Develop 24

 麗紅の痙攣が治まり、二人の時間を作るために、近江はRe-17を残して検査室を出ると、ドア横の壁に泰久が背中を預けていた。

「よお、タカ」

 泰久しか呼ばない近江のあだ名。泰久は目を細めて手をひらひらさせる。

「須賀野部長」

 近江の泰久への呼び方に、泰久は笑って「いつも通りに呼べよ」と言う。

「お前に改められると悪寒がする」

 加えて近江に向かって泰久はおどけてみせた。

「…やっさん、何でここにいるんですか」

「タカが凄い形相で走ってんのが見えたから。こんな感じでね」

 泰久は変顔をしてみせると、近江は眉間に皺を寄せて泰久を睨む。

「からかってるんですか」

「冗談」

 泰久はまた手をひらひらさせる。

「──────あの子、大丈夫だった?」

「…ええ、今さっき痙攣が治まってRe-17と一緒にいます」

「そうか」

 泰久が安堵の表情を浮かべる。その顔を近江は見逃さない。

「随分、麗紅ちゃんが気になるようで」

 泰久は一瞬顔を強張らせたが、直ぐに目を細める。

「あ、バレてた?」

「隠しでもしてるつもりじゃないでしょうに」

「どうしても、ね。博美が担当しているっていうのもあるけど、やっぱり…ね」

「天羽ちゃん…ですか」

「うん───」

 少しだけ表情が曇るが、泰久は同じように直ぐに笑ってその曇り顔を消し去る。

「困ったなあ、本当に。どうしても重ねちゃうんだよ。何でか分からないけど」

「分かりますよ、少しは。その気持ち」

 須賀野夫妻と長年付き合ってきた近江にとって、その言葉は本心から思ったものだった。

「本当?」

「ええ。───だからこそ、やっさんがこのプロジェクトに参加しなくて良かったと思ってます」

「タカ…」

「このプロジェクトは残酷だ」

 近江は奥歯を強く噛み締める。

「彼女にとっても、彼にとっても、……僕達にとっても」

 泰久はゆっくり深呼吸をして「そうだな」と呟いた。

【完全サイボーグ化計画】プロジェクトのメンバーならば、分かる。自分達が何をしようとしているのか、そして、何を目指しているのかが。分かっているが故に、このプロジェクトが持つ意味も分かる。だからこそ、彼らは「残酷」と言う。

「……それにしても、お前も素直になったな」

 泰久が唐突に話題を変える。

「はい?」

「大学院時代はあんなに嘘吐き野郎だったのが、こんなに可愛くなっちゃって」

「からかってるんですか」

「先輩は嬉しいんだよ」

 泰久は少し眉尻を下げて近江に笑い掛ける。


 人を傷つけることを恐れて、自分の思いばかりを押し殺し、他人を傷つけない代わりに自分ばかりが傷を負っていた。今更、誰かに助けを求めることもできず、呻きもできず、近江はただ、人の代わりに傷を負い続けた。大学院を卒業して研究所に入った後も近江の自傷行為とも呼べる癖は治らなかった。治るどころか、悪化した。

 近江は研究所で人工臓器開発にたずさわるようになった。治療と最後の望みを掛けて、近江の所へ訪れる患者や上が選び出した被験体を救うことが近江にとっての任務であり、生きる意味だった。

 ───ありがとう。

 ───あんたは神だ。

 ──────人殺し。

 開発段階でのシステムエラーによる失敗。犠牲となった患者。感謝の言葉を掛けた者達の最期は、近江を恨む眼差しだった。

 人を助けるために人工臓器開発の夢を掴んだはずなのに、いつから「人殺し」になってしまったのか。目を閉じれば、犠牲者の断末魔が聞こえてくるようで怖かった。

 それでも、患者と被験体は次々と送り込まれてくる。これ以上はやりたくないと思ってもそれも虚しく、手を動かすことしかできない。近江はもう、仕事と割り切り、次々に来る患者に安心させ、信じさせ、犠牲となった者達に囲まれて失敗への恐怖と自分の未熟への憎悪を滲ませぬよう笑顔を向けることしかできなかった。偽る笑顔の奥はもう崩壊寸前であった。

 ───私のプロジェクトに参加してほしい。

 博美の提案によって、近江はRe-17のボディ製作を担当することになった。初段階成功後、博美はRe-17を近江の元へ連れてきた。

 ───会議がある。その間、この子を見ていてくれないかしら。

 まるで、我が子の子守でもしろと言うように、博美は近江に頼むと急いで部屋を出ていった。

 近江は面倒だとは思わなかった。むしろ、嬉しかった。完成後のRe-17を見るのがこれが初めてあったのだ。ばらばらであったパーツが集合し、動いている姿を見て、達成感と安堵が近江の心を包んだ。

 ただ、不安はあった。また、失敗してしまうのではないかと、完成品を───この子を殺してしまうのではないかと。

 ───ねえ。

 Re-17が近江に話し掛ける。

 ───何?

 ───近江さんが僕を作ってくれたんでしょう?

 ───ボディ部分だけだけどね。

 ───でも、近江さんが作ってくれなかったら、僕は見ることも動くこともできなかった。

 真っ直ぐに近江の目を見るRe-17に対して、近江はこめかみを数回掻いた。最初はそうやって誰でも言うのだ。あの時のように「神だ」とまで言うのだ。だが、近江は当然神などではなく人間だ。しかも、信頼を裏切るほどの。

 ───ありがとう。

 黒く渦巻くそれを悟られないように、近江はRe-17にの笑みを浮かべる。───が、その瞬間Re-17は近江の笑みに対して首を傾げた。

 ───どうして悲しんでるの?

 ただの人工物であるはずのその目は、確かに近江のその奥を映し出した。

 近江の中で何かが切れた。人前で流したくない涙が溢れ出して止まらなかった。

 あの、満面の笑みこそが、無意識のSOSだった───。

 もう、何もかもこの涙と共に流してしまおうか。

 ───僕は、人殺しの、偽善者だ。

 ───自分が怖い。憎くて仕方がない。

 あるのは、開発への希望ではなく、失敗と患者や被験体の死への罪悪感。残ったのは取り返しのつかない、許しを乞うこともできない闇。SOSはあっても、最早もはや、何を助けてほしいのかも分からない。否、助けられてはいけないことなのだ。

 頭を抱えて嗚咽を漏らす近江に、Re-17は「そんなことない」とも「自分に自信を持て」とも「開発に必要だった」とも言わなかった。

 ───辛かったね。

 近江の中を渦巻いていたそれが消えていく。

 それ以降、近江はRe-17に対しての笑みを向けることはなくなった。


「本当、Re-17のおかげなんです」

 近江の顔がほころぶ。無理をしていない本当の笑顔。

「いいな、その顔」

「え?」

「俺はそっちの顔した後輩の方が気に入ってるぜ?」

 泰久は近江の左頬をつまんでみせる。

「いひゃい」

「…何かあったら、いつでも言え。あの庭で待ってるから」

 酒を飲みながらな、と付け足して泰久は声を出して笑う。

「タカはあいつに逃げるなって行ったけど、お前は少しは逃げてみろ」

「…聞いてたんですか」

 少し恥ずかしくなって、近江は腕で顔を隠す。

 泰久は何も言わずに、右手の人差し指と中指で近江の鎖骨部分を二回つつくと、踵を返し、手をひらひらと振りながら廊下を歩いていった。

 昔から変わらない泰久流のエール。

 近江はくすり、と笑い鎖骨に触れる。

「…やっさんもね」

 確かに、そのエールを受け取って、近江は検査室のドアの取手に手を掛けた。


 To be continued...

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