[2] 決断

 中央軍集団にとっても情勢は不安定だった。稼動可能な車両は全体の3分の1にまで落ち込み、各師団の戦闘能力も半分から3分の1にまで減退した。これ以上の東方への進撃は可能かもしれないが、もともと劣悪な兵站機能にさらなる負担を強いることは間違いなかった。どれほど攻勢が成功しようと関係なく、次の攻勢のための燃料と弾薬を輸送することで精一杯の鉄道では、越冬に必要な防寒装備の運送は無理であろうという危機感が指揮官たちの間で高まっていた。

 11月7日、モスクワとその周辺地域の気温は急激に低下し、大地に降り積もった雪が凍りついてアイスバーンとなった。これにより、東部戦線のドイツ軍は新たな機動作戦を実施できる条件の一つが満たされた。

 11月12日、スモレンスク西方のオルシャで陸軍総司令部の首脳と3つの軍集団の参謀長が1941年度で最後となる戦略会議を開いた。議題は、地表の凍結という好機をとらえて新たな攻勢を実施するか否かだった。

 北方軍集団参謀長ブレネッケ中将と南方軍集団参謀長ゾーテンシュテルン中将は、冬季用の装備が致命的なまでに不足した現状では、新たな大規模攻勢は行うべきではないとする意見具申を行った。

 この会議で、陸軍参謀総長ハルダー上級大将は自分が恐れていたよりもドイツ軍が衰弱していることにショックを受けて、「年内に達成できる最大限の成果はレニングラードの包囲とモスクワに対して脅威を与えるのがやっと」ということを確信した。ヒトラーでさえも戦闘の長期化を納得するようになり、もはやソ連政府打倒とか主要都市の即時奪取などということを口にしなくなった。

 中央軍集団参謀長グライフェンベルク中将は同軍集団司令官ボック元帥の強い意向として、モスクワへの攻勢は断固として実施すべきであるとの主張を展開した。ボックは、前年の西方攻勢で首都パリを失ったフランス軍が「頭部を切り落とされた動物」のように弱体化した事実を持ち出し、モスクワ陥落によるソ連体制の崩壊に可能性を賭ける方がまだましだと考えていた。

 北方では、第18軍がレニングラード南方で停止。南方では第1装甲軍がロストフに接近しつつある中で、中央軍集団が西部正面軍とモスクワを二重包囲することに、ドイツ軍の最後の努力の余地は残されているかのように思われた。第3装甲軍と第4装甲軍がクリンとモスクワの北を流れるヴォルガ=モスクワ運河への進撃を続け、第2装甲軍がモスクワ東方の装甲部隊と連結するため、南西からトゥーラとカシーラへ向かいつつあった。

 両者の意見を聞いたハルダーは最終的な決裁を下し、中央軍集団は司令官ボック元帥の意向に従い、モスクワ攻略を目指す「1941年度秋季攻勢」を実施することが決定された。「モスクワの陥落によるソ連体制の崩壊」という不確かな要素に賭ける以外に、中央軍集団が進むべく道は残されていなかった。

 モスクワの「最高司令部」は11月に入ると、次のような可能性におびえていた。すなわち、ドイツ軍が冬の路面凍結によって一気に機動性を回復させ、レニングラード、モスクワ、ロストフを包囲するという憶測だった。もしこのような打撃を被れば、ソヴィエト体制は半身不随となり、人口や交通の中枢、生産力の喪失が赤軍の致命傷になることは明らかであった。

 11月14日、スターリンは西部正面軍司令官ジューコフ上級大将に対し、ヴォロコラムスクとモスクワ南方で反撃を行うよう命じた。そのような反撃では大した成果は期待できず貴重な兵力をすり減らすだけだとジューコフは抗議したが、この決定が覆ることは無かった。

 ジューコフはヴォロコラムスク周辺の戦区を管轄する第16軍司令官ロコソフスキー少将にしぶしぶスターリンの反撃命令を下達した。ロコソフスキーもまた、現在の自軍にはそんな反撃を行える兵力はないと抗議したが、ジューコフの強い調子に押し切られた。

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