第9話 夭折した母の残した詞――思い出したいつかの誓い

 はじまり

 

 その世界には、神様がいた。

 

 神様は人間に問題を与えた。

 

「私達の大切なものを盗めたら、新たな神様にしてあげましょう」と。

 

 人として知らぬ者のいないその問題に、多くの人間が挑んでいった。

 

 だが、今まで誰一人、神様の場所に辿り着くことすらできなかった。

 

 やがて人々が諦め、問題を知っていても無視するようになった時代。

 

 一人の女の子が問題を解いてしまった。

 

 しかも、神が一人死んでしまった。

 

 人々も、神様も揺れた。割れた。驚いた。

 

 なぜか――その女の子が事実を一切明かさずに姿をくらませたから。

 

 出会った人々は納得し、神様は宣戦布告し去って行く。

 

 多くを盗んだ女の子から、神様らしく取り返すために。

 

 これは、それを知りつつ旅をする一人の女の子の物語。



 ミコ=R=フローレセンスと出会い、母の死後飢えていたところを助けてもらったキティ=ノイマン。出会った日に空腹の危機を助けられた。それだけにとどまらずミコはあれこれ世話を焼き、あまつでさえ父クェンティンが手に入れられなかった花リバムークの種まで提供してくれた(まあプロトタイプ……だが)。そしてしばらく厄介になる、姉妹ごっこをやってあげると言ってくれたミコが提示したノイマン家再生計画。幼いキティと兄アイズの目から見ても実に至れり尽くせりだと思ったその内容の最後で最初、町の人々への名誉回復を掛けた勝負を挑むという項目は余りにも無謀だし余りだけに余計だと思った。確かにクェエンティンの育児放棄にアイズのドジで町一番の資産家だったノイマン家の評判は地に落ち池に落ち奈落に墜ちたが、そもそも大事なのは小さなひとつのノイマン家という家族であり、町での評判など二の次。わざわざ町の人々までゴタゴタに巻き込む必要はないんじゃないかとノイマン兄妹は思っていたのだが、姉に興じたミコは仮の妹、弟の詞にも全く少しも耳を貸さず、勝手にささっと勝負を決めてしまったのである。決まった内容は相手115,115人に三人で挑む三本勝負。もはや玉砕死にに行くのかと思っていたのだが……。

 結果は、三本総取りこちらの圧勝完勝大勝利。

 町に勝負を吹っかけたミコの無茶苦茶な挑戦は見事実を結び、目論見通り町の人々のノイマン家への評価はV字回復したのである。115,115人総土下座など、キティははじめて見たものだ。街中を埋め尽くす土下座の光景は壮観や快感というより、震撼する類のものだったが。

 3本勝負、『千畳大広間枕投げ合戦』、『町内大かくれんぼ大会』、『持久走料理対決』で町民たちをことごとく消耗疲弊させた後、最後の料理対決で作った料理を「ノイマン家秘伝の味」と平気で嘯いて恵むという戦略を採ったミコ。それも含めて、全ての対決の過程で魅せた影帽子の機能も臨機応変変幻自在な戦術も全部圧巻だった。それらが総合的に絡まり合い、あの光景に繋がったわけである。それが前日の話。

 そして翌日今日の午前、勝負前からミコが使った影の秘術、焼却影炎で燃やし始めていた母ベアトリクスをも死なせた病源花たちは、ミコが放った黒い炎によってようやく元素レベルで分解され、無害な無機物へと還元されたのだった。実は前日勝負を終えてノイマン家屋敷に帰ってきてから今日になるまでの夜、雨が降っていたのだが、ミコの黒い炎は雨に濡れても消えることなく、影のもとを象る病んだ花々を跡形もなく消し去るまでただただ燃え続けていたのだ。ミコ曰く、黒いから寝るときも気にならないとのことだが、キティはそんなこと思ってもいなかった。やはりミコと自分たちとでは“基盤”と“構造”が違う模様だと、ミコと一緒に寝る間際、思い知らされたものだ。

 そして再び今日の話。屋敷の木々に夜中の雨の雫が滴る中、雲が空を灰色に隠す丘、ノイマン家が誇った花畑は完全に焦土と化した。そう、焼畑後の畑みたいに。

 そこには草ひとつ残っていない。あるのは火傷を負った裸の土だけ。母を死なせた病気持ちの花は花、葉、茎、そして根に至るまでミコの黒い炎に焼却分解され、毒も持てないミクロな元素とされ、炎の発する熱と少々気流に乗って、もうここからいなくなってしまったのだ。その事実をミコから聞かされたとき、キティは複雑な思いを持った。母お殺した直接要因である病原菌が消えて清々したと思うのと同時に、理由はわからないが一抹の寂しさも覚えたのだ。きっと世間知らずの子供特有のモノだろう――キティはそれ以上考えることをやめた。

 だって姉であるミコが、「早速作業をやるわよー」と号令をかけたから。

 そしてキティとアイズを置いて、ひとり悠々当然のように焼けた大地へと足を踏み入れてしまっていたから。

「あっ、姉様。待ってー」「姉上、ボクを置いてかないでくださいよ!」

 キティとアイズも我先にと焼けた野原に足を踏み出す。ほぼ一日中燃えていたので乾燥カチカチの踏み心地かと思いきや、夜中降っていた雨の影響で土は程よくしっとりしており、踏み出すごとに土は凹み、足跡を残す。そう、例えるなら純白の雪原や霜を踏んでいる感触にこれは近かった。おおっ……というちょっとした驚きとともに、思わず足元の焼土を覗き込むキティ。赤黒く色を変えた土はまるで冷えた溶岩みたいで、それを踏み砕く感触が溶岩など図鑑でしか知らないキティには初体験でおもしろかった。気付けばその場で立ち止まり、何度もその場の土を踏みしめる。地ならしでもあるまいて。

 そんなキティの脱線行動、結構長くつづいていた。なぜか――?

 もう遠い場所ベストポジションに辿り着いていたミコが、見ているだけ見守っているだけで全く声を描けなかったからだ!

 キティがそれに気付いたのは、相当かなり後のこと。土踏みに熱中しつつもマンネリを覚えてきた頃、ふと自分の熱中ぶりとは明らかに温度差のある、生暖かい視線を感じたので頭を持ち上げ見上げてみると――ミコの視線が注がれていた。というわけである。

 そのとき少女が感じたのは、横道にそれた心配に対する後悔ではなく、原因不明の恥ずかしさだった。それに伴い発した熱は、さっきまでの土踏みに対する熱など比べ物にならない高温。なんせ顔が一瞬で赤くゆで上がってしまったのだから。

 赤面した顔で視認したのはなにもミコ姉様だけじゃない。自分同様焼土踏みに興じ、そのうえまだミコの視線にも気付いてない素朴すぎて純粋すぎる単純で幼稚な兄の姿。この場三人の全体像を把握したキティは、ますます真っ赤になっていく。もう、火が出るくらい恥ずかしい。だから行動は速かった。

 純朴すぎる兄の頬にストレートパンチをお見舞いすると、その首根っこを引きずって、ミコのもとへと全力疾走。なにもわかってないバカ兄を連れて、保護者になっている姉のもとへと。

 辿り着いたときにはもうへとへとで、肩で息をする有様だったが、そんなキティをミコは優しく抱きしめる。

「あらあら、そんなに急いで……疲れたでしょう、癒してあげる」

(いや、急がせたのは姉様で……はぁ〜もうどうでもいいかぁ〜)

 キティは上述の詞を声に出して台詞とし反論反撃したかったところだったが、昨日同様ミコの胸に顔をうずめられてしまい、そのふくよかであたたかく、なにより気持ちいい&心地いい感覚に完全にふやけてしまい、文句など言えない状態になっていた。籠絡されたと言われればそれまでであるが、しかたない。だって本当にホッとするのだから。もういっそ死んでもいいくらい。

「あっ、キティズルい! ボクも姉上に抱かれたいよ。大体姉上もヒドいよ。お風呂も寝るときもボクを除け者にして! 差別反対! 男女平等を主張する!」

 やっぱ昇天するわけにはいかないか――キティは極楽気分に浸りつつもぐいと後ろ髪を引かれた気分にもなった。このバカ兄を残しては死ねないわ。賢妹キティは生きることを選んだ。

 かといってこのバカ兄を説得しようだなんて、これっぽっちも思わない。それはミコに丸投げするのが、賢い妹クオリティ。

 そんなキティの思考が多分電波で伝わったのだろう。間を置かずにミコはアイズに男女区別の大義を説く。

「あのね、アイズ。君は立派な男の子。いくら姉弟ごっこに興じている仲とは言え、キティとあなたを同列に扱うわけにはいかないのよ。それはね、君がとても初心で染めがいのある無垢な男の子だからイケナイの。一度でも一緒にお風呂に入ったり一緒に寝たりしちゃったら……きっとわたし、自分を抑えきれなくなる。起きてても寝ててもあなたに首ったけ。そうなったらマズいから、距離を置いてるわけなのよ。わかる? 君はそれほど女殺しの素質を持ってる。まだ荒削りだけど価値は消えない。立派な宝石なのよ」

「姉上……」

 ミコの見事なほめ殺し説得に、アイズも納得したような素振りを見せる。我が兄ながらホント単純だとキティは呆れを通り越して感心してしまう。まあ、自慢の兄でもあるのでミコが兄の『男(漢)』を褒めたことはちょっぴり嬉しかったりもしたが、それよりもなによりも、9歳の少年相手にそこを攻めるというのがスゴい。大人の女性ならではの御業だろう。下手すれば自分が少年相手に劣情を催す変態と認識されかねないリスクさえあったはずだ。それを知りつつあえてやり、しかも賭けに勝つ手腕。アイズの単純さを見抜き、深読みさせずに自分たちは清純な乙女と健全な男子とのイメージを植え付け、だからこそ清い関係が必要だと摺り込ませたミコの手練手管は有能を通り越して超能力と言って差し支えない気がキティにはした。マジでしびれた。震えました。

 勿論ミコの説得内容がほとんど嘘偽りだということもキティにはわかっていた。それは兄アイズとは違い、一緒にお風呂に入り、一緒のベッドで寝た、裸の付合いもなにもかも体験した経験者だからわかること。ミコは少年相手に裸を魅せるくらいどうってことないと思っている方の人種なのだ。ではなぜアイズを隔離したのか?――多分めんどくさかったからだろうというのがホントのところ。姉妹ごっこに興じているとは言え、それまで一人旅に興じていた女性がいきなり二人の迷える子羊を1から100まで全部世話できるはずもない。ましてや自分たちは介護を受けるような障害持ちでも病気持ちでもないのだから。ただの窮地持ち。それは十二分に助けてもらった。あとは最低限の世話だけするよ――そういうことなのだろう、ミコの真意。アイズは兄だ。ゆえに妹である自分をいざというときには世話したり導いたりする立場になる。あえて突き放しているのはそのための修行。自立を促すためのミコなりの教育である。キティとアイズは同じ境遇同じ血を分けた兄妹、でも決して同じではない――つまりはそういう結論。

 それに、アイズに責め立てられる状況も解消された。ミコは抱きしめていたキティを引き剥がしたのだ。名残惜しい気を抱えつつもキティは大人しく従った。もう十分とも思っていたし、これ以上本題を外れるのはどうかという思考が心を律したのだ。ナイス自分。

 キティがミコから離れて、三人家族が焼土の中立っている。そこからミコは影帽子のがま口チャックを開き、中からたくさんの黒い腕、そして昨日トランスフェイクの町で入手していた芝とシロツメグサの種が入った袋など、荷物一式を取り出した。

 そのなかにはもちろん、メインであるリバムーク・プロトタイプの種の袋もあった。

「わたしは急いでないけれど……頃合い逃すは勿体無いってね。さあ、いよいよ始めるわよ。わたしの黒い腕と黒い足達に遠くの方の芝植えはやらせるから、キティとアイズはここでシロツメグサとリバムーク・プロトタイプの種を蒔いてね」

「は〜い」キティとアイズは半分ずつシロツメグサとリバムーク・プロトタイプの種を受け取り(もっとも、リバムークの種は19個なのでキティ10個アイズ9個だった)、ミコから軍手を受け取って、準備を整えた後、ミコの足元にひとつひとつ、種を植え始めた。一方のミコは影の秘術で作った黒い腕・手で大量の芝を遠く近くとこれまた大量に展開している黒い足で踏みつけ地ならししていた。結構広い花畑なのだが、瞬く間に芝が設置され、面積の大半を埋め尽くしていく。これこそがミコの決断だった。メインとなる花、リバムーク・プロトタイプの種は19粒しかない。それを引き立たせるために、花畑全体の99.96%もの面積は花ではなく草、芝を植えるというこの決断。昨日の勝負が終わった後、買い出しに付き合わされた最中聞かされたキティとアイズは驚いたものだ。だって一面花で溢れかえっていた、その美からくるりと曲がって方向転換し、花は一種。多くとも二種と決めてささやかな引き立て役にとシロツメグサを買った。他全部芝。それが昨日の話。

 よくもまあこれだけの面積を埋め尽くす芝を買えたもんだと思ったり、ミコのやはり余所者他人姉様由来のノイマン家のしきたりに縛られない自由な発想に困惑したりもしたのだけれど……一方で悪くない選択、それもありかとキティとアイズは目を見合わせて頷き合った。これも昨日の話。

 なんせメインたるリバムーク・プロトタイプは19粒しかないのである。ひとつの種から3〜4個の花が咲くだろうかというレベル。うちの花畑の面積からすれば……どうにも寂しい量である。

「もし周りも綺麗な花にしちゃったらきっとリバムークの美しさが霞んじゃうってお姉ちゃんは思うのよ。それだけ他の花にだって美しさがある華がある。なので、圧倒的少数派であるリバムークを一目瞭然と分からせるために、周りは芝にするわよ。添えるのは善くてシロツメグサまでね。はい、決定」

 ミコのそんな詞がキティの頭に甦る。目を閉じて再生したミコの声はまるで歌のように心地良い。

(さて……わたしもやらないと!)

 思いだし作業で身体を休めていたキティは昨日とは違うガーデニングドレスのスカートをミコから貰った軍手を嵌めた手でパパンと払うと、ミコの作業に夢中になっているバカ兄に一発軽く蹴りを入れて、ついでに詞もかけてやった。

「兄様、リバムークの種蒔き、やりますわよ。姉様の傍で。姉様の見守ってくれている中で」

 バカ兄のリアクションを見ることもせず、キティはその場の焼土にぺたんとしゃがみ腰を落とすと、ミコから拝領したリバムーク・プロトタイプの種10粒を取り出して1個1個指で土を指し、窪みを作っては埋め始めた。子供の指が作る深さの穴に、瑠璃色の種を零していくのだ。綺麗に咲いてねという願いを込めて――。

 キティの行動を見てようやくアイズもバカ兄から愛しい兄様へとスイッチを変えて、女の子顔負けの慈愛に満ちた眼差しで種を埋め始めた。田園男子の本領発揮である。

 しかし、なんせ与えられた種の数は、キティとアイズを合わせても19粒。ミコが芝を設置しなかったミコの周囲にちょびちょび種蒔きしていても、あっという間に終わってしまった。ミコの足元を中心にミコの目が見守る中でリバムーク・プロトタイプもシロツメグサも、全部蒔き終わってしまった。ミコはその様子をちゃんと観察しており、種を蒔いた場所以外の残る隙間にも芝をトントン設置する。まるで城を守る堀や垣のように。

 それは芝でもって花を守る、ひとつの陣形だった。その感想を思ったままにキティが口にすると、ミコは顔の輪郭さえあやふやにするように柔らかく微笑んで、キティの頭を撫でてくれた。

「そうね、キティの言う通り。これは陣形。花を守る草の守護神。これだけ周りを芝で覆いつくせばきっとリバムークもシロツメグサも綺麗な花を咲かせるでしょう。さ、これで作業はお終いね。帰りましょう、わたしたちの家に。今日はクッキー作り教えてあげるわ」

 あっさりあっぱれあっけらかんとしたミコのガーデニング終了コール。本当にこれで終わりにしていいのか――キティはあまりにも早く、かつ簡単に終わってしまったガーデニング作業に一言もの申すことはないかと内省してみるが、そんなものは露程も見えず聞こえず見当たらず。きっと母ベアトに付き合わされた頃のガーデニングとは違うタイプのものなのだろう――キティはそう自分を納得させて、既に兄妹放ったらかしで家に足取り向けていたミコの背中を兄共々追っかけて、その腕に抱きついた。珍しく不満げな表情を見せるミコに、「姉妹ごっこだからいいんです」とキティは断言して、ミコの体勢を崩すことも厭わず繋いだ手をブンブン振り回し帰り道の主導権を握る。少しでも長くミコと姉妹でいたいから。ミコとの思い出がほしいから……。キティを動かしている動機とはそんなものだった。だってこれは姉妹ごっこ。期間限定の上カウントダウンはもう始まっているのだ。本当の家族並みに愛せるミコとの思い出を。もっともっとと願うのは、無垢な少女の素直な願いだった。

 やがてミコも観念したのか、それともキティの想いが伝わったのか、キティのリードに従ってくれた。ちなみに、反対側で同じ行動に走ろうとしたアイズのことは番犬のごとく牽制して寄せ付けない。徹底した姉妹の絆がそこにあった。

 笑う妹泣く兄貴。姉を得た者取り損ねた者。ミコという大きな存在は実の兄妹でさえ的にしてしまう魅力を持っているのである。

 そんな悲喜交々を織り交ぜ繰り広げながら、三人はノイマン家屋敷へと帰っていった。



「材料の配分には気をつけて。生地ができたらよーく捏ねて伸ばすのよ」

 ミコのノイマン家家訓を無視した料理指導……もといお菓子作り指導。年端もいかない少年少女に、実にテキパキ指示を出す。でもキティの心に不満などない。むしろ今まで全く未経験だった料理に対する真摯な興味からミコの言付けはよく守りつつ、安全に気をつけながらもその指示のもとできあがる料理やお菓子に兄妹揃って目を輝かせる。昨日の夕食に初めて自分たちで作ったカレーのおいしさは忘れられない。そういう経験があるからこそ、キティもアイズもミコの料理教室に積極的に参加するのだ。

 と、料理に夢中になっていたキティだが、突如不穏な気配を感じた。例えるならそう、嵐の予感、みたいなものだろうか。しかしそれはドンピシャの表現だった。窓に目を向けてみると晴れ間はすっかり雲に隠され、暗雲立ちこめ雨がぱらぱら……どころではない。すぐに雨は本降り大降り豪雨となったのだ。当然キティは心配を隠せない。

「ね、姉様!」

「ん〜にゃーにぃー?」

「いや窓の外見てください。雨です雨。しかも物凄い大雨です!」

「あら……ほんとね」

 キティの早口詞顔負けの滑舌も、ミコにかかれば暖簾に腕押し。大至急事態を把握してほしいキティの意図に反して、ミコはへーぜんしたり顔。促されてゆっくりと顔を窓に向け、雨が降ってる様子を見ても、まったくもって驚いた様子がなかった。窓に余所見も浮気もせずに、クッキーを焼いている窯の方だけを見ていたミコ。気付いていない疑惑さえおこさせる態度。

 なのでキティはもう一度声をかけた。

「姉様」

「うん? どうしたのよキティ。そんな怖い顔して。ダメよ、キティは笑顔が一番可愛いんだから」

「そうじゃありません! 外! 雲行きが怪しいって言ってるんです!」

「わかってるわよ〜それくらい。だってわたしが呼んだんだもの」

 ――はい?

「ど、どういうことですか? 姉様……」キティは可愛いとミコに言われた笑顔からは程遠い、訝しげな顔をして尋ねる。

 するとミコもミコの方で「えっ……?」となにやら思案顔。ぶつくさ一人言を呟いていたと思ったら突如、「しまったぁっ!」と絶叫したのだ。突然の大声に、キティだけでなく、キティの後ろにいたアイズも、兄妹揃ってビクッてなった。

 そしてさらに奇異なことに、ミコはその場でキティとアイズになんと土下座したのだ!

「ゴメンなさい! 言ってなかった昨日から。今になって気付いて恥じる。わたしね、昔気象一族のレインだったのよ。気象一族は抜けたけど、現在も雨とは契約中なの」

「ドォォォォォォーン!」

 キティとアイズは吹っ飛んだ。兄妹仲良く吹っ飛んだ。天井向かって吹っ飛んだ。そしてぶつかりしりもちついた。尻から落ちてしりもちついたのだ。

 それくらいの衝撃、ビックリ、インパクト。驚いたから吹っ飛んだ。飛んで落ちてしりもちついた、要はそういうことである。しかしノイマン兄妹にとって、否、普通の人間なら誰でも驚くことであるとキティもアイズも揃って思った。だって気象一族といえば、伝承楽団より有名かつ畏れ多き連中である。それを丸一日経ったこのタイミングで告白されたら、吹っ飛びたくもなるだろう。

 正直な所、遅すぎるでしょと突っ込みたかったくらいだし。

 ……まあ、できなかったわけですが。だってこのザマだし。

 それでもキティたちのショックのほど、ミコにはちゃんと伝わったらしい。いや、それは正しい表現ではないだろう。なんせミコは告白の際、キティたちに対して土下座しまず謝罪の詞から始めたのだから。姉も姉で自分の不覚を、非をわかっていたのだろう。そうでなければあれほど真っ正直に土下座などできようはずもない。

(むしろだからこそなのかしら、わたしたちが突っ込めずに吹っ飛ぶだけで終わったのは)

 キティはそんなふうに思い直す。それならここが落としどころ。ミコもそれを感じたようで、双方これ以上この話題には触れず、元の体勢に戻っていく。恨みっこなし、これ当然。

「まだクッキーが焼き上がるまで時間もあるし……ちょうどいいわ、話しておくわね。わたしが姉としてあなたたちに強いる今回の花畑の育て方を」

 そう言ってミコは窯の近くに部屋の中でも紐で括り付けている影帽子から3つの黒い椅子を取り出すと、自らそのひとつに座り、キティとアイズにも残る2つに座るよう、声なき仕草で促した。キティとアイズは目を合わせてから頷き合って椅子というよりクッションみたいな「それ」に腰を落とし、そして預ける。木製や金属製、樹脂製でない時点で予め警戒していたのだが、やはりそれは正しかった。布製の椅子の中にはおそらく高級品の低反発素材が入れられているようで、腰を落とした瞬間、まるで身体ごと取り込むかのように凹み沈み纏わりつくのだ。あ〜やっぱり、心地良すぎるぅ〜――キティは遠のく意識の中、懸念通りの展開となったことを少しだけ恨めしく思いつつも、すぐに慣れて意識もハッキリに戻した。ここらだけは育った家に感謝である。

 そうしてキティとアイズの準備が整うと、ミコは無防備な体勢、姿勢で語り始めた。

 それは、ミコの持論であり心であり、ノイマン家にはなかった、新しい捉え方――。

「今回の計画に際しては、リバムーク・プロトタイプも周りに蒔いたシロツメグサも、そして一面に敷き詰めた芝についても、これ以後一切手入れなどはいたしません。禁止よ、禁止」

「なっ! なんですかそれは! 花を育てるのに手入れ禁止だなんて。姉様何様のつもりなんですか!」

 ミコが一方的に通告したお手入れ禁止命令に、当然のごとくキティは反発した。反発しすぎて叫ぶと同時に立ち上がってしまったほどだ。それもこれもミコが非常識なことを言うからである。それは直ちに訂正し修正すべきものである。しかし感情が爆発した自分では「説教」になってしまうので、キティはこの役をアイズに譲るべく視線を送って暗に促す。こういうときのための兄である。少しは役に立つだろう。アイズも上目の目つきでキティの視線を確認すると静かに頷き、ミコに目を合わせて話しだす。キティはそこまで聞いてようやく奮い立った身体を収め、また椅子に腰を落とした。

「姉上……園芸にはこれまで人類が培ってきた技術というものがあります。水やり雑草抜きそして時には病気で腐った葉や花の間引きと、綺麗な花を咲かせるために歴史はマニュアルを残しているんですよ? 姉上の掲げるノイマン家再生計画、父上の心を取り戻させるためにはなによりも綺麗なリバムークの花を咲かせることが重要です。そのためにも手入れ禁止命令の撤回を。どうぞご英断をお願いします」

(おー上出来。兄様もやれるところは器用にこなせるのよねー)

 キティはアイズの「説得」に高評価を与えつつ、ミコの反応を伺う。

 ところがミコは反応を見せる云々以前にピシャリと返答を返してきたのだ。

「却下論外なってなーい。その手の思想はウンザリよ。そもそも今の説得のつもり? 35点かそれ以下ね」

「な……」アイズは詞に詰って絶句してしまう。キティも同じだ。絶句した。35点の低得点もそうだが(そもそもミコなら100点中でなく1000点中とか万点中とかいう恐れがある)、なにより今の詞で浮き彫りになった思想=価値観の違い。ミコはノイマン家のやり方を否定したのだ。

 さすがにそれは容認できない問題である。キティは口を出そうとしたのだが、ミコの方が早かった。そして悠々とした調子で語り出したのだ。それは失敗であり、同時に成功でもあっただろう。

 なんてったってここでミコが持論を先に言ったことで、キティもアイズも完全にミコの色に染め上げられてしまい、そしてノイマン家再生計画の成功を確信してしまったのだから。

 そんなミコの持論は、こんな感じだった。

「花も草も、木も葉も枝も! それは全て尊重すべき一個の生命。生命は意思や心の有無に関わりなく『己が為』を是とするだけの資格と権利があるわ。人間が花を育てる? お門違いも甚だしいわよ。花は自らの力で種から芽を出し、天へと育ち、花を咲かせて次を成す。わたしはね、人間が介入することで花が綺麗に育つことや病気のリスクを回避できることを否定しているわけじゃない。ただどうしようもない好みの問題でね、わたしは野ざらし無防備裸一貫でこの惑星の環境に晒された弱き小さな生命が! 周りを取り込み逆境に抗い、そうして苦闘の末に花を咲かせた“結果”を見るのが好きなのよ。誰の助けも借りないで、自分だけの力で花を咲かせるその健闘を称えたい! まあ、ひねくれているっていわれればそうだと認めるミコちゃんですが、でもこの回路・感性はみんなの中に眠っていると思うのよねーわたし。人の手の及んでない自然の花畑を見たりしたときなんか、きっとわたしと同じような感動を得ると思うんだ。それがわからない奴は感性見る目が埋没してるタイプ。残念ながらこのノイマン家もそのクチ。だから呼び覚ましてあげないとって思ったのよ。今降っている雨をわたしが嵐に変えたのは、あなたたちへ見せしめ目覚まし、そして今日蒔いた種たちへの最初で最後のお節介。いうならばわたしなりの挨拶&合図ね。これからがあなたたち植物の本当の闘いよって。雨に宿せば伝わるのよ。さっきも言ったと思うけど、だってわたし、レインだし。そして花が咲いたとき、その逞しく凛々しい光景をあなたたちのパパに見せてあげれば多分違いに気付くでしょう。その瞬間こそ付け入るチャンス。正気に戻す突破口。ノイマン家のやり方ではありえないその花を見た時のクェンティンのショックガクガク壊れ顔を想像してごらんなさい。そういうときほど他人の主張を摺り込みやすくできるでしょう? つまりはそういうこと。あなたたちノイマン家とは違うやり方で咲いた花がもたらすオーラを切欠助け舟追い風にしてわたしたちはあの変態パパを正気に戻す。これこそがわたしの提唱するノイマン家再生計画の概要でござい。だからあなたたちもこの計画を通してお花の世話とか一切しないわたしのやり方を学びなさいな。観察することは許すからさ、日々の成長の記録とかノートに綴ってごらんなさい。年相応の子供らしく、ね?」

「……でも、もしリバムークが全滅したら、どうするの姉様?」

「そのときはそのときよ。屍だって見てて悪いもんじゃない。それは今のパパを見ていて十分に理解しているんじゃない? ま、全滅の心配をするあたりさすが我が妹よと褒めてあげたい気持ちがありますが……でもやっぱりお子様ね。わたしは信じるなんて詞が大嫌いだから『少しは花の生命力を信じなさい』とは言わないわよ。でもね、『花の底力というものはあなたたちが思っている以上に強いわよ』とは助言しとく。大体ノイマン家のやり方でやっていた園芸の果てがあの壊発腐眠症発症かつお母様の死だってこと、忘れたわけでもないでしょう?」

「ぐっ……それを言われると手も足も出ません。やりますね、さすがは人生三周目の姉様だわ」

 キティが固唾を飲みながら返答すると、ミコはキティとアイズに気を使うように繋げて締めた。

「騙される方が悪い、信じる方がバカなんだ――とか散々世間で揉まれてきて、人の詞に対してめっきり疑い深くなり、信じることをやめたわたしだから、わたしがなにを言おうが信じなくてもいい。ただわたしは花も草も自分と同じ、同じ惑星を生きる仲間として認識しているわ。これは該当情景を眺めて素直に心が感じ取った結果、会得した心得。何せ植物は詞を発さないからね。そういう意味でも正直なものよ。それを知っているからこそ、今回わたしはこうしているの。逆らう男気があるなら遠慮なくやんなさい。わたしも全力で阻止するだけ。叱って褒めてあげましょう」

 まるでミコの言付けに反することを促すような挑発文句で終わったミコの語り。だがキティもアイズも全然その詞には靡かなかった。ひとつめふたつめ、ミコの詞にコテンパンに打ちのめされてしまったからだ。特にノイマン家のやり方の結果が母の死に繋がったという指摘は強烈な一撃だった。忘れていたこと……いや、忘れたかったことをミコに平然と蒸し返されたショックもあったが、ミコの話を聞いていると自分たちは忘れることで目を背けようとしていたのではないかとさえ思わされるのだ。それを意識してしまった時点で、負けなのである。

 それに聞いてて思うところも感じるところもあったキティとアイズはその場でこくりと頷き返答した。

「わかりました。姉様のお好きなようになさってください。わたしと兄様はただただそれに従います。以後従順に。ノイマン家の名に誓いましょう」

「あらいい返事〜♪ ちょうどクッキーも焼き上がった頃よ。食べましょ♪」

 そう言って椅子から景気よく飛び出したミコは窯を明けて黄金色に焼き上がったクッキーを取り出す。その芳しさがなんとも言えず、キティとアイズは溢れる涎を飲み込んだ。

 その後のことはもっぱら家族ごっこに夢中だった。みんなで作ったクッキーを頬張り、ちょっと三人姉弟姉妹でゲームをし、夕飯を食べ、お風呂に入り、そしてベッドに転がり込んだ。昨日同様ミコはキティと一緒のベッドだ。嵐は収まっていたが、雨はまだしんしんと降り続いていた。寝間着の上からミコに髪を梳かして貰っていたキティは、一日の終わりにこんな詞を。

「姉様、まだ雨を降らせているの?」

 するとミコは苦笑し、「これはもう自然の雨よ。わたしの小細工はとうに終わっているわ。生きていれば『どうしてこんな』って思いたくなるような不運続きもあるものよ。リバムークやシロツメグサにとっては、これが最初の試練なの。もっとも、まだ芽も出てない状態ですから、潤してるだけかもしれない気がしないでもないんだけどねー」と答えてくれた。その答えがおかしくて、キティは苦笑してしまう。ミコという仮初めの姉様の厳しさ優しさ不器用さをひしひしと感じるからだ。それがなんだかわからないけどこの上ないほど愛おしい。

 まるで姉妹ごっこなどではなく、本当の姉妹になったかのようで。

 それは決して叶うはずのなかった、夢のような出来事だからこそ。

 キティはミコに髪を梳かし終えてもらうとミコに飛びつき抱きついてその勢いのままベッドに飛び込む。せっかくミコが整えた髪の毛が6割方台無しになったが、そんなこと美容に無関心の少女キティには問題ではない。

 それよりも心に芽生えた愛しさを行動で持って表すこと――こっちの方がキティにとっては大切だった。もちろんキティもバカではない。大人になれば愛情表現にもいろいろあることは知っている。でもキティは少女である。幼女と言ってもいいのである。そんな子供にできることはやはり子供らしいことなのだ。だからキティは想いっきり子供っぽく、ミコに抱きつき好意を伝える。

 そんなキティをミコもまた抱きとめてくれる。そのままシーツの中に潜り、二人はその日、眠りについた――。

 二人が出会って二度目の夜、園芸を始めた最初の夜はそうして終わり、雨が、雲が、風が、そして星が、二人のことを見守っていた。

 そして翌日から、決して干渉しない観察だけの園芸生活が始まった。

 それは、花の成長を観察し絵に描き感動する、楽しい毎日の始まり。

 芽が出たとき。我を忘れるほど興奮し、ミコと手をつないで踊った。

 葉っぱが増えたとき。湧き上がる気持ちでペンを走らせ絵に描いた。

 陽射しで萎びたとき。雨をねだっては断られ、自然の雨に歓喜した。

 茎の先に蕾ができたとき。とうとうここまでとの思いが込み上げた。

 そして草枕の月の末。ついにリバムーク・プロトタイプは開花した。

 19個の種から19本の茎が延び、一本につきたったひとつ、全部で19輪の花を咲かせたリバムーク・プロトタイプとその足元で存在感を示すシロツメグサの絨毯。とても当たり前で普通なはずなのに、幻想的な魅力を感じてしまうのである。まだ白い花を咲かせずに、三つ葉のクローバーでいるシロツメグサを下に。そこから伸びたリバムーク・プロトタイプの空より濃く、海より薄い青色と雲みたいな、波しぶきみたいな白色が織り成す個性溢れる花模様の魅せている光景が、非常に絵になっているのである。

 それだけでも「もう十分」と考えたキティとアイズだったのだが、そこは姉に窘められた。ミコは「次の日が勝負よ」と二人の兄妹の耳元で囁きかける。次の日――それは鍵詞ならぬキーワードとして、キティたちの頭に重要なことを思いださせる。喜びはひとしお。されど最上の喜びは翌日におあずけ。朝だというのにもう翌日の楽しみができたキティとアイズはその分しっかりじっくりと咲いた花の模様に至るまで詳細に絵に描いた。写真も撮った。そしてカラスがカーカー夕方のお迎えを知らせると、はやる気持ちを抑えながら、三人揃って家に戻る。そして寝入って夜は更けて、勝負の日!

 三人は喝采し雄叫びを上げたのだ!

「しゃああああぁぁぁぁぁ!」

 興奮上がりっ放しのガッツポーズ。肘を曲げた両腕をふんごふんごと振り回す三人。もちろん呼吸は鼻息噴射である。これもエンジョイマナーに登録されている喜び方の様式美。

 さて、そろそろ引っぱるのもやめにして、キティたち三人が何に換気しているかというと、昨日咲いたリバムーク・プロトタイプ。翌日また花を開いたのだが、その色彩が、その模様が昨日とは変わっていたのである。思い出していただけただろうか、リバムーク最大の特徴は日ごとに花の模様を変化させる、その一点にあることを。昨日無事に咲いた花を見て、そして今日見事に花の模様を変えてみせた、リバムークの名に違わないその系統を証明してのけた19輪の花たちを見て、キティたちは歓喜したわけなのである。

 同時にそれは来るべき時の到来を告げる。そう、未だずっと妻の部屋でひきこもっている父クェンティン・ノイマンを真人間に戻す時節の到来を。キティにとってもアイズにとってもあの日、ミコが姉妹ごっことしばしの滞在を告げにクェンティンに会ったとき、目の当たりにした光景に付き添っていた幼い兄妹は心傷もののショックを受けた。もう動かない母の朽ちない死体との屍姦症行為、あれは10歳にも満たない兄妹にはショックだった。キティなんて一年前まで赤ん坊はコウノトリが運んでくると思っていたくらいだからなおさらだった。裏を返せば一年前には男女の営みというものを知ってはいた――のだが現実にその現場を見せつけられたショックは大きい。あれから一月余り、母ベアトリクスの自活部屋からクェンティンは閉じこもったままだ。同じノイマン家屋敷に住んでいているはずなのだが、全然顔を会わせることがない。出会わないのだ。まるっきり。

 そんな超引きこもりネクロフィリアパパをようやくまともに戻せるだけの材料がここにある。まったく人の手を借りずに育ち咲いたリバムーク・プロトタイプ19輪。あのダメパパが今の母にふさわしいと狙って入手することのできなかった最新の品種、餌としては申し分ないだろう。いよいよこのときが――はやる気持ちは抑えられないほど膨れ上がっている。

 が、あえてそこを抑えておいて、キティは今日の日課をこなす。まずすべきこと、この一月余りずっと続けてきたこと――観察手帳に今日の分の絵を描くことだ。種を植えてからほぼ毎日、欠かさずこなした観察は、いつしか日課の枠を越えて、キティにある感情を芽生えさせていた。それは、ミコの、姉様の提唱するノイマン家再生計画に真っ向から異議を唱えてしまう身勝手な思いなので、そっと胸の内にしまっておく。

 そうこうしつつも描く手は停まらず、今日の分も無事描き終わった。

 すると後ろから覗いていたミコが顔を持ち上げて、パンと手を叩く。

「いよいよ終わったわね。さて、これをあのバカパパに献上するときが来たわ。早速呼びに行きましょう」

「はい、姉上」「そう……よね。行きましょ、姉様」

 アイズははきはきと、キティは視線を逸らしどこか澱みを含ませた声色でそれぞれ賛意を表明する。二人の背中をミコが柔らかく押して、三人の仮初め家族はノイマン家屋敷へと歩を進めた。咲いた花には背を向けて。



 コンコンココンのトトンとトン。

 ミコは手慣れた所作でリズミカルに父と母のいる自活部屋の扉を叩いた。これ、実はきちんとマナーに則った叩き方。コンのときは骨で、トンのときは肉で叩くのがコツ。今回ミコが叩いたパターンは『火急の知らせ』。まさにうってつけの呼出しノックだった。

 そしてキティとアイズの父クェンティンも社交マナーを知る男。ドア越しに「火急の知らせ? なんだそりゃ」と返事を返してきたのである。ここに来るまでに背中を押されながら廊下を歩いていたキティとアイズ。当然この場面でのやりとりも背中を押していたミコから前もって説明を受けていた。予想と推測のシミュレーション。その通りに事が運んでいるから恐ろしい。

 そしてミコは事前に説明した通り、もっともクェンティンを惹き付ける詞を口にした。

「実はリバムーク、プロトタイプなんですけどとあるツテから入手できましてね。それをリバムーク欲しい欲しいって言っていたあなたにお知らせにきたんだけど……」

 そう、ミコの口にした惹句とは事実と違う嘘だったのだ。だけど嘘もここまでくるとなんかいっそ清々しい。実際喋っているミコに悪びれた様子などまるでないのだ。大人というのはこういうものかと、幼い兄妹はその凄まじさを思い知る。感心の中には若干の嫌悪感もあったが。

 しかしさすがミコの選んだ選択肢。効果は覿面だった。すぐに自活部屋の中がバタバタしだして騒がしくなる。クェンティンが大慌てしているのが手に取るようにわかるのだ。そうしてしばらく一分くらいだろうか経った後、封印されし扉は開き、父は出て来た。

 どこも変に感じない、至って普通の格好で。

 だがあの光景を見てしまった子供たちからすれば、それだけに反発反動なのか親や大人のこういうやりとりに嫌悪を感じずにはいられない。

 例外は、ミコだけだ。

 そんな子供基準を目に、固く口を閉ざして父クェンティンを見つめるキティとアイズ。

 クェンティンもその視線に気付いたようでそれまでミコの方に向けていた目をこっちに向けてくる。その瞳にはキティとアイズは映っていなかった。眼中にない存在――そんな扱いに憤慨したキティはますます胸中に秘めた想いを激しく燃え上がらせ、激情化させる。

 だがミコの方が早かった。「お花は整地させてもらったお花畑に植えてあります。行きましょう。準備はいいですね、奥様も」とトントン拍子に話を進めると話の矛先を突然、死体の母に、死んだ母ベアトリクスに向けたのだ。部屋の中へ、さも当然のようにミコは足を踏み入れ、すぐに立ち止まって影帽子のがま口チャックを横一文字に開き、中から黒い手多数とちょうど棺を載せられるくらいの荷車を取り出しベアトが寝かされていた棺を持ち上げ荷台に載せる。もちろんそんな勝手極まる行動をクェンティンは容認せず、すぐに背後から手を出そうとしたが、先んじてミコが振りかざした本人左手の裏拳一発で牽制され、一切手も足もそして口も出せない状態にされてしまった。実際には当ってもいない空を切った裏拳なのだが、感情的になっていたクェンティンを、そしてキティとアイズも萎縮させる、それほどの破壊力みたいなものがあった。逆らったら容赦しない――そんな雰囲気を拳ひとつでミコは作ったのだ。

 ともあれ扱いは非常に丁重そのもので、最初怒気混じり次心配性ハラハラドキドキして見ていたクェンティンも、最終的には安堵してミコの運搬作業を見ている様子だった。現金なもんよね――キティは心底そう感じた。そう思ったのもそもそもミコの作業の丁寧さ華麗さなら自分たちの方がはるかによく知っているんだからという自負心からだった。伊達に約一月余り、姉妹ごっこに興じてない。特にキティは寝る時もお風呂もずっと一緒だったから、この点にかけては人に譲れない負けん気があったのだ。きっとアイズも少なからずそう思っているはずだ。

 そんなノイマン家三者三様の思惑が蠢くのを尻目に、先陣切ってベアトの棺を乗せた荷車を押すミコは、まるで関係ないとばかりに口笛なんか吹きながら廊下を進み、ドアを開け、左右に気をつけ道を渡ってほぼ芝生となったかつての花畑に到着した。それを追ってクェンティン、キティ、アイズも花畑の中へと入る。ミコはまだ進む。目的の場所まで。三人もそれに続く。カルガモの子供のように。

 そうして花畑の丘の上の手前で、ミコは荷車を停めた。後から着いて来ていたクェンティンが、停止したことから察知して、急に駆け足になって丘を駆け上がる。キティとアイズも父の速度変化を確認すると、やはり駆け足になった。だって、父の速度変化が何を意味するかなんて、考えるまでもなくわかっていたから。ここにはキティたちの方が何回も何回も、毎日足繁く通い詰めていたのだから。

 そう、駆け足の先にあるのは、自分たちが植えたリバムーク・プロトタイプ。

 ミコに言われて一切手を出さず、自然の御業のままに育ち花を咲かせたお花。

 父を真人間に戻す切り札として、ずっと観察してきた見守ってきたお花たち。

 果たして父は本当に真人間に戻るのか――払拭しきれない不安を胸にキティとアイズは走り、追いつき、父に、ミコに並んだ。立ち止まった場所から見えるのは、シロツメグサを下に敷き詰め、密集して茎を伸ばし、その先に日替わりの花を咲かせるリバムーク・プロトタイプが19輪、頭を垂れて恥ずかしそうに、もしくは照れくさそうにその花その頭を垂らしていた。しかし魅力は十分伝わり、むしろそれら全てがこそばゆい・奥ゆかしいとさえ思わせる。芽吹いた美。

 これを目の当たりにしたクェンティン、果たして真人間に戻るのか?

 ミコの計画は達成されるのか?

 すぐに答えは出た。直立不動で震えていたクェンティンはその頬に涙を流してミコが持って来ていた妻ベアトリクスの棺に座り縋り、顔を見るため扉を開けて、死してなお美しい愛しい妻へと語り出す。

「ベアト……やったよ。リバムークだ。君の出立に最も相応しい……いいや、君の美しさには到底及ばないレベルだが、この俗世で用意できる最高の飾りが用意できたよ。待っていてね。すぐに摘み取り君に捧げるよ」

 キティやミコがぬいぐるみ相手に話しかけるのとは趣が似て非なるアプローチでベアトの棺に、死体に話しかけたクェンティンは、すぐに行動に移った。すっと立ち上がりスラリとした長身を空へと伸ばすと反転してリバムークに狙いを定め、駆け出そうとして――。

 

 足を掬われズッコケた。

 

 その光景に驚く者2名。驚かない者2名。さて内訳は?

 驚いたのは転ばされたクェンティン。その光景を予想だにしていなかったアイズ。

 そして驚かなかったのは、もはやそんなことでは動じないミコと――。

 クェンティンに足を引っかけて転ばせた犯人当人張本人、キティだった――。

「なんの真似だキティ! 父に対するこの無道は! 言え! 返答次第じゃ容赦しないぞ!」

「キ、キティ……?」

 荒々しく問い詰めるクェンティンに、妹の行動がわからなくて当惑している様子のアイズ。しかしキティは平然とした顔で、見え透いた態度で答える。

「なんの真似? 見てわからないの父様。父様のリバムーク摘み取り行為を妨害したのよ。事実を知ろうともしない父様に、腹が立ったものですから」

「はあ? お前、何を言ってる」

「あそこに咲いているリバムーク・プロトタイプは姉様が買った種を一月前にここに蒔いたものです。姉様が自活部屋のドア越しに謳った文句は父様を楽に釣るため偽装した詞。それに気付かずホクホクしている父様の姿、正直見苦しくてしょうがありません」

「なに。それは本当か!」クェンティンは鋭い視線でミコを睨む。ミコはとってもわかりやすく肩を竦めて嘆息し、「ええ、キティの言う通り」とあっさり認めた後、この一月の経過をざっくばらんに説明する。心底面倒臭さが詞の端々に見えた解説だった。どうやらミコにとってはとんだ流れ弾だった模様。でもやってしまった以上決着を着けないわけにはいかないので(ノイマン家の家訓にあるし……)、キティは本気で悪いと思いつつも、ミコの説明を止めずに喋らせ続けた。

 ミコがこの一月、自分がどこからやってきてどうして貴重なリバムークの種を渡したのから始まり、墜ちたノイマン家の風評回復に加え、母を死なせた花畑の浄化の後、リバムーク・プロトタイプの種を蒔いたことなどをとくとくとクェンティンに聞かせるミコ。クェンティンは黙々とその語りを聞いていたが、終わるとすぐに立ち上がり、キティに対して食って掛かって来た。

「お前達の言うノイマン家再生計画とやらにはこのリバムーク・プロトタイプを俺に見せ、献上することが盛り込まれているじゃないか。なるほど確かに野ざらしの花は今までに見たこともない類の美を俺に見せつける。だからこそベアトの棺に相応しいと俺は思うね。母さんをやっと安らかな眠りにつかせてあげられる。それが為されれば俺もお前達の子育てに戻れる。いいこと尽くしじゃないか! さすがは気象一族元レインの案じた計画だ! それを邪魔する理由があるのか? キティ、この花はもう俺のもんだ!」

「誰のものにもさせない! このわたしがいる限り!」

 クェンティンの主張を真っ向から否定するキティの怒号。途端、その場は一気に静まり返った。場違いな静寂――それもこれもキティの吐いた詞の凄まじさにある。迫力に呑まれ、誰もが詞を失った。ただミコだけは、その展開も予想していたのか泰然自若を崩すことはなかった。キティの方を向き、話に耳を傾けようとしてくれている。それだけでキティは勇気100倍。水を得た魚のように喋り出す。

「お花に惹かれるのは生物常備の本能です。早い話が虫も人も同じってことですよ。そう、お花が美しいのはある種ある意味当たり前。その中でどれが一番とか、もうその時点で父様は鬼畜なエゴイストだわ! そしてこの花リバムーク・プロトタイプ19輪は姉様の説明にもあった通り、わたしたちの手を借りず、自分たちの力だけで自然の猛威、天候の脅威、外敵の危険という過酷な運命にも打ち勝ち花を咲かせた奇跡の証! ゆえにその花実に所有権などありはしない。だって生き物を我が物として摘み取るような行為を、社会は罪と呼ぶんでしょ? ね、姉様」

「そーいえばそんなこともベッドで吹き込んだ憶えがあるわねー」

 ミコは顎を腕組みした右腕の人差し指一本で持ち上げ、記憶を回想しながら曖昧に肯定する。だけどそんな事実というより情報の存在自体がクェンティンにとっては逆鱗スイッチだったらしい。キティに掴み掛かろうとズケズケズンズンと迫ってくる。まさにその瞬間。

 

 チリン……チリン。

 

 鈴か風鈴のような音がなった。場違いなその音だけならなんでもないことなのだが、音を聞いたミコが慌てて影帽子のチャックを開けて、中でなにやらガサゴソとやり出したので、迫るクェンティンも構えたキティも、そしてキティの助太刀に入ろうとしていたアイズも皆一様に固まって、ミコの様子を伺ったのだ。

 ミコは滅多に見せない慌て顔でなんと帽子を頭から降ろし、開いたがま口チャックを上に影帽子を腕で抱えて胸に抱き、必死でなにかを探している様子だった。ミコが影帽子の中の物を探すのにここまで悪戦苦闘しているところをキティはこれまで見たことがない。アイズも同様。なにをそんなに焦っているのか、全く理解ができなかった。

 だが、答えはもたらされるもの。ほどなくしてとうとうミコは探していた物を取り出したのだ。

 それは……葡萄のように見えるけど、違うもの。

 だって、実のところが全部鈴になっているから。

 だからアイズがミコに訊いた。一人腑に落ちた顔をして影帽子も被り直したミコに。

「姉上、その鈴のようなモノ、なんですか?」と。

 するとミコは「ああ、これ?」と前置きし、わざわざリアクションまでして言質をとってから説明した。

「奇跡報知器『鈴葡萄』。みんなが奇跡って呼ぶ現象の予兆を感知して、鈴の音の音色や音律なんかでどんな奇跡が現れるのか教えてくれる便利道具よ。どうやらあなたたちに奇跡がやってくるようね。楽しんでくるといいわ。じゃあね」

「じゃあねって姉上、姉上は一緒じゃないのかってうわ!」

「きゃっ!」

「なんだ!」

 他人事のように話すミコにアイズが突っ込もうとするより、ミコの言う奇跡の発現の方が早かった。周り一面芝生と花から光が、黄金色の光が一斉に宙に舞い始め、それは一定量その場に溜まると、パッと閃光を放ったのだ。

「うっ!」「うおっ!」「まぶしっ!」

 アイズ、クェンティン、キティの三人が眩い閃光に視界を塞がれる。

 ようやく目の痛みが引き、瞼を明けてみると――。

 目に入ってきた景色は、全くの別世界だったのだ。

 いや、細かく言えば全くというほどでもない。キティが下を見るとそこは変わらず芝生とシロツメグサ、そしてリバムークの花畑。

 ただ上が、空が、異様だった。綺麗だった。

 天空から降り注ぐ太陽の光ではなく、あのとき芝生や花から舞い上がった黄金の光に空が染まり、黄金色の空になっていたのだ。夜でもない昼でもない黄金の空。それは大気中を舞う光の粒と合わせて、黄金の花畑とでも表現すべき、夢のような光景。それこそミコが言っていたように、奇跡のような光景だった。

「ってあれ? 姉様は?」

 キティはきょろきょろ首を左右に振って詞を洩らす。そこにミコの姿はなかった。

 が、背後から驚くべき人物の声が、代わりに聞こえてきたのだった。

「ここは我が家の奇跡。仮初めの姉は所詮部外者。ここはノイマンの姓を持つ者のみに用意された奇跡の場よ」

 その声は、懐かしく、かつもう聞くことはないはずの声。

 確かめたくて振り向くと、見間違いじゃない本人がいた。

 絹糸のように柔らかく風に靡く金髪。芯の強さを形作る眼差し。きつく結んだ唇に、赤い貴婦人衣装。

 ベアトリクス=ノイマンが、自分の棺の上に腰掛けて、こちらを見ていたのだ。



「ベアト……ベアトなのか?」

 キティと同様に声を聞いて振り向いたクェンティンが震える声で呟いた。同じく振り向いた兄アイズも目を見開いて驚愕している。こっちは声も出ないといった感じだ。気持ちはわかる。キティも同じだから。だって兄妹だもの。

 すると自らの棺に座るベアトは不敵に笑いながら返事を返して来た。

「そうよあなた、わたしは紛れもないベアトリクス=ノイマン本人。とは言ってもこの奇跡のフィールド上でしか存在できない代用体ね。この身体、光の粒を寄せ集めて作ったものだから。本当のわたしの身体はやっぱりこの棺の中で死んだ停まった眠ったまま。でもね、わたしが死んで以降あなたたちが起こしたノイマン家御家騒動のせいで、わたしの意識・霊魂・心といったものは心配で全然昇天できなかったのよ。そこにあのミコっていう娘が浄化して別ベクトルに向けて育てた新しい花畑が都合のいいことに成長するに従って突然変異を起こして奇跡要素を持つに至った。その奇跡要素の流れに保護されのっかかる形で、今わたしは貸し切った奇跡の場で仮初めの身体を得て、こうして家族と再会したって訳なのよ」

「お……お、おおベアト! 会いたかったぞおーっ!」

 ベアトの形をしたものが、紛れもないベアト本人だと認識した途端、クェンティンは涙に涎に笑みを浮かべるという実に気持ち悪く、見てられない顔でベアトに迫った、走っていった。目的は母様を抱きしめることね――キティにはその魂胆が透けて見えていたので、半ば諦め気味で諦観の構えだったが、光の身体を得たベアトは予想外の行動を取った。

 なんと上段回し蹴りでクェンティンの頭を蹴り飛ばしたのである。足で優雅に弧を描き、その勢いに身体を任せ、自分の棺から浮かぶように、踊るように芝生の上に立つベアト。

 一方側頭部にいい蹴りを貰ったクェンティンはものの見事に顔から地面にダイブ。とはいえ一応ノイマン家家長の意地なのか、受け身をとったようで、すぐに立ち上がってみせたのだけど。それもベアトの計算の内だったようだ。家族みんなと距離を取ったベアトはまず大きなため息をしてから、夫に対して話しかけた。

「あなた♪ いくら愛しいわたしが死んだからってあんな厚化粧を施されたわたしの身体でよくも好き勝手に遊んでくれましたわね。こっちが抵抗できないのをいいことに――何回も繰り返した子作りの時もいつだって奥手で照れ屋なあなたをわたしがリードしてあげたの、忘れたの? それがこの一月は随分積極的になったもんじゃない。あの娘――ミコはネクロフィリアって言っていたけど、あなたそっちの方が適性高かった訳?」

「そ、そそそ、そんなことはない! 俺はいつだってベアトのリードの方が気持ち良くなれた! だがお前は死んだじゃないか。そうなったら俺がリードするしか方法は……」

「いくら綺麗になったからって、子供二人を放ったらかして死姦行為に及んでいる時点で男失格だってことを言ってんのよ! あなたたちが知らないだけで昇天できずに現世に留まっていたわたしはちゃーんと見ていたんだからね! 育児放棄、許すまじ! アイズとキティを放ったらかしにしていたあなたなんて……もう死後離婚よ、死後離婚!」

 死後離婚とは婚姻関係にあった二人のうち一人が死んだとき、もう一人が「独身」の肩書きを得るために行う一方的な離婚手続のことである。この俗世では、再婚するにしても「既婚歴アリ」より「独身状態回復済み」の方が世間体がよろしいのだ。

 にしても、それをやるのは残された父様の方であって、滞留霊状態の母様では手続きどころかサインもできまい。だからキティは驚いた。まさか母様から縁切りを宣告するとは。しかも手続きは父様にやらせようという辺り、無茶苦茶ワガママ言ってるなーと心のホールでツッコんだ。どうやらこの一月で、母の愛も冷えきった模様。

 そして当然のようにそれを拒否る父クェンティン。必死に弁明を始めるのだが、今更何言っても無駄だろうという大勢の見方を覆し、意外な切り口で捲し立ててきた。

「育児放棄! 確かにそれは罪だろう。認めよう。責めも受けよう。だが俺にとってお前を失ったという事実は何を差し置いても優先されるべき悲しみだったんだよベアト! 忘れたのか? ノイマン家においてお前は太陽、俺は月がいいとこだった。太陽を失って俺は永遠の夜の中周りも見えずに苦悶し続けた。お前が死んでからずっとだ! わかるか、俺がお前の気持ちをわかっていないと言うのなら、逆も然り。滞留霊だからって見ているだけのお前にお前を失った俺の気持ちがわかるわけない! そんなときだったよ。伝承楽団の連中がお前の死体に死化粧を施した。太陽が再び現れた――そう感じたんだ。眩しすぎるくらいの光を放つ、俺にとっての、俺だけの太陽。それをちょっと愛でただけだ! 夫婦の愛っていうのはな、子供じゃ代わりにならないんだよ!」

 熱い熱弁。拳を握りしめ力説するクェンティン。その主張を聞かされたベアト、アイズ、キティも一定の理解を示す。そりゃ太陽とまで持ち上げる妻に先立たれたなら悲しいし、太陽を失ったら闇の中、道を見失うのも納得だ。でも。

「それって夫の、夫だけの論理でしてよ父様。父様の眼中にはわたしや兄様といった子供は星にも街灯にもならないのですか? 自分だけの夫としての立場でモノを仰っているので、家族でモノを考えるわたしと兄様、そして母様には言い訳にしか聞こえませんわ」

 キティの反駁。効果は覿面だった。クェンティンの顔が焦りの色を濃くし、反論できずに口をつぐむ。そこに追い討ちをかけるようにベアトが「キティのいう通りね。よく言ったわよ我が愛娘。わたしはそんなキティの味方」と、クェンティンの言い訳を聞いてもなお、対決姿勢を崩さぬことを表明したのでいよいよクェンティン、汗で顔がぐっしょりになった。しわくちゃの顔は一気に老け込んだ老人のよう。さらにベアトはクェンティンに詞を投げかける。

「あなた本当に忘れたの? お見合いで出会って結婚したはいいけど、親戚馬鹿達の反対を押し切ってこの土地買って、ここに花畑を作って暮らすって決めたとき、アイズを身ごもっていたわたしとあなたが交わしたあの誓いを」

「――っ!」

 ベアトの詞を聞いたクェンティンの顔がハッとなって変化する。どうやら妻の指摘に思い当たるフシがある模様。

 しばし時が停まる。それほどの沈黙と長考の後、クェンティンは記憶の台本を読み返すように喋り出した。

「この花畑がまだ更地だった時――君がアイズを身ごもっていた時、二人で並んで此処に立ち、君は宣言した。『わたしはここにわたしたち家族の宝物を作るのよ』と」

「そして続けてあなたにこう言ったはずよ。『だからあなた、守って頂戴。わたしを。そしてこれから生まれてくるわたしたちの子供たちを』って。違う?」

「違わない。記憶のテープはその通りの台詞を再生した……」クェンティンは震えている。それは、身震いしているとはちょっと違う感じの震え方だった。マンガっぽく擬音でいうならよくある「プルプル」じゃなくて「ワナ……ワナ」とか「ビリ……ビリ」と表現した方がしっくりくるような、そんな感じ。それはきっと父様の心にあるのが恐怖ではなく、大事なことを忘れていたことに対する後悔と自責の念からくるものだからだろうとキティには予想がついた。目を向けてみるとアイズも頷く。当然だ。二人はこの一月の間、ミコから本や親でもわからぬことを、色々教わったのだから。

「そうだ、そして俺は言ったんだ。『任せておけ! 俺の家族も家族の場所も、俺が絶対守りぬく!』って――」

「思い出してくれたのね、あなた……」

 初めてベアトがクェンティンの側に立って詞を発する。それと前後してクェンティンの顔色がまた変わる。さっきまでの覇気のない顔から一点、生気を取り戻したかのように逞しさ――いや、輝かしさを放つようになっていく。それは、母の死ぬ前、家族が4人でいた頃の父の顔。素顔じゃないかもしれないけど、父親としての威厳を持っていた、家族を支え守ってくれていた「父の顔」だった。

 ということは――とキティは内心予測する。そしてクェンティンは語り出す。キティとアイズとベアト、3人の方に向かって詞を投げかける。

「悪かった。ベアトを弄んだのも。キティとアイズを育児放棄したのも。全て俺の責任だ。俺はどうやら大事なことを忘れていたらしい。愛するベアトを失ったショックで、残っていた、そこにいた、一緒に生きていた家族も見失うほどに自分を見失っていたんだな……本当にすまない。だから俺は自分の意見はもう取り下げることにするよ。ベアトの埋葬についてはキティの言っていたようにリバムークを添えるのはやめよう。それでいいかい? ベアト」

 ミコに教わった詞を借りるなら、まさに憑き物が落ちたかのように今までとは真逆の台詞を吐くクェンティン。でもミコにこの一月、前もって教わっていたのでキティもアイズも驚かない。実はクェンティンは涙を流しているのだが、それでも驚かない。教わったから。

 さて、やっと真人間に戻ったクェンティンの提案。匙を投げられたベアトは快く了承した。

「ええ、わたしの昇天に道連れなんか必要ない。それがキティの可愛がっている花なら尚更のことね。わたしたちは運がいいわよ。なんせここにあるわたしの死体はこの奇跡の中で火葬でも埋葬でもなく光に還すことができるんだから。世間一般の葬儀よりよっぽど特別だと思わない?」

「ほう、この場で俺が死姦した君の身体は光になると……いいじゃないかベアト。君の言う通り特別な葬られ方だ。君に相応しく、かつ他のモノではまずできない奇跡の消葬、ならば尚更これが最後なんだな」

 そう告げるとクェンティンは一歩、駆け足、急ぎ足とどんどん速度を上げてベアトに向かって走り寄る。ベアトも動じることなく夫を待ち、そして二人は抱き合った。抱きしめ合った。目から恥じらいもなく涙を流し、最後の抱擁を堪能する。

 その光景をキティは落ち着き払ったを通り越して、冷めつつも生暖かい、適温視線で眺めていた。傍らのアイズも同じ目をしている。ミコに一月鍛えられてその目は価値眼に昇華されているからだろう。しかし心の内にあるのは、『よく子供の目の前でイチャイチャできるなこの両親』という思いだったが。

 幼い兄妹はこの一月のことからして、この抱擁はまだまだ続くのではと診ていたが、その予想はなぜか外れた。夫婦の熱い抱擁はなんとクェンティンの方から離れて終わったのだ。堪能しつくしたってことかしら――キティは小さな頭をリリリと働かせ、その推論に落ち着いた。事実この上なく満足した顔をしているクェンティンはその手でベアトの頬に触れ、高らかに宣言したのだ。

「ベアト、さようならだ。だが俺は君一筋、決して死後離婚なんてするもんか。再婚なんてもってのほかさ。これからは君の残してくれた宝物を大切に守り続けていくよ」

(わ〜素敵な台詞〜。とうとう父様も真人間に戻ったみたい〜。ミコ姉様、やりましたよ)

 キティは胸の中でミコの計画がほぼ達成されたことに対する感謝をこの場にいない最大の功労者であるミコに対して無音で行う。ただ、まだ完全に計画が成し遂げられたわけではない。そこのところをわからせるべく修正するべく、キティとアイズは遠慮なく次々に発言した。

「素敵なセリフですが父様、わたしも兄様もそしてここのお花畑も、父様の守りなんていりませんよ。やめてください。世迷い言は」

「そうそう、父上の助けなんて必要ないもんね。ボクたちは鍛えられたし。なにより父上を受け付けられない」

「なっ、なんだと! お前ら、親が折角善いこと言ったのにそれを台無しにすること言いやがって! 残された家族も花畑も俺抜きで管理できるものか! ベアト、お前からも言ってやってくれ」

 キティとアイズ、子供達兄妹の反逆ともとれる発言に、クェンティンは当然食って掛かり、子供とはいえ数で負けている事を理解しているのか妻ベアトに援護を求めた。実に真っ当な人間がするべき行動――キティは今の父がちゃんと真人間に戻ったんだと安堵する。

 が、なかったことにできない過失もある。その点を忘れて自分の都合のいいように進められるほど、世の中甘くはないって話だ。ベアトの詞がまさにその証左だった。

「あなた……悪いけどわたし、キティとアイズを支持するわ。あなたは此処にはいられない。しばらくトランスフェイクの町の方で熱り冷ましてらっしゃい。そうね、ざっと……キティ、何年くらい?」

「最低でも8年は反省してもらいますよ、父様。ご心配には及びません。ね、兄様」

「そうそう。父上が母上の死体に執着してペロペロしていたこの一月の間、ボクらは姉上からみっちり鍛え上げられたからね。そして姉上の花畑に対する方針はご存知の通り、ありのまま。父上の考えているような仕事が入り込む余地なんてないんだなーこれが」

 平然と、素で答えるキティとアイズ。しかもその前にはベアトの前置き。孤立無援の行き詰まり、進退窮まったクェンティンはそれでも「ぐぅぅ」と唸りながら時間を引き延ばそうとする。ようやく絞り出した詞が「お前ら、ノイマン家があの余所者女に改造されてもいいってのか」という意思確認。しかし言わずもがななこと。キティもアイズも変わったのだ。この一月で。あの仮初めの姉――ミコ=R=フローレセンスと共に暮らして。

「ええ。姉様の教えてくれた生き方の方が楽しそうですもの」

「そうだね。キティに3票」

「わたしは31票。全部合わせて35票ね。決まりよ、あなた」

「うぐ……」

「諦めが悪いわねー。この一月であなたが犯した過失行為、その全てを今から守ることでチャラにできるとでも思ってたの? 甘いのよ。こういうのは時間で解決させないと。そう教わったんでしょ、キティ?」

「うん。ミコ姉様にはこの一月、散々鍛えられ色々教え込まれたんです。その教え込まれた中にあったのが『ほとぼりの冷まし方』。曰く、『ああいう場面を見てしまったショックは時間をかけて癒すしかない』とのことですってよ父様。父様がひとり反省するのはもちろん、わたしたちがああいうのを知って慣れて免疫つければ、ようやくわだかまりも解消というわけです。そのための8年。さらに姉様、世話はダメだけど種を植えるのはOKって言っていますからね。これからここの花畑はわたしと兄様が色んな種を蒔いて咲けよ花よとプロデュース。その結果を見せるまでに、やはり8年はほしいのですよ」

 ベアトに指摘された言い逃れようのない事実に加え、キティたちが覗かせた自信。

 今度こそ万事休す。クェンティンも両手を上げて謝意と降参を表明する。悪あがきと抵抗しておきながらも、物事が決まったと悟るや大人しく負けを認める潔さ。本当に真人間の父に戻ったんだ――キティとアイズは目を合わせ、こつんと手の甲を合わせて小さく笑い合う。これにてノイマン家再生計画は完了である。あの日ミコから聞かされたときにはなんと無謀な試みと疑っていたが、トランスフェイクの町の連中への勝負を始め、この一月ミコと過ごして心配は興奮へと変わっていった。ちゃんと家族の和を取り戻せる――こんな光景が見られるような気がする。そんな感じのテンションでやってきたのだ。まあ、キティのワガママに加えなんか知らないけど突然起こった奇跡でもって死んだ母とも再会したりとサプライズもありまくりだったが、そんなこともこうして計画通り、いや計画以上の絵が見られたことを思えばとりあえずは一安心。この胸を満たすのは、さわやかな風が通り過ぎていくのを肌で感じるような、この上ない気持ち良さなのだ。

 そうしてようやくみんなが奇跡の風景を眺める余裕ができるところまで落ち着いた頃合いで、ベアトの詞が奇跡の終わりと別れを知らせる。

「これで一件落着ね。この花の奇跡ももう終わるわ。ここにあるわたしの死体も奇跡終了と一緒に光になって消える。あなたはこれから町のアジトで8年間過ごすこと。でもキティとアイズのSOSがあったらすぐ駆けつけるのよ。離れていても繋がっている、それが家族というものだからね。それじゃ……バイバイ」

 そう言ったベアトの目にはうっすらと涙が溜まっていた。その表情の意味するところをキティたち三人が知るより早く、そのときはやってきた。空間を明るく満たしていた光の粒がどこへともなく消えていく。黄金色の光が破れるように砕けてく。それは紛れもない、奇跡の終了。

 同時にベアトの本当の身体、死体が入っていた棺もまた本当に光に融けるように消え始めていた。そこまで見てキティは二度目の「別れ」が来たことを察し、受け入れた。

 手を振ってくれる母様に、キティたちも手を振り返した。それだけで心と心が通じ合う。

 それを実感すると、死に別れてもやっぱりわたしたち家族なんだなあと思える。キティはこの奇跡を起こしてくれたものに心の底から感謝した。

 奇跡を為していた光が弾けたのは、それからすぐのことだった……。



「終わったあ〜。いや〜母様にちゃんと『さよなら』を伝えられてよかった。ね、兄様」

「そうだね。姉上が知らせてくれたこの奇跡のおかげで、ボク達は家族の絆を取り戻せたんだ。知らせてくれた姉上にお礼を言わなきゃだよキティ。……って、アレ? 姉上は?」

「いない……どうして!」

 黄金と光が織り成した奇跡が破れ、現実へと戻ってきたキティとアイズの兄妹は、奇跡への感慨をかみしめながら、まずはミコに全部感謝だとミコにお礼を伝えようと思ったのだが、どうしたわけか、元の花畑からミコの姿は消えていた。まさか……ノイマン家再生計画が完了したこともあり、最悪の事態を想像してしまったキティは我を忘れ、取り乱した声で叫ぶ。

「姉様! どこにいるんですか! わたしイヤです、こんなすぐのお別れなんて。わたしまだ姉様に甘えきってない……もっともっと姉様としたい! どこにいるんです……いったいどこに行ったんですか!」

「ここに行ったの」キティの絶叫のあと間髪容れず聞こえてきた声。その声が誰のものかなんてすぐにわかったキティとアイズは声の方を振り向く。するといた。ミコ=R=フローレセンスが。ちゃんといたのだ。

 キティは溢れる感情を抑えきれずすぐさまミコに飛びつき抱きついた。何度やっても飽きずにミコの身体を堪能して一瞬でも抱いた不安への慰みとすると、すかさずミコに奇跡の件の感謝を告げる。それと同時に、改めて「どこ行っていたんですか」と訊いた。ミコもキティの身体を慈しむように抱きしめると、あっさりうっかり答えてくれた。

「奇跡要素は奇跡の場を作ったでしょ? でもね、なにも起こせる奇跡の数がひとつだけってわけじゃないのよ。あなたたちノイマン家の家族再生の場にわたしは不要だったからいなかったけどわたしはわたしで用意された別の奇跡の場に入っていたわけ。その奇跡が今終わったから、戻ったわけだけど……一足遅かったみたい」

 あれまとお茶目にとぼけてみせるミコ。その調子はいつものミコそのもので、キティもアイズも心底安心する。キティはミコの顔を見上げて目を合わせると、奇跡の中で起こったことをあのねそのねと報告する。時おりアイズにも喋らせたりなんかして、ユーモアと毒舌をちょっぴり添えたりなんかして。これも全部、ミコに教わったこと。

「そう……お母さんに会えたの。よかったわね。キティ、アイズ」

「はい」兄妹は声を揃えて頷いた。ミコはここで視線を空へと向けてぼそり呟く。

「お母さんもやるわね。わたしだってもういるわけじゃないのに、クェンティンさん排除ですか……斬新。理解できてしまうわたしはおかしいのかしら?」

「えっ……? 姉様はこの決着に反対なのですか?」

 キティが訊くと、ミコは人差し指で口元を突き上げ、「え〜とね」とか言いながら語り始めた。それは詞を選んでいるようで、いつものミコらしくないとキティは思ったものだ。

「わたしにとってみればね、人間なんて自分以外の人はみんな他人よ。これは辞書にも書かれていることだわ。他人は無条件に幸せや喜びを自分にくれるわけじゃない。それは家族でも例外じゃない。家族いえども他人だってね。でもね、自分と他人との間に切りたくないと思ったものがあるなら、それは確かな“絆”だし、ずっと一緒にいたいと思えるなら、それがきっと“家族”なんだと思ってたりしてたのよ。まあ、家族しくじった女の戯言ですけど。だからあなたたちの決意表明と昇天したお母さんの遺言はわたしにとっても新しい、やってみる価値アリの詞とも思う。おもしろそう。これだから旅はやめられない。でも二人と姉ごっこして色々教えたりしましたが、やっぱり10歳にも届かない子供二人で8年暮らしきれるかって……心配しちゃう。ごっこだけど姉だけに。もっと言えば他人だけに、ね」

「姉様……大丈夫ですよ。兄様とわたし、姉様に御教授いただいた教えをもって、8年生き延びてみせまさらあです。だから姉様、お願いですからお別れはどんなに早くても明日以降にしてくださいまし。今日の晩ご飯、わたしと兄様が作った料理で、姉様にお礼がしたいのです」

「そうだよ姉上。ボク達の作った料理、食べてくれるよね?」

 案外存外まともに兄妹のこれからを心配してくれるミコに「大丈夫」と答えるキティとアイズ。続けざまにミコを今日だけでもノイマン家に縛り付けようと晩餐御馳走の提案をする。自分たちで言うのもなんだが完璧である――だってミコに教わったやり方だし。人間である以上カチッとハマってくれるはず。そうキティもアイズも確信していた。

 なのになのによりにもよって。渾身本心の口説き文句囲い作戦は一刀両断に断られてしまった。他でもないミコの口から。それもとんでもない要因によって。

 ミコが再度キティの身体をギュッときつく抱きしめて、でも視線は遥か遠くを見てこう言ったのだ。

「ゴメンね。キティ……アイズ。わたしもう出立の時間だわ。だってほら、旅の息抜きに寄り道を勧める迎えがきちゃったんだもの」

「えっ、迎え?」「姉上、何を」

 断り文句と別れの詞に動揺する幼い兄妹。そこに続けて聞こえてきた父の声が、二人の耳を震わせる。

「ああ、あいつか」

 聞いたときにはもう二人とも顔を動かしていた。とりわけキティはミコとの抱擁を急ぎ引き剥がして振り向いた。そこに――いた。

 どこかのホテルマンみたいな黒ずくめのスーツと運転帽姿の、男が――。

「姉様、いったいあいつ誰なんです?」

「ほぼぽ。お嬢ちゃんにお坊ちゃん。初めまして。私めは学=エヴォリューションと申す者也。しかし真名など霞の中の街路灯。ここ俗世では送迎の神との通り名こそ私めを示す物也。さて、理解して戴けただろうか?」

「送迎の……神? ええええええっ!」

 アイズとクェンティンは腰を抜かした。キティも立っていられずミコにしなだれかかった。それくらいの衝撃、ショック。

 だって目の前にいるいかにも人間っぽい人が、あの神様だというのだから。

 しかしなぜ? 神様なんかがミコを迎えに現れたのだ?

 パニクった頭で考えても答えは全然出てこない。するとキティの頭上でミコが「あ〜またしくじったか〜」と一人ぼやく。そしてキティの頭を撫でながら、トドメの一言を大したことない風に、しれっと言い放ったのだ。

「ゴメンこれも言ってなかったわね。わたしは元気象一族のレインだったんだけど、実は神告宣下であった神様の問題を解いた女でもあるのよ。で、神様連中は問題を解いたわたしを追っかけて勝負を吹っ掛けて、こうして迎えにきたってとこ」

 ――?(理解するまで数秒かかりました)

「な……なんじゃそりゃあ!」

 怒髪天を突く、ならぬ驚愕天を割るとはこのことか――と思わせるメガホン級の大音量でキティたちノイマン家の三人は叫んだ。

 それはもう声ではなく、衝撃波だった。



「おい、まだ終わらないのか? 皆からの督促が酷いのだがな」

「そりゃ結構。待たせておけばいいじゃないの学。わたしは別に急いでないし。今だって、キティとアイズが譲歩してくれたおかげで今日中の出発を認めてもらえたんだから、文句言わないの。仮にも神様が」

「関係無い。高次の神様が俗世の一般庶民に配慮など無用也。其れとも何か? お前は我々神様に人間総ての願いを叶えろとでも云うのか?」

「まさか。やる気なんかさらさらないくせにそういうこと言ってくる奴等に期待を抱くほど清純でもないわよわたし。知ってるくせに」

「違い無い」

 花畑から離れ、ノイマン家屋敷の開いた門に背を預けながら会話しているミコと、彼女を迎えにきた送迎の神学=エヴォリューション。コスモタワーでの闘いの後、会話した際に神様達が言っていた設計図奪還を賭けた勝負とやらが完成し、神様達は御迎え役として送迎の神で通っている学を単身寄越した訳なのだが……そのタイミングがまあノイマン家再生計画完了の時と重なってしまったがためにキティが大暴れした。泣く、喚く、駄々こねるを始め、ミコに行って欲しくないと相当ワガママ言うわ終いには迎えに来た学を亡き者にしてミコをノイマン家に留め置こうなどという危険極まりないトチ狂った行動に出ようとするなど仮初め&ごっこ遊びの「姉」に対して相当な執着を見せたのだ。もちろん仮にも相手は神様。いくらこの一月鍛えたとはいえキティが勝てるわけがない。生存が危ぶまれるだけならまだしも下手に神様の機嫌を損ねて目を付けられでもしたら神罰まみれの苦難人生を送ることになりかねない。

 なのでミコは暴れるキティを羽交い締めにして押さえつけてなだめることに終始した。元々旅立つのは今日でも明日でもよかったので、それをキティに簡潔に、だけど火に油を注がないよう表現には注意して伝えた。この一月同じ屋敷で暮らし同じ部屋で寝ていた仲である。キティのツボをミコは見抜いていた。“母性”と“ちょっぴり官能的な甘いスキンシップ”、この二点をバッチリ抑えたミコの説得はまさに諌言ならぬ甘言。暴れていたキティを3〜5分で大人しくさせ、今日中の出発も認めさせたのだ。

 しかしキティもただでは引き下がらなかった。渡したいものがあるから準備してくると言ってアイズと屋敷の中に入り、ミコをこうして門外で待たせているわけである。クェンティンも屋敷に戻っているので、外にいるのはミコと学のみ。その気になれば約束なんて反古にしてすぐにでも学についていくこともできたけど……ミコはそれをしなかった。過去の例ではその気になったこともあったけど、キティ相手にそれをする気にはならなかった。ここであの子を裏切ったら、教育上よろしくないという保護者の直感が働いたのだ。ミコだって、伊達にお姉ちゃんごっこをやっていたわけじゃない。一月一緒に暮らしていれば、それくらいのことはわかる。

 だからミコは急かしたり文句を言ったりしてくる学を適当な詞であしらいつつ待っていた。そして待ち続けて随分経ち、もう夕方になろうかという頃(学が痺れを切らし始めた頃とも言う)、やっと門の奥でドアの開く音、こっちに向かってくる足音がした。

「来たわよ。学、お待たせ」

「有無……手早く終わらせろ。早くしないと待たせている皆が可哀相でな」

 学の毒舌にも動じず、ミコは門に寄りかかっていた身体を起こして翻り、門から出て来たキティとアイズを出迎える。そしたらビックリ心底意外、ミコはキティが抱えて来たお土産を見て驚いた。そして同時にキティの気持ちと粋な計らいに感服し、一瞬そっと視線を逸らした。そうでもしないと失明しそうだったから。キティが眩しすぎて。

「姉様! よかったあ〜。ちゃんと待っていてくれて。はい、焼きたてのパン。お礼も兼ねて贈ります。捨てないでくださいね」

「キティ、大丈夫だよ。姉上がキティの愛情料理を食べてくれないわけないじゃないか。それくらいボクでもわかる。そうですよね、姉上」

「そうね……ホントにもう、愛らしい真似をー」

 アイズの相槌に応じたミコはすぐさま影帽子のがま口チャックを開いて黒い腕、手を出現させ、手早く――それこそ「急がない」がスタンスのミコらしからぬ手際の良さでパンがいっぱいの編みかごまるごと奪うように受け取ってがま口チャックの中にしまう。続け様にミコは編みかごを渡して身ひとつになったキティに抱きつき、ぎゅ〜っときつく抱きしめた。それは、この一月「妹」でいてくれた女の子への、ミコなりの感謝と懺悔である。

 なんせここで別れたが最後、もう再会することはない――それは言わずに隠し続けた事実。宿命を背負った旅人であるミコには同じ場所に二度も立ち寄る余裕がないのだ。

 さすがにそこまで突っ込んだ話はこの一月でも一切しなかった。賢い妹ではあってもまだ幼くて基本甘えっ子なキティに「もう二度と会えないのよ」なんて告白したら旅立ちを妨害されかねない。だからずっと胸の内に秘めていた。でも後ろめたさはあるのでその分が懺悔として抱きつき具合に現れたのだ。

 だけど詞で伝えてないのでそんなこと露程も知らないキティは密着状態にただただ幸せそうな顔をするのだった。その純粋さが一層ミコにとっては辛い。

「姉様……あったかい」

「そう……」なにもかも言ってしまいたい気持ちを押し殺して、ミコはキティを抱き続ける。旅は出会いと別れの繰り返しだが、ここまで辛い別れは今までなかった。やっぱり一月留まって世話をしたのがマズかったのか。自問自答しても答えは出ない。だったら楽になることもきっとできないだろう。喋っても喋らなくても問題が変わるだけで問題そのものが消えるわけじゃないからだ。ならミコは黙って抱く方を選ぶ――女の覚悟である。

 そんな抱擁も後ろから蔑んだような視線を浴びせてくる学の所為で終わるかと思いきや、ミコはさらに思い切った行動に出た。物欲しそうに指を咥えているアイズに向かって手招き。その意図を素早く察したアイズが駆け寄ってくると、一旦キティの抱擁を解きつつも、すぐにアイズも加えて、兄妹二人を改めて優しくきつく抱きしめた。その行為に「弟」のアイズは滂沱の涙を流して感動&初めての(マトモな)スキンシップを堪能し、反対にさらに待たされる結果となった学をより苛立たせることになった。学はとうとう堪忍袋の緒が切れた模様で、いいムードをブチ壊す怒声を浴びせて来たのだった。

「いい加減にしろ! 神の都合を考慮しない不届者共! 神罰下すぞコラ!」

「はいはいわかったわよ……キティ、アイズ、名残惜しいけどこれでおしまい。同時に家族ごっこもお終いね。別れのときくらい、姉じゃない、わたしの名前で見送って」

 そう言ってミコはようやく二人を解放した。そのままあっさりと踵を返して、門の向こうで待っている学の方へと向かう。もう学は自身の神業“トンネル”の入口である地下階段を既に出現させていた。キレかかっている送迎の神の忍耐に応えるべく、ミコは無言でくぐった門を通り過ぎた。そのタイミングでキティとアイズがミコの背中に最後の詞をかけてきた。聞いて思わず足が止まる。

「姉……いやミコさん! いままで本当にありがとうございました。わたし、この恩はずっと忘れません」

「ボクも! ミコさんに会えてよかった。ミコさんとの全ての必然と偶然に感謝します。これからボク達、ミコさんの教えに恥じることなく、生きてみせます。だから、いつか……いや、いつでも遊びに来てくださいね!」

 背中に刺さり、後ろ髪を引っぱる詞。ミコは振り向くことはしなかった。ただ背中越しにこっちを見ている幼い兄妹に右手でバイバイと手を振り挨拶。

 そして、最後の詞――。

「花のように……素敵なレディ、素敵なジェントルマンになってね。わたしを思い出したら雨空か夜の星空を見上げてみて。きっと同じ空をわたしも見ているはずだから」

 バイバイ――そう締めくくってミコは消えた。学の用意した“トンネル”の地下入口に入って学が入口を閉じるに任せた。学もこの別れのやりとりに感じるところがあったようでミコを地下入口の階段で迎えるとあの兄妹が動くより先に閉めてくれた。その機敏な気遣いに、ミコは素直に御礼を言った。すると学、照れた顔を見られまいと、急いでトンネルの中を先行して歩き始めた。照れちゃってまあ――ミコは肩を竦めてフッと微笑むと、黙って学の後を歩いた。ただその胸の内には、とうとう言えなかったあの詞が何度も何度もリフレインしていた。

 さようなら――これっきりの別れを意味する詞が。



「行っちゃったわね、兄様」

「そうだね、キティ」

 消えたミコの姿、消えた道の入口を確認してキティとアイズ、幼い兄妹はそれを確認し合う。その言動の奥底には、ひょっとしたらこれは嘘じゃないか――という無垢な期待があったりしたのだが、やはり現実のようだ。

 ちょっと泣きそうな作った笑顔でいるキティの手をアイズが取り、ギュッと握る。

「これからは二人でがんばっていかなくちゃね。よろしく頼むよ、キティ」

 アイズが将来に関しての断りを入れてきた。キティはその詞を聞いて兄を見上げて、フッと悲しみを表情から消し、そのまま笑顔に変えて返事をする。

「こちらこそ。兄様……」

 交わした詞はそれだけ。だけど二人はなによりも誰よりもお互いを理解し合い、強い絆で結ばれている。その絆の前に余計な詞はいらない。強く手をつないでいる光景こそ、その証左。

「本当に俺の出る幕出しゃばる幕は無さそうだなミコさんよ……おいキティ、アイズ。じゃあ父さんはトランスフェイクの町にあるノイマン邸に移ることにするけど、いいな?」

「もちろん」「早く行ってください父上。あ、買い物リストの品はちゃんと買って送ってください」

 後ろからキティとアイズの焼いたパンの残りを食べ歩きながら出てきたクェンティンのかけた声にも二人はテキパキ対応する。しかしそこに見えた態度はミコに見せたものとは明確に異なっていた。クェンティンもそれを察したようで、「はいはい」と自らお邪魔虫を演じるようにそそくさと3台ある車のひとつにカバンを突っ込んでエンジンを噴かし、颯爽と車を飛ばしてトランスフェイクへと消えていった。自分たちの願い通り。死んだ母の残した詞通り。

 その光景を見届けたキティとアイズは視線を花畑の方に向ける。母を死なせた花畑から、ミコの教えのもと奇跡を起こすまでになった小さな花畑を。

 じっと眺めて、やがてキティは呟いた。

「また、あしたね。姉様に護られたお花さんたち」

 花たちにはとても聞こえないような小さな声を風にのせて届けたキティ。そのままつないでいた手を一旦放し、アイズ共々身を翻してから反対の手でまた手をつなぐ。

「帰ろっか。ボク達の家に」

「そうね兄様。今夜は失敗したパンのフルコースでしてよ」

「あはは、そうだったねー。でも、姉上の味だ」

「うん」

 そんな会話を続けながら、奇跡の花々に背を向けて、キティ=ノイマンとアイザック=ノイマン。幼くも強くなった兄妹は家の中へと消えていった――。



 俗世から一寸離れた何処かに在る、神様達の俗世本拠地。

 学からの通信を受けて、神様達は俄に騒ぎ出し、各々ちょろまかと動き出す。

 こっちから売った勝負とは言え、なんせ相手は自分達から設計図を奪いに奪ったミコ=R=フローレセンス。敵意を抱く者は備え、好意を抱く者は歓迎の準備。

 どっちでも無い者は、お茶ついてる。魚、哉、祝のトリオとか迷と絵の御両所とかが正に此れ。一階大ホールにてソファに座り、お茶を啜りながら静かに待つ。本当に落ち着いている。

 そして其の前には、更に別の意図を持って待っている神様の一団がいた。

 寒村の神、㬢(あさひ)=ミルキィウェイ。

 最高の神、戦(イクサ)=サイズ。

 音楽の神、天(あまつ)=キャリオキ。

 遊戯の神、翠(みどり)=ミュージック。

 更に既出。粋の神、希=ニックネームを加えたプレイヤー班。散々待たされてはいたが熟睡して待っていたと云う図太い神経の塊みたいな連中。勝負方法として零から作り上げたカードゲーム“ファニータイム”。其のデザインが決まったので叩き起こされてから略半月間、不眠不休でゲームの検証と最強デッキの構築に取り組んだ別の印象も与える連中。

 寝ていたのは元からプレイヤー班に決まっていた㬢、戦、天、翠の4名だが、天、翠と仲が良く、そして外出組ながら其処でもミコに屈辱を味わわされ、猛烈に復讐心を強くした希が、デザイン決定の旨と決定版の御届け、更には寝ていたプレイヤー班の叩き起こしまで率先して動き、自分もプレイヤー班に加えるよう命令。事情を聞いた4名は寸也了承し5名体制に改組して半月間頑張っていた訳で在る。5名に共通して云える特徴は「ミコへの勝負に関するプロ意識」。勝利することが前提で最低条件且つ絶対条件である勝負を託された者達である。其の重圧を受け入れて検証作業の過程で見出し会得した5名だけのプロ意識。其れこそが勝利の必要条件である事、最初から知っていたから。

 尤もミコとの勝負の前線に立つのは代表たる翠だけ。プロ意識を共有していると言ってもやはり個々の差は存在する。引っ込み思案で闘いとなれば逃亡が主義の㬢なんてその最たる者で、プロ意識以上に本質は弱気で内気、事なかれ主義の流され派女神。でも裏を返せばその場の空気に染まりやすい素直さ持ちでもあるのでこうしてプロ意識を持っている訳だ。場違いなのは解っているが、これが厭らしい此処俗世での最後の闘いよと願って覚悟を決めた㬢である。戦も、天も、そして希も、ミコに関わって尽く鬱屈した思いを抱えている。その想いの受け皿になったのが、遊戯の神の通り名を誇る翠。通り名からしても最初から適任だった実力派女神。既に準備は万端である。

(早く……早く早くおいで。ミューが……ミューがミューがこのミューが! ミューこと翠=ミュージックが、貴女を負かすわ――)

 ミコ=R=フローレセンス――翠が心の独白でそう繋げようとした矢先、学ともうひとつ、当人の気配がした。周りの神様仲間達も感じ取ったようで、ざわめきながらも迎えの構え。お茶を啜っている魚達でさえ湯呑みを降ろすことはなかったが目付きが変わり、背筋も伸びている。

「来たみたいね」魚の発した詞。応じて良いのは此れから対峙する翠のみ。

「そうみたいね。嗚呼……嗚呼、嗚呼嗚呼嗚呼! 待ち焦がれた出番だわ!」

 翠が然う叫んだ瞬間、扉が開いた。

 見えた姿は気配通り、学とミコ=R=フローレセンス。

 ミコは扉が開いた途端、送迎役の学より先に足を踏み入れ、大胆不敵堂々と、こっちに向かって歩を進めてくる。

 その光景にどよめく他の神様仲間達。然し既にミコから視線を向けられている翠達プレイヤー班と背後で座っている魚達は動じない。此の殺伐と化した雰囲気の中、不敵に笑う余裕さえあった。

 ミコが歩みを止めた。同時に学が扉を閉める。ミコの目が漠然から一転して一点、翠に照準を合わせてきた。其の瞬間、翠の胸が高鳴った。

「上等じゃない。ふふ……ふふふふふのふ。久しぶりね泥棒ミコさん。今回の勝負はカードゲーム。相手はこのミュー、翠=ミュージックよ!」

「あら……そうだったの翠様。嬉しいわ。闘いがいがありそうね」

 神様と其の神様の問題を解いた女、三度目の対決が始まる――。

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