第16話 記晶石 無機人形と生命の要素

 はじまり

 

 その世界には、神様がいた。

 

 神様は人間に問題を与えた。


「私達の大切なものを盗めたら、新たな神様にしてあげましょう」と。

 

 人として知らぬ者のいないその問題に、多くの人間が挑んでいった。

 

 だが、今まで誰一人、神様の場所に辿り着くことすらできなかった。

 

 やがて人々が諦め、問題を知っていても無視するようになった時代。

 

 一人の女の子が問題を解いてしまった。

 

 しかも、神が一人死んでしまった。

 

 人々も、神様も揺れた。割れた。驚いた。

 

 なぜか――その女の子が事実を一切明かさずに姿をくらませたから。

 

 出会った人々は納得し、無機人形さえもその名を知る。

 

 まだ消えきらない女の子と、出会う運命にあったから。

 

 これは、それを知りつつ旅をする一人の女の子の物語。



 科学と機械技術の極地と称えられる里、メカニズモ。

 その名は広く知られていても、どこにあるかはほとんどの人間が知らない。

 理由はふたつある。

 

 ひとつは、メカニズモが秘境とも呼称される、いわゆる“里”であったから。

 もうひとつは、メカニズモという里が、既に廃れきっていた廃里だったから。

 

 どっちがより重要な理由か――語るまでもなく後者である。そう、メカニズモには機械の住民はいても『人間の住民』はひとりもいなくなっていたのだ。

 そのきっかけは200年以上前に遡る。メカニズモに厳重保管されていた宝玉、記念の神こと迷=アンティックから神告宣下と共にもたらされたみっつの記晶石の内ふたつがメカニズモから失われたことに端を発する。

 記晶石を持ち出した輩は、メカニズモの社会に馴染めなかった新入りだった。彼曰く、機巧の里メカニズモに未来を夢見て探し当て、里の一員となったまではよかったけれど、そこで得たものは里の誇る最高技術を理解できない自分の限界と失望、絶望だったという。

 そして彼は自分を差し置いて独裁独善的に技術を突き詰めていくメカニズモの本流に対し次第に反発を強めていき、ついにはメカニズモの宝である記晶石の内まだ使われていなかったふたつ、オクとネンを盗み、逃走したと伝えられている。当時のメカニズモ上層部もことの大事ぶりに当然大混乱。死力を尽くして記晶石の取り返しを図った。

 ……が、それは徒労に終わった。記晶石がメカニズモの者の手に戻ることはついぞなかったのである。まるで記晶石自体がメカニズモに帰ることを拒否するように、転々と持ち主を移し移ろいメカニズモの手から遠ざかっていった。そして50年近くが過ぎたころ、メカニズモを抜ける者が出始めた。メカニズモの発展のために必要不可欠な記晶石を取り戻せない現実に失望し、里を抜けていったのだという。そしてひとり、またひとりと里を離脱する動きは続き、いつしかその流れは主流となりまた50年近くが経ったおよそ100年前、とうとうメカニズモから人間はいなくなった。みんな培った技術を売るべく、町へ都へと移住したのだ。今まで開発したカラクリも無機人形も、全部残して置いたまま。

 そしてメカニズモは廃れたが、決して滅びはしなかった。

 なぜなら、元住人たちが作った意識を持つ無機人形たちが、新たな住人としてメカニズモの里を運営し始めたからである。有機生命体の人間から無機素材で作られた人形たちへ、メカニズモの構成母体は身替わり様変わり代替わりしたのである。機械技術の発展はその成果である無機人形たちに受け継がれた。しかし元が機械の無機人形たちでは研究発明などで成果をあげられるはずもない。できて自己改良からなる最適解を求める程度。計算はできても革新や発明は出来ない。それが無機人形たちの限界であった。

 結局メカニズモの誇った技術は100年前からほぼ変わらぬまま無機人形たちに保管され永い間護られ続けてきた。それでもメカニズモの技術は今なお未来を行っている革新的な技術である。100年前に去った者たちは技術の全てを里の外に伝えなかったし、そもそも100年前の外の人間の知識水準では、メカニズモが培った技術を使いこなすことができなかったのもある。メカニズモの機械技術は里の外や気象一族花一族といった他の里の知識見識常識をも置き去りにするほどの真新しさを持っていたのだ。今でも未来なのだから、100年前など推して知るべし、であろう。神様の問題こそミコに先んじて解かれてしまったが、人間の“水準”が一番先を行っていたのは今も昔もメカニズモなのである。

 

 そんな秘境とも隠れ里ともいわれるメカニズモにミコ=R=フローレセンスは向かっていた。里の衰退……その原因そのものである記晶石に引っ張られてだ。何の因果かもわからないが、ミコが俗世へと消えたふたつの記晶石を入手してからずっと、記晶石はミコをメカニズモに連れて行こうとしていた。しかしミコにはミコの都合があったしまた優先すべき用事も多数入っていたので今まで記晶石の訴えは先送りにしてばかりだった。だが自分の宿命を知り時間が限られていることを知ったミコは、『やっておきたいこと』を次々消化し始めた。気象一族からの離脱、神様との決着、心樹オピィとの再会、リバムークの世話と花見、シク=ニーロの謀殺――と記晶石の用件より優先順位が先の物事を順次こなしてきたミコ。

 そしてとうとうそのお鉢が、記晶石に回ってきた訳である。これも宝石と意思疎通が可能なミコでなければできないことだった。ふたつの記晶石はまず自分達に宇宙エネルギー、いわゆるCOSMO素粒子を注入し、自分達を活性化させるようミコに依頼した。ミコがその依頼を霧大陸の日時計塔……改め宇宙生物たちの宇宙船内にて見事果たして魅せると、記晶石はミコをかつての故郷、メカニズモへと誘導した。自分たち記晶石をあるべき場所へ――ある無機人形の中へと組み込むために。

 ミコは余り深く考えずその頼みを受けて、ふたつの記晶石に導かれるまま空中を移動して海越え山越え雲を越え、メカニズモのある湖の麓へとやってきたわけである。

 湖の麓にある何軒かの家屋と工房、そして多数の壊れた建物――廃里の必要十分条件を満たした場所。確かにメカニズモね――空中から鳥瞰していたミコはその存在を知りながらも今まで訪れることのなかった里を目視し、その正体を理解する。「なるほど、噂通り」だと。

 寂しい噂を確かめてもそんなことに感傷を抱くことはしないミコ。あくまで自分のペース自分のスピードで事を進める腹積もり。ミコはここまで自分を導いた記晶石ふたつを影帽子のがま口チャックの中にしまう。引っ張っていた光の紐を引きちぎって繋がりを消してだ。そしてモーターパラグライダーを調節して、メカニズモの里に入る門の上に足を着けた。身体を浮かしていたグライダーは風を失いミコの身体、そのもっと下、門の下の地面へと落ちかけていたが、ミコは脱皮の要領で装備一式を脱ぎさると、影帽子のがま口チャックを開いてすぐに装備を影帽子の中へと取り込みはじめた。決して急いではいなかったけど、頃合い良過ぎるミコの所作は切り離されたエンジンユニットは言うに及ばず落ちていくグライダー部分も土に着けずに引っ張り上げ、汚すことなく収納しきった。収納が終わる瞬間の衝撃で身体が揺れたが誤差と想定の範囲内、門から転げ落ちるようなことにはならない。むしろこの機会を逆に利用し、毅然と門の上で立ち上がるのがミコ=R=フローレセンスなのだ。

 門の上に立つミコの姿は、優雅かつ優しい。しかし高い位置に陣取ったので、必然的に村そのものは見下ろす……もとい見下す格好になる。けれどミコの姿はさっき表現した通り。優雅かつ優しい。つまりこういうことである。

 

 空を見上げることが好きで様になっていると一般に知られたミコ=R=フローレセンス、実は見下すのも同じくらい得意で様になっていたりする――ってこと。

 

 悪意も蔑みも邪気もない、ただ上から見下ろすミコの視線は見られる方にとっても不思議と好ましい魔法そのもの。その魔法に惹かれ引かれるのは人間だけにとどまらない。今のメカニズモに住む『住民』、無機人形たちとて例外ではないのだ。

 防護境界を突破し侵入してきた余所者を迎撃するために出動してきた戦闘用の無機人形たちも、門前で立ち止まってミコの佇まいに魅せられていた。意識だけで感情もない無機人形がだ。ミコの魔法は万人万物に等しく通じる、これぞまさしく魔法だろう。

 だけど、魔法立ちしている当のミコ本人は、自分の佇まいに価値や利益を求めてはいない。全くの無自覚でそうなった佇まいを自分でどう評価していいものかわからないという立場なのだ。なので一切の未練なく、ミコは戦闘用に武器を持った無機人形たちのいる地面へと飛び降りた。実はそれこそミコがやりたかったことなのだ。かっこよく着地、それを一回でなく二回やって魅せるのがミコの独特な流儀であった。

 着地音を一切出さずに地面へと降り立ったミコ。視線が地面に平行線を描いてまっすぐに無機人形たちに届く。すると無機人形たちはおもむろに武器を構えて動き始める。多数で少数……というかミコ一人を追い込み蹂躙するための陣形へと。魔法が解けたからだ。

 その陣の中に飛び込むミコは、さながら飛んで火に入る夏の虫状態であった。圧倒的にまずい状態。でもミコは全然慌てず、影帽子のがま口チャックから黒い楔を幾つも取り出して手に握り、ただ待っていた。相手の先攻を。じっくりゆっくり急がずに。

 だけど周りまでミコの都合に合わせて動くとは限らない。意識はあれど感情のない無機人形なら尚更のことである。無機人形戦闘部隊は先の佇まいと違い魔法のかかっていないミコの所作をその意識をもって一刀両断に切り捨てて、ミコに向かって武器を向け飛び掛かってくる。上から下から前後左右から。侵入者を排除しろとの“意識”に従って。

 ミコは急がずポンと飛んだ。軽いジャンプで地面との接触を絶つと、さっき黒い楔を取り出した際に開けっ放しにしておいたがま口チャックからポゴスティック付きの黒い足を一本だけ取り出す。地面を潜って下から槍を突き出し現れた無機人形たちの攻撃を先のジャンプでギリギリ躱すとミコはポゴスティックの先を一番上まで来ていた下からの槍の先にはめ込んで地面の代わりの支えにしてしまう。そしてその一本足を軸にくるりはらりと一回転。上下前後左右全方向に黒い楔を撒き散らかす。

 するとどうしたことか、突如としてミコに向かってきていた無機人形たちの動きが止まったのである。地面に足を着けている前後左右下はともかく、上から飛び掛かっていた無機人形たちも空中で金縛りにあったかのように固まってしまっていた。その影にはひとつ残らずミコの投げた黒い楔が刺さっていた。そう、これはミコの影の秘術のひとつ。影の秘術で使った黒い楔は他人万物の影に刺すことで影越しに座標を固定、変わること動くことを規制し封じることができるのだ。早い話が影を通した行動制限である。

 いつもならしてやったり計算通りと笑うミコだが今回はポーカーフェイス。なぜなら周囲が笑顔の価値を認識できない無機人形たちだから。なので攻撃の手が止んだ後、ミコは速やかに黒い足先のポゴスティックに力を込めて、ホッピングの要領で自分に向かってきていた無機人形戦闘部隊の群れの合間を縫って抜け出す。門から障害物を抜けて十歩先へと里の中に入ったミコは動けない無機人形たちに一瞥もくれてやることもなく、黒い足をがま口チャックの中にしまって自分自身の両足で着地する。余裕もあったので両の手を広げ、十字状のポーズでかっこつけてまで。魅せびらかす相手もいないというのに……。

 ミコもそこはわかって――いなかった。否、いたのである。着地一連の所作佇まいを魅せるに値する対象が。ミコはそれを知っていた。その“もの”に会うためにメカニズモに来たのだから。

 

 そう、最初から、ずっと……その目的その対象は、ミコを見ていた。

 部下たる無機人形たちをけしかけた、メカニズモ無機人形社会の頂。

 ミコは着地後真っ先真っ直ぐにその姿を捉え、楽にして名前を問う。

「はじめましてね。あなたがメカニズモの最高傑作、アリスかしら?」

 ミコにアリスと呼びかけられた無機人形は、聞くと同時に身構えた。

 そして人間でも中々いない癒し声でミコの指摘を事実と認めたのだ。

「ワタシはアリス、認証更新必要無し。相手は人間、排除を開始する」

 排除開始。その詞と同時に無機人形――アリスはミコに襲いかかる。

 ミコも応じる。アリスの襲撃に合わせ、影帽子から武装を取り出す。

 ここに、出会い頭の衝突戦、その火蓋が切って落とされたのである。



 ミコは黒い腕と黒い足を多数複数と言っても少数、影帽子のがま口チャックから取り出すと黒い足を全周囲の地面に接地させ身体を固定させて黒い腕でもって正面から向かってくるアリスを迎撃する用意に入った。黒い腕の先、黒い手には自慢にして自作の刀、無銘にして自ら名付けた背心刀・雨を持たせて即座に抜刀、切れ味抜群の刀とそれを保護する頑丈な鞘の二本立て、斬撃と打撃で迫ってくるアリスへの対応とする心積もりだった。思うと同時に動作を起こし、思った通りのパワー、スピード、タイミングでアリスに二撃、食らわせられる――ミコは信じていなかったが疑いもしなかった。ただ当然だと思っていた。

 だが、アリスはその予想を覆す対応を魅せた。ミコが同時に繰り出した斬撃と打撃の挟み撃ちに対し、着ているドレスの内側から小さなパイプを取り出し行く先へ投げるとパチンと指を鳴らしたのだ。するとパイプは一瞬の内に多段式に伸長して両端がミコの刀と鞘にぶつかり、鋏状の攻撃を一瞬だけ止めて魅せる。そしてそれがスイッチだったのだろう、延びたパイプの両端が爆発したのだ。ミコは攻撃の過程において武器を加速させてはいなかった、初速を加速させたまま、後は慣性任せだったので止められた瞬間抵抗が発生し再加速を、力むことを余儀なくされる。その隙を狙われ爆破されてしまった。後手に回ってしまったのである。しかも爆破の規模は大きすぎず小さすぎず、絶妙の煙幕を生み出してミコの視界を覆い隠した。ミコは元から視覚だけに頼って闘う人ではなかったが、それでも発生した爆煙は嫌なイレギュラーに他ならない。永年の闘いから得た経験則と鋭い勘でアリスがこの先爆煙の中から飛び出してくると予測、反応速度と状況を鑑みて出していた黒い腕を数本壁に、なお余る数本を拳として爆煙の周囲から奇襲させようとした、が!

 現実は空想より魔なり。なんと爆煙の中でもう一発、爆発が起こったのだ。しかも規模が最初のパイプ爆弾よりもはるかにデカいときた。先達に畏敬の念も抱かず塗り潰すように、二回目の爆発で発生した爆風は一気にそれまで存在した爆煙塵芥を吹き飛ばし、広範囲を煙で覆う。ミコが壁にしていた黒い腕も、何の用もなさなくなってしまった。今や爆煙はミコの全周囲を覆っていた。それどころか、飛び散る塵が目に入ってしまい、ミコは思わず目を閉じる始末。その好機かつ危機を、お互い逃すことはなかった。

「来るわね……来なさい!」

 ミコは自分の目は閉じたまま視覚以外の感覚で五里煙中の中相手たるアリスに詞をかける。誘いの詞ではなく命令口調による誘導。それに乗るかのごとく、煙幕を突き破って両刃の剣がミコの後ろ左側から飛び出した。

「そこっ!」

 ミコは剣が突き出てくるより先に影帽子から出していた黒い腕、そして黒い足を地面に叩き付け、関節と手足そのものの長さを伸ばすことで影帽子を被る自らの身体を逆立ちの要領で地面から宙に浮かせ躱す。空を切った剣と共に、無機人形なのに人間と違うところないアリスの姿がようやく開いたミコの視界に入る。アリスもミコを見上げて一瞥。目と目が合った一瞬だった。闘いも忘れる刹那の僥倖。

 その静止状態を破ったのはミコの方だった。アリスのいる位置――即ち攻撃対象の自分がいた位置に向かって予め投げ飛ばしていた背心刀・雨とその鞘がアリスの剣と同様に煙幕を破り、回転しながらアリスに向かっていく。アリスはそれらを自分の剣で弾き飛ばす。結局攻撃にならなかった刀と鞘は飛ばされた方角に備えさせていた黒い手に掴まれ、また手持ちまだ手持ちの武器のまま元ある場所に戻り納まる。

 ミコは帽子ごと逆さになった体勢のまま、すぐさま次の行動を起こす。影の秘術、シャドーコピーで黒い手に背心刀・雨と鞘を持っていない手持ち無沙汰の黒い手に黒い背心刀・雨のシャドーコピーを一斉に生成、握らせてその全てで爆煙の隙間に入るアリス目掛けてこれまた一斉に斬りつける。門を飛び越えた直後襲いかかってきた無機人形戦闘部隊と同じ全周囲包囲の戦術である。ミコは無機人形たちの動きを止めてくぐり抜けたが果たしてアリスはどうするか、試してみたいという意図も含んでの行動だった。

「さあ、どうする?」――迅速的確な中に呑気さも含んだミコが観察する中、アリスはミコの攻撃に対する迎撃行為を開始した。そこでまたもや、アリスはミコの予想を超えた、神業にも劣らない凄技を魅せつけてきたのだ。まず全方向から襲ってくる刀の合間を狙って自前の剣を全力と思しき力で投擲し、そしてそのあと投げた剣を柄に括り着けていた糸で操って全方向に振り回し出した。ミコの刀軍団の隙間を縫って投げられたアリスの剣は振り回されることで黒い腕を切断し始めたのである。降り掛かる火の粉ことミコの斬撃より速度を上げた“機動”は『後の先』の体現。ミコの刃がアリスを切るより先に、アリスの剣がミコの黒い腕を切って切って切りまくったのである。大元と切り離されるという予想外の損傷を受けたミコの黒い腕と手に握られた刀のコピーは勢いを失って十本総墜落、アリスまであと1mを切っておきながら、とうとう届かず地に伏すのであった。まるで剪定された枝葉のように、本物の背心刀・雨を持った手含め一本残らずアリスの足元に落ちた黒い手は、枯れ木のように佇むのみ。アリスはこの機を逃さず跳躍、糸を引いて剣を手繰り寄せるとその柄をしっかり両手で握り締め、多段加速でもしているかのような脅威のスピードでぐんぐん逆立ちしているミコとの距離を詰めてくる。

「やばっ……」これには観察なんていう尊大な態度をとっていたミコも肝を冷やし、すぐさま“心構え”を『戦闘専念』状態に切り替えて対応する。まず開いている影帽子のがま口チャックから飛行用の黒い羽根一対を念のために展開させておき、既に目と鼻の先にまで迫ってきていたアリスから逃げの手を打つ。逆立ち状態を支えていた残りの黒い腕を地面からパッと外し、さらに黒い足の関節を力抜き=膝カックンの要領で素早く折り畳むことで自分の身体を重力任せに急降下させたのだ。落ちると同時に影帽子もろとも姿勢を逆立ちから直立状態に戻した瞬間だった、アリスの剣戟一閃がミコの頭上ギリギリを掠めたのは。

 ミコは残しておいた背心刀の鞘で空を切ったアリスの剣を叩き付ける。今まで見たところ、まだアリスは飛行能力を使ってないと判断できたので剣を弾くことでアリスの身体を遠ざけようと図っての行動だった。実際それはうまくいき、アリスはミコが鞘で弾き飛ばした剣に引かれる形でミコから遠ざかった。差し潮逃さず、ミコはその合間にさらに身体を落とし、自分の足が地面に付くか付かないかの線で黒い足に力を入れ、逆立ちもやめて身体を戦闘状態の基本体勢である浮遊状態に持って行く。並行して黒い足と一緒に逆立ちを支えていた黒い手全てでアリスに切り落とされた黒い腕の先と背心刀・雨を回収する。このときミコは「全周裂開!」と叫び、がま口チャック円周一周分に完全展開させ黒い手がどの方向からも出られるように配慮した。アリスの方を向いていたミコの背後を漁る黒い手たちは、一本が背心刀・雨を持っていた手と接続、融合させて新たな黒い腕とする一方、シャドーコピーを担わせていた手の方は回収に使った黒い腕共々がま口チャックの口の中へと一旦収容する。アリスの剣戟を観察して、物量作戦が有効ではないと判断したためだ。

 そうして黒い腕黒い足の数を厳選したミコはすぐさま新しい武器を黒い腕に握らせて取り出した。新たに取り出した黒い手に握られていたのは、黒く金色の縁取りが眩しい銃。

 これこそミコが武器製造会社コフィン社に命名権ごと特注し購入後も独自の改造を施した一品であるミコの射撃用銃器、『W-square NS46』だ。ミコはがま口チャックから二本の黒い腕でNS46を持ち支えさせながら取り出すと、支えていた方の黒い手で触れていたバレル下部の『爪』をショットガンのスライドのように奥へと尋常ならざる力で押し込むと、もう片方――グリップを握っていた銃操作本命の手でアリスへと銃の照準を合わせ、合ったらすぐに全弾発射。リボルバー式のマガジンは6発式で中には当然6発の特殊銃弾が装填されていたが、ミコは遠慮も躊躇もなく、6発全弾撃ち尽くす。緊急時のために1発予備に保険に残しておくなんて考え方は、ミコにはないのだ。なのでアリスへと合わされた銃口から銃声が6発、三連音符二回弾きみたいな感じで一気ひとまとめに発射された。それと同時に、空中に静止していたアリスの身体は弾け飛んだ。実は全弾剣で受けていたにも関わらず、奇妙なことに六回も弾き飛ばされた。

 後。

 後。

 下。

 下。

 下。

 下。

 ――という具合に。アリスは姿勢を整えることもできずにまだ使っていると思しき家屋に天井から突き落とされる。それを見届けてミコはニヤリと笑う。消速の速度で6発の銃弾を発射してもアリスなら防ぐ、実はNS46を取り出す前からそういう気がしていた。だからミコは影帽子の口の中から取り出す前に装填していた銃弾を交換したのだ。その身に直接当たらなくとも、受ければ効果を発揮する、前後左右上下の六方向から選んだ一方向に弾き飛ばす特殊銃弾『軌道弾』に。銃弾に仕込んだ方向は「後」がふたつに「下」がよっつ、それらをあの順番でアリス目掛けて発射し予定通り“当てた”ことで軌道弾は効果を発揮、宙に浮いていたアリスを六回弾き、里の中へ突き落としたというわけだ。まさにミコの戦略予想図通りの展開となったわけである。

 しかし『戦闘専念』の心構えでいるミコはこれだけで戦果が出たとは判断しないし満足もしない。油断せずにNS46に次の銃弾を6発込めて今度は『爪』を押し込まずにまずは3発発射した。里にある家屋の中に墜落したとはいえ、アリスの位置はずっと全感覚を総動員して捕捉しているミコ。その射撃は正確無比にアリスの身体に向かって飛んでいく。

 今度こそ当たるかと思いきや、またしても邪魔が入った。さっきの軌道弾を剣で防がれたように、今度は瓦礫が邪魔をした。軌道弾の衝撃でアリスが墜落し木っ端微塵に倒壊した家屋、さらにはその両隣、まだ使えるであろう家屋さえも巨大な力で瓦礫の山へと分解され、ミコが放った3発の銃弾へと当たりに行き始め、銃弾の行く手を阻み出したのだ。

 余計な方向から大量の瓦礫が銃弾に当たっては弾かれる。これが少量で済んでいたならミコも安心できたのだが、あいにくアリスが放った瓦礫の量は『山盛り』と言っても過言ではない尋常ならざる量だったので、そこに壁でも作られたかのようにミコが放った3発の銃弾はアリスに届く前に勢いを失い、停められてしまったのである。しかし敵も然る者だがミコも然る者、今回撃った3発の銃弾もまた通常の弾丸ではなく、特殊銃弾であった。その名も『火災弾』。着弾した際の小さな摩擦を何十倍にも増幅し、熱火災を引き起こす引火させるにはうってつけの銃弾――木材だけでなく、石膏やコンクリートなど燃えない素材も剥がし焦がして3発の火炎弾はまず木材を燃やしてみせる。すると予想だにしなかったことが起こる。ミコとアリスの間を埋め尽くしていた瓦礫全てを吹き飛ばす規模の粉塵爆発が起こったのだ。火は爆風と一緒に広範囲へと一気に広がり、あちらこちらで火の手が上がる。ミコでさえ自身の両目を爆煙や砕けた瓦礫から守るため自身の両腕で覆い隠す。もっとも、ミコはレインとしての雨を操る能力で大気中の雨の属性が抜けきらない水分を引寄せ自身の周囲を覆い囲み、爆風の直接接触だけは避けていたのだが。様式美というやつだ。

 やがて爆風が里の全てを通り過ぎ、メカニズモ全土の至る所で火の手が上がり出した頃、ミコは両腕で遮った形だけの狭まった視界の中に、確かに見た。

 

 炎が揺らめく中その火を一切問題とせず、瓦礫の上に立っている、アリスの姿を――。

 

 冗談かとミコは疑って一旦瞼を閉じてから再度目を開き見るが、やはりそこにアリスはいた。次に構えていた腕で目をこすってみたが、やはりアリスの姿はそこにあった。

 

 メカニズモの無機人形の中でもっともヒトに近い姿で。

 足元の炎も、纏わりつく熱気もものともしない姿勢で。

 破壊された瓦礫の中、いつでも剣を振り回せる構えで。

 何の感慨も抱かず、者を物としか見てないような目で。

 メカニズモの最高傑作、記晶石の器たる無機人形、『アリス』はただそこにいた――。

 

 ミコはその有り様を真っ直ぐな目で見つめる。そして複雑な心境になる。正直な話アリスの佇まいには魅せられていたとさえ恥じることなく告白できるミコだが、その評価基準には問題があると自覚していたのがその理由。即ち“無機人形”としての“モノ”としてのアリスに魅せられている己の心の有り様が容認しかねる状態だったのである。なぜか? それはミコがアリスを“モノ”ではなく“生命”にするためにメカニズモに来たからだ。

 そう、ミコが記晶石に頼まれ引っ張られるままメカニズモにやってきた目的とは、みっつの記晶石全てを組み込むことでアリスを完全な『次世代生命体』へと進化させることなのだ。古の頃、アリスが作られたとき、その身体にはみっつの記晶石のひとつ「ロク」が組み込まれていた。本来なら宇宙エネルギーを充填した残りの「オク」、「ネン」も間を置かずにアリスに組み込み、アリスは人をも越えた次世代生命体として完成するはずだったのだが、オクとネンはエネルギー充填中の最中持ち出されてしまいアリスは未完成のまま起動したというのが真実。持ち出された記晶石ふたつも持ち主である人間たちにあっちこっちと流れ流れて本来の用途も忘れ去られてしまい、時が経つこと200年以上。俗世中を巡り巡った記晶石、オクとネンのふたつはようやく事情を知っている者の手に帰ることができた。その人物こそミコ=R=フローレセンスだったのだ。ミコの事情ですぐにとはいかなかったが、ようやく今こうしてミコはアリスを完成させ生命とするためにメカニズモを訪れ、アリスと対峙しているわけである。本来ならミコが持っている記晶石をアリスに触れさせ押し込めればそれでいいはずなのだが、人が去りし無機人形だけの里となったメカニズモを管理するアリスの行動基準はこの200年近い時の中で排他的な人間排除へと自己更新されていたようで、前述の戦闘に繋がっているわけである。しかもアリスの実力は、未完成のくせにミコを唸らせるほど高かった。ミコ自慢の黒い腕を切ってしまうほどの強さを持つ存在なんて、神様にだって勝てるレベルである。その予想外の強さを前に、ミコもまた軌道修正、計画の見直しを余儀なくされていた。滅多にならない『戦闘専念』の心構えでいることもあり、余計な部分は極力排除、目的達成のための機械にも似た存在に、ミコは己を組み替える。その結果――。

 ミコは黒い足と影帽子で浮かせていた自分の足を地に着けて、靴で地面を踏みしめる。さらに黒い手に持たせていたNS46を自身の右手手元へと手繰り寄せ、NS46を自身の右手で受け取り握る。背心刀・雨は鞘に納刀し、黒い手に握らせたままにしているが、その手は他の黒い腕、役目を終えた黒い足と一緒に全部まとめて関節部分で折り曲げて縮め、がま口チャックの口から影帽子の鍔の上に待機させる。

 こうしてミコは、普段一般影帽子と影の秘術(と、ときたまレインの力)を使う戦闘スタイルから滅多ろくに使わない、系統樹から離れた存在であるミコ自身の肉体を使う戦闘スタイルへと、戦法を組み替えたのである。右手に持ったNS46をくるくる回すなど調子に乗っている面も否めないが、ミコの場合その形容は一般のそれとは違う意味を持つ。

 

 調子に乗っている時ほど、調子がいいのだ絶好調だ――となるのだ。

 

 ミコは遊びもそこそこに回していた拳銃NS46をしっかり握り直し、手ごと右の太腿に添えて射撃体勢をとる。目を初め、感覚の96%をアリスに集中させる。ミコは大きく肩を使って一回深呼吸をする。炎の中燃えることもなく静かに佇むアリスと呼吸を終えてスイッチを完全に切り替えたミコの間合いが見えない空間の中徐々に広がり……そして接触した。

 その瞬間が、戦闘再開の雷管だった。ミコはNS46の照準をアリスに合わせて装填していた残り3発の銃弾を熱銃弾加速機巧の爪を引いた状態で素早く三連射。それと同時にミコ自身も自分の足でアリスに突進を始める。アリスはほぼ同じ“消速”の速度で迫り来るミコと銃弾のどちらを選ぶといった判断も悩むこともなく、剣を頭上でひと回ししてから火の気の消えない地面へ突き刺す。するとアリスの周囲に防護境界の膜が出現。ミコより早くアリスに迫っていたみっつの銃弾は全て防護境界に阻まれ弾かれた。三者三様の方向へと。

 だがミコは弾かれた銃弾を全部そのまま「さよーなら」と退場させず、弾かれたひとつの銃弾に再度加速して追いつくと、空中で一回転して折り畳んだ自身の両足で銃弾側面部を踏みつける。そして踏みつけた銃弾が弾かれた弾道に引かれて自分の足を通り過ぎないうちに、足場として蹴り飛ばしたのだ。凄腕のガンマンが弾かれた銃弾を狙って射撃し、当ててみせるという芸当がある。ミコはそれを「銃弾」ではなく「自分自身」に置き換えたのだ。これにより軌道の読めない跳弾に似た感覚でミコはアリスの不意を突きにかかる。効果があるかはさておき、ミコ=R=フローレセンスという女の子はこういう戦法を滅法好む。もっともその好みも、「人生三周目」と表する経験則に裏打ちされたものであるから、無謀というわけでもない。ミコは『戦闘専念』の心構えでいる内はそこまで無思慮で無駄なことはしないのである。

 だがそんなミコの洗練された戦術も、アリスはたやすく防いで魅せた。地面に突き刺した剣を引き抜いて真上に突き上げ、ドーム状の全周囲防護境界膜を先の防護境界に上乗せする形で展開したのである。さすがに全周囲防御となってはミコも対応しきれない。というより、消速の速さで動いていたので既にミコの身体は展開された防護境界に接触するところまで来ており、攻撃動作を変更する時間自体が全然なかったのである。あらかじめ決めていた攻撃――振りかざしたNS46の爪とアリスの防護境界がぶつかる。突進していたミコの身体も止められ、アリスの防ぎ勝ちとなりそうだったが、ミコはすぐに追撃を加える。NS46をさらに黒い手に持たせていた背心刀・雨の鞘で殴りつけたのである。即座かつすぐに行われた、実質二連撃ともいえる追撃を受けた防護境界はミコ自身の腕と黒い腕のパワーを重ねがけで受けたことで、耐えきれずに瓦解した。防護境界が砕け散ったのを感知したアリスが、顔をミコの方に向ける。そしてその顔に備わった口を大きく開ける。声でも発するのかと思うなかれ、出してきたのは内蔵されたエネルギー源、記晶石ロクから生み出されているエネルギーの奔流――つまりは光線だったのだ。これに対しミコは自由の利く自身の左腕を押し出して光線が左手を焼くより早くアリスを取り囲む形で防護境界の球状監獄を作り、光線を防ぐと同時に内部で乱反射させた。行き場を失った光線はもはや、撃った張本人であるアリスを焼く勢いの災厄。アリスは即座に危険を感知し、持っていた剣でもってミコの張った境界監獄を破るべく動いた。身体と衣服が燃えるより先に境界監獄を切り裂き脱出したのである。その機を待ち構えていた者がいた。言うまでもなくミコである。アリスが脱出を図った時から突破され穴になるだろう場所に戦闘補助に控えさせていた黒い腕をここで大群投入。境界監獄を突破したアリスの剣を握っている腕を黒い腕6本で掴みアリスの予想しない方向へと引っぱり、釣り上げる。さらにそれだけでは終わらせない。アリスを掴んでいる黒い腕の関節を畳んで一気に自身の身体をアリスに寄せる。掌底の構えをした左手を突き出して雨の力を応用した引力まで使ってアリスとミコは零距離に近付く。そこに既に余った黒い手で薬莢排出、次弾装填していた右手のNS46の軌道弾「後」6発を熱銃弾加速機巧で加速させた消速の速さで一斉発射する。アリス自慢の演算回路、しかしその盲点を突いたミコの攻撃は今度こそ戦術期待図通りに6発全てがアリスの剣ではなく身体に当たり、アリスの身体を六回、勢いよく消速並みの速さで吹き飛ばした。勢いよく直線を描き、六回加速するアリスの身体は進路状にあった瓦礫や家屋、さらには炎まで横に貫き押しのけ、地中に掘るトンネルのように地面を抉り取った直線を描く。一過性の台風のごとく、そのとき発生した風……むしろ衝撃波は里中に広がった炎を一部消し去るほどの衝撃波を生んだ。アリスはミコとの零距離接近から一気に里の外れまで吹っ飛ばされたのである。空中で一連の攻撃を行っていたミコは、アリスのいた場所に着地し、人が蟻並みの小ささに見えるアリスのいる場所を一瞥し確認する。すぐにアリスの存在を確認したミコはまたもNS46の使用済み薬莢を排出、がま口チャックから黒い手で次の銃弾6発を装填する。そして今度は直線距離最短軌道での銃撃ではなく、アリスの頭上を狙って爪による加速もせず放物線軌道での射撃を行った。ミコの射撃と同時にアリスはのしかかっていた瓦礫を気合で吹き飛ばし、再びミコの方を向いて戦闘体勢に入ってきたが、そこはミコの予想通り。ミコが描いた戦略予想図にしっかり描かれていた光景だった。なのでミコはアリスの行動を予測した上でその動きを封じる戦術期待図の風景を再現実現表現するべく先の射撃を行ったのだ。ミコが撃った銃弾6発、実は時間がくると炸裂して大量の鉛玉をばら撒く散弾だったのである。ミコの読みは的確で、銃弾が炸裂したのはちょうどアリスが立ち上がった頭上の領域。数多無限の鉛玉がアリスの頭上に降り掛かる。アリスは鉛玉が降り掛かってくることを散弾が炸裂した瞬間目視し、防御動作に入った。とは言っても今回は防護境界の展開ではなかった。手を振りかざして自分が吹っ飛ばされたことで壊してしまった里の家屋の残骸や瓦礫を宙に浮かせて集結させ、先の防護境界同様ドーム状の壁を作ったのだ。瓦礫の中には石や石灰と言った硬度の高いものもあったので、防護ドームは上から降り注ぐ鉛玉をことごとく防ぎアリスの身をミコの攻撃から守ったのだ。音だけの反射音と壁が破られてないという事実に、アリスは一旦姿勢を正し、加熱した身体と頭脳を冷やす。

 その一時だった。気配を消してアリスが作った防護ドームの中に潜入していたミコが、NS46に変わって背心刀・雨と黒い腕黒い足で、アリスを押し倒しにかかったのは。無機人形たるアリスは驚かない。ただ演算の結果として狭い防護ドームの中ミコと距離を取るべく後ろへとステップを踏んで下がるが、散弾を撃った後から防護ドームの建設前に距離を詰めていたミコの速さは若干減速していたとはいえまだ“消速”の域にあった。当然アリスよりも速く動ける。後の先先の先関係なく、常に先を取る速さで。

 ミコは自身の両足をアリスの両肩を引っかけ自身の体重でアリスを押し倒しにかかる。さらに背心刀・雨でアリスの服を地面に突き刺し固定すると同時に、黒い腕と足でアリスの下半身に組みつき、その身体を地面に抑えつける。面倒な両手は黒い腕を新たに八本出して片腕に四本ずつ使って抑える。身動きの取れなくなったアリス。とはいえ口から光線を発射できるアリスのこと。ミコはとっとと目的を果たしにかかる。がま口チャックにしまっておいた記晶石オクとネンを右手と左手に一個ずつ持ち、まずは記録だけの演算回路に記憶と思考回路を与えるオクを右手で押し込む。押し込んだ先は光線を発射されるかもしれない口の中。その右手で無理矢理アリスの口を広げ、中に手を押し込んでオクを飲み込ませる。アリスは抵抗もできず、ただされるがままにオクを飲み込み、身体に含まされた。しかし元々設計段階でアリスに入れるべき記晶石。異物ではなかったために、すんなりオクはアリスの身体の一部となった。

 そしたらアリスの身体に変化が、いや異変が起こった。突然アリスは身体の内部から攻性境界を放射したのだ。ミコもできないことはないが、身体の中から攻撃に使う境界を展開するということは自分の身体を傷つけるということ――普通ならしないしできない選択肢のはず。なのだが、アリスは全く傷ついた様子も見せず、境界放射を強行した。ミコはその境界膜と衝撃波に押され、今度は自分が吹き飛ばされる。飛ばされたミコの身体は防護ドームも中から突き破ってまだ火の粉が残っている壊れた里押し飛ばされ、熱い地面へと飛ばされる。それでもやっぱりミコ=R=フローレセンス、燃える地面に押し付けられてもダメージを負うなんてことはない。ミコは受け身を取るのもうまいのだ。間合いを取る意味でもあえて逆らわず受けた衝撃のままアリスから離れ、異変を観察するのに適切な距離で急停止し姿勢を制御する。自分が撃った散弾が瓦礫や土に穴を開けまくっている破壊の痕跡を4%の感覚で把握しつつ、残り96%の感覚は変わらずアリスに向けている。

 そのアリスだが、見たこともないような挙動、そして変化を魅せていた。



 身の回りの瓦礫や屑を紅い粒子に変質させ、その粒子で身の回りを覆いだしたアリス。繭というほど体積はなく、かといって包帯男みたいに身体に密着しているわけでもない、人一人がかろうじて入れる大きさの編み笠、編みかごみたいな形状を紅い粒子で象っていた。そしてアリスはその中にこもってしまったのである。その様子を見ていてミコは珍しく慌てた様子で紅い編みかご向かって消速で近付き背心刀・雨で斬りつける。急がないミコが慌てる理由――ある懸念があったからだ。それを確かめるべく抜刀術による一閃をアリス目指して抜いたのだが、安堵よりも懸念の方が的中する結果となった。アリスを覆う紅い編みかごは、ミコが自身の両手を用いて使う消速剣術を、傷を負うこともなく防ぎきったのである。この瞬間ミコは察した。アリスが紅い粒子による絶対防御圏に保護されてしまったこと。そしてミコが持つ残りひとつの記晶石、ネンをアリスに埋め込むのは、もはや不可能となってしまったことを。そう、それこそがミコが抱いていた懸念であった。

 ミコは後ろに跳躍して距離を取り、着地した後影帽子のがま口チャックから黒い眼を持ち出して一応紅い編みかごがどのようなものか精査する。それと一緒に口の中から最後の記晶石、ネンを出して自らの手で握りしめる。そしてすこぶる残念そうな顔をして、アリスを囲む編みかごを眺め愚痴るのだった。

「わたし……またしくじっちゃったみたい。頭の黒い眼も言ってる、アリスがオクを完全に我がものとして変身し編みかごを解くのは最低でも半年以上先、来年の新玉の月になるだろうって。うわマジつらい。ほんとげんなりだわ〜。そもそも記晶石をアリスに入れたらたったひとつでもこんな完全変態のプロセスが発動するなんて聞いてないわよ不意打ちよ。この手に最後のピースであるネンを持っておきながら、入れることが叶わぬとは……あああ、とってももどかしや〜! せっかく宇宙まで行ってCOSMO素粒子をフルチャージしてきたっていうのにぃ〜! そりゃ『急いでない』がモットーのミコさんですけど、半年も待たされるのはゴメンだわ! なんてったってわたしはもう、永くないんだから。生きていられる時間が限られてるのにこの状況、ミスにしてはむごすぎるわ。いったいどうすればいいのやら……」

 本人をして珍しいと自覚させるほど、ミコはネガティブに愚痴をつぶやき続けた。基本予想外想定外の事態にも強いミコではあるが、それは権謀術数の極意『時間を味方につける』でひたすら相手の命数が尽きるまで、運勢が暗転するまで待つという“時間”ありきの待ちの戦術。だが、今回の事態では、時間はミコではなくアリスの側についている。買収も取引もできない。それがもどかしくてしょうがないのだ。万策どころか一策すら思いつかない窮地の中、とうとうミコは考えることを放棄して地面にごろりと不貞寝してしまう。消えたとはいえさっきまで燃えていた土はちょっと熱くはあったけど、焦げるようなその熱さがまるで悩みを燃やしてくれているようで、ミコにとっては心地好かった。風もなく、雲もない青空を地上0メートルから見上げるミコ。晴れ渡る大空が、心の中を換気していく。

 ――と、自然への感慨に浸っていたら、ミコの目に瑞々しい感触があった。雫が降ってきたのである。突然の出来事にミコは濡れた左目乾いた右目で空を見上げる。視界に入る蒼穹は一切の雲も確認できない。でも雨の降る要素がないことはない。

「お天気雨……? この広い俗世の一点でしかないわたしの目に当たるなんて……」

 ミコは奇跡のような偶然に心が満たされるのを感じた。

(そっか……これでいいのかもね。未来への楽しみにネンはとっておけばいい。わたしのいなくなった未来の楽しみに……)

 ミコは自然と認め難かった現状を認可し、そこから繋がる次の“ユメ”を思い描いていた。それは、自分の人生をも超えた、大きな“ユメ”。

 そうなるとミコの行動は早かった。身体のばねを使って跳ね起きると、残る記晶石ネンも背心刀・雨やNS46など武器一式も黒い腕黒い足ごと全部がま口チャックの中に戻したのだ。それはもう、闘いや無理矢理記晶石を埋め込みアリスを完成させようとする意思の放棄だった。行動を起こしたミコにもう未練はない。後ろ向きに飛んで、最初メカニズモに落ち合った地、里の門の上にまた戻り陣取る。再び魔法の佇まいを魅せるミコの元に、最初攻撃してきた無機人形たちは再び魅せられ、動くこともなくその様子を見やる。すでにそのときミコが連中の動きを封じるために影に刺していた黒い楔も影帽子の中に回収されていた。途端、突然動くことを許された無機人形たちはそれまでの勢いを抑えきれず、四方八方ぎゅうぎゅう詰めの山となっててんこもり。その顛末を滑稽と笑い微笑むミコは、『感情』ではなく『条件』で動きミコのいる里の門の上を見上げてきた道化に等しい無機人形たちに詞を伝える。心がない以上記憶はできなくても、記録はできるはずだから。

「人形さんたち、よくお聞き。わたしは今この里の長であるアリスに記晶石オクを組み込んだわ。今彼女は次なる“者”へと進化変化の真っ最中、紅い編みかごに護られてるけど、決して邪魔はしちゃダメよ。で、ここからが本題なんだけど、わたし、最後の記晶石ネンも持っているのよね〜。出すのめんどいからもう見せないけどね。で、わたしはそれを渡しには来ないから。そこをアリスが紅い編みかごから出たら伝えといてほしいのよ。そしてこうも伝えといて」

 そこでミコはいったん詞を区切り、深呼吸してから大事な詞を唱え、憶えさせる。

 

「待てば海路の日和あり。ってね――」

 

 ミコは満面の微笑みといっしょに最後の詞を放つ。しかし、聞いていた無機人形たちはわけがわからなかったようで……。

「記録は完了。コマンド設定済み。しかし、意味は不明。彼の女の発言には、整合性が存在しない――」

 などと、ミコの発言の矛盾点を指摘、論理的な説明を見出せていないようだった。

 その様を見て、ミコはさらに笑顔になる。

(わからないようね……でもそれでいいの。)

 用件が済んだミコはひらりと手品で影帽子から取り出した黒いマントを羽織りすぐに翻すと、ぴょーんと門から飛び退いて、メカニズモを後にした。

 本来やるべき用件の『半分』だけしか済ませてないのに、妙に清々しい顔で。

 

 後に残されたメカニズモの住民である無機人形たちは、ミコの矛盾する詞を論理的に解析しようとする者、考えるだけ無駄だと記録だけして解析を拒否する者、紅い編みかごの中で変わっている里長のアリスに反応する者と、『意識』の数だけ個性を見せたが、やっぱり『心』のない無機人形ではまだ“ここどまり”。彼ら彼女らの行き着くべき先はもっと未来に、もっと高みに、もっと輝く場所にある。それを知り得ただけでもミコはこの寄り道旅路が無駄ではなかったと感じる。不完全燃焼上等とも宣言できる新しい“ユメ”を持つことができたから。だからさっさと立ち去った。メカニズモは部外者がいつまでも暴れていていい場所ではないとわかっていたから。

 そんなことを知る由もなく、メカニズモ無機人形社会の頂点であるアリスはただミコによってもたらされた自己進化の真っ直中にいた。

 

 彼女がミコの抱いた“ユメ”を理解し、会得した心を震わせるまでに至るのは、永くも短い時間を得たあとのこと。

 そしてアリスはその思いに“完生”した新たな生全てを賭して応えるのだった――。

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