第6話 子供達の邂逅――クロスウェザー事件

 はじまり

 

 その世界には、神様がいた。

 

 神様は人間に問題を与えた。

 

「私達の大切なものを盗めたら、新たな神様にしてあげましょう」と。

 

 人として知らぬ者のいないその問題に、多くの人間が挑んでいった。

 

 だが、今まで誰一人、神様の場所に辿り着くことすらできなかった。

 

 やがて人々が諦め、問題を知っていても無視するようになった時代。

 

 一人の女の子が問題を解いてしまった。

 

 しかも、神が一人死んでしまった。

 

 人々も、神様も揺れた。割れた。驚いた。

 

 なぜか――その女の子が事実を一切明かさずに姿をくらませたから。

 

 人々も、神様も、世界中が探し始めた。その女の子を。

 

 すべてを知ってる女の子を、それぞれの目的のために。

 

 これは、それを知りつつ旅をする一人の女の子の物語。

 

 

 同じ端末と言っても、僕達封印型は契約型とは全然違う。

 適性という名の許容量でもって、起こるはずだった自然現象を全てその身に封じ込める。

 そんな僕達の精神が、自然現象の意思と共存できるはずもなかった。

 封印型端末の歪な由来――人間にとって都合の悪い天災を人間のエゴで封じ込める。そんな起源の僕達封印型端末の精神は、現象の意思と永劫の闘争状態にある。現象の意思に認められ、理解し合って力を振るう契約型端末とはえらい違いだ。致命的とも言える。

 ゆえに、封印型端末はどんなに健全な精神を持っていてもやがては卑屈になり、被害妄想を抱き、どうしようもない宿命と自分への絶望から廃人になる。そして耐えられなくなったとき、死んで次の代に引き継がせる。これが封印型端末の「寿命」だと、そう教えられてきた。そして僕とウェイブも、実際になるまではそれを受け入れていた。つもりだった……。

 だが。

 実際にクエイクとウェイブの名を継いだ僕等は想像以上に重いその「役目」に苦悶した。ヒストリークラスの災厄を、この惑星で歴史上起こるべきだった地震と津波をその身に封じた僕達の身体が悲鳴を上げるのに、そう時間はかからなかった。なまじ力加減が下手なので、ガス抜きをすることもできず、溜まっていく一方の力を解放したい衝動に駆られた。

 しかし、そんな矢先、一族屈指の実力者だったレインが神様の問題を解いたのだ。人間・生命世界の歴史において紛れもなく偉業として記されるはずのその快挙は僕達にも一抹の希望を与えてくれた。神様の座を褒賞とするほどの問題、それを解決し、新たな神様となるレインなら、僕等の苦しい運命も変えてくれるのではないか――そう期待したのだ。

 ……が、そんな期待も木っ端微塵に打ち砕かれた。レインはこの世界に帰還した途端、一族を抜けたのだ。なにも語らず。なにも残さず。

 当然追った。どこまでも追った。もう僕達封印型端末が救われる可能性は、神秘にしかなかったから。でもレインは逃げるのがうまく、いつも後七歩で逃げられた。

 そんな折、気象一族仲間のスノウがレインに追いついたとの知らせがあった。そしてそれを裏付けるようにレイン本人からのメールも来た。決して届かないわけじゃない。少し希望が持てた。なのに今の一族を牛耳るシャインとクラウドは老人連中をも説き伏せて追跡を取り止めさせた。希望の芽が摘み取られ、絶望の暗雲が心を覆う。

 そんなとき、夢を見た。たかが夢とは思えぬ夢を。

 神々しい方が仰ったのだ。「レインはガデニアに行く。消えぬうちに会いたければ花一族、自然学派と組むのだな」と。

 たかが夢。されど夢。予知夢という詞もあるこの俗世、切羽詰まった僕は賭けに出た。

 同じく禁断症状に苦しむウェイブを連れて、一路ガデニアに向かったのだ。その途中、偶然に自然学派の山野辺、河野と出会った。不確かな夢を、情報として信じたくなった。

 相手は自然学派きっての過激派、会えば一触即発だが僕は必死に説き伏せた。元々神様の問題を解いたのがレインとも知らない連中、僕の夢はさておき、本当の情報は彼等にとって有益だったのが幸いだった。二人は実力行使で奪おうという僕達の提案に乗っかったのだ。

 四人に増えた面子でガデニアに到着。花の都は祭の真っ最中。元より抑止力としてしか使われなかった僕とウェイブ、つまるところ戦場投入はされていない僕達。花一族とのパイプなどあるはずもない僕達。どう利用するか悩んだし困ったのだが、ちょうど外勤から帰ってきた三人の女と遭遇した。名をシクラメン、アキレギア、スオウバナといった。

 彼女達を花一族と見破ったのは山野辺と河野だった。曰く、花っぽい匂いがするとのこと。実際嗅いでみると、確かに一般人にはない匂いがした。話しかけると外回りの営業ウーマンとのことでよく喋る。その中で彼女達はあの夢を予知夢と確信させてする情報をくれた。レインがここガデニアに来ているという情報を。頭は興奮し、普段とは違う思考をする。

 そこからは僕の独壇場。夢を夢とは言わずに分け前をやると餌で釣って三人を協力者・内通者に仕立て上げた。作戦も閃いた、こちらから取りに行くのではなく、レインの方からやってくるよう仕向ける策を。

 深夜、雨の降りしきる中僕達七人は花一族の本拠地、栄華会館の最深部、大宝庭に侵入した。一度口車に乗せた人間というのはよく働いてくれるもので、手を組んだ花一族の外勤族、シクラメン、アキレギア、スオウバナの三人は怪しまれないように分担して必要な情報を集めていたらしい。その成果もあって花一族の宝、リバムークを盗むのに難関は存在しなかった。正直拍子抜けしたほどだ。

 脱出も簡単、いとも容易く抜け出した僕等はそのままホテルに直行。今後の予定、レインから奪った設計図の割り振りなどを話し合ったのち熟睡した。こんなにすぐ寝れたのもよく寝れたのも久しぶりだった。きっと好転の兆しだろう――根拠はないが、そう思った。

 翌日、闘いになる可能性を潰すべく、猛る自然学派の二人を渋らせつつも保護特区の自然公園に陣取る。自然学派の提唱だ。休憩所の屋根に露が滴り、昨日の雨を物語る。

 そこに届くシクラメン達へのメール。非常事態・現状待機の指示。どうやら花一族の面々に僕達が起こした行動の結果が知られたようだ。上々。そうでなくてはこっちが困る。

 タイミングを見計らい、シクラメンを代表に電話をかけさせた。胸が高鳴る。

 是々非々とした問答、やがてシクラメンの口から「全部」という単語が出てきた。直感した、電話の向こうで話しているのはレインだと。その途端、僕とウェイブは原因不明突然の痛みを感じた。現象意思の足掻きかとも思ったが、程なくして痛みは引いた。丁度電話が切れたとき――何かの暗示だったのだろうか?

 だがそれも些細な問題。電話をかけたシクラメンが交渉成立の成果を告げる。この瞬間、喜びが沸き上がってきた。遂に救われるときが来た。僕達の苦しみも、歴代のクエイクとウェイブの無念も晴らされる――そう思っていた……なのに。

 湖面から水門連絡で現れたのはレインだけじゃなかった。データと口伝てで存在だけ知っていた花一族対外戦闘部隊の隊長ツバキと、それが率いると思しき連中が多数。

 なんで……ですか。

 そう言いたかった。いや、問い詰めたかった。なぜ僕達の思いを――苦しみを理解してくれないのかと。

 だから僕は、前に出た……。

 

 

「どういう……ことですか。レイン先輩」

 ミコと対峙した七人の中で、ただ一人進み出た男――クエイクがそう言った。萌枝がミコの黒い腕に捕まっている事情もあり、ミコのすぐ隣にいたサクラはミコとほぼ変わらない視線(高さだけはどうにもならないが)でクエイクの困惑している姿を見て取れた。

 驚いている、少なからず当惑している、そして自覚はないようでも怒っている――サクラはクエイクの様子を観察してそう分析した。そこに共感もできた。ミコはシクラメンとの電話の中で、会いに行くといった。それを交渉成立と受け止めるのは決して自分勝手ではない。しかし他ならないサクラの主張でこっちの方針は交渉無視の実力行使、強硬手段での奪還で一貫している。その姿勢を目の当たりにしたのであの反応なのだろう。

(さて……ミコさんはどう出るか)

 サクラは「隊長」たるミコの応対に期待を寄せる。予想とか推測とか、無粋な真似はしない。そもそもミコの言動が計算できるほど、サクラはIQ高くない。なので期待するだけに留めとく。分相応、これ大事。

 ミコはしばらく間をおいていた。その沈黙が緊張を生み、場の空気を重くする。なるほど、こうやって場をコントロールするのかと、サクラは大変勉強になった。

 やがてそれも十分と見て取ったのか、ミコは両手を持ち上げ、自分達同行者達を紹介するような素振りを見せてから、余裕の笑みを浮かべた顔と、とぼけた声でしれっと答えた。

「見てわからない? 闘いに来たのよ、わたしたち。厳選すれど大挙してね。そっちが七人なのに、こっちが一人ってわけにはいかないわ。大体7対1なんて、卑怯だと思わないの?」

「そんな……闘いに来た? 交渉は? レイン先輩、取引に応じたんじゃないんですか!」

 クエイクが荒ぶる気持ちを吐き出すように怒鳴った。キテるわあ――サクラはここに来る前ミコが呟いた詞の意味を理解した。これが封印型端末とやらの禁断症状なのかと。そりゃ神秘にすがりたくもなるわけだ、サクラはクエイクとウェイブの動機を理解し、そして同情した。が、それとこれは話が別だ。

 ちょうどミコが答えるように、こちらの趣旨を語りはじめた。全く、すこぶるこの人は時間の使い方がうまいと感心させられる。特に最初に飛び出したフレーズは圧巻だった。

「昨日の自分は今日の他人よ。つまるところ過去の情報、記憶、約定なんてものは今現在の自分を縛ることはあっても新たな可能性は示さない。そんなんじゃ大きなことは成し遂げられないわよ。そもそもここのサクラちゃんが電話を終えた後、わたしたちに啖呵を切ったの。こんなの取引でもなんでもない、筋の通っていない不条理だって。嬉しかったわあ……みんな感動してね、実力行使の奪還作戦に一気に傾いたわけ。で、さっきも言ったけどこうなったの。理解した?」

 ミコの痛快な答弁が終わるとクエイクとウェイブは苦みに顔を引きつらせたような歪な表情を見せた。雨の中捨てられた子犬のようなその眼差しは、紛うことなき救いを求めているのだろう。どこまでも揺さぶってくる二人である。それとこれとは話が別だというのに……実に未練がましい。

 しかし、そんな未練も唐突に終わる。否、終わらざるを得なかった。鳴り響いたのは一発の銃声。周囲の木々がざわめき、小鳥達が空に飛び出す。気付けばミコの影帽子から新たにもうひとつ、黒い手が飛び出ていた。その手は拳を作り、なにかをきつく握っている。

「やってくれるわね、イヴァン。突然無言の宣戦布告。物わかりがよくて助かるわ」

 そう言ってニヤリと笑うミコの眼前で、黒い拳が一層体積を凝縮させてからふっとしたはずみで力を抜き、その手に握っていたものをパラパラ零す。それは……粉々に砕かれ塵芥と化した、弾丸だった。焦げた匂いでよくわかる。それに、自然学派の男――イヴァンが銃をミコに向けていた。それで確信できたのだ。

 イヴァンはトリガーガードの中を使ってクルクルクルと銃を華麗に回転させたが、別にホルスターに格好よくしまうとかいう展開はなかった。ただ単に銃を回して、再度グリップを握り直す。そして隣のミヒャエル同様、ミコに不敵な、実に好戦的挑戦的な微笑みを向けて語りだす。

「ッハハハハハ。やっぱこうでなくっちゃ面白くねえよなあ、レインよう。仮にもアンタは気象一族の最高戦力と呼ばれた女だ。闘わずに奪うだなんてそんな濡れ手で粟みてえなこと、面白みに欠けるんだよ……」

「ああ、イヴァンの言う通りだ。取引というものはリスクを怖れてハラハラしながらやるものだ。もしお前がこの花売り子達や地震津波の望むまま簡単に神の設計図とやらをオレ達に渡していたら、どう暴れたらいいかわかんなくなっちゃうからな」

 もはや「闘うこと」を大前提として語る自然学派のイヴァンとミヒャエル。それに食って掛かったのは戦闘を想定していなかったクエイクとウェイブ、そして花売り子と呼ばれたシクラメン達であった。

「ちょっと、イヴァン! ミヒャエル! どういうことだ、貴方達。取引が成立しようとも闘うつもりだったのか?」

「聞いてないです。そんなの作戦会議には出ていませんです。異議申し立てをさせていただきます……って、きゃあ!」

 シクラメン達花売り子達の異議申し立ては却下された。いや、遮られたというべきだろう。ミヒャエルが空中高く飛び上がり、シクラメン、アキレギア、スオウバナ、そしてクエイクとウェイブの五人になにやら投げつけたのだ。途端、五人の挙動がおかしくなる。

「見えた?」ミコが自軍のメンバーに今のなにかわかったと確認を取ってきた。サクラと萌枝は透明な針のようなもの、コスモスとスイートピーは光ケーブルと答えたが、ここでミコは解答解説をツバキとデルタフラワーズからなる対外戦闘部隊に振った。彼等は自然学派、ミヒャエル=河野との対戦経験もあったのだという。

「ありゃミヒャエルの悪趣味な工芸品のひとつ、他人をロボット・ラジコンのように操るためのアンテナだ。あれをやられたら肉体は本人の意思よりもミヒャエルの命令を優先して動いちまう」

「久方ぶりに見ましたねツバキ元隊長。私達も大変苦労させられました。望まぬ同士討ちを強いられるのですから」

「そうじゃったな。しかも体内に埋め込むタイプのくせに受信感度が抜群というタチの悪さ。命令電波の遮断も不可能なんじゃ」

「そんな……防ぐ手だてはないの?」

 サクラの問いに、ここまで喋っていなかった最後の一人、サザンカが無情に首を振る。

「有機電波という奴であってな、カタチとしては有機質。がその実侵入の際には電波化するのであらゆる物質を透過するのでござるよ。そして肉体に侵入した直後、有機質化して神経系と全身の血管をそのアンテナ質で覆いつくすことで身体そのものをアンテナとしてしまうのでござる。まっこと、厄介で候」

「ああ、ただ解決策がないわけでもない」サザンカから引き継いだツバキがここで可能性を示唆し、ミコに話を振る。するとミコは深呼吸し、気合いを込めて解放した。

 光が震える。大気が戦く。ミコを中心に謎の発光が起こったのだ。眩い閃光に目が眩む。

 その眩しさは、瞼を閉じてもなお皮膚を通り抜けて網膜を刺激するほどだ。

 やがてようやく刺激が収まり、光の光度が落ち着くと、サクラは目を開ける。開けて……驚いた。

 目の前に自分の影が「よお」と(は言ってないが)手を上げて立っていたのである。サクラだけじゃない、萌枝も、ツバキも、コスモスにスイートピー、デルタフラワーズ、そして敵である七人の影もが全て実体化して足を地に着け頭を天に向けていたのだ!

「これは……まさか。こうすんの、お前?」

 ツバキの事後確認をミコは不敵に笑い、ええそうよと肯定した。

「向こうもこちらも実力行使。ならしかるべき手段をとるべきでしょう。戦争は数よ、使える者は利用する。そう、影でさえも!」

 ミコは両腕を広げ、大々的に叫ぶ。

「わたしは影の秘術を使いしミコ=R=フローレセンス。レインとして雨を呼び、雨を使い、雨を知る。それと同じように影を作り、影を立たせ、影を使う! 影の秘術をカゲナシとして極めしわたしの大技。他人の影を影法師として顕現させ味方とするわたしの空間。影法師躍動空間・天雨乃原!」

「あ、あまのはら……」

 サクラはその名を呟きつつ、目の前の光景に圧倒される。自分達の影法師、そして敵七人の影法師、計15体の影法師が味方として参戦するという状況の激変ぶりを未だ受け止めきれずにいたのだ。無理もないことだとわかってもらいたいくらいである。

 とは言え、時間が経てば慣れるもの。というより、ミコが打ち出した次の一手を目の当たりにして、馴染まざるを得なかった。ミコはイヴァンの銃弾を受け止めてから手持ち無沙汰のフリー状態となっていた二本目の黒い手、その五指からそれぞれ五本、黒い矢のようなものが射出されたのである。時速、秒速、音速、光速……否、速という字はミコの行動を形容するには役者不足。瞬息の間にその矢はイヴァンとミヒャエルの自然学派バトルマニアコンビを除く五人の身体に的中、もとい貫通し、矢はそのまま各自の影法師へと当たり取り込まれたのである。するとビックリ奇なりな現実、なんと影法師からシクラメン達の声が発せられたのだ!

「痛た……もう、闘いなんて望んでないです。って、あれ?」

「なんやのん、この身体?」「真っ黒だ!」

 シクラメンの丁寧口調。アキレギアの雅な口使い、そして少年っぽい喋りのスオウバナ。三人の声は、紛うことなき実体化して起立していた口もない真っ黒な影法師から発せられていた。意識が転送された――ということなのだろうか?

 サクラがミコに視線を投げ掛けると、ミコはそれを感じ取ったようで、サクラに振り向きそうよと答える。

「影の秘術、心移しの矢よ。貫通したものの心を矢にのせてそのまま各自の影法師に移したの。どうせ身体はミヒャエルに操られちゃうからね。それならこのほうが戸惑うこともなく、わたしたちの味方になれるでしょ?」

「なっとく〜」サクラと萌枝、それにコスモスとスイートピーが一斉に感嘆の声を上げる。ミコの鮮やかな手腕に心底感心したからだ。これでシクラメン達は影法師の身体を使い、こっちの味方になれるってことだ。

(……うん?)

 と、ここまで考えたサクラはひとつの疑問にブチ当たった。解決しないとムカムカするので遠慮せずミコに訊いてみる。

「ミコさん、クエイクとウェイブも味方にするんですか? あの二人、闘いを好むかどうかはともかく、今回の事件には主犯格で関わっているんじゃ……」

「いい質問ねサクラちゃん。お答えしましょうその疑問。わたしもね、神様の設計図を渡すつもりなんざ毛頭ないわ。でもね、別に苦しんでるあいつらを助けてあげないとも言ってないのよ」

「というと?」首を傾げたサクラの疑問に、ミコは不敵に笑い答える。

「ミヒャエルは所詮自然学派だから封印型端末の脅威を知らない。クエイクとウェイブの抱えている重荷もね。それはあいつの趣味ごときでコントロールできるものじゃないわ。そうでしょう? “クエイク”、“ウェイブ”!」

「レイン先輩……」「お、お姉ちゃん……」

 影法師に意識を転送されたクエイクとウェイブがミコの声に応えるが、ミコは「違う! あんたたちじゃない方!」と珍しく怒鳴り散らした。足踏みまでして。珍しい。しかも妙に愛らしい。

 そしたら感じる不穏な気配。身体を震わす不気味な気配。平穏とは真逆の、まさに不穏そのものの気配。目を逸らしたくなる衝動を必死に振り払い、サクラが意を決して見た先には――。

 クエイクとウェイブの身体があった。影法師じゃない、ミヒャエルに有機電波を挿された本体の方。

 だがその身体が発する気迫は、今までのクエイクとウェイブとは似ても似つかぬ異様なものだった。純粋な力――それゆえに災いの予感と畏怖を感じさせる。ミヒャエルが操ってこうなっているのか?――そう勘ぐるサクラだが、すぐにそれも違うと判明。なぜなら当のミヒャエル本人が二人の挙動にうろたえているから。

「な、なんだコレ? オレの制御を受け付けない、だと……?」

 至近距離で冷や汗を流しているミヒャエルの証言はミコの正しさを物語る。ミコは全く臆することなく、クエイク、ウェイブの本体を指差し、こともあろうに丁寧な挨拶をした。

「はじめまして。自然現象の意思、“クエイク”に“ウェイブ”。お初にお目にかかります。知っているとは思うけど、自己紹介させていただくわ。わたしはミコ=R=フローレセンス。元気象一族のレインであり、今も“レイン”と契約している、神様の問題を解いた、旅人よ」

「御丁寧な挨拶痛み入る。が君の言う通り、自己紹介は不要だ。我々はずっとこの器を通して、君という存在を見ていたのだから」

「同じく。礼儀には礼儀を以て代えさせてもらおう。ただし長続きは期待するなよ? 我々は暴れたくてしかたないのさ。ではこちらの自己紹介を」

 クエイクとウェイブの身体をつかう“そいつら”はその身体、その衣装を正し礼儀正しい仕草をもってミコの挨拶に応じ、そしてミコ達に自己紹介した。

「自然現象の意思一部、地震を司る“クエイク”だ」

「同じく。自然現象の意思一部、津波を司る“ウェイブ”」

 名前こそ身体の持ち主と一字一句も違わない……が自然現象の意思と自己紹介したそいつらを前に、サクラは息を呑み込んだ。

 息が詰まる。時を永く感じる。迫力が静寂を呼び、出会いは静かな応酬だった。

 だけどそんなのノノンノン。この出会いの本質は闘い。この挨拶はただの前座に過ぎないのだ。それを証明したのは、やはりミコ。

 しかも不言実行という潔さ。いきなりがま口チャックから一本の剣を黒い腕に握らせた状態で取り出すと、先程黒い矢を撃ってからまた遊ばせていた黒い手に柄を握らせ、抜刀。すかさずその手はぐいんと伸びて、七人の盗人の「身体」をたたっ斬ろうと横一文字に一閃したのだ。だが「身体」を持つ連中は全員空中に飛び逃げた。

「来たぞ! 開戦だ!」

 一部始終を見ていたツバキが間髪容れずに宣言すると、みんな一様に身構える。デルタフラワーズも、コスモス、スイートピー、萌枝とサクラ。そしてそれらの影法師に意思を影法師に移されたシクラメン、アキレギア、スオウバナ、クエイクとウェイブ。闘いを躊躇っていた「本心体」とでも(勝手に名付けた)いうべき本人意思をもった影法師達。さらにガチで本体も敵であるはずのイヴァンとミヒャエルの影法師も。

 総勢23体の戦力が、「味方」としてミコの力になるべく、自然学派と操られた花売り子達、そして現象意思に身体を乗っ取られた気象一族、計七人を闘う相手として認識し、闘う決意を固めたのだ。萌枝だけは未だにミコの黒い腕に抱えられた状態だったが。

 なるほどこうして味方を作るのかと、サクラは心底感心していた。一連のやりとりの中で、色々有耶無耶煙に巻いて、敵であったはずのシクラメン達とクエイク、ウェイブを自軍に引き込んだその手腕に、滅茶苦茶惚れ惚れしてしまったのだ。

 ……が、今は感傷に浸る間ではない。サクラは気持ちを切り替え、戦闘仕様の思考に入る。枝骸装甲を纏って戦闘体勢を整える。何時如何なる時にでも闘えるように。

 すると、ミコが自分自身の指でパチンと音を鳴らした。そしたらなんと湖の水がサクラ達「ミコの味方・影法師じゃない方」の身体を覆い、枝骸装甲とはまた別の武装となったのだ。特に萌枝のものは水による装甲が枝骸装甲の分も兼ねた一際丈夫な造りになっていた。それと同時に、ミコは黒い腕による萌絵の拘束を解き解放した。その装甲の効能だろう、萌枝は難なく湖面に着地し、起立することができたのだ。

「おお、萌枝ちゃんも立った!」「わたしが立った!」

 一抹の感動に身を焦がした後、萌枝もサクラもやはりまた戦闘体勢を取り直す。

 それを確認したようで、ミコが一歩進み出し隊長として指示を飛ばす。

「急いでないけど時間もない。一気に制圧するわよ。“クエイク”と“ウェイブ”はわたしが相手するわ。元とはいえ、目には目を、気象一族には気象一族だもの。みんなは自然学派のバトルバカ共とあいつらの操っている本体たちの相手をお願い。影法師たちは基本地面に足をつけてないといけないけど、影だけに身長を伸ばせるしこの天雨乃原を展開している間はわたしの影帽子にしまっている黒い武装を貸し出せるわ。とりあえず、対空装備ね。あとあなたたち本体には雨装活化で装甲を作っておいたから、好きに使って。残りの指示はツバキに任せる」

「了解だぜ。いいかお前ら! コレは基本空中戦だ。影法師達は対空装備で地上の死角から狙い撃ちオンリー。俺達本体連中は空中戦担当と基本ミコの奴の雨装活化を活かせる水上待機に分割。俺とデルタフラワーズが空中突撃、残りが水上待機だ。いいな!」

「おおーっ!」サクラ達隊員達の掛け声が湖面にこだまする。不満がないと言えば嘘になるが、前線任務は自分達には危険だし早いともわかっていたので、サクラ達はその命令を受け入れた。

 一歩前にいるミコの横に、ツバキとデルタフラワーズの三人が並ぶ。このとき初めてミコは顔を背後のサクラ達に振り向け、あの柔らかい微笑みをもう一度見せてくれた。

「それじゃあ、行ってくるよ」

 そう告げるミコにサクラは世話役のお節介からか、こんなことを言っちゃっていた。

「気をつけてくださいね。死んじゃダメです」

 立場逆転とも勘違いしそうなサクラからミコへの心配。ミコは一瞬虚を衝かれた、吸い込まれそうな瞳をしてから、やがてその目に光を戻して、自信ありげにこう言ったのだ。

「ありがと、サクラちゃん。ま、あいつら二人はヒストリークラスの災厄だけどね。でもその実態はヒストリークラス・ユニオンスケール。対するわたしはデイリークラス・プラネットスケール。惑星レベルで展開される日常の脅威を、思い知らせてやるわ」

 スケールという謎の単語を付け加えたミコは膝を折曲げてから湖面を跳躍した。さほど高さは大したことない。しかし最高点に達したとき、影帽子のがま口チャックから飛び出た一対の黒い羽根がミコの身体をさらに上へと飛び上がらせた。横道に逸れること一切なく、ミコは自分がやると言った“クエイク”と“ウェイブ”に向かって急接近する。それを見ていた相手陣営、撃ち落とそうとミヒャエルがシクラメン達三人の身体を操り、種子島でもって撃墜を謀っていた。そのときサクラは直感した。今こそ自分達の出番だと。

 目には目を。歯には歯を。そして射撃には射撃だと。

「みなさん、援護射撃です!」

 そうサクラが叫ぶと、間髪容れず萌枝が「わかった!」と答え、居残り委員のコスモスとスイートピーも「サクラは偉いね」と褒めてくれた。そしてその意思に呼応するように本体たちには雨装活化が変形した雨水製の大口径砲、そして理解が遅れて後からついてきた形のシクラメンにクエイク達影法師には黒いガトリング砲が備わった。まさに援護にうってつけの装備。

 そうこうしている間に空の相手がミコ目掛けて種子島を撃とうとしている。そんなとき居残り委員の二人が「サクラ、号令かけていいよ」と言ったので、間を置かずにサクラは叫んだ。

「撃てーえ!」

 奇しくも相手の種子島と同時の射撃。相手を制止することは敵わなかった。しかしサクラ達の水製砲が発射したのはなんとレーザー。光の速さで進む光線はあっという間にミコを追い越し、ミコを撃墜しようと放たれた種子島の弾幕にヒット。全ての弾を蒸発、消滅させた。

 驚く連中に向かって影法師達の第二射撃が発射される。こっちはまともで黒い弾丸の連射だった。毎秒20発を優に超える弾幕が、影法師達15体から連射される。しかもガトリング砲は両肩にひとつずつ――即ち一人につきふたつなので、数の暴力と言わんばかりだ。

 その弾幕が自然学派のイヴァンとミヒャエル、さらにミヒャエルに操られたシクラメン達計五人、ミコが相手にしないよと宣言した連中に向かって放たれる。バラバラの位置に点在している影法師達の一斉射撃だったが、狙いは明確。自然学派&花売り子達と“クエイク”、“ウェイブ”ペアとの分断である。目論見は見事成功、弾幕を裁ききれないと悟った自然学派達五人は“クエイク”と“ウェイブ”から遠ざかるように攻撃を避ける。そこに割って入るようにミコが“クエイク”、“ウェイブ”の前へと到着する。ミコは“クエイク”と“ウェイブ”の方にしか向いていなかったので、必然的に隔離した自然学派やその操り花娘達五人の敵には背中を見せる形となったが、味方がいれば助けもある。ミコに遅れて馳せ参じたツバキと彼に率いられたデルタフラワーズの三人がミコの背中を守るように、ミコと背中を預け合うように敵五人の方に相対した。ミコのコンパクトな黒い羽根に対し、ツバキ達花一族は枝骸装甲による蔦と葉でできた巨大な羽根。コントラストが際立っており、ツバキ達の方がなんかやたら目立つのだ。ミコの姿はちっぽけで、すぐにでも見失いそうになりそうな注意喚起を自覚させる。と同時にミコの方は見る必要すらないのかもしれないともサクラは思った。その方が自分のことに集中できるし、ミコの実力に対する信頼になるとも思えたのだ。それも見越してのことだとしたら、ミコ=R=フローレセンス、とても計算高い女だ。

 ともあれ、ミコの狙った通り敵の戦力は二分化され、戦線もふたつに別れた。

 分割された戦局、挟まれたミコとツバキ達。だがツバキ達はお得意の葉切剣や種衛銃を作り出してすぐに闘いに討って出た。対するミコは、浮遊している位置はそのままに、影帽子からさらに多くの黒い腕と足、そして備え付けの武装を取り出して、一斉に“クエイク”と“ウェイブ”目掛けて襲いかからせた。

 戦いの火蓋が、切って落とされた。

 

 

 ガデニアゾーン7の隣、ゾーン8コントラクト広場。開けた場所にあり、フィルエル自然公園の様子も遠目に窺える絶好の立地条件を誇る場所――。

 そこに突如として現れた、17体の人型――。人に見えるが……人ではない。彼等17体は神様なのだ。

「よーやく着いたでー。ミコちゃん、何処やー?」

 開口一番、暗闇の神落=パーフェクトハーモニィが力の『信号』を近くに感じるミコの姿を探し求める。神々の『信号』を感じる感覚の精度は個神にもよるが大体誤差1キロメートルが平均値。感覚を集中させればさらに詰めることもできる。だがここは都市、1キロの誤差は大きいし、広い都を人員分散させてローラー作戦というわけにもいかない。そこで範囲内にあり、広く都を見渡せるコントラクト広場に陣取ったわけなのである。

 落の戯言をさておき、17体の神々は背中を中に顔を外に、円陣を組んで全周囲を見渡す。するとゾーン7フィルエル自然公園の方を向いていた泥棒の神扉=カレイドスコープが辺りに構わず指差し叫ぶ。

「いたぜ! 剣戟音に銃声多数……それに影の秘術による黒い腕と足。ミコの奴、おっ始めやがったぜ!」

「何!」扉以外の16体が一斉に扉と同じ方を向き、扉の指差す先に目を凝らす。すると確かにいた。黒い手足らしきものを多数展開して空中に静座する、ミコ=R=フローレセンスの小さな影が。

「ふぉおおおおおおお! いたああああああああ!」

 神様達は叫んだ。無我夢中で叫んだ。あの日、アパートで大騒動を起こした末に止めることも敵わず逃げられた自分達の問題を解きし女――レインことミコ=R=フローレセンスを一年ぶりに見つけたのである。興奮しない方がおかしかった。特にここにいる神々17体、実に9体は盗まれた組なのだから個神個神の差異はあれど、同じように熱くなるのだ。

「ミコちゃんだ……返して、ボクの設計図返して!」

 ミコに盗られた組でも愛と並び落ち込み、またそれ以上に自分を見失っている奉仕の神湊=ミステイクが感極まった叫びを放つ。だがその声は遠すぎた。豆粒ほどの大きさでしか視認できないミコには到底届かない。逸る気持ちに昂る感情、湊は他の神様仲間を煽動する。

「早く行こうよ。あそこにミコちゃんがいるんだよ。設計図、取り返さないと!」

「ええ……そうです。湊の言う通りです。行きましょう!」

「おお!」「仕切るわ」「遂にコンビ結成やで〜」「仕返すチャンスがとうとう来たのね」

 湊の煽りに愛が同調すると、盗まれた組を心配していた調停の神務=フォーチュンの気合いをはじめ、撤収の神刀=クロックの属性に応じた意気込み、落と希のミコに対する個神的な執着が続く。まさに皆が直ぐさまそこに向かおうと――。

 いう流れにはならなかった。勝手に逸る連中の前に、発見者である扉と、この面子の中では実力者である整、帳、透の4体が立ち塞がったからだ。

 理解し難いその行為。当然湊達は抗議する。

「なんで止めるの……ボク達の設計図、あそこにあるのに!」

「同感だな。友よ、何故私達の前に立ちはだかるのだ。ここにいる湊と愛、他にも多くの神が彼奴に設計図を盗まれた。それを取り返そうという試み、なぜ邪魔をする?」

 詰襟の白シャツに茶色のチョッキ、ジャケットを着込んだスーツの男――務が湊の抗議に合わせて訴える。調停の神の面目躍如かと思われたが、コソ泥姿で実に怪しい扉は全く動じず、ミコのいる方角――その下地面を指差して説明を始めた。

「揃いも揃って頭冷やせ。一流泥棒のこの俺扉が、この馬鹿面に備え付けの千里眼で見たんだよ。今あいつのいる戦場の状況。結界こそ張られてねえけど完全に隔離されてるぜ。戦場になってやがる公園の周囲を多数の間諜が取り巻いてやがる。ありゃあこの街を仕切ってやがる花一族の間諜だ。死角無しの隈無く監視で公園の中と外を見張ってやがんのよ。悶着起こさず突破すんのは難しいぜ」

「そういうこと。仮にも神様が人間のゴタゴタに介入してどうするの? そこで提案、あっちのゾーン9に地上400メートルを数えるランドマーク、クマンタ・ミラージュってビルがある。そこの屋上に行きましょうよ。扉ほどではないにせよ、私達目はいいんだし。それに全貌を展望把握できるって点で有意義よ。ミコちゃんにコンタクト取るのは今やっている戦いの終焉後でもいいんじゃない?」

 扉の指摘に透の提案、なるほどどうして正論だった。真っ先に道の神である翔が賛同したのも大きいだろう。ともかくさっきまでの殺気立った強硬論は鳴りを潜め、全員透の提案に乗っかった。さすれば早い神の行動、みんな一瞬にしてコントラクト広場から姿を消した。

 痕跡残さず。影さえ残さず……。

 

 

 “クエイク”と“ウェイブ”はミコが繰り出す影帽子からの数多の黒い攻撃を躱しつつ、去なしつつ、捌きつつ反撃していた。各々が持っているエネルギーをそれぞれが持つ『出現式』に従って。反応よく対処していた。自然現象だけに。

 “クエイク”は襲いかかってくるミコの黒い手足に振動・衝撃波のカタチとして地震エネルギーをのせた徒手空拳をぶつけていた。

 “ウェイブ”は得物である二本の櫂二刀流でもってミコの攻撃を防ぎつつも振り回し、本家津波とはいかないまでも、加速度を与えて圧縮した空気の波・壁をミコ目掛けて放っていた。

 適宜対応、適宜反撃。物理法則に支配された自然現象ができる今精一杯の戦闘行為。それもこれも自然現象の意思たる“クエイク”と“ウェイブ”がまだ端末たるクエイクとウェイブの身体を使うのに慣れていないのが原因。元々エネルギーを暴れさせたい欲求こそあれど、身体を乗っ取ることになるなんてことは完全全く想定外だったので、普通に身体を動かすことはできても、力の解放には手間取っているのだ。だって元々クエイクとウェイブも力の解放を禁じられ、かつ禁断症状に苦しみつつも抑えていたのだから。ぶっちゃけこれが初めての解放なのである。不得手でない方がおかしい。

 そのことを見越しているのか、相手のレインことミコは空中に静止して動くことなく、影帽子から取り出した黒い手足とその装備群でからかうように攻撃を続けている。

 まるでこちらが本気になれるまで待っててやると言わんがばかり――現象意思である“クエイク”と“ウェイブ”でも、その態度は癇に障る。本気を出すための練習も兼ねて、苛立ち怒りを攻撃にぶつけているのだが、なぜかミコの防御の前にことごとく防がれているのが現状。どんどん力の解放は上手くなっているはずなのに、空中静座したミコを動かすことさえ叶わない。ますます苛立ちが募る。

 と、そこでミコがこっちから目を逸らし、下を一瞥すると影帽子から新たに黒い指揮棒を取り出した。影法師達を操り指揮するための黒いタクトだ。

 それに気を取られた一瞬の隙、“クエイク”と“ウェイブ”の頭に上から一撃、黒い拳がガツンと当たる。墜落こそ免れたが空中姿勢をかなり崩された“クエイク”と“ウェイブ”、そこにミコの詞が刺さる。

「その程度? 封印型が誇るヒストリークラスの災厄が、聞いて呆れるわ」

「なんだと! 端末風情が!」挑発にカッとなる“クエイク”と“ウェイブ”。だが怒る間もなく下の湖面から雨が襲いかかってきた!

「これは、集中豪雨・天地逆転か!」

 端末の臓器への損傷を避けるため腕を組んで胴を守る二体。しかしその対応は見当違いだった。身体に当たったその雨は、当たった瞬間爆発したのだ!

「ぐおっ!」「ぎいいっ!」

 爆風に打ち上げられる“クエイク”と“ウェイブ”。なんとか止まったその位置は、再びミコと同じ高さにまで戻されるというオチ。

 遊ばれている。

 二体の意思に怒りが灯る。仮にもこの惑星の脈動である自然現象たる自分達が、たった一人の小娘に、手玉に取られるこの事実。

 認められない。受け入れられない。そしてなにより許せない。

 その激情が端末の神経系を通して端末の隅々にまで行き渡る。慣れてきた、もう少しだ――“クエイク”と“ウェイブ”は焦らず力を溜めていた。

 これまで封じてきた地震と津波のエネルギーを最大解放させるべく。

 そうすればこの生意気な端末もきっと畏怖する恐怖する――その期待を胸に、ふたつの現象意思はミコの攻撃に立ち向かっていた。

 

 

 さて、もうひとつの戦線では、サクラ達が湖面から狙撃して自然学派と操られた花娘達五人の陣形を乱したところを、空中戦を請け負ったツバキとデルタフラワーズがあるときはバラバラに、またあるときは戦力一転集中で臨機応変に攻め立てており、それによってできた隙をまたサクラ達が狙撃したりと、完全にこっちのペースで攻め立てていた。自然学派の二人は休む間もなく翻弄され続け、遂にはこんな妄言を吐き出す始末。

「てめえら、23対5だぞ! 卑怯だと思わねえのか!」

 イヴァンとミヒャエルの絶叫。それにツバキ達が即座に返す。

「戦争だからいいんだよ! 大体七人掛かりの犯行でミコ一人を貶めようとしていたお前らにいわれたくない! これだから学者はイヤなんだ」

「全くでございます隊長。所詮こいつらは空論の徒、戦闘好きを公言していても学者風情にこの理はわかりますまい」

 ツバキとホウセンカの反論を聞いたイヴァンとミヒャエルはますますその顔を顰めさせる。そこにさらなる追撃が入る。

「抑、貴殿等は大変貴重な自然の『加護』を使える身でありながら、それを活かしきれてない。勿体無いこと甚だしいでござるよ」

「全くじゃ。しかも『加護』を受け取る御主等の実力はそれでようやく操っとるシクラメン達ととんとん。嘆かわしいのう、それじゃ専守防衛が精々じゃろうて。攻めることなど叶わぬよ」

 サザンカとビンカの詞が刺さる。ことここまで言われるに至って自然学派の二人は堪忍袋の緒が切れたようだ。「だったら見せてやろうじゃねえか! 自然学派脅威の理論をよ!」と叫び、呪文のような文言をなにやらブツブツ呟きはじめた。その機を逃すわけもなく、サクラ達は一斉にミコのくれた砲塔からレーザーを放った。ところが一体不可解なことに、これまで避けていたイヴァンとミヒャエル、自然学派の学者二人は見知らぬバリアを展開させてサクラ達の撃ったレーザーを受けきり、かつピンピンしているのである。

「なんです……あれ?」

 小声で囁いたサクラの質疑に答えてくれたのは、同じ水上待機組の年長者、コスモスとスイートピーだった。

「あれが『加護』だよー、サクラ、萌枝ちゃん。自然学派は苗字に必ず自分が司る自然の名前が漢字一文字で入っている。イヴァンは苗字が山野辺でしょー? 山の『加護』を難攻不落と解釈して得たのがあのバリア発生能力ってわけー。ねースイートピー」

「ぱったく……厄介だよねーコスモス。んで、もう一人のミヒャエルは河野の通り川を司るの。あいつは川の『加護』を流すもの・削るものとして解釈して身体を超攻性流体膜で覆うんだよ。だからまだ本気じゃないってこと。イヴァンはガンマン気取りだったし、ミヒャエルは有機電波の操作に精一杯だった。ほんと……そのままにしとけば楽に終わったのに。ツバキ達ってば変に挑発しちゃったよ」

「ミコさんの方も相手をからかっているようですけど、役者が違うってことですか?」

 二人の回答を受けた萌枝の新たな問題提起に、コスモスとスイートピーは全然歴然と手を振る。

「ぱったく別物だよ。ミコちゃんとツバキ達じゃ味も格も輝きも違うよ。ツバキ達じゃ及びもつかない。ミコちゃんはまだ挑発しても対応できるだけの手練手管があるだろうけど……こっちのあいつらにはそれが足りない。そこんところわかっているのかなあ」

 萌枝の指摘を肯定し、そこに一抹の不安を匂わせるスイートピー。コスモスと目を合わせ、音を出さずに会話すると、それまでいた位置から移動し、二人してサクラと萌枝のいる場所に移った。手を伸ばせば届きそうな間隔で、四人の「本体」が集結する。

「コスモス様? スイートピー様?」

「イヤーな予感がするよー。ぶっちゃけあいつら、フェードアウトー?」

「うん、退場(Good-bye)フラグを立てた感じするね。そうなると敵はこっちにやってくる。ガチで私達が戦闘の矢面、サクラ、萌枝ちゃん、気合い入れときなよ」

「お……押忍」サクラと萌枝は居残り委員二名の忠告を受け、身構えるサクラと萌枝。

 そしたらほんとにコスモスとスイートピーの言った通り、事態は急変した。

 バリアの消滅に伴い、消えたイヴァンとミヒャエルの身体。それと同時に別の場所――空中戦を担っていたツバキ、ビンカ、サザンカ、ホウセンカの四人をそれぞれ一人ずつ囲い隔離するように現れた四つの小さなバリア。四人はその中に閉じ込められたのだ。

「うおっ、なんだこりゃ!」

 閉じ込められてから叫ぶツバキ達だがもう遅い――もとい後の祭り。ツバキ達空中戦闘部隊を隔離しているバリアは頑丈で、中から殴っても叩いても撃っても全然壊れない。

 というより、撃った種子島が中で無限反射しているのだ。銃器を使ったホウセンカ、血まみれダメージ自業自得と墓穴を掘って沈没した。

 その様子を見届けてから、踵を返しこっちへと向かってくる敵。

 この一変した状況にサクラ達よりも早く、影法師達が反応した。一斉にミコから支給されたガトリング砲を連射し、横断幕ならぬ弾幕で歓迎する。

 しかし敵もさるもの、向かってくる弾幕を継ぎ接ぎのダンス――というか見ていて小気味悪い、もっと言うと薄気味悪いムービング体操(?)なる動作で全て紙一重で避けきり、サクラ達と同じ湖面上に降り立った。

 降り立ったのはミヒャエルに有機電波で身体を操られたシクラメン、アキレギア、スオウバナの三名。やはりイヴァンとミヒャエルはいない。

 考えるだけ五里霧中。なので直球で訊いてみた。

「あなた……誰です」

 するとシクラメンとアキレギアの身体が第二言語のネイティブ風に「HAHAHA」と笑う。スオウバナの身体だけはさっきと変わらず、沈黙無個性無表情。

「オレがイヴァンだ」「オレはミヒャエル」「まあ身体は借りモンだけどな」

 シクラメンの身体はイヴァン、アキレギアの身体はミヒャエルを名乗った。そして最後に二人同時に言ったこと、この身体は借りモンだと――。

「どういうことです? 私達の身体を乗っ取ったのですか? なんのために?」

 影法師に意思を移した本心体のシクラメンがサクラに変わって問い詰めると、イヴァンとミヒャエルは他人の身体でそのイメージを傷つけるような奇矯な笑い声を上げて解説を始めた。説明したがるのが学者の性――スイートピーが小声でそう呟いたのでサクラと萌枝はすこぶる納得できた。説明などという行為、自爆行為も甚だしいのにとちょうど思っていたところだったのだ。

「オレ達自然学派はな、自分という存在を質量でも波動でもない、理論・法則ってモンにできんだよ。解るか低能共、理論だぞ、理論。己にお前らの及びもつかない厳しい修行を課し、かつ自己改造をすることで己の存在を理論法則へと昇華させたのさ!」

「しかもオレたちゃ意識を消さずに他人の身体を乗っ取れる玄人。どうよ、机とノートが結果を出した俗世でただひとつの例ですよ?」

「……はあ?」

 サクラにはチンプンカンプンだった。えらく得意気に解説されたがなんのこっちゃと言うしかない。困りに困って目を萌枝の方に向けるが、サクラの視線に気付いた萌枝も掌上に向けて、肩を竦めてお手上げポーズ。御丁寧に首振り付き。それを確認したら、なんか気が楽になった。自分より知能指数高い萌枝でもわからないなら、自分がわかるはずないじゃんという安堵――屁理屈だけには頭の回るサクラだった。

 若手のサクラと萌枝はこんな感じ、問い詰めたシクラメン達や黒子を通り越してほとんど背景のクエイクとウェイブも同様だったが、さすがに委員ともなるとわかるらしい。コスモスとスイートピーはなるほどねーと返したのだ。

「あー、そーゆーことねー。チバトロン、完成させてたんだー」

「チバトロンじゃねえ! 自我理論だ!」

 コスモスのボケた返答をイヴァンとミヒャエルは徹底的に否定する。他人の顔だけにその違和感は半端じゃない。シクラメンとアキレギアはあんな怒り顔しないからだ。

 と、ここで残る片方の居残り委員、スイートピーが要約して話してくれた。

「要するに、自然学派の二人は自身の肉体や精神といったものをこの物理世界の中から消したってこと。ね、ミコちゃん」

 簡潔なまとめ。それだけで終わるのかと思いきや……突如投げられた当てずっぽう。陳情受付係スイートピー、なにを思ったか空中で別の敵と戦っているミコに説明捕捉を依頼したのだ。

 返事帰ってくるわけないよーと(勝手に)思っていたサクラだったが、そこは深淵宇宙は広い。ミコからの反応が帰ってきたのだ。「そうそう」って。びっくりして水上にいた全員が空中を見上げてみると、ミコはこっちを見下ろして、こっちに話しかける気満々だった。背を向けた“クエイク”と“ウェイブ”の方は半自動的に動く黒い手足で翻弄しあしらっており、本人はこっちにかまける余裕がある模様である。その余裕が恐ろしい。

 まあ、なにはともあれ見下される構図ではあるが、ミコの説明が始まった。

「今のそいつらはこの物理世界における生命の存在基盤、自分の身体や魂の持つ質量やエネルギーを0にしたのよね。でも意識だけはパターン化して因果律に『加護』ともども割り込ませている。要はそいつらが各自持っていた『加護』のある因果律の在り処――法則界に意識だけを逃がして残りは全部解体したってこと。ゆえになにもないところから『加護』の力が生きているように出現する。でもね、リスクがないわけでもないのよ」

「なんですかそれ、教えてください」ミコの惹句に反応したのは影法師に意識を移されていたシクラメンだった。影が立っているだけでもシュールなのに、それが平気で会話に加わっている姿というのは……もうなんというか、失ってしまうものがある。詞とか、いろいろ。

 それでもシクラメンの質問は闘う自分達に取って大事なこと。ミコもちゃんと答えてくれた。

「自我理論っていうのは法則界へ意識だけを転送し他を解体するんだけどね、元々因果律しか存在しない法則界には自意識なんて長持ちできない。だって自我がないところだもの、法則界って。意識なんて異物なのよ。だから時間をおけば法則界のルールに削られて自然とそいつらの意識は消滅して死ぬから」

「マジで?」

「マジで。でもそいつらも学者のはしくれ、リスクはちゃんとわかってるからね。身体と魂の構成情報――いわゆる遺伝子とかそういうものをこの物理世界のどこか依り代に宿しているのよ。今回それに当てはめられた不幸な人物――それがミヒャエルの有機電波に操られていたシクラメンとアキレギアなの。多分二人に刺さっていたアンテナに入っているはずよ」

「変態やん……」「良かった、ボクはハズレで」

 ミコの説明を聞いたシクラメン、アキレギア、スオウバナの三人の内、シクラメンとアキレギアは乙女の身体を男に弄ばれた事実にげんなり拒絶反応を示した。「変態やん……」というアキレギアのつぶやきがそれを如実に表している。そして唯一その被害を免れたスオウバナだけはホッと一息ついていた。そりゃ安堵もするだろう、サクラは深く同意する。

 と、ここまで黙ってミコの話を(一緒に)聞いていたイヴァンとミヒャエルがシクラメンとアキレギアの身体で過剰に笑って話しだす。

「そういうことだ。理解したか能無し共? オレ達は自分達が使う『加護』の法則そのものになったのよ。黙っていたけど正解だったな。レインの講義は解りやすくていいぜ」

「ああ、そうだな。リスクについてもおおむね正しい。レインの言う通り、オレ達はこの操っている身体――そこの女共の身体に挿したアンテナに己の設計情報を仕込んでる。だがな、オレ達がこうして身体を乗っ取っているのはそのリスクを低減するためさ。こうして物理世界の依り代に意識を表しておけば法則界の浄化作用を低減し、レインの言う消滅までのタイムリミットを先延ばしに出来んだよ。ぶっちゃけ今日この決戦においてはオレ達が消えることはねえぜ。オレ達は完全ノーダメージのまま、力と人形を操れる。今のオレ達は気象一族にも匹敵する災厄なのさ」

「そう、それに加えてもうひとつ、お前らにとって都合の悪い事実を教えてやるぜロック&ロール。このオレ、イヴァン=山野辺の使う『加護』=『山の特別加護』からなるバリア発生能力は空中でもがいてやがるあの四人を隔離するのに使ってるのでもう使えません。わかるか? これからオレ達は防御ガン無視でお前らの攻撃に専念するってことだ。でも何の問題もない。なぜなら自分自身の身体と魂は俗世から消したし、この依り代は傷ついても全然構わないからだ。他人様のものだからだよ!」

「ま、傷つけられるもんならしてみろってことでもある。このオレ、ミヒャエル=河野の使う『川の特別加護』が作り出す、超攻性流体膜で覆った操り人形三体を傷つけられるもんならなあ!」

 そこで話は終わった。ミヒャエルが操り、かつイヴァンとミヒャエルの意識の依り代ともなったシクラメン達三人の身体が水のようなものでその身体を覆われ、こっちに突進してきた。間髪容れずにコスモスとスイートピーは「飛んで! 避けるよ」とサクラと萌枝に告げ、二人を持ち上げ飛び上がらせてから自分達も飛んだ。その真下を水化粧でもした怪人と化した敵が紙一重の差で通り過ぎる。その痕跡を見てサクラはビックリ。なんと湖から水煙が吹き出ていたのだ。敵の通り道に沿って立ちのぼる蒸気の煙とその下で窪み暗い色に変わった湖面の痕跡が、ただならぬ脅威を知覚させる。

「うえっ……なにあれ」サクラはこうとしか言えなかったが、隣で雨装活化の推進器でもって滞空している萌枝はこっちに真剣な目を向けて説明を始めた。

「もう……ちゃんと見てなきゃダメだよサクラちゃん。シクラメンさん達の身体――自然学派が人形なんて宣って操っている身体を覆っている液体膜、あれが湖面を……ううん、触れているものは空気もなにもかも削り取ったんだよ。攻撃力の要は回転。あの液体膜、滑らかに全身を覆っているように見えてその実大小多様な大きさの渦で埋め尽くされている。大きいものでも直径は1センチ以下、そんなマイクロサイズの渦が大量に高速回転して触れるもの全てを削り剥離させているんだよ。しかも渦の回転方向も隣り合うものでさえ決して一致しているわけじゃない無作為回転。あんな凶悪な工作兵器に触れられたら皮膚はブチブチ捻り取られ、肉はボコボコ穴まみれにさせられちゃうわ……うぷ、グロいこと言ってたら吐き気が」

「萌枝ちゃんよく言ったよー」「ぱあ萌枝ちゃん、深呼吸して」

 解説途中で吐き気に口を抑える萌枝の背中をコスモスとスイートピーが優しくさする。実に絵になりそうなものだが、枝骸装甲と雨装活化の鎧をお互い纏っていること、そしてなによりさすっている一人が幼女外見のコスモスであることから違和感しか感じない変梃な構図であった。しかも途中でスイートピーの携帯電話に着信があり、スイートピーが離脱してしまったので、さすっているのがコスモスひとりになってしまったことが変梃さに拍車をかけていた。見かねてサクラがスイートピーの代わりにさすってやると、すぐに萌枝は回復した。いや……もはや快復と言ってもいいくらいの露骨な態度の違い。

「あら素敵ー。これが友情パワーなのねー」

 やたら友情を揶揄するコスモスの賛辞を、顔を赤らめつつも受け取りながら、サクラは低空から下の様子を観察した。逃げた自分達が追撃を受けることもなくこんな小芝居やってられるのが不思議だったから。でも下を見てすぐに納得した。湖面上では影法師達が遠巻きに敵を包囲し、注意を惹き付けるかのようにちょっかいじみた狙撃を繰り返していた。敵は攻防一体の流体膜で身体を覆っているので傷ひとつつけることはできなかったが、なにせ相手はイヴァンとミヒャエル。ツバキ達の挑発に乗った件といい、バカにされると目の前の相手しか見えなくなるのは確認済み。影法師達には意識を持ち喋れる者が五体いた。シクラメン、アキレギア、スオウバナ、そしてクエイクとウェイブ。キャラクターに似合わない罵詈雑言が狙撃の合間に挟まれており、敵はそれにカッとなって四方八方縦横無尽に八つ当たりを繰り返していたのだ。超攻性流体膜の攻撃力をどうやって処理しているのかと思いきや、なんと影法師達は敵がやってくる寸前に元の影に戻ってやり過ごしていたのである。なるほど影に戻ってしまえば物理攻撃は影を落とした物体の方に流せる――なんともセコいが上手いもんだと、サクラは心底感心した。

 と、ここで携帯電話を弄っていたスイートピーが驚愕のひとこと。

「ぱいへんだねミコちゃんも。黒い手足で“クエイク”と“ウェイブ”を翻弄し、こっちでも影法師たちを黒いタクトでリードしてるんだから」

「えっ……あれ、ミコさんが操っているんですか?」

「そうだよ。だってキクの配下のシクラメン達があんな罵詈雑言言えると思う?」

「あ、そうか……」

 すこぶる納得するサクラと萌枝。キャラに似合わない言動だと思っていたが、ミコが操っているならむしろ自然だ。ミコならあれくらいのこと、嬉々としてやるだろう。昨日今日一緒にいたからわかるものもある。

 と、そんなヒントをくれたスイートピーは、まだ携帯電話をポチポチしていた。いくら余裕があるからって戦闘中に――そう思ったサクラは諌言してみることにした。といっても、実際には質問って形だが。

「もースイートピー様、さっきから携帯電話カチカチって……誰からですか?」

「え? ミコちゃん」

 悪態じみた口調をサクラは後の祭りと即恥じた。まさかミコからのメールとは、思いもつかなかったから。その様子が顔に出ていたのだろう、スイートピーから「ドンマイ」と励まされる始末。わけもわからず自分がとてつもなく情けなく思えた――少女の日の思い出。

 それでも会話の突破口を開くことはできたらしい。後から続いたコスモスがおいしいところを持ってくように会話に加わった。

「自然学派のチバトロンを講義したときは口頭ー、なのに今回は携帯電話かー。つまりーあいつらに聞かれちゃマズいこと、でしょー」

「ぱすがコスモス、その通り! ミコちゃんがメールで教えてくれたのはね、自然学派の攻略法だよ」

 ――は?

(こ……攻略法?)

 サクラと萌枝は固まってしまった。無理もない。今闘っている相手の攻略法などという極めてタイムリー、だけど突拍子もない情報に呆然としてしまったのだ。そりゃありがたいのは確実なんですけど……あまりにも展開が突飛すぎる。そうとしか思えない。それは幼いサクラと萌枝のひとつの限界でもあった。

 だが大人の世界はさらに奇妙な不思議世界。スイートピーがこんなことを語り出したのだ。

「自然学派の連中が持ってる『加護』は厄介だからね。古くから気象一族や伝承楽団を始めとする有識者がその対策研究をしてたんだって。んで、まとめた攻略法はネットの片隅に自然学派攻略サイトとしてまとめてあるからってメール。あとはそのサイトのリンクとサイト会員であるミコちゃんの会員IDとパスワードが貼ってあるの。ほら」

 そう言ってスイートピーが見せた携帯電話の画面には確かに彼女が語った要旨とサイトのURL、そしてIDとパスワードが書かれていた。

「口で伝えるようなことじゃないからね。メールが一番安心なんでしょ。カチッとな」

 ミコの配慮を感慨深げに語るスイートピーが携帯電話を手元に戻し、メールに貼付けられていたリンクをクリックし、ログイン画面にささっと入力。すると彼女の瞳孔が大きく開く。目にした情報の衝撃だ。サクラはそれを直感した。

 そしてスイートピーはぱるほどねと呟きながら、同じ高さにいるサクラ達三人に再び携帯電話の画面を見せた。画面が移すサイト名は紛れもなく、「自然学派攻略サイト」。

 その中でも今下で影法師達と水上戦を繰り広げているイヴァンとミヒャエルの個別対策ページがタブで別ページに分けられている。スイートピーはまずミヒャエルのページを見せていた。まあ妥当だと思う。今先に攻略すべきは下で暴れている脅威のミヒャエルの方だと子供でも(ここ大事)わかるから。

 見てみると……出るわあるわの情報オンパレード。氏名学名電話番号生年月日に身長体重血液型に体脂肪率といった(後にも先にも絶対どうでもいい)個人情報の箇条書き。そのページ中盤能力パラメータの欄にミヒャエルの持つ『川の加護』について書かれていた。川の自然での役割――水の循環・流し下流へ運ぶ・自然を削る造形――などなど川の解釈例が書かれていた。そして当代『川の加護』を使うミヒャエルのあの超攻性流体膜の構造についてもホントに書かれていた。分子構造はシンプルだがそれゆえに強固な分子結合を作れるようになっており、なるほどあの高速回転に耐えられるわけだとサクラも萌枝も合点する。

 そして肝心なその攻略法は、大別してふたつあった。

 

 ひとつは流体膜の分子そのものを分解する化学的アプローチ。

 もうひとつは流体膜の運動そのものを制限する熱アプローチ。

 

 化学的アプローチの趣旨は流体膜の分子そのものを化学反応で別の脆い分子に変えてしまおうということ。熱アプローチの方は率直に言って凍結作戦。流体、即ち液体だから膜上で高速回転ができる――なら冷やして固体にしてしまえということだ。

「わっかりやすいー。私達にできるのはー、化学攻撃だよねーみんなー」

 コスモスの感想、そして作戦選択。その判断は的確でさすが委員よと唸らされる。サクラも萌枝もその決断を妥当と見る。だって自分達は花一族、化学分野は十八番なのだから。

 情報を見せたスイートピーもそうねと頷いた。されど同時に「ぱやとちり……」とため息もついたのだ。彼女は画面を下にスクロールし、もうひとつ、ミヒャエルを攻略するのに必要な情報を見せた。そう、有機電波の攻略法を。

 それを黙って注視し黙読するサクラ、萌枝、コスモスの三者。読み終わったとサインを出すと今度はもう一人、イヴァンの攻略ページをタブで切り替えるスイートピー。あーすっかり(存在自体)忘れてた、と遠い目をしつつも、相手にせずに捨て置くこともできないので、そっちの攻略法も学習する三人。難攻不落のあのバリアを破壊する方法もしっかりこのサイトには載っていた。その徹底ぶりが、ちょっと怖く感じた。

 ともあれ、最後のページも含め、対策は全て理解した。頭の中に叩き込み、神経を通して身体でもちょこっと予行練習。準備は万端だ。

 そこに届くはまたメール。差出人はやはりミコ。スイートピーが先に見ると、「ぱお……」と感嘆の声を上げる。

「これからの私達の戦闘で萌枝ちゃんは後衛になるだろうから黒いタクト渡すってさ」

「ええっ!」度肝を抜かれた萌枝の叫び。そこにミコの「受け取って〜」との幽かな声が届く。四人して振り向いてみると、すでに黒いタクトがこっちに向かって落ちてきていた。その矛先にいるのは萌枝……全くブレない照準に、サクラは心底震えてしまう。程なくして萌枝の手に、影法師達を指揮する黒いタクト――もとい指揮棒が握られた。

「ミコさん?」タクトを受け取った萌枝やメールを受け取ったスイートピーにコスモスとサクラを加え、四人はミコの方を見上げるが、この間事態は急展開。ミコはさっきまで同様自身の四肢を使った戦闘こそしていなかったが、さっきまでとは違ってこっちに背を向け、相手をしている“クエイク”と“ウェイブ”に集中していたのだ。空中に静止しているのは変わりなかったが、“クエイク”と“ウェイブ”の攻撃が激しさを増していた。いつの間にか速度も威力も段違いのものとなっているらしく、ミコの方も余所見しつつ対応できるものではなくなっていたらしい。相変わらず構図としては、ミコが中央不動で相手がその外側から攻撃って形なのだが……攻撃を受けたミコの黒い手足が少々押され気味であった。

 固唾を飲んでその戦闘風景を見守っていたサクラ達に、背中を向けたミコの声が届く。

「見てるわね。こういうわけでこっちもそろそろ本調子みたいだし、影法師の指揮は萌枝ちゃんに譲るわ! オーケストラとかと同じ要領でやれば意思が命令として伝わるから。そっちの自然学派バカ二人の処分、任せたわよ」

「わかりました。ミコさんもお気をつけて!」

 萌枝が代表して声をかけると、ミコはこっちにグッとサムズアップした右手を向ける。いちいち絵になることをするなあ――サクラ達は羨望の眼差しでそれを見つめる。

 しかし今は戦闘時。名残惜しい気持ちを堪えて、サクラ達はミコに背を向けた。そして攻撃を受け持つサクラ、コスモス、スイートピーの三者がそれぞれ得物を携える。といってもサクラとコスモスが自前の枝骸装甲からそれぞれレイピアと一直線・円筒状の棒を作っただけで、スイートピーは「もう持ってる」とのこと。それよりも攻略サイトに載っていた「アレ」の密造である。それができるのは花一族だけ。だから萌枝は後衛なのだ。

「できた?」「うん、できた」

 萌枝の確認にサクラが答える。コスモスとスイートピーも○サイン。準備は整った。

 改めて下――湖面での戦況を見てみると、シクラメン、アキレギア、スオウバナの身体を乗っ取った&操った自然学派の攻略対象、イヴァンとミヒャエルはシクラメン達の身体三体でバラバラに動き、みっつの戦線を作っていた。これはサクラ達に取っても好都合。攻撃は三人個々のつもりだったから。

「わたしが影法師さん達を指揮して連中を引き離します。影法師さん達へ攻撃する瞬間を見計らって急襲してください」

「了解、萌枝ちゃん」「おーけー」「異議なし」

 サクラとコスモス、スイートピーは頷くと上空三方向へと散った。ちょうど上空で正三角形を作るように他の二人と等間隔、間をとって待機する。

 その中央で下の影法師達を見守っている萌枝が、やがてタクトを振り出した。じわじわと自然を装い、サクラ、コスモス、スイートピーの方へと三極化され誘導される影法師達に敵三体。上空でタイミングを見計らうサクラ達。そして遂にそのときが来た!

 萌枝の指揮のもと挑発する影法師達。カッとなって性懲りもなく突進してくる敵。

 そのときこそサクラ達が静かに無言で耐え忍び、今よまだよと待ち望んだ「チャンス」だった。真下、斜め下とそれぞれ攻め方は違ったが、サクラ、コスモス、スイートピーの三人はそれぞれの武器を敵の頭上から突き刺した。サクラが手に握ったレイピアは高速回転かつその渦自体が循環する流体膜を溶かし貫通し、膜の中に閉じ込められたスオウバナの脳天に一撃。軽く刺して傷を付け、それが終わると即退散。湖面に降り立ち攻撃を回避していた影法師達と合流する。サクラの方に駆け寄った影法師の中に都合よくスオウバナがいたのは、もはや僥倖というべきか。正三角形の頂点から中央の湖面へと降り立つサクラ達、そこに別戦線を担当していたコスモスとスイートピーにそちら側の影法師達、そして上空から萌枝も降り立つ。上空でイヴァンのバリア牢獄に隔離されているツバキとデルタフラワーズの本体四人を除いた19体が、湖面の一転に集結する。

 背中を預け、三方向に分けた敵を注視するサクラ達。攻撃の成果は――確かに出ていた。

 攻略サイトに載っていた超攻性流体膜を化学反応で溶解させてしまう対策用体樹液による「塗装」を施した攻撃は回転剥離もなんのその、いとも簡単に流体膜を貫通し、操られていたシクラメン達の本体に申し訳程度の傷を打ち込み、本命の仕込み――抗有機電波ワクチン兼設計情報破壊ウイルスの投与を終えたのである。

 結果? そんなの目に見えていた。自然学派のアホ共はおもちゃにしていた身体をくねらせ、ダイナミックに苦しんでいた。もちろんあの厄介な超攻性流体膜もgo to lose、展開することも叶わずもがき苦しんでいるのであった。当然である。自我理論のリスク低減とミヒャエルが有機電波で乗っ取っていたシクラメン達の身体を依り代としていたのに、それが今のサクラ、コスモス、スイートピーの攻撃でワクチンを体内に注入されてしまい有機電波は徹底駆除されているのだ。これではシクラメン達の身体を依り代とすることもできず、イヴァンとミヒャエルはこれまでの余裕が一変、一気に窮地に転落した。

「くそ! 攻防一体の流体膜を突破しただけにとどまらず、抗ワクチン剤まで投与されちまった。まずい……まずいぞイヴァン! このまま依り代を失っちまったら抑えていた浄化作用の大反撃大攻勢を受けてオレ達あと一分で消滅しちまう!」

「マジかよミヒャエル。ちいっ……ここは一旦離脱するか!」

「おうよ!」

 そう言ってシクラメン達の身体を脱ぎ去るイヴァンとミヒャエル。後に残った無害な身体は、しっかり「当人達」が萌枝の指揮のもと、影の両手をぐいんと伸ばして本心体たる影法師の元へと回収した。意識のある影法師が身体を抱きしめている図というのは、見ていてなかなかにシュールである。

 と、ここで聞こえるイヴァンとミヒャエルの悲鳴。

「なんじゃこりゃあ!」

 悲鳴のした方向にサクラ達が振り向くと、そこにいたのは――。

 継ぎ接ぎのキモ可愛くないぬいぐるみが二体、並んでいた。人型ですらない。強いて言うなら四足動物型ではあるが。

 わけもわからず絶叫する自然学派のアホ学者に、コスモスとスイートピー、二人の委員が前に踊り出て教えてやる。なぜそんなことをとサクラと萌枝は顔をしかめたが、二人が小声で言うには、「学者は勤勉だから教えてあげないと可哀想」らしい。大人の世界は本当に深い。

「自然学派の『加護』対策、わたしたち花一族及び気象一族、伝承楽団がしてないとでも思ったー? ざーんねーん、そうは問屋が卸しませーん。ちゃーんと対策知ってるよー」

「ぱはは、その通り。私達三人の急襲奇襲には得物に三重の仕込みをしていたんだな――」

 その後詳細な解説を聞いて、敵二名、特にミヒャエルは屈辱に塗れたといった感じに拳と顔を震わせる。

「得物を化学反応物質でコーティングしてオレの流体膜を突破し、その一撃でオレの有機電波とアンテナに保存してあった設計情報を破壊しやがったのか……ぐぬぅ」

「ぐうの音は出せるみたいね。さて、ミヒャエル、イヴァン――」

 スイートピーはそこで一旦詞を区切って、一歩一歩と近づく。それに同調しコスモスが。それに従いサクラ、萌枝、影法師達も敵に詰め寄る。

 そして放たれるスイートピーとコスモスの決め台詞。

「遺言状の準備はできた?」

 かあぁっくいぃ! 見事までに決まっている。今この瞬間は多分映画とかで一番監督が渾身の演出をする、何テイクもかけて決して妥協を許さない、だからこそ必然的に盛り上がるクライマックスシーンに匹敵する。サクラはそれを確信した。子供だってバカにしちゃいけない。エンターテイメントの感情反応は全世界共通、3歳児だって理解できるシンプルで破壊的なものなのだ。

 ジリジリと詰め寄るサクラ達。気圧されるのは当然で、敵じりじりジリ貧に――。

 と思ったら一転! ぬいぐるみボディの分際でこっちに向かってくるではありませんか!

 しかもその身体ふたつに、またも超攻性流体膜に覆われたのである。正直そうくるかと――ちょっと驚かされた。

 だけど驚きもそこまで。既に対応策が摺り込まれている、勝手知ったる技である。なら自分でもできるだろう――サクラは先陣切って前に飛び出し、先程と同様の化学溶解体樹液を得物に塗りたくり、レイピア状葉切剣の二刀流を持って迎え撃とうとしたのだが……。

 前に飛び出した矢先、コスモスとスイートピーの制止が聞こえた。

「待ちなさいサクラ! 匂いが違う、化学組成が変わっているわ!」

 え――と後ろを振り向こうとしたが手遅れだった。サクラの施した塗装は効かずに超攻性流体膜に剣は粉々にされてしまった。向かってくる向こうと飛び出したサクラ、出会い算の前提に従い、その距離はもう目の前に。「サクラちゃん!」と叫ぶ萌枝の声が聞こえた頃にはもう目と鼻の先まで敵は近づいていた。その一連の光景がなぜかスローモーションに見える。

(やば……死ぬ?)

 短い時間のはずなのに、やたら考えることのできる「かんかく」のマジック。その中でサクラは遂に死を意識した。水門連絡のときのように、死ぬから意識は暗転し消え去ると思った。が。

 その直後。

 身体を覆うふたつの感触。消えかけたサクラの意識は再び点灯する。その目が見たものは――。

 

 水に覆われた自分の身体。

 風に攫われた自分の身体。

 そして、凍結した敵二人。

 

「え……なに?」

 まるで敵二人と同じような自分。なぜか開いた距離。凍結してしまった自然学派の二人。そしてなにより空中に浮いている自分達――サクラは事態が呑み込めなかった。一体なんの介入があってこんなに状況が変化するのか。

 わからなかった。知りたかった。そして教えてほしかった。

 そこに、女性と思しき声が木霊する。優しい抱擁を思わせる、透明な声が。

「もう大丈夫よ。レインちゃんが守ってくれているから」

「えっ、誰……?」そう問い返すサクラだが、声は答えない。というかそれどころではなくなった。視界の中にいた敵二人――同じように浮いていた、そしてなぜか凍っていた自然学派のイヴァンとミヒャエルが上下から猛攻を食らったのである。

 下は萌枝やコスモス、スイートピー、シクラメン達花売り子達とクエイク、ウェイブの影法師達。では上は?

 ツバキ達だった。そう、攻略サイトに載っていたのだが実は自然学派とは自我理論から復活する際、展開していた『加護』の力を消さねばならないらしい。敵二人は自分達の身体をいじられたことで喚いていたため、それに気付かなかった。潜伏効果が映えたのだ。

 上空から雨霰と撃ち込まれるホウセンカの種子島。

 次いでツバキとサザンカの剣戟が叩き付けられる。

 そのまま湖面に落ちた敵に、ビンカの拳が決まる。

 空中に浮いたままのサクラを通り過ぎて敵諸共湖面へと舞い戻ってきたツバキとデルタフラワーズ。またデルタフラワーズの歌と決めポーズかとも思ったが、そうはならなかった。あの声が、再び聞こえたのだ。

「来たわレインちゃん。気象一族が風のウィンド、スノウとカーレント引き連れて、招集かけられ只今見参!」

 声がそう言い放つと、水の塊に守られたサクラの目の前空中に、みっつの人型が現れた。

 

 ひとり、灰色のコートを着込み白いシャギーショートの髪をした女の子。

 ふたり、スポーティーで身体のラインがしっかり見えるスーツを着た女。

 そして最後、裾がふんわり広がったどこかの軍服らしき服を着ている女。

 

 ミコと同様に小さな羽根らしきものを女の子は上腕部に、スポーティーな女は腰に装着して空中にミコみたいに静止している。なぜか軍服調の服の女だけは羽根も使わず浮いている。ただ彼女を中心に風は猛り蠢いており、薄い色素の水色の髪が、空に隠れるように靡いていた。

 だが、その軍服調の女こそ、ここに響いていたあの声の持ち主だった。ということは、彼女がウィンド……?

 正解だった。唐突にサクラを全周覆っていた水球が弾ける。呼吸にも不自由しなかった不思議に後ろ髪を引かれつつも、それ以上にサクラの注意を引いたのは同じ空から届く声――ミコの声だった。

「いいタイミングで来てくれたわね、ウィンド。サクラちゃんの保護に一応雨装活化・水星球の防御をかけたけど、同時に対策打ってくれて助かったわ。スノウもね、敵の凍結ありがと」

「どういたしまして」「褒めないでくださいよぉ。まるでほめ殺しじゃないですかぁ」

 振り向いた三人はサクラの方――を通り越してサクラの後ろにいるミコと会話する。最後の一人が「わたしには挨拶無し? ま、何もしてないけどさ」とぶっきらぼうに言うと、ミコの「やーねカーレントったら、あなたの出番はこれからよ」という詞が帰ってきた。なので、スポーティーな服の女はカーレントで間違いない。

 残る二人はミコの方に向けていた目を突然サクラの方に向けてサクラに話しかけてきた。瞳孔の収縮にサクラは驚く。すっかり油断していたから。

 まず灰色のコートを靡かせている、白いシャギーショートの女の子が喋る。

「はじめまして。わたしは気象一族の一人、雪のスノウ。こっちがウィンド姉さん。あなたは?」

「わたしは……花一族の一員、サクラ」

 挙動不審気味にサクラが答えると、スノウに紹介された渦中の人物――ウィンドが爽やかな笑みを向けて改めましてと自己紹介。

「よろしくね、サクラちゃん。わたしがご紹介に与った風のウィンドよ」

「そして最後の一人、君を助けなかったわたしこそ海流のカーレントさ」

 ウィンド、そしてカーレントからの自己紹介を戴き、サクラは三人を識別する。無言で頷くサクラの手を取り、ウィンド達は湖面へと降りた。落ちたと言っても間違いではないだろう。なにせ、着水点には集中攻撃を受けてゴミスクラップと化していた自然学派の敵二名がいたからだ。相当なダメージを受けて動くこともできず、ぷかぷかぷーかぷ〜かと浮いているだけだったぬいぐるみ学者のイヴァンとミヒャエル。サクラ達はそいつらを踏みつぶしたのである。温く鈍い悲鳴も着水音に掻き消され、こんどこそイヴァンとミヒャエルは戦闘不能となったのだった。

「サクラちゃん! 大丈夫?」「もー無茶なことして―」「ぱなり肝を冷やしたね」「お前になにかあったら、俺達が叱られるだろ!」

 帰ってきたサクラに駆け寄り、萌枝、コスモス、スイートピー、ツバキの順にみんなが百花繚乱のコメントをくれた。これを聞いたサクラは改めて軽率な行為に及んだ自分の未熟さを恥じた。ストックにも言われていたことなのに……戦闘の高揚感と誘惑に負けてしまった。不覚……サクラは心底悔やんだが、なぜかその様子を見守ってくれていた周囲は感心したような反応。なぜと顔色を伺うが、みんな全然戻らない。と、そこに背後から肩に置かれる手。裾の部分でカーレントの手だとわかった。彼女はこう解説したのだ。

「いや〜すっごいじゃんキミ! 悩める反省思案顔がすっごくいいフェロモン出してたね。みんなそれにメロメロ蕩けちゃったのさ! うーんこれが花一族の次代を担う有望な逸材の可能性かあ。へへっ、わたしたち気象一族も精進しないとな。結局のところ、突き詰めたらやっぱ人なんだよな」

(……はあ?)

 サクラはカーレントの状況説明を聞いてとぼけてしまった。顔で悩殺? わたしの? にわかには信じられない解説である。なぜならサクラは自分が子供であることを誰よりも自覚しているから。

 そう、自分が未熟な子供だと……。

「いいえサクラちゃん、あなたは今現在まさに進行形で大人の階段を昇っているヒロインなのよ!」

 空にこだまするミコの声。広大な空虚を丸ごと響かせるような届く声での発言にサクラ達が目を空に向ける。ミコは影帽子から巨大な――具体的に言うとがま口チャックではそれほどの大きさでもないのだが、先へ先へと末端に向かうにつれ、無限に達するグラフのごとく巨大化した黒い巨足で“クエイク”と“ウェイブ”にダブル踵落としを食らわした。

「ぐぬぅ!」「がっ!」

 大分身体の扱いに慣れてきたようで、“クエイク”と“ウェイブ”も頭上で腕を交差させ受け止めようとするが、大きさの差、そしてシーソー勝負にすらならない質量差と力の差はいかんともできず、二人は真下に突き落とされ、湖面に叩き付けられ、それでも勢いを殺せずに水中に沈むまでに墜ちていった。なんという威力、もとい暴力。

 しかしそれだけでは終わらなかった。“クエイク”と“ウェイブ”を湖に沈め、唯一空中戦力となったミコもまた下に降りてきたのだ。その際大量に展開していた黒い手足は剣と鞘を握っていた一対だけを残してしまわれ、かわりに人一人包み込める、巨大な黒い車輪が飛び出した。中が空洞のその車輪はその中身にミコを入れると黒い座席を用意しミコを座らせ、それと同時に猛回転を初めて空中から湖面へと急降下したのである。

「避けるわよ」「ほいきた」

 ウィンドの指示にスイートピーが応え、それに従い全員がその場から離れる。なぜか?――みんながいたその場こそ湖面に降りたミコが車輪を後転させて向かってきている場所だったから。おそらくは味方勢力との合流が目的なのだろう。

 ミコの騎乗した黒い車輪は空を垂直に走り落下したかと思いきや、湖に着水後は回転を前後方向に使い逆回転してサクラ達が集結していた場所に後ろ向きに走り迫って停止した。

 その過程でかつてサクラ達が着水の際に踏み潰したぬいぐるみ学者のイヴァンとミヒャエルが轢かれていたが、サクラ達の誰一人として心配なんかしなかった。なぜって?――ぬいぐるみだし、そもそも敵だから。敵に情けをかけるな――戦場の鉄則である。

 ともあれ、空に飛んでからようやくまともに帰ってきたミコ。黒い車輪が削り飛ばした水飛沫はスチームとなって霧のようにミコの周囲を曇らせる。その様子を左右に散って避けていたサクラ達は各自自由な気持ちで眺めていた。サクラの目は仰天色であった。

「すごいです……ミコさん、あんなものまで持っているなんて」

 いっそ(一周回って)清々しいくらいの気持ちでサクラが呟くと、同じ方に避けていた気象一族の面々が感慨深げに懐かしい思いを語るのであった。

「久しぶりに見たなあ〜レインの馬一駆!」

「そうですね。レインさんの誇る馬一駆! かつて疾走伝説を築いた伝説の影騎ですよぉ」

「バ……バイクって言うんですか? あれ」

 すぐ近くの至近距離でのことだったので丸聞こえのサクラが話に加わると、話していたカーレントとスノウはなぜかこわ〜い顔をしてこっちに詰め寄ってきた。

「サクラ、語句が違うわよ。アレは馬一駆! バイクじゃない!」

「え? バイクじゃない……」

「そうだよぉ。サクラちゃんは勘違いしてる。あれは馬一駆。アルファベットでもカタカナでもない、漢字三文字『馬』『一』『駆』と書くのぉ」

「馬、馬一駆?」

 サクラは改めて仰天した。隣に一緒にいた萌枝と顔を合わせて仰天した。二人ともちゃんと仰天していた。そりゃそうだ、仰天しない方がおかしい。だって、だって……。

 気がついても既に手遅れ。サクラは口に出していた。

「なんです……その痛々しく病的なセンスを感じさせるネーミング? 誰の命名ですか?」

「レインちゃん」ウィンドの即答に、二人はさらにたまげてしまう。まさか……ミコがそんなセンスの持ち主だったなんて――二人の頭の中にあったミコの愛と優しさに溢れたイメージが音を立てて崩壊していく。いくら、いくら大人でも、こんな病んだセンスを白昼堂々と使うなんて!

 抵抗感の強さが理解したい気持ちを上回りついに拒絶反応が出てしまうサクラと萌枝。そんな二人に同年代の少女――スノウが進み出てポンと手を置き、ポンとひとこと。

「ま、認められないのは人の性だけど、あれがレインさんの真実よぉ。憧れるんだったら、ああいう大人像も知っとかなきゃねぇ」

 言うだけ言ったら後ろでうんうんと頷いていたウィンドとカーレントが「じゃ、行くよ。本人とこに」とパンパンと手を叩きながら告げて、そそくさささっとそのミコの元へ足を進めて近づいていく。完全に流れだった。急かされたわけでもないのに、勝手に足は動いていた。原因は不明。なので流れ。

 ともあれそのおかげで変に出遅れることもなく、他の方に散っていたみんなとも合わせてほぼ同時に馬一駆の中でふんぞり返っているミコのもとへと辿り着いた。増援の気象一族、元からいた花一族、ミコが敵味方問わず実体化させた影法師達、しめて総勢29体の面子がミコのもとへと壮挙した。そう、ここに来た瞬間から増援であるウィンド、スノウ、カーレントの影も実体化し、影法師となっていたのだ。

「うーん、いいねーこのフォルム。わたしも欲しいなーこーゆー馬一駆」

 近づいて合流したらいきなりコスモスのそんな台詞が聞こえてくる。これが大人のトレンドなの?――サクラは本当にわからなくなる。

 そんなことを考えていたらミコは足元でトンと馬一駆を叩く。すると馬一駆――黒い車輪は元の影状のものに戻り、がま口チャックの中に消えていく。羽根は消えていなかったが、ミコの身体は重力に任されていたようで、湖面の水面に足を着ける。

「ごくろうさま」その様子を見守っていたウィンドが発した第一声。ミコもあの顔を――昨日と変わらぬ柔らかな微笑みを称えた顔を向けて応える。

「ありがと。悪かったわね、急に戦場に呼び出しちゃって。相手にクエイクとウェイブがいたから、どうしても人手が必要でさ」

「いいんじゃない。お節介。わたしは嬉しかったわよ。レインちゃんと再びタッグが組めるって聞いて。ねえ、スノウ、カーレント」

「わたしは二回目ですから」「ま、ウチの若手の不祥事だしな」スノウとカーレントも憎まれ口を叩きながらもミコとの再会を喜んでいる模様。なんとなく理解できる気持ちにサクラが浸っていると、横槍に声が入ってくる。発信元はコスモスとスイートピー。

「なるほどねー。現地集合ってのゆーのは気象一族の面々かー。いやーミコちゃん抜け目なしだねー」

「ぱしかに……助かったよ、ウィンド、カーレント、スノウ。うちのサクラを助けてくれてありがとう。まだ若いけど、この子、由緒正しき“桜”の属性を受け継いだホープだからね。ほら、サクラはちゃんとお礼言ったの?」

「あ、はい……あのときは助けてくれてありがとうございました」

 スイートピーが促すままにサクラが感謝の辞を述べると、ウィンド達は「いいのよ」と言いつつも顔をふにゃりとニヤケさせた。喜んでいるようだ。

 

 

「それはともかく」と、いきなり真面目な顔に戻ったウィンドが仕切り直し。「“クエイク”と“ウェイブ”、どのくらい?」

「9.71×10%ってとこね。もうじき最大展開できるはず。連中もこのまま沈みっぱなしってことはないでしょうし……次が決着ね」

「そっかー」「いよいよだね」

 ウィンドの問いにミコの解答、それに理解を示す大人達。内容からしてミコが水中に沈めた“クエイク”と“ウェイブ”についての模様。話についていくために、サクラは勇気を出して口を挟む。

「あの、ミコさんの仰った数字はなんですか? パーセントって行っていたから、なんらかの割合だってことはわかるんですけど……その、言い回しも独特でしたから」

「ああ、あれ? わたしの数値の表記法は有効数字3ケタだからね。その癖が抜けないんだわこれが。要はもうすぐ“クエイク”と“ウェイブ”が全力になって封印していた地震と津波を最大展開するぞってこと」

 サクラの割り込みにミコは気を悪くした風でもなく、誠実に答えてくれた。でもその内容は、かなり物騒。今日何度目かの驚きにサクラ達はまたも踊らされる。特に激しいリアクションをしたのは、当人当事者であるクエイクとウェイブだった。

「せ、先輩! 有史以来封じてきた災厄を最大展開させる気ですか? そんなことしたら惑星が原型留めないほどに変形してしまいますよ」

「そうだよ、お姉ちゃん。地震も津波も起こしたら最後だって……忘れちゃったの?」

 未だ実体を取り返せず、影法師の身体を纏った状態で食って掛かるクエイクとウェイブ。その発言は深刻真剣そのもので、ミコが取ろうとしている道がいかに危険かを訴えていた。サクラ達にも十分にその脅威は伝わった。しかしミコは、「バカね〜」と嘆息し、ここで本音を白状した。

「気象一族を抜けてなお、あんたたちのことは気にかけてたの。その禁断症状解消のためにウィンドとスノウ、カーレントを呼び寄せたのよ? それに花一族のみんなもいる。これだけ手駒が揃っていれば、地震津波火事親父にだって対応くらいできるのよ。だったら今処置するべきでしょ。そうしないとあんたたちを助けてあげられないんだから」

「せんぱ〜い」「おねーちゃーん」

 影のくせに子犬のようにぷるぷるくぅ〜んと震え感動を表すクエイクとウェイブ。これが本体だったならきっと目もウルウルなんだろうなと、その場にいた皆が感じた。それだけに思う。ああ、影でよかったと。

 そんな感傷に浸ったひとときも終わるのはいつものことだし突然である。突如湖面が大きく揺らぎ、持ち上がった水は壁となり波となり、ミコ達に向かって襲いかかってくる。

「スノウ!」「はいきた!」

 ミコの指示を受けたスノウは、その場の湖面に片足を打ち付ける。するとそこから強烈な冷気が発生し、瞬く間にトニーサ湖の湖面全て凍結させたのだ。

「こ、凍ってはる……」

 アキレギアが受けたショックのほどを詞に出したのもつかの間。ミコ達の正面氷面を突き割って、“クエイク”と“ウェイブ”が現れた。

「……凍結。成る程、雪の小娘の冷気能力で我々が起こした津波を湖ごと凍らせたと」

「そのようだな。だが固体になど軽卒。我々の能力を甘く見過ぎだ」

「然り」

 二人きりで不気味な会話をする“クエイク”と“ウェイブ”。その間に入ることはできず、そもそも入ろうとも思わせない。詞だけじゃない、表情、雰囲気、気配――全てが人間離れしている。少し怖い――サクラがそう思ったとき、こちら側でもミコ達大人の会話が始まる。

「ふ〜ん、あれが自然現象の意思、そのエッセンスか。怖いわねー」

「ほんとだねー。みんながいないとわたし怖くて夜も寝られなくなっちゃいそー」

「ぱたしたちがいるじゃないか! よかったねコスモス、快眠決定」

「さて、“ウェイブ”はわたしたち気象一族でなんとかできるけど、“クエイク”は? どーすんのさレイン。地震の震動エネルギーを捌ききれる算段があるのか?」

「一応。心預けてくれていいよ」

「だって。預けようカーレント」

「ま、ウィンドがそういうなら」

 会話の輪に入れたのはミコを中心にウィンド、カーレント、コスモス、スイートピーの五人だった。サクラ達は入れない。だって子供だから。シクラメン達も入れない。だって裏切り者だから。ツバキはもちろん入れない。だって男だからな!

 それでも会話に入りたい気持ちがある――そんな気持ちを持て余した果てに人差し指をしゃぶってしまったサクラ。そんなサクラと隣の萌枝のところに、てくてく近寄る影がひとつ。自分の影法師さんを連れた、灰色のコートの少女、スノウだった。

「サクラちゃんに萌枝ちゃんだよね? 物欲しそうな顔してもダメだよぉ。この世界を動かしているのは決してわたしたちじゃないんだからねぇ」

「ぐぬぅ……正論を言いますね。サクラちゃん、なんか言い返してよ」

 萌枝がとんでもねーことを督促するが、そこはサクラの方が社会人。無茶振りをけしかける萌枝を窘め、スノウに友好ムードをアピール。ミコ達の邪魔にならないよう、萌枝を含めこっそりこそこそと会話する。

「わかってますってスノウちゃん。世界っていうのはわたしら子供には理解不能な見えざる手によって作られ動かされているんだよね。その本性はご都合主義、不条理、シュール、ナンセンス! あれよこれよと貪欲で、受ければ善しと過剰介入。そんな世界でひたむきに生きているミコさん達大人の話を邪魔するなんて無粋だよ」

「おぉ、気付いてたんだね。やっぱりきみたちとは気が合いそうな気がしてたんだぁ」

「そりゃ同年代の、子供同士ですからね。でもスノウちゃん、ひとこと断っとくけどね。わたしの親友は、ここの萌枝ちゃんだから」

「サクラちゃん……」

 サクラの告白に寄り添うから一転、がばっと抱きつく萌枝。自分の発言も少々どうかと思ったが、萌枝の愛情表現もどうかと思うサクラ。でもスノウは微笑ましげに、自分達を見守ってくれていた。そしてとんとひとこと、断りを入れてきたのだ。

「よければだけどぉ……わたしもその輪に入れてほしいなぁ。わたし、同年代の友達いないからさぁ」

「うーん、まずは文通からでいい? それでよければ……」顔を合わせ、アイコンタクトで萌枝と協議したサクラの口から出た提案にスノウはキツツキみたいに首を振って頷いた。その勢いのままにサクラと萌枝の手を握るスノウ。その手は雪の名に反して、人の温もりを感じさせるあたたかさを持っていた。まるで雪解け時の春のよう――サクラと萌枝はさっきスノウが指摘したように、仲良くなれそうな予感を自分達も感じていた。

 閑話休題。ひとときのふれあい。できればずっとこのままで――そう願うのも無理はない。しかし少女たちは未練もなくその手をほどき、大人のもとへと戻ってく。感じていたのだ。時間がきたと。

「萌枝ちゃん、指揮棒を!」

 まるで見計らったかのようなタイミングでミコが萌枝に声をかける。萌枝もその声にすぐに応じ、預かっていた黒い指揮棒を元の持ち主に返還した。がま口チャックの中にしまわれる指揮棒。かわりに新たにふたつ、黒い腕が現れた。「準備できたよ」ミコの合図を受けて全員が再び敵と対峙する――。

 目に入った敵、“クエイク”と“ウェイブ”は、悠然とこちらを向いて直立不動、ただ立っていた。準備万端ということだろう。なぜこちらに合わせるのかサクラは理解できなかったが、程なくして向こうからその理由を語ってくれた。

「愚かな端末と人基達。どうだ、浮世に残した未練諸々は捨て終わったか?」

「我々の最大解放を受けて生き残れると思うなよ。それこそ愚考の極みだぞ」

「へえ……浮世のしがらみなんて情緒がわかるんだ。あいつら」

 サクラと萌枝、そしてスノウは意外に人の事情を察せられる現象意思に一瞬虚を突かれてしまうが、締めの部分は紛うことなき死亡宣告。気を許すなんてことは一切ない。

 よく見ると“クエイク”と“ウェイブ”の近辺は微妙に歪んで見えた。地震と津波。有史以来封じられてきた災厄をもたらすべき膨大なエネルギーが溢れ出しているのかもしれない。本当に「終わりのとき」が来る――知らない恐怖に足は竦み、目は距離を放したがる。そう、逃げたい――その思い・本能が身体に纏わり染み込む中。

 庇うように、矢面に立つようにミコが前へと一歩を踏み出す。

 彼女は震えていない。まるで世界から独立し世界の影響なんて受け付けない、そんな感じの確固たる自律存在のよう。でなければこんな詞は出ないだろう。

「気遣いには感謝します。だけど杞憂に過ぎません。だって災厄が出回ろうとも滅びの解は導かれないのだから。他でもない、ここにいるわたしたちのせいでね」

「貴様……どこまでも甘く見おって」自信満々なミコの言い返しに“クエイク”と“ウェイブ”はますます気分を害してく。今二体が放っている気合いはもしも二体が人だったら絶対「殺気」に当てはまるだろう類のもののはずだ。

 そしてついにその「時」は来た。二体の敵が目を見開き「Present!」と叫ぶ。その途端、大地が激しく上下し、軋みを上げ、大きく揺らぐ。これが地震かと理解する暇さえない。立ち続けることにさえ、苦労するくらいなのだから。

「始まったわね。カーレント、海の方は?」

「おおいに物騒。陸に向けて波が立ってる」

「そう……みんな、覚悟はいい? これが自然の災厄ってやつよ!」

 ミコがかけた発破、答えたのは例によって大人(それも女仲間)たち。サクラは自分が役に立たないことを誰よりも理解していたから、正直うろたえることしかできない。ゆえにミコの詞に応じることもできなかった。それくらい今現実に感じている地震というものは、紛れもない天変地異であったから。

(大丈夫なんですよね、ミコさん……)

 心中かなりの不安を抱えながらもミコを信じるサクラ達。必死の思いで少女達が見つめるその背中はこの天変地異の中にあっても、泰然自若を崩していない――。

 

 

「おいおい、ちょっちヤバいんじゃねえの。これ震災級の地震じゃねえ?」

「ああ! あっち海が盛り上がってる! 津波が陸に向かってきてるよ!」

 ガデニアゾーン9の高層ビル、クマンタ・ミラージュの屋上を乗っ取り、ゾーン7フィルエル自然公園でのミコ達の闘いを見物していた神様達がその身に感じる揺れ、反対側海岸線から迫ってくる高波を見て危機感を募らせる。文句なしに地震と津波、それも100年に一度あるかないかと言うくらいの規模のものが今まさに此処で起こっているのである。時空隔絶領域アパートに長年住み着き、俗世から離れた神々であるが神なりに心配くらいはする。人間達を慈しみもするし、自分の危機には怯えもする。そう、神様が危機を覚えるくらいの状態異常が今この惑星を揺らしていたのだ。

「小娘……いらぬ挑発をして。自業自得の自殺行為だわ」

 撤収の神の通り名に違わず、戦略眼に優れた刀が見聞きしていたミコの戦闘一部始終を批判する。するとミコに否定的な務をはじめ、他の神々もその意見に同調しだす。世界が人の世(人間・生命世界)と呼ばれる前の時代から見守ってきた神様達。幾多数多の滅びも見た、嘆きも悲鳴も聞いてきた。だがそれ全て自然と生命の因果の果て。この惑星に住まう無限の要素が絡まり成してきた結果である。それをミコはなんだ、たった二人の後輩が禁断症状に苦しんでいる――それが見てられないというたった一人の、一個人のエゴにも似た感情を理由に数千年単位で封じてきた地震と津波を一斉解放しようと言うのか。損得勘定もなにもない、目の前の些事にかまけた無思慮極まる行為である。故に否定する――それが神の思考・神の論理だった。

 と纏まればいいのだが、何分神は62体。ここにいるだけでも17体。決して一枚岩ではないのが特徴。この危機に際してなお、事を招いたミコ=R=フローレセンスを擁護する声もあったのだ。ここクマンタ・ミラージュに陣取った17体の神様の中でその立場を取ったのは――、

 

 印の神、透=パーソナルスペース。

 奈落の神、整=キャパシティブレイク。

 暗転の神、帳=フリージア。

 

 この3名だった。3名の中では実力トップの透が反証の口火を切る。

「大丈夫でしょ。ミコちゃんならこれくらい対処してみせるわよ。ねえ帳」

「そうですね」

「俺も同感だ」

「はあ?」ついに仲間が現実逃避したのかとミコ非難派が別の意味で心配するような顔を一斉に向けてくるが、透、整、帳の3名は澄まし顔。涼しい声でこう切り出した。

「あなた達、何を見てきたの? 少し人間を舐めすぎよ。この人間・生命世界には私達神々が出した問題を解こうとした強者達がごまんといるのよ。気象一族、花一族、自然学派に伝承楽団。他にも機械技術を極めた者達、生命技術を極めた者達と私達に挑み、近付き、届こうと手を伸ばし、己を研磨した猛者達が生きる場所――それがここでしょ?」

「そしてミコさんはその数多の実力者の中でも唯一人、わたしたちの問題を解いてみせ、あろうことか半数近い29名の神から設計図を奪ってみせたのですよ。その実力、その力量、わたしたちが証言せずしてなんのための神でありましょうや」

「そして最後に付け加えとくぜ。俺達が知っているのは『そこまで』だ。ミコに関して知っている事は彼処にいる、ミコの隣にいる『お仲間さん達』の方が知っているかもしれねえじゃねえか。俺達も知らない更なる秘密――ミコ=R=フローレセンスの秘密をよ?」

 透の説明、帳の確認、そして整の指摘が終わると、意気軒昂と猛り荒ぶっていた神様達も大人しくなる。しおらしくなり、黙ってしまう。3名が織り成す論説三段活用を聞いて、思い当たる節があったのだ。遥か昔――千ではなく万という単位で年を数える原古始代の時の頃、62体になって久しい自分達神が人に与えた一つの問題。これまで誰一人とて解くこと適わず散っていった人の限界の証左だった問題を解いてみせた眼中の女。

 

 ミコ=R=フローレセンス。

 

 神の問題を解き、神から設計図を奪い、剰え神の死に関わり、そして逃げた。ただ一人の人間。

 いつしか神様達のミコを見る目は変わっていた。「見せてみろ。お前の力を」「この程度のはずがない。こんなものではないはずだ」と、まだ見ぬミコの未知の可能性に賭けたのだ。ある意味信じたと言ってもいい。それでも未だ大半の面子は半信半疑ではあったが。

 津波が刻一刻と陸地へと迫る中、都に警報の音はない。眼下の民衆は花の祭典に踊り酔いしれ没頭している。今更避難誘導などできないのだろう。

 神様達は人の愚かさを怜悧な心持で受け流しつつ、ミコの対処に目を凝らした。

 

 

 ガデニアゾーン17、ドレイク自然公園の丘陵の天辺に備えられたいくつものベンチ。

 そのベンチに空席はない。密着していたり、一方では隙間風が吹くくらい隣と間隔が空いていたりしていたが、とにかく全てのベンチは完全に占領されていた。

 丘陵の頂上、ガデニア一の高台からは都の様子が一望できた。全てのゾーン、全ての建物、全ての公園、そして海も。

 なので、そこからは街の全てが丸見え。有り体に言うと、お見通しだった――。

 なのに、そこに陣取っている者達の中心中央にいる女性はそこを見ているわけではなかった。その女性は時々視線を目元に落とす。そこにあるのは。

 

 視界に見える景色が立体映像になったみたいな、小さな幻視画の収められた本――。

 

 その本を持っている中央の女性、そして両隣に寄り添った小さな女の子とそれよりちょっと成長した感じの少女が両脇から女性の仕草に合わせるように三人一緒に本を覗き、三人一緒に現実を見る。そんなこんなの繰り返し。

 そして三人の座る中央ベンチのさらに横のベンチを占領している連中は、ひたすら街の様子を観察していた。そこに詞は存在しない。声の出る幕も全くない。

 ただそこにいる者達はガデニアの街を俯瞰していた。随分と揺れる大地、海から襲いかかってくる大波、海岸線に沿って展開された上昇気流。何事もないかのように祭を満喫する都の住民、クマンタ・ミラージュでフィルエル自然公園をのぞく神様達、そしてフィルエル自然公園で闘っているミコ=R=フローレセンス達――。

 一方向左右(双)方向だけ見ていては決して分からぬ全体像。それを認知しているのは、間違いなくここではこの者達だけだった。

 ここで漸く何処からともなく小言が漏れる。全体像を把握し終わり会話に相応しい話題が出揃ったのがその理由。

「ミコおねーちゃん、ちゃんと対策打ってるみたいですね師匠。地震も津波もなんとかなりそう」

「ホント……アレがコノ惑星全てに契約した自然現象を行使できる気象一族最大の利用価値、デイリークラス・プラネットスケールの底力って訳ね。まあまあやるじゃない、ヒストリークラス・ユニオンスケールの天災をコウも捌いてみせるなんて。さすがは師匠が見惚れた女ね」

「ふふふふ。祝ちゃんも哉(かな)ちゃんもわかっているようで嬉しいよ。そうだね、あの暴走した自然意思、“クエイク”と“ウェイブ”じゃちょっとミコちゃんの相手には物足りなかったみたい。もっとも、ミコちゃんを本気にさせる存在なんてないのかもしれないけどね」

「それは私達も含めていっているの?」

 三人の座る中央ベンチの右隣から割り込まれる仲間のノイズ。発信源は手すりに乗り出し三人を注視する女性。その問いに対し中央の女性は「ええ」と肯定する。

「焰(ほむら)ちゃんでも役者不足だね。辛い話だけど大事なことだから二度言うね。焰ちゃんならあそこの“クエイク”と“ウェイブ”よりちょっとはいい勝負できると思うよ」

「あのう……二度の予想が私の心(こわれもの)にクリティカルヒットしたんですけど。特に二度目の表現……ぐはあっ!」

「焰!」「しっかり!」「ん? なになに?」同じベンチに座っていた者達から遠く反対側のベンチの連中まで、かなりの数が焰と呼ばれた女性のオーバーアクションに引寄せられる。さながら明りに集う虫、若しくは蜜に群がる虫。つまるところ虫である。

 ベンチを離れ、焰は駆け寄った群衆に介抱される。そして彼女は容態が快復すると、感情任せに叫ぶ。

「悔しい……実力不足を指摘された自分が悔しい! だから勝負はあいつに任されたわけね。あいつの得意分野を存分無限に活かせるあの対決に……でも私、やるから!」

 やるとは闘うという意味。つまるところ、勝ち目が無いのはわかった。でも闘いたいということである。焰の自己中な我侭発言だが、なぜか周囲は理解者だらけ。止めることなど皆無に等しく、揃いも揃って煽り立てる。

「いいんじゃね? 何事も経験だし」

「うん。あの程度でも闘いを見ていたら血沸き心が躍るよね。やりたくなる。闘うに10票」

「多いな……一人10票とは」

 雑多滅多とわいわいがやがや、先程までの沈黙は遠く彼方へ何処やら。話しだすと止まらなかった。それでもまとめはできるらしい。中央の女性が膝に置き、開いていた本を持ち上げポンと閉じる。その音で皆が纏まる。どういう理屈の結束なのか。

「いいよ。せっかくだもん、ミコちゃんにコンタクトくらいはとっておきたいよね。その前に闘うくらいのことはいいと思うよ。準備運動予行練習、大事だもん」

「おお……」焰が嗾けた発案を肯定するその詞に、皆一様に慄き唸る。ただ、女性は忠告も忘れなかった。

「でもね、焰ちゃん、真剣勝負で勝ち目はないと知ったのだから、適当なところでそそくさと退散。これ忘れちゃダメだよ?」

「私不死身なのに?」焰が退散の必要性を問うが、女性の隣にいる一番小さな女の子が、しれっと割り込み返してみせる。

「そりゃ、わたしたち神様は不老不死の秘具である設計図を持ってますよ。ましてや焰さんは盗まれた組でもない。でもね、忘れてません? ミコおねーちゃんと出会った泉さんは……死んだんですよ」

「あっ……」同じベンチに座っていた二人を除く全員がハッとした顔をする。気付いたのだ。

 ミコと出会った嘘の神、歌の神とも呼ばれていた泉=ハートが死んだ事実に――。

 その詞を中央の女性は神妙な微笑みを称えた顔で聞留めたあと、引き継いで焰に忠告する。

「そう、祝ちゃんの言う通り。だから引き際は大切なの。いかにわたしたちが不老不死の神様であっても、死ぬことはあり得る。ミコちゃん相手ならなおさらのこと、ね?」

「わかった。気をつける。私も遊びで命は落としたくないし。うん……壊せればいのよ。適度にほどほどに。この衝動を満たしたいってだけだしね。私の動機」

 焰も納得返事をチラリ。聞いてたみんなも合点しウンウン。集団の合意が取れたところで中央の女性は指示を出す。

「クマンタ・ミラージュにいるみんなにも連絡してあげなきゃね。焰ちゃんがやると決めたのなら、同時に当てて然るべきだもん。仲間はずれは可哀想だしね。ところで、ここにいる神でやりたい人はどれくらいいるの?」

「はい」「ほい」「俺も」「面白そう!」

「加えてクマンタ・ミラージュの武闘派さんたち……うん、今やっている闘いよりもミコちゃんを燃えさせられそうだよ。祝ちゃんと哉ちゃんはやらないほうで。わたしと一緒にセッティングするよ。クマンタ・ミラージュの方への遣いは、御両所にお願いします」

「おーらい」

 女性の依頼に返される、気怠気な二つの間延びした声。しかし一点の曇りも無い宣言に、その場の全員が惹き込まれる。

 その了承を得て、遂に中央の女性と両隣の花たる女の子と少女が立ち上がり、ミコの姿を眼に入れて微笑む。

「久しぶりに会えるんだね。見れるんだね、その背中を……」

「師匠……」両隣の少女2名が自分達に一瞥もくれないその精悍な背顔に見とれる中、女性は最後の指示を出す。

「これからわたしがミコちゃんを誘う御膳立てをするからまだ待機していてね。決行は真夜中、閉まったあとの建物で」

「おーらい、魚」

 御両所と呼ばれた2名の同意と共に、周囲がその詞に服従の意を示す。それを魚と呼ばれた中央の女性は片手に本を抱えたまま、じっと立ったまま、ミコを見ながらもしっかりはっきり、聞留めていた。

 

 

 ゾーン7フィルエル自然公園トニーサ湖のサクラと萌枝は、未だ治まらない地震にバランスを乱されながらも立っていた。もう三分は揺れ続けているだろうか。長い地震。しかしそれだけに身体は慣れてしまっていた。心に不安は残っているが、揺れに対しては身体がプログラム的な対応を取れるまでになっていたのだ。

 それでも不安は尽きない。背後――海から押し寄せてくる、目に見える津波の脅威と合わせて、本当に大丈夫なのかと、論外の保証を求めてしまう。

 そんな彼女達の集団の中、一歩抜きん出ていたミコが口を開く。

「成功ね。後は津波を空へ運ぶだけ。ウィンド、カーレント、手筈は?」

 ミコの背後に向けた問いに、ウィンドとカーレントは気さくに答える。そこには微塵の不安もない。あるのは自信だけと言った風だった。

「展開したよ。風の昇壁。全陸地の海岸線にね」

「わたしの海流操作もそれに合わせた。大丈夫」

 ウィンドとカーレントがミコの要望に応えた旨と思しき返事をする。しかしその中身はあまりに抽象的すぎてサクラにはとんと理解できない。だからすぐに質問した。時間が経ったらチャンスなど夢か泡と化してしまうので。

「ミコさん、一体どんな対策採ったんですか?」直球の最短距離を抉る発言。時間が惜しいことを幼いながらに理解していたからこその凶器足りうる詞だった。

 するとミコはこっちに半身ほど振り向き、“クエイク”と“ウェイブ”を振り向きもせずに指差して。破顔と言ってもいい破格の笑顔を見せて答えた。

「大丈夫よ。対策は打ったわ。怖がることなんてなにもない。大体あいつら、全然怖くないんだもの」

「なんだと貴様! 高が雨の小娘如きが我々を侮辱するか!」

 ミコの声は対峙していた“クエイク”と“ウェイブ”にも届いていた。否、サクラにはわかっていた。ミコはわざとあの二体にも聞こえる音量で話していたのだ。つまるところ、巻き込む気満々ということだろう。それに乗せられている時点で、確かにあいつら“自体”は大して怖くないと理解できるが、ミコの詞はそれだけとは思えなかった。それだけが核ではない。まだなにか理由がある――昨日からの短い付き合いだが、サクラは直感でそこを感じ取っていた。

 そして事実それは正しかった。ミコは自らが呼び寄せた気象一族の元仲間、スノウ、ウィンド、カーレントを巻き込みながら会話形式で語り出したのだ。

「わたしたち……いやわたしは“元”だけど、気象一族は学都スコラテスで学ぶの。というのも気象一族の重要文書が里ではなくスコラテスの図書館に保管されているから」

「重要……文書、ですか……?」

「スノウ」

「わたしたちが契約なり封印なりで気象一族の一員になった後、最低限学ぶべき先代達の積み重ね編み上げた成果たる論文よ。里に置いていたら里の居場所を知る敵に狙われる。ならばいっそのこと里に近い都の有象無象の本棚に混ぜてしまえば善いってこと。だからわたしたちはみんなスコラテスで学ぶってわけ」

「スノウ、そこまで。次。カーレント」

「わたしたち気象一族のスコラテスでの卒業課題とは学校の単位を取ることじゃないのさ。その論文を読んで先達の遺したものを読み取り学ぶ一方、自分達の成果も加筆する。まあ、スコラテスで学んでいた時代の成果だけどね。基礎でいいからそれで十分。それこそがわたしたち気象一族の卒業課題であり、卒業論文なのさ」

「ウィンド、最後お願い。続け様にみんなでまとめいくよ」

「了解したわレインちゃん。でね、その論文集の中に『恐怖の四面体』って論文があるの。恐怖を感じるポイントは四つあり、それらが全て揃った時、四つのポイントが頂点となった恐怖の四面体が完成し、その監獄に囚われるのよ」

「四つの、ポイント……」

 サクラだけではなく、萌枝や花一族の仲間達、さらには敵である“クエイク”と“ウェイブ”も聞き入る中、ウィンドは一本指を立てて続けた。

 

「ひとつ、恐怖の対象は感情を持ってはならない」

「ふたつ、恐怖の対象は計算ができてはいけない」

「みっつ、恐怖の対象は確証を与えてはいけない」

「よっつ、恐怖の対象は異常なスケールでなければならない」

 

 ウィンドがひとつめを口走ったのを皮切りに、カーレントがふたつめ、スノウがみっつめ、そしてミコが締めのよっつめを仲良く順番に、綺麗に続けて説明しきる。

 そこから得られたのは望外の爽快感。四人は恐怖のポイントについて語っていたというのに、その講釈はまるで一個の絵のように魅力的で、畏れから一番程遠い。

「はっ、ははは……」なんという皮肉、なんという感動、そしてなんという美論!

 サクラは込み上げる気持ちを抑えきれず、声を出して笑い出す。乾いた笑いは心も乾かし、説明で恐怖から洗われた心を持ち直させる。そういうことか――サクラは憑き物が落ちたかのようにサッパリした気分になった。

 視線を起こし、ミコを見やる。ミコは「さて」と前置きして、改めて相手――“クエイク”と“ウェイブ”に向き合い、そして指差す。

「“クエイク”! “ウェイブ”! あんたたちはこの四面体監獄を構成する四つの頂点をいくつ満たしているかしら? わたしの挑発に乗ってしまう心を持ち、自分達の力の程を理解するだけの知性を持ち、そして正体も仕組みも知れた確固たる“現象”でしかない――わかる? あんたたちは四つの条件のひとつ、スケールのデカさしか満たしていない。逃げ道対策なんでもござれ、穴だらけの成り損ないなのよ。ああ、別に恥じることはないわ。四つのポイントはそれぞれが恐怖のバロメータ、言わば怖がりの趣向でもあるのだから。圧倒的なスケールのデカさに直面すれば、大半の者は悲鳴を上げる」

 でもね――ミコの詞はなお続く。

「ここにいるのは三人が気象一族最高の利用価値、デイリークラス・プラネットスケールを満たした者達よ。気象一族発祥以来その現象を封じ蓄えてきたとはいえ、あんたたちの評価はヒストリークラス・ユニオンスケール。この惑星隈無く力を出せるわたしたちが、対処できないとでも思っておいでか!」

「何を生意気な! こうして地震は惑星を揺らし続け、津波は陸を覆いつくす! たとえユニオンスケールだろうと破滅の運命は決定だ!」

「だーかーらー、それを防ぐって言ってるのよ。頭悪いわね、このアポックラ!」

 アポックラ……聞いたこともない単語だが、バカにしている呼び方だということはサクラ達にも十二分に理解できた。それくらいのインパクトがあったからだ。

 そのとき、上空を水が覆った。陸ではない。空を覆った。

 説明なんてなくてもわかる。あれは津波だ。だが問題はそこじゃない。

「馬鹿な! なぜ我々の喚んだ津波があんな場所にある! あれは此処を流すはずだ!」

 事の元凶、“ウェイブ”が叫んだ通り、問題はそこだ。海からやってきたはずの津波が、なにゆえ空に飛ばされているのかということ。それが知りたかった。

 するとウィンドがミコの隣に進み出て不敵無敵に笑い出す。

「レインちゃんの言った通り、こっちにはデイリークラス・プラネットスケールの利用価値が三人いるって。レインちゃん、カーレント、そしてわたし。プラネットスケールっていうのはね、字義通りこの惑星全てでおいて力を行使できる気象一族の到達点よ。そのわたしにとって海以外の陸地を風の壁と屋根で覆ってなんて、むしろ単簡な依頼だわ」

「じゃあ、これは……」

 敵よりも早く萌枝の発した反応に、ウィンドは「うん♪」とご機嫌な様子で繋ぐ。

「わたしのウィンドとしての力でこの惑星全ての陸地を風で覆い、護ってる。“ウェイブ”、あなたの喚んだ津波は決して此処には落とさせない!」

 ウィンドが指差し、高らかに守護の意思を宣言する。その詞に少なからずうろたえる敵二名。そこに最後のプラネットスケール、カーレントがミコとウィンドの前に進み並んで続く。

「今この惑星は一面海に覆われている――自然にあるまじき無粋だね。全く……自然現象が聞いて呆れるよ。そういうバグはこうするのさ」

 そう言ってカーレントが肘から先の片手を持ち上げ、なにやらくるりと手首を回すと。

 上空に持ち上がった海水が一斉に捌け、元の定位置――海抜眼下の窪み、即ち『海』へと帰って行く。程なくして陸を屋根のように覆いつくしていた水は、綺麗さっぱりなくなった。

「馬……鹿、な……」

 一部始終を目の当たりにした“ウェイブ”が辿々しい口調で恨み節を口に出す。心なしか、その姿は非常に弱っているように見えた。その肩を“クエイク”が抱えているからなおさらことさらそう見えるのだ。

 その“クエイク”、“ウェイブ”に比べればまだ元気で、相方の肩を支えつつ、代わりのつもりか食って掛かってきた。

「解せぬ! 海流操作で津波を海へと帰す――企画としては通るだろう。だが如何にデイリークラス・プラネットスケール、海水を操るカーレントであったとしても、既に津波としたものを、根刮ぎ帰せるはずはない!」

 腕を振り、頭を振り、現実をあり得ぬと否定する敵。その詞をカーレントは悠々と聞き流し、ミコの方に目を泳がせた。するとミコは後ろから見てもわかるくらいにその背その肩を竦める仕草。それを合図にカーレントは義理立てと言わんばかりに面倒臭そうに答えた。

「指摘は正しい。その通りさ。わたしだけでできることじゃない。これはレインの助けがあってこそ成し得た業さ」

 カーレントの投げた球がミコに向けられ弧を描く。皆の視線を一挙に集めたミコは、さっき影帽子から出していた黒い腕二対の先端、黒い手を持ち上げた。周囲の注目はミコの黒い手に握られたその「なにか」に集まる。ミコはわかっているのだろう。すぐではなく、かといって勿体振ることもなく、絶妙のタイミングで「それ」を公開した。それは――。

 

 銀色に輝く惑星儀と。

 硝子でできた羅針盤。だった――。

 

 

「あれは!」「師匠、フィールで確認させて!」「いいよ」

 ミコが影帽子から取り出した惑星儀と羅針盤を見て、ゾーン17ドレイク自然公園にいた神様達は過剰な反応を示した。中央ベンチに座っていた片割れ――哉が真ん中にいる師匠こと魚に本を開くよう頼むと、魚もすんなり了承して畳んでいた本を開く。ページを開いた途端飛び出す絵本のように幻視画が現れる。世界の縮図たるその幻視画、その範囲を厳選すると――ミコ一人の姿が大きく再現される。その黒い手に握られていたのはやはり、銀色の惑星儀と硝子の羅針盤だった。

 それを目撃した神様達の顔に不器用なれど不敵な笑顔が浮かぶ。

「な、な、……なんてこったのこりゃあこりゃあ。あ、あ、あ、あ、あの娘、銀の天候儀と硝子の羅針盤、神器レベルの秘宝を両方ほゆうしている保有しているなんて。ど、どんだけよどんだけよ……」

 ゆったりぶかぶかの服を着た、存在自体も怪しい女性が脱帽したという感じで奇天烈な其の詞を宣うと、周りの神様仲間達も一斉に頷き同調する。もう魂も抜け出てしまいそうなほどの衝撃だったのだ。この事実は。揃いも揃って。神なのに。

 その中に於いて魚、哉、祝の師弟トリオに御両所と呼ばれた二人の女性だけは呆けることなく、すぐに事態を収拾してしまう

「幽(かすか)さんの指摘はもっとも。でもわたしはあんまり驚かないなあ。だってミコちゃんが所有者なら、むしろ安全。そう思わない?」

「うんうんうん!」神速頷き三連発でもって呆けていた神様達は魚の纏めに全面賛同すると同時に、己が不覚で抜けかかった魂を身体に定着させる。そういうことか。なすがままかと、神様達はこの現実に喝采する。そして改めて、ミコ=R=フローレセンスへの評価を確かにするのであった――。

 

 

 ミコが黒い手に見せた銀色の惑星儀と硝子製の羅針盤を目の当たりにして、周りの者達の目の色が変わる。あるものは魅せられ、あるものは慄き、またあるものはわけもわからずとりあえず固まる。その反応を大元のミコは楽しんでいるのだろう。至極ご機嫌な様子で説明を始めた。

「わかってるようね。わかってないようね。これは銀の天候儀と硝子の羅針盤。銀の天候儀はこの惑星の天候を映し、且つ所有者にこの惑星儀越しに介入を許す。これでもってカーレントの海水処理に助勢した次第。もうひとつは硝子の羅針盤。ベクトルメーター、フォースコンパスの異名を持つ力の処理機。これでこれからこの鬱陶しい地震もひと思いに消させてもらいます。でもこれふたつとも、しかるべきペアを組まなきゃ使えないのよね。だからカーレントを呼んだわけ。さて、もうひとつ、地震の方は……」

「わたしの出番だねー」

 そう言って名乗り出たのは杖を持ったコスモス。若者達は「なぜ?」と首を捻るが大人達は澄まし顔。代表して同じ花一族、同じ委員、そしてなにより同じ女であるスイートピーが相槌を打つ。

「ぱー、成程納得ナイスチョイス。そうだ、コスモスは音の秘術を使えるんだったね」

「そうだよー。伝承楽団に対抗すべくこの身に修めた音の秘術。音を出すものならなんにでも介入できるんだよねー。正直この地震はやっぱわたしかー、でもめんどくさいなーと思ってたんだけどねー。だけどミコちゃんが硝子の羅針盤で負担減らしてくれるんなら望むところだこんちくしょー!」

 真っ直ぐな杖を振り回し、ミコと並ぶ位置にまで進み出るコスモス。ミコと二人で敵を見据え、「いくよ」「いきましょー」と阿吽の呼吸で行動に移す。

 コスモスが、揺れる湖面に杖を打ち付け、ミコの羅針盤がくるくる回転する。すると万事がくるりと回り、うまい具合に元通り♪

 広い大地と凍った湖面を揺らし続けていた地震は、あえなく鎮まったのだった。

 それと同時に“ウェイブ”に肩を貸していた“クエイク”の膝ががたついた。最大展開出しつくしていた『地震』という力を失い、“ウェイブ”同様に弱ったのだと、スイートピーが語ってくれた。

 となればすぐにでも、幕引きである。

「ウィンド! カーレント! スノウ! コスモス! スイートピー! 行くわよ!」

「アイアイマム!」

 ミコの号令に従って、ウィンド、カーレント、コスモス、スイートピーの四人が“クエイク”と“ウェイブ”に向かって最短距離を突進する。敵は逃げることさえ適わなかった。号令をかけられながらもその場に残ったスノウが、足元を凍結接着させていたからだ。

「スノウちゃん!」

 敵のあがきを遠目に確認したサクラと萌枝が叫び振り向くと、スノウは両手を湖面に着けていた。なるほど、そうして冷気を送っているのか――納得する二人にスノウは上目遣いで綻ぶ笑顔。溜息混じりに告げるのだ。

「ま、わたしはここで足止めよぉ。まだ子供だし。成長期であって全盛期じゃないし……しょうがないよねぇー」

 泣ける! 少女の健気な告白に、心打たれた同年代。あふれる感動ありあまるありがとう。気付けばサクラと萌枝の二人は、スノウに「ええ子や〜」と賛辞を贈っていた。

 そんなありきたりな詞を受け止めてくれたスノウは、「さ、前を見てぇ。見届けてぇ。わたしたちの憧れる、レインさんたちの闘いぶりを!」と助言する。

 促されるままにサクラ達居残り組は視線を前に、ミコ達の背中に向ける。遠ざかる背中は小さくて……だけどとても印象的で、そしてなにより眩しくて。その活躍は未来を夢見る少女達の瞳に焼き付けられる。

 カーレントが得物と思しきナイフを投擲し、“クエイク”と“ウェイブ”を切り離す。個々に別れた敵二名にコスモスとスイートピーがさらに加速し第一撃。しかし敵もいうことを聞かない身体を叱咤して回避行動、かすりこそしたものの、二人の攻撃は花と散る。

 が、続け様にミコとカーレントが時間差で第二撃。特筆すべきはミコの影帽子から飛び出ている黒い腕。銀の天候儀と硝子の羅針盤をすでに戻したフリーの手二本に、もう一対の手が握っていた剣と良く似た形状の影が現れ、同じ影にも関わらず、黒い手はその剣状の影を握ったのだ。三本に増えたミコの剣、そのうちなぜか影の複製分二本だけが両翼に別れた“クエイク”と“ウェイブ”に牙を向く。足を動かせない敵に対して秘刀一閃。かすり傷を負わせ、その勢いのまま敵を置き去り去っていく。当然ながら、周囲は当惑。敵でさえも困惑する。敵は揃って後ろに振り向く。それが虚を衝く致命的失敗。

 敵が通り過ぎたミコ達に顔を向けた際、スタート地点に残っていたサクラ達の目に映ったのは――。

 

 無防備な背中への、破壊的威力を誇る見えない第三撃だったのだ。

 

「かはっ……!」合格点スレスレの断末魔を零しながら姿勢を崩す“クエイク”と“ウェイブ”。側にいるスノウが凍結の度合いを再調整したようで、その身体は凍らせて固定していた足が「ポッキリ(痛)」とはならず、ちゃんと足が繋がったまま、凍った湖面に倒れ込む。その一番近くに、いつの間にか消えていたウィンドが姿を現したのだ。

「ウィンドさん! いままでどこに……」

 一部始終の戦闘観察に夢中ですっかりその存在を失念し、それだけにとっても驚いたサクラ達が驚嘆の声をあげると、スノウがとくとくと説明してくれた。

「ウィンド姉さんはねぇ、型の秘術を使って自分のカタチを変化変動させられるんだぁ。自分を構成する物質を、原子分子単位で自在に動かせるのぉ。さらに変身さえもできる。わたしたち気象一族ではカタナシと呼ばれるウィンド姉さん。今回見せたのはさらに奥の手、レインさんとのコンボ技だよぉ」

「コンボ技?」萌枝が確認すると、スノウは首肯した。

「ウィンド姉さんは風化して自分を透明な風にして第三撃、最後のトドメとして攻撃した。風は透明だから、当然見えない攻撃。しかも今回はひとりじゃない! ほら、レインさんの天雨乃原が展開されているからウィンド姉さんの影法師も透明になって一緒に突撃したってわけぇ。影の秘術と型の秘術を掛け合わせた高等連携『見えざる影』、通称『インビジブル・シャドウ』だよぉ!」

「インビジブル・シャドウ……」

 サクラ達取り残された若者達はその技の名を反芻しつつ、目の前の光景に固唾を飲む。

 凍った湖面に倒れて躯となった敵と、その向こうで背を向け佇む6体のシルエット。

 ミコ=R=フローレセンス、コスモス、スイートピー、カーレント、ウィンド――。

 そしてウィンドの影法師、計6名が戦場跡に「生き残りし者」としてそこにいた。それは、勝った負けたという概念とは程遠い。もっと別の、どこか詩的な哀愁を誘う、絵画のような美の一式だった。見る者誰もが見惚れてしまう、儚くも鮮烈な光景。

「めっちゃ綺麗やわあ……」

「そりゃそうだ。なぜなら俺達がいないからな。俺やこいつらみたいに生粋の戦闘バカがいないからこそあの構図は成立する。俺らじゃ達成感にかまけて踊りだすのが関の山だ。あいつらだからこそ、この印象が得られるんだよ」

 ツバキの告白を聞いて、皆合点した。だから最後の攻撃に戦闘部隊のツバキとデルタフラワーズは使われなかったのかと。

 そんな余韻に浸っていたら、聞こえてくるミコの声。こっちにいらっしゃいと呼んでいる。それは終焉の合図。サクラ達は疑うこともせずミコ達の方へ歩を進める。それが日常の中に奇跡的に現れた芸術を破壊することだとわかっていたが、日常の中の芸術だからこそ、終わらせないわけにはいかなかった。人は未来に進むもの。決して絵画ではないのだと、知っていたから。

 スノウを先頭に、サクラ、萌枝、ツバキ、ビンカ、サザンカ、ホウセンカのデルタフラワーズにその影法師達。さらに影法師に意識を転送され、解放された本体を持っているシクラメン、アキレギア、スオウバナ。暴れた本体を潰されたクエイク、ウェイブ。あとイヴァンとミヒャエル、カーレント、コスモス、スイートピーの影法師達。総勢27体にも及ぶ有象無象の観客達が、魅せるだけ魅せたミコ達のいる場所へと歩み寄った。ただひとつ注意したところといえば、湖面がスノウの放った冷気でまだ凍っていたので、滑らないように気を使ったということくらい。ま、中には悠々とスケートするヤツもいたのだが。

「つきましたよぉ。レインさん。これで全員集合ですかね」

「そうね……全員。あ、忘れモンがあった」

「お?」

 スノウの到着報告を是として受け止めたミコであったが、遠い目をしてそんなことをつぶやくと、影帽子から新たにふたつ、黒い腕、そして黒い釣り竿を取り出して思いっきり針を投げる。ふたつの釣り針は遠く凍った湖面に落ちると、巻かれ戻り来る最中あるものに引っかかった。遠くの話なので当然サクラ達には見えていないのだが、ミコの黒い釣り竿がクンと背伸びし、いわゆるアタリを知らせたので事態の把握は容易だった。そこからミコがくいっと腕ごと釣り上げたのは――身体の構成情報をぬいぐるみに書き換えられた挙句みんなから散々に攻撃され、しまいにはミコに轢かれスノウに氷漬けにされたこの事件きっての好戦派、自然学派のイヴァンとミヒャエルの本体だった。黒いリールの気持ちいい機械音が鳴り止むと同時に、みんなの目の前にその姿を見せた自然学派の二名。針が足の方に引っかかっていたので、まさに古占札のひとつ、「吊るされた男」そのものの風体だった。実に笑える。

「ぱるほど……確かにこいつらを忘れちゃったら、後々面倒だよね」

 スイートピーの指摘はみんなの総意。こいつらには用はないのだが、影法師を戻してあげる必要がある以上、身体は必要である。

「さて、敵対勢力も抵抗できないように躾けたし、影法師ちゃんたちには戻ってもらいますか。もう天雨乃原で惑星を覆う必要もないでしょうし」

「ん? それはそうでしょう。闘いは終わったんですから」

 ミコの意味深な発言に萌枝が疑問をぶつけるが、返ってきたのはミコを除く大人達の豪快な笑い声と、くすくすと口元を緩めながら放たれたミコのコスモポリティックな答えだった。

「萌枝ちゃーん、それにサクラちゃんや他の子たちも気付いてないようね。“クエイク”は今まで封じていた地震エネルギーを解放していたのよ? わたしとコスモスが処理するまでの間、実際揺れ続けていたでしょ? 津波の処理を先にしたとはいえ、あの揺れの被害は看過できないものだったわ。問題はあれど利用価値はヒストリークラス・ユニオンスケール。しかも封印型だしね。あいつは惑星の半分程を揺らして相当の被害を与えたつもりだろうけど、そうはわたしが卸さないわ。わたしの展開した天雨乃原はね、ここ一帯でこそ効果は影法師の実体化と躍動だったけど、他全域では影と本体の繋がりを強化して、揺れの影響を抑えてたのよ」

「ってことは、まさか……?」萌枝は詞を詰まらせる。その先の真実に驚いて、声が出ないのだろう。ミコはそれを咎めることもせず、ただ微笑んで頷いた。

「そう、影法師躍動空間・天雨乃原の展開範囲はこの惑星全域だったのよ。これ言や納得してもらえると思うけど……わたし、レインとしてもデイリークラス・プラネットスケールなのよ。影の秘術だって惑星レベルで展開できるわ」

「あ……あは、ははははは!」

 返答を受けた萌枝も、聞いていたサクラ達も皆、既に笑っていた大人達=事情を知っていた大人達と一緒になって笑い出した。何に笑っているかは違っているが、ミコが笑わせてくれたことだけは全員一致、疑問を挟む余地もない。なら笑われたっていい。腹の中で何を笑うかなんて些細な問題だ。詮索などせず、笑いの和音を奏でれば、それだけで楽しい。面白い。なんと素敵な人生讃歌か!

 サクラ達は今生きていること、笑っていること、楽しんでいること、そして幸せを感じていることを実感していた。これこそが人生を謳歌するということなのだと、子供心に理解した。比類なき爽快感が身体中に迸る。

「さて……そろそろ戻すか。クエイク、ウェイブ、こっちおいで。自然学派の影法師ちゃんたちも。売り子ちゃんたちはそこでいいわ。本体を今意識のある影法師の前に出して」

 ミコがてきぱき指示を出す。それを受けてクエイク、ウェイブと自然学派の影法師達は本体の前に横に移動し、シクラメン、アキレギア、スオウバナは抱えていた本体を前に出して首締める。とてもつっこみたかったが、ミコの邪魔になるのでサクラ達は我慢した。

 そのすぐ後だった。自然学派をのぞく5体の影法師達から黒い矢が飛び出て、本体の方に刺さり消える。以前とは真逆のあらまし。しかし見ていて十分に結果は予想できた。これで意識が本体に戻るのだろうと。

 事実それは正しかった。黒い矢の刺さった本体の方から、クエイクやシクラメン達の声が聞こえたのである。

「戻りました!」「ほんまやわあ」「ボクの身体、怪我してないかな?」

 先に詞を喋ったのはシクラメン、アキレギア、スオウバナの花売り子達。戻れてよかったね――サクラ達はそう共感しつつも、もう片方の静けさを訝しんでいた。そう、身体を自然現象の意思そのものに使われたクエイクとウェイブが、全く微動だにしないのである。

「なにかあったのかしら? あの二人」

「全く喋らず動かず……まるで彫刻ね」

「だいじょーぶだよぉ。驚いてるだけ」

「驚いてる?」サクラと萌枝のヒソヒソ話に同年代にして事情知ってるわかってると思しきスノウが後ろからこっそり声をかける。その発言に釣られてサクラと萌枝は後ろのスノウに顔を振り向けた。ガバッと回るふたつの顔、でも二人が見たのは非常に愛想よく待ち構えていたという風のスノウのニコニコ顔だった。しかも彼女はこんなことを言う始末。

「顔の位置を戻して。このまま振り向いていたら決定的瞬間を見逃しちゃうよぉ」と。

 決定的瞬間というフレーズは非常に心揺さぶられるものがあったので、サクラと萌枝は素直にこくりと頷いて顔を所定の位置に戻す。すると間もなく本当に、決定的瞬間が訪れた。

「軽い……軽いぞこの身体! なんだ、なんなんだこの高揚感ウキウキ感! まるで体重がないかのようじゃないか!」

「開放感に溢れてる……邪魔者はおらず、わたしを遮るものはなにもない! お姉ちゃんありがとう! 封印をリセットした後の身体が、こんなに心地いいだなんて、わたし知らなかった!」

 クエイクとウェイブの二人が突如狂ったかのように叫び、笑い、はしゃぎまくる。なるほど、これが決定的瞬間というわけね――サクラと萌枝はまず呆れてから納得、最後になって祝福した。

「封印していた自然現象のエネルギーをミコさんの策略で出し切った後の身体でしょ? 禁断症状もなくなった……そりゃ使い心地がいいでしょうね」

「よくよく考えたらわかりそうなもんだったね。最初固まっていたのも今思えば感動から来る放心とその後へのタメだって気付きそうなものだったのにねー」

 サクラと萌枝は肩の力を抜き、脱力しきってもの申す。周囲もそれに同調し、呆れ眼で二人を見やる。おまえら、その解放を願ってこの事件を起こしたんだぞ。忘れたとは言わさねー、ってな感じに、胸中ツッコミしまくりだった。が、口には出さない。みんな優しい。君達の苦労もわかっているからね――と、生暖かく見守っていた。それだけだが。

 その一方、ミコがただ一人目を閉じて、なにやら黙する様子を魅せた。その様子を見やっていたサクラと萌枝は「見るに耐えなくなったのでしょうか?」と予測したが、すぐ近くにいたスノウとウィンド、カーレント、コスモスにスイートピーが口に人差し指を当てて「しーっ」と沈黙要請の合図を出す。言いたいことも飲み込まされ、黙ってその場を見守らせる。するとすっかり忘れたころに、今の今まで実体化していた影法師達が元の影として、二次元の地表水面に戻り返っていったのだ。そう、このときまでミコは意識を戻す黒い矢を射っただけで、天雨乃原の解除はしていなかったのだ。目の前に夢中ですっかり忘れていたその事実がサクラや萌枝、花売り子達の頭をくらくらさせる。それもこれも今日経験した出来事があまりに濃密すぎるのが悪い。今日の経験・記憶の質と量は今までの日常の平均値と比べればざっと19倍はあるだろう。それだけのデータとフィーリングを備蓄できるだけのキャパシティはサクラ達にはない。そうでなければくらくらなんてしないだろうに。

 ともあれ、現実に目を向けると影法師達も元の鞘に収まったことでようやく戦闘の終結を実感することができた。時間は正午前一時間ほど、発表会は午後二時から、余裕だ。

「ぱて……シクラメン、アキレギア、スオウバナ」

「は、はい! スイートピー様!」

 一息ついてからスイートピーが事件の当事者たるシクラメン達に声をかける。顔を向けないところが実にうまい。どんな顔をしているかわからないという謎と恐怖が威圧感を倍増させているのだ。大変勉強になったと、サクラは心底感心していた。

「盗んだリバムークの種は、どこにあるの?」

 スイートピーが真っ直ぐに問い質す。サクラ達追撃部隊はシクラメン達に同情した。騙されたとはいえ、加担した責任は追及される。さぞかし肩身の狭い重いでしょうね――という具合に、先の先まで展開が予想できていた。

 だが、事実は小説より奇なり。シクラメン達の分不相応な余裕の態度、そして返ってきた返事に皆が唖然とさせられたのだ。

「ああ、種でしたら大宝庭の別の金庫に戻してありますよ」

「こっそり移し替えたんやよね。クエイクはん達騙すのは難しいかな思てたけど、杞憂やったわあ」

「ボク達、のせられることはあっても、タダでは利用されないもんね!」

 ポカーン……。

 開いた口が塞がらないとはまさにこのことだろう。全員二の句を継げられず、しばし時が止まる。が、その体験を経て、大人達は気付いたようだ。

「そうか、これか! お前ら、上級奥義幻惑粉紜で花隠しをやりやがったな!」

「はい♪」

 ツバキのアクロバティックな奇行挙動から放たれる解答を「正解です」と認めるシクラメン達。サクラ達は驚くよりも頭を抱えた。こんな(パッとしない&華のない)先輩達にまんまとしてやられたという事実に頭が痛くなったのだ。しかも使ったのは上級奥義? だめ押しであった。もう勘弁してほしいとさえ思うくらい、元気が搾り取られてく。

 そんな風に皆が呆然としている中、いち早く己を取り戻し対応に走った女がいる。なんとそれはミコではない。コスモスだった。いつ出したんだと突っ込みたいほど唐突に持っている携帯電話に向かって自称永遠の少女を名乗る女委員は話しかける。

「カトレア、聞こえたー? シクラメン達持ち出したんじゃなくてー、別の場所に隠してたんだってー」

『ええ、今大宝庭。委員専用特権コードで全ての金庫を開いたらあったわ。リバムークの種のケース。中身も本物間違いなしです。非常に癪に障るけど、そこの花売り子達にしてやられたみたいですね。まさか上級奥義とは……』

 電話越しに諜報工作員統括兼審査部門管轄委員のカトレアが奪還目標であったリバムークの種を確保したことを伝えてくれた。それ聞いてようやくみんなの顔色が戻る。問題が解決したことへの安堵感が、色々掻き乱された気持ちを整えてくれたのだ。

 それにしてもやはり、濃密な一日だった。ミコが一息つきながら放った詞がそれを如実に表していた。

「あー疲れたあ。踊らされて引きずり出されて、有無を言わさず闘って、現象処理に被害軽減、それで実は種は盗んでいませんでした、だって。色々ありすぎて気晴らしにもなりゃしない」

 その通りだとサクラは深く同調した。朝からバタバタ忙しくして、相当生命を削ったのに、まだ正午前なのだから。絶対気晴らし、もしくは休憩が必要である。

「さて……愚痴もほどほどに、そろそろ戻りますか。でもあいつが来ないとな〜」

「来たわよ。ここに」

 ミコの謎めく詞に応じたのは誰のものでもない声。つまりは新たな人の声。敵? その疑惑を拭いきれずサクラ達は大慌てで身構えるが、取り越し苦労に終わった。

 見えたのはミコや気象一族、さらに我が花一族の大人達に囲まれる人気者の姿だった。

 見たところミコ達よりも年上、30代は確実に行っている……いや、熟女と言ってもよさそうな年頃の、でも女優みたいに輝いている容姿の美女が、ミコ達の接待を受けていた。

「久しぶりね、エレーヌ。でも遅いわ。あなたに処罰してほしかったイヴァンとミヒャエルは、この通りよ」

 そう言ってミコは黒い釣り竿に目を向ける。そこにいるのは影を取り戻しつつもやはり吊られたままのイヴァンとミヒャエル。エレーヌと呼ばれた女性はぬいぐるみと化した二人をみて、冷めた目つきでこう言った。

「手遅れか……ごめんなさいね。ウチのバカ共が迷惑かけて」

 女性――エレーヌはそう言うとミコの釣り竿からイヴァンとミヒャエルを引き取ってその場に落とすと、ポケットから取り出したチケットらしきものを取り出しすぐにもぎる。するとなにやら珍妙なことに、イヴァンとミヒャエルを支えていた凍結湖面が異空間じみた澱んだ色の穴になり、二人はその穴に落ちていった。有無も言わさず、あっけなく。

「はい、終わったわ。あいつらは移動用チケットの谷底トンネルで自然学派の本拠地に強制送還致しました。これから処罰研究科の面々がきっつーいお仕置きをしますから、御安心の程を。なんてね」

「は、はあ……」サクラや萌枝に花売り子三人娘、そして気象一族のスノウとクエイク、ウェイブも戸惑い気味に詞を返す。その反応の悪さを見て、女性は「やば、外しちゃった?」と唐突に慌てだした。どんな神経だ。

 そこに彼女を囲っていた大人達からの冷たい指摘がザクザク入る。

「ちょっと奥さん見ました? エレーヌったら自己紹介もなしに初対面の子供達にネタ振ってますわよ」

「見ましたわー。なんて恐れを知らない女なんでしょー。本人はフランクで人見知りしないってゆー美徳だと思っているんでしょーけどー、子供達からしてみれば見知らぬ大人は通り魔露出魔御邪魔虫だって気付いてませんですことよー」

「怖いわー」「ヒクワー」「ナイワー」「やーねー」

 ミコとコスモスの会話に続いて、ウィンド、カーレント、スイートピー、そしてツバキの毒舌が立て続けに浴びせかけられる。それを受けて参ったかと思いきや、女性はようやく自分の不覚に気付いたようで滂沱の涙を流しながらミコ達に振り向き「ありがとう」と礼を言うと、一旦後ろを向いて丁寧に涙を拭い、顔を整えてから再びサクラ達の方を向いた。さっきすれ違いざまに見た泣き顔とは、全然イメージの違う、『女優』って顔で。

「改めまして。こんにちは。自然学派の学部長、ミコ=R=フローレセンスに呼ばれし機械仕掛けの収拾役専門女優、エレーヌ=神鳥谷です。有望な若者達に会えて光栄。スポットライトが眩しいわ。なんてね」

「ひ、ととのや?」スオウバナが難しい苗字を復唱するが明らかに変拍子。エレーヌは「ノンノンノン」と指を振って至極丁寧に講義する。

「私の苗字の読みは『ひととのや』。漢字表記の単語でね、『神』の『鳥』の『谷』と書くの。私達自然学派は特殊加護を司る自然の名を苗字に宿す。私は当然、谷なのです」

 以後、お見知りおきを――そう締めくくるエレーヌの仰々しい口調に、サクラ達初対面の面々は圧倒されて声も出ない。ただ惰性任せに「あー、はい」と不器用な返事を返すだけで精一杯だった。

 それというのも学部長という自然学派での大層な肩書きに、なによりその濃すぎる個性のせい。自然学派は学長を筆頭に学部長、教授、講師、博士、修士、学士とランク付けされているということを知っていたので、学部長という肩書きには静かに衝撃を受けたのだ。学長に次ぐNo.2のランクを持つ(もちろんその肩書きを持つのは複数人いると知っているが)人物に会わされたこともびっくりだったし、それに追い討ちをかけたのがエレーヌ学部長本人のキャラクター。滅多に会えないであろう希有な性格の持ち主――本音で言うところどえらい変人・傾奇者と会わされて、ただでさえ消耗していたサクラ達の耐久力は限界に達していた。気を抜いたら即気絶、そんなとこまで追い詰められていた。

 そこにミコは気付いたらしい。コスモスが手に持っていた携帯電話を掠めとると、電話口のカトレアに交渉とは名ばかりの、要求を押し付ける。

「カトレア、わたしたちこれから栄華会館に戻るけどさ、疲れたみたいだからサクラちゃんと萌枝ちゃんは休ませてあげて。ま、発表会はわたしたちの隣でお世話係ってことで。シクラメン達の処分は任せるわ。あと発表会の席だけど、わたしの他にウィンド、カーレント、スノウ、エレーヌの席加えといてね。じゃ、芝生で会いましょう。もう戦闘も終わったから、この公園の周りに配備させている諜報工作員さんたちも帰してあげて」

『了解です。それにしてもエレーヌ学部長を呼ぶとはね……適任だけど、おかげでストック様のご機嫌がうなぎ上りですよ。仲人キターって。席は目立たないとこにしときますね。それでは。お帰りをお待ちしております。ごゆっくりどうぞ』

 そう告げてカトレアと繋がっていた電話は切れた。ミコは困った子供を見るようにその携帯電話を見つめると、なにやら諦めたようにそれを所有者であるコスモスに返す。コスモスは阿吽の呼吸で受け取りしまうと、杖で凍った湖面をひと叩き。すると氷にみるみる罅が入り、あっという間に湖面は氷から水へと元通りになったのだ。

「うわっ、とっ、とっ、と……」

 この中で唯一の一般人である萌枝がちょっと動揺するが、ミコが雨水で作っていた装甲までは解除されていなかったので、その装甲効果でなんとか水面に立っていた。親友のピンチを放っておけず、すぐにサクラは肩を貸す。そしてちょっと驚いたことに、反対側では、今日知り合ったスノウが肩を貸していたのだ。二人に支えられた萌枝は、素直に「ありがとう」を口にする。なんだかとってもこそばゆい。

 と、ここでミコが今まで影帽子から出していた黒い腕と剣と鞘、道具一式を全てしまうと、湖面に座り込み手をつける。すると影帽子のがま口チャックからとんでもないものが飛び出てきた!

 何ってそれは……なんと飛行艇。

 どうやったって入らなそうな輸送用飛行艇が、一個人の被る帽子の中から出てきたのだ。影の秘術とかなんとか理由はあっても、「異常」とか「ありえねー」と言いたくなる。言ってもバチは当たるまい。

 だがサクラ達は引きつった口元を作って乾いた笑いをするだけだった。なぜ言えなかったのかは正直自分でもわからないが、慣れたからかもしれないと、心の奥底でふと感じた。ミコさんなら、神様の問題も解いてみせたミコ=R=フローレセンスならこんなことでもどんなことでも不思議じゃないような気もしていたのだ。そう、ミコのスケールの大きさに慣れてしまったから――苦笑してしまうのだろう。

「ぱはは、すごいじゃんミコちゃん!」

「まあね。たまには乗り物運転するのもいいかなって。栄華会館横の敷地、駐機場にはうってつけでしょうし。さあ、みんな乗った乗った!」

 ミコの指示を受けると、なぜかみんな乗ってしまう。ノッてしまうの間違いじゃないかとサクラは秘めた考えに頭を揺らしたが、きっと両方あるのだろう、掛詞みたいにと一人納得して締めた。飛行艇の中は真ん中を通路として左右に3、3に座席が振り分けられていて、奥も結構座れる雰囲気、ざっと見ても100人は運べそうな結構大型の飛行艇。サクラは萌枝、スノウと三人一組で前列左側の3席を占領。ちょうど反対側にはシクラメン、アキレギア、スオウバナの花売り子達が座っていた。全くの偶然なのだろうが、重心バランスを考えても、なかなか理に適った配置となった。

 その他の面々も空気を呼んだのか最後尾には誰一人いかず、往々にして同体中央付近の席に着席。最後に入ってきたミコが「ちゅうちゅうたこかいな……」と頭数を数え、18名全員の搭乗を確認すると、一人颯爽と操縦席に潜り込み、すぐにエンジンを始動させた。

 震える機体、回るプロペラ、そして波打つ湖面の水。進み出した飛行艇は徐々に徐々にとその速度を上げ、湖の果てに至る前に、無事離水と相成った。

「おお〜飛んだ飛んだ〜」

 どこからともなく、誰かは知らないがキャッキャキャッキャとはしゃぐ声。大きな窓の切り取る景色に魅入っていたサクラ達三人は大人げないな〜と思いつつも心の底では同調していた。生命自然の力でもって空を飛べる花一族に気象一族だが、それだけにこういう機械仕掛けで空を飛ぶメカには心くすぐられるものがあるのだ。意思も持たぬ機械のなりで、空を飛び交うこの偉業。自分達よりもよっぽど凄い。

 もう高度は地上数百メートル。眼下にはガデニアの全てが見える。上手い具合にゾーン1、栄華会館は左側なので機体は間もなく左旋回。下に落ちそうな圧倒的な俯瞰風景をサクラ達は小さな眼に焼き付けていた。

 

 

 ゾーン7フィルエル自然公園でのミコ達の闘いが終わり、分不相応にも飛行艇で飛び立ったのを眺めていたゾーン9クマンタ・ミラージュの神様達。一部始終を観察する時間が終わったことで、衝動はもう堪えきれない程に溜まっていた。迂闊な挙動を宥めていた透や整でさえも込上げる気持ちにウズウズしていた。それもこれもミコを始めとして気象一族花一族、自然学派の面々が魅せたのが悪い。神様というのは存外ちょろいもんなのだ。

 楽し気な事柄には直ぐ食い付き、子供顔負けに楽しむ連中――意外な神様の定義である。

 そんな連中なので、心躍り白熱する戦闘を魅せられて燃えない奴など一人もいなかった。

 早い話が闘いたい――ただそれだけ。その想いに、クマンタ・ミラージュにいる17名の神様全員が罹患していたのだ。穏健派のはずだった透や帳、扉に整といった面々もその身を焦がし、滾っていた。

(嗚呼……ミコってば神様そっちのけであんなに楽しく遊びやがって。我等神様ならもっと楽しく御前達を躾けられるんだぞ)

 我欲だだ漏れの妄想が現実を侵食し、行動原理を支配しだす。遊びたい、触れ合いたい、ちょっとでいいからいちゃつきたい――そんな歪で無駄に正直な気持ちに身も心も預けようとした愚神達の目の前(空中)に、突如出現二つの影。

「うぇいとあもーめんと。其処なぎゃらりぃ達、その昂りはとっておきなよ」

「そうだよハニカム。これは私達に有権者、そして魚の命令ね。従い給えよ」

「絵(おもむき)! 迷(まよい)! お前ら、なんでここに?」

 クマンタ・ミラージュの頂上にいた17体の神々達が一人残らず驚きを隠せず、動揺の文句を赤裸々に吐露する。神々の中でも四人しかいない5文字の設計図を扱う強者の二人、御両所と尊称される神様屈指の実力派である二人組。その二人が制止に現れた衝撃は大きい。あれだけ滾り昂っていた17名の神様達の心を冷やし冷静にしてしまう程なのだから。

 そんな連中を尻目に、絵と迷、空中で揺らぐ御両所は先程の会話で受けた質問に今になって答え出す。

「これはね、魚から貰ったみっしょんなのよ。此処にいる仲間達を足止めせよって」

「ついでに連絡と悪口も伝えにきた次第。ミコと遊びたい奴、どんだけいるのん?」

「はい」さらに5文字の設計図を持つ魚の指示で此処に来るとは――圧倒的な戦力差に戦慄し、状況情報が筒抜けとなっている現実に恐怖にも似たものを感じながらもクマンタ・ミラージュにいる神様達、迷が連絡事項の一環として訊いてきた質問に、17名全員が手を上げた。個々の思惑は千差万別だが、ミコに会いたい気持ちだけは萎えることなく胸の内で燻り続けているのである。

 そんな正直な17名に、絵と迷から嬉しい朗報。思いもがけないものだった。

「どんとうぉーりぃえぶりわん。魚はちゃーんと舞台を用意してくれるって。神様とミコの対決に相応しい舞台と因縁を今日中に練り上げてくれるってさ。だからそれまで待てってことだよ」

「そうそう、えっ、ホント。私達は例の作戦がいよいよまだまだロールアウトしたことを先行後攻した君達に22名で伝えにきたんだけどね。そこで偶然か必然かミコの闘いを見てしまい、うちらの中からも暴れたい墜ちたい欲求を燻らせた子達が出始めた。それを鑑みた魚が仕方ないからかったるいからと骨を追ってくれた次第だよ。みんな、感謝するんだね」

「お前ら側でもやりたい奴等がいるってこと?」17名の神様達は息を呑む。自分達と一緒の思考・想いを抱いた「仲間」がいてくれて心底嬉しい反面、成る程それなら自重もやむを得まいと納得せざるを得なかった。神様達が二手に別れて個別にミコを襲撃なんかしたら大騒動でも済まないからだ。それだけに、合流して大挙する方向で纏めてくれている魚の演出には従わざるを得なかった。魚の説く道理と魚自身への畏怖が、17名の神様達を有無をも言わさせず同意させる。

 それでも、同じ神様仲間。基本的にざっくばらんな関係なので、話が纏まると恐怖も畏怖も何処へやら。すぐに調子を取り戻した落が空中で体操する格上の絵と迷に尋ねる。

「魚の脚本に従うことは了解や。それで、そっちでウチらに加担してくれる仲間って具体的に誰がおるのんや?」

「おぅ……真っ先に手を上げたのは焰だったっけね。他には……誰がいたっけ、迷?」

「うーん……極(きわむ)や完(たもつ)、哲(さとし)に雷(いかづち)、礎(いしずえ)、球(きゅう)、幽、失(ななし)、語(かたり)、熱(あつめ)ってところかな? あと羽(つばさ)はやると思うし。そうなったら当然御目付役として羅(ら)も加わるだろうし見ているだろうね」

「そんなにおるんか? おまんらほんまに大挙してきたんやな。でも騒動にうってつけな巡(めぐり)や祭(まつり)とかはおらへんのやね」

「ああ、あの子達は例の作戦の方に掛りっ切りだからね。仕事が出来ないから此処には来られなかったのよ。因果応報りとりびゅーじょん」

「へえ……そっちはもうそんなに進んじまってるのか。ってことは俺達も今日が終わったら当分はそっちに掛りっ切りになるんだろうな」

 落に代わってクマンタ・ミラージュに陣取っていた17名の神様の中から翔が軽口を出してくる。絵と迷はその軽口を吹返すように肯定する。

「これくとだよ翔。君達は今まで追跡して情報収集して働いてくれたけど、神様としての作戦フェイズは此処らでそろそろむーゔぃんぐ。ミコのことについて少なからずわかった今、もう追っかけることはやめようってことね」

「そしてどうして私達は神様らしく勝負に出る。魚の観測予測ではさ、あの子はきっと求めたら応じてくれるタイプだってさ。そりゃ勿論直ぐ設計図を返せなんて理不尽な要求は通らないだろうけど、売った喧嘩は買ってくれるっていうわけさ。付合いの良さは面倒見の良さとも面倒臭いとも取れる。それは今日此処で見ていた君達が良く分ったことじゃない?」

 絵の返答と迷のどこか詭弁じみた理屈に遣り込められてしまう神様達。それを言われると痛いし弱い。なにせ其の通りの出来事を、正に今し方まで本当に自分達が見ていたのだから。事実と証拠は神をも沈黙させる銀の矢なのだ。

「わかった、魚ちゃんに従いましょう。正直今度はどんな脚本と演出なのか、楽しみでもあるからね。それまではどうしてればいいの?」

 翔から更に代わって今度は透が17名を代表して了承の意図を伝える。と同時にそれまでの行動についても指示を求める。待ってあげるのだから、退屈凌ぎの案も寄越せ――これが神様達の非常識じみた常識なのだ。

 そんな透のらしからぬ毒有り発言にも、使者である絵と迷はけらけらと開けっ広げな笑顔で答える。悩む必要がないからだ。二人を遣わした魚はちゃーんとここまでの行程を予測し、来るべき“遭遇”までの暇つぶし・代案も練り上げて二人に教授していたから。

「えんじょいあふぇすてぃばる、これが魚の答えだよ。折角アパートを出て訪れた俗世、精々楽しめってことだね」

「其の間其の瞬間に魚が仕込をしておくってさ。ミコの方からこっちに来るような仕込をね。で、わざわざ降りてやってきた俗世の祭だから神様らしく“時間”まで存分に楽しんでこいってさ。具体的な指示もあるよ。此処ガデニアでの花祭でやっているスタンプラリーの景品をコンプリートしようだってさ。早く遅く済ませて景品交換所にいかないと、稀少品のS賞A賞も全部コンプリートするんだから。勿論絶対、設計図持ちは使って宜し」

「うおおー! やるぞぉ!」「おーっ!」

 神様――それは暇を弄ぶ究極の閑神の称号。

 故に、神様は試練や課題といったものを好む。それはもう、人間が引き呆れる程。

 クマンタ・ミラージュにいる神様17名は、当初の目的こそ先延ばしにされたものの、格好の暇つぶしを提示されて盛り上がり、高揚していた。男神達が雄叫びを上げて、皆がそれに同調する。その様子を見ていて、使者としての役目を終えた絵と迷は、改めて魚の言う神様の価値の軽さを実感していた。

 

 

 飛行時間は短い。それは「楽しい時間は早くすぎる」という法則が適用されるからかもしれない。サクラ達を乗せミコが操縦する飛行艇はゾーン7フィルエル自然公園のトニーサ湖を離水してからわずか五分弱でゾーン1の栄華会館に辿り着いていた。下を見やるとカトレア配下の諜報工作員達が警笛を鳴らしロープで隔離しで栄華会館に集まっていた観光客達を隔離し、道路脇の芝生を着陸スペースとして開けてくれていた。おそらくは操縦しているミコがコンソールの通信機器を用いてカトレアに連絡したのだろう。なにやらぶつくさ操縦席からかすかな一人言が聞こえていたのだ。通信会話と捉えたほうがまだ健全であるし、サクラはそうであってほしいと(個人的に)思っていた。そのほうがみんな幸せだろうしというのも理由。

 感傷はさておき、ミコはまず大回りに栄華会館上空を旋回して着陸態勢を整えると、全く躊躇する様子も見せず、余韻なんてへったくれといわんばかりにすぐに機体の高度を下げた。栄華会館自体地上部分は低層建築であり、またその周囲も広く開けた空の敷地になっていることから、邪魔するものは一切ない。なので気付けば飛行艇の窓から見える景色は普段立って見ているものと大差ない同一の光景になっていた。着陸に成功したのだ。

 そしてしばらく機体は前進を続けていたが、用意されたスペースを飛び出すことなく無事停まった。これにて空の旅は終了である。

 停まった駆動機関の悲鳴や軋み、群集の歓声が聞こえる中、サクラ達は停止した機体から降りるべく、シートベルトを外して立ち上がる。ミコの手際はほんと良く、出ようと思ってハッチに向かうちょうどそのときハッチが開き、ついでに昇降階段もちゃんと取り付けてある。なんという至れり尽くせりだろうか――サクラはハッチの手前で止まりしばらく感動に身を任せたが、後ろから「早く降りてよ」という粋がった茶々が聞こえたので一転、渋々とした顔でタラップを降りた。萌枝とスノウがそれに続き、それからシクラメン達花売り子、デルタフラワーズ、クエイクとウェイブ、ツバキ、コスモス、スイートピーにエレーヌの大人部隊が次々と降りて、最後にエンジンを切ったミコがタラップの手すりを飛び越えて、勢い良く空中をアクロバティックに舞って着地。全員が飛行艇近くのたまり場に集合と相成った。

「お帰りなさい。お疲れ様ね」と、そこにかけられる部外者……ちょっと関係者の声。中性的な声色ですぐにわかったが、振り向くとやはり、カトレアが手を振りながら笑顔で迎えてくれていた。みんなは振り向き、顔を向けるが、例の音楽が、流れはじめていた。

 出発時、決戦開始時の「アレ」がまた始まるのかと見ていたサクラ達は危惧したが、さすがに二度あったことが三度もうまくいく保証はないらしい。デルタフラワーズの誇る主題歌は、涼しい顔をしたカトレアの背後から鬼気迫る形相した鬼そのものと言わんがばかりの人(?)によって中断された。だってその人は棘のついた実に痛々しい鞭を無数無双に振り回しつつ、こっちに襲いかかって来たのである。カトレアが「どうぞ」と手を差し出すと、その人はカトレアを追い越してこっちに迫り、大絶叫した!

「下手人はどこだ! 今回のバカ騒ぎを引き起こしたカス野郎どもはどこだ、出てこい!」

 余りの迫力、名乗る者など誰もいない。が、その人その女性の持っていた茨の鞭は自動で探索をかけたようで、シクラメン、アキレギア、スオウバナの花売り子達、クエイクとウェイブ、そしてなぜかデルタフラワーズの三人が茨の鞭に縛り上げられ、すぐに踵を返す女性に引っぱられる形で連行されていった。当然縛られた側は絶叫である。それにはしっかり理由があった。

「待ってください、ローズさん! 私達は、確かに計画に乗りました。しかしそれはあくまでフ・リ! 私達はリバムークを盗んだように見せかけてほんとは盗んでいなかったんですよぉぉ……」

「せや、ローズはんは褒めても叱る理由があらへんねん。なんでこんな痛いことするん?」

「痛たたたたた! ローズさん、怒ってません? なんかボク弁論の余地も与えられない気がしてきましたよぉ!」

 シクラメン、アキレギア、スオウバナの痛々しい悲鳴と苦しすぎる弁明。しかし件の鬼女――ローズは全く聞く耳持たず、薔薇の茨まみれの茎でできた鞭で八人を締め上げ、売り詞に買い詞ではないが、自分を動かしている持論を語り出す。

「聞いてないわよ、そんなこと。なら必要じゃない、そういうことでしょ? ワタシがストック様から賜った命令は花一族と客人のミコ=R=フローレセンスを困らせた犯人達を徹底的にシバき、醜い子豚を調教せよ――この一点のみ。気象一族で設計図とやらを盗もうなどと企んだクエイク、ウェイブ。それに唆されリバムークを盗んだように見せかけ一族を大混乱に陥れたシクラメン、アキレギア、スオウバナ。そしていっつも空気の読めないビンカ、サザンカ、ホウセンカのコスプレフラワーズ。これを粛清せよとの筆頭命令を受理しているのよ。さあ行くわよ。これからわたしの悲鳴スタジオで二日間コースでもって躾けてア・ゲ・ル♪」

「イヤやーっ!」

 アキレギアだけではない、皆が揃ってその台詞を口にして空中に縛り上げられた状態からなんとか脱出しようともがくが、むしろあがけばあがくほど茨が刺さってしたたる血。

 こうして騒ぎを起こした者達は、一人残らず説教部屋へと連れて行かれたのであった……。

 着いて早々いきなりで大捕物を目撃し、しばし呆然となるサクラ達だったが、やはり人生経験豊富な大人達は強い。悲鳴も助けも完全に無視してカトレアの方に歩み寄る。それを見てサクラ達も遅れまいと、後ろ髪を引っ掻かれる後味の悪さを感じながらだが、無視してミコ達に合流した。

「おつかれカトレア。ローズを引っぱり出すなんて、ストックも相当ね」

「そりゃもう必死に有頂天を舞っているわ。なんてったって、そこの方が来てますからね」

「えっ、わたし?」

 そう、ミコとカトレアの会話の最後、カトレアが指差したのはスペシャルゲストのエレーヌだった。当惑している本人だけではない。サクラ、萌枝、スノウの子供三人衆も頭を傾けはてな顔。しかしその疑問はすぐに解決した。

 またカトレアの背後からやってくる影がいたのだ。ご丁寧に「エーレーヌゥー♪」とエレーヌの名を歌う調子で読み上げた、あつかましい感じでやってきたのは――。

 こともあろうに花君様。そう、ストックだったのだ。

 ローズがしたように、カトレアを通り越したストックはエレーヌの腰にタックルして組みつき、そのまま芝生を転がった。猫でもしない行動だった。

「エレーヌ久しぶり! 会いたかった! 会いたかったわコンチクショウめ!」

「おほほ……本当に久しぶりね、ストック。花君様への就任祝いも随分と前の話。それから今に至るまで、わたしたちともあろう者達が交流を欠いていただなんてね」

「その通りだ! 今日は気象一族の天災解放もあって大変だった。術者を総動員して上級奥義幻惑紛紜で町の人から脅威を感じる心を掻き消したりと大変だった! なのでわたしは今日一日を費やしてエレー分を補給する。カトレア、他の仕事は全部任せる。わたしの裁可なら代わりに打ってよし。いい、絶対わたしらの邪魔はしないでよ。以上!」

 さあ行きましょ〜と腕を組んでHOPSTEPJUMPといった感じに極楽気分で栄華会館の中へと消えていく。ストックとエレーヌ。サクラは目をほじくり出して、今の目が本物か確認したいとさえ思うほどの衝動に駆られた。花君様が祭を放棄して個人的な快楽に耽る――いいのかよ?

 その詞その疑問に尽きるサクラだったが、周囲は理解者だらけらしい。みんな花君ストックの喜んでいる顔を久しぶりに見れて嬉やという感じになっており、サクラ達子供の頭上でくるくる話を回してく。いつの間にか花一族の業務から、ほんとにストックは外されていた。

 さすがにそれはどうなのよと思ったサクラ、一番近くにいたミコの上着をちょいちょいとつまんで引っぱり気を引き、「いいんですか、こんなことして?」と訊いてみる。

 普通なら大目玉でなくとも目玉を食らうのが標準規格なのかもしれないが、訊いた相手がミコで良かった。彼女はこっちを振り向いて、ストックとエレーヌの絆についてわかりやすい解説を聞かせてくれたのだ。

「サクラちゃんも萌枝ちゃんも、スノウも覚えておいた方がいいわよ、この外交は。ストックとエレーヌは闘いの中で出会い運命を感じあったという惚れた者同士。同年代の誼みを結び、自然学派と花一族の抗争を終わらせた最大の功労者達。ストックの結婚式に仲人&挨拶を任されたのがエレーヌってことからしても、二人の付合いは闇より深い。わたしたちなんて人種は基本一族や里に囲われてる小鳥が基本。だけどね、本当の世界の広さ深さを知りたいなら、籠から飛び出してお友達をみつけることよ。わたしたち世代が争いを終わらせたのって、それをしただけの話なんだもの」

 ミコの話は若年の担い手達に溶けるように浸透していった。サクラも、萌枝も、そしてスノウも、これからの『未来』を担う次の世代としての自覚が(子供心なれど)あるから実績を作った先輩の詞を心のカセットで録音した。その詞は名言……いや金言の価値があると思ったから。

 サクラ達三人がそうしてミコの詞を噛みしめ、またストックの普段見せない一面に理解を済ませると、それを勘良く察知した残っていた大人で女である委員二人、コスモスとスイートピーが「頃合い善しだねー」と断りを入れてから委員仲間のカトレアに話を振る。

「カトレアー、この先わたしたちはどこに行けばいいのー? まさかー、戦闘任務を終えた疲労面子をさらに仕事でこき使う気ー?」

 コスモスが相変わらず子供っぽく、かつ嫌味を交えた口ぶりでしっとりねっとりと確認を取ってくる。その喋り方は永遠の幼女にふさわしいものがあるが、やり方――手練手管は悪辣な類のものだ。別に手段の善悪など、サクラは一切問わないが、ただ少しそんな手段に打って出たコスモスとの心の距離が離れた気がした。まあ、気持ちはわかる。ミコに選ばれこの狂言騒動の火消しに尽力した御方である。闘いまでこなした身分。たぶんそこで今日を「生き抜いてしまった」のだろう。今日という時間はまだ半日ほども残っているけど、コスモス的にはもう一日は終わったも同義なのだ。それならわかる。だってサクラもまさに同じ気持ちなのだから。なのでいまさら仕事と言われても……と下手にお伺いを立てたのだろう。もっともそれを聞いた印象は、先の通り、嫌らしい類のものであったが。

 しかしカトレアは「心配すんな」とさっぱりしたいい笑顔で答えてくれた。

「狂言とはいえ、気象一族自然学派に花一族を巻き込んだ事件を解決した苦労を見落とさずにいられますか。そんなことしたら鬼になるかリコールかです。ご心配なく。今回の任務に携わったコスモス、スイートピー、ツバキ、サクラの四名はもう今日フリーです。遊ぶなり寝るなりお好きにどうぞ。貴方達の分の仕事は私達残っていた委員の協議で分配終了。逆に仕事欲しいって言ってもあげませんからね」

 なんとも機敏な働きぶり――コスモスの希望を叶えるどころか、そんなのお見通しですと言わんがばかりの仕事ぶりにサクラはちょっと身震いする。デキる大人に感動しているのと同じくらい、自分の周りを知らず知らずに固められていることに対する恐怖もあった。

 まあそんな感傷はともあれ、ミコの作業に付き合ったおかげで思わぬ自由時間をゲットしてしまったサクラちゃんである。本当なら今日はリバムークの発表会のプレゼンでの視覚効果補助を受け持つはずだったのだが……一転してフリー。ああ、自由って素晴らしいいと思いつつも、少々時間を持て余しつつもあった。子供は目の前のことに一途だから、それを取り上げられちゃうと、いとも簡単に迷子になってしまうもの。サクラはこれからどうしよう……と、視線を頭を覗くほどに上げてうーんむーんと考える。が、一向に答えは出ない。

 そんなサクラにかけられる声、声の出所はミコであった。

「悩む元気があるのはいいけど……サクラちゃん、今は適度に休息のときよ。戦闘で酷使した身体に、遊びは禁物。食事と鑑賞に絞るべきね。というわけで、カトレア!」

「ここの広場には露店ありますし、発表会会場のホールコアにも出入口周囲に売店あるわ。どっちも花一族きっての料理上手達が作っているから、疲労した身体には潤いになると思いますよ。みんなの席は正面カメラ直前のベストシートよ。ここだけの話、貴方達はスペシャルゲストだからリハーサル中の今でももう入れますよ」

「おおー? いいわねいいわねリハーサル。わたしキクとヒマワリの必死こいてる姿見るの大好き! よし決めた。わたしは今すぐホールに潜入! ついてくる子は手上げて」

「はーい」「ぱははーい」「へい」「私もです」

 ミコの掛け声にコスモスの間延びした返事、スイートピーのぱから始まるなんともいえない返事、ツバキのぶっきらぼうな返事、そして一緒になる気満々のカトレアの返事が返される。完全に出遅れた――そう後悔する暇さえなかった。先に返事した委員達が余裕綽々癪に障る目つきでこっちを見てきたからだ。条件反射といわんがばかりに、サクラ達と気象一族の面々も答える。

「わたしも付いてきますから」「サクラちゃんとわたしは一蓮托生の間柄なんだよ」「レインちゃんとの祭よ!」「楽しまなきゃ損です!」「そのためには、一緒にいないとな」

 サクラ、萌枝、ウィンド、スノウ、カーレントの順に発表される随伴の意思。それを全て聞き終えたミコは、誰にもその顔を見せずに先頭切って前を向き――みんなには影も見せない背中を向けて、ひとこと合図を出すと同時に、歩み出した。

「行きましょうか。今日はクエイクとウェイブの問題も片付いてわたし気分がいいわ。奢ってあげるから好きなもの頼んでいいわよ」

 その詞は餌として極上の位置づけ。みんな犬のように猫のように、そして魚のように食い付き、あっという間にミコと同列に身を進める。ミコの左右に場所を取り、左右の露店を見ながら「あれおいしそー」って言ってみんなの注意を引いてみたりする。

 ああ、とっても祭だなあ。満喫してるなあ――始まったばかりなのに、サクラの胸はいっぱいだった。

 

 

 露店を行き当たりばったりに物色したミコ達10人組は程なくして普通だったら入れない舞台裏――リハーサル中のホールへと気も早く侵入開始。本番まで2時間以上もある中で、リハーサルをしているスタッフや警備、そしてキクとヒマワリの全力をニヤニヤと笑うべく用意された席にフライングで陣取ったミコ達は。当事者にとっては目の敵にも見えただろう。もっとも、ミコなんかはそんな反応を期待してやっているきらいがある。もう終わった後の衝突は確定だろう。

 でも、ミコの指摘した通り、リハーサルを我が物顔で覗くというのは、なかなかどうして貴重な経験。まるでスポンサーかプロデューサーになったような気分で、特権意識を錯覚してしまう。でも同じ演出を細かく何度も確認するのは正直見ていられなかった。それが本番の質を上げるために必要なことだとわかっていても、千切り千切りのフィルムは、どうしても細かく、インパクトに欠ける。ミコはそれをわかっていたのか、なんと練習途中で目を影帽子で隠し、堂々と眠り出した。「本番には起きるからさ。ちょっと休ませてよー」とあくび混じりに告げたミコは、微かに聞き取れるか否かというほどの、小さな寝息を立てて夢の世界へと旅立った。

 その挙動には澱みなく。その寝顔には苦悶なく。

 見る者全てを魅惑するその寝顔、見ているとなんだかサクラ達も眠くなってしまうのであった。いや、眠くなるのではない。眠りたいという自分から発せられる思いが身体を蕩めかせ、特別席のベッドへと誘う。間もなくしてミコと一緒にリハーサルを見ていた者達――サクラ、柿之本萌枝、ツバキ、コスモス、スイートピー、カトレア、ウィンド、スノウ、カーレントの九名は全員、ミコと同様睡夢郷へと舵を切ったのであった。

 

 

「おーい、年増達ー。おーきーろー」

 栄華会館ホールコアの特別席で堂々と寝ているミコ達にかけられる蛇のようにしつこい間延びしたトーンの声。蛇のようなだけにその音は細く長く、耳の穴をくねくね進み、鼓膜をしつこく連打する。その外界からの刺激に不快指数を上げられてしまい、ミコは瞼をゆっくり開く。目の前に見えたのは、上下逆のエレーヌの顔であった。

「なに上から覗き込んでるのよ。拝顔料も払わずに」

 開口一番ミコの発した詞に、エレーヌはヒュウと息を吐き顔を遠ざけて言った。

「寝起き云々に関わらず、頭の回転は常に早し、なんてね。なるほどね〜、これなら神様の問題も解くわけだ、なんてね」

「能書きはいいわよ。要件はなに?」

 手の甲で目をタオルでするように優しく擦りながら完全に起きたミコが説明を求める。その途中彼女はきな臭いものを感じて周囲を見やる。そしてすぐさま異変に気付いたようだ。

「わたしだけじゃない……みんな、カトレアも寝てる。人がいない。舞台は鎮まりカーテンコールもない。まさか……寝過ごした?」

「せいかーい! なんてね。その通りよミコ。貴女達があまりに美しく、かつ静かに寝静まっていたもんだから、観客は誰一人として文句を言わず、舞台でプレゼンをしていたキクとヒマワリに至っては、『見られなくて好都合』って宣った挙句かつてない名演を見せる有様だったのよ?」

 ミコの仮説を肯定し、かつ大仰な詞で煽りまくるエレーヌ。目の前の寝起き娘がどんな悔しい顔をするのかと期待した結果がこの返しである。だがミコは平然泰然とした態度を崩さず、全然焦る様子がない。余裕さえ感じさせる能天気ぶりで腕を伸ばす体操をしているのだから相当だ。

「わたしは別にいいわ。本番なんて。カッコよく決まった本番よりも、恥辱に悶えたリハーサルを見ていた記憶のほうが宝物よ。それにしても、わたしだけじゃなくてみんな寝ちゃうとはねー。そして全員で本番の発表会をスルーするというこの事実。そうか、これが華麗なのか……」

 ふ、ふふふ……と邪悪な笑みを浮かべ笑うミコのシルエットを見て煽っていたはずのエレーヌが逆に身の危険を感じてしまう。このままではいかん、エレーヌは話を本題に戻すことにした。自分とストックの蜜月もすっぽかして。

「まあいいわ……で、要件なんだけどさ、発表会の目玉だったリバムークの入札も落札も無事終わったんだけど、トップ額で落札した電話越しの女性からのリクエストが変な感じなのよね。ぶっちゃけ暗号文、なのかなって思ってる。で、寝てない委員達とストックとわたしで考えたんだけど全然なのよ。しかもお金は振り込んであるくせに、『明日までに持って来てもらえなかったら告訴します』って脅されちゃってて。どん詰まりになったとき、アジサイとカーネーションが言ったのよね、『ミコと寝ている委員達連れてこい』って。で、わたしがここに来たと。理解してくれた?」

「長い口上お疲れ様。もう少し文章の贅肉を落とせれば学長にもなれそうなものを……」

 ミコは身体を伸ばしながらコンディションを整えると、そう言ってからエレーヌのほうを振り向いた。その目に後ろめたい要素は一切ない、爛々と輝く眼は、面白そうな話に食い付いてきた女の子そのものだ。してやったりと思うと同時に、ようやくエレーヌはホッとする。

「場所は? みんなどこで考えてるの?」

「地下94階、ホワイトノート」

「委員達は連れてった方がいいのよね。大人達も……じゃ、喰うか」

 ミコはそう宣うと、被り直した影帽子のがま口チャックを開けると、中から六対の黒い腕を取り出し、ツバキ、コスモス、スイートピー、カトレア、ウィンド、カーレントの大人勢をひょいと持ち上げ、そのまま黒い腕ごと影帽子のがま口チャックに入れてしまったのだ。げふ、とがま口チャックが息を吐くのが、もうシュールすぎてしょうがない。

 だが当事者のミコは一向に気にする様子も見せず、元々の手――使わない自分の手をぱんぱんと払うとエレーヌにあることについて訊いてきた。

「大人達は一緒に連れてくからいいけど……この子達はどうするの? サクラちゃん、萌枝ちゃん、スノウ。大人の柵にゃ若いから連れてかないのに賛成3票だけど、ここに残しておくことには反対1000票。わたしの見たところもう明日まで起きることはなさそうだし、だからってここに置いておくなんて言語道断。ストックはなんて?」

 ストックが指示を出していることを看破、前提としているミコの知能はやはり恐るるに値する。エレーヌは無愛想の仮面の下で、心をブルッと震わせたが、それ以上は動じない。なぜならミコはどんな冠詞(かんむりことば)が付いても友の文字がくっつく間柄だし、そしてなによりミコの指摘した通り、花君ストックは若手への労りを忘れてはいなかったのだ。

 エレーヌが右手を持ち上げ、指をパチンと鳴らす。すると現れる黒衣衆、出てきた三人はひとりずつ、サクラ、萌枝、スノウを抱き上げ、ミコ達より先にホールから消えていった。

「渉外、外交、接待を担当しているアサガオ配下の黒衣衆よ。ストックが出動させろって命令してた。未来を担う若手を労ってこその花だって」

「わかってるじゃない。さすがはストック」ミコは両手指先を静かに重ねて筆頭たるものの心遣いに感じる素振りを見せると、自分もまた踵を返し、ホールコアを後にする。

 後に続くエレーヌが見た彼女が入口の影、闇に消える様は、まるで黒で染色したかのように、ごく自然と、さも当たり前のようにいなくなる――そんな表現でしか言い表せない秘術の極地の一部披露だった。

 

 ガデニア地下94階、ホワイトノート。部屋の中にいる個人の思考能力・創造能力を極限まで高めるべくあらゆる科学的・秘術的処置が施された空間――そこは一面真っ白で、塵も埃もごみもない。この清らかな白面の部屋は中に入った人物の能力と直結し、思考能力や創造能力といったものを大きく高めることができるのである。結構難解な暗号文、解こうと躍起になったキクをはじめとする委員達がここに籠ったのも結構な無茶を同時に言いつけられ、なりふり構っていられないという事情があったからに他ならない。だが同席していた(だけの)エレーヌからしてみれば、如何に能力を拡大する白紙の部屋も、答えが出せなければ迷宮だ。白いノートも考察筆跡で落書きだらけ。グラフィティアートの方がまだまともと思えるほど、ツバキ、コスモス、スイートピー、カトレアを除く委員達の迷走ぶりは際立っていた。実の所エレーヌは見てられないからという理由でミコへの連絡係を買って出たというのもある。グラフィティアートもダメなエレーヌ、それ以下のものなど、生理的に受け付けなかったのだ。

 だからミコと一緒に再度94階に降り立ち部屋に入るときは、少なからず肉体を騙し誤魔化し覚悟させて臨む必要が、所謂儀式に取り掛かろうとしていたのだが、ミコはそんなこと知る由もない。滅多に使わない手でスライドドアを開け、中の連中をからかった。

「おはよう諸君! わたしらが寝ている隙に本番を終えてみせたその手練手管を褒めてあげようと来たつもりだったが、なんだかシケた顔してるわね。ホワイトノートが台無しじゃない。ちゃちゃっと洗い流しちゃおーっと」

 そう告げてミコはレインとしての雨の能力、『密室用雨』でもってホワイトノート内に雨を起こした。上から下に降るのではなく、ミコから周囲に降り掛かる雨。それはあっという間にホワイトノート内を隈無く洗い流し、エレーヌの心配も苦悶に満ちた委員達の顔も綺麗さっぱり元通り。雨を引かせると、水も滴るいい光景、いい男にいい女が揃い踏みとなった。

 エレーヌは知っている。ミコは二度も自分から挨拶しないことを。なので自分が切り出すべきかと思ったが、そこは悩んでも委員達。ミコをここに呼びつけたアジサイが、感謝もほどほどに高座目線でものを語る。

「おっ、来たなミコ。ホンマちょうどいいときに現れるやっちゃ。とりあえず洗ってくれておおきに。で、すぐに問題見せてやりたいんやけど……まずは他ん連中出してからにしよや」

 謙遜の欠片もなく、要求で締めるアジサイだが、彼女もミコとは勝手知ったる間柄。ミコも気分を害することなく、「ええ、そのつもり」と相槌を打って影帽子のがま口チャックから喰った大人達を吐き出した。中で何があったのかは知らないが、吐き出された大人達は既に目を覚ましており、かつ着地前に妙な振り付けを欠かさなかった。影帽子内で睡眠学習でもやっていたのだろうか――エレーヌはそんなことを邪推してしまう。

 ともあれ、ミコと一緒にいた花一族の委員達、そして気象一族の大人達が現れたのは事態の転換期に足るには充分だった。寄せる世間の荒波掻き分け、着地登場してみせたツバキ、コスモス、スイートピー、カトレアの委員達に気象一族の大人さんことウィンドとカーレントが決めポーズ。ドヤッと決め顔まで見せる六人に一瞬気圧される先住委員達であったが、曲がった個性なら負けてない。アジサイ、タンポポ、ヘレニウムを先陣に、八人揃って胸を張る。意味もなく対峙する2つの勢力。外れているのはストックとエレーヌ、そしてミコの三人だけ。

 だからこそ、ミコが事態を収拾するのは、極めて理に適った結果だった。

「はいはい。出オチで終われば苦労なしってね。頭数は出そろっても問題はそのままなんでしょう? 全員揃えば神の知恵、早速問題の注文書をみせて。カーネーション」

 カーネーションを指名したのに理由はない。ミコにとっては悩んでいる八人からなら誰でもよかったのだが、なんかここはカーネーションがいい気がした。後付論になるが、ミコ側にいた同じアラサーシングルのコスモスが嬉しがったのが好ましかったからかもしれない。

「ほらよ。これが件の悪魔白書だ」

 そう言ってプリントをミコではなくコスモスに渡すカーネーション。手を上げて受け取ったコスモスの周囲に、ミコ達全員が集まってくる。

 肝心の中身は簡単な文章だった。こんな文章。

 

『お金は払い終わったので人の手で持って来て欲しいです。だれもいない、0÷0が示す場所で待ってます。来られなかったら、告訴ですよ?』

 

 それだけだった。人の手で受け渡しにきてほしいこと、接触に失敗したら告訴だということは書かれていたが、肝心の時間と場所が謎掛けになっている。とくに0÷0というのは難解だ。

「なるほどねーこりゃみーんな苦労するわけだー」

「そうだろうコスモス。0÷0に答えはない。いや、計算できないという数学的無意味な計算だね。それを出してくるなんて、落札したミス・ブラックナチュラルは大莫迦者かね!」

 コスモスの指摘を都市管理・政治運営対策委員のヘレニウムが熱く肯定し拳を握る。出遅れたカーネーション達起きていた残り七人の委員達も、「そうなんですよね〜」「困ったもんだ」「全く……美意識に欠けるわよね」「泣き言いうなや。もう金は払われとるんやさかい。でも全然わからへん」「ったく、仕事終わりに謎掛けなんて……こちとら短気な街っ子なんだぞ!」「ローラー作戦を実施しますかな?」と、思い思いの詞を挟んでくる。

 外野席からストックと共に事の一部始終を聞いていたエレーヌは、これでは答えなど出るわけがない――委員会精度の限界を垣間見ていたエレーヌだったが、その考えは唐突に打ち切られた。

「なるほど、そういうこと。議論は終わりよ。もう解けたから」

 この街の地図を広げ見つめていたミコが、いきなりそう言ったのだ。その場にいた全員が、わけもわからないといった顔でミコの方に顔を向け、ぎょっとした目で注視する。でも詞を発したミコは、意外さをかんじさせる表情をもってそれを受け止めていたのである。

「そんなに意外? 問題なら答があり、なぞなぞになら正解がある。これがどっちかは関係ない。要は解けるってこと。You See?」

「そして解いたってことですか……」タンポポの感心を通り越して呆れ返ってしまったという体の喋りに、その場にいる巫以外の全員が、首肯したものだった。

 だがミコはそんな世間体なんて知らんぷり。知ったかぶりを微塵も見せず、時計を探して彷徨い始める。

「発表会って確か午後の二時からだったわよね。その間ずっと寝ていたわたしがいうのも烏滸がましいんだけど……」

「なんだよ、はっきり言いやがれ!」

「今何時?」アサガオの急かす台詞にミコが返したのはその詞。あまりにも似合わない場違いなその内容に、今度こそ全員が固まった。否、固まらせられたのだ。なぜ、今時間なの?――そう問うだけ無駄な気がしてきたので、ストックが恩着せがましく現時刻を迷える時間の迷子に告げる。

「現在午後九時十八分よミコちゃん。一体それがどうしたっていうの?」

「午後九時過ぎね……早いのかしら。遅いのかしら」ミコはさらに支離滅裂な詞を吐く。

「お店ってもう閉まってる? ショッピングモールとか、大きい施設」

 何をどうしたいのか全くわからないといった様子のストックだったが、質問には丁寧に答えた。

「ええ、閉まってる。今宵は祭の最終夜。早めに終わって宴も早く終わる特別な日。明日以降が普通の勤務日になるから今日は大事をとってもらうっていう心遣いもかけてるの。今夜は静かな夜よミコちゃん。祭の余韻も残さない……ね」

 ストックの説明を聴き終わったミコは「そう……それを知っててあの方は」と天を仰ぎ見て呟くと、こっちを振り向き愛らしい顔で言うのだった。

「暗号文もわかったし、わたしが届けに言ってあげるわ。もう時間みたいだし、何より連中はわたしに会いたがってるみたいだからさ」

 そう告げたミコの顔は澄み渡った晴れやかな顔で、澱みや汚れが一切ない。そのとき皆が確信した。本当にこいつはわかっているんだと……。

 そうなると付いていきたくなるのが人情というもの。ストック以外の全員が我先にと手を上げて、同行者になろうと鼻息荒くして息巻いた。

「はーい、また一緒に行くー」「おめえ午前も行っただろ! 今度は俺の番だ!」「なに言ってるんや、こうゆうのは好感度順って相場が決まっているんやで」

 十人十色によくも言ったり。委員達はひとりとして譲ることなく、今度こそ自分の番だと強く、声高に主張していた。この時ばかりは委員会という精度を恨むべきだろう。同じ目標を抱いていても、如何せん枠が限られているために血腥い争いがあちらこちらで勃発、そのはずだった……。

 しかし、ミコから出てきたのは、また突拍子もない、仰天の詞。

「いいじゃない。行きたい子はみんなおいでよ。神様に会えるチャンスなんてそうあるものじゃないんだし……午前と違って仕事が閊えているわけでもないんでしょう? なら問題ないんじゃない?」

 はにかんだ笑顔でそう答えたミコに邪な気持ちが全開だった委員達は一人残らず悩殺される。問題を解決し、問題を取っ払う女、ミコ=R=フローレセンス。彼女だからこそ神様の問題も解かれたのだと、皆が物語の作者となり、語り部となり朗読した気分なのだろう。エレーヌは調子のいいものねと半心呆れつつも、とりあえず泥仕合を回避できたことにホッとした……のだが!

 安息は一時の幻。事態は落ち着いた直後急転する。ドタドタキイィとこの地下94階ホワイトノートに急速接近し擦れる足音。ドアが開き、皆が目撃したのは――。

 血塗れの茨の鞭を全身に隈無く巻き付け、血相変えた形相でこちらを睨みつける花一族の誇るお仕置き係、ローズの姿だった。

 と同時に、なぜかキク、カーネーション、アジサイ、タンポポ、アサガオ、ヒマワリ、キキョウ、ヘレニウム達、午前中の戦闘に同行できなかった者達の顔が曇る。脂汗が滴り落ち、血行が悪くなり、みるみる血の気が引いていく。何があったというのか。

 その答えは駆けつけたローズ本人から齎された。折角のミコの厚意を無下にしてしまうかのような、本気でとんでもねえと思えた感じの発言だったが。

「キク……カーネーション……アジサイ……タンポポ……アサガオ……ヒマワリ……キキョウ……ヘレニウム……まさかあんたたち、ミコ助の厚意に甘えて一緒に行くつもりじゃないでしょうね。聞いたわよ、あんたたち昼の闘いに連れてってもらえなかったからって、不幸のまじないをかけたらしいじゃない! それにツバキ、デルタフラワーズが白状したわよ。悪質小細工351号の犯人、あんただったらしいじゃないか!」

「ヒイイイイイィ!」ヒマワリが悲鳴を上げる。ヒステリックかつアーティスティックな感情発露はデザイン担当の肩書きにふさわしいものがあった。

 だが、本題はそこじゃない。今明かされた驚愕の真実はミコからの信頼を傷つけるどころか、そいつらの人生を暗転させる危険性まで秘めているものだった。

 ローズが一歩歩み寄る。名指しで指摘された七名は押されるようにじり……と後ろに下がる。されど只では下がらない。口は八丁手は二丁の口達者で知られるアジサイが引きつった顔で苦し紛れの言い訳をする。

「ローズ……落ち着いてや。ウチらのやったまじないはそんな悪質なものやないねんで。ほら、なんや……シクラメンらのふざけよった騒動にも関わらず今日の祭が無事終わったんは、ウチら実務連中が頑張ったからやろ? そう……そうなんよ。でもな、そのウチらから見てしても本当に活躍したんは――今日のヒーローヒロインなんは事件解決の花形やったミコとそれに付いてった奴らなんやねん。どうしようもない人の性やけどな、それ思うたら悔しくてしょうがなくなってしもたんや。自分らの仕事を誇ってないとか言うんのとは違うんよ。でもな……ミコに選ばれなかったのが、闘えなかったのがすんごく悔しゅうて……気がついたら」

「まじないをかけていたと。悪質じゃない? 冗談千万も甚だしい。『足を引っ張るまじない』は、一級封印の禁呪術よ。それをカトレア以外の七人が揃いも揃ってやろうとは……花一族の委員ともあろうものが情けない。だからワタシが処罰する。別件のツバキも含め、一挙検挙のお仕置きだべー!」

 七人が悲鳴を上げる間もなく、ローズは全身に巻き付けていた痛々しい茨の鞭を七人目掛けて自在に伸ばし、巻き付け、きつく縛り上げる。七人はなんとか振りほどこうとしたが、身に憶えでもあるのか覚悟でもできていたのか、別件で追及されていたツバキは甘んじて縛られていた。棘がある薔薇の茎でできた鞭は打擲だけでなく、刺突の面からしても効く。縛られた八人中諦めの悪い七人は肉に食い込む棘の痕から濃さ色々の赤さの血飛沫を滲ませ零しながらも、尚もそうなるとわかっているのに決して抵抗を諦めない。しかしそれも無駄な足掻きに終わった。お仕置き係になるべくしてなったローズ。その本質は強烈なサディストであり、攻撃力は花一族の中でも群を抜いている。さらにお仕置き係の属性を得たので、その攻撃力は花一族の仲間相手に更なる追加効果を齎すのだという。ストックから聞いただけの話だったが、目の前で目撃するに当ってエレーヌは本気で信じざるを得なくなった。認めざるを得なくなった。そして畏れざるを得なくなった。

 結果は呆気ないものだった。七人の抵抗の声は止むことはなかったが、それも空しく空振りに終わり、ローズに引っ張られ、説教部屋へと去っていったのであった。じたばた足を振り回し、実に未練がましく自由へ抜け出そうとする七人の姿は。自業自得とは言え、憐れみを誘うものだった。それに引き換え、大人しく連れて行かれたツバキの顔は、蒼白ながらも天晴であった、

 そうして昼間の小悪行を成敗されに連行された七人を除き、ホワイトノートに残ったのは――。

 ミコ、コスモス、スイートピー、カトレア、ウィンド、カーレント、エレーヌ。そして花君ストックの計八名であった。一気に半数近くの頭数を失い、寒村に吹くような寒風がどこからともなく感じられた。

 そんな乾いた空間に、よく木霊するストックの手拍子。一族の筆頭が漸く音頭を取ったのだ。それと同時に右手の掌を上に向け、銀色に光り輝く絹の袋を喚び出した。

「じゃあ、ここにいる七人でミス・ブラックナチュラルの所へ行ってきてね。ミコちゃんにこのリバムーク、祝袋入りの種を託します。ちゃんと渡してくださいよ?」

「予言するわ。いつまでたっても問題は起こらない。ああ、それが答えだと」

 ストックの真摯な依頼にもどことなく毒のあるユーモアを交えた文句で返すミコ。しかしその不敵不遜ぶりがどんな加護より頼もしい。なんてったって相手は有史以来誰も解けなかった神様の問題を解いてみせたミコ=R=フローレセンス。そして相手はその神様達なのだから。確認の詞はなくともほぼ参加が確定したコスモス、スイートピー、ウィンド、カーレント、そしてカトレアとエレーヌも何時になく充溢した思いを心の底に満たしている。鮮麗な思いは身体と心を動かす燃料。それが滾れば滾るほど、生命というものは常識を超え、神秘の可能性に手を届かす。準備は整った。出発の時だ。

「じゃ、行こうか。案内するわ。得物は絶対忘れないでね。届ける過程で戦闘は必至。神様とのガチンコ勝負よ」

 さも当然のように宣うミコの詞。意外性たっぷりのはずなのに、なぜか細波ひとつ立たない。心は静寂に包まれ、静かな闘志が散り散りと揺らめく。さすがに残った面子はエレーヌ以外昼の戦闘も経験した強者揃いだったので、すぐに武具や、戦闘必需品をその場から動かず、術でもって取り寄せていた。労力を惜しむのではなく、手間、そしてミコと一緒の時間を惜しむが故の若者達の行動に、エレーヌは心からの賛辞を贈る。かくいうエレーヌ本人も、自身専用にチューンアップした得物を懐へと取り寄せていた。

 二度目の確認はいらない。今度こそ準備はできた。ならば今度こそ出発の時。

 それをわかっているかのように、ミコはストックから上物の反物で織られたリバムークの袋を受け取ると影帽子のがま口チャックに仕舞い込み、チャックを閉じてエレベータへと歩を進める。ストックとすれ違いざまに「行ってくる」「ええ、さよなら」と短く交わした会話が、聴く者全ての心に響いた。

 それに続いて、コスモス、スイートピー、ウィンド、カーレント、カトレア、そしてエレーヌも出口へと向かう。ミコとは違い、誰も残るストックに詞をかけることはなかった。なぜならストックに「さよなら」と言われる筋合いがないからだ。そう、ミコと付き添いの六人の決定的な違い――それは、再会の保証のない旅人かどうかということ。ミコはその風その旅人であり、付き添いの六人はそうではない。だから、ストックとの間に詞を交わすこともない。また会えるから――次でいいじゃないか。そういう理屈である。

 そうして花君ストックだけを地下94階ホワイトノートに残し、ミコ達は上へ向かうエレベータに乗り来んだ。

 

 

 栄華会館地上1階に到着し、エントランスホールから外に出たミコ、ウィンド、カーレント、コスモス、スイートピー、カトレア、エレーヌの七人。花の都ガデニアは17のゾーンで分けられている上、各ゾーンに自然公園配備の義務がなされている。高層ビルの立ち並ぶオフィス街などもあるにはあるが、この都に「空が小さい」という表現は似合わない。三千世界に散らばる星は十方世界の夜空を彩る。満天の星天が、明りの消えた都で穏やかな道標となっていた。

 そんな星空を見上げるミコ達。皆思い思いの感情に浸って空に瞬く遠い星を見つめている。それが二分ほど続いただろうか、一団を率いるべき立場にあるミコが、「それじゃ、行くわよ」と帽子で空に輝く星達から自分の顔を隠し、足で道を蹴り駆け出した。

 エレーヌ達もそれに続く。決して見失わないように。同速――若しくはそれ以上のスピードでもって。それでも集団の先頭を走るのは、行き先を知っているミコでしかなかったが。

 そのことをエレーヌが指摘したのはちょうどゾーン1を抜けたあたりだった。ガデニアのどこに行くのか、流石に気になりはじめていたから。

「ねえミコ、今更だけど教えてもらっていい? これからわたしたちが向かう場所――あの暗号文が指し示していた場所はどこなの? ひょっとして天国、なんてね」

 いつも通りの自然体を崩さず語るエレーヌの軽口じみた質問。場の空気を悪くしないようにとの年長なりの配慮であった。一応効果はあったようで、ミコも溜息混じりだったが答えてくれた。

「そうね。教えてあげましょうか。そもそも数学で数を0で割ることがタブーなのはどうしてかわかる? カトレア」

「えっ、除算は乗算と蜜月関係にあるからでしょう? ○÷△=□(式①)だったら、同時に○=□×△(式②)でなければいけないというのが数学の基本。ここで△が0の場合、式②に当てはめると○=□×0。右辺の計算結果は0になり、左辺が0以外であった場合辻褄が合わなくなり、答えは『全然ない』になりますね」

「そーだねー。さらに○も0だった場合、つまり0÷0=□(式③)だとしたら0=□×0、即ち全ての数が当てはまるんだよねー。だから0の除算は解答の余地がない。でしょー?」

「そう。数学的には大正解の答えよ二人とも。でもね、その答えには夢がない。いや、ロマンがないというべきか。ふむ……」

 カトレアに続いたコスモスの答えを正解と言いつつも、夢やロマンなどといった学問に一際似合わない単語を入れてきたミコ。その人を食ったような文句に、みんな虚を衝かれ間を停める。そこからミコのワンマンショーが始まったのだ。

「詩的に考えてみなさいよ。0÷0の答えは『全てのものが当てはまる』。その式が導くのって、数学的なナンセンスじゃなくて詩的なミステリィなものなのよ。0=無を無で割ったらあらゆるものが誕生した――これって無から有が誕生するって意味にならない?」

 あっ……聴いていたエレーヌ達の顔が素に変わる。そんな考え方、思いもしなかった。

 ミコはさらに続ける。「無から有が生まれるならそれは宇宙の誕生に例えられる。この問題の出題者――ミス・ブラックナチュラルもそこを狙ったのよ。ここガデニアで宇宙に因んだ名前を持つのはただひとつ。ゾーン12のコスモタワーだけよ!」

「はぁ……」聴いていたエレーヌ達六人は気の利いた返事さえ出せない。咽は乾いた息を吸って吐くだけで精一杯で、とても会話に使えない。それくらいミコの深淵で奥底見えない解釈――答えに魅せられていたのだ。数式をそんなふうに解いてみせるとは――やはりこの子は『選ばれし存在』なのだろう。成る程実に、詩的で素敵な答えだった。

 エレーヌ達はミコの方に目を向けつつ走り、感動の余韻に浸っていたのだが、それでは時間が勿体無いと件のミコは判断したらしい。さっさと次の要件を口走る。

「コスモタワー。他の高層建築よりかなり低いけど、ゾーン12では一番の高層ビル。しかしなにより厄介なのが、低層区域に全周を覆う広大なショッピングモール、メビウス・ラウンズがある。だから厄介なんだよね。暗号文にはだれもいないとあった。0÷0が場所を表すならこっちは時間。誰もいない時間帯――閉店後のメビウス・ラウンズを通り抜けた誰もいないコスモタワーでリバムークを競り落とした神様は待っているってこと。これがどういうことかわかる? コスモタワーに辿り着くまで、わたしたちは神様連中の徹底的な待ち伏せを受けるってこと。神様連中はわかってる。ここにわたしがいることも。あの謎掛けを解けるのもわたしだと。どうせ逃げ切れないとはわかっているわ。それでもちょっと憂鬱ね。神様の仕掛けた罠の中にステップ踏みながら乗り込んでいくんだから」

「おおぅ……ってことはわたしらに求められるのはただひとつ、危機を突破する能力ってことさな?」

 いち早く喋る機能を取り戻したカーレントが要点を纏めて言い聞かせる。自分は勿論、全員に――。

「へえ」「ぱるほどね」「くふふー」「いいですね」「そうね。なんてね」

 カーレントの告知を受けてウィンドの短い返事。スイートピーのぱで始まる個性あふれる返事。コスモスの間延びした能天気な返事。カトレアの丁寧口調を崩さない、女性にしては低い声色の返事。そして最後にエレーヌが、自他ともに認める口癖を織り込んで返事をする。返事をすること――それは覚悟を決めたということ。これから向かう先は神様達が罠を張り、待ち構えている魔窟なのだと理解した合図。その覚悟と高揚感を胸に秘めた女性七人は、目的地たるメビウス・ラウンズ&コスモタワーへと到着した。

 エレーヌ達が到着したのはメビウス・ラウンズ5番入口前。ゾーン1の栄華会館から最短距離で来たのだから、この番号以外はあり得ない。メビウス・ラウンズには入口が移動するような大仰な仕掛けはない。

(となると、当然……)

 エレーヌが思考を巡らせた矢先だった。メビウス・ラウンズの中央にそびえ立つコスモタワーから響く一発の銃声。ミコがすかさず頭上に煙幕弾を放り投げ、銃弾を防ぐと同時に、六人の仲間を神様達からの捕捉から逃した。

 ミコは煙が充満する中、影帽子のがま口チャックからむっつの巾着袋を取り出し、エレーヌ達に手渡した。そして小声でこう言ったのだ。

「それ、神様を攻略したわたしの対神様用秘密道具一式が入っているわ。とりあえずコンタクトかモノクルは着けなさい。それが絶対、役に立つ」

 さあともほらとも急かされることもなかったが、エレーヌ達は素直にその指示に従い、各自コンタクトレンズと片眼鏡を装着した。もっとも、モノクルを選んだのはエレーヌだけという笑えない結果に終わったが。やはりわたしは学者なのね――そう自虐するエレーヌだった。

 そして煙が引き始める頃、続け様に第二陣の攻撃が来た。古の物語に出てきそうな古代兵隊の大群がメビウス・ラウンズの屋上から200、いや500人単位で一斉に襲いかかって来たのだ!

「ここはイヤ! 戦場は中に移すよ。文句ある?」

「異論はない!」ミコの指令に即座に賛意を示し、エレーヌ達六人はメビウス・ラウンズの入口をブチ壊し、閉店後のショッピングモールの中へと突入した。危険なくして宝なし――今、ミコ達七人の女性と神様達の勝負が始まった!

 

「チッ……中に逃げ込んだか。語、言霊兵士を中に入れろ。俺は次の狙撃ポイントに移る」

「フッ……お前の命令は金色に輝く夕日のようだぜ。いいだろう、了解した極。俺は彰達の方に行くぜ」

 そう言ってメビウス・ラウンズの屋上――ではなく、中央コスモタワーの垂直な硝子壁面に落ちることもなくへばりついていた二人の神様は己が道を行くかのように、別方向へ分岐した。

 

 ミコに率いられた七人はメビウス・ラウンズの5番出入口を破壊して建物内に突入する。そしてすぐにやったことは左右に別れることではなく、一丸となって左側に曲がることだった。そして一定の距離を稼ぐと破壊した5番出入口から追いかけてきた兵隊達が埋め尽くすように入ってくる。ミコはその様子をがま口チャックを開いて出した、黒い目でつぶさに観察していた。

 そして十数秒ほど経ったあと、エレーヌ、カトレア、コスモス、スイートピーに指示を出す。

「よし! 全員入ったわ。エレーヌ、逃げられないよう『因果の断層』を。カトレア達はその中に花粉を充満させて焼きつくして!」

「合点承了!」その返事とともに、エレーヌが敵の兵隊達を取り囲むように自分の特殊加護である谷を作って断層を発生させ閉じ込める。間髪容れずその中に淡い色から枯れた色まで様々な色の花粉が充満する。花君ストックほどではないが、粉塵爆発は中級秘伝。委員ともあろう者達なら修めて然るべき技なのだ。

「ぱっか!」スイートピーがそう叫んだ途端、スイートピー、コスモス、そしてカトレアの三人掛かりによる粉塵爆発がエレーヌの断層結界内で炸裂する。瞬く間に敵共は逃げ場のない爆炎に焦がされ焼かれ、人の形をした灰と化して塵芥としてその場に崩れた。

 次の瞬間、迷う暇もなく、次なる敵の気配がした。5番出入口の左側に曲がったミコ率いるエレーヌ達。目を向けていたのは出入口に使った5番出入口の方だったが、気配――いや足音がしたのはその背後。つまり5番出入口から左に曲がったエレーヌ達の更に奥から聞こえたのだ。

 背筋が震える。全身が総毛立つ。冷や汗が流れる。それでもエレーヌは全く動じず後ろを振り向くミコに倣って勇気を振り絞って後ろを向いた。

 そこにいたのは――十数体の人に似た“なにか”。

 皆輪郭は人の形を象り、服を着て靴を履き、仕草も総じて人間らしい。

 が、その“存在”から放たれている“威光”と“名前”は訊かなくてもわかるもの。この者達こそ、神様だと。

「やっと会えたでぇ〜。ウチのミコちゃん」

 十数体の中にいた、着流しを着て右手に扇子と、明らかに戦闘向きではない格好の男神がミコに落語家よろしく満面の営業スマイルを向けて開口一番、こう言い放ったのだ!

「さあミコちゃん、ウチと契約してお笑いコンビになってよ」

 と。などと。とにかく唖然とさせられる詞だった。

 ある意味こういうのが“神様らしい”というのかもしれないが、ミコがそんな誘いに乗らない人物であることは、自分達の方が神様よりも知っている。案の定、ミコは口先だけを可笑しくユーモラスに動かして断りの文句を垂れたのだ。

「おことわりですわぁ〜。わたしぃ〜、時間無いんですものぉ〜。それにぃ〜、そんな副業しなくてもぉ〜、路銀にゃ困ってませんからねぇ〜」

「なんでやねん! 神様一のお笑い通と言われたウチとそれを負かしたミコちゃんが組めば、世界を、宇宙を笑わせられるんやで! ミコちゃんはそれに興味ないん?」

「ない!」再度誘いをかけるもののミコに(笑顔で)言われたこの断言を目の当たりにし、着流しの男神は大きく狼狽し、顔を両手で覆う。そしてブツブツ思考を零していると、代わりに中央付近にいた長袖長ズボンの女神が進み出てきて詞を発する。

「まあ、魚ちゃんに許しをいただいていることだから、そこは勘弁してちょうだい。あの日あなたが設計図を盗んでこの人間・生命世界に逃げてから約一年……ようやく捉えた尻尾だもの。御丁寧に魚ちゃんがあなたを餌で釣ってくれた。そのチャンスを逃さずに、自分達の目的にも挑んでみたらというのが魚ちゃんの談。さて、ここの落クンはあなたをお笑いコンビの相方にしたいし、私はといえば……やっぱり泉さんの死の真相が知りたい。教えてほしい本心があるけど、私貴女の本質がいたずらっ子の天の邪鬼だって知っている。教えてほしかったら……いや、こっちの願いを聞き入れてほしかったら力づくで押し通してみろってことなのよね?」

「それが叶うなら、わたしの人生もっと楽でしたけどね」

 ミコの返答は本当に気難しく、小難しい。どう捉えていいのか判断に困る。まるで正解と不正解の間に引かれた線のよう。

 ともあれ、話をしていた女神様の主旨は概ね許容範囲だったようで、ミコは静かに身構え、一見してそうとは見えない臨戦態勢を整えた。なぜこれが戦闘準備かわかったのかと言われれば、その身体から静かな闘気が穏やかに充溢していたからだ。

 その様子を眺めていた相手神様の一角――頼り無さげで挙動不審気味に見える男神女神達がその外見に似合わない、物騒極まりない台詞を吐く。

「返してくれないんだね、ボク達の設計図」「そうみたいですね。では神罰です」

 物議をかもす発言にミコ以外の人間六人がギョッとなる中、その詞を発した二人の神様は更にもう一人、ハーフパンツに編み上げブーツ、七分袖のシャツに陣羽織のようなコートを羽織った目立つ女神の方を向いた。その女神は詞を発さず、下を向き、俯き様にぶつくさ小声で呟いて、うだつの上がらない体勢だ。それだけにエレーヌには不可解に映った。この神様、何者なのかと――。

 その答えはすぐに出た。注目の的となっていた女神は一転発起したかのように見るも喜ばしい(狂い気味の)笑顔を見せると、「壊していいなんて素晴らしい……ブチ壊す! “引装壊発”!」と叫んで左手を回廊店舗の壁と屋根に向けると、そこを簡単に破壊したのだ。

 そしてそれだけでは終わらなかった。破壊された壁や屋根の構材の破片が、その女神の手元、破壊した元凶たる左手に引寄せられ、引っ付き、装甲と化したのだ!

「何あれー? 枝骸装甲みたいなものー?」

 コスモスの緊張感の欠片もない、しかし意外と核心を突いた指摘に、ミコは柔らかい声で応えてくれた。

「そうよ。あれこそが瓦礫の神の通り名を持つ焰=スピーカノイズの神業“引装壊発”! 破壊の限りを尽くすほど、その瓦礫を己が鎧として纏う神様の持つ反則のひとつ。相手するならコスモスかしらね」

「だろーねー。でも先手はわたしじゃなくてもいいでしょー? カーレント、おねがーい」

「あいさ!」そう返事してカーレントがしゃがみ、床下に手をつけると、辺り一面床下から、一気に水が――海水が溢れ出したのだ。

「昼間ウェイブから譲り受けたこの海水、正直持て余していたんだよね。まずはこの吹き抜け二階建て回廊店舗の一階部分を海水プールにしてやるさね!」

 カーレントの宣言とともに、海水はどんどん増えるし満ちる。程なくして彼女の宣言通り、2階あったショッピングモールの1階部分は丸ごと水槽と化したのだ。でも水漏れなどは一切ない。神様は今回の罠を張るに当たって、幾重にも周囲からの邪魔や、周囲に気付かれないように、幾重にも防護境界を展開しているのだから。「全く、神様は優しいです」とでも褒めたくなるくらいだ。もっとも、そこのカーレントにはそんな気遣いは望めなかったが。

「さて、ガス抜きもできたところで……上手い具合に舞台も整った。レイン、もういいよ」

「Thank you my mate カーレント。じゃ、お詞に甘えさせてもらいますか!」

 ミコは唐突にそんな会話を終えると、影帽子のがま口チャックから左右に巨大な黒いレールを二回頂上付近の高さの両側面に展開する。更にそれにがっちり合わさるように、これまた巨大な黒い歯車を左右ふたつ、それぞれのレールに合致させる。最後に中央部で結合した歯車の継ぎ目の下に、二本のワイヤーでふたつの歯車から影帽子ごとぶら下がると、一目散に方向転換、神様達に背を向けて逃げ出したのだ!

「ちょっ! ミコちゃんどこ行くん! 待て……待ってぇ!」

 海水プールの上に立っていた着流しの男神がそう叫んで慌ててミコを追おうとするが、そうは仲間が認めない。その男神の動きは花一族の中級秘伝、粉塵爆発でもって無理矢理留め置かせてもらった。腹部を焼きつくされ、同時に押し退けられる爆風の衝撃で水面に膝をつく男の神――その形相が激しく歪む。

「ジャマする言うんか? ウチのスカウトにちょっかい出すんか……なら敵や! ミコちゃんへの契約土産にお前らの首級貢いだるわ!」

「落! やる気が出たのはいいけど退きなさい。先ずは私が挽肉にしてやるわ!」

 背後から聞こえる狂気の声とそれに比肩する巨大な怪腕。ミコのご紹介にも与った瓦礫の神、焰=スピーカノイズが二階の店舗を更に壊し、鋼材、ガラス、セメントなどを取り込んで強大化させた拳による、見るも無慈悲な一撃をこっち目掛けて繰り出してくる。

「コスモス!」「はいよ!」

 ウィンドの掛け声に、珍しく間延びさせない『本気』の口調で応えたコスモスが枝骸装甲で作り出した昼と同じあの杖を伸ばし、焰の拳と接触させた。その途端、廃材でできた拳の動きが止まる。

「なに……これは?」

「わたしは音の秘術を修めた少女。花一族が環境管理等活委員コスモス。この杖を介することであなたの拳がもたらしたであろう破壊の力は、同在する音を殺すことで無力化した。だからさっきから行っているでしょー? わたしこそあなたにうってつけだってー」

「くっ!」反論できない焰の周りから、別の神々が一斉に飛び出し四方八方からコスモスに攻撃を仕掛ける。数で圧倒しようというのか――成る程、神様は計算ができるようだ。

 しかしその無数数多の攻撃もこちらにしてみりゃ想定内。ウィンドの起こした風の壁、カーレントの起こした海水の壁、そしてエレーヌの生み出した『因果の断層』に護られて、コスモスは傷ひとつ負うことなく、悠々自適に間合いをとった。

 が、その時。想定外の死角から6発、逃げたミコを見送り残った六人を狙った狙撃行為が発覚した。発覚の段階で済んだのは、いち早く勘付いたスイートピーの対処の御陰。

 それはつまり、同じ穴の狢としての、少なからぬ対抗意識――。

「ぱっちは私が請け負った……意義はあるかな?」

「ないわ。私はミコさん同様、臨機応変にこの棍棒秘具を使わせてもらいましょうか……」

 スイートピーの潜伏連中相手取り宣言を認めたカトレアが、得物として丸くなだらかな太さの差をつけられて削られた棍棒を取り出す。とは言ってもその棍棒、人を打ち付けるというよりは、手に握れるサイズのボールを打ち付けるのに適した太さだった。

 が、その得物の姿を目視した神々からは阿鼻叫喚の声が上がる。中には露骨に挙動不審気味になる神様までいた。

「莫迦な……ホームランバットだと!」「伝説の競技“YAQOO!”の名器が、まだ残っていたというのか」「あの子……遺品使いなの?」

 神々の中にどよめきが広がる。それはこちらにとっては好機。自分達のペースで戦闘できるし、個々にミコを追跡できたりと、至れり尽くせりだ。

 故に、宣戦布告はこっちが切る! エレーヌ、スイートピー、カトレア、コスモス、カーレント、ウィンドは己がもっとも得意とする戦法で、個別に闘いに打って出た。

 

 罠を張っていた神様達にとって、目の前の展開は予想外の斜め上だった。舞台をセッティングした魚は「闘ってくれるよ」と語っていたのに、事実は全く逆。ミコは一目散に逃走し、目の前には6人の女が邪魔立てしている。これが魚の“意図せぬ狙い”なのか、それともミコの“気まぐれ風来人”というものなのか――。

 まあ、選択などは些細な問題。今重要なのは、この6人を打ちのめし、ミコを求めることに尽きる。

 なので邪魔者は排除する。気持ち悪いくらい善く出来た神様の思考回路である。

 そこにいた中でリーダー格の透がコスモスという名の少女と抑えあっている焰に指示を出す。

「一度退いて! 時間を稼ぐからその間にもっと瓦礫を集めなさい!」

「それがベストだね。みんな、よろしく!」

 焰は透の指示を受け入れると拳を引っ込め、既に5メートルを超えていた巨体を吹き抜け2階の空中に翻し、回転しながら辺りの者を片っ端から破壊する。

 商品も、陳列棚も、施設も何も関係ない。“あれば壊す”――それが瓦礫の神、焰=スピーカノイズの心の片隅を占める破壊賛美の衝動なのだ。それを纏うことで、破壊の暴力度は更に増す。

 が、敵もさるもの。距離を取られた杖使いの少女は杖を伸ばして追撃の構え。それを防いでくれたのは神様仲間の整と帳。整が伸びた杖にのしかかって狙いを捩じ曲げ、帳が鋼の髪で一刀両断。切断する。その間に焰はもっともっと、メビウス・ラウンズの実に1/12もの区画を壊し吸収し、優に全長30メートル、下半身は気象一族の女が呼寄せた海水プールに浸かるほどの巨神兵となっていた。此処までくれば物量作戦で攻められる。

「湊、務、愛、環、援護して! 集中砲火で先ずは杖の少女ちゃんを潰す!」

「了解したよ!」代表して湊の声が聞こえ、四人はそれぞれ、短槍二対、極小機巧蟲群、幾つものチョークとボールを投げつける。焰もそれに呼応して、巨神兵となった瓦礫塗れの両手から更に力を込めて飛礫並みの大きさにしたモノを上方角度から雨霰と射出する。

 湊の槍は竜巻を描くかのように回り迫り、愛と環の投げたボールとチョークはまるで推進コントロールでもしているのかと言わんがばかりに不規則に推進軌道を変え、目的地を読ませない。そして務と焰が数に任せて繰り出した機械蟲と瓦礫の雨。逃げ場はないぞ――そう言ってやりたかったが。

 少女は逃げた。否、護られた。

 少女の背後から見えたのは大波からなる大飛沫。それが少女を丸ごと包んだかと思いきや、なんと海水の防護球体となって、攻撃が着弾する前の少女の身体を完全防御してのけた。弾性高い厚い水壁はチョークとボールを明後日の方向に弾き飛ばし、中に取り込んだ機械蟲は海水でショートし融かされ、瓦礫の雨も受け止められる。

 そうなったら残るのは湊の投げた槍二本だが、少女の方が上手だった。少女は枝骸装甲なるものからなる杖をもう一本作り出し、二杖流でもって水球内から杖を伸ばし、不規則に動く湊の槍を捉えると、こつんと当てて粉砕した。音の共振効果でも使ったのだろう。

 とにかく、攻め手は全て失敗に終わった。

 そして、次の攻め手を考えている暇もなかった。少女を護っている防護球体、それを作っているあの気象一族の女が有無を言わさず攻めてきたのだ。その手法がまた海流を司る女らしい――なんと水面に巨大な背鰭を10枚並べ立て、此方へ向けて襲わせてきたのだ。

 鮫や海豚、そして鯱を彷彿させる水から成るその背鰭は、向かってくる最中途中の障害物、2階の床などを尽く切り裂いていた。詰りは刀と同義って訳か――神様達はその脅威を実感し、上下逆転天井着地の技でもってやり過ごそうとした。身体が巨神兵に成ってしまい、逃げることも適わぬ焰は防護の加護をかけて真正面から受け止める気だったが。

 そして焰以外の神様達が上下逆転して天井に貼り付こうとした時――。

 身体が止まった。否、これは無理矢理弄くられ止められた感覚に近い。なんだ?――見えたのは空間を分割する、膜のようなもの。それに触れた箇所は、脳に逆らった動きをする。避けられない。結果――。

「ぐぎゃ!」「ちっ!」「きゃっ!」「がっ!」「きゃあ!」

 湊、務、透、環、愛に海水で出来た背鰭が接触し、巨大微細な傷を夫々に受ける。

 それが――引き金だった.

 5人の身体は傷元から発生した黒い影に飲み込まれ、抵抗もできずに黒い封印状の形へと変えられてしまったのだ。同時にその封印状は、消えて何処かへいなくなる。

 残った神様達の一人、整が目の前の状況を察知し口を開く。

「ミコ謹製の封印術か。おそらく封印状にされた連中はあいつのがま口チャックの中だろうな。全く、透も呑気が過ぎるぜホント。拙いモノ位、勘で見分けろってんの」

「でも……焰ちゃんが生きてますから、まだ戦局は動かせますね」

 整と帳の会話の通り、一番図体が大きく、背鰭の傷を避けられるはずのない焰は、多少縮んだとは言え、封印されることなくそこにいた。避けられないと判断した彼女は、一度全ての装甲を脱ぎ捨てることで背鰭が齎す傷と封印術をやり過ごし、残った瓦礫で再び巨神兵となっていたのだ。

「私達の攻め手に的確な対処……なるほど、ミコちゃんの入れ知恵か」

「そーゆーことです」焰の愚痴に防護球体で護られていた少女が答えた。厄介な連中を封印した結果だろう。気象一族の海流を司る女もその少女を護っていた防護球体を解除していた。

 が、そこが狙い目!

 突如轟く銃の雷鳴。狙撃配置に着いていた極が得意の銃撃を喰らわせたのだ。防御解除の瞬間など、暗殺の神の通り名を持つ極にとっては好物そのものなのである。

「コスモス!」仲間達の悲鳴が響く。神様達でさえ少女の負傷は疑わなかった。

 しかし……秒針が動いた先、視界に映る少女は傷ひとつ負っていなかった。後二人いた花一族の女、そのうち一切得物を持っていない方の女が狙われたコスモスと狙撃した極の対角線上に立ちはだかり、その掌に極が撃った即死信号配合の銃弾を粉々に握りつぶし、「お返しよ」とだけ小声で呟くと、袖を振り払うかのように手をひと振りする。すると、極のいた屋根一帯が酸か溶解剤で解けるように一斉に消滅したのである。足を着けるのが危険と判断した極は飛び上がり屋根に大きく開いた穴に見える夜の空に静止する。

「言ったでしょ? ぱなたは私が請け負ったって。ぱなたと私は同じなのよ。暗殺術に長けた、狂気じみた凶器……」

「ほお……俺の暗殺術を尽く看破し封殺するその手口、俺と張り合う腕はありそうだ。面白い、あの泥棒猫を仕留める前に、そこのお嬢さん方を始末する前に、お前を殺してやろうじゃないか」

「ぱりがと。暗殺の神、極=セキュリティホール。私は花一族陳情受付係の委員、人格改造医スイートピーよ」

「お前、俺の名を……」極が疑問を口に出すより速く、枝骸装甲の羽根を展開したスイートピーが目前に迫り、刺しに似た蹴りを入れようとする。神様が人間に遅れをとった――不快な現実を脳裏に刻まれながらも、極は背後に飛び退き、紙一重でその蹴りを躱す。続けて身を隠すために、下へ屋根へと突っ込んで、メビウス・ラウンズの中に消える。暗殺者は決して表に出てはならない――その鉄則に則った行動であった。其れを追い、スイートピーと名乗った女もまた回廊店舗の中へと消えた。

 どっちが隠れ、どっちが見付け、そしてどっちが仕留めるのかのチェイスが始まった。

 その様子を眺めていた自然学派の女が其れまで黙っていた口を開く。

「さて、戦局は動いてる。正確を記すると分極化している、なんてね。既に神様五体を封印。ミコは一番狙われているのがわかっているから基本かくれんぼに興じるんでしょうし……そうなると私達も別れた方が良さそうね。連携が出来るほど器用でもないでしょうし、なんてね」

 その詞に反応したのは、気象一族、風を操る女だった。

「そうね。ここで出会った十数体だけじゃなく、随分とこの回廊店舗内に隠れている神様達がいるみたいだものね。まあ、動けば出会えるでしょ。わたしはしばらく遊んだ後、レインちゃんに合流するよ」

 その詞に先の攻撃から生き残っていた落が色気付く。途端に現金な声色で。

「言うたな……ミコちゃんに合流する言うたな。ならウチも連れてけやぁ! 礎、雷、球、幽、失! そこにおる空色の髪した女逃がすなや!」

 落の大号令とともに、風の女の周りに現れる多数の神様達。号令をかけた落を含めて動いたのは6名。普通なら完全に包囲できるはずだった。されど敵は奇策で応じる。風の女は自らの身体を透明な風と変えて、メビウス・ラウンズの空気層と一体化したのだ。勿論それだけなら神様達は困らない。ミコの近くで身体を出すのなら、然るべき風が起こるから。

 しかし、それは甘すぎた予測だった。風の女がいた場所に姿を見せていた落率いる6名の神様。そこに集中攻撃をかけてきた敵がいたのだ。音の秘術と杖を使う花一族の少女じゃない。1階を水浸しにした気象一族の海流の女でもない。戦況を解説した女でもない。じゃあ誰が――残るは一人しかいなかった。

 かつてこの人間・生命世界が成果・競争世界と呼ばれていた頃、太古の昔に存在した競技、“YAQOO!”のホームランバットを得物に持っていた花一族最後の一人の女が落、礎、雷、失、幽、球の順にその得物で彼等神様の身体を打ち飛ばしたのだ。素早く放たれた六連打。打たれた方向は丁度ミコ達が入ってきた5番出入口の直線上、身体は壁を突抜け駐車場へとかっ飛んだ!

「あっちは私がやります。外にも防護境界張ってるみたいですしね」

 一聞したら女性と男性の区別がつきにくい中性的な声色で、ホームランバットを持った花一族の女はメビウス・ラウンズの外へと、自ら飛ばした敵の相手に、枝骸装甲の羽根を飛ばす。

 ミコを含めて対面の際六人いたはずの面子が、今やたった三人にまで減っていた。

 そして、其れでさえ結末とならない。焰と対峙していた音の秘術を使う少女が、頃合い善しとでも見計らったのか、瓦礫で出来た焰の巨体に杖を向け、衝撃波らしきものを発生させて其の巨体を吹き飛ばした。下半身は1階の海水プールに沈んでいるほどの焰の巨神体が咆哮にも似た轟音に押退けられ、身体は飛び上がり、天井を突抜け、そこに着地する。其れを追うように、整、帳、加えて外からもう一人男神が加勢に現れた。どうやら少女の相手には四人掛かりで挑むらしい。

「じゃー、わたしは屋上で闘ってくるねー」と、能天気に其の少女は喋り、花の羽根を羽搏かせ、自ら突き飛ばして開けた夜空への大穴へと神様4名を追いかけ、星になる。

 そしてもう一人の女――自然学派の女学者も「じゃ、わたしも鬼になって遊んでくるよ。童心に返って、なんてね」と呟いてその場から自然学派の加護と思しき技で消えた。どこに消えてもここは神のテリトリィ。ミコという異分子以外に関しては追跡可能であるし、出現場所は筒抜けだった。然るべき場所に追手の神様達が向かう。

 最初会話に臨んだ神様に応じた人間はとうとう気象一族海流の女だけとなった。其の女も事態がこうなった以上、闘いと無縁ではいられない。静止している其の女に浴びせかけられる幾重もの包丁。女は其れを気象一族の去なし技、水霧体操で軽々と防ぐ。そして人間無勢のくせにこう言うのだ。「隠れてないで出てらっしゃいよ。残ったあなたたちの相手はこのわたしなんだからさ」と。

 そう言われると出たがるのが、其処に残った神様――萌、巴、そして禊の3名だった。臆病なくらい間合いを取り、挟み撃ちにも近い三方から彼女を囲む。姉妹の契りを交わしている程仲の良い萌と巴が隣り合っているせいで、実質直線上だが。

 一方包囲された気象一族の女は片足で体重を支えもう片方の足は爪先立ちで添えるだけ。随分と打ち解けた調子で話しだす。

「やーっとこさわたしたちも本気で暴れられそうさね。戦局はわたしたち七人に合わさるようにあなたたち神様達の闘る気ある連中がバラけてくれた。レインいえども追いかけられているようだし、見事に神様達をバラけてみせたわけさね。付き添いのわたしたちもぶちのめさないと、レインは決して負けを認めない。あなた達としてもそうでしょう? 神様の問題を解いたレインに勝っても、連れのわたしたちに負けるようなことがあったらプライドズタズタだもんね。そこんとこを自覚しているからあなたたち神様もわたしたちレインが連れてきた六人を無下に出来ない。でしょ?」

「話が判って助かるわ。正にその通りよ。あなたの担当はわたしたち」

「他の娘達の相手は神様仲間達。すぐに終わらせてミコを追詰めるわ」

 女神2名が自信たっぷりにそう告げるが、話相手の気象一族の女、其れは無理だと一蹴した。

「あなたたちはここでわたしが負かすのさ。神様の問題は解けなくても、ガチの勝負で神様に負けない人種がいるって、教えてあげる。まずはこいつらを躾けてみせな」

 無礼千万な台詞を吐いた気象一族の海流の女は手と足を着けている海水プールにしゃがみ落とすと其の海水から空と海の獰猛種を多数生み出し、水中・水上・空中から使役して萌と巴、禊を攻め立て出したのだ。其れに応じる神様3名。最後の戦局もまた、開戦と相成った。

 

 いち早く、一目散に黒いレールと黒い車輪で回廊造りの無限ループを悠々自適に回っていたミコ=R=フローレセンス。其れを捕捉し尾行する影が3名。

 標識の神、羽=ブルーバード。

 算盤の神、羅=モノトーン。

 そして泥棒の神、扉=カレイドスコープの3名であった。

 飛行能力に長けた羅、逃亡を許さない能力を持つ羽、そしてミコから盗むべく選抜された泥棒の扉。一件噛み合ないようで、其の実神様的に実践的な面子がミコを追いかけていた。

 だがただ追いかけるだけでは何周も回るだけの繰り返し。羅の指示の元、羽が技を繰り出した。

「速度規制表示。“停止標識”全周展開」

 羽が箴言を唱えると、追いかけていたミコの移動速度が落ち始める。そして其の先に現れた停止標識の眼前を以て、ミコの動きは停止した。すかさず羽は行動禁止の標識をミコの全周囲に展開する。即座にミコは身動きひとつできない状態に追い込まれた。

 抵抗も、反撃も出来ない状態に――。

「やった……やりましたよセンパイ! わたしの標識戦術で無事に見事に完封です!」

 羽は得意満面の笑みで慕情を向ける羅に評価を求めるが、当の羅からの返事は素っ気ない詞だった。

「善く出来たな。だが油断はするな。其の女は我等が問題を解いた異彩の女だ」

「ぶー。わたしよりミコさんを評価ですかあ? 腹立ちますね。嫉妬しますね。ならとっとと決着着けましょう。扉さん、泥棒の神の通り名に違わない神の手口でちゃちゃっと全部取り返してください」

「其処は“盗り返せ”って言って欲しいぜ。まあいいさ。宝箱弄りは俺の趣味だ」

 扉が羽から特殊許可の封緘紙を受取り貼付けて、行動禁止の領域内での行動権利を会得すると、動けないミコの目の前にやってきて、自慢の泥棒七つ道具でミコの影帽子の最大の特徴たる、がま口チャックを開いてみせる。

 其の瞬間、事態は急変した。

 開いたがま口チャックから黒い霧が工場の煙突から出るかの如く辺り一面を埋め尽くし、羽、羅、扉は互いを視認できないまでに視界を封じられる。突然の事態に戸惑う羽の頭に、頭蓋に響くような衝撃、堪らず身体諸共下に打ち付けられる。海水プールへの墜落を覚悟した羽だったが、水面の墜落時点で羅が抱きとめてくれた。敬愛するセンパイの劇的な救援に胸がときめく羽だったが、現状は予断を許さなかった。頃合いを同じくして全身を切り傷まみれにした扉の敗北体が霧から現れそのまま海水プールに着水した。扉は取られていない組なので死ぬことはないはずだが、恐らく種々の毒素信号を斬ると同時に塗りたくられ、其の影響で以て行動不能にされているのだろう。取り敢えず、扉はもうリタイアだ。

 だが羽の頭には謎が残る。なぜ行動禁止の標識で囲っている中、ミコは斬るなんて行為が出来たのか。

 けれども次の瞬間、より信じ難い光景を羽と羅は目の当たりにした。ミコの行動を縛っていたはずの行動禁止の標識がひとつ残らず原形を留めないスクラップとなって落下していく様を。

 羽は正直な神様なので羅に抱えられたまま、事の説明を要求する。しかしミコは笑い声を出すだけで一切答えず、有無を言わさず襲いかかった。

 黒い霧の中から飛び出す幾つもの黒い腕、其の黒い手には黒い影で出来た背心刀・雨。オリジナルの一本も混ざっている。羅は羽を庇うように前に出て、無双の剣戟に備えるが、剣は羅と羽には目もくれず、剣同士で金切り音を奏でていた。其れこそが罠だった。

 其の金切り音を聴いた途端、身体の自由が奪われていったのである。抵抗も出来ず、算盤の神羅=モノトーンと標識の神羽=ブルーバードは意識を消され沈黙した。

 ミコは黒い霧を吸い込むと丁寧にがま口チャックから黒い拘束具を3セット取り出し、羽、羅、扉の身体を海水プールの水面に拘束する。そして呆れたように一人言を呟いた。

「まったく、何でもかんでも知ろうとして……謎はわからないから心を惹き付ける。それは引力、つまりは魅力。それを解いちゃったら、興味を失って離れちゃうじゃない」

 そう言って服のたるみを直したミコは、これからに連なる締めの詞を唱えたのだった。

「これで六、七、八人目」と――。

 

 

 メビウス・ラウンズ2階の大規模店舗、家電売場。

 チケットらしき術を使って其処に跳んだ自然学派の女を負かすべく、あの会見の場にいなかった三人の神様が向かっていた。

 爆発の神、哲=ヘヴィワーク。

 節目の神、茂=エマージェンシィ。

 そしてかつて偽名で縁結びの町イトムラサキに追いかけに現れた粋の神、希=ニックネーム。

 三名は正直全員が戦闘向きとは言えない。希なら未だしも、茂は足手纏いの領域だ。

 故に陣は予見の利く茂を後方に、空間爆発で対象を焼きつくせる哲と騙し討ちを得意とする希が女学者と闘う格好だ。

「まどろっこしいわね。この家電群、邪魔で邪魔でしょうがない。哲」

「任せな。そらよ」

 そう答えて哲が右手を翳すと、其の手を向けられた領域の空間が炸裂し、其処に在った家電製品を吹き飛ばした。だが、此処で神様達は奇妙な現実に出くわす。哲は隠れる場所など微塵も残すまいと、家電販売売場を全て吹っ飛ばしたつもりだったのだが、実際には手を出した右手側だけが爆散しており、左手側の領域は全く無傷で残っていた。明らかな違和感と人の手による干渉――哲も希も茂も理解した。「どこにいるかは知らないが、いることだけはわかった」と。

「どう読む?」希が訊くと後ろから茂の予言が届く。

「向こうはこちらの出方をうかがっているようだよ。景気付けにもう一発やっちゃいな」

「ならやるか……」哲が左手も前に出し、両手で爆破の音頭を取ろうとした。そう、そのはずだったのだが……。

 次の瞬間起こったのは、想像外の現実。爆散したのは哲の腕で、さらに床下から散弾が一斉に3名の身体を貫通したのだ。あまりにも急な敵の仕掛けに、痛みも遅れてやってくる。

「痛ぅ……」下から身体を穴だらけにされた希はそのダメージに狼狽えながらも、取られていない設計図の効力で急速に快復し、粋の神として、欺瞞を得意とする神として、一計を案じ、取り敢えずその場から離脱した。前線に残されたのは快復に手間取っていた哲だけとなる。膝をつき、全身の穴だけでなく、失った両腕を再構築するのには希以上の時間がかかった。すると其処に現れた、役者じみた衣装を着た、自然学派の女学者。

 彼女は散弾銃を降ろすなり、無条件降伏を突き付けてきた。

「もう終わりです、なんてね。ミコから対処法を言付かってきたから、その傷は神をも脅かす毒素の塊。もう手遅れです、なんてね」

「いいえ! 騙されてはいけません、軍師様!」

 女の宣告に対抗するように声を上げたのは、今駆けつけた風という感じの女神――紛れもない希の姿。しかし彼女は見られてないであろう事実を逆手に取って、こんな虚言を宣った。

「私は62体いる神の一角にして、粋の神希=ニックネームの姉、医療の神薬=サウザンドリーフです。どうか其の手を止めてください。私はこの闘いの外にいる非戦派。でも妹が、仲間達が心配で……魚様の言付けを破って此処に馳せ参じた次第。するとやはり目撃したのは愛しい希と哲、茂の痛々しい負傷姿。無論わたしは姉ですから真先に希を治療し、遠くへと退避させました。残る茂と哲も治療してやりたいのです。お願いします!」

 土下座までして頼む希。騙すためなら己の傲慢もなんのその、彼女にとっては騙しを仕掛けて其れを見破られる事こそが何よりの屈辱、そして傷なのだ。

 が。

 目の前の自然学派の女は「いいえ、貴女の出番はここまでです」と役者ぶった台詞を吐き、「ミコから貰ったこの片眼鏡で、貴女の正体バレているんですよ。希=ニックネーム」と希の正体を見抜いた発言をして今度は近接戦用に十手を二本取り出して希の頭蓋目掛けて突き刺してきた。

 希は背を逸らし、後ろに手を着け身体を回転させる事で非難し、最小限の被害に留める。

 しかし其の顔は、攻撃を躱した安堵より嘘を見破られた苦悶と憤怒の方が勝っていた。

「成る程ね。因果律や時間軸に谷の特殊加護で断層を作る事で起こるべき事象の因果線を幾重にも分岐させ、有り得ない可能性との未来線を繋げてしまう。それがあんたの得意技か……ならこっちも形振り構ってられないわね! 宣告する。わたしたちが受ける負傷は全て作用反作用の法則を無視してあんたに跳ね返る。嘘だと思うなら信じなくていいよ」

 希の突拍子もない内容の反撃発言、聞かされた女は理解に苦しむ顔をして、十手を散弾銃二丁に持ち替え断層を発生させた床下斜めに発射した。散弾は床面に音越えの速度でぶつかった後、なぜかそのまま反射して、また希、哲、茂の身体を、今度は正面から撃ち抜いた。すると打った側からも血飛沫を吐く音。正に希の言った嘘の通り、神様達に当てた傷が、攻撃手本人である自然学派の女学者へと戻ってしまっていたのである。もっとも希達も受けた傷は治さなくてはいけないので、双方痛み分けだが――。

 と、思うのは大間違い。負傷しても設計図の効力で即時快復が可能な神様達は治癒速度で圧倒的優位だし、抑この戦況は神様3名に対して攻撃してくる女はたった一人。つまり3名相手の攻撃を一人で食らう事を強いられる訳だ。しかも相手が攻撃をやめてくれればこちらは哲の空間爆破で攻め立てられる。詰んだ――希勝ちを確信した時。

「おっと! そうはいかないわよ。わたしに見逃された嘘吐きさん」

 振り向くと、上空に黒いレールに黒い歯車そして何より黒い影帽子。ミコ=R=フローレセンスがそこにいた。

「えっ! ミコ? 早い! 扉と羽と羅、取られかった組屈指の実力者達をもう負かしたの?」

「希、わたしにとっては盗んだ相手がどうとかなんて関係ないわ。ただ、おおまかの神様は役者不足。それだけよ」

 きぃ〜と怒り心頭の表情を見せる希。勝負に負け、盗まれるはずだったのに盗まれずに見逃されたという神様仲間でも唯一の例。あれが何れだけ自分にとって屈辱だったが。其れを蒸し返され希の寛容は0になる。

「哲! もう腕も治ったでしょ。最大爆破よ。この家電売場全部吹っ飛ばしなさい!」

 実際腕を再構成させていた哲が頷くより早く、ミコは動いた。こっちへ向かって突進してきたのだ。すれ違いざまに呑気な茂に一撃加えて動きを鈍らせると、希と哲を飛び越え、其の先にいた自然学派の女を抱えて自ら家電製品の溢れる売場内に乗り込んだのだ。戯れに影帽子から葉巻に火をつけて放り投げていが、其れが何を意味するかなんて些細な問題。今哲は能力の負荷を全開にして爆破できるし、万が一此方が負傷しても、今は希の神業、“嘘から出た実”で全部3名分二人に押し付けられる。比率でも有利だ。

 なので、意気揚々得意満面に哲も最大出力で空間爆破を施した。途端、家電売場から商品は消えた。スプリンクラーが水を撒く中、黒煙と配電の特徴的な音が静かな現場に木霊する。

 と、事態は急変する。スプリンクラーから鎮火の為に撒かれていた水滴が一斉に方向を変え、希、茂、哲に飛礫のように当たりに来る。ミコの使う密室用雨、それなりの痛さを覚悟して受け止めきった3名は、粉塵と黒煙を掻き分け姿を見せたミコと自然学派の女を見据える。只只鋭利な、鋭い目で。

 次の瞬間、自然学派の女が動いた、床面に谷らしき断層を張り、其処目掛けて散弾銃を再度発射したのである。無駄な足掻き――そう思っていた。

 が、其れは大間違い。散弾銃は着弾と同時に電流を発したのだ。放雷弾――そう理解した時にはもう遅い、ミコの密室用雨とスプリンクラーの消火散布で水浸しになっていた床面を、電流が地を這う雷のように襲いかかり、希、哲、茂の3名を猛烈に感電させたのだ。皮が焦げる程の電気の過反応、当然身体は沈黙する。悠々と歩いて来るミコと女。何故か希の嘘は効いていないようだった。其の事実が、認識が、苦しみ藻掻く希の意識を苛立たせ、要らぬ負けん気を起こさせる。

 だから既に死んだも同然、ピクリとも動かない薫製と化した仲間も無視し、希は一人這いつくばりながらも必死に首を持ち上げて、丁度視線の先に顔が捉えられる処で停まっていたミコと女に焼け焦げ変わり果てた声で憎悪の詞を吐き出した。

「どういうことよ。なんで私の嘘が実にならないの? 先まで確かに発動していたのに……」

「それがいつまでも続くもの……と思っているのが、あなたの限界よ、希」希の問いにミコはそう答え、影帽子のがま口チャックから黒い腕を二本取り出す。一本は希の首根っ子を掴んで倒れていた希の身体を持ち上げた。そしてもう一本の腕――元い手は、希の右腕を掴んで、希自身に其の腕を見せるように向けてきた。其れで希は原因を察し、一層の悔しさに見舞われる。

「雨紋刻印!――あのスプリンクラーの水滴は密室用雨だけじゃなく、雨を当てて、其れで証印を刻む為のものだった……げふぇっ! ゔっ……成る程、確かに今回も化かし合いはわたしの、負けの……ようね」

「そういうこと。さっきの雨紋刻印であなたの神業封じと今日一日での再起不能のまじないを施した」

「奇しくもわたしの切札には放雷弾があったのよ。ミコの援護とそちらさんの……えーと、そうだ哲だ、哲が起こした爆破でスプリンクラーの水が撒かれれば一撃必殺の公算は立てられたけど貴女の神業が厄介でした。3名分のダメージを押し付けられたらわたしはオーバーキルで死ぬ。でもミコが合流して助力してくれたからこの攻撃に打って出れたんです。ちなみにわたしたち自身への雷撃防御もミコの雨装活化ですよ。わたしが『因果の断層』を張ったのは攻撃のためだけ、楽しすぎ? そうかもしれませんね」

 そう言って談笑し合うミコと自然学派の女の話も、聞かされている(主観)希からすれば苛立ちに火を注ぐガソリンでしかない。首まで締め上げられたこの状況で、何を感じろというのか。

 だからさっさと言ってやった「終わらせてよ」と。

 其れが勝負に負けた者への、剰え神様でも共通の、敗北者への労いだろうと。

 そう、思っていたのに――。

 「ふん!」ミコは腕を掴ませていた黒い手で希の手をへし折ると、残る首を掴んでいた黒い腕を振り回し、希の身体を直ぐ近くの売り物にも使い物にもならなくなった家電製品のゴミの山へと放り投げた。隣にいた自然学派の女も吃驚したという顔をする。希も気持ちは同じだ。いや、捨てられた当人の抱く気持ちはより深刻だ。なにせ腕を折られた際、雨紋刻印に細工がされたようで、痛みもあいまって暫く意識が消えそうになかったのだ。それはつまり、希が望んだ闘いの決着の、全面否定。

「ミコ、あんた……」

 ガラクタを背景に希が今にも掻き消えそうな声で訴えるが、ミコは訊き入ることもせず、勝手に喋り出した。

「希との化かし合い、楽しかったわよ。“嘘から出た実”も実にいい神の業だしね。でも悲しいかな、あなたはそれを活かしきれてない。言い換えるとまだまだ伸びる余地があるのよ。それさえできれば間違いなく神様61名の中のトップ10に入れる程にね。だから――」

 

 また見逃してあげる――この女は、そう宣ったのだ。

 

 それが、それこそがこの希=ニックネームにとってどれほど悔しく、屈辱なのか。声を大にして叫びたかったが、そうしようとした途端、時間を計っていたかのように声が出なくなった。その様を眺めていたミコは「これで9、10、11人目。一緒に行くわよエレーヌ。捕まって」と言い、あの黒いレールと黒い歯車でここからさっさといなくなったのだ。

 残された3名の神様の残骸。内意識もないのは2名。残る希=ニックネームだけは、動けず傷を追いながらも、意識だけは、はっきり保っていた。

 だが其の心中は、消して穏やかなものではない。怒りと憤怒に満ちた、不穏極まる激情が噴火する。声の出せない身体を無視し、心の中で心底恨む。

(畜生、畜生、ちくしょおぉぉ! ミコの奴、また私を素通りして! 絶対強くなってやる。強くなって、見返してやる……)

 そう決意する希の目には、一点の塵さえない、澄んだ涙が溢れていた。

 

 

 コスモタワーをぐるっと覆う輪型の広大ショッピングモール、メビウス・ラウンズ。

 直径54,0メートル、高さ168メートルのコスモタワーを更に分厚く囲うメビウス・ラウンズ。其の直径はコスモタワーを囲った分を含めて314メートル。ショッピングモール部分の1階当たりの面積は優に75,146㎡を数える。他の都の其れと比べると決して大きい方とは言えないが、各ゾーンに自然公園の配備が義務づけられているガデニアでは、尤も大きなショッピングモールだった。

 其の吹き抜け2階建て構造の回廊店舗街、その1階部分75,146㎡をまるまる海水で覆っていたのが、気象一族の海流の女。其の女に対峙する神様は3名。

 変異の神、巴=フラッグシップ。

 季節の神、萌=プリズムリリック。

 食の神、禊=ハレルヤ。

 以上3名が海水の満ちた空間に立ち、浮き、飛んで構えながらも、自分達目掛けて襲いかかって来る水製の獰猛種達の相手に手間取っていた。

 1階部分が全て気象一族海流の女のテリトリィと化している今、相手が繰り出す、水人形は無限と言っていい程の数がある。其れを捌ききるのに苦労しているのだ。調理上手な禊をしてでも多忙に追われ後がない。正味な話無傷であることが誇らしいし、実力の証明。

 だが、いつまでも海水の玉座にふんぞり返られているというのは神様としては腹が立つ。そこで萌、巴、禊は一念発起。空中一列に集結した後禊が全身から、包丁、チェーンソー、ナイフ、フォークなど数多の調理食事器具を取り出し、一気呵成に玉座の女目掛けて突っ込んだ。巴が其の直ぐ背後に、萌が最後衛に着く。

「面白そう! なんか考えがあるみたいじゃないのさ。でも三段構えの突撃で、わたしのオートマタ軍団を止められるかな? さあさ運命の瞬間だ!」

 玉座に座った気象一族海流の女は足まで組んで傲岸不遜に受け止めの構え。その直下海水プールからは大型で獰猛な海生生物の身体を模した女の言うところの『オートマタ』が大量に襲いかかってきた。いや、これは襲いかかれると言うより群がられると言った方が正確だろう。詰まる所この女は自分達神様を“餌”として見させているのだ。なんという傲慢さ――其処に付け入る隙がある!

「うりゃりゃりゃりゃ!」禊は前に特化して攻撃を繰り出し突破口を開ける。其れ以外の方向には哲教授の空間爆破の真似事で移動空間を維持する構え。

「はああああ!」ついで巴が禊の捌いたオートマタの欠片を掴み、握って下の海水プールに投げつける。すると事態は一変! 海水プールは何らかの異常を発したのだ。

 当然玉座も崩れ落ち、オートマタ軍団も水であることが嘘のように、灰のごとく崩れ去る。其れこそが神様達の作り狙った好機そのもの!

「萌、今よ!」「服飾演武、“笙の風音”!」

 そして最後衛に着けていた萌が――いつの間にか着物発祥の地域で昔着られていた、上流階級の略服に着替えていた萌が、姿勢を崩した気象一族海流の女に手痛い打撃を繰り出した。女の身体は宙を舞い水に撥ね、海水プールを寝床に倒れる。

「どんなもんだい!」神様3名、一斉唱和。殴り蹴り飛ばされた気象一族海流の女はようやく得心がいったという顔で殴られた頬を拭いながらこちらに聞こえるように呟く。

「なーるへそ。恐らく肝は第二撃目。あのとき二番目の神様は斬られたオートマタの欠片を戻した。つまりはそれが仕掛けだったんだ。恐らく毒素や病素の類。なんせ貴女の通り名は変異の神なんですものね。巴女史?」

「ほう、よくわかったわね。その通り。わたしは病気兵器を操り闘う。レパートリィも豊富だよ。いつまでも余裕面出来ると思うんじゃないことね」

「キャーッ! 巴、カッコいいーッ!」

 巴の歓声萌の嬌声。2名の女神の嘲笑が木霊する中、ものの見事に一杯食わされた気象一族海流の女は静かに水面に立ち上がり、「OK、馴れ合いもここまでね」とあくまで神様を相手に、上から目線で語りかける。その物言いに、3名は、喜びも掻き消され動揺を隠さず詰問する。

「ちょっと、どういうこと? こっちはもう攻略したって……」

 萌が軽口を口走るのを中断するように、誰もいないショッピングモールの雰囲気が変わった。気象一族の女から、とんでもない殺気が溢れていた。

「もういいわ。マンネリを破ってくれたお礼にこっちの最高戦力で相手してあげる。さあ、出てきなさい。海王『ロヴィスポルター』!」

 気象一族の女がそう叫んだ途端、禊、巴、萌は『飲み込まれた』。

 

「あり? 水が引いたよミコ」

「そうね、エレーヌ。どうやらカーレントがケリを着けたようだわ」

「お。そうかと思えばカーレント。おーい!」

「おや? ミコにエレーヌじゃないのさ。どうやらそっちは終わったようさね」

 ミコは吹き抜け2階部分の壁に張っていた黒いレールを歯車もろともしまうと、エレーヌを落とし、自分も海水の引いた1階に着地し、同じ気象一族だった仲間のもとへと歩み寄る。側にはピクリとも動かない禊、萌、巴の残骸が横たわっていた。

「勝ったんだ。早いわね。ミコに助けてもらったわたしとはえらい違い。伊達にデイリークラス・プラネットスケールじゃないね。なんてね」

「まあね。そちらさんも終わっているようじゃないか。レイン、残りは誰が残ってんのさ?」

 カーレントの打ち解けた問いに、ミコは影帽子のがま口チャックから黒いアンテナを出して情報収集を始めた。ほどなくして結果が出る。

「ウィンドは遊んでるね。相手は2名だし……一人でも充分でしょ。神様達が数を割いてるのは花一族の三人だけど、なかなかどうして、コスモスもスイートピーもカトレアも、いい勝負してるよ。十分すぎるくらい互角の勝負ね」

「じゃあ」エレーヌの問いかけに、ミコもカーレントも応じる。

「ええ。まずはウィンドの援護。それから一気にみんなで花一族女委員たちの応援に行きましょ。場所が場所だし、主役はやっぱ彼女たちなのよ。さて、12,13,14人目。二人とも行くよ。捕まって」

 そう言って一度はしまった黒いレールと黒い歯車を今度は1階部分に施設したミコは、ぶら下がるためのワイヤーをエレーヌとカーレントにも貸し与え、三者列車のごとく連結しながらまた回廊店舗を高速で移動しだした。

 

 

 水が引き、高さが増した回廊店舗、メビウス・ラウンズ。

 そこを縦横無尽に駆ける、2つの影。

 道の神、翔=スリースピード。

 撤収の神、刀=クロック。

 神々の中でも走力にずば抜けて特化した翔の走力を刀にも一時貸与し、二人してメビウス・ラウンズの床、壁、天井を、場所を選ばす道として走っていた。

 何故か?――追っている形のない敵、気象一族風の女が身体を風化させるに留まらず、周囲の空気を我が身よと言わんがばかりに空気弾として2名にぶつけてきていたからだ。一箇所に留まれば確実に狙い撃ちにされる為、2名共動き続けざるを得なかった。尤も、相手取っているのが走ることに長けた翔と『軍師様』の異名を持つ哲に並ぶ戦略眼を持つ刀であったことで、一見ではその様子はいい勝負にしか見えなかった。

 だが無限のスタミナと神速のスピードを持つ二人でも無限回避は難しい。故に、能力を借りている刀が其の分自分の力量を以て攻略法を計算していたのだ。そして遂に刀は、風の女の“癖”に気付き、丁度翔目掛けて空気弾が発射された其の瞬間指示を飛ばした!

「翔! 貴方其の空気弾避けずに拳で打ち返しなさい! 相殺なんて生温い、逆粉砕してやるくらいに!」

「アイアイよ!」翔は刀の指示に従い、空気弾の塊を光の屈折率の違いで捉え、阿吽の呼吸で正拳を繰り出す。すると、空気弾が砕けると同時に、風の女の「くっ!」と言う声が真っ暗でだだっ広い空間に確かに聞こえたのだ。

「……ん? 攻撃の気配が消えたぜ、刀」

「貴方の正拳が多少でも負傷になったからよ、翔。気象一族のこの女は風を司ると同時に自ら型の秘術を用いて此処を循環している風と一体化している――則ち此の風其の物がやつの大きすぎる身体だったってこと。風として繋がっている限り空気弾も身体の一部、故に貴方が出した正拳は風を破壊し風を負傷させた訳ね――ならこの状態でいる限り、風に攻撃すればあの女も傷つく道理。ふふふ……聞こえているんでしょう? 反論したかったら出てらっしゃいな。悲鳴を上げた途端風も起こさなくなった臆病者」

 前半は解説、中盤は攻略法、そして最後は挑発で締められた刀が喋り終わった後、2名の視界の隅で触れられない規模の風の収集が起こり、其処にあの女――気象一族風の女が形を持って現れた。現れるなり手を叩き、刀に向かって拍手した。

「正解ですよ。刀様。よくぞわたしの『風化』の欠点を見抜きましたね」

 様付けの尊称で敬語を使われ功績を讃えられているが、刀は全く面白くないと言った、険しく渋い顔をする。からかわれていることを判っているからだ。握りしめた拳に、力が血走る。

 それでも自分達は優位のはず――そう考えた刀は動きたがりの翔を宥めて隣に置き、神様らしく上から目線で言い放つ。

「気象一族風の属性に型の秘術……他にも色々持ってそうだけど私達は神。神は不死身よ。私はあの小娘に盗られたけど、仮初めの不老不死を零より与えられている。此の人間・生命世界に於いて神が死ぬことはあり得ないわ」

「でも負けることはある。そうでしょう? 盗まれた刀様?」

 必死に絞り出した余裕を軽く皮肉で返される、それほど腹の立つこともない。神様は永劫の時間を生きている、故にあらゆる経験を知る。その一端が刀の心、そして行動を怒りからなるものへと向けさせようとしていた。もう話の余地もない。こっちが攻めればいいだけのこと――そう判断した刀を指差して、気象一族風の女はこう言った。

「後ろ、危ないですよ」

 直後、後頭部を襲う痺れる衝撃。続けて刀は回廊店舗の外側に、隣に置いていた翔も反対側――回廊店舗の内側に吹っ飛ばされた。否、蹴飛ばされたのだ。

 敵襲。不覚。正面の敵に感けて他方向の警戒を疎かにしていた事を悔やみつつも、なんとか外壁にぶつけられる前に姿勢制御して着地した刀が見たのは――。

 気象一族風の女の増援がてらまず不意打ちを食らわせた犯人。気象一族海流の女に自然学派の女、そして見間違えようもない、自分から『智慧の設計図』を盗んだ小娘。

「小娘……やっと会えたわね」

 痛みを痺れに、痺れを感情燃焼の為の活力に転化させながら、忌々しげに刀はミコの姿を視認した。

 刀と蹴飛ばされて瓦礫に埋もれていた翔もすぐに動いて敵と間合いを取りつつ合流する。ミコに加えさらに2名合流し、数の上でも劣勢になった事を考慮しての集合だ。

 そして何より刀の通り名は撤収の神――戦略的に見ても撤退を考えた、其の瞬間脳裏に怖気が疾走る。既に事態は手遅れだった。聞こえた金切り音に身体中の自由を奪う身体の表面で起こっている風の圧力、此の2つが2名の神様の動きを完全に封じていたのである。自分だけでなく、隣の翔も、疾走る事さえ適わぬようにされていた……。

 そんな2名の視界に入ってくるのは、背心刀・雨を持つミコと其の夫婦刀、背心刀・風を持つ気象一族風の女。刀達に対してはミコではなく、闘っていた風の女が語りかけた。

「判断が遅れましたね、刀様。撤収の神も出遅れる事があるんだわ。わたしとレインちゃんの背心刀による最高級の金切り音鎖とわたしの風の力を全開にした風殺空獄で刀様と翔様の動きを封じました。後はじっくりわたしひとりでいたぶってもいいのだけど……飽きてきたから終わらせます。レインちゃんとの合体技で」

 そう宣言したウィンドは持っていた背心刀・風をミコの雨と重ね合わせる。すると其の前に雨、其の後ろに風の球が出現し、其れらは一つの暴風雨となって神速をも超える瞬息の速度で拘束されていた刀と翔に襲いかかる。力場の圧力にも似た面を支配する、視界をも暗転させるほどの暴風雨。それをまともに受けた2名の意識もまた襲われ、掻き乱され、削り取られた――。

 痛いとか言う感覚さえ、感じる暇さえ与えられず――。

 

 金切り音鎖と風殺空獄でその場に拘束したまま暴風雨を食らわせたので、機能停止した刀と翔の残骸はまだその場に残っていた。そしてミコが刀を軽く合わせて音を出し、ウィンドが気を抜くことで2名の神様の縛りは解除され、今度こそ雨と風の暴力を受けた藁束同然の神様2体を下に落とした。重力任せに顔面をぶつけたというのに、2名とも微動だにしない。その現実があの暴風雨、どれだけの威力だったかをよく物語っていた。

 だが、そんな余韻に浸るほどミコ達は感情過敏ではないし空気も読まない。遊べなくなった玩具などゴミ同然。ミコが「15.16人目」と呟くと、2名をその場に置いたまま身を翻し、今度は此処に羽根やら空の一般加護やらで、空を飛んで移動し出した。残る闘いを繰り広げている花一族の女委員達の元へ。

 

 

 メビウス・ラウンズ2階……そして海水の引いた1階で散発的に繰り広げられる銃声と小さな爆発、そして発声する煙。これが暗殺の神の通り名を持つ極=セキュリティホール率いる神様選抜の暗殺チームと自分と同類だと宣った花一族の女委員との闘いであった。

 一件地味だが、暗殺というのは条件が大事。互いに其れを判っているのでお互い「最高の条件」を準備していたし、待っていた。そして、先に動いたのは極率いる暗殺チームだった。ずっと捕捉していた花一族の女委員がこちらの気配遮断に気付き、不用意に襲撃ポイントまでのこのこ出てきたのである。索敵されないうちに仕留める!――暗殺の神のプライドにかけて、極は組んでいた完、語、彰に思話通信で行動命令を出した。

 周りをキョロキョロ見渡しながら、覚束ない足取りでメビウス・ラウンズ2階の床を移動している女委員。其の真正面から完が“わざと”襲いかかる。当然身構える女委員。其れが第一の罠。

 其れと同時に女委員の前方――則ち完の追い風、女委員の逆風になるように流れ吹き飛ばす極の撃った気流弾。其れが続け様に発せられた第二の罠。

「くっ……」花一族の女委員は吹き抜けの両端を繋ぐ2階の床から二段仕掛けの条件の悪さから一時撤退すべく吹き抜けに身を踊らせた――。其れこそが極の待ち望んだ最高のチャンスにして、最後の罠を張った処。下に忍ばせていた語と彰を無防備な背後に襲いかからせたのだ。其れがダメでも体術に長けた完でなんとか、其れでもダメなら自分の狙撃――三段掛けからなる同時攻撃だった。今度こそ防げまい。油断のない奴と神様仲間に評される極も若干驕ったものだ。

 だけど相手は……あの女委員は枝骸装甲を全身、特に後ろに棘にも近しい枝先を延ばし、語と彰の身体を貫いて背後からの攻撃を封じてみせた。更に枝骸装甲で作った巨大な足で吹き抜けの床を掴み、自前の腹筋と合わせて落ちるのを回避すると、向かってくる完と視線――殺気を感じていた極に向かって枝骸装甲の枝で刺し得た語と彰の身体を盾にすると、そいつら諸共、花一族の中級秘伝、あの時極の居た天井を溶かした融解溶液を全面に発射した!

「退け、完!」「おうよ!」

 女委員に得物にされた語と彰は即座に切り捨て、極と完は自己保身に走った。其れが功を奏し、射出された融解溶液の被害を被る事は回避できた。

 が、姿を晒したのは失敗だった。女委員は頭がいい。回避の為には自分の前に出てこなくてはいけないように仕向けていたのだ。結果、暗殺狙いのかくれんぼは終わり、互いが互いの姿を向かい合い晒す格好になる。動き合っていた先とは一転、双方迂闊に動けぬ状況にあった。動けば隙になるからだ。

 とは言え、いつまでも硬直しているほど両者莫迦でもない。先に動いたのは花一族の女委員の方だった。枝骸装甲の枝で刺していた語と彰を解放したと思いきや、なんと自分の『人形』として操り、仲間のはずの完と極を襲わせたのである。仲間を敵に回す――長い神様生活の中でも初めての経験に一瞬2名は戸惑うが、決断と行動は早かった。極と完は遠慮も情けも無しに、神様仲間であり、今や人間無勢の操り人形と化した語と彰を攻め立てたのだ。幸いにして見た処女委員の他者操作能力は高いものではないらしく、個々の特性や神業等も発現不能の様子だった。なら仕事が楽になる。多少丈夫な生命体を、沈黙させればいいのだから。

 極は女委員用に取っておいた“思考・行動抑制弾”をリボルバー拳銃に装填し、間髪容れず二発発射する。一発は前にいて此方に向かってきていた彰に命中し、狙い通り行動不能に――其の生命機能を仮初めではあるが停止させた。神様仲間を撃つなど他の連中が知ったら何と難詰して来るか手に取るように判る極であったが、其の時は「人間に操られるなんて辱めを受けた仲間を解放してやったんだ。俺なりのやり方で」と弁明するつもりだった。暗殺の神なりの仲間意識である。

 しかし、行動が全て期待通りとはいかなかった。彰が機能停止になったのを見て取ったあの花一族の女委員。彰より後ろにいた語には着弾までの間に枝骸装甲の防弾服を着せ、もう一発を事も有ろうに無駄弾にしてくれたのだ。狙撃が主戦法の極だけに、こうなると自分よりも完の領分である。何せ道徳の神完=ネクストは体術専門の神様だからだ。

「可哀想になぁ、語。人間の小娘に操られちまって……今オレが停めてやるぜ。非難轟々貫手ラッシュ!」

 極と同じような心情を吐露し、物騒な技の名前を叫び両手の指を揃え、神速の貫手を両手で千手万手と繰り出す完。其の驚異的な貫手の物理的破壊力は、神様仲間の語を人型の原型を留めない程に裂き、突き、叩き付ける。其れはもう絶対に“人型”とは呼べないものであった。其処まで徹底的に敵となった同胞に、完は最後、頭頂から停止信号を帯びた拳を振り下ろす。避ける事も受け止める事も出来ない語はなすがままに其の拳を食らい、五体どころか総体全部不定形不満足の身体に留め置かれたのである。

 其れを見下ろす完の俯せた顔から、雫が一滴落ちたのを極は決して見逃さなかった。

 裏切り者とされた神々の処理が終わり、改めて対峙する極、完のコンビに相手の冷酷な女委員。2名の心は怒りで煮えたぎっていた。仲間を低能な人形とされて敵対させられるなど、神への冒涜等という詞では生温い。神で遊んでいると言うべきだろう。

 其処に完でさえも怒る理由がある。完自身は完成された信念の持ち主故に冒涜も非難も否定も嬉々として受け入れる。其れでも揺らがぬ自己を確かめたいし、楽しみたいから。

 だが其れは完個神の愉悦。仲間を玩具にされて黙ってられる程神様は薄情じゃないのである。戦闘力は有ったとしても、喧嘩仲違いなんて決してしないのが神様の域に達した62名の誇れる名誉なのだから。

 なればこそ、完は、そして極は闘志を燃やす。自分達の仲間意識に傷を付けた女に、神が手ずから“制裁”する。

「お前はオレと極で裁くぜ。女、神様に祈るなら今のうちだ」

 そう言うが早いか、完は前屈みの体勢でグンと女委員との距離を詰め、切札足り得る大技“無神拳”で勝負を決めようとした。が、女委員は身体を花片と花粉に変えてその場から消え去り、姿を暗ましてみせた。神速で突進する完の身体が2階から吹き抜けの空中へと飛び出しそうになる。

 しかし完は其の寸前でまた足を踏み、半身の体勢を翻して逆行した。そう、今迄向かっていた方向の真後、“無心察知”で暗まされた女の居場所を掴み、考えるより先に本能で逆行していたのである。撃たず終いで終わった“無神拳”もむしろタメが効いていた。

 そして半身から向いた目が出現した女委員の姿を捉えた瞬間――完は時の緩慢変化で少なからぬ衝撃を目撃する。

 其の女委員の実体化している先に、極が居たという事――。

 智慧も配慮も放棄する無心察知で追撃をかけていたのでもう手遅れ。このまま撃てば女諸共極を傷つける事になる――組手はしても喧嘩はしない神様仲間への情も無視して、拳は停まる事なく進み続ける。

 するとその視界に光速で伝わってきた情報が有った。女委員に眼前に出現した事を知った極が珍しく近接距離用暗殺術を繰り出そうとしていたのだ。そうか、挟み撃ちだな――完は理解し、吹っ切れた。おあいこなら文句無しだ。それに挟撃、逃げ場無しの挟み撃ちにもできる。遠慮のない神の拳と慈悲のない神の暗殺技が女委員を取り囲んだ。

 女委員は枝骸装甲を全身に覆う事もせず、四肢の補強程度に枝と葉を纏わせ迎え撃つ模様だ。愚かな――離れて同時に攻撃を繰り出していた極も完も同じ印象を抱く。これから自分達2名掛りで見せる技は、此の世界で誰も見たことの無い類の技だということを……知らずに耐えようと言うのだから。全くお前は人間だ――その思考が纏まる前に、完の“無神拳”と極の暗殺技が女委員に襲いかかった――。

 

 メビウス・ラウンズを(割と)能天気に飛んでいたミコ達の耳に明らかに戦闘によるものと思しき喧嘩音が聞こえてきた。気配をほとんど感じさせずに闘いの結果だけを伝え、かつ残っている面子でメビウス・ラウンズの中で闘っている者といえば、花一族の陳情受付係の委員、スイートピーだけだ。ミコは影帽子のがま口チャックを開いて展開していた黒い羽根に足して兎の耳に似て非なる、長い黒い耳を取り出すとソナー機能で場所を特定してみせ、同行していたエレーヌ、カーレント、ウィンドをスイートピーのいる場所へと誘導する。その手際の良さにエレーヌは被ってないけど脱帽の念を禁じえない。

 そうしてスイートピーのもとに辿り着いたエレーヌ達が見たものは、原形をとどめていない神様。機能停止した神様。そして2階廊下の壁ガラスに身体を突き破られ上半身を雪抜けに晒した、幾重にもの傷を負った神様と、その対角線上2階回廊店舗のひとつに胸板をへこまされるほどの打撃を受け、座るように、壁に寄りかかるように動かない神様。その4名だった。

 そしてその中央で静かに佇むスイートピー。

 エレーヌ、カーレント、ウィンドはミコから渡された正体看破の片眼鏡とコンタクトレンズでそれぞれの神の通り名と本名を知る。美学の神語=メタフィクション。個性の神彰=ジャンクション。道徳の神完=ネクスト。そして暗殺の神極=セキュリティホールと。

 そんな中、ミコがスイートピーの近くに着地する。エレーヌ達もそれに続く。

「スイートピー……圧勝だね。特に完と極を倒したのは誇っていいと思うわ。この2名、実力は間違いなくベスト20には入っているはずだから」

「そう。実際危うかったし、賭けだったわね。私の修めた技で挟み撃ちの攻撃をそれぞれもう片方に受け流し、かつ私の得意とする道具で決定打を与えられなければね。ぱったく、一歩間違えたらぱたしの方が死んでいたよ」

 そう述べて一息つくスイートピー。神様4名を相手にひとりで勝ってしまうのだから、ほんとにその実力は恐ろしいものがある。エレーヌは密かにストックが下克上されないか、なんて邪念妄想を抱いてしまう。それくらい眼下の惨状には目を見はるものがある。神様をここまで徹底的にかつ多様に打ち負かせるなど、並みの力量でできることじゃない。

 と、そんな風に神様の亡骸を見渡していると、若干動いている神様がいた。しかも2名。

 ミコとスイートピーの会話に出てきた、完と極がまだ溺れる意識を留めていた。他の四人もそれに気付く。そこにミコが、スイートピーにアドバイスを囁いた。

「チャンスだよ、スイートピー。わたしもさっきやってきたけど、決着が着いて去り際に残す置き台詞。これが神様にも結構効くんだわ。なんか洒落たこといえる?」

「無茶振りですね〜」とか愚痴りながらも顎に指当て結構真剣に考えるスイートピー。暫く、しかし連中がくたばらないほどには短い間を置いて「うん」と頷き、一息深呼吸をしてから、完と極に話しかけた。

「ぱたしの勝ちですね、この勝負。神様手ずからの『制裁』、ちょっと期待していましたけど、私は食らわずとも十二分に堪能しましたよ。完氏、極氏。それでも貴方達は人間に負けるんです。そういうこともあるんです。だから今日の経験から学んだのなら、『神様に祈るより、人間に頼みなさい』って訂正入れておいてくださいね。あと心を矯正したいならいつでもお待ちしてますよ。この人格兼神格改造医スイートピーがね。よろしく〜」

 コスモスばりに語尾を延ばし、茶目っ気たっぷりに皮肉った詞を吐いたスイートピーは「あーきもちいいー」と心底爽快感に浸っていたようだった。それを聞かされていた神様2名の反応も消える。今度こそスイートピーが闘った最後の神様、完と極は停止した。

「さて……」ミコが手を叩き音頭を取る。エレーヌ達の注目は否が応でもミコに集まる。こちら側の主催者だし。「スイートピーで17,18,19,20人目ね。残り闘っている神様の数は両方屋外だけど、駐車場で棍棒振り回しているカトレアに6体、あの巨神兵焰と空中戦でアクロバティックに舞っているコスモスに他3体の計4体合計10体。さて……どっちに冷やかしに行く?」

 冷やかしと言う本音がまたミコらしいとエレーヌをはじめその場のみんなが思ったものだが、結論は早く、かつ一致していた。

「勿論カトレアの方でしょ! 6体相手に頑張っているんだから、先に行って応援……あわよくば参戦も、ふ、ふふふ……」

「そうだろうと思った。じゃ、行きましょうか」

 音頭を取ってミコが影帽子から生える黒い羽根で宙に浮く。エレーヌは自然学派『空の一般加護』で、ウィンドとカーレントはミコ同様、気象一族伝統の羽根を生やして、そして花一族のスイートピーは枝骸装甲の枝・花・葉からなる羽根を展開して先んじたミコを追いかけ、2階3番出入口(バリアフリー仕様)を突き破り、打音の轟く駐車場へ向かった。

 

 

 ドガッ! バゴン! ズビュン! ゴン!

 コスモタワーとメビウス・ラウンズの駐車場で物騒な重低音が響き続ける。此れが打撃音だと言うのだから、狙われていた神様6名は堪ったものでは無かった。夫々のやり方で、取り敢えず回避と防御に専念する。

 なのに我慢できない奴と言う者は、何時でも何処でもいるものである。あの戦線分岐時、ミコを追おうとしたのに駐車場に吹っ飛ばされ文句も一入の落が不満を爆発させたのだ。

「もう待てへん! ウチにはミコちゃんと契約っちゅう大事な使命があんねんで! おまいら、こんな問題も解けへんかった小娘一人、ウチに言われんでもささっと片付けや!」

「そうしたいのは山々だけどよう、落……」落の八つ当たりに反応したのは同じ盗まれた組の礎、雷、球の男神3名。幽と失の女神2名は、落の愚痴なんぞ何処吹く風と言わんばかりに相対している花一族の女委員がホームランバットで打ち飛ばしている車や鉄柱を受け流しながら受け止めながら、遊んでいた。闘っていた。其の貴重な時間を使っての作戦会議である。先ずは礎が口を開く。

「あの女のホームランバット、マジで神器レベルの珍品なんだぞ。宝(たから)ほどじゃないけど知ってんだよ、今の世界が人間・生命世界、その2世代前、精神・競技世界で伝説のスラッガーが愛用したという『当たれば場外確定のホームランバット』だぜ? 見てんだろ、あの女委員がバットで当てたもんは硝子の破片、砕けた石ころ、果ては今なんか車をかっ飛ばしているんだぞ。あんな物で俺達打たれたら防護境界の界面迄ひとっ飛び。二度と再起動はできねえだろうよ」

「礎の言う通りだ。故に俺っち達は避けるしかないわけだしな」

「ならどうする言うん、雷?」落の難詰に、問われた雷は視線を男神の残る1名、球に流す。球は「ならば!」と無駄に熱く拳を握りしめて落の求めた答を語り出す。

「あのホームランバットを奪えばいい。其れだけのことだ。此処には泥棒の神である扉は居ないけど、存在・機能を無くすなら失の“機能双失”で充分事足りる。幽の幽具で得物の特性を削ってもいい。まあつまりアレだ……某達は後方支援だな」

「さよか。成る程なあ……聞こえたかいな幽、失! そうゆーわけやさかいおまんらに其の生意気女委員の処理は任せるで!」

「り、り、り、りょうかい了解……? 失、お、お、お遊びはここまで此処迄……ね」

「そうよ幽。先ずはこの子を倒す。そうすれば失が幽の設計図、ミコから取返してあげる。ううん、違う……失と幽、二体でやろうね」

「あ、あ、ありがと有難……う。う、う、う、う、うれしい嬉し……い」

 元々不確定な特性はあったけど、あの日ミコに設計図を奪われてから殊更情緒不安定にもなってしまった幽の親友に宛てた辿々しく、不気味だけど正直な想い。その詞は“カタチ”になっていなくても、失の心に火を着ける。2名掛りで相手のホームランバットを封じにかかる。

(接近戦は相手の方に分が有りそうだけど……覚悟を決めるしかないわね。いくわよ!)

 そう決意した失がやった事は、突進して間合いを詰め、女委員の眼前に迫り、自分の片腕を伸ばす事だった。狙いは女委員の持つホームランバット。でも突然の事に相手は回避回転行動を取ったので、バットに触れることは夢と終わった。其れでも挫けない失はバットを握っていた女委員の左腕を掴む。

「があっ!」女の悲鳴が響く。なぜなら其の刹那、伸ばした失の片腕と一緒に、女委員の左腕も綺麗さっぱり消えてしまったから。

「くっ……」女委員は隻腕となりつつも得物のホームランバットを残る右腕で掴み横に凪払うように振り回す。このままじゃ当たって吹っ飛ばされる――失の窮地に後ろから幽が不安定な身体の特性を活かして両腕を伸ばし、自分の元へ引寄せる。女のバットは空を斬ったが正に文字通り。斬られた空気が圧縮された空気刀となって何故か都合よくそこにいた落達援護班の直ぐ近くを掠めていた。避けたようで取り敢えず安堵はしている。だから後ろは振り向かない。

「失。だ、だ、だいじょうぶ大丈夫……? ね、狙いはずしちゃった外しちゃっ……た?」

「うん、避けられた。“機能双失”で道連れにできたのは左腕だけ。しかも善く善く考えたら四肢を封じても意味ないわよね。花一族は枝骸装甲で四肢を幾らでも補えるんだから。やっぱ狙うはバット一本だけど、あの子勘が良いしなあ。先みたいに避けられたらどうしようもないし……頭で“機能双失”は避けたいし。やっぱ足か。幽、おぶってね」

「う、う、う、う、うんう……ん。幽も、い、い、い、一緒にこうげき攻撃する……ね」

 2名だけの会話で頷き合った失と幽。すると今度は左腕を失った失よりも前に、ふわりとした服装で体型を読ませない幽が先陣切って女委員へと走り出す。其の両手には、タケの短い虫取り網が握られている。

 女委員は隻腕で構えた。右手で振るので“YAQOO!”的に言えば左打者の格好だ。打たれたら場外防護境界は確定、そんな切羽詰まった状況を更に詰め二つの影が対峙する。

 先んじて振られる女委員のホームランバット。しかし幽は持ち前の“不安定さ”で身体を幽体へとシフトしてバットに当たりこそしたものの、バットの特性が実体よりだったが為吹き飛ばされることなく、擦り抜ける。

「なっ!」驚く女委員の叫びも他所に幽は女の身体をも擦り抜けながら両手に持っていた短い網で女委員の身体を掬う。其の途端、女は立つ事が出来なくなり、ガクッと膝を降ろす。其の好機を逃さず幽は最後迄擦り抜けて女の背後に回り込み、羽交い締めにした。

「うっ!」「失! い、今やってやっちゃっ……て」

「ありがと幽、失流“機能双失・挟み蹴り”!」

 そう大仰な技の名前を唱えた失は空中から女委員の持つホームランバットを両足で挟む。

 足とバットがぶつかる――其の時又、先程と同じ現象が起きた。

 失の両足が消えて無くなり、同じように女委員の得物だったホームランバットも消えたのだ。其れを確認した後幽と失は女の眼前で間合いを取る。足を失った失の身体、上半身は幽が背中に抱いていた。其処に此れ迄後方支援を謳っていた男神4名も駆けつける。

 一方得物を失った女委員はと言うと……立つことも出来ずに倒れそうになる処を、枝骸装甲を展開し、無理矢理杖で身体を支え、何とか自立姿勢を維持する。其れでも自分が不利なのは理解しているようで、こんな負け犬の遠吠えを吐いてきた。

「そこの短パンオーバーニーソックス、ポケットだらけのジャケットを着た夜の神失=ナイトメアですね。私のバットと、左腕を消してみせたのは。そして短いマントにロングスカート黒タイツ、ジッパー式のブーツを履いた留守の神幽=クリスタルがそれを援護したってわけ……いいえ、それだけじゃない。あの実体のない道具で私の身体から立つのに必要ななにかの要素を奪ったんだわ」

「よく判っとるやないか。概ね正解や。失と幽はウチら4体よりも実戦派やからな。其の結果がこのザマや……どうや、得意の得物を失って、当たり前に身体も動かせへんようになった気分。ん?」

 落が悪辣さ全開の嫌味を奥面も無く口にする。実力的にも後方支援、援護に賢明にも当たっていた4名の男神は、昂っていた。止めは自分達のもの――其れがあの時前後の役割を確認した時に思話通信で交わした“取引”だから。

 一人の非力と化した女に、迫る4体の男――如何にも空想や妄想でよく有りそうな、エロスとバイオレンスを感じさせる光景。其れが現実に――ならなかった。

 突如4名の男神を空気が遮断する。前後に区切られた空間に、横殴りで叩き付けられる大量の水。其れが海水なのが更に拙かった。4体のうちの1体、雷=ダークサイドが得意の電撃をもう身に纏っていたからだ。男神4名、全員感電。

 痺れ焦げて動きの停まった4名から海水が引く。溺れる事こそ無かったが、焦げた身体に海水が触れていたので皮が染みてしょうがない。その隙が拙かった。突然の襲撃は此れだけではなかったのだ。旋風、小さな竜巻のように回転する人と思しき空気の塊。其れが海水が流し込まれた方向から文字通り風速の速度で迫ってきて、球、雷、礎、そして落の順に舞うように傷と思しきものを付ける。余りに早い其の攻撃は、身体を電磁波化させ物理攻撃を封じられる筈の球の反応速度をも上回っていた。

 そしたら失と幽が以前遠目に見たのと良く似た事が再現された。傷口から黒い影が飛び出し、4体の身体を黒い封印状に変えてしまったのである。4枚の黒い封印状は先のように消える事は無かった。その場にがま口チャックで食らうミコが駆けつけたからだ。同時に自然学派風の女と海流の女、自然学派の女も駆けつけ、最後にミコの近くで旋風に覆われていた花一族の三人居た中の別の女委員が現れた。此処迄集まるなんて――失と幽は動揺する。其れは詰り、他の神様仲間が破れた事を導くからだ。

「カトレア、危機的状況ね。助けにきて正解だったわ。この失と幽のコンビは、今回参戦している神様連中の中じゃ、焰や整、帳に並んで強敵だから」

「ミコ、あいつら私の棍棒を奪いました。身体もうまく動かせないです」

 ミコと相手をしていた花一族の女委員が現状把握の会話をこなす。此れは拙い。足手纏いとは言え4名減らされた事と言い、戦略的に不利だ。此処は一人を闘えなくした成果で以て唯一闘っている空中に合流すべき――そう結論付けた。

 が、神様よりも人間の行動の方が早い時がある。この場合がまさに其れ。ミコが影帽子のがま口チャックから一丁の拳銃を取り出すと、一発失と幽に向かって瞬息の射撃。避ける事も出来ず、失と幽は其れを食らってしまう。すると、失と幽の身体に変調が起こる。失が“機能双失”で自ら犠牲にした左腕と両足が戻り、幽も幽で、幽体と実体の狭間を高速で行き来するようになっていた。其の事実――特に失が無くした機能が戻ってしまった事は致命的な油断と失敗。何故なら、“機能双失”で互いに失ったモノは、設計図を持つ失がいずれ快復してしまうと相手も取り戻してしまうからである。慌てて確認すると、やっぱりそうなっていた。相手にしていた花一族の女委員から奪った片腕とホームランバットが、戻っていたのである。しかも女は仲間に快復信号と思しき信号治療を受けていた。あれでは幽の幽具効果も遠からず治されてしまうだろう。

 絶体絶命マジピンチ。もう撤退だ。合流だ。本格的に踵を返そうとした途端、身体が動かない。風の圧力――風殺空獄に囚われていた。

 失と幽は怯えを隠さない目で敵の方を見やる。すると機能快復を終えた女委員がホームランバットを刀のように構え、跳躍し大きく振り被って襲いかかってきた。見ただけで判る。あれは脳天割りなのだと!

「覚悟しなさい。これが私の大当たりです!」

 そう告げる女委員。頭の後に振り被ったバットには神の目をして判る強大なパワー。あれは幽体の幽でも一撃必殺だろう。走馬灯にも似た経験をした失と幽は今にも必殺の一撃を食らうかという時。咄嗟の行動を起こしていた。

「降参します! 負けでいいから、もう止めて!」

 と。等と、風殺空獄の中土下座して、神様2名夜の神失=ナイトメアと留守の神幽=クリスタルは異口同音に同じ詞を、降参宣言を口にしていたのだ。普段あの辿々しく微妙な口調でしか喋れない幽でさえ失に合わせて同じ早口を叩いたのだから相当だ。幽がいざと言う時には空気が読める神様ということもあるが、其れ以上に2体して恐怖したのが最大要因。

 その詞を発し、もうダメかと目を瞑っていた失と幽。だが祈る時間があった。恐る恐る目を開けると、目の前見上げる位置にバットを持った女委員が、そして振り下ろされそうになっていた其のバットは、ミコの黒い手で停められていた。

(た、助かったあ〜)

 失と幽は倒していた上半身を起こすや否や腰を抜かして抱き合った。「い、い、いきて生きてる……ね」と幽が涙ながらに失に詞を掛けると、失も幽の豊かな髪を撫で、「生きてるって素晴らしいわね幽」とやはり涙を流して応えたのだ。

 其の状況を眺めていた、バットを構えた女委員もミコの黒い手に促されるでも無く、自分からバットを降ろし、戦闘体勢を解除した。風殺空獄も解除され、対面できる状態になったので、腰を抜かしてへたり込んでいる失と幽に女委員だけでなく、ミコ達も続々とやって来た。そしてやはりこの女、ミコ=R=フローレセンスが代表して声をかけて来る。

「負けを認められるか……素晴らしいわ失、幽。神様とて、死ねば終わりだものね」

「魚が同じこと焰や失と幽達に注意していたよ。泉が死んだ事実をわきまえろって」

「さすがはミス・ブラックナチュラル。考えどころが違うわね。で? 死にそうになった気持ちはどうだったの? 失、幽?」

「こ、こ、こ、こ、こわかった怖かった……あ」

「ええ、マジ不老不死の設計図を持っているはずの神様が“死ぬ?”って予兆を見せられたわね。さすがは伝説の名具、ホームランバットよ」

 泣きじゃくる幽を胸に抱きとめながら失が自分達に敗北の決定打となった伝説のホームランバットを指差す。其の持ち主である花一族の女委員は「これ、伝説の鈍器とかじゃないんですか?」とバット其の物が可哀想に思える台詞を吐いてくる。

 でも失も幽も其のバットの正体、由来について語ることはしなかった。此の惑星の文明で2世代も前の『精神・競技世界』、優に50万年も前のことだ。そこで一番人々を燃やし熱狂させていたスポーツ“YAQOO!”の話をしても判らないだろう。『精神・競技世界』も前の文明世界も完膚なきまでに廃れ、リセットされた歴史なのだから。

 そう、其のホームランバットという、数少ない例外を遺して――。

 だから失は「いいえ、大したことじゃないわ」と前置きした上で、其のバットが古の名具であることだけを伝えた。実際、打ってるものはボールではないものの、フォーム等は実に“YAQOO!”当時のものに則っていた。おそらくはあのホームランバット自体に所持者に実績の記録と技術の記憶を無意識下で伝える効果があるのだろうから。

 ただ、大切にしてやりなさい――そう言うと、其の女委員、「勿論です。愛用品です」と女性にしては低めの声で、でも愛らしい微笑みと一緒に可愛く答えたのだ。

「あ、あ、貴女なまえは名前……は」「うん、そうね幽。失も知りたい。この子の名前」

 気付けば幽と失はホームランバットの所持者である花一族の女委員の名前を訊いていた。単純な興味。でも自分達を敗北に追い込んだ者の名を知りたいと言う、極々自然な、当たり前の欲求。神様は気紛れ、でも時々素直だから。

「私は花一族諜報工作員総括兼審査部門管轄委員カトレアです。神様に名前を訊いて戴けるなんて大変光栄ですわ。失様。幽様」

 互いに目を向け合い、心を通わせる神様2名と人間一人。やがて時が十分経つと神様達は、「行きなさい。最後の戦場へ」と出発を促す。

 その詞を聞き入れたカトレア、そしてミコ達六人の人間は、気象一族伝統の羽根、花一族枝骸装甲の羽根、そして自然学派空の加護で――かつて人間が神様に近付こうと、空を飛ぼうと各々のやり方で向かった成れの果ての方法で最後の戦場、焰、整、帳、熱と花一族の女委員最後の1人が闘うコスモタワー周囲の空中へと飛び出した。

「い、い、泉も、こんな気持ちだったのかな、だったのか……な?」

「さあね。でも魚の言う通り、ミコが来て神も死ぬこと負けることを知った。人間は強いって知った――ひょっとしたらこれは、失達自身を新たなステージへと導くのかもね」

 地面に座ったまま、肩を寄せ合い、黒と光の夜天を見上げる失と幽。勝負して善かった。そして……降参し負けを認められて善かったと。実は結構実力派だった2名の神様、夜空に瞬く人の輝きを飽くこと無く眺めていた。

 

 

 メビウス・ラウンズ上空。コスモタワー周りの空中。

 あからさまに縮尺のオカシイデカさを誇る巨神兵と其の腕に乗っかっているデキるビジネスマン風の男神、商売の神熱=デファクトスタンダードが枝骸装甲の羽根で縦横無尽に飛び回り、種子弾に音の秘術を施した速い射撃を繰り出して来る花一族最後の女委員にして音の秘術を使う女と真っ正面から対峙していた。弾丸は熱が得意の燃焼能力で自分達に向かってくる物は消し炭にし、外れた物はあえて放置しコスモタワーに着弾させ、生じた瓦礫を焰の神業“引装壊発”で強化するという愉快な連携を見せていた。後2名、整と帳のコンビはコスモタワーに貼り付いて手は出さずとも「狙っている」と女委員にプレッシャを与えると同時に、足元のコスモタワーを壊して焰に提供していた。円筒形の造形美が勝手な神様連中に壊されて、更なる破壊を生む巨神兵の基礎となってしまう悪趣味極まる悪循環。神様と言うのは頗る悪知恵の働くものなのだ。

 それでも神々は攻め倦ねていた。視界に捉えている枝骸装甲を纏い、杖を使う女委員、花一族の技と音の秘術でこちら側の攻撃を尽く無音化し、全て捌いてしまっている。手数は枝骸装甲で手を増やしている向こうの方が巨神兵の焰よりも上手であり、攻撃と防御のバランスは女攻撃、神様防御に傾いていた。整と帳が攻め手に加われば少しはマシになると熱は考えていたのだが、ミコへの接触が優先で、この闘い自体には付合い程度で然程乗り気ではない整と帳を言いくるめて動かすのは今闘っている女委員を相手にするより骨が折れる。と言うより暖簾に腕押し。だから最初から諦めていた。それで現状こうなっているわけである。熱はやはり自分が突破口を開く必要があると考えていた――そんな最中。

 背後に感じる物凄い怖気。索敵範囲に入って来る6つの影、元い気配を。

 熱の顔が後を、下を向く。そこに視界を遮るように割って入る整と帳。2名を動かすだけの理由足りえる其の連中――ミコ=R=フローレセンス達がこっちに向かって迫ってきていた。

 下方の空中に入る整と帳がこんな警告を放つ。能天気で熱血な名を持つ熱や焰でさえ、冷や汗かきそうな内容だった。

「熱! 焰! こいつら7つに割った筈の戦線にバラけていた連中だ。そいつらが集まって大挙してここに来ている――つまり闘いに参じた神様仲間30名の内26名は敗北ってわけよ。油断すんなよ。こいつらにとっちゃ俺達は『最後の獲物』なんだからな!」

「ま、敗北の味も悪くありませんけどね……要は楽しめるか、ですよ」

(んなこと言われたって判るかよ情報探索チーム。てか小生達じゃ勝てねえって前提がムカつく!)

 熱の身体が爛々とした炎に包まれ、光を放つ。逆境こそ商売の好機――商売の神熱=デファクトスタンダードは其の通り名に違わず、ピンチになれば成る程“燃える”質の持ち主なのだ。此処から連結している焰の巨体を炎で包んで“業火炎装”と行くつもりだった――のだが。

「熱! 後ろ!」

 自身と接触している焰の声に気付いた時には手遅れだった。夜に爛々と輝く熱の身体が象る一際濃い『影法師』が本体である熱を背後から襲い、手痛い一撃を加えて熱の身体を焰から引き剥がし、宙に舞わせる。影法師は本体を追撃し、熱を戦線から遠ざける。見ると整と帳も同じ憂き目にあっていた。

(小生達邪魔者の強制排除。狙いは残った最大戦力の焰1体ってことかよ。それにしても整と帳の奴等、あんま抵抗してねえな。まさか説得を聞き入れたとかかよ?)

 一枚岩では無い神様仲間への愚痴を胸中だけで零しつつも、熱ももう此れはやられたと感じていた。敗北では無く、嵌められたと言う意味でだが。致命的な迄に相手側にしてやられている。其れは認めざるを得ない事実。何せ熱=デファクトスタンダード、ミコに『成功の設計図』をかっさらわれた神様だし。

 それでも頭の悪いのが神様。熱は“結果”を教えられる迄、焰がミコなら兎も角あの女委員に負けるとは露程も思わず、焰を熱く応援していたのだった。

 

 熱を失った状況下。何故か影法師を作られなかった巨神兵こと焰=スピーカノイズと闘っていた花一族の永遠少女、コスモスはミコ達の援護に素直に感謝しつつ、焰と打ったり打たれたりを繰り返していた。その繰り返しの中で、コスモスの胸中にある思いが芽生える。

(勝ちたい。この神様に、勝ってみたい)

 純粋に湧き上がる願望。やってみたい大技。決めてやりたい一撃必殺。でもそれにはどうしても自分だけだと後二歩だけ届かない。よよよ……自分の実力不足を嘆くコスモス。

 そこに響く助け舟――もとい、助っ人の声。

「急がなかったから遅れちゃって……ごめんなさいコスモス。待たせたわね。ミコちゃん参上!」

「ミコちゃん!」「ゲッ! ミコ?」

 喜面のコスモスに驚面の焰。ミコは素早く影帽子のがま口チャックから巨大な黒い足を取り出し、焰の防御よりも速く胸部腹部に一撃を食らわす。そして続け様に巨神兵の腕を掴むと、ぽーんと上へと、丁度コスモタワーの遥か高みの上空へと放り投げた。瞬息の動作で行われるミコの戦闘行為に、ろくな抵抗もできずに焰は宙に飛ばされる。

 それを確認することもせず、ミコはコスモスの目の前まで来て語りかける。

「さあ、決着よ。コスモス、あなたが決めなさい。あなたならそれができる。『音速添符・速疾七星』でもってね! 下準備は整えといたから、頑張って!」

「ありがとーミコちゃん。よーしわたしも自覚を持ってー、ここ一番を決めて来まーす!」

 そう決意の詞を口にしたコスモスの身体は、ミコの前から消えた。

 あっさりと。あっけなく。

 

「くおおおおおおお! 止まらな―い。しっかあ〜し、神様はしぶといのだ! とりゃ!」

 規格外のミコに簡単に遊ばれてしまった焰が、神の誇りを口に出しつつ、コスモタワー上空でようやく姿勢制御に成功する。巨神兵がコスモタワーを見下ろす。その高さはこのコスモタワーとメビウス・ラウンズの周囲を覆った防護境界の頂点付近であった。メビウス・ラウンズの駐車場等も含めた総面積が大体500メートル四方なので、魚達非戦闘参加神員はすっぽり直径600メートルのヘミスフィア状の防護境界を張っていた筈。詰り、今ヘミスフィアの頂点付近に居る焰の高さは地上300メートルともなる。コスモタワーが168メートルしかない中途半端な高層ビルなのでやたら遠くに感じてしまう。しかし、眼下の建物は自分が壊した区画も含めて、相当ボロボロになっていた。それを見て、理性でも感情でもない、焰=スピーカノイズという神様の“神格”に秘められた廃墟賛美の“秘密回路”が表に現れる。普段の焰は真面目で通っている。それこそ神々の風紀係と言われる位。でも瓦礫の神の通り名の通り、廃墟や惨事を見るとこの回路が現れて、理性も感情も塗り潰し、焰を高笑いさせるのだ。かつて幾度もあった文明崩壊の折も笑ってきた焰。今回もまた、笑っていた。

「ふ、ふふふ。いいわねいいわね。ミコも来たし、もっと、もっと壊すわよ!」

 闘いに拘らず、壊すことを前に置く焰の発言。其の時、一人言の筈の其の詞に、返事が返ってきたのだった。

「ならあなたで壊したらいいわー。このわたしが手ずから手伝ってあげるから〜!」

「この声、あの女の子委員! 何処から?」

 突然の敵の出現に驚きを隠さず焰は右往左往するが、それで見つけることはできなかった。何故なら――。

「どこ見てるの〜。わたしはここよ〜」

「あっ!」

 そう、件の女委員は巨神兵の腹部胸部から現れていたのだ。発見と同時に焰の脳裏に答が過る。此処はミコに蹴りを入れられた場所。其処からの影殻招待と言うわけか!

 答も出た処で、焰の採る行動は1つ。腕を使って引き剥がしに掛かった。

「もう、H! ちょっと、離れてよー」

 巨神兵の巨腕2つでひっぺがしに掛かる焰だが、相手の女委員の方が1枚も2枚も上手だった。枝骸装甲から別の腕を生み出して焰の腕に対処させると同時に張り根足で完全に焰巨神兵の身体に密着を始めたのだ。それでも焰が手出しを止めないので、2名の身体は空中を落ちながら上下左右に回転しはじめた。だが其れでも女委員を引き剥がすことはできず、更には上下関係も逆転された。女委員は背中の枝骸装甲でパラシュートを展開し、風を味方につけて上を取ったのである。丁度コスモタワーを真下に、焰と女委員の配置が決まった。

 其れと同時に女委員はあの杖を焰の装甲に突き刺した。其れと同時に焰は自分の“本体”が捕捉信号で捉えられた事に気付く。と同時に、相手の狙いにも気がついた。

「ちょっ、ちょっと本気? 貴女私をここから音速で落下させる気なの!」

「しんが〜い。瓦礫の神様なら廃墟を愛でてくれると思ってたのにー」

「イヤ確かに廃墟も惨事も愛でますけどね私どちらかと言うと自分で壊す方が好みであって自分が破壊の道具にされるなんて仕打ち長い神様生活の中でも初めてって感じで……とにかくイヤーッ! だってそんなことされちゃったらイロイロ終わっちゃう気がしてならないのー!」

 焰は早口詞を並び立てた後、ようやく本音を叫んだ。其れは奇しくも前の戦場で失と幽が感じたものと同じ、“死の直感”。昼間の闘いを観察していた時、魚、祝、哉からアドバイスを受けときながら、心の底では甘く見ていた。其の甘さに気付き、心が心底震えているのである。敗北決定。其れ以上に“死ぬかも”と思わせるシチュエーション。不老不死の設計図を持っていても感じるこの危機感に焰は我を忘れて抵抗するが、目の前の人間の前には全て無駄に終わる。突き付けられた杖にエネルギィが溜まっていくのが判る。

 そして組みついている女委員は、満面の無邪気な微笑みで言うのだった。

「それじゃバイバ〜イ、焰さま。花一族環境管理統括委員コスモスが、短い旅へとごあんなーい。向かうは音速の七乗の世界。いっくよ〜、『音速添符・速疾七星』!」

(音速の7乗って光速の1億倍以上なんですけど?)

 焰がそんなどうでもいい計算をしていたら、意識が世界に再び繋がり、それまでと全く違う状況を体感する。

 

 空中に居た筈なのに地面に叩き付けられていて全く動く事もない身体。

 自分を覆っていた筈なのに綺麗さっぱり無くなっている“引装壊発”の瓦礫の山。

 そして此処に在った筈の、メビウス・ラウンズとコスモタワー。

 

 焰が正にそんな事を考えていた瞬間、焰のコスモタワーへの激突と地面への貫通、そして落下による衝撃波が焰の外側へ向かって発生していたのだ。台風の目は静か――中心の焰はそんなこと知る由も無かったが、天変地異。正に隕石落下クラスの超弩級の衝撃が防護境界の中を滅茶苦茶にしていたのだ。焰の落下に因って亀裂の入ったコスモタワーと落下地点のメビウス・ラウンズは落下の前後上下から発生した衝撃波に吹き飛ばされ、原型なんて表現が生温い、面影1つ遺さない程木っ端微塵に粉砕され、其れが空間を襲う爆発に似た暴力的な圧力として発散し、防護境界を圧迫していたのだ。其の巻き添えで木っ端微塵とはならなかった焰好みの瓦礫の大群も空中に展開している防護境界を圧しているのである。防護境界に幾らかゴムのような弾性があるとは言え、このままじゃ拙いと頭の回る焰はすぐに気付いた。防護境界が衝撃波、瓦礫、爆風を外に出す事は無いだろう。ではどうなるか――反発して内側に返って来る、である。

(マズイマズイマズイ! 早くなんとかしないと!)

 目前に迫った危機に気付いた焰は阿鼻叫喚を防ごうと何とか自分を動かそうとするが、あの女委員にやられた損害は相当なもので、已然焰は指一本、唇さえも動かせなかった。

 そうこうしている間に、防護境界と一連の凶器との鬩ぎあいが終わり、やはり焰の予想した通り、防護境界を圧迫していた瓦礫は内側へと跳ね返ってきた。二次災害発生である。

 もうダメか――遂に神様も観念した時。目の前の“全て”が停まった。

 飛び跳ねはじめていた瓦礫も。内側に向かってきていた微細な塵も。全てが時間ごと静止させたかのように“停まる”――それを見た焰は、一抹の安堵と共に、事態の終焉、闘いの終了を悟った。自分が落下し穴の如く深く窪んだクレーターに現れた、3つの影。

「はい。みんな終了ですよ〜。大事なことだからもう一度言うよ。この闘い、神様の負けでーす」

「うわぁ……焰おねーちゃんフィギュアみたい。わたしああはなりなくないなー」

「あたしも同感だよ祝。アリャ“弄ってくれ”って誘い受けのポーズに近いからな。仮にも純潔の女神様がアアなるとは……墜ちたもんだ。文字通り!」

「こーらっ。祝ちゃんも哉ちゃんも、評価するだけじゃなくて助けないと。それに、そちらさんも、ここが取引の指定現場よ。出ていらっしゃい。もし出てこなかったら、先の声明通り告訴しますよ。告訴」

 その詞を合図に、穴に降りて来る7つの人影。ミコを始めとして、この闘いに勝利してみせた人間七人が、正々堂々現れた。やはり代表はこの女だろう。ミコが先陣切って話しかける。

「お久しぶりね魚さん、祝ちゃん、哉ちゃん。昼間のお遊びじゃ力を持て余していたから、今回の企画はありがたかったわ。おかげで今夜はよく寝れそうよ。ところで、そっちは4名だけってことはないでしょうね?」

 ミコの問い質し。やってきた3体の神の筆頭――魚=ブラックナチュラルはちょっと唇を遊ばせると、「わかった。全員集合!」と片手を添えて空に号令をかける。すると魚、祝、哉同様今回闘いに参加しなかった残り6名の神々が、闘いに敗れた神様仲間を宙に浮かせる形で抱えて、魚達の側に到着し、敗北した神達は其処らにポンと投げ置かれた。其の傍らには失、幽、整、帳、熱が居た。そして両者の真ん中で寝そべっていた焰もまた魚の操作に因って持ち上げられてすっ飛ばされた。そして立つ事も適わぬ身体なので、山積みにされた敗北神達の山に寄りかかるように座らされた。此処に来てようやく焰は喋る事位は出来るように治っていた。開口一番発したのは整と帳、熱に対しての愚痴だった。

「ズルいですよ。戦闘放棄なんて。私の負けを見て止めたのね」

「仕方ねえよ。小生も燃えてたけどさ、あの小ちゃな女委員の技の凄まじさ。本当に背筋がゾオッてなったんだぜ。その後の二次災害も酷いのなんの。もう戦闘が無意味と悟ったね。この熱血性格! 熱=デファクトスタンダードが」

「でしょうね」焰は心変わりした熱を非難する事もなく、只その詞を聞き留めていた。気持ちは十分判るからだ。此処からは戦闘の裏方だった真の実力者である9名の神様達とミコ達人間との対決だ。詰まる所、闘いにかまけた自分達は御祓い箱、なのだろう。

 焰はいっそ清々しい気持ちで、此れからの展開を見守る方向にシフトした。

 

 

 神様連中との勝負に勝った、エレーヌ達人間無勢。

 しかし一時でも感じた優越感が思い上がりに過ぎないことを、今はっきりと感じさせられていた。

 闘いに参加していなかった9名の神様。エレーヌ達はミコから貸し与えられた招待看破用のコンタクト(もしくは片眼鏡)で、その通り名と名前を読み取っていた。

 母性の神、葵(あおい)=ジャッジメント。

 情報の神、紫(ゆかり)=ミュージアム。

 骨董の神、雅(みやび)=プロフェッサ。

 数の神、始(はじめ)=フィナーレ。

 記念の神、迷=アンティック。

 本物の神、絵=パッション。

 寓話の神、哉=アリバイ。

 絆の神、祝=エイプリルフール。

 そして神々の中心にいる……旅の神、魚=ブラックナチュラル。

 誰も彼もさっきまで自分達が闘っていた神様達を上回る『なにか』を会得しているように見え、その存在が放つ気合は正に次元違いの格差を感じる。特に迷、絵、哉、祝、魚の五名は在り方そのものの違いを感じた。どうすればあんな個体になれるのか――畏怖とともに疑問の尽きないエレーヌ達であった。

 そんな怯え気味のエレーヌ達にミコが気楽に励ましのひとことをくれる。

「気負いしてる? 当然ね。なんせこの神様達は実力でトップ25に入る強者達の集まりだからね。特に迷さん、絵さん、魚さんは設計図の文字数と通り名の文字数を重ねがけて導き出される神様の格の高さが別格なんだもの。わたしも最初は固まったもんよ。結局、そこの九名からは誰からも設計図取ってないしね」

「へー強者さん達かー。確かに、相手にしたくないって思わせるほどの威光が見えるねー」

 能天気な喋り方ながらも適宜を得たコスモスの発言。ミコを除く六人は、みんなそれに同意した。なんか本当に『神様』って感じる存在なのだ。闘った神様達よりも。はるかに。

 すると件の神様の一体、魚が茶褐色系のロングスカートを靡かせこっちへ歩み寄って来る。その様は見ていて非常に優雅だった。人間としても十分美人の領域に入る可愛らしい顔立ちに整った体型。しかしなにより特徴的なのは濃いと淡いの絶妙な濃度バランスに染まった赤紫の長い後ろ髪を紙袋に入れて保護し首筋の高さで持ち上げ、紙袋の穴を通り、後頭部を半周してこめかみのところで先の金具で固定されている、まるでカチューシャを水平に倒したかのような位置で紙袋に入った後ろ髪を支えている神様特性ゴム紐ヘアグッズ。よく見ると持ち上げて上下逆転した紙袋の入口部分もやはり金具で閉められており、こと後ろ髪の防護は厳重だった。前髪とはえらく扱いが違う。

 そんな魚に呼応するように、ミコもまた並んでいた人の列から一歩踏み出し前に出る。文句を言うものは誰もいない。ここに来たそもそもの目的が、今果たされようとしているのだから。そう、ミス・ブラックナチュラルこと魚が落札したリバムークの受け渡しである。ミコは今それを果たそうとしているのだ。

 両者の距離が狭まって、互いに握手できる位置で立ち止まる。そしてミコは影帽子のがま口チャックを開けて花君ストックから預かったリバムーク入りの絹袋、そして闘いの中で神様を閉じ込めた黒い封印状を九枚、魚に手渡す。魚は受け取った銀色に輝く祝袋をうっとりと撫でながら懐にしまい、次に不覚にも封印された神様仲間が入っている黒い封印状を手元で広げ、札束を数えるように一、二、三、四……九枚と確認する。確認が終わると魚は封印状の束を無造作に後ろに放り投げる。見向きもせずにだ。でも上手い具合にその束は宙を舞い、後ろにいた神様仲間の一体、葵の手にすっぽり収まる。まさに神業。

「はい、確かに受け取ったよミコちゃん。わたしが俗世土産の一番として買った新種のお花、リバムーク。綺麗な花を咲かせてくれると嬉しいな。そうだなあ〜、日替わりアートみたいな感じなんか楽しそうだなあ〜」

「喜んでいただけてなによりね。その代わりと言ってはなんだけど……」

「ええ、わかってるって、ミコちゃん」

 魚が頷いて指を鳴らした、とっさのことだった。エレーヌ達の背後になにかが回り込み、首筋に睡眠信号を付与した一撃を六人全員に食らわせたのである。余りにも速く、余りにも的確なその打撃を避けることは適わず、エレーヌ、ウィンド、カーレント、カトレア、コスモス、スイートピーの六人はその場に俯せに倒れ込んだ。

 それでもまだ意識は遠のかない。みんな首より上の頭を必死に持ち上げてミコの姿を真ん中に捉える。

「どういうことよ、レインちゃん。せっかくの再会、せっかくの共闘、あとは久しぶりの添い寝でしょう!」

 ウィンドが強面判事も蒼白になりそうな論理を叫ぶが、ミコは背中を向けたまま、何処吹く風と詞を返す。

「確かに呼んだし、闘った。でもそこまでよ。わたしは旅人。寝るのはひとりでってもう決めたんだ。それはわたしが今のわたしであるために守らなきゃいけないことなのよ」

「じゃあレイン、お前、最初からこの闘いが終わったらトンズラするつもりだったのか?」

「まあね。旅人は野宿もできる人種でね。この先移動しながらでも座れりゃ文句は言わないわよ。夜の旅人には旅人星の加護があるんだから」

 そう言って一度詞を区切ったミコは、改めて六人に別れを切り出す。

「謎めいた暗号文を解いた報酬、そして再会して闘ってくれた神様からわたしへのお礼がこれよ。わたしは不特定多数の人間に背中を押されて旅立つ趣味は持ってないからね。ひっそりと消える必要があったから。ここにきて神様に協力を仰いだのよ。それでもウィンド、カーレント、コスモス、スイートピー、カトレア、エレーヌ。あなたたちには感謝してるわ。人間の底力を神様に示せたし、色々出会いの仲介やら再会のお節介やらできたのは、あなたたちの助けがあってこそだもの。ありがとね」

 それじゃ、さようなら――ミコのその詞を最後に、彼女達の意識は微睡みに沈んだ。

 

 ミコが連れて来た6人の強者達が睡魔に負けて沈黙すると、手を下した祝と哉が魚の元へと急いで、だけど何処かコミカルに走って戻って来る。神材の層の厚さが、62体いた神様の売りの1つだった。俗世にゃ一切伝えてないコピーだが。

 いい仕事をしたよと懐く弟子2名を褒める魚が、ミコに本題を語りかける。

「さて……実力行使戦闘行為ではミコちゃんはおろか人間にも負けると証明できたいいタイミングで言伝です。神様はあなたから設計図を奪還すべく勝負を挑みます。大事なことだからもう一回言うね。勝つためのゲームを開発中なのです」

「ふーん」ミコは「あーやっぱりそうなるんだー」とか、まるで判りきっているかのような顔と目で魚の詞を聞いていた。そのぶっきらぼうぶりに祝と哉が続け様に質問する。

「ミコおねーちゃん、驚かないの?」

「あんまりね。扉も極もくたばったこの現状であなたたちがわたしから設計図を取り返すなら、神様有利のゲームを開発するくらいはすると思ったから」

「ミコはホント頭回るね。ソノ回転の1割でもアソコの連中に分け与えられたならコウイウ結果も判ろうもんなのに」

「哉さん、それは厳しいっすよ。こういうのは天分と変異分に因るものなんだから。天分は生まれた瞬間に、変異分は生活の中の奇跡のような巡り合わせに決定、変化する。人生狂わすような出会いなんて、そうそう起きやしませんわ」

 ミコの砕けた口調から発せられる回答に場の空気は殺伐としたものから和気藹々としたものへと変わる。此処までやっといてさらに勝負を突き付けるなんて宣言、普通なら周辺空気の悪化を招くものだが、詞を投げた相手が良かった。ミコ=R=フローレセンスは、気紛れだが、こういうことで直ぐ怒るほどでもないのだ。

 更にミコは目の前の魚達3体の背後にいる残りの戦闘不参加神様達、そして参加しつつも生き残った神様達に集合をかけたのだ。

「残りのみんなも。一年ぶりでしょ? 積もる話もあるんならまだ少し時間があるから、こっちに来てお喋りしましょうよ」

 そう言って、影帽子のがま口チャックから特大サイズのキャンプ用シートを取り出しさっさと腰を下ろすミコ。魚、祝、哉はもはや予測不能の其のマイペースぶりに少し呆れつつも大きく感心し、靴やブーツを脱いでシートの上に腰を下ろす。そして魚が後を向いて頷くと、状況を見ていた迷、絵、葵、紫、雅、始の戦闘不参加神員に、カトレアのホームランバットの前に降参した失と幽、そしてコスモスの大技を見て戦意喪失した整、帳、熱の合計14名の神様達がミコのシートに座ったのだ。

「あれ、希はダウン?」開口一番発したミコの疑問文に、非戦闘参加員の葵、紫、雅が夫々の経験を答える。先ずは希のことに関して、葵が答えた。

「あの子はわたくしが駆けつけた時――と言ってもまだここに建物があった時ですが、もう気を失っていましたよ。それでも悔しかったのでしょうね。歯を食いしばり、閉じた瞼には涙の痕が残ってました。またも見逃されたことの意味を、感情的に捉えたようで」

「希にはどうもわたしの気持ちが伝わらないのよねー。他は?」

「はいはーい。次はワタシ、紫ことゆかりんが話そうではないか。ワタシはまずミコに真っ先に挑んで負けた羽達の拘束姿をきちんと写真に撮ったからね。あの恥ずかしい&情けない姿はいいカードになってくれるって直感したね。で、羽も羅も扉も海水引いた後も全然動かせなかったから他の子の成れの果てを見ようと思って回ったんだ。そしてゆかりんが見つけたのが極達だったんだよ。いや〜暗殺の神である人間無関心な極と詰られるの大好きな完の2名が完膚なきまでに負けてるところ、“ベストショット戴きました!”ってガッツポーズ取っちゃった。しかしみんな相手が悪かったみたいね。語と彰なんか操られて人形にされた挙句、極と完にやられてあのザマだもん。同じ神としてありゃ避けたくなったわ。うん、見るに耐えなかったな。一応記憶はしたけれど。当事者には見せない方が賢明だとゆかりんは判断します。そこでメビウス・ラウンズ崩壊。だからワタシはそこでお終いなのだ。ホイ次、雅!」

「うむ……私はまず海水が引いた後の回廊店舗一階床に倒れていた禊殿、巴御前、萌御前を発見した。幾ら摩っても起きないので取り敢えず個別に防護境界を張っておいた。そうしたら風の匂いで次の戦場が判ったから其処に向かった。すると刀御前と翔殿が雨風に打たれて倒れていたのだ。先輩達もまた無反応だったのでな、防護境界で保険を施し、更に次の戦場へ向かった。向かった先は駐車場。其処で地面に腰を抜かしていた失御前と幽午前を発見した。子犬のように震えていたので葵御前程ではないが優しく保護した。其の直後だった。終焉の一撃が落ちたのは」

 紫の愉快痛快な語りに雅の慇懃で丁寧な説明。特に雅と合流した失と幽は雅に心からの感謝の詞を口にする。

「あ、あ、あ、ありがとう有難……う。み、み、雅が来てくれてたすかった助かっ……た」

「幽の言う通り。失達腰が砕けて怯えててあの“終わり”にはとても2体だけじゃ対処できなかったわよ。雅が助けてくれたおかげだね」

「もういい……感謝の詞は、短い方がよく伝わるから」

「あ、雅照れてる〜。写真に……」「やめて」

「でもそうでしたのね。希にかまけていた隙にわたくしの母性を発揮する最大の好機は雅に掻っ攫われたと。残念ですね、ちょっとだけ」

 戦闘に不参加でありながら戦場其の物は“観察”していた葵、紫、雅の証言に生き延びた失と幽が闘った事で感じた“思い”を口にする。其処に割り込むように加わってきたのが、同じく敗北者の焰と熱だった。

「ミコの御眼鏡に適う人材……正直甘く見ていたわ。コスモス……だっけ? 音の秘術をあそこまで極めた女がいるってだけでビックリ。俗世に降りた意味もあろうってもんよ。熱もあの一撃を目の当たりにして、戦意喪失したわけでしょ?」

「認めよう。その通りだと。それまで激しく熱く滾っていた小生の戦闘意欲が、あの一撃の余波を防ぎきった後、綺麗さっぱり鎮火されてしまった。人間とは何たる者か。これほどの力を持つ者なのかと小生の研究意欲に火がついたなって、あ痛っ!」

「闘って畏れをなしたと思ったら一転、研究対象としてみるのー? 熱おにーちゃん、なんか軽ーい」

「祝の言う通りだな。ソレは逃げだぜ熱。素直に『人間の力の凄まじさに負けました』って言う方がマダ正直だよ。ソンナンだから普段は風紀律している焰に叩かれるんだよ」

 熱の勢い任せの巧みな言い逃れに、焰は自身の怒りではなく、神格を律する者として、一撃与え、其の熱と焰の心中を祝と哉が割り込み語る。周りも魚の弟子である2体の言い分に頷くばかりで、熱の味方は誰もいない。

 かと思いきや、意外な人物が熱に助け舟を出した。ミコが会話に割って入った。

「研究対象として見る。大いに結構なことじゃない。みんな今日の闘いを通して人間の底力を知ったんだし。でも哀れかな。時期を逸してるわ。もう少し早ければ、わたしに問題を解かれ、設計図を盗まれることもなかったのにね」

 痛烈な皮肉。熱はぐうの音も出せずに顔を俯せる。やたら濃い顔の影が、中々如何してか様になっている。

 ともあれ、雑談は一段落を見た。闘いに関する諸々の話が終わったので、次の話題に移ることになる。ミコに関すること、ミコ個人の話題へと話の流れが分岐・切り替ったのだ。

 口火を切ったのは闘いにも参加しながら碌に闘わなかった、整と帳のペアだった。

「しっかし懐かしいなあお前さんの姿をこうして直で見るのはよ。“気味悪さの設計図”を渡した時以来だかんな。およそ一年ぶりか。何もかも捨てて一人出奔した一年間。何か得るもんはあったのか?」

「整、詞選びが悪いですよ。ごめんなさいねミコ。わたしと整は情報探索チームとしてあなたの道筋を辿っていた――いわばあなたの旅をリピートしていたのですよ。でも繰り返しにも差異はある。本物がどういう感情をあの道に抱いていたのか、興味があるということなのです」

「闘いに参加したのもお喋りの時間が得られるかもって期待からだろ〜? どんだけお前らはミコが好きなのさ?」

「紫、茶化すのはおよしなさい。話がこんがらがってしまいます。それと告白してしまえば、わたしは最初からミコには好感を持っていましたよ」

「そうだね。紫の割り込みは今必要だったとは思えないわね。大事なことだから二度言うけど、もう紫の出番はありませんってことだよね」

「そんな! ゆかりんショック!」整と帳のミコに対する質問を茶化しただけで帳に牽制され更には魚に止めを刺され、紫はまるで舞台女優が死の間際の演技をするようによよよとシートに倒れ込んだ。だが誰もそんなの気にすることなく、ミコの返答を待ち望む。ミコもそれを分っていたようで、勿体振らずに語ってくれた。

「得た物はたくさんあったわよ。モノばっかりじゃなく、思い出、感情、エトセトラ。でもね、本当に……手を伸ばしてでも捕まえたいもの。抱きしめ離したくないものには出会えてないわね。それを探すために名前も変えて、気象一族も出奔したっていうのに。だから今までの旅路で得てきたものの価値なんてまだ0なの。いつかわたしが“それ”を見つけて、泉さんが待っているあの場所へと旅立てるとき、初めて価値がつけられるのよ」

 星天に手を伸ばして語るミコに真っ先に反応してきた者達がいた。文字数5文字の設計図を持つ魚に匹敵する実力者コンビ、あの御両所、迷と絵だった。

「みいこはさ、やっぱ泉の死の瞬間とか苦し紛れの言い訳とか目撃していたわけ? あの黒い紙切れの招待状に封印された透やそれに準じる連中。そこんとこ知りたがって根掘り葉掘りってしつこいし暑苦しいのなんの」

「迷、そんなのうぃには関係ないことだよ。どうでもいいことでしょ? 真相なんて。泉は死んだ――そのにゅーすを受け入れればわかることはいっぱいある。まあうぃもうぃの中にあった泉が消えたときはしょっくだったけどね。一年も経ったら61のうぃにすっかり適応できちゃったよ。別に神様の定員が62でなければならないなんて不文律なんかないんだよ……? それよりうぃミコには“この先”について訊きたいね。泉が待っている場所へ行くって君は言った。そういう旅のすけじゅーるになっているのかい?」

 真相を(面白半分に)問う迷にミコの見ている先を(軽い気持ちで)問う絵。どっちもあの日、泉が死にレインと名乗っていたミコが大半の設計図を強奪した時、謎のままに隠れた真実。この2名、そういう風には見えずとも、御両所と呼ばれるだけあって、趣味嗜好は良く似ているのだ。

 でもミコは、この件に関しては「そーねー」と珍しく滑舌が悪い。夜空を見上げ、詞を選び吟味している様子だ。何が出るのか迷と絵の期待は高まるが、待たされた割に返ってきたのはこんな返答。

「泉さんはね、もう生きることがないって言って消えたのよ。歌を歌い、嘘を吐き。その生活を満喫きしってしまったがゆえに召されてしまったわけですよ。そしてわたしも、この身体を使うことを避け、影の秘術に手を出して使いまくったばっかりに、同じ宿命を背負っちゃったわけです。だから正直言って時間無いんですよ。『残すもの』を託せないと、ひょっとしたらわたしは、泉さんが最後に作った曲もろとも、この世界から消えてしまうのかもしれないのだから」

 何気なさそうに語られた抽象的な詞。しかしインパクトは絶大だった。迷も、絵も、輪の中に入って聞き耳立てていた魚達も、みんな神妙にその内容を聞き留める。一言たりとも忘れないように。

「そうか……泉の部屋はそのままじゃったが、選りにも選って一番大事なもんをお前さんが持っておったのか。しかしあの小娘、わしより先に逝きおったか。わしも知らんような場所へ」

 一番目の神、始まりの神。数の神始=フィナーレが老獪さを醸し出す深みのある声で語る。それが合図だった。会話の終幕。別れの時。それでも最後は締めなければならない。神様の代表は、魚だった。

「ミコちゃん、あなたは旅をしている。わたしたちも随分追っかけたけどこうしてやっとの出会いだった。でも違った。追っかけるんじゃない。単に呼べば、同じように動いていれば会えるんだってこと、神様がすっかり忘れちゃっていたよ」

「そうよ魚さん。わたしもね。逃げてるとかよく言われるけど逃げてんじゃなくて旅をしているの。だから捕まらないのよね。逃亡者には追跡者が付くけど、旅人に追跡者なんて付くはずがない。だからわたしは今までも、そしてきっとこれからもけして捕まることはない。わたしがまだ旅をしている限り、呼んでくれれば応じるわよ。ただし、わたしは極めつけの面倒くさがりやかつ気まぐれだけどね」

「そう……なら大丈夫ね。今準備しているゲームは、きっとミコちゃんも楽しめるはずだから。そうね、いいかえるなら“燃える”はずだから――かな?」

「できたら呼んでね。楽しみにしてる――ああ、旅の楽しみがまたひとつ増えたわ」

 そう告げてミコはよっこらしょと軽そうな腰をわざわざ重たそうに上げ立ち上がる。促されるように神様達も立ち上がり、靴やらブーツやら履いてシートから離れる。誰もいなくなったシート。ミコはそれを“自分の手”で丁寧に畳み、影帽子のがま口チャックの中へとしまった。

 そしてミコは踵を返し、神様達に背を向ける。魚が一番待ち望んでいた時間だった。

 なにも背負わず見えるくせに、全てを背負い込み、そして魅せるミコの背中。

 魚にとってそれ(背中)は、絵の入れ込む絵画より眩しく、誰よりも大切な祝と哉に、是非にでも目に焼き付けておいてほしいものだった――それだけの“夢”があるから。

 そして立ち去ろうとした直前、ミコは神様達にこんなことを口走った。

「祝ちゃんと哉ちゃんに眠らされた六人だけど、イタズラしてもいいよ」と。

 そう告げてミコは空中に瓦礫や衝撃波が“停まっている”空間――魚の本とペン、“フィール”と“R”が二次災害を防いだ場所をポンポンポンといとも簡単に脱出した。

 見事なものよ――神様がそう褒め称えたくなる位に。それは圧巻の移動劇。

 

 ミコの旅立ちを視認した魚達14名の生き残った神様達。夫々に抱く思いは様々だが、悪い気だけはしていなかった。此処に来なかった零と21名の勝負用ゲーム製作開発チームにも、傍らで行動不能となっている敗者共にも、感じさせてあげたいと思う“なにか”を秘めた、旅人の歩みだった。

「さて……」ここで、魚が首飾りに小さくして掛けていた“幻視画本・フィール”とそれに介入できる“羽根ペン・R”を持てるサイズに拡大し、開いたフィールの見開きにはこの現状を映して、Rの方はまるで煙草かパイプの代わりと言わんばかりに口にくわえて思案する。旅の神魚=ブラックナチュラルが心中考え事をしている時に決まってする様式美。

 その企みが良いか悪いかは別問題だが……魚の頭に巡っていたのは下記の点。

 

①停めたままの瓦礫を置く場所。それにはこの穴が丁度よい。

②祝と哉に眠らさせたこの人間6人の処理。実はちょっと仕返ししたい。

③防護境界の解除と脱出。境界を消すタイミングが大事。

 

 思考、一巡。

 くわえていたRを吸った後の葉巻のように指で挟んで一息吐く魚。考えは纏まった。周りは直ぐに集まり魚の考えた作戦を聞く。その内容は神様の溜飲を下げるに相応しい、取って置きの逆襲プラン。

 やられた者も、見てただけの者も、乗らない者などいなかった。皆一様に悪い顔になり、「ククク」「ケケケ」と邪悪な囁き。そして諸々に道具を取り出し、作戦を遂行する。

 そう、神様とは旅人に負けず劣らず気紛れで、そして誰よりも質の悪い連中を指す詞なのだ。

 

 

 夜が明けて、アンダースフィアに流している小鳥のさえずり環境音を聞いて、サクラは目が覚めた。隣には、萌枝とスノウ。見渡す限り記憶にない場所だが、見て集めた情報から理解した。ここは地下93階、花君ストックが仕事で寝泊まる『満開殿』だということに。

 同時に両脇の萌枝とスノウも寝返りをうち、ほどなくして目を覚ます。開口一番発したのは「ここどこ?」「今何時?」というもっともな問い。それに対して答えたのはサクラではなく、部屋に入ってきた花君ストック様だった。

「お早う、可愛いお嬢さん達。もうコンベンションも終わって翌日、昨日リハーサルの段階で闘いの疲れから寝入っていたあなた達を黒衣衆に命じて私の部屋まで運ばせました。こんな可愛い女の子達、見守るのは花君の使命ですからねっ!」

 そう両拳に力を入れて力説する花君ストックの姿は、昨日目撃した自然学派のエレーヌ学部長に甘えるのとはまた違った一面で、一族一員のサクラをして新鮮な光景だった。

 そんな魅入っているサクラ達をよそに、ストックは「ハリーアップ!」とサクラ達をなぜかせかした。一体どうしたのですかと訊いてみると、とんでもない答えが返ってきた。

「昨日のリバムークを最高価格で落札されたミス・ブラックナチュラル、実は神様らしくてね。暗号文をといたミコちゃん達と受け渡しがてら深夜一戦交えたみたいなの」

「はあああああ!」サクラ、萌枝、スノウが三者一斉に叫びをあげる。自分達が寝てた深夜にもう一戦? 大人はどんだけ元気なのだ?

「ミコちゃん、解いた暗号文の答は私達には教えてくれなかったけど、防護境界が張られている場所があるから、位置はメビウス・ラウンズ、及びコスモタワーと断定できました。今からそこに向かうんだけど、ついてくる?」

「もちろんですとも!」元気よく返事した三人は脱がされなかったため皺だらけとなった自分達の服を必死に払い伸ばして整えつつ、三人の少女は同行を我が提案のように受け入れる。そんな準備に急ぐ中、疑問がチラリ。

「あの〜花君様。委員たちは一体どうなっているのですか?」

 単刀直入、訊いてみた。するとストックは途端に遠い目をして、既に亡き者の忘却の影でも見るかのような目で、小声で語った。

「コスモス、スイートピー、カトレアの三人はミコちゃんに同行したまま帰ってきてません。心配でしょう? で、キク、カーネーション、ヒマワリ、アジサイ、タンポポ、アサガオ、キキョウ、ヘレニウムはまじないをかけた罰で、ツバキは悪質小細工351号に関わった罰で今ローズから絶賛お仕置き中。見る?」

「遠慮します。行きましょう」

 ストックの最後の詞、「見る?」を阿吽の呼吸で拒否したサクラ。一度だけ見学と言う名目でローズ御自慢の説教部屋を見たことがあるが、まあヒドい。内装が至って普通なのにいざ説教調教となるとトランスフォームするところなんて裏の顔を隠しているようで非常に背筋が凍ったものだ。触らぬ薔薇には近付くな――花一族の金言である。

 とにかく事情は理解した。委員達は二方向に動きたくとも動けない状況に置かれていることが。ならば花君様直々のご氏名を受けたサクラ、萌枝、スノウの三人が、『臨時編成の近衛隊』見たいな気分でストックに付き従う。顔を洗い、髪を整え、とりあえずやることだけやった準備半端な三人はエレベータの中で栄養ドリンクをがぶ飲みし、準備万端となった後、1階に着いたらまずきちんとそれをビンBOXに入れて、ストックの手配した花君専用車に乗り込む。

 四人全員が乗り込んだことを確認したストックが運転手にGOサインを出すと、車は穏やかな加速から始まって、すぐに車らしいスピード範囲に辿り着き、早朝ということもあってか信号の類で全く減速することもなく、車はゾーン12に無事着いた……のだが、窓から前もって見ていたサクラ達は、開いた口が塞がらなかった。

 露骨に色付きで張られ、外界と内界を区切っている防護境界がメビウス・ラウンズとコスモタワーを不可視にして、巨大なヘミスフィアとしてそこにあった。

「着いたわ。降りるわよ」

 こんな異常事態にもさほど動じない花君ストックに促され、近衛隊たるサクラ達は先んじて専用車から飛び出し、優雅にゆったりと足を外に出すストックを警護した。車を待たせ、先に進む四人。そんな四人が最初に発見したものは――。

 

“花一族の方ならキープレートを差し込めばこの防護境界を消せます。後はお好きに”

 

 と言う、簡単すぎる攻略法が書かれた立て看板だった。キープレートは花一族の必需品。花一族の一員ならもとより、萌枝などのゲストだって持っている。それでもいいというのか――?

 とかなんとかサクラ達は考えペチャクチャ議論していたのだが、花君様は知らんぷり。そそくさと立て看板を通り過ぎて、自分のキープレートを防護境界の膜に差し込む。

 するとものの見事に防護境界は決壊し、中の様子が露になった。

 そう……なにも建っていない綺麗で広く澄んだ空とどんな爆発が起こればこうなるのかという考証意欲も減衰させる外側に急角度で倒れ傾いた灰色で染まった木々達だった。

「なんです……これ。こんな破壊行為を伴うのが、本当に闘いなんですか?」

 震える萌枝の疑問の詞にストックは、「ええ。昨日萌枝ちゃんも見たでしょう? この惑星全土を覆った地震と津波を。あれは惑星全球に展開していた分、一地方ガデニアではまだ何十分かのちょっとでしかなかったし、デイリークラス・プラネットスケールの猛者三人が捌いたからそんな恐怖は感じなかったでしょうけど、この深夜の闘いはそうはいかないものだったでしょう。受け渡しの相手――暗号文で指定した場所に待ち構える敵は私達に問題を出し、ミコちゃんに解かれ、そしてミコちゃんを求めていた“神様達”だったのだから……」

「か、か、神様達が、ここでレインさん達と一戦交えたって仰るんですかぁ?」

 スノウが信じられないという風に昨日の確認をストックに取る。サクラも萌枝も気持ちは同じだ。誰が一番に訊くかなんてこの三人の間では些細な問題。それよりもここに神様が降臨し、ミコと一戦交えたという事実の方が、よっぽど衝撃的だった。

 じっと詞を投げかけた花君様の方を見つめ、答えを待つサクラ達。そんなサクラ達にストックは、前にある謎の断崖まで歩を進めると、「おいで。そして見てごらん。これがその答えだよ」と振り向き、永遠の優しさを称えた笑顔で告げた。

 サクラ達三人が着いて行き、その絶壁に足を揃えると――見えた。

 

 真下に開いた直径も深さも桁違いの大穴。そしてその中に無造作に放り込まれた穴を埋め尽くすには全然たりない量の瓦礫。そしてそのてっぺんで寝そべっている六人の人影。

「あ、あれ……」「誰かわかる?」「任せて。気象一族のスノウは目がいいのだ」

 人影を確認したサクラから萌枝の指揮へと繋がれ、充分な目を持つスノウが実際の行動に移す。じっと人影を凝視していたスノウ、なにをとち狂ったか、突然口を手で抑えて必死に笑いをこらえだしたではないか。いったいどうした?

「直に見たほうが早い。そうでしょう、花君様」

「そうねスノウちゃん。行きましょうか。サクラ、萌枝ちゃんに枝骸装甲を」

「かしこまりました。ほら、萌枝ちゃん」「うん。大分慣れてきたよ……って冷たっ!」「へっへ〜。わたしの冷気も付加してみたよぅ。友達だもんねぇ」

「あら、いい感じね三人とも。それじゃ、降りるわよ」

 ストックの詞を合図に、大穴の中、瓦礫の海の硬い海面に降り立ったストック、サクラ、萌枝、スノウ。そして近付く。いびきかいてる六体の人影へと。

 近付いて。

 立ち止まって。

 覗き込んで。

 爆笑した。

 だって、寝ている六人――ウィンド、カーレント、エレーヌ、カトレア、スイートピー、コスモスの顔に、黒く太い文字で一文字ずつこう書かれていたのだ。

「神」「様」「、」「降」「臨」「!」→『神様、降臨!』と!

 美形も台無し。顔をアート、いわゆるおもちゃにされた六人の顔は見ていて非常に滑稽だった。ミコがいないという大事すぎるはずのことが、気にならなくなるくらい。

 とはいえいつまでも笑っていても身体に悪い。ストックは手でサインを切り、花一族の術を発動させる。下級極意の基礎技『樹木急生』で瓦礫の山から木を六本生やし、寝ている六人を持ち上げる。次いでそれを木ごと空中に持ち上げ、それぞれ防護球体で囲う。六つの防護球体の中で寝るアホ達と充満する花粉――そして発動する花君ストック一番の得意技、『粉塵爆発』!

「ごふっ!」「あちち!」「目つぶし? 目覚まし?」「ぱぱぱぱたぱた!」「焼ける焼ける焼ける!」「う〜ん、よく寝た〜」

 花君ストックの御業の前に六人は六者異なる反応を見せ、解除された防護球体から瓦礫の海面へと戻ってきた。途中で落ちていることに気付いたらしく、着地は全員ビシッと決めた。決めたのだが……やっぱり顔に書かれた文字は消えていなかった。

 あははと笑う少女達に、なにがおかしいのよと詰め寄る大人げない実力者達。そこにストックが拍手して気を引くと、六人に「円陣組んでお互いの顔を見てごらんなさい。あいにく私は今写像鏡を六枚も持っていないから」と助言する。それを聞いたウィンド達。並べられていた順に着地していたのでウィンドとコスモスが繋がるように円陣を組んでお互いの顔を見る――見て、絶叫した。

 曰く、わたしの美貌が台無しだとか。こんないたずらしやがってとか。やられた恨みを仕返しされたとか。いくら擦ってもとれないよ〜など、やはり彼女達自身にとっても想定外の仕打ちだったようで、各々が顔を掴み押しつぶし、悲鳴を上げる。

 そんな中、ひとりだけ全く意外な詞を喋った者がいた。

「あれ〜? わたしは顔マスクの保護の上に書かれてるー。神様ったら親切ね〜」

 そうぬかしたのは永遠の少女(もとい幼女)を名乗るアラサーシングルのひとりコスモス。見るとほんとに、パカッと顔のマスクが取れ、いつもの可愛い綺麗な幼女顔が露になった。

「なんでお前だけ!」同じ花一族でありながら同様の気遣いを受けていないカトレアとスイートピーが食って掛かるが、その前にストックがあの気配で以て小さくくだらない諍いを沈静化させた。さすが花君様の貫禄――臨時近衛隊の三人は花一族筆頭の実力をまさに肌で感じていた。

「何があったか――闘いがあり、ミコちゃんと神様には逃げられた――という所でしょうが、それでも証言は貴重な情報源です。話してもらえますか? 昨日メビウス・ラウンズで怒ったことを1から9まで。包み隠さず」

「はーい」しゅんとなり、妙にしおらしくなったウィンドが返事をし、六人はそれぞれの闘いを語り出した。

 

 メビウス・ラウンズに来るなり襲撃され、誘導され、追い込まれた始まり。

 最初の出迎えを焼却した後、会いに現れた神様達のまあ個性溢れる神様論理。

 切って落とされた戦いの火蓋。同時に姿をくらましたミコを追って分散する面子。

 別れた戦線でそれぞれ各個援護もありつつも神様達を撃破していく自分達。

 その極めつけともいえるコスモス終焉の一撃、『音速添符・速疾七星』による決着。

 そしてできた大穴。二時被害を覚悟した時に現れた、『闘わなかった神様達』。

 その中でも一際眩しい神様。魚=ブラックナチュラルへのリバムークの受け渡し。

 そしてミコの合図で気絶させられた自分達。非難をよそに一人旅を標榜したミコ。

 

 以上。六人はそれぞれのこと、合流してのこと、そしてみんなして神様とミコにやられたことを報告する。その話を飽くことなく、我が身で体験したかのように熱心に聞き入るサクラ達。その心に灯ったのは憧れ、羨望、そして向上心。

 ミコが神様との闘いを終え、神様魚に対して昼間の闘いでは力を持て余していたからというセリフ、かっこよすぎる。自分達を英傑に重ねるわけでは決してないけど、それくらいの高みを目指したいと、勝手に目標にさせてもらう。子供は時に純真で時に勝手なものだから。現実の情報を空像に仕立てるのは、子供の得意技なのだ。

 そんな子供達臨時近衛隊を微笑ましく置いていたストックは、「まあ、壊された後は好きにさせてもらいますか。お店の人にも花君の詞として納得してもらいましょう」

 個人的な考えで昨日まであったショッピングモールを無いものとして扱うストック。権力者の凄まじさをサクラ達とウィンド達「闘いし者達」が聞いていたとき。

「それなら私にお任せ下さい花君様。都市計画は私めの得意分野でございます」

 ヘレニウムのバリトンボイスが背後から響き渡る。全く気配を感じなかった。ギョッとしてみんながその方向を振り向くと、ヘレニウムだけじゃない、ツバキ、キク、ヒマワリ、アジサイ、タンポポ、カーネーション、キキョウの委員達。さらに加えてビンカ、サザンカ、ホウセンカのデルタフラワーズに、シクラメン、アキレギア、スオウバナの三人。さらにクエイクとウェイブの二人も。みんなが今まさに空間跳躍術でここに現れていたのだ。

 驚くサクラ達の中にあってさすがの度量を見せるのは筆頭ストック。「ローズのお仕置きは終わったの?」と冷静に質問する。

 それに対し連中は、「今逃げて来た! だってあいつのいたぶる時の笑い声聞いてられないんだもん!」と全員唱和で叫んだのだった。

 納得しつつも戸惑うサクラ達とウィンド達。そこに今現れた連中はなぜか「くっくっく」とバカにしたように笑う。その視線に気付いたのはサクラ達三人ではなくウィンド達六人だった。彼女達はその笑い声が自分達に宛てられたものだと即座に理解したようなのだ。

「何なのよ。何がおかしいの?」

 ウィンドの問いに、カーネーションが答える。

「お前まず自分の顔を鏡で見てみろよ。他の五人の落書きは見ても自分の顔は見れてないんだろうウィンド。神の字が顔面全部に塗りたくられている様は中々無様なもんで」

 あからさまな喧嘩の吹っかけだった。感情を揺さぶる挑発。ウィンド達六人から殺気がおおいに湧いて出る。カーネーションに続いて、ヒマワリが喋り出した。

「実はストック様が起こしてからの会話をね、委員通信で盗み聞きしてたのよ。そしたら何? 神様には勝ったけど大事なトコでミコに裏切られてこっぴどく仕返しされたらしいじゃない。でもさ、その記憶って正しいの? 私には作り話みたいに都合よく出来すぎているきがするよ。アンタ達、ほんとは負けただけじゃないの?」

 カッチーン。

 堪忍袋の緒が切れた音を、初めてサクラは耳にした。振り向くと萌枝もぶんぶんと首を横に振り、スノウに至っては「ここまで怒ったウィンド姉さんとカーレント姉えがここまで怒った顔は見たことがない」と震えている。

見た目が変で笑いを取る顔でも、怒ればそれは鬼の形相に変わる。それとはけして顔のことだけじゃなくて、心の変化をも表すことがある。キレて一転冷静になったウィンド達はこんな小芝居で挑発し返しだした。

「ちょっと奥さん聞きました? わたしたちが神様と闘ってないですって」

「全く、この大穴に瓦礫の山、今の今まで張られていた防護境界。闘いの痕跡はいくらでもあるというのにそれを認められない低能さ。同じ花一族の委員として恥じる次第でございます」

「ローズの拷問受け続けてさー、被害者意識がとんがっちゃってんだろうな。わたしらがこんな自分達の美貌を損なうような損をするだけのコント、するはずないってのにさ」

「見ようによっては傲慢だよね。私等が命削って闘っていた時に、向こうは痛いとは言え命の保証付きのなまぬる〜い被虐だろ? そういうのをぶつけたいどうしようもない連中なんだよ」

「ていうか、ぶっちゃけ嫉妬してんでしょ。アンタら」

 ブチッ!

 もう片方――元はと言えば仕掛けてきたほうの堪忍袋の緒が切れた。こっちの音はローズの拷問を受け続けていたせいか、生々しく、それだけに痛々しい音。

 我慢ができるはずもなかった。口達者のアジサイが毒舌を振るう。

「せや、悪いか! ウチらこの一連の事件で一回も戦闘で活躍できへんかった。戦闘向きと不向きがある? バカにすんな! できん奴も使えてこその達成感、苦労を乗り越えた熱き友情、違うんかい! ちゃちゃっと独断と偏見で決められて、それを昼も夜も持ち越されて……ウチらのストレスはマッハ到達や! せやからこの際瓦礫の用地整理の場所があるんならウチらも暴れさせてもらうでえ。鬱屈した環境に置かれ磨き上げられた今のウチらにかかれば、おまんらなんてイチコロや!」

「上等だコラーッ!」「神様殺し損ねた鬱憤お前らで晴らしたるーっ!」「お前らなんて全員役立たずだあ!」

 会話は割れるべくして割れた。いわば交渉決裂、それ前提。そしてそれは開戦の合図となり、双方共に上空を飛び交い激しい闘いを繰り広げ出した。花君様の制止命令は一切ない。やるだけやれということ、なのだろう。そこまで放置されるのなら、サクラ達にも諦めがつく。

 なので、サクラ達三人とストックは移動術で穴の中から穴の外、断崖絶壁の麓まで戻り、そこに腰掛けて眼下の蟻共の騒ぎを他人事のように観察するサクラ達とストック。そんなストックがごく自然に、詞を投げかけた。

「我が花一族も統率がズタボロね……ミコちゃんの置き土産はけっこうきっついわあ。で、ホントの所はどうだったのコスモス?」

「えっ? コスモス?」

「はーいガール達。お邪魔しまーす♫」

 サクラ達の横にはストック。その横にはさらに戦火を避けてきたコスモスがいたのだ。

「闘わないんですか? コスモス様」

「イタズラもマスク越しだったし、連れて行かれなかった組の言い分もすこーしだけわかるからねー。歴史がイタズラされていたら、わたしがそっちだったかもしれないじゃん?」

「はー」永遠の少女を名乗る人物の意外に大人な対応に息を呑むサクラ、萌枝、スノウ。そんな彼女達を傍に、ストックが現場にいたコスモスに尋ねる。

「神様、どんな方達でしたか?」

「全員一律で人型でした。現れたのは61体中39体。後で名前をお教えしまーす」

「闘ってみて、どうでした」

「手強かったですー。相手との相性にもよるんでしょうけど、わたしはミコちゃんの助けがなかったらこの大穴は作れませんでしたー」

「ミコちゃん強かった?」

「そりゃーもう。一目散に逃げたと思ったら各戦線で八面六臂の大活躍。カーレントやスイートピーみたいに助けを借りなかったって子もいたみたいですけどー、わたしは助けられたし、嬉しかったな〜」

 その詞を聞いて昨日昼間の闘いの記憶がサクラ達の中で甦る。自分達を助けてくれ、かつ自分の闘いを魅せて見せたミコ。その鮮烈な活躍は、今も記憶に焼き付いている。

 そんな記憶に浸っている中、「夢かもしれない話なんですけどね〜」と前置きして語り出した。

「神様にやられて意識が遠のいた後、耳からミコちゃんの話が聞こえてきたんです。『逃亡者には追跡者がつくが、旅人には追跡者などつくものか』って。わたしそれ聞いた後、あーなるほどーって意識落としましたねー」

「成る程ね。誰もが追っていたミコちゃんは、『逃亡者』でなく、『旅人』だった……それじゃあ、追っかけることも不可能ね。また出会うことはあろうとも、追いかけることは適わない――スノウちゃんはどう思う」

 コスモスの詞にストックの解説を聞いて話を振られたスノウはぺろっと舌を出して茶目っ気たっぷりに答える。

「そうですねぇ。冬場洞窟で会いましたけど、あれも今思うと『追いついた』より『また会えた』って気持ちのほうが強かったですねぇ。その詞はそれを指していたのかもしれませんねぇ。ま、どの道気象一族はもう様子見ですし、わたしもここで出会えたサクラちゃん萌枝ちゃんという新たなお友達との交流と、目標としてのレインさんを追っていきたいと思ってますぅ」

 いい答え――サクラは隣の萌枝と目を合わせて頷き合った。ちょっとスノウの詞がこぞばゆく、でも嬉しいものだったから。『本人』は追わずとも『目標としての空像』に追いつくため修行すると語ったスノウのセリフは、聞いていて力強く、憧れる。

 だからサクラと萌枝はスノウにこうお伺いを立てた。「わたしたちも加わっていい?」と。それに対しスノウが「もちろん!」と断言してくれたことで、心は洗われ、スッキリする。

 下の喧騒から目を逸らし、よく晴れた蒼穹を眼に焼き付けるサクラ、萌枝、スノウ。

 その様子を微笑ましげに、ストックとコスモスは見守ってくれていた。

 今日という日が、これから、始まる――。

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