第13話 未来電話 ハローリターン事件開幕

 はじまり

 

 その世界には、神様がいた。

 

 神様は人間に問題を与えた。

 

「私達の大切なものを盗めたら、新たな神様にしてあげましょう」と。

 

 人として知らぬ者のいないその問題に、多くの人間が挑んでいった。

 

 だが、今まで誰一人、神様の場所に辿り着くことすらできなかった。

 

 やがて人々が諦め、問題を知っていても無視するようになった時代。

 

 一人の女の子が問題を解いてしまった。

 

 しかも、神が一人死んでしまった。

 

 人々も、神様も揺れた。割れた。驚いた。

 

 なぜか――その女の子が事実を一切明かさずに姿をくらませたから。

 

 出会った人々は納得し、神様はその背中を追いかける。

 

 明かしてくれた女の子との、思い出作りを望んだから。

 

 これは、それを知りつつ旅をする一人の女の子の物語。



 絶対安全都市……だった治安の都セフポリスのフロム地区の閉鎖された水族館。

 そここそ未来人のクライムメイカー、ミコの大嫌いなシク=ニーロが待ち合わせ場所に指定したポイント。ミコはセフポリスにやってきた際真っ先に迎えに来た女神様11名を連れて、完全封鎖され入口もない、壁と門が来る者を拒絶するその水族館へとやってきた。

 いちいち歩いて。

 手間隙をかけて。

 急ぐことはなく。

 一歩一歩歩いた。

 そして到着した。

 敵のいる場所へ。

 到着したけど門が閉まっていましたといって引下がるようなミコ達ではない。ミコは影帽子のがま口チャックを深めに開き、正三角形の頂点位置にそれぞれみっつの黒い足を出す。ミコの背丈よりも長い黒い足が伸びると、帽子を被っているミコの身体は宙に浮く。しかも、黒い足の裏にはポゴスティックが取り付けられており、バネの伸縮でミコも上下運動。そして力を込めてミコが全身、黒い足も含めて地面に落ちようとすると、ポゴスティックによるホッピングでミコの身体は一気にびよ〜ん。壁など軽々越えたミコはやはりポゴスティックのスプリング機能で安全に着地完了。敷地内への侵入を終わらせ、華麗に優雅に着地して魅せる。そんなミコの所作に見とれていた女神様達。我を取り戻して普通にジャンプや飛行や擦り抜けで壁を抜けてきてミコに合流するまで39秒もかかった。でも「急いでないわ」がモットーのミコは全く責める様子も見せず、ただ黒い足3本もしまった後唯一影帽子のがま口チャックから出している未来電話を持たせた黒い手をいじくりながら、自分を中心に前後左右、集合した女神様達に視線を向けると、「それじゃ、行きましょ」と号令をかける。その動きは澱みなく、洗練された魅惑の挙動。魚を初め、11名の女神様達はセーフティ・ガードに残してきた女神様仲間達や男神達に自分達だけ得して悪いねと悪びれる様子もなく通神術でけしかけると、案の定騒ぎだした居残り組の怒号を淡々と受け流しつつ、ミコの背中を追って水族館の回転ドアへと歩みを進める。定員1名、多くて3名が限度の右から入る左回転の回転ドアに、先ずミコが一人で入り、続けて魚、哉、祝の師弟トリオが続く。その後に昨日“ファニータイム”で厄介になった翠、希、天の遊び屋3名、その後ろには広場でカッコいい啖呵を切った㬢と愛が手を繋いでドアをくぐり、最後はその次に今まさに疑われちゃっている整と追跡班のコンビを組んでいた帳に同じ追跡班で真実一路が座右の銘の透、そして外出組で情報収集班の役目を担っていた情報屋の紫、3体一緒に最後のドアの扉を押す。中に入った12人を迎えたのは、電気もまばらで薄暗い、でも至るところにある水槽を通して光が得られる、矛盾した印象を与えてくる不気味に静かな空間だった。

「静かだねー。虫の足音が聞き取れそうだよ」

「しょうがないわよ。閉鎖された廃館だもん」

 紫が受けた印象を臆面もなく口にすると、ミコが原因を教えながら周囲に目を向け顔を振る。右往左往と動いていた顔は、いくつもの暗い通路のひとつを正面に見据えて止まった。

「こっちよ。あいつの気配はこの通路の先にある」

「おや、ホントだね。えーとソッチは……およ?」

「どうしたの哉ちゃん? ……ん、この位置って」

 ミコの先導する先を読み取った哉と祝が思案する表情を見せる。すると師匠の魚が弟子2名の頭に手を置いて撫でてやり、「その通りよ」と肯定する。

「どうやらシク=ニーロがいるのは水槽の上、従業員が餌を蒔く時に使う足場の上にいるみたいだね。なんでそんな場所に潜んでいるのかなー?」

 魚の認めたその答えに、女神様連中は考え込むが、ミコはそれ自体が蛇足と言い切った。

「そんなの考えるだけ無駄よ。あいつの心の内なんて、会ってみなきゃわかんないわ。ま、人食い鮫のいる水中を指定されなかっただけでもよかったってことで。行くわよ」

 考えることをやめさせて、ミコは通路の暗闇に足を進めていった。ミコにそう言われたんじゃにべもないと、神様達も永い神生の中すっかり癖になっている熟考癖を止めて、ミコの背中についていった。ミコは歩く。右へ左へ上へ下へ。最初は普通に飾られていた水槽の眺めるごく一般的な通路を通っていたが、程なくしてミコは「Staff Only」のシールが貼られたドアを開け、水族館の『裏』へと舵を切る。程なく聞こえだすのは道の材質の違いが生み出す金属特有の「ガチャ、ガチャ……」という足音。歩術に長けたミコと女神様達、別に足音を消せないわけじゃない。消さないのだ。無論ワザとである。気配も身体も止まったまま、じっと待っている敵に聞かせてやるために。ただし、聞かせるのは足音のみ、声は一切出していない。ミコはもちろん女神様達も、特に口うるさい喋り好きの紫まで口を結んで声を殺す。『詞』につながる声を発したら相手が怖がらないってこと、皆知っていたからだ。

 そして歩いている鉄製の仮設足場が水槽の上にさしかかり、落ちればドボンという緊張感が張りつめる暗く、静かな水槽の上まで辿り着いたミコ達一行は遂に出くわした。

 

 シク=ニーロに――。

 

 女だった。

 ともすれば髪を伸ばした中性的な美少年とも勘違いできたかもしれない。だがミコはシク=ニーロから女にしかできない『魔性』と『無垢』の二大属性の併せ持ちを感じ取ったことからシク=ニーロが女だと断定した。全く、今まで唯一の手掛かりだった声や口調が中性的だったから考えるだけ空しいと思考放棄していただけに性別を確定できたことは取り敢えず収穫。まあ慰みもの程度にしかならないけどね――ミコは自己認識を新たな情報で上書きし、アップデートする。しかしそれ以上にシク=ニーロが女性であるという事実が同族嫌悪の点と面からミコの心を苛立たせた。それはもう、認識情報の更新を拒みたくなるくらい。

 そのシク=ニーロ、ミコやその後ろや後方十字路で横に展開した女神様達には目もくれず、足場にしゃがんで水槽に粉を撒いていた。それ以外は眼中にないといった風に。呼びつけといてこの態度――ミコはますます敵愾心を募らせる。そもそも奴が撒いているのは餌ではないのだから。

 急いでないけど埒が明かない展開はもっと嫌いなので、ミコは自分から話しかけた。

「ようやくご対面だというのに顔も向けられないのあんた。それともなに? 群がる魚に毒をあげるのがあんたの時代の常識かしら?」

「ど、毒! アレ餌じゃなくて毒なのミコっち?」

 哉が心底びっくりしたという感じのコメントを発する。黙っている他の女神様達や“感覚共有の通神術”で外部観察している居残り組の神様達も同じ思いのようだ。が、それを嘲笑うかのようにシク=ニーロはぷっと吐息ひとつ噴いてこっちに顔だけ向けてきた。

 心底嫌悪感を憶える、薄ら笑いの笑みを向けて。

「よく気付いたねミコ=アール。そして神様達は枯れてるねえ。遥か未来、世界が『管理・調整世界』と呼ばれるようになった時代。惑星を管理する“システム”が悪の秩序を律するために造り出した必要悪の人工人間、それがこのボク、シク=ニーロだ。そのボクが廃館になった水族館に残された魚達に餌をやる? あり得ないよ。ここにいる魚達はもう誰にも飼育されない、死を待つだけの可哀相な小動物だ。だったらさっさと毒で殺してやるのさ。君達神様連中にはわからないかな? これも一つの情けだと」

「わかんない……わかんないよ。なんで? そんな簡単に生命を粗末に扱うの……?」

 ミコに付いてきた女神様達の中でも一番感受性が強い泣き虫女神の㬢が畏れの感情で顔を凍り付かせて聞こえるとも聞こえないともわからない声量でぼやく。胸に手を当て、既に過呼吸気味の㬢を、愛や透に帳といった面々が支えている。彼女達もまた、㬢とともに生命への畏敬を全く見せずに殺しをやるシク=ニーロに非難の視線を浴びせていた。しかし当のシク=ニーロは自身が喋り終わった後は「どうぞご勝手に」といわんばかりにそっぽを向き、水槽に目を向け、毒撒きを続ける。

 その対応に苛立つ女神様達をよそに、ミコはへえ〜としたり顔。シク=ニーロの行動原理が少し見えてきたからだ。この女、直接会おうなどと言っておきながら肝心のコミュニケーション能力が致命的に低レベルなのだ。どうやらこの未来人には相手の顔を見て話すという見識がないらしい。暗い未来だこと――ミコはこんな奴が悪人の頂点として成り立っている未来を嘆きつつも、シク=ニーロ個人のそっぽ向きには笑ってもいた。なぜなら憎たらしくてしょうがないこいつの顔を見なくて済むからだ。ついでに言えば、ミコの推察にとって大事なのは顔じゃないから、気にする必要など最初からないともいえる。

 再び群がってくる魚達に毒を与えるシク=ニーロとそれを横から眺めているミコと女神様達という構図になった。が、シク=ニーロという人物は同じポーズをとっていても同じ時間を繰り返す趣味はないらしい。ひと呼吸おいただけで間髪容れずに用件を、あくまで明後日の方向に向けて語り出す。

「ボクには時間がない。ここに来ることは必要だったけどここに留まる謂われはないんだ。でも出立の時までは少々時間を持て余す。もうわかるだろ? ボクの人生はスケジュールで決まってる。来るべき出立の時まではまだ時間がある。退屈なんだ。だからそれまではこの時代の人間神様有象無象で遊ばせてもらおうと思った次第さ。あいさつ代わりとして今整様が疑われている事件をでっち上げたわけだけど、気に入ってもらえたかな?」

「冗談じゃないわよ! 仮にも神様がそんな理由で濡れ衣着せられて堪るもんですか!」

 シク=ニーロの淡々とした物言いに希が堪忍袋の緒を切らして怒鳴り散らす。そして怒れる女神の激情はそれだけでは治まらなかった。ミコの後ろの横に開けた足場――斜めにシク=ニーロを捉えられる位置にいることを利用して、パチンと指を鳴らし衝撃波を飛ばす。ガデニアコスモタワーでの闘いではサポート役だったため見せなかった粋の神、希=ニックネームのもうひとつの神業“指鳴子”だ。

 水面を球状に押しのける程の衝撃波がシク=ニーロに向けて放たれる。既に衝撃波に触れてしまった壁や機材は軋みへしゃげて、水槽の水も大きく凹んで遠く程高くなる。希とシク=ニーロを結ぶ直線上の水が割れるように削られながらシク=ニーロめがけて進む。

 多分当たる。ミコは希の攻撃を評価した。だけど同時にこうも結論付けた。多分意味ないし殺せもしないと。

 その通りだった。希の放った衝撃波はシク=ニーロに当った途端、霧散して力そのものが消散してしまったのだ。その事実に女神様達大半が驚く。例外は魚と透と帳くらいだ。

 神様の攻撃を何かしたわけでもないのに無効化するシク=ニーロ。ミコはそのカラクリを見抜く。奴に長台詞言われる前に、自分から動き指摘してやった。

「やっぱりあんた、『設計図持ち』だったのね。遠い未来に鍵を使って扉を開きアパートに辿り着いた未来の神様候補。それをどうしたら過去に来ちゃうのかしらねー。どこで道に迷ったんだか」

 自らの(黒くない)両手を持ち上げ「やれやれ」と呆れるポーズをとるミコ。女神様連中、並びに“感覚共有の通神術”で外から覗き見している居残り組連中も、ミコの暴露した情報に動揺を禁じえなかった。「こいつが、わたしたちの、後輩……?」攻撃した希が開いて塞がらない口をぱくぱくさせながらコメントするが、ミコの推察は外れない。シク=ニーロは持っていた餌袋ならぬ毒袋を逆さにして群がる魚達にバラ撒き、そして悶絶瀕死にした後で袋もポイと水槽に投げ捨て、再びこっちに向き立ち上がり、ぱちぱちと拍手をしながら喋りだす。

「正解だよミコ=アール。やっぱり“経由時点”にこの時代を選んでよかったみたいだ。ボクの前にただ一人、神様の問題を解いてみせた先輩の凄さを肌で感じられるのだから。その通りと言っておこう。ボクは今より遥か未来、世界が『管理・調整世界』と呼ばれ、生命が全て人工製造される時代に神様の問題を解いた解答者だ。これはミコ=アール以来の快挙。でもミコ=アール以上の偉業もボクは成し遂げた。自分の設計図を創ったんだ。この『不可能解決の設計図』をね!」

 珍しく顔を上気させ、そう叫んだシク=ニーロの身体からは5つの超極小概念恒星がつかず離れずの距離を保ってまるで小さな太陽系でも描くようにシク=ニーロの手元で踊る。

 神様連中にとっては冗談であってほしかっただろう、冗談が無理なら悪夢でもよかったはずだ。しかしその願いも届かず、残酷な現実を見せつけられて大ショック。その中でも鋭さにかけては一級を超える魚が、こんな毒舌を浴びせかけた。

「わたしは未来のわたしを恥じるよ。こんな子を神様に迎え入れたわたしをね。これは由々しき問題だよみんな。他人事じゃ決してない、むしろこんな子をみすみす見逃し過去へと飛ばしたわたしたち神様仲間達の責任なのかもしれない。整が冤罪着せられたのも、因果応報なのかも……しれない」

 魚の詞に神様達みんなが重い空気に沈んでいく。神様なりに責任を感じているがゆえの発言であり、至極もっともな視野の詞だ。だからこそ暗くもなるのだが、当のシク=ニーロともう一人、全く気にしていない子がいた。だれでしょうか――ミコだ。

「気にすることないわよ。多分『管理・調整世界』の時代、みんなはアパートにはいなかったんでしょうから」とミコが雰囲気を変えるべく飛べそうなくらい軽やかな、歌うような口調で指摘すると、シク=ニーロもまたぱちぱちと拍手してミコの詞を肯定したのだ。

「ミコ=アールの言う通り、ボクが行った時アパートにアナタ達神様はいなかった。もぬけの殻って奴だね。でもこのことはあの時代の生命体にとっては常識。なんたって“システム”が保管せし“リーン・ウェーダ”に記されていたことだからね。『最早神々は居るべき場所にも居らず、消息を絶ちし物也』って一文さ。ボクの時代の誰もが知ってる。ていうか常識の一部だね。だから、改めまして先輩神様。ボクがアナタ達の後を継いだシク=ニーロでございますですよ」

「私達が、アパートを出て行った? ありえるの? そんなこと」

「0とは言えない現実があるよ。今こうしてミコちゃんにひっついているくらいだもん。将来なんらかの行動を起こすことは、十分に考えられるよ」

 シク=ニーロの詞を受けて透がそんなことありえるのかと魚に尋ねるが、魚はミコの出会い以来俗世に降り立ちアパートを空にしている自分達なら十分ありえると返答。神様仲間達の中でも屈指の神様である魚の一言は瞬く間に神様仲間の頭に浸透し、意思共通化を成し遂げる。神様みんな受け入れたのだ。自分達が遠い未来、アパートを出て行くことを。

「つまり貴女は私達や私達に影響を与えたであろうミコに会いたくてこの時代を選び未来から飛んで来たってこと?」

 透の詞はもはや神様仲間達の共通認識。それをあえて確認するところが、真実一路がモットーの透らしい個性なのだが。とにかく追及せずにはいられなかったのだろう。それが透のありようだ。

 そして、シク=ニーロはまたしてもお面のような薄ら笑いを浮かべて透の指摘に拍手を贈る。会話のついでにとんでもないことも付け加えて言い放った。

「流石は印の神であらせられる透=パーソナルスペース様。ええ、概ねその通りってことです。そういうことにしといてください。このゲームも、未来で会えなかったキミ達とのじゃれあいだとでも思ってもらえれば十分動機の説明になるだろう?」

「遊びたかったから――か。まあ理由としちゃ弱くないけどやっぱり君は間違っている。ミュー達にとってこれはゲームなんかじゃない。ただの悪ふざけだ。だから遊ばれる謂れもないさ。ミュー達神様も。そしてミコもね。止めさせてもらう――」

 ピンポーン。

 遊戯の神の通り名を持つ女神として遊びに一家言ある翠がシク=ニーロに彼女が仕掛けてきたゲームにこれ以上は乗らないことを宣言しようと、宣言し終えようとした瞬間。ミコが影帽子のがま口チャックから1本出していた黒い手に掴ませていた未来電話に着信があった。シク=ニーロの時もそうだったのだが、番号は表示されていない。ただあのドアホンのような着信音だけが3回鳴り、機材を、水槽を揺らしていた。

「出なよミコ=アール。でなきゃきっと後悔するよ」

 シク=ニーロの急かすような声。ミコは一応その提案を受け入れつつも、ゆったりまったりと急がずに電話のボタンを押した。今というタイミングにかかってきたことの意味をミコはわかっていたので、みんなに聞こえるようにスピーカホンにしてだ。

「もしもし。わたしはカゲナシ。あなたはだあれ?」

 ミコが自分のほぼ真正面、歌うんだったらマイクスタンドを置く場所付近に未来電話をつまみ上げて電話の向こうへ向かって話す。しばらくは無言のまま、全く反応がなかったが、ミコの耳は恐怖で掻き消されそうな切れ切れの呼吸音を聞き逃さなかった。シク=ニーロの発言と合わせて状況を推察したミコはアプローチをより直接的な表現に変えた。

「事情はわかってるわ。あなたは今生命の危機に晒されている、そうでしょ? 話して大丈夫よ。あなたをそんな目に遭わせた犯人が話していいって促しているから」

「ふふふふふ……」「まさか……人質を!」

 ミコの切り替えに笑うシク=ニーロ。それを見て女神様達もようやく事態と事件が自分達だけの問題ではなかったことに気付いたようだ。気付いた途端女神様達はシク=ニーロに一層棘のある視線を浴びせかけるがこの女は全く動じず、それどころかミコが出た未来電話に向かって「喋ってよし。遠慮無く話して助けを求めるといいさ」などと、あからさまな挑発行為を行うのであった。

 ミコは再び攻撃態勢に移りかけた女神様達をもう一本出した黒い手で抑えつつ、電話の相手からの返事を待った。シク=ニーロから許可を貰った電話の相手はやっと話しだす。

 恐怖に裏打ちされた震える声で。

『突然、部下達が全員意識不明になって……刑務所の全ての出入口も、開かなくなって……俺には、いつの間にか爆弾のジャケットが着せられていた。脱ごうとジャケットに触れた時点でセンサーが感知し起爆するし、下手な動きを見せてもマイクとカメラで検知し爆発させるそうだ……だから、ただ、待つことしかできない。渡されたこの電話に送信されてくるメールの指示で今電話している君に頼ることしかできない。頼む。整=キャパシティブレイクの事件を解決してくれ。あと1時間以内に解決してくれないと、俺の爆弾とこの刑務所中に仕掛けられた爆弾が爆発して……部下達も囚人達も皆殺しにさせられる! お願いだ、早く助けて!』

 ピッ。ツー、ツー。

 電話はここで切れた。紛うことなき人質の助けを求める切実な悲鳴。それを聞いて固まり、打ち震えるミコと女神様達に、シク=ニーロは道化のような顔をして得意気に話す。

「ゲームは買ったら遊ばなきゃ。積みゲーなんか許さない。まあ、今の悲鳴を聞いて放り出せるならそれも結構。ボクはがっかり。そしてキミ達を軽蔑するだけだね」

「あんたって奴は!」天が吠えるが、暖簾に腕押し。シク=ニーロは淡々と続ける。

「早くした方がいいんじゃない? ボクも次の準備でそろそろここを後にしないといけないしさあ。ほら、時は金なりって格言あるでしょ? ボクはこれでも忙しいんでね。ちゃんと人生に目的だって持って生きているんだぜ。ま、ボクの用意したゲーム、ちゃんとプレイしてねって言いたかっただけだけだから。で今言ったわけだから、これでサヨナラさせてもらうよ。キミ達も早くセーフティ・ガードに戻って事件解決するんだね。ああ、解決を連絡する必要はない。ボクは既に舞台であるこの街全域にセンサーネットを張り巡らせてあるから。キミが事件を解決したら、ちゃーんと人質の爆弾一切は解除しよう。じゃあ行くよ。キミの頭脳がどれほどのものか、見せてもらうよミコ=アール」

 急いでいるといいながらも後回しにしていた必要事項を長ったらしく説明したシク=ニーロはミコ達に大した身長もない身体を翻し背を向けて、そのまま水槽足場の向こう側へと歩き出した。不死身ゆえに手が出せない。女神様達は歯痒くその去り際を見ているだけだったが、ミコは奴の背中を見た途端、「にゃふふ〜」と不敵に笑い、去りゆくシク=ニーロにこんな詞風を送った。

「わたしは頭脳じゃなくて背中を魅せる女の子よ。また過去に跳ぶまでの間、精々仕込んでおくことね。あんまり簡単すぎると拍子抜けしちゃうから。あとわたし、別に急いでないし。憶えておくといいわ。末期の詞にね」

 その詞の風を受けた背中がピタリと止まった。足も止まった。それだけにとどまらず、背中を見せて去ろうとしていたシク=ニーロが立ち止まり、首を回してじろりとこちらを一瞥したのだ。それまでの自分のペースを崩した、底知れぬ感情を覗かせる顔で。

 一瞬の出来事。時間が死んだかのような無に等しい間が過ぎた後、シク=ニーロは元の生意気な顔に戻ってそのまま立ち去るフリして消え去った。転移術の類を使ったあたり、奴を嫌な気分にさせられたみたい――ミコはにやりと笑みを零す。

「終わった……のね」「そうみたいですね。案の定チェイサージャミングがかかってます。追跡は不可能ですよ」

 緊迫した状況をなんとかして打破し事態を進めようと発破をかけたのは希と帳だった。それをきっかけに緊張でガチガチになっていた女神様達の緊張の糸がほぐれたようで、全員芯から力を抜く。あの魚でさえ深呼吸をしているのだから相当なものだったことは想像に難くない。ミコは「よく耐えたわね。えらいわよ、みんな」とその苦労を労う。

 が、そんなミコの余裕に満ちた態度を前に落ち着いていられるほど女神様達――いや、神様達はのんびり屋ではなかったらしい。すぐにもT字路足場の一本道にいるミコのところへ押しかけてきて案の定落ちそうになりぎゅうぎゅう詰め。でも器用なものでその体勢のまま立ち止まり、ミコに照準を合わせると、火急の事態になった整の事件の解決を頼むのであった。シク=ニーロに寝返ったわけではないが、ミコにも急いでもらわなくては行けないという認識からだろう。

「説破! もう一秒が惜しいわ。一刻も早くセーフティ・ガードヘ行きましょう! ミコちゃんも私達の転移術で一瞬一発とセーフティ・ガードの整の処へ移動しましょう!」

「やだ」

 ガクグシャ! 急いで移動しましょうという透の提案をミコは素気なく却下する。なんでわからないのかと女神様達は泣きそうな顔をするが、その中で唯一例外、騒ぎにも立ち会わずに立ったまま、ミコの顔を黙って見守る女神がいた。ミコはその女神と目を合わせる――相手は言わずもがな、魚=ブラックナチュラルだった。

「ミコちゃんは急がない女だってこと、皆忘れたの? ダメよー女のポリシー撤回させちゃあ」

「でも師匠! もう後一時間もないんですよ。ソレまでにセーフティ・ガード行って事件を解決しなくっちゃ整や検分医達はまだしも何の関係もない刑務所まで爆破されるんだ! ミコっち、お前も少しは行動を起こさないと……お前に頼ったあたし達だけど、コノまま何もしないんだったら依頼撤回もありえるんだ」

 魚がみんなを何とかなだめようとするものの、差し迫った状況を重く見ていた直弟子の哉から強い反駁を喰らっている有様。だが魚は見抜いていたようでこんなことを言いだした。

「誰がなにもしてないですって哉ちゃん? ミコちゃんはちゃーんと手を打っているんですよ。わたしたちの見えない影と闇の中で。急いでないけどテキパキと、ね」

 え?――と倒れた女神様達が見上げてくると、ミコは優雅な足取りで女神様達に向き直った。

 そこに見えたのは、未来電話と対をなす、ミコ自身の携帯電話を持った影帽子から伸びた、黒い腕と手――。

「魚さんの言う通り。『仕事は優雅に、そしていつの間に?』がわたしのやり方。そこに急いだりする余地なんて入らないのよ。後一時間……十分すぎるわ。とりあえずはここから出ましょ。門前にタクシー3台、呼んで待機させているから」

 そう告げてミコは自分の携帯電話に届いたメールを女神様達に見せる。それは『Taxis wait you』というタクシー待機のメールだった。ここにきて倒れていた、ミコを急かしていた女神様達もどこからともなく笑い出す。

「なーんだ。ちゃんと“手”は打ってたのか〜」翠がホッとしたように言うとミコはこう告げてみる。

「そうよ。わたし、“急がない・急いでない”の“悠々自適”が主義だけど、自適って詞には適宜適切の意味もあってよ。大体わたしが人質まで捕られて動かないわけがないでしょう。ただわたしのやり方は……影の秘術頼みなところがあってね。まあ人様には理解されないから困ったもんなのよ。そして今、神様にも理解されないことがわかった。なんつってね」

 ミコの告白に女神様達はぐうの音も出ず、さらには黙りこくる時間さえなかった。ミコが女神様達の方を向き、「タクシー待たせているんだから行くわよ。ほら立って」と逆に神様を急かしたからだ。そのときミコはすんごくいい笑顔していたらしく、先んじて行動していた魚が「まあ〜、素敵な顔色。笑顔色ね」褒めてくれたので、ミコも自分なりの風情を込めた詞で応える。

「ど〜も。でも顔色って言うより景色、微笑景色と詠んでほしいものね」

 と。などと。

 その詞を追い風に魚は足場を逆行し、もと来た道を遡る。立ち上がった残り10名の女神もその後に続く。ミコは最後を悠々と歩く。

 ほどなくして水族館から全ての生命の痕跡は――消えた。



 セーフティ・ガードの門前で警備の警官4人に監視されながらタクシーを待つ一人の女性がいた。大人びてはいるが、歳は若い。癖のあるブラウン色をしたミディアムヘアの女の子。手には友人から失敬した携帯電話。そこに弾丸タクシーが4台、捜査現場に急行するパトカーの様に疾風怒濤と現れる。そして驚くべきはその警察のお株を奪うかのようなタクシー4台が停まる前に飛び出し飛び降りた11名の女達。宙を舞い空を踊る姿は魅力的で、その中には見知った顔もいたけれど、というか全員顔も名前も教えられていたけれど、彼女の意中の人物はいなかった。だが、一番前に停車したタクシーの扉が開き、一人の女の子が現れた。自分よりも年上だと知っていながら『女の子』と表現してしまうその人を前に待っていた女の子は着地する女性達――女神様達に目もくれず、最後に悠然と地に足つけて現れた女の子――影帽子と桜色の髪がチャームポイントの女の子ことミコ=R=フローレセンスに駆け寄った。

「ミコさん! お久しぶりです。お元気そうでなによりです。まさかわたしがまたミコさんの旅路にぶつかるとは、思いもしませんでしたよ」

 女の子のあいさつに、ミコも女の子の誇りを持ってチャーミングに話しかける。

「こっちこそゴメンねナミコちゃん。シャーロックはともかくクララちゃんの看病ほっぽり出させて助手に指名なんかして。でもポスティオでの思い出がわたしの判断材料になったの。『ナミコちゃんはシャーロックよりデキる子だ!』ってね! んで看病してることはクルサードに聞いていたからシャーロックにあげた携帯電話で呼び出せるかなーって。ドンピシャの結果におねえさんは満足満点よ。これからよろしく、ナミコちゃん」

「はい!」

 ナミコと呼ばれたミコに良く似た名前の女の子は溌剌とした返事でミコに応える。そう、彼女はかつてポスティオで起きたクララ=ロスタームとシャーロック=ローの結婚騒ぎにミコと一緒に関わったクララとシャーロックの友人ナミコだ。ナミコにとってミコは旅人、もう会うことはないと思っていたからこんな笑えない状況下でも、再会できたことは素直に嬉しい。お互い同時に手を出し固い握手を交わすと、周りで唖然としている女神様達を掻き分け引率する形で、2人はセーフティ・ガードの中へと入って行った。

 

 セーフティ・ガードの中に入るとナミコはミコの横に並んで歩く。女神様達差し置いて。

 そしてナミコがクルサードや残りの神様達が待つ第1101捜査室に向かってミコを引率している最中、ミコは携帯電話で伝えてきた『用件』について尋ねてきた。

「ところでナミコちゃん、あれ買っといてくれた?」

「ええ。買っておきました」

 そう言ってナミコはミコに折り畳んだ封筒を渡す。ミコはそれを流れる所作で受け取ると影帽子のがま口チャックの中にしまい、こんな歌を口ずさむ。

「もう買った♪ 儲かった♪ これは役立つ雨が立つ♪ 浮き足立ってにゃるるんぱー♪」

 やたら上機嫌になったミコの変化を後ろから追いかけていた女神様達が問いかける。

 ミコの“背中”に魅せられている風の魚が率先一番問いかける。

「なーにミコちゃん。その紙切れなんなのー?」

 神様ってこんなに媚びるものなのか――ナミコは口の中が吐きそうなくらい甘くなるのをなんとかこらえる。実際吐くことなんてなかった。ミコの答えが爽快で粋だったから。吐き気が綺麗に消えたのだ。

「まだ使わないのでひっみつぅ〜。『もう買った』とまで歌ちゃった建前、これ以上急ぐようなことはデキマセーン。この闘いはペースを乱された方の負けなんでね」

「あっそ。ペースの部分はなんとなく分る気がするから……いいか」

「善くないでしょ師匠!」

「師匠だけはズルーい!」

 ミコの答えに質問した魚がミコに賛同する趣旨の発言をすると、二人の愛弟子はぷんすか頬を膨らませて抗議。でも魚の「全てはミコちゃんに整の冤罪を解決してもらってからよ」という釈明には感じるところがあった模様でなぜか照れた顔でそっぽを向いて「わかった……」と呟いた。大人でない見た目もあると思うが、やっぱり哉=アリバイと祝=エイプリルフールは可愛い女神様だと後ろを向きながら歩いていたナミコは得心した。今度は更に後ろを行く面識ありの希が「なんでそうなるのよ!」と吠えるが、そうこうしている間に皆の歩みはピタリと止まる。目的とする第1101捜査室の前へと到着したからだ。最前列で止まったミコは止まらぬ動きで影帽子から黒い腕を2本出して捜査室のドアをバーン。我が物顔で開いてその中ヘと進む。一部始終を観ていたナミコはその傍若無人ぶりに圧倒され一瞬虚を衝かれたが、「止まらないで。わたしの助手さん」というミコの詞を受けて、立ち止まることを止め、ミコの横へと急ぐ。その後を女神様達が追ってきた。

 中にいたのは机で形だけの取調べをしているクルサード警視と取り調べられている容疑神、整=キャパシティブレイク。中央には死体よろしく顔まで覆う布切れを被せられた今回の被害者。その片隅で泣いている中年の夫婦らしき男女ペアに、部屋中を無駄に混雑させている残りの神様連中がズラリ。そこにミコ=R=フローレセンスが現れた。部屋中の視線が一斉に彼女に向けられる。それはまさしく、主役の登場を意味するアクションだった。

 

「ミコ!」「ミコちゃん!」「ミコさん!」「やっと来たか……」「神様の上を行く女、お出ましやあ!」「よくここまで連れてきたわよ、魚、透、帳達」

 ミコの到着を思惑は異なれど待ち構えていた部屋の中の者共は一斉に席を立ち、ミコの元へと駆け寄ろうとするが、ミコは影帽子のがま口チャックを妖しく光らせ迫り来る者達の動きを止めた。止められた者達が原因――黒い眼による『鎮めの眼光』と気付いた時にはもう遅い、ミコに迫ろうとしていた者達は全員揃って置物と化してしまったのである。

 そんな中、すぐに立たずにいたので『鎮めの眼光』の効果を避けてみせたクルサード警視がここに至って立ち上がり、だが机からは離れず、机に手を置いたままの姿勢でこちらだけ向いて、こちらへ真っ直ぐな目を向けてくる。その真っ直ぐさが怜悧さにも感じられて、動けるナミコはミコの肩から背中に逃げるように隠れたが、ミコはクルサードの方を向くと「ふっ」と吐息で笑ってみせると、操作室のドアを開けた黒い腕2本にさらに黒い腕を追加で10本以上出し、置物化した連中を中央の被害者から退かして道を作ると、ナミコを促して一緒に、一歩一歩と被害者のベッドに向かうのであった。『鎮めの眼光』を受けなかった迎えに来た女神様達がそれにぞろぞろついてくる。息を吐いて意気込むナミコを横に、ミコは初めて“狂活字獄”被害者を眼下に捉えた。彼女は急ぐことはないが、同時に躊躇うこともしない。周りの悲鳴も制止もお構い無しに被害者を包んでいた布を黒い腕・手に剥がさせたのだ。露になる被害者の身体。

 

 少女だった。が、その裸体は人体の美しさの面影さえも残っていない。むしろ薫製や焼死体に例えた方がまだ慈悲深い表現であっただろう。だが現実に見える少女の姿は、これまでのどんな不気味&気持ち悪いとも違い、かつより酷い惨状に見舞われていた。シャーロックやクララが気絶する中、ナミコはなんとか耐えていられたが、それでも見ていて気持ちのいいものではないし吐き気もする。そう断言できた。

 少女の皮膚を埋め尽くすのは虫が疼くようにでこぼこ脈打つ古今東西の活字の大群。何の統一性もなく、大きさも向きも言語もバラバラの活字達がびっしり隙間なく少女の皮膚、歯、下、咽、爪、眼球、さらには血管から髪の毛睫毛に至るまで。身体中が活字を象り、活字に汚染されている。しかもその活字群はまるでショックで動かなくなった被害者の代わりに生きているかの如く隆起と陥没、そして活字自体の変化を絶え間なく繰り返し続けていた。検分する被害者の身体を布に覆うのは常識だけど、この“狂活字獄”に限ってはそうでもしないと精神が保てないという理由もある。改めて見てみても、やっぱりこの世のものとは思えないおぞましさをナミコは感じた。「逆芸術」といった方がよさそうな、まるっきり明後日の方向に完成してしまった「芸術」――そんな風に感じられた。

 ナミコはミコの横にいるので思いっきり被害者の体からは至近距離。さすがにこれ以上は頭がくらっとするので自然に足は後ろに進む。ミコの背後に隠れようと、こそこそちまちまと移動するナミコ。そこにミコの能天気な独白がさらに毒々しい追い討ちをかけてくる。

「これで怖がってたんじゃ恐怖耐性は中の上ねナミコちゃん。この狂活字獄は身体の内部まで隈無く狂活字で埋め尽くすから質が悪いの。実質与えられている恐怖は今半分よ。誰もしなかったようだけど例えば血液をサンプリングしたらその血液が分離して狂活字になったりするのよ。まあ見るからに血液採取なんてできなかったようですが」

「血管そのものが狂活字になって四六時中動いているからな。注射も刺せなかったよ」

 ミコの残酷な詞を和らげたのはデスクに腰掛け腕組みをしていたクルサード警視の冷静な説明。警視の方を一瞥したミコは再び被害者の身体に目をおろしてなぜか「そう……この幸せ者めー」と似合わない台詞を吹きかける。場違いともとれるその詞に中年の夫婦=被害者の両親が激昂し、怒鳴ろうと立ち上がるより先に――。

 ミコが動いた。影帽子から伸ばしていたひとつの黒い手の指を5本から8本に増やしてその八指を狂活字蠢く被害者の身体に押し当てた。

 すると――どうだろう。

 被害者の少女を蝕んでいた狂活字がまるで動力を切らしたかのごとく動くことを止め、狂うことを止め、現れることも止めたのだ。そう、ミコの一撃ただそれだけで少女の身体は普通の裸体へと戻り、“狂活字獄”が治ったのである。

 ナミコは呆然というより啞然と顎を落して事の様子を見る……いや、見せつけられて固まってしまった。被害者の両親も、クルサード警視も神様達も、皆感心というよりは呆れて放心といった感じを表情に示し、「えー?」と疑問形。だってこんな簡単に直せてしまったのである。正直テンション盛り下がるのだ。しかも“狂活字獄”の使い手である整=キャパシティブレイクが一番マヌケ面しているから皆も感化されちゃうのよねこれ――ナミコは現状認識を正しく理解した上で皆とリアクションを共にしているわけだが、そのまま現を抜かすほどバカでもない。ミコに助手の役割をあてがわれたナミコである。自分がなにをすべきかを身体で理解し、ミコの黒い手が用意していた病人用の検査着とナミコ自身がミコに頼まれたおつかいで買っておいた『解決者権限承認状』を両手に受け取り先ずは裸であることに気付き、おろおろする少女の元へ検査着を届けて気配り。次いでその両親の元へと歩を変え、呆然と立ち尽くしている被害少女の両親に向かって『解決者権限承認状』を突き出してサインを迫る。

「お嬢さんが被害にあった事は明確な事実です。が、そこにいる整=キャパシティブレイクは犯人ではありませんし、被害を綺麗さっぱり取り除いたのなら罪も問うに値せずでしょう? 今回は被害者のお嬢さん生きてますので、面倒な手続きですが、この『解決者権限承認状』にサイン戴けないでしょうか?」

 丁寧に、下手を装い、相手の地雷を踏まずに言ってみせた助手の仕事。自分では十分だと思っていたのだけれど、すぐに若さゆえの視野の狭さと気付かされる。被害少女の両親、父親が食って掛かってきたのだ。

「被害を取り除いた? 犯人ではない? どういうことだ! そこの男しか使えない業で私達の娘はこの世のものとは思えない辱めを受けたんだぞ! 私達だって傷ついた! それを綺麗さっぱり忘れて『解決者権限承認状』にサインしろだと? 治してくれた事には感謝するが、何の理由があって私達の被害申し立ての権利を奪う事ができるのだ!」

「ミコさ〜ん」ナミコは両親に向けている『解決者権限承認状』はそのままに首だけ回して後ろのミコに泣きすがった。ミコは相も変わらず黒い手に持たせている未来電話でどこぞの誰かと話している様子だったが、ナミコの視線を受け取ったミコは「はいは〜い♪」と軽い返事をして電話を保留、ナミコの続きを買って出た。その説明は下記の通り。

 流れるように滑らかで、澱みのないほど透き通っていた。

「真犯人だって奴に会ってきました。整に冤罪かけたって言ってましたよ」「何?」

「それに人質を取られているんですよねー。あと13分で爆発しちゃうわ」「な?」

「ここでもたついていたら、爆発して人質さんたちは五体バラバラですよ」「ぐっ」

 説明不足のナミコには糾弾すること多数あった被害少女の父親も、ミコの追加説明を聞いてしまってはぐうの音も出ない。特に人質の件はお相手の心を鷲掴みにして動揺させたといった感じで、父親さんも母親さんもみるみる顔色を青くしていく。しばらくそのまま時は流れたが、ミコが追加で付け足した「急いでないので、大丈夫ですよ」という詞がトドメだった。父親はナミコから奪い取るようにして『解決者権限承認状』を取り大急ぎでサインすると、ナミコに手渡す。ナミコはホッと一息安心してミコに受け取った承認状を献上する。黒い手で受け取ったミコはさらに承認状にひと手間加えて記載すると、黒い手ごと伸ばしてクルサードに提出。クルサードはパッと見て「問題ないな」と呟くと、デスク際の壁に埋め込んであったセーフティ・ガードのメインフレームに『解決者権限承認状』を読み込ませた。するとセーフティ・ガードの建物全体にピンポンパンポーンという音がなり、「整=キャパシティブレイクの事件は解決者権限により解決しました」との報知がなされた。これで正真正銘、この事件は解決だ。

 もっともナミコにしてみれば、これは事件解決というより、事件を事件でなくしたという認識の方が強い。でも事件解決より遥かに難しいその道をいとも簡単に成し遂げてしまうミコの手腕に、ナミコは惚れ惚れドキドキときめくのであった。

 そのとき。

 ピンポーン。

 未来電話が音を鳴らした。それが何を意味することか、ナミコは事前の説明で知っている。でもその場に居合わせるのは初めて。だからこそ息を呑み、緊張した。

 だが自分が手伝うミコは急ぎはせずとも全く躊躇することがない。黒い手に持たせていた未来電話のスイッチを、臆することもなく入れた。

 聞こえてきたのは爆弾着せられて人質に捕られた、刑務所の人。

「お、おめでとう……だそうだ。爆弾のカウントは解除されたらしい。あいつからメッセージが着てる。読むぞ……『ちゃんと解決できたんだね。でもボクが望んで仕向けたこととは言え、やり方が強引過ぎやしないかい?』、だそうだ。ふっ、ふう……爆弾はタイマーこそ解除されたが、自分達では脱ぐことができない。頼む、早く助けにきてくれ!」

 そこで電話は切れた。ミコが切ったのだ。場所も訊いていないじゃないですかとナミコが突っ込むより先にミコはクルサード警視と話を進める。

「助けに行ってあげて。爆弾処理班を。クルサード、あなたこの場所知っているんでしょう?」

「ああ、こいつはアウトサイド地区刑務所の所長。すぐに爆弾処理班を向かわせよう」

「数は多い方がいいわ。刑務所中に仕掛けられているらしいから」

「了解。……(緊急回線のボタンを押して)あー全職員に告ぐ。こちら第1101号室のレオ=クルサードだ。整=キャパシティブレイクの事件は冤罪と判明。被害者も快復し解決者権限において解決した。が、冤罪をかけた黒幕がまだ捕まっておらずその黒幕はこの事件に我々を否が応でも巻き込むために人質を取っていたことが新たに判明した。今回の事件で人質に取られたのはアウトサイド地区刑務所だ。爆弾処理班は4チーム、直ちに現場へ急行されたし。治安管理システム課も最大限のサポートを頼む。人材課は人質をケアする医師と救急車を必要数確保すること。後交通課はアウトサイド地区への進路確保及び刑務所の半径300メートル以内の住民の避難だ。コード1101発動! 該当職員、全員出動だ!」

 クルサード警視はデスクに備え付けのボタンを押して緊急回線を開き、セーフティ・ガードの全職員に必要事項を通達する。全てを話し終わり、ボタンから手を離したクルサード警視はこちら(正確にはナミコの横にいるミコの方)を向き、「これでいいだろ?」と告げた。ミコは影帽子に隠れるかのように肩を竦めてひと呼吸置き、「ええ、とりあえずは一段落ね」と微笑むと、影帽子のがま口チャックから極フツーの椅子を取り出すとちょこんとそこに腰掛けて、背もたれにその背中を預けて黒い手ではない、自分自身の手を重ねて目元も閉じた。ナミコはまたもや唖然とする。ミコがやってることは「ごゆっくり〜」のコピーそのままリラックス行為に他ならないからだ。いくら事件が終わらずとも一段落したからって、そこまでやっちゃっていいのかと。ナミコは拳を握り締め震わしながらツッコみたい衝動に駆られた。

(マズい。抑えきれないかも)

 心の中で必死に湧き上がる衝動と闘っていたナミコだが、その闘いは唐突に終わった。ミコの黒い手がまずは1本ナミコの首根っこをつまみ上げると、今度は足してもう1本の黒い手も使い、ナミコをお姫様抱っこの状態に抱える。そのままミコはナミコをいつの間にやら出していたもうひとつのリラックスチェアに座らせ横にお気に入りの人形かぬいぐるみのように侍らせたのだ。突然の招待はナミコに戸惑いと驚きと動揺と、真意不明の念を抱かせ、ツッコみたい衝動など掻き消してしまったのだ。

 本当にお人形のように固まってしまうナミコ。だが、これがきっかけだったらしい。

 クルサード警視の「よし、もう皆動いていいみたいだぞ」という掛け声とともに、ミコのせいで固まっていた周りの面々が、ミコのようにリラックスした表情をして各々動き出したのだ。それを受けてナミコもようやく肩の荷が下りたように力を抜いて、ミコと顔を合わせクスリと笑うことができた。それにしても『鎮めの眼光』も使っていないのにミコが動くまで皆律儀に固まるとは……これも解決者権限の機能なのだろうか?

 その旨を俄に騒がしくなった部屋の中、ミコにこそこそ耳打ちすると、ミコはケラケラケタケタと腹を抱えて笑って否定した。

「違うわよ。みんながわたしに先を譲るなんてないわ。忘れた? わたしは『急いでない』が流儀の女の子なんだから、むしろ『先』を譲ってあげてもいいくらいよ。でもね、ナミコちゃん――」

「はい」

「動きたくても動けない。どうしていいかわからない。わかっていてもそれができない。そういう状況に人を追い込むのが犯罪だと、言っておこうかしらね。怖いわよ、犯罪は。あんな状況を人に強いるんだから」

「そうですね――」

 ミコの詞はナミコの知識に重く深く刻み込まれ、ナミコも手を合わせて前傾姿勢を取り鋭い目付きで事件を見返す。甦った娘と泣きながら熱い抱擁を交わす両親という家族の絵。冤罪が晴れてドッと胸を撫で下ろし椅子から転げ落ちる整の周りによかったよかったと駆け寄りながら一大集団を作る神様達一部の絵。それに加わらず、自分の位置で事件の一段落を受け入れる神様達残りの絵。デスクに再び腰掛け、それを淡々と見守っているクルサード警視の絵。

 事件が解決する前の絵と見比べて、ナミコはミコの詞の意味を記憶でも記録でもなく感覚によって理解する。

(なるほど、これが犯罪というものなのね――)

 部屋を観察するその目は一点の曇りもなく、リアルをそのままの純度でナミコの頭と身体に「経験」させていた。でも物事には終わりは付き物。見終わったナミコは身体を持ち上げてミコと同じように背もたれに背中を落とすと、何の前触れもなくミコから無言で差し出されたお菓子を戴き、頬張った。口の中でとろけるキャンディの柔らかさがとても心地好く、何よりおいしい。お菓子を差し出してくれたミコは、隣で未来電話を使って電話中……。

 そうして事件解決直後の時間は一時の和やかさに包まれた。そう、この時確かに、事件は停まったのだ……。

 

 だが、この事件は停まること休むこと解決されることはあっても、まだ終わってはいない事件。喜びの喧騒はそれから数時間後、日が沈み夜も更け始めた頃、部屋で待機していたクルサード警視の元に掛かってきた爆弾処理班達からの任務完了の報告を受けた瞬間ガタンと鎮まりかえり、唐突に終わりを告げた。「救助活動は終わったそうだ」と第二言語前置詞のように前置きしたクルサード警視は「爆弾処理班リーダー4名に現場指揮を執った警官が報告に来る。ここじゃ報告を受けるには不適だから46階の会議室に向かうそうだ。説明受けたい者は拒まないから着いてきなさい。ま、あんまり人数が多いとエレベータが使えないから階段決定なんだがな……」

 クルサード警視はそう告げた。詞の裏で暗に移動人数の削減・混雑回避を望んでいることはナミコだけでなく、この部屋にいる全員が一目瞭然と感じ取ったことであるが、そんな「親切」をして引き下がる程この部屋の者達は「無関心」ではないことも分っていたことだろう。事実クルサード警視の仄かな望みを打ち砕くように、皆が皆手を上げて「俺行くぞ」「わたしも」「私もだ」「説明聞くまでが事件でしょ」「娘が被害を受けたのだから私達には聞く義務がある筈」等と、参加表明のラッシュアワー。クルサード警視も「だよな。じゃあ行こう」とドアを開けて46階目指してさっさと移動を始めた。逃げるようなその動きからは先導する気など更々無いことがハッキリと感じ取れたが、それを怒る者は一名としておらず、各々が勝手気ままにクルサード警視の跡をつけ、尾行し目的地まで移動を始めた。被害者少女の家族と整、そして整に近し神様仲間達が大挙して我先にと率先してクルサード警視の後ろを付いて行くのに対し、ナミコは椅子に座ったまま、他人事のようにその様を見守っていた。なぜ動かないのか? 答えは簡単。ナミコが付き従うべきミコが椅子に座ったまま、動かなかったからである。そう、ナミコが後ろを追うのはクルサード警視などではなく、ミコ=R=フローレセンスに他ならないのだ。ミコののんびりした悠然の姿勢は単に『急がない』の信条だけでなく、もう喧騒や団体行動の類を嫌っている節さえ感じさせるものがあった。影帽子の鍔を深く被って視界を閉じてしまっている様など、いっその清々しささえ感じさせてくれる。この人に付いて行こう――ナミコは助手の義務だけでなく、自分を魅了してくれるミコへの興味から改めてそう決意したものだ。

 やがて第1101号室からドタバタと歩く音が消えた。部屋に残っているのはミコとナミコ……だけじゃなく、事件そのものへの興味より黒幕シク=ニーロに宣戦布告されたミコの動向を重視する神様達が残っていた。メンバーはミコとともにやってきていた女神様11名の中から――。

 

 魚=ブラックナチュラル。

 哉=アリバイ。

 祝=エイプリルフール。

 透=パーソナルスペース。

 帳=フリージア。

 紫=ミュージアムの6名がミコの近くに残っており、更に、元々この部屋にいた神様達の中から残った者も数名いる。数えてみると男神様が――。

 

 禊=ハレルヤ。

 扉=カレイドスコープ。

 極=セキュリティホール。

 哲=ヘヴィワーク。

 羅=モノトーン。

 翔=スリースピード。以上6名が居残り、女神様の追加は――。

 

 羽=ブルーバード。

 雅=プロフェッサ。

 迷=アンティック。

 絵=パッション。この4名が魚達に混ざる形で居残っていた。

 居残り組の神様達。居残った理由は至極単簡なもの。シク=ニーロから勝負を吹っ掛けられたのはミコだから、ミコから目を逸らすべきでないとの考え方。そのミコがこうして他人と協調せずに居残っているからこの神様達も居残っているのだ。ナミコはありきたりすぎるほど普通の人間を自負しているが、なんでこうも神様達の心境が分かってしまうのかが不思議だった。神様って、もっとこう……なんか偉そうで、色々超越していて――とかイメージしていただけに現物との落差が大きいのだ。軽くカルチャーショックでもある。

 でも遂に椅子から降りて立ち上がった雇用主ことミコがナミコの心情を理解してくれたようでこんな気遣いの詞をかけてくれた。

「ホント、神様ってば俗っぽいわよねーナミコちゃん。ほとんどの子が目先のことしか見えずにクルサードに尻尾振って付いて行っちゃった。真に刮目すべきなのはこのわたしだっていうのにさ……ま、それがわかっている方も16名いたようですが、ナミコちゃん注意して。この16名こそ神様連中の中で俗物度トップクラスのランカー達なのよ!」

「ええっ! そんなこと……わたし、ビックリです!」

「だーっ、もう止めてえ! わたしたちの繊細な心硝子細工が砕けちゃう」

「あたしはもう砕けましたぜ……師匠」

「わたしも。いっしょだね、哉ちゃん」

「うおーっ! 哉! 祝ーっ!」

 ミコとナミコの痛快なやりとりに魚が純情46%乙女チックフリフリな嬌声を上げ、同時に彼女の愛弟子2名は心が割れたと大袈裟なリアクション。そんなボケに本気で応える神様仲間達。これが俗物でなくてなんなのか――ミコに倣って椅子から離れ立ち上がったナミコは一層その念を強く持つ。まあ、あの日何の日婚儀の日、シャーロックとクララの結婚式場にミコの情報を求めて現れた落と希の前例からんなこと分かっちゃいましたが、改めて見てみることで、より確かめられることもある。そしてその機会が持てた自分は、多分幸運なんだろう――ナミコはそう感じたのだ。

 ミコはナミコも立ち上がったことを確認すると、黒い腕と手を使って椅子類をがま口チャックの中へと放り込み仕舞う。ただ2本の黒い腕――未来電話を使うのに要する2本の手だけを残して、黒い腕も手も全部仕舞う。影帽子のがま口チャックから飛び出ているのは電話担当の腕2本と、非常にシンプルな姿になった。相変わらずミコは未来電話を耳に寄せ、何処ぞの誰かと話していたが、一段落ついたようで、未来電話の通話ボタンを押して通話を切ると、やはり仕舞わずに傍らに置いたままの状態でナミコと残った神様達に目を向けて、「行きましょうか」と提案する。それこそナミコを始め居残っていたメンバー全員が待ち望んでいた詞。拒否する者など一人としておらず、後発組として皆ようやく一歩を踏み出しお世話になった第1101号室を後にするのであった。



 道中ミコは皆を引き連れながら「わたしに訊きたいことがあったら今の内に受け付けるよ。Come on」とのんびり口調で話しだす。成る程時間を無駄にしない悠々自適の有り様だとナミコは感心した。クルサード警視曰く、大人は時間の使い方が上手いらしい。ミコのこういう所を観ていると、詞が格言に昇華されるようで、ちょっぴり得した気分になる。

 そんな心の小さな満足を照れ隠しの笑顔で表しながらナミコは「はい」と手を上げ指名を受け、早速質問する。これが助手の役割でもあるからだ。譲れないし譲らない。

「ミコさん、指圧みたいに黒い手の指で被害者少女の身体を押しただけで“狂活字獄”を治したじゃないですか。あれは一体どんな理屈なんですか?」

「あーあれな、俺も俺達も気になってたんだぜそれ。いっちょ解決編ってことで教えてくれやミコさんよう」

 ナミコの質問に後ろから乗っかってきたのは、泥棒の神扉=カレイドスコープだった。だが扉の台詞にも在るように、『俺も俺達も』となっている点からして、彼等もミコの治療行為を不思議がってはいた模様のようだ。重たくなっちゃったという被害妄想じみた感覚を持ってしまったナミコはミコの背中、服を摘んで逃がさぬ体勢。ほぼその直後だった。ミコが解説を始めたのは――。

「整の“狂活字獄”っていうのはね、狂活字が本体から『生きる活力』、まあ『生命力?』を奪ってしまうカラクリなのよ。本人の意向なんか完全無視で狂活字は病原菌やウイルスのように勝手に患者……宿主?――からエネルギーを根こそぎ奪い取ってあの惨状をもたらすの。だから被害を受けると動けなくなって死んだようになる。それ以前に美の崩壊ぶりに発狂して死んじゃう子も多いけどさ。あの子は死んでいなかったからね。わたしは自慢の黒い腕の手の指を8本にして『八散指圧』をプレゼントしたわけ。この技は8本の黒い指でもって指圧した対象からエネルギーを『強制発散』させ、元あるところに戻す技。だから狂活字はエネルギーを失ってショボーン。帰ってきたエネルギーでもって被害者の女の子は復活を遂げたってわけですよこれが。合点していただけたかしら?」

「合点」「がってん」「ガッテン」小気味良いテンポでポンと手を叩く三拍子が無機質な廊下の空洞に響く。それを聞いてミコはステップを踏み始めた。

(上機嫌になったみたい。今の内か!)

 ミコの状態を観察したナミコは続けて第2問を質問する。ミコの機嫌がいい内に、不機嫌にしてしまい嫌われることも覚悟で訊いた第2問は、これだ。

「ミコさんと女神様達の一部は黒幕にして真犯人のシク=ニーロに会ったんですよね? どんな奴でした?」

 ナミコのストレートな物言いにギョッとする神様をよそに、ミコは顔を真面目な感じに戻して答える。

「女だったわ。しかもわたしの大嫌いなタイプ。既に逃げる準備してたしね」

「ええっ! そうだったっけ……?」

 ミコの答えに驚きを隠さずリアクションをとったのは(ミコの情報によると)神様一の情報通らしい、紫=ミュージアムだった。やっぱり情報通を名乗る神種とは「知らないことがある」という事実が受け入れられないのだろう。

 そんな紫のリアクションを背中で受け止めるまでもなく受け流して、ミコは前を向いたまま語り出す。

「あいつわたしに背中を見せたでしょ? それで十分。背中ほど雄弁で且つ隠しごとができない部位はないのよゆかりん。もう奴の狙いも思考もまるわかりよわたし」

「本当かねミコ君。“感覚共有の通神術”で某達も奴の背中を見たが、其処迄の印象は受けなかったぞ」

 今度は軍師様の異名を持っているらしい哲=ヘヴィワークがミコに突っ掛かってくる。しかしミコにとってはこの反応は予想の範疇どころか逆にないとつまらない=待ち望んでいたパターンだったらしく、「よーしよーし。ちゃんと来たわ」等と歓迎の意を顔に出さずとも声に出してそのまま後ろの神様連中に向かって解説し始める。嬉しいんだ。

「背中は“見る”ものじゃなくて“観る”ものよ。わかる? 『観察する』の『観る』の字よ。わたしの目はね、景色や星空なら眺めて『感傷に浸る』けど、人の背中に限って言えば、常に『観察し読み取ること』と、モードが切り替るのよねーこれが。もう本能越えて生きる機能に備わったスイッチみたいなものだから……そう、もはやオートですよオート。で、人生三周分の経験知識山勘を総動員した推察視力でシク=ニーロを観た結果、あいつはこの時代に長く留まってはいられないってことを知った。あいつにとってこの時代への時間遡旅行はさらに過去へ向かうためのSAみたいなもんなんだから」

 聞いてびっくり眼が点に。後ろの神様達はどうだろと、ナミコが振り向くと、全員魚の目みたく瞳をギョロっと浮かせてポカーンとしている。その滑稽ぶりにナミコは「ぷぷ……」と笑い転げそうになり、膨れたほっぺを抑えるのに必死にならなくてはいけなかった。それくらい痛烈に面白かったのだ。

 と、後ろ向きの興味にかまけていたら、立ち止まったミコの背中にぶつかってしまうナミコ。留め込んだ笑いの息を思わず吐き出してしまったが、ぶつかった衝撃による不慮の吐息として誤魔化せただろうとも思った。そんな風に頭の中で都合良く解釈していたら「チーン」と音が。46階の会議室に向かうための上行きエレベータが到着したのだ。ナミコは感傷を捨て去り、ミコの助手モードへと心を切り替える。目の前に映すのは大型エレベータの扉。丁度ナミコがそうした時、エレベータの扉が開いた。

 ミコと神様達はエレベータに乗り込む際に「開」ボタンを押して他の人をサポート……なんてことは一切やらなかった。開いた途端の民族大移動。まるでエレベータのどこが誰の位置かと、例えるなら自分の指定席に向かう手際良く向かうコンサートの観客の如し。その移動速度はラッシュ慣れしたサラリーマンのそれに近い。ではナミコはどうだったかって? 安心なされい、ご無事ですよ。戸惑うナミコをミコの手が引っぱり、素早く自分の隣、最前列扉の真ん前へとエスコートしてくれたからね。ミコはボタンパネルの前に席を取り、黒い手に46階を押させてそのまま待った。扉がタイマーで勝手に閉まるまで悠然と待った。ナミコはここでまたミコの絶対規則『急いでない』を実感した。そして同時に、ナミコの腕を引っ張っていたのはミコ自身の手であったことも理解した。面倒事が嫌いなこのミコさんが自分の手でわたしを掴むなんて――ナミコはちょっと赤くなる。その理由も分からぬままに。そのすぐ後、エレベータのドアは閉まった。

 エレベータが上昇を始める。公共の場では騒がないのがマナーだが、生憎ここに乗り合わせた面子に、その手の常識は通じないようだ。さっきミコが回答の辞で述べた「シク=ニーロが長くはこの時代に留まってはいないこと」の謎について、神様屈指の実力者コンピ、御両所と呼ばれる絵と迷がナミコに代わって第3 問として質問してきたのだ。

「みいこ、私は未だもうわからない。奴の時間遡旅行ってどんなああいう絡繰なの?」

「迷のくえすちょんはどうでもいいね。答えるのはミコのれすぽんしびりてぃだから」

 迷の本音と建前をごちゃ混ぜにした質問を、絵が役に立たない補強で相乗りし迫る。

 したらばミコは「二度手間は嫌い。先に行った連中にも聞こえるように“情報共有の通神術”をお願いするわ。それだったら今、答えてあげる」と条件付きとは言え、要求に応じる構えを魅せた。神様連中もナミコもその思いやり溢れる気品ある仕草にときめき魅了される。神様達は「Roger!」の掛け声とともに思念を調律して術を発動させた模様。ナミコには何が起こったのか一切分かりもしなかったが、ミコはその繊細な感覚で感じ取った模様で、未来電話を弄くっている2本の黒い腕に加えもう2本の黒い腕を振り向きざまに飛び出させる。皆の方へと顔を見せたミコは新たな黒い手とその手に握らせていた片方が矢印になった太めの鉄線を2本の黒い手で掴み、皆に説明を始めたのだ。

「むずかしい仕掛けなんてないわ。あいつが開発したっていう『不可能解決の設計図』ならむしろこれは簡単な技、まあ観てなさい。ここに一本の鉄線があります。これはわたしたちに絶対して共通のもの……そう、人生です。普通はこうして横一直線。まあここではわたしの左手側を過去、右手側を未来としましょう。そして人生の矢印付き鉄線を矢印は右手に、何も無い方は左手に持てば、これが時間軸理論における、人生の構図そのものよね。ここまではわかる?」

 うんうんうん――ナミコだけじゃなくエレベータに乗っていた神様達も全員が頷く。ミコは微笑み、そして続けた。

「で、わたしの大っ嫌いなシク=ニーロの奴は自分の人生線をこう変えてしまったのよ」

 ミコは突如2本の黒い手を動かして、過去側から時計回りに人生の例えに使っていた鉄線をぐるぐるぐーるぐると巻き始めたのだ。均一な円を奥に重ねて行く機械よりも精密なその作業でできた物は、バネだった。ただ、人生の行き先を示す矢印の端は、逆方向を向いていた。そしてミコは出来上がったそのバネを一旦空中に放り投げる。なんでそんなことを……とナミコは思ったが、やったことは過去の端を今まで未来側としていた右手に、反対側を向いた未来を示す矢印付きの端を今まで過去側にしていた左手で取った。要は持ち替えたのである。だがナミコはその瞬間、ミコが説明しようとする全ての意図を察してしまった。絡繰が分かってしまったのだ。それは新鮮な感動の気持ち。だから思わず「ああ、そういうことだったんですねミコさん。わたし分かっちゃいました」と口に出してしまっていた。

 これがマズかった。ナミコは口を滑らせた直後から後ろからの強烈な殺意に当てられたのだ。そりゃ何かって? 決まってる。まだ理解してない後ろの神様連中が怒りのオーラを隠すこともなく放出しているのだ。「助手だからか」「くそう、人間無勢に遅れをとったぞ」等と、嫉妬と怨嗟の声も混じりだした。そりゃもう素直に、身の危険を感じるレベル。

 しかし今のナミコはミコの助手。ミコは雇い主としてナミコに助け舟を出してくれたのだ。

「そっか……ナミコちゃん分かっちゃったんだね。なら実演は引き続きわたしがやるけど口頭での説明はナミコちゃんにお願いしましょう」

 と。

 などと。

 予想だにしない提案をミコは持ち上げた。ナミコとしてはミコより上手に説明できないことは自覚していたので遠慮したかったのだけど、ギャラリーの神様連中が「そうだそうだ」「分っているなら、説明もできなきゃねー」とミコの提案に乗っかって煽る始末。

 ここに至ってナミコも覚悟を決めた。封は解かれたのである。ナミコは軽く咳払いをして声の確認をしてからミコと目を合わせ、頷き合って神様達に説明の続きを語らう。

「このバネ状にくるくるくるまった時間線こそ、シク=ニーロの人生なんですよ。未来へと進んでいるようで実は時間遡行もしている。これが過去への時間遡旅行の絡繰だったわけです。でもこのままじゃ同じ時間を繰り返しているだけの輪廻に過ぎません。シク=ニーロの場合は……ミコさん」

「はいな、おまえさん」ミコは夫婦漫才のノリでナミコの振りを快諾すると、バネ状に、立体状に重なった鉄線をぐい〜と引っ張り出したのだ。そこに見えるのは電話のコードみたいな、ぐるぐる螺旋を描きつつ、人生の行き先を示す矢印は過去側の左手に向かっているのだ。その図を見てようやく神様達もその仕組みを理解した模様。それを固定観念にまで捩じ込むためにナミコは締めの説明に突入する。ミコの黒い手が開いた鉄線の指でなぞりながら。

「分かりますか? シク=ニーロは未来からしばらくはそのまま時間軸に沿って生きていたけどある時点で時間遡行のアクションを起こして自分が生まれるよりも前の時代に大きくタイムスリップした。でもそれだけじゃ終わらない。一度やったらその時間遡旅行はずっと続く。一度タイムスリップしたらもうそのサイクルは止められない。同じ時間にずっと留まることはできずに、一定時間が経ったらまた時間遡行に入るわけです。言わば時間順行している間は遡行の為のチャージ期間とでも解釈してもらえればOKだと思うのですが……どうですか、ミコさん?」

「完璧満点パーフェクトよナミコちゃん。わたしの解釈と寸分違うところもないわ。さすがわたしの選んだ助手ね」

「そうね。ナミコちゃんの説明、とってもすんなり入ってくる。おかげでわたしたち神様も、上の階で待機している人達も全員シク=ニーロの時間遡旅行について理解したみたい」

 ミコはナミコのプレゼンテーションをお世辞抜きにベタ褒めしてくれた。それだけでもナミコがデレるには十分だったのだが、神様達の中でも随一(とミコから聞いている)魚=ブラックナチュラルが神様の中から率先してナミコの説明を素直に褒めてくれたのは予想外の意外であり、それだけに嬉しい気持ちが3割9分増になった。その魚、なんとパチパチとナミコに拍手までやりだす始末。倣うように弟子を名乗る祝と哉も、更にそれに倣うようにミコ以外の神様全員がナミコの解説ぶりに拍手喝采を贈ったのだ。ここまでくると自己陶酔も酔いが覚め、褒め殺し状態となり逆に居心地が悪くなってくるのだが、丁度その時エレベータが停まり、扉が46階への道を開いたのだ。自然拍手もなりを潜め、ナミコの精神もいい状態で保たれ推移する。

 ミコを先頭にナミコと16名の神様達がゾロゾロ大挙して廊下へ出て、会議室へと歩く。

 その道中もシク=ニーロの時間遡旅行について話をしていたが、「そういえばあいつ、直に会った時『来るべき出立の時』とか云ってたわね。あれは次の時間遡行の事を示していたわけか」と、紫がふと思い出したように呟き、神様達が挙って揃って「そうか! そういうことなのか!」と納得している様子も見られたが、それも儚き刹那の夢。ナミコ達は扉も開けっ放しで待ち人達を呼び込もうとしている会議室のひとつに入っていった。案の定そこには目から鱗が落ちたって顔をしたクルサード警視に被害者少女家族、そしてはじめて見る顔の警察官が数名いて、その顔のまま「おお、来たか」って、似合わな過ぎる台詞を吐いて出迎えてくれたのである。ナミコはここに集まった者達――取り分け神様達の俗物ぶりにどうしようもないしょーもなさを感じつつも、助手としての役割を果たすべくミコの隣に付いて歩いた。そう、事件の当事者よりも主役&VIP待遇されているミコが動かないと、この事件は回らないのである。

 円卓の大き過ぎるテーブルの一角にミコが座る。ナミコはその左隣の席に座った。ミコに「ここよ」と言われたから。一方反対側右の席は神様連中の血で血を洗う激しい争奪戦の末ミコの黒い手で摘まみ上げられた祝がストンと座らされ、続けてその右横にはトリオ組んでる哉と魚……ではなく、意外な神選で羽と雅に紫、帳を指名したのだ。「他は知らない。好きに座って」と残り席自由席化発言に当の残り者達は文句でぷんすかぷんすこ頬を膨らませるが、先行して既に座っている神様仲間達から発せられていた痛い蔑視の視線が効いたようで、すぐに大人しく引き下がり、しおしおと自分と引き合う席に座ったのだった。

 それと同時にミコの右隣右側近くを祝、羽、雅、紫が順に座って行く。その様を観て、ナミコはミコの意図を察した。

(成る程、小さい神様から順にってことか。次の指名があるとしたら、哉様だったんだろうけど、魚様に付き合ってあんな遠くに……御愁傷様です)

 そう、ミコは決して急がないし、ついでに無理もしない派の女。黒い手を使うとは言え楽したいと思ったわけか――ナミコはミコの俗っぽさに呆れつつも好感を感じていた。俗っぽさなら神様達も持ち合わせているものの、『誰が。どんな立場の者が俗っぽいか』は死活問題。やっぱり神様連中には、神様を名乗る者達には凛とした態度でいて欲しいのだ。完全にワガママだけど、権利くらいはあるだろう。

 なにはともあれ、会議室に居る者全員が円卓に着席した。早速クルサード警視が現場を担当した警察官達に説明するよう匙を投げる。投げられた警察官達は「手元の資料を」と前置きしてから人質とされた刑務所の状況を話し始めた。

「酷いもんでしたよ。とにかく使われていた爆弾の量が多過ぎでした。刑務所の発破解体どころじゃない、刑務所を木っ端微塵にしかねない程の量の爆弾が視界に治まり切らないくらいもう至る所に取り付けてありました。回収した爆弾の総量は1.11tにもなりました。全部を全部剥がすのは、時間掛かりましたよ。所長は神経衰弱気味ですが大丈夫です。気を失っていた者達も生命に別状はありません」

「そうか……御苦労だったな。その働きぶりが人質を救ったんだ。よくやった」

 クルサード警視はそう言って部下達の苦労を労うと、ミコに向けてなにやら放り投げてきた。ミコはそれを新たに出した黒い手で受け取り、黒い手ごと引寄せてそれを観る。両隣にいたナミコと祝も覗き込む。助手として人として女として、やっぱり気になったから。

 ミコの受け取ったモノは、証拠袋に入れられた携帯電話だった。曰く所長はその携帯電話でミコやシク=ニーロと通信を取っていたらしい。それはこの時代の携帯電話とは一線を画するデザインと機能を併せ持つ未来の電話――ミコが四六時中黒い手を出して持たせている未来電話と同じ、未来のテクノロジーで作られた現代から見れば超最先端かつ最果ての先にある一品であった。ミコは袋越しに機械的なデザインや最小限のボタン類を確認すると、黒い手を伸ばしてクルサード警視に返す。証拠品とは言え雑に放り投げたクルサード警視とはえらい違いだった。返却を受け付けたクルサード警視もその点少々後ろめたさでも感じたのか、ミコに向かって文句混じりにこう言ってきた。

「円卓の丁度直径線上にいるから投げ渡したんだがな……強度は確認済みだったし、なんだか釈然としない気がするよ。ま、私は黒い手なんて持ってないからこの不公平感も受け入れよう。見返りにミコ、君が得た情報が欲しい。いくつか質問するが善いかな?」

「Yes of course.ええ、なんでも訊いてちょうだい。今日のわたしは饒舌よ」

「ではまず一つ、なぜシク=ニーロはこんな事件を起こすんだ? 動機が知りたい」

「本人に訊いても無駄っぽい質問来たわねー。わたしの知る範囲で言わせてもらうと、あいつは“そういう人間”、“生まれながらの悪人”だからよ。きっと元いた時代も引っ張りだこだったはずなのよ。なんせあいつ水族館で直接対面した際自分のことをこう言ったのよ。『悪の秩序を律するために必要悪として造り出された人工人間』って。わたしが背中を観て知った限り、あいつの悪としての活動量は大陸の地盤よりも分厚いものだった。生み出した親元の“システム”に言われて……ひっきりなしにこなしていたんだと思う。その習性が抜けてないんでしょうね。この時代に来て次の時間遡行迎えるまでの間も待っていられないのよ、きっと。他にも理由はあるわ」

「なんだ?」

「初めて直接出会ったわたしと神様への挑戦。悪を律する者としての衝動。そして――」

「そして?」

「退屈しのぎ。先にも言ったけどあいつは暇を持て余してる。でも暇なのを楽しむって概念が見つけられなかった。あいつにとって退屈はなによりも忌避すべき大問題なのよ。でも他にやることを知らない。だから犯罪に走るってわけ」

「お子様ですね。それに生命としての在り方が極端過ぎます」

 ナミコが思わずミコの後に喋る。喋った直後は迂闊な事をしたもんだと悔いたが、会話中の丁度よいワンクッションになったらしい。神様連中や救助に向かった警察官達。被害者少女の家族に至るまで、常識的なナミコの主張を「そうだよな」「全くだ」と肯定支持してくれたのだ。何よりミコがこっちに顔を向け、ウィンクしてくれた。それが何よりも嬉しいご褒美。

「じゃあ二つ目だ。さっき君は、……いや、君とナミコはエレベータの中でシク=ニーロの時間遡旅行の絡繰を説明したが、次の時間遡行は何時と診ている? セーフティ・ガードとしてはそれまでに捕まえないとならないからな」

 至極真っ当な問い掛けだとナミコは思ったが、クルサード警視が喋り終わった後、会議室の空気は激変した。質問されたミコが顔を顰めて殺気を発し始めたからだ。氷河も震える冷たい気迫に、会議室の誰もが身震いした。それでもナミコはミコに声を掛ける。自分がミコの助手なのだという意識が彼女をそうさせた。

「ミコさん……答えてあげないと。『気分が変わった』なんて言い訳をしたわけでもないんですから。まあこの発する気からして、ミコさん気分が変わったんでしょうけど。それならそれでそうなった経緯を説明してあげないと。『なんでも訊いてちょうだい』とまで言った手前答えないと。自慢の背中が泣きますよ」

 ナミコは思いつくばかりの詞のピースを組み合わせ半ば破れかぶれとミコを説得した。

 これがよかったらしい。ミコはナミコの詞を聞いた後、凍える殺気をカラッと消して、「それもそうよねー」としみじみ答えながら頷いたのだ。何が良かったのだろうか――全然分からないナミコだが、ミコが喋る前にこっちを向いて一瞬だけ、微笑んでくれたことで気後れや後ろめたさ、疲れなどといったものが吹っ飛んだので、それだけの価値があったんだろうと納得した。ちょっと得した気分でもあった。

 そしてミコの説明が始まったのだが、まあこれが衝撃的。

 クルサード警視の質問を前提から覆すような内容だった。

 だから言いたくなかったのか――ナミコは今更理解した。

「あいつは絶対捕まえられないわ。捕まえたとしても簡単に脱出するわよきっと。だってあいつ、未来の俗世でわたしの次にここにいる神様達の居住地に辿り着いて、そこで自分の設計図創っちゃった神様と同格の存在だもん。不老不死だし、頭いいし。それに時間遡旅行のルール忘れた? 逮捕とかしたって時間がくれば時間遡行よ? 正直追うだけ無駄無駄ってね」

 ミコは黒い手と自分の手両方をシンクロさせ、ふたつの手をひらひらと振る。挙句「しょーもないのよ」と付け加え。降参を詞と体で表すミコの説明は至極真っ当で、聴く者全てを納得させ――。

「駄目だ! 我等がセーフティ・ガードの威信に掛け、絶対且つ全力で捕まえろ!」

 ることにはならなかった。突然ミコの説明を否定する発言を割り込ませてきた部外者が話に加わり、『全員』の定義が変わってしまったからだ。

 突如背後に現れ異議を唱えたその者の姿を見ようと、ナミコは椅子を回転させる。ミコも一緒に回転させる。ナミコは右回りミコは左回りと、顔を見せあう形で回転。途中目と目を合わせるが、何も無い。なぜなら意思の疎通も何も無い、本当に一瞬目と目が合っただけの事なのだから仕方無い。それよりも見るべきはお互いの後ろにいる、割り込んできた者の方だ。ミコとナミコに倣い、そのままではその者の姿を見られない神様達もまた、椅子を全回転なり半回転なりさせていた。そうして皆がその者の姿を視界に捉えた。

 男だった。蓄えられつつもよく手入れされた顎髭に、見上げなければならない威圧感を与える巨体。黒地の立派なスーツがその第一印象を余計に補強する。眼鏡をかけた、鋭い目の男性……。その正体は振り向いたナミコ達の後ろから、クルサード警視達警察官達からもたらされた。

「大目付長官! なぜこちらに?」と。

 それでナミコは理解した。この巨漢が絶対安全都市セフポリスの治安機関、セーフティ・ガードのトップたる大目付安々長官その人なのかと。

 正体も分かったし大目付長官の返しで話が進むかと思いきや、ミコと神様連中は至極真剣な顔をして、ボケかマジか分からない、こんな詞を発したのだ。

「なによ、あんた」って――。

 その瞬間、空気がまた凍り付いた。むしろ死んだと表現した方が善かったか。とにかくおよそミコのイメージとは縁遠い詞が本人の口から発せられた事にナミコは少なからぬショックを受けた。

(ミコさんが、こんなに口汚く人を罵るなんて――)

 目が点になるナミコやクルサード警視達を差し置いて、ミコと神様達の目はかなり本気。それが指摘された当人である大目付長官の逆鱗に触れたようで、長官、大声張り上げ怒鳴り散らしての自己紹介を始めたのだ。

「私は大目付安々、わかるか常識知らず共? このセーフティ・ガードで一番偉い、大目付安々様だ!」

「おおめつけ、やすやす……?」神様達の誰かから長官の名前を読み上げる声が上がった。大目付長官も「そうだ!」と一々怒鳴って更に続ける。

「意味がないから捕まえないだと? とんでもない事抜かしおって! いいか、お前達が取り逃がした黒幕とやらの所為でここセフポリスの安全神話が崩壊したんだぞ。その犯人が誰なのか知っておきながら、いなくなるから捕まえないだと……? 巫山戯るな! そんなことしたら『治安草案』施行以来1000年以上の時を費やし会得したセーフティ・ガードの治安能力への信頼が一気に瓦解するだろうが! 168年ぶりに事件が起こった事はまだいい。だが犯人を見逃すなんて堕落は許せん! 事件が起こっても必ず犯人を捕まえてきたからこそ此処セフポリスは絶対安全都市と呼ばれるのだ。その根幹であるセーフティ・ガードへの信頼を私の代で終わらせるわけにはいかんのだ! 『犯罪者は必ず捕らえよ』――偉人ビル=エグジスト様が遺された治安草案にも書かれている我等セーフティ・ガードの矜持だ。それすらも忘れたかクルサード!」

 大目付長官は叱責演説の矛先を部下であるクルサード警視に向けて怒鳴る。ミコの主張に飲まれかけ、犯罪者を見逃そうとしていた部下への厳重注意、ということなのだろうとナミコは察する。事実背後からクルサード警視や現場報告をした警察官達が「いえ、その……」と返答に詰り困りきった声が聞こえたのだ。案の定な事態になったが、ナミコは心配などしていなかった。

 なぜか――こういう状況下=自分が提唱した追跡無駄の主張を反駁されて、論者であるミコが黙っている訳がないと分かっていたから。ナミコは短過ぎる助手としての経験からミコの事を少しは理解していた。ただその『少し』で知り得た事が、今回たまたま状況判断に役立っただけ。それだけである。

 そして読みは的確的中。ミコの強烈なしっぺ返しと共に、時間が再起動する。

「なによー、いきなり現れて大声張り上げたかと思ったら言うに事欠いてわたしの方針を否定ですかー? あーヤダヤダこーゆーの。実際の現場を見てないから言える妄言暴言。イヤ、ゼッタイってね……あのねー、シク=ニーロはバカだけどそれでもあんた様たちセーフティ・ガードが手に負える相手じゃないの。余計なことしていらぬ刺激を与えたらそれこそ被害が増えるだけよ? 別にいいじゃない。一人くらい捕まえ損なったって。あなた様たちは機械じゃあるまいし。完璧に走る理由がどこにあるのよ。そもそもあのバカシク=ニーロは未来人なんだから、過去の警察に捕まる道理もないでしょう」

「そんな考えは小心者の逃げ論理だ! 未来人だろうと神様であろうと、罪を犯せば警察に捕まる――これこそ真の正義だろうが! 万民共通時間軸をも超越した法の下での保護及び基本的安全保障権を護るためにも、犯人は絶対捕まえろ!」

 ミコの説得も主張も問答無用と否定してかかる大目付長官の頑固さと強引ぶりに、流石のミコも目を細める。それが蔑視なのか呆れ顔の一部のどちらなのかはナミコには計りかねるものだったが、二人の相性が最悪だということは理解した。そしてそれはこのあとミコが発した詞でもって証明されたのである。

「まだわかんないの。わっかんないなあー」

「そうだミコ=R=フローレセンス。お前はまるで分っていない。所詮世捨て人のお前などその程度――」

「違う! わたしがわかんないって言ったのは、この説明で納得できないあなた様のおつむの方よ、大目付長官様」

「なっ!」

「プッ!」

 痛烈にして痛快な罵倒だった。ナミコは思わず顔をミコと大目付長官から逸らして噴いてしまう。だが笑いの衝動はそれだけでは抑えきれず、咄嗟の反応でナミコは笑い出しそうな口を手で必死に抑えた。目からも涙が溢れそうになる程目尻に溜まるが、荒い呼吸と小刻みに震えることでなんとか発散して衝動を堪えきる。耐えきってようやくモノを見れる状態にまで戻った視界には他の人達神様達も懸命に笑いを堪えようとしていた姿が入ってきた。しかしミコはそんな助手達周り周囲の反応に構うことなく、続け様に詞を発した。

「そんなに自分達への評価が大切? 安全神話は完璧必須? 悪いけどね、どの街この街俗世の人は、そこまで絶対的な成績を安全神話に求めてはいないわよ。求められてもいないのに右往左往するあなた様たちは見苦しいこと甚だしくってよ。考えてもごらんなさい。ここにいる神様達が出した問題にも愛想をつかした今の時代を……宗教にしろ神話伝説の類にしろ、信仰が助けになる時代は終わっているのよ長官様。わたしが神様の問題を解くより前に。わたしが最後の国を滅ぼしたときより前に」

 さらっと話される衝撃のメッセージ。ここにきて大目付長官の顔が渋くなる。それを尻目に、ミコは更に続ける。

「神話に絶対はないし伝説は終わるもの。意味もなければ価値もない。人の集まるところには、必ず悪い人も集まるもの。そして全ての悪を討ち取れるほど、この俗世は甘くも優しくもないんですー」

 ミコは自分の手2本と影帽子から出している黒い手2本の計4本の手を肘で折曲げ上に向けて、「しょうがないのよ。現実だもの――」という詞と同時に肩を竦める。

 それを見た大目付長官、渋った顔から強張った顔へとフェイスチェンジ。怒りに任せた声で怒鳴る。

「もういい! お前達が動かぬというのならこっちで勝手にやるだけだ。シク=ニーロの逮捕を目的とした特選チームを編成して投入させてもらう。お前達の邪魔になろうが文句は一切受け付けんぞ。逆にこちらに対しては一切全ての情報を提供しろ。無論こちらの捜査妨害もするなよ。この条件を呑むのならお前達が動くこと自体は黙認してやる。以上だ、後で『参加したい』なんて寄ってきても無駄だからな。精々右往左往するがいい。いや、してろ」

 大目付長官の怒号は、一貫したミコへの対抗発言だった。いかにも組織のトップがやりそうな、勝手極まる独裁裁可。そして叫んだ勢いそのままに身体を反転させ、ずかずかと会議室から出て行ったのだ。乱暴にドアを閉められて外部と遮断されたのを確認したミコがむす〜っとした顔をして辛辣なコメントをひとつ発した。

「なんなのよあいつ。いきなり現れたと思ったらわたしのスタンスに文句言ってそのまま出て行っちゃった……ちょっとークルサード、あなたあんな上司の下で働いてるの? 御愁傷様、お疲れ様、御苦労様のハットトリックね。いやーえらいえらい」

 話し途中で椅子を元の位置に戻したミコがクルサード警視達セーフティ・ガードのボスを貶しつつ、その下で健気に頑張っているクルサード警視達部下の苦労を察したように勝手に労う。神様達もそれに同調しつつある中で、クルサード警視は「そうでもないさ」と意外なレスポンスを返して「もういいだろう? ドアの方向いてる皆、ミコみたいにこっちを向いてくれないか」と椅子を回転させ大目付長官を見ていたナミコ達にミコのように椅子を戻せと促す。ナミコと神様連中が要請に応じ椅子を戻し、再び会議室にいる全員が円卓を囲み視線を円卓中央に注ぐ。円卓に集いし皆の顔が可視領域に入ったのを皆が確認すると、仕掛人のクルサード警視が進行役となって今後の方針を策定すべく口火を切る。

「さて……私達は我が儘上司からも見放され、自由に動く事ができるわけだが……その為にはやはりミコ、君に訊かなければならないことがある」

「いいわよ。なんでも訊いて。ただし回答を理解できるかどうかは責任を負いかねるからね」

 クルサード警視が話を振ると、ミコは未来電話を弄くっていた黒い手を一旦脇に置き、回答者となる事を思慮した風もなく簡単に了承する。ナミコを始め、神様連中も被害者少女の家族も一瞬虚を衝かれ固まってしまうが、クルサード警視は流石の対応。ミコの詞に動じる事もなく、遠慮なしに質問を始める。

「ああ、勿論覚悟の上だ。では訊こう。ミコ、君はシク=ニーロをどうするつもりなんだ? 捕まえるつもりはないと君は言った、だがこのまま放置するとも思えんが……どうなんだ?」

「そうねー時間遡旅行自体は止められないけど、二度と悪さのできないようにしてやるつもり――って言ったら助けてくれる?」

「おお!」「Good Idea! Nice Idea!」「そういうことか!」「勿論だ!」「ああ、やるぜ!」

 ミコの戦略を聞かされた者達は人も神様も皆ミコの意見に賛同し、逆に覚悟を訊き返されると賛同から来る快諾を返す。当然ナミコもその内の一人。ミコの助手である彼女はミコにハッキリと「わたしもミコさんを助けます。及ばずにしてこんな小さな手ですが……思いは同じです!」とミコに力を貸す旨をミコの手を取り握り締め誓う。

 隣席とは言えミコの手を取ったので、ミコがナミコの方を向くのも自然な反応。目と目が合った瞬間、ミコとナミコは頷きあった。

 それはナミコにとって特別な意味を持つ誓いだった。これまで「ミコに依頼されるまま任じられるまま名乗っていた『助手』」の役割から脱皮し、「ミコの助けになろうと自ら動き名乗る『助手』」へと立場を変える覚悟の誓約。

 それはとても輝かしい、ナミコの今までの人生一番の記念にして誇り。

 ナミコはキラキラしたまま固まっていた。あまりにも嬉し過ぎて。泥酔心酔陶酔と、酔って感覚が麻痺していたのだ。完全に自分の世界に没入していた。が、酔いは醒めるもの。程なく聞こえてきた周囲からの不満の声がナミコに理性を取り戻させた。すると途端にナミコは今までとは逆の感情、羞恥が込み上げ心身全て染め上げてしまい。「周りの人に見られていた」という事実を自覚し、顔を真っ赤に色付ける。逃げるようにナミコはミコから手を離し、辺りを見渡してみると、やはりだった。神様連中にクルサード警視が嫉妬や羨望以下諸々の感情を匂わせるヤジをナミコに集中砲火中。「す、すいません!」とミコを独占していた事に詫びを入れ、俯き下向き引っ込んだ。出る杭は打たれる。格言通りの展開であった。それでも止まないヤジの嵐。引っ込みモードとなったナミコは口を開けず困っていたが、助け舟はもう出てた。ミコがパチパチ手を叩き、ナミコを弁護してくれたのだ。

「はーいやめやめ、嫉妬はやめーい。ナミコちゃんはわたしの助手になってくれたんだから特別対応取ってもいいじゃない。まあ、放置されたみんなが起こるのも無理ないわよね。そこはわたしからも謝っとく。ごめんしゃい」

「そうだな。今は皆が君の相手だ。一人に肩入れし過ぎて他を無視されては困る」

「うん、わかってる。次は時と場所をわきまえてやることにするわ」

「って! ナミコとの蜜月続ける気まだ残ってたんかい!」

「そりゃ残ってるわよ。ナミコちゃんは助手だもの」

「羨ましーなー、ミコおねーちゃんとの密会なんて」

「ホントねー祝ちゃん。ま、神様は基本報われない性質だから、今あるチャンスを活かしましょう。この質疑応答の時間帯をね」

「お粗末」

 クルサード警視の注意をミコがボケ込みで了承。続いてそのボケに落がすかさずツッコミ。間髪容れないミコの返事に反応するのは祝。そのコメントを師匠格の魚が拾ってまとめて落しどころへと持って行き、ミコの「お粗末」で一件落着、ミコナミコの「雇い主と助手」問題は綺麗さっぱり手打ちとなった。

 となると状況も逆行し、皆がミコに質問する状態にまで戻る。

 それを見逃さないクルサード警視、目敏く手を上げ質問する。

「代表して質問していたのは私だからな……シク=ニーロをどうするかについては君の方針でいくことにしよう。次の問いだミコ、被害者の少女はこうして快復したものの、彼女が“狂活字獄”を発症していた間検分し発狂してしまった医師達の方はどうする?」

(あっ……)

 自分がシャーロックとクララの見舞いをしていたことをここでようやく思い出すナミコ。薄情なもんだと自分でも思う。でも仕方無いとすぐに開き直った。

 それにそんなこと考えている時期ももう逸した。ミコの回答が始まったからである。今やナミコはミコの助手。助手ならば、ミコの方を優先したって、億に一の問題もないというものだ。ナミコは耳を傾け、ミコのもたらす『答』を聴く――。

「あーシャーロックたちのこと? それなら大丈夫よ。気狂いの大元である“狂活字獄”はわたしが治したから、もう見た人を傷つけることもない。何もしないでも放っておけば時間が自然と治癒してくれる。復活の暁にはあらゆる毒素への耐性をステップアップさせたNEWバージョンを拝めるわよ。個人差にもよるけど……大体半年から2年ってとこね」

「長過ぎる。手段は問わないから1週間以内の退院にはできないか?」

 ミコの回答に対し、現実的な視点からエスカレートさせた要求を繰り出すクルサード警視。流石に半年を1週間には……不可能、とナミコは思ったのだが、ミコは「そうね。ベッドは空けておいた方がいいわよね」とクルサード警視の意見がもっともだという風に返事し、頭に被った影帽子の開いたがま口チャックから新たに黒い腕を飛び出させて、クルサード警視に薄っぺらい紙製シートみたいな物を渡す。クルサード警視が中を改め確認すると、中から黒い円盤――1枚のレコードが確認できた。それを確認したクルサード警視、フッとミコに笑ってみせる。「なるほど」と呟き、感嘆したよと言う感じの顔でミコに話しかける。

「音楽療法か」

「ええ。そのレコードは再生すると音楽にのせて聴衆に快復信号、免疫信号、解毒信号を浸透させるの。1週間、達成できると思うわよ」

「ああ、これならイケそうだ」

 クルサード警視は黒いレコードを大事そうに袋の中に戻し、隣に座っていた部下の警察官に手渡す。仕事を任された警察官は、無言で頷いて受け取った。

 だが質疑応答の時間はまだ終らない。次の質問はクルサード警視からバトンを奪った、神様陣営から魚がミコに話しかける。

「次はわたしよ。ミコちゃん、次の事件はいつ起きると思う?」

「そうねー」ミコは窓の外、夜の空を見て答えた。「どんなに早くても明日の朝以降でしょうね。ほら、水族館で会ったとき、シク=ニーロの奴言ってたじゃん」

 夜は寝るもの――その詞を思い出している一同。水族館での会談以降に招集され、今聞いたばかりのナミコでさえ、非常にしっくりくるものがあった。なので皆ミコの予想に異論のひとつも挟まなんだ。

「じゃあ今日は撤収ね。ミコちゃんはどこにお泊まりで?」

 魚が続け様に質問を発した瞬間、皆の顔が変わる。特に神様達の目が突如として鋭くなった。気持ちは分かる。ミコと一緒の場所で寝泊まりしたい――そう考えているのだ、神様達は。自分達も来たばかりだからミコのところへ民族ならぬ神様大移動を計画している頭の中が、ナミコには非常によく見えた。

 ところがどっこい。ミコは嫌がる素振りも見せず、ナミコの方を振り向いてナミコに一問、尋ねてきた。

「ナミコちゃんはシャーロックやクララちゃんと一緒に?」

「はい。アット地区のホテルに泊まっていました。今クララちゃんとシャーロックが寝込んでいる病院もアット地区です」

「そっか……ありがと。シャーロックを傍らに置く気は今回微塵もありませんし、ホテルに泊まるって気分でもないのよねー」

 ナミコの情報提供を受けて、ミコは顎に拳を当てて、じっくりゆっくり考える。でもそれさえも一瞬で終わる。ミコはナミコや神様達、そしてクルサード警視をはじめとする警察陣営の方へと視線を戻し、宿泊先を決めたと告げた。

「わたし、セフポリスの郊外に当たるアフター地区の旅館『享楽亭』に泊まることにするわ。ナミコちゃんもこっちに移ってちょうだい。わたしはナミコちゃんと2人だけの相部屋に泊まるから。調べたところ他の部屋も空いているから、60名の神様達も別の部屋を確保して泊まるといいわ。さっそく予約の電話を入れなきゃ。あーもしもし。はい、部屋の予約をお願いしたいのですが……」

 答えを告げると同時に、未来電話ではない、ミコが元々持っていた携帯電話をがま口チャックから取り出して、ミコは宿の予約を始める。その光景を見て神様連中の質問者だった魚も、携帯電話を取り出し、同じ享楽亭の受付係に60名分10部屋の予約を入れ始めた。ナミコと他の神様達はそれぞれ予約を行っているミコと魚を静かに見守る。

 やがて、「ありがとうございました。よろしくお願いします」の詞と共に、先にミコが、次いで魚が携帯電話の通話をOffにして携帯電話を奥へとしまう。二人は円卓に集いし全員に向かって指でピースサインとOKの意味を持つ丸を手で象って皆に魅せる。途端、神様達は立ち上がったり椅子を回転させたりして嬉し楽し喜ばしの感情表現に打って出る。

 ナミコは神様達の愚直ともいえる正直さに半分呆れつつも、同じ気持ちを抱いていた。なにしろミコと一緒に同室で寝泊まり、である。多分シャーロックが聞いたら卒倒するだろう。いい気味だとナミコは笑う。なんてったって、二人の新婚旅行にカメラ係兼荷物持ちとしてこき使われてきたから、内心不満が少なからずあったのだ。そのバカップル二人を出し抜ける――背徳感じみた快楽がナミコの身体を駆け巡っていた。

 そんな快感に身を委ねていると、ちょんちょんとナミコの腕をつつくものがある。なんだ誰だと振り向いたらミコだった。黒い手でない自分自身の手の指使ってナミコの二の腕をつっついていたのだ。それが何を意味するかはナミコだって分かる。快感を一旦ガス抜きし、椅子を下げて立ち上がった。なにせミコの行動は、「もう行くよ」との合図だったのだから。神様達の方も、魚を筆頭に全員が席を立っている。

「それじゃ、行きますかね」

 ミコが声をかけると立ち上がった皆が一斉に「はい!」「おう!」などと返事を返してくる。ミコと魚は目を合わせ、なにやら頷きあうとまた携帯電話を操作してどこぞに電話をかける。一体どこに――その答えはすぐに明らかになった。電話が繋がった瞬間、二人とも電話先に「あーもしもしタクシー屋さん?」と発言したのだ。

(移動用のタクシーですか。なるほど)

 ナミコはミコと魚、全然似てない友達二人の意図した訳でもないコンビネーションに苦笑を抑えきれなかった。口元に手を被せて覆い隠す『手』もあっただろう。でも、ナミコの心はそれをよしとせず、素直に笑い声を響かせた。すると周りの人達も、神様達も、ナミコの気持ちが伝染したかのように「ふふ」だの「はは」だの笑い出す。基本殺伐としていた空間が、柔らかな光で照らされたように明るくなる。外はとっくに夜だけど。

 そして二人が寸分の差もなく同時に携帯電話を切ったのを見計らって、クルサード警視、それと被害者少女の両親と少女それぞれがミコに声をかける。

「喚んだ甲斐があったな、君の御陰でたすかったよ。ありがとう」

「私共からも感謝の詞しかありません。娘を治して戴き感謝です」

「お姉ちゃん、ありがとう。シク=ニーロなんかに負けないでね」

 立場が違えば詞も違う。それでもミコに声をかけた三者がミコに贈る詞は「感謝」の気持ちがちゃんと入っていた。事件解決に被害者救済まで、そりゃ感謝されて当然よね――ナミコは芯から頷いてその思いに同意する。

 そしてナミコはミコがこういった感謝を天の邪鬼な神様達と違って割と素直に受け取ることも知っていた。いや、知っていたは誤りだ。正確には「そんな気がする」程度の予測予感程度のことだが、ミコは助手を裏切らなかった。感謝の詞を発した三者数名に向かって自分の手で「いえいえ」と謙遜しつつもその後直後、両手でスカートをつまみ上げて頭を下げて、こう言ったのだ。

「その気持ち、ありがたく受け取らせていただきます。もう何度とこのようなことを繰り返させないよう、あいつはわたしが全力で叩き潰しますので。では」

 左足を後ろにずらして腰を少しだけ落し、頭を下げて礼をする。

 ミコのお辞儀は美しく、洗練された動きそのもので、部屋にいる者全員を魅了した。

 それはただの礼儀ではない、もっと別の領域にある美しき所作、美の極致の一部分。

 周囲全員が息を呑む中、当の本人であるミコはあっさりサービスを終わらせて元の姿勢に戻る。それでも数秒間、皆が動けなかったのだから相当だ。

「って! 固まってる場合じゃないです。もうタクシーが来ちゃいます!」

 他の連中同様固まっていたが、助手としての機能がどこか活きていたナミコがいち早く我に返ると皆も連鎖反応的に動き出す。丁度そのとき会議室備え付けの電話機に着信が。現場報告をしてくれた警察官さんが電話を取るとこっちを向き、「ミコ殿、神殿。タクシーが来たようですぞ」とのご連絡。その報告を聞くや否やミコと神様達は大挙してドアを抜け、会議室を後にする。当然ナミコもミコの横に付いて移動したのであった。

 助手だから――である。



 エレベータ10基を動員してミコとナミコ、あと神様達は会議室のあった46階から一気にエントランスのある1階ヘと向かい、ぞろぞろ群衆と化してセーフティ・ガードの建物から溢れ出てくる。先頭切っていたナミコの弁だが、これが正しい表現だろう。なんせ62名もの連中が一箇所しかないエントランスから途絶えることなく出てくるのだから。その様はまるで巣から飛び出してくる虫の大群、そのまんまである。ちょっと怖いとナミコは思った。まだ学生の彼女にとって、このような大挙した人の列は好感よりも嫌悪感が先にくるからだ。

 ともあれそこはたった62名なのが不幸中の幸い。皆すぐにエントランスを出て開けた空間に脱出しきったので、人混みへの嫌悪感もささっと消え失せてしまったので感情を最適化することができたからだ。

 セーフティ・ガードの外に出たミコとナミコ、そして神様達を待っていたのは4人乗りタクシー16台、ここでミコはタクシーを一緒に呼んだ魚の方へ顔を向け、こんな断りを入れたのだ。

「じゃあ、自由時間の別行動ね。わたしは助手のナミコちゃんが泊まっていたアット地区のホテルに向かってナミコちゃんの荷物回収してから享楽亭に向かうわ。つまる話が寄り道必須ってこと。魚さん達は先に行ってわたしたちの分もチェックイン済ませておいてね」

「ほーい。みんなわかった? わたしたちはミコちゃんとナミコちゃんが泊まる部屋も預かるってこと。どういう選択肢があるか分かるよね」

「はい! ミコとナミコの泊まる部屋にトラップ仕掛け放題ができます」

「そーだそーだ」「いよっ! 名案」「なんという恵まれた神生よ」「生きてて善かった」

 魚の呼びかけにいきなり不穏な応答を発する神様達。ナミコは不安でげんなりした気持ちになるが、傍らにいたミコがそっとナミコにだけ聞こえる小声で「大丈夫。気楽に行きましょ」とだけ囁いて、ナミコの手を自分自身の手で取って、数あるタクシーの内のひとつに乗り込む。ミコが「ほら、ナミコちゃん」と促すと、ナミコも「はい」と頷いて「アット地区のホテル・トゥエルブまでお願いします」と行き先を告知。他のタクシー差し置いて、一足先に出発した。

 タクシーの中、向かい合った形ではなく、隣り合ってシートに座ったミコとナミコ。目的地までの道のりの中で、二人が交わした会話はほんのちょっと。

 それもこれもミコがずっと影帽子のがま口チャックから出している黒い手が持っている未来電話で見知らぬ誰かとまたも会話中だったからだ。セーフティ・ガードの入口で再会した時からミコはずっと2本セットで黒い腕を出していて、片方の1本には未来電話を常に持たせ、もう片方の1本でそれを操作し、操作が終わると未来電話を持っている手が未来電話をミコの耳元に持っていき、ミコは誰かと話すのである。この街で助手就任の依頼を受け、承諾して合流してからというもの、ミコは事件解決の間、暇を見つけては未来電話で話してた。しかもナミコの知らない言語で。

 ナミコはその行動に対し干渉しない。色々理由はあるが、一番は「自分=助手の領分」ではないことを感じ、立場を弁えていたからだ。こうしてタクシーを先に自分の荷物を取りに行かせてくれるミコの声なき気遣いへのナミコなりの返礼とも考えていた。でも何より一番の理由はやはりミコが魅せる姿にある。ミコがあれだけ夢中になって喋っているのを邪魔するのは邪推だと、そう思えたから。

 そんなことを考えていたらタクシーが停まった。もう着いたのだ、ナミコが泊まっていたホテル・トゥエルブに。ナミコはミコではなく運転手に用件を告げる。「10分で戻ってきますから、邪魔にならない場所で待っていてください」と。開いたドアのフレームに手を掛け、勢いつけて飛び出したナミコ。その時確かにナミコは聞いた。ミコの「行ってらっしゃい」という詞を。

 ならばはりきり意気込みも高まる。ナミコは部屋の荷物を手早くまとめ、10分どころか5分も掛けずにホテルのチェックアウトも済ませ、荷物片手に外に出た。ロータリーの最前線から少し進んだところに移動していたタクシーを外観やナンバープレートではなく、中に乗っているミコの影帽子で確認するとナミコはそこへ駆け寄った。後部座席まであと2mというところでタクシーのドアが開く。運転手がバックミラーで見ていたのだろう。そのおかげでナミコは極めて円滑にタクシーに再度乗り込むことができた。荷物を座席下へ押し込み、腰を落として背中を座席に預けると、案の定未来電話で話し中だったミコが一旦電話を切り、未来電話を持たせている黒い手2本ごとがま口チャックの中にしまって、ナミコに苦笑するように話しかけてくる。

「随分と急いだようね、ナミコちゃん。そんなに急がなくてもいいのに。わたしを見てごらん。急いだ様子もほとんどないのに今日の根回しは終わったよ」

「ね、根回し……ハッ、ハッ。成る程、未来電話でやっていた事はシク=ニーロを追い詰める為の根回しだったんですね……ふーっ。確かにちょっと、急ぎすぎたようです」

「若いわね。なにがそんなにあなたを急き立てるのかしら?」

 趣はあれど意地悪な台詞。でも役者の腕はミコの方が圧倒的に上。しかたなくナミコは鏡写しの要領でミコの物真似をし言返す。

「わたしが急ぐのは今ここだけ、ミコさんの為だけです。ミコさんに再会できて……しかも助手にしてもらえて、わたしの心は高鳴っているんです! 鼓動が早くなるのは当然ではないでしょうか?」

 熱い想いを偽り無く。それがナミコの返した詞。

 その想いはミコにも届いたようで、ミコは諦め半分そして少し呆れ気味に笑うとナミコに「無茶しないでよ?」と気遣いの詞をくれたのだ。それだけ。それだけでナミコは力が湧いてくる。元気が出てくる。勇気が漲ってくる。

「わかりました。悠々自適、見習わせていただきます!」

 ナミコがそう返すとミコは目を瞑って静かに頷き、そのまま静かに運転手に向かって「享楽亭へ」と行き先を告げる。

 エンジンがかかり、車が動きだす。ミコは目を瞑ったまま。

 それに倣って、ナミコも目と瞑る。ミコの横でひっそりと。

 視界を閉ざした境地の果てに、確かにあった「二人の時間」

 二人はその時間を決して急がず、ゆったりと満喫していた。

 

 ナミコとミコを乗せたタクシーは市街地を抜け、郊外へ入り、やがてセフプリスの外側山と森の隙間にある旅館、享楽亭へと辿り着いた。ミコはチップ込みで標準金貨を2枚運転手に支払う。したり顔で喜んだ運転手が両側のドアを開けたので、ナミコはミコと同時にタクシーから降りる。手ぶらのミコに対して、こっちはトランクを持っていたが。

 タクシーがエンジン音を噴かせて立ち去った後、ナミコはミコの横に並び、享楽亭の入口を眺める。すぐに入ろうとしないところが、いかにも「急いでない」ミコらしいとナミコには思えた。

 そして、入ってからの行動も圧巻の面白さだった。受付でなんとミコは「2部屋予約したフローレセンスですが……」とぬかしたのだ。条件反射のようにナミコが「えっ……2部屋?」と鸚鵡返しに訊き返すとミコはナミコの方を振り向いて、「ええ、そうよ」と微笑むのだった。邪気のないその笑顔を魅せられるとその悪巧みもイタズラの範疇で許してしまいそうになるから凄い。ナミコが訳の分からぬ感情に棒立ちとなり打ち震えている中、ミコは残っていた神様連中には秘密にしていた別の部屋の鍵をいけしゃあしゃあと受け取るのだった。

「じゃ、行くわよナミコちゃん」

「あっ……はい! 部屋、ふたつ取ってたんですね」

「もち、しかも離れの個室。神様共の取った部屋10個とは方角も正反対。顔を会わせるのも鬱陶しいしね。最近連中の顔見てばっかでさ」

「ああ……」

 ミコがこんな行為に走った理由を聞かされ、ナミコはちょっと合点がいった。一人旅をしているはずなのにちょくちょく顔を会わせる連中がいたら避けたくなるのも道理といえよう。あくどさ満点の行為であったが、ナミコとしても今日は疲れたし、ミコとのふたりっきりを欲したので文句はひとつも挟まない。

 そんなことを頭の中で考えていたら、いつの間にかナミコはミコと一緒に離れの道をくぐり抜けて、ミコは離れの引き戸に鍵を差していた。ガラガラガラと引き戸特有の音が鳴ると、目の前には何も無い空間ミコとナミコだけの物になる空間が――。

 ありませんでした。

 部屋の中には先客がいたのだ。とは言っても本人の実物ではない。光子幻像――所謂ホログラムの幻影が部屋の最深部バルコニーに外を向いて立っていた。神様でもない、誰かが。

 その後ろ姿を見たミコの表情が険しく歪む。そしてナミコの前に自分自身の腕を出しとおせんぼして口を開いた。

「シク=ニーロ……あんた、よくも人様の部屋に抜け抜けと」

「え……? シク、ニーロ!」

「あはははは。ビックリしたかい? ミコ=アール。それに……ナミコちゃん」

 ミコの腕越しにシク=ニーロと名乗った幻影が目をナミコの方に向ける。目と口はニッコリと笑いかけているものの、明確に感じる『異質』な感覚。まるで部屋を『異室』にされたような圧迫感。それを防いでくれているのが、目の前にあるミコの腕だった。

 その腕の先の拳は固く握り締められ、怒りに打ち震えていた。神様達に冤罪をかけた奴が、幻影とは言え神様達を出し抜き、そう、ミコの心理を読み切ったことに対する怒りの現れ――ナミコはミコがここまで感情を表に出して怒っているところを初めて見た。そして驚いたのはそれだけじゃない。傍目に捉えたミコの横顔が心底悔しがっていたのだ。

 それはもう、憎々しさ全開と表現するにふさわしい、歯軋りまでした怒り顔だった。

 そしてナミコは、それが怒り顔だと知ってなお、その顔に魅せられていることに気付いた。歪んでいても精悍で、凛とした風情を魅せるその顔に、ナミコだけではなく、シク=ニーロも思うところがあったようで、溜息つきながら悪態を吐いた。

「今日の事件を解決したやり方やらナミコちゃんへのあいさつやら、もっと色々喋っておきたかったんだけどなあ……気が抜けちゃったよ。拍子抜け。ヤな顔をさせただけで収穫だと思い退散しますか。明日の仕込をもう一度チェックしとこうっと」

「わたしの頭なんてお見通しって自慢? 明日起こす事件の予告? 冗談、あんたはわたしに迷惑かけにきただけ。まあ、現状マシな方だけど。だってわたしをこんな顔にさせたのはあんたで大体580万人目くらいだからね。自分だけの才能だとか自惚れてるんじゃないわよボク」

 神様をも出し抜いてみせたシク=ニーロの挑発と自慢には一切乗らず、迷惑だと一刀両断にするミコの口調は刀よろしく見事に冷たい。特に女と分かっている者にいくら自称通りでも「ボク」と男の子扱いする口ぶりは明らかに悪の手法であり、ナミコは見習うべき否か本気で困って考えた。そうこうしている最中に、シク=ニーロの幻影は冗談みたいな見事な欠伸をして、眠たげな目になってからこっちを向き、「遊んでくれてありがとう。そろそろ退散するね」と勧告してきた。ナミコにとっては有難い事この上ないので、さっさと消えてもらいたかったが、「待ちなさいよ」と上位系統がシク=ニーロを止め、ナミコを停める。ミコが顔に似合わず不敵かつ挑戦的な笑みを魅せて、シク=ニーロに餞別の詞を送ったのだ。

「遊んでくれてありがとう? わたしとあなたが? 冗談笑談迷惑千万、お門違いも甚だしいわよこの器用貧乏。わたしは『人と』遊ぶけどね、あんたは『人で』遊んでるだけ。コミュニケーションに飢えた人で。ゲーム機よりもたくさんある人で。タダ同然で手に入る人でね。遊びの技量をどこまで極めたかなんて興味もないけど、あんたの基盤は創られてから今に至るまで変わらずそのまま悪のまま。少しは差って物を理解することね。仮にも“システム”が必要悪として創ったプレミアムキッドならさあ」

 ミコの容赦ない詞攻め。それを聞いた聞かされたシク=ニーロの眉間が少し歪んだのを、ナミコはこの目でハッキリ見た。

(不快に思っている……ミコさんの詞に、苛立ってるわ)

 しかし冷静な分析もそこまで。シク=ニーロの幻影はそこで消えた。後に残るのはあるはずだった空間……そう、閑静で落ち着きのある部屋のはず――。

 だったのだが、部屋を予約した本人であるミコが突如、地団駄ならして悔しがり始めたのだ。ナミコには全く理解できない状況の変化だった。

「くそ、くそ、くそ、くそ、くそお!」

「ミ、ミコさんどうしたんですか? お、落ち着いてください落ち着いて。ああっ! キーを床に投げつけるなんて!」

 床に向かって部屋の鍵を投げつけるミコを見てナミコは、とりあえずミコが怒っていることだけは理解した。その原因は十中八九シク=ニーロだろう。なにをやられたかなんて常人たるナミコの思考では計りきれないが、少なくともあの邂逅で、ミコとシク=ニーロの間で勝負か知恵比べに似たなんらかの応酬があり、一進一退、一勝一敗の痛み分けに終わったはずなのだ。多分。

 でもミコにはその一敗さえ許しがたいものだったのだろう。その不満がこうして奴がいなくなった後、爆発したわけね――ナミコはそう推理し、地震を納得させた。強制とはいえ納得した後は行動あるのみ。ミコの手を取り宥めにかかる。

 そうしようとした矢先、ミコは荒ぶっていた感情を急に収めて冷静なミコにいきなり戻る。その場で180°回転して、ナミコに振り向くとこう言ってきたのだ。

「この部屋もう使いたくない。神様達の部屋に行きましょ」

「ええっ! せっかく取ったのに? シク=ニーロがいたからですか?」

「そう! あいつは害虫以下の害悪だから部屋が穢れたの。ほら行くよ」

 驚くナミコのトランクを奪い取ってミコは神様を出し抜いてまで取った離れの部屋を後にした。主筋が言うのなら従うまで――ナミコは助手の戒めに基づき、ミコの後を追って部屋を後にした。なんにも汚れていない、ただ悪い幻影が見えただけの部屋を。

 ミコはロビーに離れの部屋の鍵を返却し、神様達が部屋を取っているもうひとつの部屋へと向かった。当たり前の話だが、キャンセル料は払わされた。そしてもうひとつ当たり前だが、別の部屋の鍵は受け取れなかった。受付嬢曰く神様連中が全部持っていったとのこと。嫌な予感というよりか、罠の予感しかしなかった。

 それにも構わずミコは取った部屋の番号だけ聞くとどんどんずけずけと我が物顔で部屋へと向かう。自分で取った部屋だから至極当然の成り行きだろうが、待ち構えている神様連中をどうやって攻略するのか――ナミコはそこだけが不安だった。

 そして部屋の前に到着。ミコはなんでもないという風に自然に引き戸を開ける。そしたらやっぱり案の定、神様連中が待ち構えていてミコをビックリさせようとどこで仕入れたのかクラッカーにシンバルそして警告ホイッスルと、大きな音を出す事専門の道具を駆使してミコを驚かせようと――しなかった。

 なぜか――ミコのじとーっと「無意味無関心」を訴える視線に畏れ慄き縮こまったからである。神様が怖がるところなんて初めて見たとナミコは少し興味をそそられたが、それ以上に自分が今物珍しい光景を見ているという自覚というか……得した気分に浸っているのがハッキリとわかった。理由は簡単。神様達が小動物っぽい行動をしているからである。ミコの視線に当てられてぴょ〜んと飛び退き固まってガクガクブルブルと震えている様はまるで漫画の中のようであり、心底可笑しく面白かった。両腕で腹を抱えたのなんて、生まれて初めての経験だった。その勢いそのままだったと思う。ナミコは自分から神様達に向かってその行動の可笑しさを指摘し、堂々と笑ったのだ。

「ふふ……あっはっは! なんですか皆さん。仮にも現にも神様が頭抱えて怯えるなんて。こんなに笑ったことないですよ、わたし」

 笑うのを止めることもせず、そう言い放つナミコに対し、ミコの部屋に集結し60名の神様連中は引いた理由を語り出した。誰かは分からないが、綺麗な声の女神様だった。

「だって……ミコちゃんが『くだらない真似したら成敗』って目で……いずれ食べられる養殖場の鮪を見るような目でわたしたちを見定めたから。ナミコちゃんは隣にいるから分かんないだろうけど、ミコちゃんのこの目はすっごい、すっごい怖いんだよ!」

 と。などと。

 震え怯える神様達の説明を懇々と聞き、ナミコは心底納得した。確かにあのじとーっとした目をしたミコに見定められたら逃げたくもなるだろうと。心から神様達に同情した。

 だがナミコはミコがそうなった訳も知っている。そのことには説明が必要だと感じた矢先、機先を制する形でミコから「こんな目になったことへの説明」が行われた。騒ぎを嫌って出し抜いたこと、そしたらシク=ニーロに読まれていたこと等、徒然赤裸裸に1から100まで全部ミコは話した。

 すると神様達の反応も穏やかなものへと変化していった。「それじゃあしゃあない」「負けた」「二番煎じじゃおもろないな」と、次々にミコの心境に同情する声が上がったのだ。程なくして神様達は「じゃ、今日は大人しく休みますか」と言って、ミコの部屋を後にしたのだった。残ったのはミコとナミコの二人だけ。

「さて……お風呂でも入りにいこうか。ナミコちゃん」

「そうですね。心身ともにリフレッシュしなきゃです」

 

 意識の一致した二人は浴衣とタオルを持って、露天風呂へ行く。

 途中、女神様達も加わった大所帯で女湯を占領して身体を清め。

 晩御飯は更に男神様達も加わって大広間一式、貸し切って食べ。

 そのまま大宴会に突入し、全員揃って酒という酒をがぶ飲みし。

 全く酔わずに尿意と眠気だけ催して解散。各自部屋へと退却し。

 用が済めば敷かれてあった布団にドボン。明りも消して御就寝。

 

 こうして、シク=ニーロとの闘い一日目は深ける夜と一緒に終わった。

 そして目が覚めたら……二日目、である。



 チュン。チュン……。

「……ん。朝――?」

 山沿いの旅館に小さく響く小鳥の鳴き声。そして山麓の隙間から差してくる朝日の光がナミコを夢から覚まして静かに意識を覚醒させる。事実上、「起きた」と言っても過言ではない。布団に包まっている点を除けば……だが。

 そこでナミコは気が付いた。自分が隣でまだ寝ている、ミコの寝姿を見ていることに。

(うーん。なんだろうこの優越感と背徳感。禁断の園を見ているような気がするよ)

 ナミコは詞を発さず、心の中だけで呟くと、ミコの寝姿をつぶさに観察していた。

 それからどれだけ時間が経っただろうか――窓から射し込む光が更に増したのを受けて、遂にミコが起きたのだ。

「んっ……ん〜っ」

 ナミコは咄嗟にミコを観察することをやめ、身体ごと半回転してミコに自分の視線を向けないように取り計らった。それが功を奏したかは分からないが、ミコはナミコに構う様子も魅せず、布団から起き上がって開口一番とんでもないことを口にしたのだ。

「今日も旅路か……やる気でねー」

「って! ええええええええっ!」

 思わずナミコも飛び起きた。布団なんて蹴飛ばして。その様子を今起きたばかりのミコが「なんだなんだ?」と珍しくビックリしたような顔でこっちを向く。そりゃ叫び起きたりしたらビックリするのも納得なのだが、ナミコにとってはミコのトンデモ発言の方が数億倍も重要なのだ。だから飛び起きてすぐ、畳み掛けるようにミコに尋ねた。

「ミコさん! ミコさんは旅人なのにやる気あんまり出ない方なんですか!」

 目を見据えて。真っ直ぐと。両肩を押さえて。正面から。

 するとミコは観念したように「そうじゃないけど……」と前置きして話しだした。

「わたしの旅はね。目的はあっても終わりの見えない旅なのよ。残りの一生費やしてでも旅は続けなくちゃいけないけど、その旅の終わりの節目は実はまだ見えてもいないし、この先見える保証もない。それ考えちゃったら、さすがのわたしも卑屈になっちゃってね。で、出たのがあの台詞。経験則だけどね、口に出すと不思議と不満を感じなくなるの。今日もがんばろうって思えるようになる。だからあれはわたしなりの一日の気合入れだと思ってもらえれば、解釈としては一番かな?」

「なるほろ……」

 ナミコはミコを掴んでいた手を自分の顎に当てて、視線を逸らして思案顔。一日一回の気合入れ――ミコはそう言った。詞としてはどうなのだろうという疑問から質問したが、ミコの旅の事情を聞くと、納得できないこともない。その気持ちの源泉は、終わることのないものに対する絶望とか恐怖とか、とにかく恐ろしいと感じるもの。それに対して反対側から攻めるという奇策で、やる気と勇気を捻出できるのだから。やっぱりミコは凄いのだろう――ナミコはそういう結論に達した。

「あのー、ナミコちゃん? そろそろ肌寒く感じてきたから着替えたいんだけど。もういい?」

 ナミコを内面の思索から引きずり出す魔法の呪文をミコが呟くと、ナミコは清々しい気持ちと共に、「はい、もう結構です」などと、結構な上から目線で応答し、二人の女子は着替えに入った。ここで明らかになる衝撃の事実! ミコは着替えが早かったのだ。

 ナミコが下着からアンダーウェアを着ようとしていた時にはもう着るものは全部着ていた。そう、あの影帽子も被っていたのだ。大人は時間の使い方が上手いと言うが、ミコもどうやらそのクチらしい――ナミコは改めてミコを尊敬するのであった。

 ナミコも着替え終わり、二人で朝のお茶を啜っていると、引き戸をバンバン叩く音が。叩いていたのは女神様達。最早同じ団体様扱いの朝食へ一緒に行こうと呼び出しに来た。ミコもナミコも腰を上げ、女神様達に同行した。お腹が空いていたからだ。大広間までの道中ナミコは、女神様達と色々話す機会を得た。曰く、男神達は既に食いに向かったとのこと。神様でも人間でも変わらない男の習性にナミコはうるっと出た涙を袖でそっと拭うのだ。どこでも苦労するのは女なのか――遥かな先まで望める諦観がナミコの心に行き渡る。

 そんなこんなの内に大広間到着。ミコとナミコが隣り合い、その下手側に女神様達がテンポよく座っていく。反対側の男神連中はもう既に食べ始めていました。曰く、醒めないうちに食べたかったとのこと。

「Justice!」

 ミコは男神様達の言い訳を受け入れしかも正義と称える始末。これには後始末が悪いことでは男女共通の女神様達も黙る他なかった。女一同箸を構えて、「いただきます」の大唱和と共に朝食が始まった。

 和やかに始まる女達の朝食。山の幸海の幸を華やかに盛りつけた食膳をいただきながら、和気藹々と進む朝食。男神達は食べ終わり談笑。ミコナミコと女神様達は待たせつつもこれまた談笑じみた会食。

 

 そして全員箸を置き、手を合わせて「ごちそうさま」。

 一日の始まりを形作る大事な「一本目」が終わった。

 とは言えまだ皆動かない。お茶を啜って悠々自適だ。

 既にニュースは知っている。だから待つ方を選んだ。

 そしたら予想通りの展開。大広間に警察隊が現れた。

 バツの悪そうなクルサード警視を先頭に、大人数で。

 

 そう、ミコとナミコと神様達を出迎えたのは、人口密度を倍以上にしかねない程の数で大挙してやってきた警察の面々。やってきて開口一番、警察側代表のクルサード警視は座っているミコナミコ、そして神様達に向かってこう告げた。

「極=セキュリティホールとその仲間達……任意ではあるが御同行願いたい。只今極殿には女子2名の殺人容疑がかかっているのでな」

「ああ、来たね」「暗殺の神だしな」「極を選ぶとは……神選のいいことで」「神を見る目はあるようだな」

 男神仲間達は極を呼びつけたクルサード警視達警官隊に動揺することもなく、むしろ極のことを持ち上げるような発言を繰り返す。そこにあるのは絶対の余裕。だってこうなることは男神連中だけでなく、女神連中、そしてミコとナミコも朝の新聞を読んで知っていたからだ。

 

 女子2名の遺体無き殺人事件発生。そしてその犯人とされているのが極=セキュリティホールだとのニュースを――。

 

 ミコとナミコ達関係者当事者、そしておそらくクルサード警視は分かっている。これがシク=ニーロの仕掛けた神様冤罪事件の二つ目だということを。だったらやることは決まっている。そうでなければこんなにポンポン綺麗に事が進むものか。

 昨日の整に続き今日は極。神様仲間達でさえ納得の流れなのだ。だからミコに倣って余裕綽々と待っていられる。「迎え」は向こうからやってくるとわかっていたから。なぜならそれが、常識だから。

 思考の整理がついた頃、迎えられた極が一番に立ち上がり、クルサード警視に応答する。

「今日は俺か……シク=ニーロめ。いいだろう警視殿、君等の乗ってきたパトカーに同乗させてもらうこととしよう」

「助かります。暗殺の神様」

 事情の分かっている極の迅速鵜呑みの対応に、クルサード警視は頭を下げて礼をする。そのクルサード警視に極よりも近い位置に居るミコが、振り向きもせずにクルサード警視に詞を掛ける。

「大変ね。昨日の今日で連続とはね」

「ああ、休む暇もない。くそったれ」

「……で? わたしたちが同行できるだけのパトカーは連れてきたんでしょうね」

「当然。こっちは最初からそのつもりで使えるだけのパトカーを全部持ってきた」

 ヒューッ。ミコが感心したように口笛を吹くと、クルサード警視は更に続ける。

「荷物をまとめて出立の準備を頼む。この事件、お前抜きでは解決しないよミコ」

「そう頼まれちゃったら断れないわね。ナミコちゃん、神様達も部屋から荷物を持ってチェックアウトしていらっしゃい。わたしは極同様警察のみなさんと一緒に待っているから。ああ、別に急いでないわよ」

 ミコはそこまで告げると膝に手を置き立ち上がる。それを合図にナミコと極を除く神様達は一斉に立ち上がって部屋へと戻る。押しかけた警官隊も端に避けて列となり、ナミコ達の邪魔にならないように気を配ってくれている。それの親切さがナミコの心を打った。安い女と言われればそれまでだが、「この人達に協力しよう」と心からナミコは思えるようになったのだ。鼓動は高鳴り、身体は軽い。その身軽さと時間の使い方を工夫することによってナミコは僅か2分で荷物取り〜チェックアウトまでを済ませることができた。ミコが「急いでないから」と言ったのにも関わらずだ。しかもチェックアウト一番乗り。他の神様連中よりも早く作業を終わらせた事実はユーモアのある皮肉好きなミコの思考を刺激したらしい。ミコはナミコの後に続いてくる神様達にナミコの事例を挙げ、「人間よりも遅いだなんて神様も落ちぶれたものね。なっさけなーい」と痛烈に皮肉りだしたのだ。まあ、実際遅いと思わせる程ゆっくりやってきた神様もいたので当たらずとも遠からず、どっちもどっちといった感じで落ち着いた。享楽亭の外に出ると、まあよく動員したものと感心する程の数のパトカーが所狭しと並んでおり、大渋滞駐車地獄の再現実験をしていた。どうやって出るのかとナミコは一瞬勘繰ったが、ミコにその手で袖を引かれて最前列のパトカーへと誘導されたのを見て納得した。

(成る程。最前列から順に発進するわけか……)

 ナミコの予想に違わず総責任者のクルサード警視は自分とミコ、ナミコを最前列待機で出るだけ簡単なパトカーに乗せて即発車。後ろからも続々とエンジン音が聞こえてくる。渋滞もやりようか――ナミコは少し人生が有意義になったような気がした。

 

 移動中はこれといった会話もなく、車内は静かなものだった。ミコに至っては目を閉じ狸寝入りしている始末だったが、そんな一時の安寧さえ、事件解決に求められる者には許されないらしい。タクシーと違ってパトカーは渋滞や信号に困ることがないので、昨日のタクシーより遥かに短い時間でパトカー軍団はセーフティ・ガードの門前にまた渋滞するように我よ先よと急ブレーキ到着。ドアを開けてミコより先んじて出て、自分より重要なミコを外に迎える準備をするナミコ。ミコもそれに応じ、ゆっくりだけど、ちょっと楽しそうにパトカーから飛び出てきた。着地は優雅で、目は閉じたまま。程なくしてその目が開かれるのを目撃すると、ナミコはいよいよミコとシク=ニーロの対決が再開されることに身震いした。そこに感動や興奮といった輝かしい者は一切無い。あるのは息詰まる緊張感とどう転がるか分からない硬直状態ヘの怖れだった。

 そしてそれはミコ達の回りに容疑者の極をはじめ神様達が揃った時に突如として鳴った着信音によって現実の脅威となる。ミコの影帽子の中にある未来電話に電話が掛かってきた――これが不吉の前兆であることくらい、その場の全員が理解していた。

「今日の分ね。さてさて……」

 ミコが妖しい笑みを浮かべながら影帽子のがま口チャックを開き、黒い手に持たせた未来電話を取り出した。黒い手を2本使っていた昨日とは異なり、今日は1本未来電話を持っている手の指先操作だけで未来電話の着信を受け取り、「もしもし」。ミコは電話に出た。

「……あ、あ、あああああ」

 電話と電波の向こうから聞こえてきたのはこんな悲鳴。聞いた瞬間ナミコや神様達はこりゃまた爆弾括り着けられている人質だなと看破した。悲鳴の感情傾向が恐怖の方向に思いっきり傾いているのが手に取るように分かった。

 ミコも見抜いているだろうとナミコ含め皆そう思っていたが、ミコはさすがの推察視力。「人質の状態」だけでなく、「人質が誰か」まで言い当ててみせたのだ。

「大目付長官、おはようございます。どうやら目覚めは最悪のようですね」

 大目付、長官――?

 言われてみれば電話越しに聞こえた声は聞き覚えがありなおかつ男だったので、大目付長官というチョイスは当て嵌まるだろう。でもそれが正解の一点を突いているのかという疑問がナミコ達ギャラリーにはあった。が、電話口から聞こえた回答はミコの推理を現実にするものだった。

「は……流石、だな。ミコ、R、フローレセンス。なら私の置かれている状況も分かっているだろう。私だけじゃない、家族も、皆爆弾を括り着けられて一箇所に集められている。聞こえる……だろう? 私の可愛い愛娘である菜々と寧々、愛しい妻の蘭々の泣いている呼吸音が。あいつからの伝言だ。『今日はまだ始まったばかり、タイムリミットは正午までにしてあげるよ』……だそうだ。頼む、今日の冤罪事件を解決してくれ! 解決してくれたら今後一切君の邪魔はしないから……後生だ! たの――」

 プチッ。ツー、ツー。

 大目付長官の命乞いを最期まで聞かずにミコは通話を切ってまた謎の番号にかけ始める。

 まるで大目付長官がどうなろうと構わないと言った感じの対応だった。が、一応は心配してあげてるらしく、こんな愚痴を零したのだ。

「ったくもう! これだからエリートベイビーは始末が悪い。人の話を聞こうともせずに暴走しようとしたオチがこれよ。『長官』の肩書きが聞いて呆れるわ。不愉快不届き極まりないわね。まあ、現状マシだけどさ」

 怒りつつも「現状マシ」という詞を使ったミコ。その真意は全く見えない。ミコほどの人物の胸中頭の中ともなれば、迷路か宇宙のようになっていて、ナミコのような俗物には分からないのが当たり前であろう。何事にも分相応。弁える必要があるだろうとナミコは思った。

 でも――。

「現状マシってどういうことですか、ミコさん?」

 ナミコは訊いてしまっていた。気付いた時にはやらかしていた。なんでやったと問われたら、助手だからと答えるしかない。そう、ナミコは決して横に並ぶ相棒ではない。シャーロックと同じく、ミコの背中を後ろから追いかけるだけの付き人だ。ミコの助手になるとはそういう意味だと分かっている。たとえ隣に並んでいても、前後関係があるものだと。だからこそ知りたかった。自分の前を先陣切って進むミコの「現状マシ」という判断の意味を。

 するとミコはナミコの方を向き、ニッコリと微笑みながら話してくれたのだ。

「わたしの人生での話だけどね。怒るのと悲しむのでかつてわたしは『これでもか』というくらいの怒りと悲しみを感じたことがあるの。それに比べれば昨日会ったばかりのやな奴のミスなんてそれほど怒るものでもないわ。だからあれくらいしか愚痴を吐かなかったし、『現状マシ』って詞も着けたわけ。そういう意味よ、『現状マシ』って。長い人生の中で振り返れば、今日の怒りなんて未来の笑い話ってね」

 ミコの回答にナミコは完全に聞き入っていた。ナミコだけではない。気付けばクルサード警視に神様連中に警官隊と、集まった者達全員がミコの回答を静聴していたのだ。神様連中なんてものは現金なもので、「ミコメモ」などと書かれたメモ帳に書き連ねている神様までいる。それを見てしまうと神様の俗物っぽさに意識が遠のいてしまいそうになるが、なんとか耐えた。ミコもナミコの質問に答えた後は意識を切り替えてクルサード警視に捜査の現状を静かに問うた。

「で、クルサード。セーフティ・ガードに連れてきたってことは関係者とか話を聞けそうな人は皆取調室に入れてあるの?」

「ああ、変な気を起こされると困るから、事件発覚から即ここセーフティ・ガードに直行して待機してもらっている。発見者の両親二組に恋人だったというミナモト兄弟、皆昨日と同じ1101号室に入れてある」

「上出来ね。では早速わたしとナミコちゃんは1101号室に向かうとしましょう。極と神様達には別の個室をあてがって。仮にも犯人と名指しされた奴と同室になったら、万が一ということもあり得るからね」

「違いない」クルサード警視はしみじみと頷いて部下の警官隊に目配せする。声を介さないアイコンタクトでも上司の命令は伝わるようで、警官隊は極を囲み、他の神様達も守りつつクルサード警視の言う別部屋へと進んでいく。それに並んで進むように、ミコとクルサード警視、そしてナミコの3人は昨日と同じ1101号室へと歩を進めるのであった。



 部屋は昨日に比べて閑散としていた。神様連中がいない分当然とも言えるが、それでも景色から受ける印象の違いはナミコに刺激と知識を与える。

 部屋の中にいた人間は4人だった。中年の女が2人にそれより一回りほど若い男が2人いた。注目すべきは男2名の方、どうやら双子のようで、どっちがどっちか分からないくらい良く似ていた。顔だけでなく服装もそっくりなので一層区別がつき辛い。一卵性でもここまで似ると、クローン疑惑が湧いてくる。それくらい似てた。そして同時にうっとうしさも感じるのであった。

 その男2名、気付いてないようだが向こう側にいる女性2名から鋭い視線を浴びせられていた。気付いている様子は全くなさそうだが、女性達の方を見ると、チラチラと男兄弟に攻撃的な視線を送っているのであった。訳ありですかね――ナミコは観察から予測をたてる。

 そんな時が過ぎた後、クルサード警視がナミコとミコ、そして神様連中や事件の詳細に付いて口火を切った。誰もが大人しくその話を聞く。唯一未来電話で会話中のミコだけを除いて。もっともそのミコもクルサード警視の方は向いていた。ふたつの話を同時に進めるくらい訳ないのだろう、きっと。

「こちらが今回神様極=セキュリティホールに暗殺された被害者少女2名、エリサとアイナの母親達ハルヴァリ夫人とストランド夫人。で、こっちの男兄弟がそのエリサとアイナとそれぞれ婚約していた」

「イアン=ミナモト」「オーウェン=ミナモトだよ。よろしくお嬢さん」

 そう自己紹介してミナモト兄弟はナミコとミコに興味津々という目を向けてきた。それを遮るようにクルサード警視の説明が続く。

「事件が発覚したのは今日の午前0時、深夜のパーティから帰ってきたハルヴァリ夫人とストランド夫人それぞれの携帯電話に極の名前で『殺したら美しそうだから娘は預かった。明朝まで綺麗な死体にして堪能させて貰う』とのメールが届いたそうだ。両夫人は婚約者のミナモト兄弟に確認したところ二人とは別れたとのことですぐに捜索願をセーフティ・ガードに願い出ていたから捜索課の連中が探していたんだがな……本日午前5時サイトー川に面した工事現場で昨夜盗まれたばかりの車が見つかってな。中からはエリサとアイナの血痕と極からのメッセージカード。『たっぷり堪能させてもらった。面白かったぞ。 極=セキュリティホール』と書かれていた。こんな具合にな」

 クルサード警視は説明を終えて証拠品袋に入れられたメッセージカードをミコに手渡す。ミコは影帽子のがま口チャックから新たに黒い腕を1本出してそれを受け取り手紙を一瞥、すぐにクルサード警視に返却した。ナミコには見る暇も与えられなかったが、それはつまり「見る意味無し」ということだろう。人質を取って冤罪を解決してみせろというシク=ニーロからの伝言を預かっているから、文章を凝視する意味などないのだ。きっと。

 そのメッセージカードを返し終わった後、ミコが動いた。メッセージカードを返し終わった手でナミコを引寄せると小声で、「クルサードに伝えて。神様達のいる部屋から迷さんと絵さんを呼んで来てって」と囁き、自分は泣いているハルヴァリ夫人ストランド夫人の座っている方へと向かう。ミコの近くにいたいナミコはすぐに預かった言伝をクルサード警視に伝え、彼が部屋に備え付けの回線のボタン(ちなみに昨日は緊急回線だったが、今日は通常回線だった)を押して神様達のいる部屋に連絡を取るのを見届けると、ミコのもとへと急行した。もっとも、ミコは「急いでなかった」ようで二人の夫人の向かい側に座ってはいたが、まだ話は始めていなかった。ナミコは待って貰っていることと、ミコのスタンスに忠実な点に感動し、犬のようにミコの隣に座るのであった。

「さて……ナミコちゃんが来てくれたところで、話を始めましょうかハルヴァリ夫人、ストランド夫人。わたしはミコ=R=フローレセンス。今回の事件捜査のために呼び出されたエリサとアイナの知人です。今回の事は本当に、衝撃的でした……」

「?」ナミコとハルヴァリ夫人ストランド夫人はミコの発言を聞いて全く同時に目を点にして驚くが、ナミコはすぐにミコの意図を理解した。

(エリサとアイナの知人。その線から情報を得るつもりですかミコさん。なるほど!)

「あら……そうだったの? ミコ=R――聞いていないわね、そんな名前は」

「わたくしもですわ。貴女本当にアイナの友人ですの? 見てくれからしてわたくしのアイナとは不釣り合いな気がしますわ」

(友人じゃなくて知人だってゆーのに。しっかしこのマダム口調。母親になったら皆こうなっちゃうのかしらね――)

 ナミコはミコの切り口と両夫人の解釈の違いに早くも差異が出始めたことに気付きつつ、観察する為に自らは置物として静かにしていた。両夫人の指摘に対し、ミコは虚を衝かれたような顔を演技して肯定しつつも反論する。

「ええ。あなたがたの言う通りかもしれません。エリサとアイナは言っていました。『一番の味方は母親だけだ』って。言わばわたしは二番手なんです。それにしても驚きました。結婚を目前に控えてあんなに幸せそうな笑みを振りまいて街を歩いていた二人が、よりにもよって神様の生贄にされてしまうなんて……なんと言っていいか」

「ん――? そんなことありえないわ。あの娘達、婚約はしたけど嫁入り前のマリッジブルーで心療内科に行っていたんですよ。確かに優しい娘ではあるけど、ここ数日そんなことしていない筈です。ねえ、ストランド夫人?」

「ハルヴァリ夫人の言う通りですわ。アイナったら、婚約が決まる前から夜寝るのもわたくしの部屋で一緒にという有様だったんですのよ。貴女何を仰っているの?」

「そうですか。やはり母親と他人では違って見えるものですね」

 と、ここでミコはそれまでの感情に訴える詞遣いを取り止めてひと呼吸おいた。そして話を再会する頃にはミコの喋り方はガラリと変わっていた。

「信頼されてなかったのね……わたしショックですわ。まあいいでしょう。旅行して傷も癒えたのでしょうし」

「なっ! なにを! 旅行なんて、どこにも……」

「あら? 行かれてない? 靴に泥が着いてましたからてっきり旅行だと」

「言いがかりですわ! 歩いていれば靴に泥くらい着きますわ!」

「でも、今週セフポリスで雨は全然降っていないはずですよね?」

 ミコがこの質問を発した時、ナミコはハルヴァリ夫人とストランド夫人の顔色が変わったのを確かに見た。ミコの詞に動揺しているのだと分かる。そして両夫人はここで一瞬だが、目を横に逸らした。嘘を吐く者の条件反射――だけではなかった。普通なら一瞬で終わるところがしばらく続いたのだ。その横目が見ていた先には、クルサード警視に話しかけられていてこちらに全く気付かないミナモト兄弟がいた。

(顔色を伺っている……隠し事ね!)

 ナミコが独自に推察するのと同時に1101号室の扉が開いた。クルサード警視に依頼して呼びつけた神様そっくりコンビ、迷と絵が到着したのだ。

「お話はここまで。釣果は十分。もういいですよ両夫人。お仲間が来たのであっちに行かないと。ナミコちゃん、行くよ〜」

「あっ、はい!」

 用が済んだら目もくれず――ミコはナミコと一緒にイアンとオーウェンのミナモト兄弟の方へ向かう。歩く最中にミコは呼びつけた女神様2名にこっちに合流するよう目配せし、迷と絵もそれに準じた。そうして今度は被害者少女とそれぞれ婚約していたミナモト兄弟の調査に入る。ミコは遊ばせていたフリーの黒い手を振って挨拶しつつ、いきなり追及を始めた。

「わたしはミコ=R=フローレセンス。この事件の捜査に駆り出された新米刑事よ。あなたたち、昨晩はどこに?」

「んーどこだったかなー。ア……エリサとの婚約が決まってからというもの、街の有力者達に祝賀パーティ招待されすぎちゃってね。昨日もパーティだったけど、どこのかは憶えてないんだなーこれが。オーウェン、キミは覚えているかい?」

「ボクに振るなんてヤキが回ったねイアン兄さん。ボクの方が酒豪だってこと、忘れちゃったのかい? 昨日のパーティは始まりから終わりまで全部主催者様にお出迎えご送迎のおんぶにだっこだったじゃないか。ボクらのやることといえば乾杯して結婚希望の女の子たちに……楽しくお酒を飲みながらディスカッションしていただけだろー? まさか、そんな最中にエ……おーっとアイナだ。彼女が殺されるなんて、思いもしなかったことさ」

「全く」

 ミコの質問に軽い態度で飄々と答えるミナモト兄弟に、ナミコは激しい生理的嫌悪感を憶えた。横目を向けるとミコに呼びつけられた迷と絵も同じ思いをしているようだ。

 それは何故か――ミナモト兄弟がミコも含めこの場にいる女4名を舐め回すように品定めでもしているかのような目で見てくるからだ。婚約者が死んだのにもう別の女を探しているのかとナミコは怒り心頭に達する。それは女神様達も共有できる感情だったようだ。髪型以外はそっくりの迷と絵もミナモト兄弟の視線に不愉快、拒絶の反応を見せる。呼びつけられた立場だが、早くこの兄弟から離れたいという思いがよくわかった。

 そんな混沌とした場にあって、ミコは最後に一言、ミナモト兄弟に要求を出した。

「婚約者とのツーショットを見せてもらえないかしら? イアンはエリサとの、オーウェンはアイナとの写真。それくらい携帯電話に写真データが残っているでしょ」

(えっ? 今更そんなことを確かめるの?)

 助手を名乗るナミコにとっても意外だった文句だが、同時に盲点だとも気付いた。そういえばナミコたちは資料一切渡されてないので、殺されたとされるエリサとアイナの顔すら知らないのである。でもクルサード警視に話せば、すぐに資料として出てきそうなもの、持ってはいそうだがなんで当人に頼むかな――そう思った矢先だった。携帯電話を持ち出して写真を探していたイアンとオーウェンは揃って固まってしまい、動いたと思いきや「ないや。彼女の写真は全部カメラで撮っていたから」などと言い訳をして携帯電話の画面を見せることもなく、ミコの依頼を勝手に打ち切ってしまったのだ。こりゃ怒るだろうなとナミコは直感したが、結果は大ハズレ。ミコはまるでそれが想定内だと言わんばかりに納得して、「そうよね」と返事を兄弟に返すと、身を翻してこう告げた。

「じゃあいいわ。もうおしまいね。情報ありがとうございました」

 そう告げて1101号室に一人ポツンと佇んでいたクルサード警視の方へ向かい、「終わったわ。神様達の部屋行くからここの連中と被害者二人の資料を持ってきてくれる」と打診したのだ。

 普通ならここでクルサード警視とはお別れになって終わりだろうが、クルサード警視はやはりやり手、ミコの注文も予想の範囲内だったようですぐさまそっと茶封筒を手渡した。ミコは中身を取り出し一瞥すると、ニヤリと笑みを浮かべて「やるじゃない」とクルサード警視を褒める。そしてこっちへ顔を向けて黒い手で「行くよ」とサイン。ナミコはその指示を受けるまで動いてなかった自分を恥じ、迷と絵を連れてミコと合流、歪な部屋から抜け出したのであった。

 

「あーいい気持ち。1101号室があんなに空気悪くなっていたとは思わなかったわ。朝駆けにあれはキツいわよ、クルサード」

 1101号室を出て、容疑者となっている極を含めた神様連中を待機させている取調特化、1118号室に向かう廊下の上でミコは深い溜息と共に捜査後の感想を誰に聞かせる風でもなく独白のように一人喋る。しかし仮にもこの事件の中心にいるミコの発言。当然聞き流して放っておくなんて真似する者は一人としていない。まずはナミコが一番取ってミコの詞に相槌を入れる。

「同感です。すんごい息苦しさを感じました。あの部屋、両夫人とミナモト兄弟の間に随分な温度差がありましたよね? それにミナモト兄弟の女を舐めるような視線。いけ好かなかったですよ。迷さんと絵さんにも似たような視線送ってましたし……あれなんだったんです、ミコさん?」

「あいつらは度を越した女好きだってことよ。そしてそれが確執を生み、あのバカに利用される顛末になったの。双子の男兄弟、好みも似てたってことね。迷さんと絵さんにそれぞれ向けてた品定めの視線、兄も弟も等量だったのよ」

「マジか腑抜けか、みいこ?」

「うぃたちもるもっとなの?」

 迷と絵が個別反応を示す中、ミコの後ろについたナミコはミコからクルサード警視の持っていた資料を渡される。その中身を見たナミコはミコの主張を知り、同時にすこぶる納得して、それ以上の会話を打ち切った。残りの説明は1118号室に着いてから、待っている神様達の前が適切と判断したからだ。

 しかしミコの観察と推理の凄まじさはナミコの予想を遥かに超えていたことを、この後ナミコは1118号室で思い知らされることになる。



「お待たせー。事件の真相、わかったわよ」

 1118号室の扉を開けて神様連中の注目を浴びるなりミコはそう発言した。真相が分かったという情報に聞かされる方は「えっ?」と固まってしまう。その隙を無駄なく使い、ミコは真相を畳み掛けにかかる。

「結論から言えば極は当然冤罪。そもそもこれは殺人事件ですらないわ。死んだとされるエリサとアイナを不本意な結婚から解放しかつ事の元凶ミナモト兄弟を貶めるための大掛かりな狂言よ」

「狂言?」神様連中とクルサード警視が一斉に反応を返す。ミコは頷き、さらに説明を続ける。

「事の発端はミナモト兄弟のモラル無き女好きに帰結する。イアンはエリサ、オーウェンはアイナと付合い婚約までした。姿も嗜好もそっくりの双子が、偶然とはいえ他人なのにそっくりな女と婚約したわけよ。ほら、この写真。名前のラベルがなきゃどっちがエリサかアイナか分からないでしょ?」

「本当だ……」神様達は息を飲んでミコが提示したエリサとアイナの写真を見る。顔つき、身長、髪型、そしてほくろの位置に至るまでそっくりで、ある意味イアンとオーウェン以上に似ていた。双子よりも他人の空似の方が同一性の精度が高いのかもしれない。

 ――と、ここまではナミコも見せて貰った資料で事前に知っていたこと。本題はここからねとミコの方を向くと、ミコは話を続ける。

「好みの女と婚約したミナモト兄弟は、いつかは知らないけどお互いの婚約者を紹介する機会があった。その時お互いの婚約者がそっくりであったことを知った兄弟は『兄弟の婚約者とも寝てみたい』と非常に不健全な発想に至り、そして実行した。婚約者であるエリサとアイナには内緒でちょっとしたメイクで入れ替わり、気付かれることもないままベッドイン。だけどエリサとアイナは気付いた。おそらく情報源は他の女」

「他の女? なんだ、ミナモト兄弟は寝る相手を取っ替えるだけじゃなく、浮気も平然とする方だったということか?」

「ええ。試しに神様陣営で髪型以外そっくりな迷さんと絵さんを部屋に入れたらあのバカ兄弟、食い入るように見つめていたわ。それに――」

「それに?」

「携帯電話の写真データを見せてと頼んだら、『写真はカメラでしか撮らなかった』なんて変な言い訳して見せてくれなかった。万が一にもわたしたちの手に携帯電話を貸したがらない理由があったから。多分エリサ、アイナの他にも遊んでいた女の写真が一緒に入っていて見せられたもんじゃなかったからでしょう。それにあの二人、婚約者が死んだと聞いてあそこにいたはずなのに、嘆くことすらなかったもの。愛など無くて好みの女を寝取ることしかしない兄弟――ミナモト兄弟の本質に気付いたエリサとアイナは母親のハルヴァリ夫人、ストランド夫人に相談した。そしてシク=ニーロがここで関わり、今回の冤罪事件を教唆したわけよ」

「両夫人が? 事件に関与していると?」

「勿論しているわよ。婚約を破棄すれば家の格に傷がつく。だけどマリッジブルーと称して兄弟から娘を引き剥がした。二人がパーティの席を立った後も能天気な兄弟は祝賀パーティで遊んで三昧。そんなとき極の名前で誘拐し、挙句殺したとなれば、諦めもついて婚約は自動的に破棄されるって謀略よ。だから殺す必要なんて無い。車にあったのは血と犯行声明だけ。そりゃ殺されて死体は遺棄され隠されたと考えるのはいい線だけど、メッセージカードを残す奴が死体を隠したりなんかする? 死体が見つかってない以上、行方不明の逃亡を考慮に入れてもいいとはと思わない?」

「確かに……そうですね」ナミコが頷き相槌を打つと、クルサード警視が「君が言うのなら間違いないだろうな。元々捜索願がでていた事件だ、不自然な点など何処にも無い。で、エリサとアイナは今どこに?」

「ミカシワノミヤ」

「ミカシワノミヤ? 横断大陸にある心に傷を負った女子を保護する町のことですか?」

 あまりに突発的なワードにナミコが鸚鵡返しに訊き返すと、ミコは「そうよ」と頷いた。

「別大陸と言いつつも、その実飛行機なら中継込みで14時間。経由地点までは同行し、そこからは娘達だけを片道でミカシワノミヤまで送って自分達は往復で帰ってくればいい。ハブ空港を往復する航空便は深夜便も出ているし、往復に要する時間も6時間と十分有り余っている。帰ってきた母親連合=両夫人はシク=ニーロの指示に従い、シク=ニーロが『不可能解決の設計図』で用意した本物と違わない盗難車に同じく偽造したエリサとアイナの血液を致死量以上打ちまけ、締めに極を騙って作ったメッセージカードを置いた上でそしらぬ顔してあの1101号室にいる」

「何の目的があって我々警察に出頭するなんてリスクを冒す。理由は?」

「ひとつは娘たちを死んだことにして掛けてあった保険金を受け取るため。そしてもうひとつ一番の理由は同室にいたミナモト兄弟の女癖の悪さを街中に明示し復讐するためね。さっき携帯電話の話をした通りミナモト兄弟の女好きはほぼ明白だったし、両夫人が兄弟に向けていたのは殺気にも似た憎悪の感情。おそらくシク=ニーロから彼等を貶めるための証言証拠を覚書かなんかで受け取っているはず。それを公開することで弄ばれた娘たちの無念を晴らそうと考えているのよ」

 そこまで喋ってミコは黙った。ナミコにクルサード警視に警官隊一人一人。そして極を含む神様連中の各自がミコの推理と明かされた真実に声も出せずにただただ唸る。金縛りでもないのに固まってしまう情報の衝撃。1118号室にいる者全てが、ミコの明かした推察事実に驚いたのだ。

 しかし、今ミコが話した内容はあくまで推理であって、確定された現実ではない。ミコほどの人物ともなれば背中を一瞥しただけで人となりを大まかに把握できるほどの推察視力を持つため推理自体の信憑性は高いが、やはり確定のステージに押し上げる「証拠」がないと信じきれない。まあ語っているミコ=R=フローレセンスは「信じる」なんて行為、詞を滅法嫌っているお方ですが。

 それでもミコが右足を後ろに下げたのを見た皆は慌ててミコに詞をかけよう問いかけようと噤んだ口を開こうとする。そして見事開いたのは、昨日からミコに絡んでいたあの女神様――希だった。

「ちょっと待ってよミコ。自信満々に事件の真相を語りちゃくってくれたけどさ、その真相は動機面からの演繹法で組み立てられているじゃない。今あんたが喋った推理は『最低限の証拠である動機から導きだされる最適解』、それも『シク=ニーロにとって都合のいい状態』を語らっただけでしょ。演繹法がダメとは言わないよ。黒幕であるシク=ニーロが関与する余地も十分すぎるくらいだし。その論理で両夫人を追及すればボロはおそらく出るだろうし。でも其れが問題でもある。あまりにミコのプロファイリングが完成されているから聞いていると却って『そうか?』って思っちゃう。それもこれも実体のない推論だけで組み立てられているからなのよ。せめて部屋を出る前に物的証拠の一つでも挙げてくれる訳にはいかないの?」

 希が捲し立てた長台詞。それは的確にミコの推理の本質を捉えていた。そう、希の言う通り、ミコの語った推理には物的証拠が全くない。ミナモト兄弟の携帯電話の件も含めて全て観察から推察した憶測にすぎない。物的証拠を欲しがる希の詞は、この部屋にいた者全てが等しく抱いていた思いでもあった。ミコの推理は見事だったが、確かな証拠による説得力が欠けていた。結論ありきっていうのかな?――ナミコは希の要求に同調しつつも自分の頭を整理するため記憶の中で論理学の復習を行っていた。

 ちょうどそのときだった。ミコがその身につけた自分自身の左手で、ナミコの頭をポンと撫でたのだ。突然のことにナミコは引き出した情報も白く修正されて頭の中が真っ白になる。だがそれに一切構うことなく、ミコは「嬉し悲しのやきもきね〜」とぼやくのであった。その詞の意味するところを考えさせる暇もなく、ミコは続けた。

「ちゃんと話聞いてなかったの? ナミコちゃん、ミコちゃんは悲しいよ。未だ目には雨模様。両夫人がハブ空港に行ったことは、根拠ない話じゃないってのにさ。みんな、わたしが誰か忘れてるんだ。本懐とはいえ、ちょっと空しいよ。よよよ〜」

 そう言ってミコは身体をナミコに預けて寄り添い、顔をナミコの胸に預けてすりすりと擦り付けるのであった。突然のスキンシップにますます頭が白くなるナミコだったが、ミコが発した詞の欠片が、雲のように真っ白な頭に雨として降り掛かって情報を呼び起こす。

「ああああああっ!」

 気付いた時にはナミコ助手、ミコを支えた姿勢のまま1118号室にいる全員の鼓膜を震わせた。神様達でさえ耳を塞ぐほどの音量で。

「突然何よ! 一般人の分際で!」

 女神様連中が文句の大合唱をぶつけてくるが、“気付いた”ナミコには暖簾に腕押し。

 それどころかナミコはミコがそうしていたように、聞き手の無知を嘆くような素振りを見せた。なぜか?――ナミコがミコの推理を確定させることこそ、助手としての自分の役割だと察し、そしてその為の物的証拠を自分は見ていたことにも気付く。

 ナミコはふ〜っと深呼吸し、ミコの身体を支えてない方の手を突き出して語った。

「皆さん……警察の方も神様方も、証拠が無いなんて追及は御法度です。わたし、助手としてミコさんの調査を見てました。両夫人がミカシワノミヤへ娘達を亡命させたのは事実でしょう。なんせミコさん、足元の泥を見て、中継地ヘ行ったことを喝破したんですから。あの靴あの泥を見ただけで、ミコさんは両夫人が中継地にいたことを証明できるんです」

「だから、どうやってだよ? 科学捜査でも難しい……って、泥?」

 ここでようやく皆反応。助手としていち早く気付いたナミコはミコのお株を奪うように、得意満面の顔で告げた。

「そうです。雨に濡れた泥――雨を含んだ泥です。それをミコさん――今も現役気象一族のレインさんの雨識感覚で捉えれば、一目瞭然ではないですか?」

「あああああ! そうだよ! そうだったそうだった! ミコはレインなんだった!」

 男神連中が唱和して絶叫する。今の今まで忘れていたという事実に悶え頭を抱える。

 そう、物的証拠などより余程便利で正確で説得力のあるミコの雨識感覚。ミコは嫌う言い方だろうが、雨識感覚とそれに準じるレインとしての特殊能力は無条件に「信じる」ことができるほど絶対的だ。

 その事実を呆然と忘れ去り、今ナミコの一言でようやく思い出したクルサード警視に警官達に神様達、自然と笑いがくっくと出始める。皆の顔が笑顔になる。

 この状況の変化を受けて、ようやくミコはナミコから離れて「わかった?」と一言。

 ナミコ以外の全員が、その一言に同意しそして抜け作だった自分達の不覚を詫びた。

 そこでクルサード警視がパン、パン、と手を叩き、「方針が決まったな。我々はハルヴァリ夫人とストランド夫人の取調べをして最低でも共同謀議で逮捕する。その際判明した真実はミナモト兄弟への『情操教育』に使わせてもらおう。少しは懲りてもらわねばな。そして最後にミカシワノミヤに向かったエリサとアイナは……その意思を尊重して介入しない。心に傷を負ったことは確かなのだから、ミカシワノミヤの特権で守ってやらねばなるまい。それに娘達の希望を壊さなければ両夫人も諦め供述が有利になるかもしれないからな。これでいいだろ、ミコ」

「いいんじゃない」

「ならその雨を知る感覚で知ったことを教えてくれ。両夫人の靴の泥を照合したい。中継に使ったハブ空港はどこの空港だ?」

「ネータイ諸島にあるコンテント空港よ。あそこ特有の雨の匂いがしたわ」

「OK。すぐにネータイ諸島のセーフティ・ガード支部科学捜査班に連絡を取る。随分がんばってくれたなミコ。ここからは我々セーフティ・ガードが請け負った」

「頼むわよ。時間余ったからわたしは解決者権限承認状に必要事項、書いとくわ。ナミコちゃん、行くわよ」

「はっ、はい!」

 ミコとナミコは同時に身を翻して1118号室を後にする。黒い手で扉を開けて、ナミコと共に残る面々に背中を向け歩き出したミコは突如として、大声で叫んだ。

「ノってきたよっ!」と。

 シク=ニーロへの対抗意識の現れとも言えるその詞に残された者達が振り向くと、ミコとナミコの姿は閉まる扉の向こうに消えた――。

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