬季であっても天候が許す限り、ドン河およびドネツ河下流まで攻撃し、同地を占領する。第11軍はセヴァストポリを可能な限り早期に占領すること。

 北方軍集団は敵によるティフヴィン方面の鉄道と道路の使用を阻止しつつ、イリメニ湖周辺の戦線を縮小する。これにより、増援到着後にラドガ湖南部地域の掃討作戦が可能となる。この方法によってのみ、レニングラードの包囲環は完成し、フィンランド軍との連結も確立できる」

 この命令が示す通り、ヒトラーは1941年度内にソ連を打倒する方針を棚上げにして、翌42年度の春以降に可能な限り有利な状況下で、新たな大攻勢を実施するという方針に切り替えていた。しかし中央軍集団には「防御に適した線」への退却を認めた一方で、南方ではセヴァストポリ要塞の占領を命じ、北方ではラドガ湖畔の封鎖によるレニングラードの完全包囲を諦めてはいなかった。

 しかし、「総統指令第39号」は中央軍集団の主要な司令官の顔ぶれを一変させる端緒となってしまう。ヒトラーが下した「陸軍総司令官(ブラウヒッチュ元帥)の指示する防御に適した前線」という曖昧な命令が原因で、各軍司令官の間にまたしても認識の齟齬が生まれ、やがて司令官同士の感情的な衝突にまで発展したのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る