第3話 「私、お菓子なんていらないんです」

どうも、ラブレターで相手のタガが外れたらしい。

その後さんざんなメにあった。


殺人鬼とて生きているから、スーパーで買い物もする。カップ麺やら袋ラーメンやらを買い込んで家に帰ると、ビニール袋の中に紙片がまぎれていた。

『自炊、しないんですか? とっても心配です』

ちぎって捨てた。


朝起きる。新聞はとっていないから、手元のまとめサイトで大きなニュースをざっと確認する。メールがくる。

『朝ご飯を食べないと、一日の元気が出ませんよ! 現在の極細ボディラインもオツですがもう少し健康的に生きてもバチは』

未読のまま消した。


ささやかな庭に猫がまぎれこんでくる。人懐こいトラ猫だったのですりよってくるままに抱き上げると、首に巻いてあるボイスレコーダーに気づいた。

気づいた瞬間、レコーダーがしゃべった。

『猫を愛でるサトウさん最高ですベストマッチですベストニャンダフルです、心がにゃんにゃんします! にゃんにゃん! にゃんにゃ―――』

踏みつぶした。



そんな生活が一週間。

一人暮らしなのに彼女と同棲しているような感覚さえ覚える一週間。

彼女っていうか、小うるさい母親に過剰干渉、いや観賞? されている感覚に近いかもしれない。

一番腹が立つのは、こちらの個人情報が暴かれに暴かれているのに相手の顔が全く見えないことだ。最初のFAXからメモに至るまで、文面は基本ゴシック体だったし(感情に合わせてフリーフォントを使い分けてくるところがまた鬱陶しい)、ボイスレコーダーも興奮のあまりびりびりに音声が割れていて声質が聞き取れなかった。イラつきのあまり検証の前に潰してしまったのはサトウの手落ちだが、次に同じことがあったとしても感情の昂ぶりのまま同じことをしでかす予感がする。


サトウはげんなりした。


いっそのこと家を捨てて引っ越そうかなー、とも思う。

もちろん金銭面の問題もあるし、向こうの熱量を見る限り引っ越したとしても普通に追いかけてきそうな予感もするしで踏み切れないが。

身から出た錆だが、警察の助けが得られないのも痛恨の極みだ。


もう、誰でもいい。

寝不足の頭でサトウは切実に思う。

誰でもいいから、タスケテ。


おりしも季節は夏、蝉が鳴き始める初夏へさしかかっている。コンビニ帰りの交差点。真昼間の日向。

横断歩道の白が照り返って眩しい。目を開けていられなくて、サトウはもともと細い目をさらに細めた。

頭がぼうっとしている。無理もない。ストーカーが近づいて来たらすぐわかるようにと、ここ数日、様々な設備を家に設置したばかりだった。自分一人で普通の戸建てを要塞に仕立て上げたのである。そりゃ疲れようというものだ。

もとより自分の体調に頓着しないほうだった。そして、寝る間を惜しんで作業に熱中し、ふと気づいた時には家にもう食料がなかった。

買出しにいかねばとすきっ腹を抱えて炎天下に出て―――今に至る。


肌の奥へ刺し込むような日光にあてられ、もともと弱った体はもはや限界にさしかかっていたのかもしれない。


信号が変わった、と思って踏み出した。変わった信号は赤だった。

対向車線、発車してくる鉄塊のド真ん前に踏み出したサトウは、そこでやっと自分の間違いに気づいて息をのんだ。

目の前に車が迫ってくる。


死ぬ、と思った。


自分が死ぬ光景がフラッシュした。車に突き上げられ、宙を舞い、タイヤに潰され、その痛みや意識はどこまで残るのか。死んでからは? 死因は? やっぱり脳がやられて死ぬのか。それとも失血多量? ショック死? あ、そうか自分は一番不思議だった『眠るような死』を知らないまま、まだ生きていられるからだのまま死ぬという、一番不思議な体験をついぞ理解できずに―――




背後から伸びた手が、サトウの襟首を容赦なくうしろへ引いた。




コンマ数秒の差で、凍りついたサトウの鼻先を、猛スピードで車が横切っていく。運転手が引きつった顔でこちらを見ていた。

さらに首元を引かれて、引かれるままにまた数歩、あとずさった。


ふと目線を足元に落とす。

歩道まで引き戻されていた。


……助かった?


「大丈夫ですか!?」


はっと正気付いたサトウは、あわてて振り返った。

「す、すみません! ぼーっとし」

て、という言葉が空中に浮く。



サトウは車に轢かれそうになった時と同じくらい大きな衝撃に言葉を失った。



「お怪我がないのは不幸中の幸いです! あああよかった、間に合わなかったらどうしようかと……い、今さら腰が砕けてきました~」


へなへなとアスファルトの地面に崩れ落ちる女子は、なぜかきぐるみのアタマをかぶっている。

カメレオンの。

緑色の。

でっかいやつを……。


立ち尽くすサトウを見返して、女の子は小首を傾げて「エヘ」と自身のアタマを小突いてみせた。


「そんなに見つめられると照れちゃうなぁ。あ、お礼とかいいですからね。それより、ホントに大丈夫ですか? なんなら、おうちまで送りましょうか?」

「ええと。あのー」

「はい」

「つかぬことをお伺いしますが……その、カメレオンは……」

女の子は胸の前で手を握りしめ、元気いっぱいに宣言した。「私の頭です!」

「あー」全然納得いかないが、どうもまだ頭が正常に働かない。「そうですか」

カメレオン、ぶんぶん頷く。「そうですよ!」


了解した。

サトウは悟った。

この子はきっと、ちょっとかわいそうな生い立ちの子なんだ。

自然、彼女を見つめるサトウの目線が哀れみを含んだものになる。


「えっと……助けてくれてありがとうネ」

「とんでもないです!」

「あの、これ、お礼にもならないけど、よかったら」


サトウは手元のビニール袋を漁ると、中から数種類のお菓子を取り出した。ええっ、申し訳ないですとあわてるカメレオンになかば無理矢理、お菓子を押し付ける。


「君がいなきゃ死んでたから。ほんとはこんなお菓子じゃなくて、もっとちゃんとお礼しなきゃダメなんだけど」

「そっ、そそそそそんな」

「本当にありがとう。じゃあ」


信号が青になった。

サトウは後も振り返らず、小走りに横断歩道を渡る。救ってもらった恩はあれど、他人に深く関わるのはご法度だ。しかもあんな妙ないでたちの女。


そのまままっすぐ自宅へ歩を進めた。

今日はストーカーの被害にあわなかった。ビニール袋の中に紙片はないし、まさぐったポケットの中にもなにもない。おまけに死なずにすんだ。怪我もない。肝は冷えたが、何もなかったのでよしとしよう。


最後の角を曲がって、自宅の古い戸建てが見える通りに出る。ここらの家はどれも外からのハッキング・スキミングを防止するブロックシートを建材に含まない旧式住宅だ。セキュリティに不安はあるが、その分、新興住宅にありがちな味もそっけもないデザインとは違って、年月を経たあたたかみがある。

サトウはこの通りが好きだ。


危機を脱した直後の安堵感、妙な気の昂りのせいか、なんだか妙に頭が冴えて気分がいい。

サトウは鍵と音声・指紋認証で玄関を開けると、いつものようにスニーカーを脱いで玄関から居間へ向かった。買ってきたものを冷蔵庫にしまわないとと思いながら居間へ通ずる扉を開けて、


「おかえりなさい」

「うわーーーーーーーーーーっっ!?」


反射で悲鳴が出た。

カメレオンがずずーっ、とお茶を啜る。

ざざっ! と高速であとずさって扉の影に隠れながら、サトウはパニックのあまり持っていたビニール袋を落っことした。がしゃん。


「おま、おま、おま、なんで!」

「あ、お邪魔してます」

「あ、ハイ、狭いけど……じゃねぇ! なんで俺の家知ってる!? つうかどうやって入った、ココ指紋と音声っ」言ってる途中で真相に気付いた。「あーーー!!! もしかしてテメェかストーカーの正体はァ!?」


ずずー、と、カメレオンは再度両手で持った湯飲みを口元でかたむけた。着ぐるみの頭で飲めもしないお茶を、なぜ飲むフリするのかは謎である。


「いやん、サトウさんたら。ストーカーだなんてひどい言い草じゃないですかー。私は断じてストーカーなんかじゃありません」女の子は白い指で、かさりとお菓子の袋をサトウの方へ押しやった。「これをお返しに参っただけです〜」

「……えっ」


カメレオンがぎゅるん! とサトウの方を向いた。


「私、お菓子なんていらないんです」


あげたものを突っ返される、という事態にほんのり傷つくサトウ。「そ、そっか……」

「聞いてください」


ことん、と湯飲みを置いて、今度はカメレオンが体ごと、サトウへ向き合った。


「サトウさん。愛してます!」


短くはあったが、そのとき確かな沈黙があった。


「……は?」

「私ごときがサトウさんからものをお恵みいただくなんて烏滸がましいことあってはいけない! サトウさんの日々の収入を切り崩してご購入くださった菓子を! わたしなどに! わたしなどにくださるなんて!! あの時は天にも昇る心地っていうかもうホント正直何度か軽くゴートゥヘヴンしちゃったんですけど元々サトウさんが食べたくて買ったものを私が横取りするような形で頂くのは心苦しさのあまり夜も眠れないし自分を責め苛むあまり自傷行為に走りそうですし、何よりあなたの命をお救いしたという私にとっては当たり前、当たり前というより義務、責務、そう当然の責務! もはやご褒美! な出来事のためにああサトウさんへの愛が止まらないわぁ、お菓子なんかいただいちゃうのはちょっと違うんじゃないかなって思ったまでです! ゼェッ! ハァッ!」


息継ぎなしに一気に述べたカメレオンは、空気の通りが悪いであろう着ぐるみの中で荒い息をついている。

サトウは静かに頭を抱えた。


……間違いない。こいつがストーカーだ……


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