第18章:兆候

[1] 暗黙の総意

 11月18日、モスクワの南方では第2装甲軍がベロフ機動集団の反撃による一時の恐慌を克服して攻撃を再び開始した。グデーリアンは10月末に残った戦車の大半をまとめて第4装甲旅団に編入させて、弱体化した第4装甲師団の先鋒に投入した。

 11月24日、第24装甲軍団の第4装甲師団はトゥーラ東方のヴェネフとミハイロフを奪取した。第2装甲軍は北方を除くほぼ全周からトゥーラを包囲することに成功したが、すでにこの時には中央軍集団は攻勢の限界点に達していたのである。

 第2装甲軍の前線では、同月12日ごろから気温は連日マイナス20度以下にまで低下していた。雪がふりしきり身を切るような風が叩きつける中、中央軍集団の将兵たちはいまだ夏服の軍服で戦っていた。一部の兵士は捕虜や現地の住民から取り上げた外套や防寒具を身に付けており、記章類に眼を凝らさなければ国防軍の兵士と判別できなかった。

 11月18日、ドイツ宣伝省のある幹部は次のような指示書を部下に配布した。

「防寒具や防寒下着などの冬季用衣類が、輸送手段の問題で東部戦線の前線で戦う兵士に届いていないことはきわめて由々しき問題である。もし、このような事実がドイツ国民に知れ渡れば、昨今の決定的な時期における、我が報道機関に対する国民の信頼が大きく揺らぐことになりかねない。

 よって、報道写真を選択する際は細心の注意を払い、決して我がドイツ軍の兵士が冬季用衣類を受領していないことを示すものを選んではならない。防寒服を着ている捕虜のソ連兵を、防寒服を着ていないドイツ軍の兵士が護送する写真などは論外である」

 陸軍参謀本部作戦課は東部戦線における冬季用装備について、10月26日に次のような見込みを示していた。

「北方と南方軍集団の各部隊は10月30日までに必要数の半分を受領。他の軍集団より部隊数の多い中央軍集団の場合、受領の程度は3分の1に留まる」

 しかし実際は300万人分の将兵に支給されるはずの冬季用装備は貧弱な鉄道網により、輸送能力を制限されたために12月に入ってもまだ前線に運ぶことが出来ていなかった。装備の多くはワルシャワなどの後方の駅や倉庫で山積みになっていた。

 その結果、最低気温が零下20~40度という極寒の環境下で、満足な耐寒装備もなく戦闘を続ける兵士は凍傷で手足の指を失った。物資を輸送する機関車やトラックは水パイプの凍結破裂で使用できなくなり、小銃や機関銃は弾丸に付着した霜による動作不良が続出するようになっていた。

 また、ドイツ軍戦車のキャタピラには凍結した路面対策の滑り止めが装着されておらず、斜面を登る際に滑落するなどの事故が頻発していた。低温に対する光学機器の曇り止めや油脂類の凍結を防ぐ薬剤なども前線に配給されていなかった。酷寒の中で戦車や装甲車のエンジンを始動させるためには、車両の下で焚き火をして温めなくてはなくなっていた。

 11月23日、前線部隊の状況を見かねた第2装甲軍司令官グデーリアン上級大将は中央軍集団司令官ボック元帥に対して直談判した。冬季用衣類の不足、戦車や火砲の消耗、補給の途絶などを説明した上で、モスクワ攻勢を即座に中止して前線の兵士を越冬用の陣地に収容するよう許可を求めた。

 しかし、ボックから電話で報告を受けた陸軍総司令官ブラウヒッチュ元帥と参謀総長ハルダー上級大将はこの提案を却下した。中央軍集団司令部で通話内容をイヤホンで聞いていたグデーリアンはモスクワ攻勢の継続を望んでいるのはヒトラーただ1人ではなく、陸軍総司令部による「暗黙の総意」であるという印象を受けた。

 11月27日、東部戦線の国防軍全体の兵站業務を統轄する立場にある陸軍参謀本部作戦課の兵站総監ヴァグナーはようやく事態の深刻さを認識して、報告書の末尾にこう書き記した。

「我々はもはや東部戦線において、人的資源も物的資源も最後のどんづまりに到達してしまった」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る