第5話

 俺たちはセーフルームを目指して歩いた。先ほどの化物との邂逅が嘘だったかのように、研究所の廊下は静寂に包まれていた。

 皆逃げたのか、それともあの怪物たちに殺されてしまったのか、他の人間ともすれ違うことはなかった。意外にも通路は基本的に綺麗で、オープンスペースも荒れていなければロックされた個室のドアが壊されていることもなかった。醜い異形で所内が溢れかえっている、そういう最悪の事態にはまだ陥っていないらしい。

「ちなみに、その服の持ち主はなんていうの?」

 彼女はどうだか知らないが、俺はとてもじゃないが黙っていると正気を保っていられそうになかった。だから道中他愛もないことをずっと話しかけていたし、佐藤も気を遣ってくれたのか、黙ったりせず律儀に言葉を返してくれた。どういう話の流れだったか、そんな雑談の中で衣服の持ち主について佐藤が聞いてきた。

「さあ? タグのことは知らなかったから……見てくれないか」

 俺は自分の記憶すらないのだ。当然作業着のタグなんて存在すら認識できていなかった。もし気づいたとしても、他人の名前を騙るなんてことはしなかっただろうが。服の持ち主の知り合いなんかに見つかれば一発でおじゃんだし、それでなくても他人のふりをして演技し通すなんてできそうになかったからだ。

 とはいえ、確かに服の持ち主の名前は興味が無いわけではなかった。あのシャワールームに直接返しに行くことはないだろうが、知り合いがいればそいつに渡しても良い。それに自分が身につけているものの持ち主について、多少なりとも知っておくのは大切なことに思えた。

 俺は立ち止まって佐藤にタグを確認してもらったが、それを見た佐藤は何も答えない。

「どうした?」

 不思議に思って問いかけると、佐藤はハッとしてすぐに返事をする。

「いえ、ちょっと汚れて読みづらくて……。GORO TANAKAと書いてあるわね。聞き覚えは?」

「いや、ないな……」

 確かに作業着は薄く汚れている。服の持ち主はよほど熱心だったか、あるいはずぼらだったのだろう。残念ながら聞き覚えの全くない響きではあったが、俺は頭の中で服の持ち主について想像してみた。

「まあ、そうよね」

 一方佐藤はそう言うと、それきり黙ってしまった。再び俺の前へ立ち、ただひたすらに先へ進む。

「ところで道はこっちで良いのか」

 闇雲に歩いている風ではなかったが、かといって答えに向かって一直線に進んでいる様子でもなかった。虱潰しに全てのルートを辿ったりはしないが、行き止まりにぶつかったり、大きめの部屋に入ったりはしている。もしかして佐藤も目的地への行き方を知らないんじゃないだろうかと不安になってくる。

「わからないから、探しながらいきましょ。私も下へはあまり用が無かったから詳しくないの。他の部屋に何か情報があるかもしれないし、いろいろ巡りながらね」

「そうか」

 的中、できれば外れてほしかった予想通りの回答が返ってきた。それでも佐藤の声や顔に不安さは欠片もなく、俺としても今は悩むより嘘でも安心したかったので、彼女に任せることにした。

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