第2話 父の話 そして酒豪だった。喫煙者だった。

父は酒豪である。


毎日大量の酒を摂取しては、飲みすぎてひっくり返っている。もうそろそろ死ぬのではないかと不安になるのだが、父は自称「一人前の酒飲み」らしいので、酒を取り上げたらそれはそれで死ぬのではないかとまた不安である。


父は大酒飲みであるが、その娘である私はほとんど飲めない。缶チューハイ一本でベロベロになる。「ほろよい」でほろ酔えないのだ。


今年の一月一日。父は正月だからと高い日本酒を買ってきた。何かと理由をつけては酒を飲みたがるのが、酒飲みという生き物である。酒には金箔が浮いていた。なるほど、これは確かに正月らしい。私は日本酒を殆ど飲んだことがない。父がしきりに勧めてくるので、せっかくだからと少しだけもらうことにした。


おちょこに一杯だけ。このくらいなら平気だろうと思って注いでもらったのだが、すぐに後悔した。まず匂いがいけない。消毒液である。病院でおなじみの消毒液の匂いである。しかし、父はその消毒液をうまそうに飲んでいる。これが本当のデトックスか。父は次から次に消毒液を飲み、私にもグイっといくように促した。仕方がないので、意を決して一口だけ飲んでみた。みたのだが…………まずい。非常に、まずい。


まずい、まずい、とにかくまずい。口の中には消毒液のにおいがぶわっと広がった。そして苦い。舌が焼けるようである。呑み込むと喉の奥がぐわっっと熱くなり、臓器という臓器を焼き焦がしながら胃に落ちて行った。先ほど消毒液と言ったが、それは間違いだった。これは毒、猛毒である。ほんの一口なのに、私の中に飛び込んだ猛毒は、体内で暴れまわっていた。何なんだこの苦行は。何が悲しくてこんな毒を飲むのか。しかし、父はやはりそれをうまそうに飲んでいる。これはいったいどういうことなのか。


暫く考えて、気付いた。父はもしかしたら、修行のために酒を飲んでいるのかもしれない。たった一口しか飲んでないにも関わらず、酒は私の体内を焼き尽くした。大変苦しい思いをした。というのに、父はそれを、大量に飲んでいる。父は今まさに地獄の業火に焼かれているのだ。苦行だ。勤行だ。きっと父は、飲酒という苦行に耐え、悟りの境地にたどり着くつもりなのだ。でなければ、何故こんなまずいものをわざわざ飲むというのだろう。父の解脱はもうすぐだ。これは確信である。なぜなら、父はもう何十年も飲酒を繰り返しているからだ。解脱するために、今まで何十年も地獄の業火に焼かれていたのだ。そう考えると、尊敬せざるを得ない。


「父さん、私今まで誤解しとったわ」

「なんや」

「今まで、ずっと父さんは好きで飲酒しとると思っとったんよ。でも違うんやね。これは修行なんやね。解脱するために、わざわざこんな苦しい思いをして飲酒しよるんやね」

「せやで」


やはりそうだったのか。私は大きな誤解をしていた。これからは父を尊敬して生きていかなければならない。


飲酒を終えた父は、今度はタバコを吸うべくライターを探し始めた。父は、酒だけでなくタバコも非常に好んでいる。私はタバコの煙が非常に苦手な為、何度も吸わないでくれと頼んでいるのだが、一向に聞いてくれない。私は、そんな父を疎ましく思っていた。しかし、もしかしたらこれにも、私などには考えつきもしないような尊い理由があるのかもしれない。


「わしのライターがない」

「神様が吸うなって言よんよ。一日だけでもやめてみたら?」


そう言うと、母が「今まで何回も禁煙しとるのに無駄よ」と言ってきた。……何度も? 禁煙を? 非常につらく、大勢の人間が挫折してきた禁煙を何度も……?


「わしは禁煙のプロや」


すごい、父はすごい人だったのだ。毎日毎日地獄の業火に焼かれながら飲酒という苦行を繰り返し、そして、多くの人が挫折してきた辛く苦しい禁煙という苦行を何度も行っている。神だ、仏だ、ムハンマドだ、キリストだ。これからは父を崇め奉りながら生きていこうと思った。


ちなみに私は無宗教である。

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