7-2 不愉快であることこの上ない会合にて

 靴音の主と思しき年季の入った掠れ声に、俺たち三人はぎょっと身を竦めた。ゆっくりと声の主に顔を向ける。

 果たして想像通りの御仁の姿がそこにあった。


「こ、これはこれは神官長猊下」

「ご機嫌麗しゅう」

「ご壮健そうで何よりです、はははは」


 条件反射でおためごかしを口にする。返事は未だない。


「はははははは」

「はははははは」

「はははははは」


 間隙を埋めるべく愛想笑いに興じる三名の議員に、相手は尚も沈黙したまま。


「…………」

「はははは……」

「ははは……」

「はは……」


 乾いた笑いが途切れたところで咳払いが響いた。

 始まる。神官長の長広舌が。


「応接間で待っておったのじゃがいつまで経っても来ないのでなわざわざこちらから迎えに来てやったわい文部大臣に労働大臣そちらも会合に参加するのかえ予定には入っとらんが密談ではない故大いに歓迎するぞよ大歓迎じゃて」


 金糸にて文様が施された絢爛たる蒼の僧服に、不必要な装飾だらけの黒の帽子。その下の年齢相応に皺の寄った相貌は、真綿のような眉毛と他者を睨め殺すような細い眼が実に対照的だった。


「いえいえ、とんでもない」

「では、僕らはこれで」

「ご機嫌よう」


 格式張ったお辞儀をして早々に立ち去るピートとフィオ。


「あ、おい」


 くそっ、逃げやがったな。何故にジジイのお守りを俺独りでせにゃならんのだ。


「それはさておきライア議長そちら何を話しとったんじゃ誰がジジイじゃと?」

「い、いえいえ、なんでもないですよ」


 言ったのは俺じゃなくてピートなのに。何故に俺が尻拭いせにゃならんのだ!


「ジジイとは心外じゃて見てみい儂の足腰はまだまだ現役じゃぞなんなら〈雷霆らいていと狩猟の神〉のお住み遊ばす天に聳える霊峰にこの足で登ってやってもよいぞ」


 なんならその雷霆神の掲げ持つ稲妻に、脳天から撃たれちまえばいいのに。それが無理なら、せめてその雷撃の三万分の一ほどの細い稲光で、じいさんのうるさすぎる唇を縫いつけてくれればなあ……。


「さっすが猊下、お若いことで。はは、はははは」

「相変わらず言葉にも態度にも誠意が感じられぬことよ一体そちのどこをマリミは気に入ったのやら近頃の若き女子の考えはよう判らんて」


 苦手だ。本当に苦手なのだ。姫君以上に取っつきにくい。とにかく俺はこのジジイと会うのがいやでいやでしょうがなかった。年を重ねすぎて老獪ろうかいさが滲み出ている。ここは当たり障りのない話題を提供して、深入りを避けるに限る。


「姫君はお元気ですか? 最近ふっつり見かけなくなったんですが」


 ありがたいことに、という言辞は大問題に発展しかねないので黙っておいた。


「あれかあれはなんでも大音楽祭に参加するとかでずっと笛の練習をしとるんじゃ笛と言っても縦笛ではないぞよ横笛じゃまああれは大抵の楽器をこなせるからどちらでも関係ないがなそれにしても伎芸に秀でとるところなんか儂にそっくりじゃ儂も若かりし頃は朗々たる美声で鳴らしとったからな失われて久しい伝説の位階たる〈歌姫うたひめ〉に女性のみという条件がなければ必ずや儂が選ばれとったじゃろうてさすがに男子に姫では不都合じゃから何かしら違う名前を設けたじゃろうがな何せ幼少時の儂は神官団の聖歌班におったし高音部の一番手で朗々たる美声で鳴らしとって……」

「……はあ」


 よくまあ舌を噛まないで、こうも続けざまに喋れるものだ。

 案の定始まった自慢話を聞き流しつつ、姫君の本腰の入れように俺は内心呆れていた。それでここ数日姿を見せなかったのか。なんとしてでもアルシャに勝ちたいらしい。音楽に勝ち負けなんざ不要だってのに。負けん気の強いお嬢さんだ。


「……いやじゃがしかしマリミの場合は練習というより猛特訓と言ったほうがよいな寝食を忘れて打ち込んどる元々横笛の心得はある故そんなに練習せんでもいいはずなんじゃが何を考えとるのやら儂には若き女子の考えはよう判らん判らんて」


 横笛の技術で一回り年下の小娘を打ち負かそうという、なんとも幼稚なことを考えてんですよ、あんたとこのお嬢さんは。

 心中大いに毒づき、その代替として冷ややかな溜め息を細々と吐いた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 幾何学模様の塗り込められた円柱が壁際に立ち並ぶ広大な応接間に到着すると、通用口に控えていたチェリオーネとドルクがいつになく慇懃いんぎんに頭を下げた。二人の秘書官が同じ場に居合わせるとは珍しい。それだけ神官団代表のお出ましに気を配っているということだろう。

 非常識なまでに長い黒檀の机には、既に二人分の洋盃が置かれていた。

 椅子を引いてもらい、まず神官長のジジイが席に着く。

 俺もドルクに椅子を引いてもらったが、慣れぬ所作に座るのを一瞬躊躇ためらってしまった。要らんお世話だ。椅子ぐらい自分で引けるわ。


「そちも暇があったら見に来るとよいぞあんな素晴らしい木彫りの神像は世界に三ついや二つとないわい」


 姫君のお喋りが神官団の愚痴に終始するように、神官長のジジイは口を開けば神々への感謝だの、勇者聖者の末裔たる自分たちの自慢ばかりだ。内心辟易へきえきしつつも、表面上は取り繕うのを忘れぬようにしないと。


「はあ、そんなに素晴らしいんですか」

「うむ景品にするのが惜しいくらいじゃそもそも製作に用いた樹が特別じゃからの黄金の鷲に化身した至上神が枝に宿ったという伝説を持つ聖なる樹木を一本丸々り倒してな」


 本当に〈伝説の〉とか〈聖なる〉って単語が好きなんだな、このお気楽な神官どもは。あと、そんなどえらい樹を伐り倒しちまって、天罰が下ったりはしないのか? 他人事ながらちと心配だ。


「じゃが並の刃物では歯が立たぬのでな街の鍛冶屋に頼んでわざわざ伐採用ののこぎりを三本ばかり作ってもらってそれを神前にまつったのちようやく伐り倒すことができたのじゃ」


 神には神を、ってわけか。それにしても、鍛冶屋のじいさん大忙しだな。趣味で武器作って依頼でも鋸作って。


「細部の造形には十人もの著名な彫刻師が関わっとるんじゃそのおかげで報酬のほうも莫大な額になってしまったわいいやいや金額は訊くでないぞ訊いたら眼の玉が飛び出るでな」

「その鍛冶屋にも当然支払ったんですよね?」


 神官長のジジイは舌を湿らせる程度に飲み物を啜ると、


「払おうとしたんじゃが頑として受け取ってくれんかった埒が明かんので無理矢理紙幣を五十万ポォほど置いていったがあの様子じゃ懐に入れたかどうか怪しいものじゃほんに変わった男よ趣味というか道楽の延長なのじゃなきっと」


 なるほど。一応金は置いていったのか。守銭奴でない分、金銭第一のギャンカルより多少はましか。


「それはともかくじゃそうして出来上がった至上神の立像は種々の宝玉や黒曜石をちりばめた荘厳なるお姿なのじゃよ中でも見事なのが三種の神器の一つで神ご自身の持ち物でもあらせられる三叉の槍でなあれはなんという名前じゃったかの確か法と何やらとかいう名前じゃったはずだがおお思い出したぞ〈西風と法の三叉戟〉じゃ〈西風と法の三叉戟〉確かに〈西風と法の三叉戟〉じゃ儂の記憶力もまだまだ衰えとらんなあ話を戻すがあの槍の神懸り的造形と大きさはいつ見ても惚れ惚れするぞよもし実物が現存しておればあのような形だったに違いあるまいて自身の手で彫り上げた彫刻師たちや彩色を担当した技師たちまでもが当代随一の傑作であると口を揃えて言うとるしな早く皆の衆に見せたくてわしゃ今からうずうずしとるんじゃ音楽祭当日が待ちきれんわい」

「そ、そうですな。いや全く」


 長広舌が途切れるのを待ち、俺は頷いた。嘘ではない。大音楽祭は俺も楽しみにしている。こいつらの利権さえ絡んでいなければ、もっと心から楽しめるんだが。


「そのうち見せてもらいますよ、最高神の……」

「至上神と呼べその最高という形容は俗っぽすぎるぞよ」

「はあ、すいません」


 どっちでもいいだろ、という思いを舌の裏に隠し、急いで二の句を探す。至上が良くて最高が駄目。どういう基準なんだよ。


「いやあ、それにしても平和な時代になりましたね。独裁制の頃は、神々の像どころか神の名を書き記すことすら禁じられてましたし」


 何気ない俺の発言に、しかし神官長のジジイはカッと眼を見開き、諸手を大きく振り上げた。

 なんだなんだ? 良かれと思って言ったんだが、逆にまずかったか?


「おおそうじゃそうじゃあれは禍々しき暗黒の世じゃったあの忌々しい護民卿めがいやそりゃあもう恐ろしい時代じゃったよ」


 神官長のジジイは眼尻に涙を浮かべて席を立ち、不意に俺の手を握り締めた。

 な、なんだおい気持ち悪いな。しかも古紙みたいな感触。


「儂ゃなこれでもそちにはいくら頭を下げても下げ足りぬほど感謝しとるんじゃそちらが力を合わせて護民卿を打ち倒さなんだら儂ら神官一族は今でも都の外れの洞窟で惨めに暮らしとったじゃろう」


 その頃の控え目な生活を、少しくらいは継続実践してもよさそうなものなのだが。


「そちらが掲げたあの標語は今も儂らの心に鮮明に刻まれとるぞ」


 標語?


「あれがあったからこそ民草は一致団結して独裁制に立ち向かえたのじゃ母国語さえ奪われた儂らにあの〈暴虐の嵐を止めろ護民卿の圧政を止めろ三重に偉大な海風の平和を取り戻せ〉という標語がどれだけ輝いて見えたことか」


 ……ああ。


「そういえば、そんなのがありましたかな」

「忘れとったのか!?」


 神官長のジジイは疲れ切った面持ちで座り直し、天を仰いで嘆息した。それを見て、困ったように顔を見合わす二人の秘書官。

 そういえば、前にロッコムがそんなことを言っていたか。すっかり忘れてたわ。

 気を取り直して一口目の黒い紅茶を啜る。

 ……ん……黒?

 紅茶なのに?


「……に……」


 苦っ!


「ぶほっ!」

「うおっ!?」


 耐えきれずに吹き出した黒い液体が皺だらけの顔にかかり、更に苦渋の皺を寄せる。洋盃の中身は紅茶でなく、ジジイお気に入りの珈琲なる飲み物だった。〈深き森の公国〉産の高級品とのことだが、飲み慣れぬ身には只々苦いだけの代物だ。


「…………」

「…………」


 全員の視線が冷たい。俺は未だ苦みに痺れる舌を持て余しながら、机の下に潜り込みたい気分だった。


 ……大音楽祭まで、三の二倍に足すことの二日。あと八日。

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