第2話 婚約騒ぎと雪の花嫁

 はじまり

 

 その世界には、神様がいた。

 

 神様は人間に問題を与えた。

 

「私達の大切なものを盗めたら、新たな神様にしてあげましょう」と。

 

 人として知らぬ者のいないその問題に、多くの人間が挑んでいった。

 

 だが、今まで誰一人、神様の場所に辿り着くことすらできなかった。

 

 やがて人々が諦め、問題を知っていても無視するようになった時代。

 

 一人の女の子が問題を解いてしまった。

 

 しかも、神が一人死んでしまった。

 

 人々も、神様も揺れた。割れた。驚いた。

 

 なぜか――その女の子が事実を一切明かさずに姿をくらませたから。

 

 人々も、神様も、世界中が探し始めた。その女の子を。

 

 すべてを知ってる女の子を、それぞれの目的のために。

 

 これは、それを知りつつ旅をする一人の女の子の物語。

 

 

 ミコは野を越え山を越え、いくつもの町と村を経て、久しぶりの都にやってきていた。

 その名は、郵便都市ポスティオ。郵便事業・流通事業が俗世の中でも群を抜いて発展しているだけじゃなく、世界的に見ても稀に見る交通の要衝という地の利を活かし、郵便や交易に関する様々な事業に人々が一生懸命取り組んでいったのが都市・都の領域まで発展したとされるゆえん。

 今は白妙の月。冬の季節。雪の降りそうな寒い曇り空の中、ミコは久しぶりの都市景観を楽しんでいた。自然が木々や動物の営みなら都市は人の営みだ。ベクトルは違っても、どちらも美しさのある風景だ。もっともどちらにも、見えない見辛い見たくない穴があるのも事実だけど。

 が、街を見ていてミコは異変に気付く。最初は変な感覚を漠然と感じていたのだが、じっくりと眺め観察することでそれがなにか気付いたのだ。

 

 街中の人々の様子がおかしい――どことなくよそよそしいし、みんな必要以上に顔をキョロキョロさせている。まるでなにか探しているようだ……。

 

「どうしたのかしら? みんな警戒心を高めちゃって」ミコは思わず小声で思ったことを呟いた。なんてことはない一人言。でも、場所が悪かった。ミコがぼやいた通り、街の人々は警戒心の塊そのもの。つまり、感度も高いのだ。

 周囲の視線が一斉にミコに向けられる。前後左右上下全方角から。その聴覚超反応にミコは無意識にゾクッと身震い。「しまった。余計な一言だったのか」と迂闊な発言を反省するが、視線を向けた街の人々はミコをじーっと眺めると、これまた一斉にそっぽを向いて立ち去っていった。思いがけない解放にとりあえずミコはホッと一息つくが、謎は一層深まった。いったいなにが起こっているの? ちょっと知りたい――好奇心が湧いてきた。

 そうなればまずは情報収集。話を訊くのが一番手軽で手っ取り早いが、ミコは今このポスティオの住人に話しかける勇気はなかった。さっき強張った視線を集中砲火と向けられたばかりで、若干弱気になっていたから。

(見ず知らずの他人はヤね。となると知り合いだけど……)と思考を巡らせるミコ。

 そのとき。

 ピンポン。

 閃いた。もといある人物の顔が脳裏に浮かんだ。ここポスティオに住んでいて、かつ知り合いの人物の顔が。

 気象一族のレインを名乗っていた頃からの知り合いで、ミコに改名したことも知らせている、結構気心知れた仲。まさにうってつけ。

 だが。

(いるかしらね? あいつ、個人事業者だからな〜)

 そう、その知り合いはここポスティオに住んでいるだけあって、郵便事業を営んでいる。しかも個人で。そうなると今訪ねても会えないかもしれない。

 でもまあ、そんな他人の都合なんて知ったことかとどこ吹く風。勝手気ままに旅をしている自分があわせることもないかと、ミコはすぐに思い返し、そいつの事務所に向かって歩を進めだす。行き先はポスティオの路地裏だ。

 

 ジリリリリ。

 ちょっと洒落た音のドアホンを鳴らして、誰かいるかと問いかける。もちろん声には出していない。ドアホンを鳴らすことイコール、問いかけということ。それがミコ=R=フローレセンスの流儀。

 目的地たる路地裏の事務所にやってきたミコは、まずは礼儀とノックしてからこうしてドアホンを鳴らしているのだが、返事はない。全くない。

「お留守かしら? それとも居留守なのかな?」

 ミコは誰もいないことをいいことに、勝手なことを捲し立てる。もっとも根拠がないわけじゃない。今こうして会いに来た相手は、留守も居留守も前科があるのだ。

(わたしに良く似て変わり者だしね……しかたないわね、これ使おっと)

 脳内で結論を出したミコは、影帽子のがま口チャックを開けて、カバン口からあるものを取り出す。手にしたそれを事務所の鍵穴に差し込み、回して鍵を開けてみせる。用が済んだら引き抜いて、その後ノブを回してドアを開け、当たり前のように中に入る。

 実に自然に。当然でしょと言わんばかりに。

 そう、ミコが影帽子から取り出したのはこの事務所の鍵であった。元々ここで事業やっている奴は友達と呼んでもいいくらいのつきあいがある。ミコと改名した後他の町で偶然出会ったときに旅人につきものの宿の苦労を話したら「そんならポスティオでは俺ん家に寝泊まりしていいぞ」と貰ったのが今手に持ってるここの鍵。実に信用されてるもんだと自分でも思う。家族でも仕事仲間でもないのに鍵を渡してもらえるのだから。

「もしもーし。入りますよー」

 言うだけ言ったら悪びれる様子もなくあけすけと事務所の中に踏み入るミコ。初めて入るがなんの変哲もない、至って普通の事務所に見えた。ステレオタイプという形容詞がぴったりだった。無機質な色で固められた書類棚と作業机。暗めの赤色で染められた来客用と事業者用の二つのソファ。その間に挟まれるように置かれた机の上には灰皿と煙草。

 そこまでを見渡したミコは肩を竦めて溜息をひとつ。「なめられたもんね」とぼやくと影帽子のがま口チャックを全速全開、黒い腕を一本取り出し、ぐんぐん伸ばしてドアで隔たれたある個室の中に壁とドアの隙間を通して入れると、隠れていたそいつに一発ゲンコツを喰らわせた。

「痛てぇ!」

「そこまでよ、ソーム。隠れているのもバレたんだから、さっさと出てきなさい」

 悲鳴を上げた個室の誰かにミコが突き付ける最後通牒。すると水を流す音がしたかと思いきや、ミコにソームと言われたそいつは残念そうに悪態をついた。

「ちぇ〜、バレないと思ったんだけどなー。我ながら名案だと思ったんだけどよお」

「確かに――死角よね。トイレの中って」

 ミコが応じて詞を返す。その詞の通り、ミコが黒い腕で襲撃したそいつの隠れ場所はトイレの中だったのだ。やがて内側からドアを開け、そいつは姿を現した。ミコの予想した通り、この事務所の所長兼郵便ライダー、ソームだった。

「よっ、ミコ」手を軽く上げ、ソームがあいさつしてくる。

「うん。久しぶりね、ソーム」ミコはそのあいさつに答えて手を出すなどということはせず、逆に伸ばしていた黒い腕をがま口チャックの中に引っ込めるだけ。それ以外の所作は一切なし。向けた眼で語るのみであった。その眼力……もとい気迫にソームは若干押され気味。するとその反応に満足したミコは目から力を抜き、自然な笑顔をふるまった。

 それでようやく緊張の糸がほぐれ、二人は自然な会話に臨む。

「あーピリピリきた。ここを見抜いたことといい、千里眼かお前は?」

「違うわよ。千里眼なんて神様でも持ってないって。わたしは視力がいいだけ。ただし観察に長けた推察視力というやつよ。数字は62.0だけど」

「高っ! ほんとお前は……いや、やめておこう。お前アレ呼ばわりされるの嫌いだし」

 一人考えつぶやくソームは「まあ座れよ」と着席を勧めた。ミコは促されるまま、近い方のソファに腰掛けた。向かい側にソームも座る。

「ふぃ〜、さっきまで歩いてばかりだったから休息はとても心地良いわね」

「お疲れさん。お前歩きだもんな、このだだっ広い世界を歩いて旅してんだろ? バイクライダーの俺からすりゃ尊敬もんだよ」

「それほどでも……ないけどね」

「それにしてもよく居留守、しかも隠れ場所がトイレだってわかったな。さっき言った推察視力? どこにピントを合わせたんだ? それっぽいヒントは片付けたつもりだったんだけどよ……」

 ソームが素朴な疑問をぶつけてくる。さっきまでわたしの立場に気を使っていたくせに、やっぱり好奇心が勝るのね。まあ、それはわたしも一緒か――ミコは心の中を渦巻く感情にけりを付けると気を持ち直してソームの質問に答えた。

「確かに、ぱっと見では在住居留守の痕跡はないように見えるわ。でも詰めが甘いわよソーム。この煙草、灰の色からわかる熱量から逆算すればついさっきまでこの部屋にいたことがわかるわ。最初は火の粉の赤色光をほんのちょっぴり織り交ぜた白みがかった灰色でね、やがて冷めていくと同時に鉄色寒色系の灰色に変わっていくのよ。トイレに隠れているとわかったのは匂い。あなたわたしが殴って出てこいって言ったとき、流したでしょ? つまりトイレを使っていたのがわかったのよ、微かな匂いで。流していない時点でここにいるそこにいることがまるわかりってわけ。どう、納得した?」

「お見それいたしやした」ソームは深々と頭を下げて来た。そこまで畏まられることでもないと思うんだけど――ミコは正直気後れしたが、まあそれは相手次第だし、自分がとやかく言うことでもないと、あえて指摘することはなかった。

 それに今度はこっちの番――ミコは崩していた姿勢を正してソームに話しかけた。

「わたしもね、あんたに訊きたいことあるのよソーム。そのためにここに来たと言っても過言ではないわ」

「お? なんだ?」

「いや、単なる好奇心なんだけどさ……この街、ポスティオの人達がなんかどうもよそよそしいのよね。警戒心MAXっていうか、みんなすんごい気を張りつめているように見えてなんかあったのかなーって思ったの。んで、ここの住人のあんたならなにか知っているかと思って訪ねてきてみたわけよ」

「おま……ほんとに鋭い観察眼だな」

 ソームは感心半分、呆れ半分といった表情を見せると懐から煙草を一本取り出し、「吸っていいか?」とまずミコに確認を取る。「どうぞ」とミコが返すとライターで火をつけ一服。吸った煙を誰もいない横に吹き出すとその煙草を灰皿に押し付け、語り出した。

「まずはご明察と言っておこう。この街の連中が殺気立っているのは事実さ。さるご令嬢の身柄に賞金がかけられているんだよ。ま、気象一族のレインたるお前にゃ遠く及ばない額だけどよ、この街の有力者……てか街一番の資産家の娘が失踪してな。親父が懸賞金かけたわけ。んで欲に目の眩んだ住人達はその娘っ子を血眼になって探しているわけよ」

「なるほどね。そういうことだったわけか。どうりでみんな疑心暗鬼と猜疑心の塊に見えたわけだわ。きっと誰かに先越されるんじゃないかとか思っているんでしょうね」

 他人事だけに、皮肉たっぷりの嫌味を吐くミコ。お金は大事と悟っていても、あそこまであからさまな連中を見ていると気分が悪くなる。その鬱憤を晴らしたかったのだ。

 とここで、ソームの話を噛みしめていたミコはあることが気になった。早速ソームに訊いてみる。

「ねえ、街の連中は今必死になって失踪したお嬢様を探してるって言ったわよね?」

「ん? おお」

「そのお嬢様って、なんで失踪なんかしたわけ?」

 ミコにとっては当たり前の働きをした思考の産物たる疑問だったが、それを聞いたソームは歯を噛み締め目を細めて、「さすが。いいところに気がつくねぇ」としきりに感心し、挙句拍手までしだしたのだ。そこまでか?――ミコはその過剰反応を訝しむ。しかしソームの調子は上がる一方、遂には顔が緩みだした。ここまでくると疑惑も確信に変わる。ミコはまたもや影帽子のがま口チャックを開き、黒い腕でソームにツッコミを入れた。物理的にだ。

「ぐお!」

「落ち着きなさいな我が友ソーム。あんたはわたしの数少ない友達なんだから、その友達の前でくらいしっかりしてよ」

「お前が笑わせるからだろうよ。まあ悪かったと言っとくぜ。とりあえずこの手、しまってくれ」

 ソームの返事を聞いたミコはその要求通り黒い腕を影帽子へと収める。するとソームはおもむろに立ち上がり、キッチンへと入っていくと、しばらくして菓子折りと湯のみ二つを持って帰ってきた。長話になるってことね――ミコは彼の行動の意図を察し、素直に差し出されたお茶を一口戴いた。旅した身体に温かいお茶はよく沁みた。

 そしてついに、ソームが語り出した。事のいきさつを。

「ここポスティオ一の資産家、ロスターム家って言うんだけどな。そこの一人娘クララには、小さい頃からの幼馴染がいて、お互いまあ初恋の相手でおままごとみたいな結婚の約束を交わしたらしいんだよ。でもまあ当人達は真剣で、同じ街に住んでいるのにまめに交換日記もしていた仲だと」

「ふむふむ」

「でもな、幼馴染の相手は昔こそきらびやかだったらしいんだけど今じゃロスターム家には遠く及ばない没落旧家の生まれだったんだな。だから家を再興してロスターム家に、ひいてはクララ嬢にふさわしい相手になるって一生懸命励んでたわけよ。しかもなかなかに現実を見ててな、ポスティオで当たり前の郵便事業じゃ成り上がれないし第一市場が飽和してるだろうとの判断から医療都市メディケアに留学して医者になる道を選んだんだ」

「メディケア?」ミコが鸚鵡返しに繰り返すと、ソームは「ああ」と頷いた。

「そう、半年前――お前さんが解決したあの事件が起きたとこだよ。すまんな、お前はアレ呼ばわりされるの嫌だから思いださせるようでよ」

「別に……偶然の悪戯でしょう? 気にしないわよ、それくらいなら。だってあの事件のことは、解決後別の町であなたと飲んだときにわたしの方から話したことじゃない。自分でも珍しいことをしたとは思ったけどね、そこはまあお友達だから……ねえ?」

 ミコは自分の気難しいこだわりに気を使ってくれるソームを労ると、続きを話すよう頼んだ。ソームもこれ以上はむしろ話が脱線すると理解していたようで、先の話題に戻って再び話しだす。

「ここは郵便事業なら俗世一だけど医療や福祉は数ある都の中でもまだ二流――その幼馴染はそう考えて医者を志したわけよ。なかなかの慧眼だな。どこでも開業医は尊敬される仕事だしよ。おまけにそいつはめっちゃ頭が良かったんだ。学校では常に成績優秀ゆえの学費免除の特待処遇。メディケアには本人の希望もさることながらその頭脳を買った医大の教授陣が奨学金を出すから来てくれって誘ったくらいなんだと。んで、飛び級で合格してその医大に留学したってわけなんだ。当然クララ嬢とは離ればなれになるじゃん? ポスティオって学校少なくてな、二人は幼稚舎から高等部までずっと同じ学校だったんだよ。思春期を経ても変わらない、むしろ育まれた恋心。でもここにきて初めて経験する遠距離恋愛となったわけだ」

「初々しいわね。普通だったら幼い頃の思い出って、忘れ去りたいものだけどね。クララちゃんとその幼馴染は純朴だったわけだ」

「そういうことだな。でもここで問題がひとつ。そいつがメディケアに旅立つとなると今まで続けてきた交換日記ができなくなる。医療先進都市メディケアと言え医者になるには最低でも四年かかるからな。今まで体験したことのない別離を目前に二人は真剣に話し合い、改めてその場で告白しあって互いの気持ちを確認したんだと。んで、見事に両想い」

「ふーん、なんか胸やけがするわね」ミコは腕を組み姿勢を変える。段々とラブラブカップルの惚気話になってきた気がしていたからだ。口にはそれ以上出さなかったが、喋っていたソームもその感覚はあったらしい。こんな詫びを入れつつ話を続けた。

「ああ、話している俺もちょっと辛い。まあ後もうちょいだから、お互い我慢しよう。で、交換日記に変わって文通をすることに決めてクララ嬢はそいつを万感の思いで送り出したんだと。それがちょうど四年前。以来そいつは学業が忙しくて今日まで一度も里帰りはしてないけどよ、月一通の文通はちゃんと続けていたんだ。幼馴染君の単位習得も極めて順調で来年の味酒の月にはもう卒業だ。在学中からまめに論文出してて高く評価されててな、卒業直後の味酒の月にこっちに帰ってくると同時に自前の医院を開業するって噂だぜ。なんでもメディケアの医療財団や銀行団が融資を持ちかけたらしくてな、先進医療を広めるってなれば聞こえもいいとかなんとかで、互いの思惑が一致したらしいんだよ。もちろんここの住人達も大喜び、実家の株も上がり見事再興に成功して全てが上手くいくかと思われた……ところが!」

 ここでソームは話を一旦打ち切り、人差し指を一本上に突き立てた。その演出にミコは思わず固まってしまう。

(ソーム、聞き手を話に引き込むのうまくなったわね〜。ここからが本題ってわけね)

 ミコは友の話術向上に内心感動しつつ、次の話を待つことにした。あの切り方で終わり、そして続きがあるのだから、期待できそうだと、ちょっとワクワクしてきてもいた。

 そして間を溜めてしばらく時間が流れる。お互い黙りこくって、見つめ合って引っ張る展開。そして遂にその「時」は来た! ソームが立てていた人差し指を折り畳んで拳に戻して続きを話し始めたのだ。

「この結婚の約束、当人同士は真剣だし友達仲間、果ては街の知り合い達も微笑ましく見守っていたらしい。だけどたった一人、強烈な反対派がいた。そいつの名はハンニバル=ロスターム。クララ嬢の親父さんでここポスティオ一の郵便事業会社の社長という敵に回すのはヤバすぎる奴だった。この親父さんが頑固な上に親バカでね、昔から愛娘のクララ嬢が没落した家の坊主と仲良くしているのが気に入らなかった。でも豪放磊落な人物な奴でな、子供心にした結婚の約束なんて成長するにすれ自然と解消されるもんだと思っていたようなんだよ。だが二人の絆は予想以上に固かった。次第に危機感を抱いていって先月柞葉の月に相手の卒業、及び開業医となる知らせを聞いてようやく自覚したんだと。俺に言わせりゃ油断大敵観念しろだ。だがハンニバル、諦めの悪い奴でね、今頃になって娘に向かって『あんな奴よりこのロスターム家にふさわしい男と結婚しろ』って、勝手にまあそれなりの資産家の御曹司とのお見合い婚約を迫りだしたんだよ。もちろんクララ嬢はこれに烈火のごとく反発。使用人達がうろたえるほどの家族喧嘩が起こったらしいぜ。結局クララ嬢が折れなかったことに業を煮やしたハンニバルは、遂に娘の意思も無視してその御曹司との婚約を決めて、大々的に発表しやがった。これにクララ嬢も堪忍袋の緒を切らしてな。家出出奔しちまったってわけ。この突然の出奔にさすがのハンニバルも慌ててな。それもそのはず、もう式の段取りも全部終えていたからな。肝心の結婚式に花嫁がいなくちゃロスターム家の面目も丸つぶれ。それでハンニバルの奴、即日都市警察に圧力かけて戒厳令を敷かせたんだ。お前さんポスティオに入るのは簡単だったと思うけど、これは入る者拒まずの論理。逆に今このポスティオを出ることは難しいぜ。で、出口を押さえたハンニバルは一刻も早くクララ嬢の身柄を確保するためにその身柄引き渡しに法外すぎる懸賞金をかけたんだ。これに街の連中も欲に目が眩んでな、お前さんも見た通り、あの有様ってわけなのさ」

 お終い――そう締めくくったソームは長い熱弁で乾いたのどを潤すべく、湯のみを手に取りお茶を飲む。ミコはその様子を見守りつつ、聞いた情報と見た情報を交錯させて道を開く。その先にあるのは納得という名の満足と答え。そして気になる最後の疑問。

「ソーム、もう話せる?」

 ミコは既に湯のみを置いていたソームにお伺いを立てる。するとソームは快活な顔で「おう、大丈夫だぜ」と答えてくれた。

 ならいいか――ミコは気になってしょうがない疑問をぶつけてみた。

「話をさっきから聞いててさあ、引っかかったとこがあるんだけど」

「ん? 説明不足か? どこだ……言ってみ」

「ロスターム家のクララちゃんだっけ? その子と結婚の約束をしてメディケアに留学したっていう幼馴染君の名前はわかんないの? 全然出てこなかったからさ……」

「ああ、そこか……」ソームはしてやられたと言った体の顔をして苦笑した。その顔を見た時点で、ミコは答えを察した。出されるより先に指摘する。

「知らないんだ」

「ああ」ソームは首肯した。なるほど、それじゃしかたないわね――ミコは納得した表情で引き下がった。これ以上の追及は、野暮というものだろう――そう思ったから。

 ところが。

 ソームは何を思い立ったか、いきなり立ち上がり、事務机の方に移動してファイルやら電話やらいじくりだした。ミコは突然の行動に詞も出ない。しばらく経ってようやく自我を取り戻し、なにしてるのと訊くとソームはこう答えてくれた。

「いや、お前の質問に答えられない自分がなんだか歯痒くてな。今資料や関係各所への聞き込みで調べてるとこ」

「別にそんなに気を使わなくてもいいのよ。単純な好奇心なんだから」

 ミコは遠慮気味に声をかけるがソームの決意は固かったらしい。電話を耳に当てながら資料ファイルをパラパラめくっている。その熱心さを垣間見たミコは心境が変化するのを感じていた。自分のためにこんなに一生懸命やってくれている――なら、邪魔するのは野暮というもの。友達なら信じて見守ろう、そう考えたミコは暇となった時間を持て余してしまい、とりあえずお菓子を一口戴いた後にお茶のおかわりを勝手知ったる我が家と言わんがばかりに自分で注ぎにキッチンにまで行く始末。ソファに戻ってアツアツのお茶が注がれた湯のみを両手で保持してホッと一息心を落ち着け、いよいよお茶で癒されようと口に含んだその瞬間――。

 ソームの調べものが終わり、ミコの質問への答えが出た。が、それはミコを少なからず動揺、動転させるものだった。

「わかったぜ。幼馴染君の名前はシャーロック=ローだ」

 ブッ!

 のどまで入ったお茶が逆流してミコの口から吹き出した。思いっきりむせてしまい、ミコは苦しみに悶絶する。

「けほ、けほっ……」

「大丈夫かミコ? いったいどうした……?」

「いや、ちょっと驚いちゃって……とりあえず、拭くものと若干の猶予を頂戴」

「お、おお」

 ソームは急ぎキッチンの方からタオルを持って来るとミコがこぼしたお茶を拭き取る。そして元いた場所に戻るとミコが落ち着くのを待っていてくれた。その気遣いがミコにはとてもありがたかった。

 それにしても、思わぬ事態である。はたしてこれは偶然なのか。それとも、運命なのか……。ミコは戴いた猶予の間に考えてみるが、こればっかりは答えが出なかった。

 そういうことなのね――ミコが気持ちを整理したら、身体もようやく落ち着いた。

「ごめんね。もう大丈夫」待っていてくれたソームにまずありがとうの意味も込めて、ミコは声をかける。

「そっか……よかったぜ。でもどうしたんだ? いったい……」

 ソームが投げかける逆質問。立場が逆になったわね――ミコは逆回転を始めた歯車のちゃっかりした音色が少しおかしくて笑ってしまう。その様子を訝しんだ様子の向かいのソームに心配しないでとだけ告げた後、ミコは全ての理由を話しだした。

「あなたが調べて上げてくれた幼馴染君、シャーロック=ローね。わたしの知り合いなのよ」

「なに! そうか……だから驚いてお茶を」

「そう。しかもそれだけじゃないわ。あの坊やは……シャーロックはね、半年前わたしがメディケアで解決した事件捜査の際、わたしの子分として一緒に行動していた奴でもあるのよね」

「はあ!」ソームは今度こそ本気で驚いたようで机を叩いて立ち上がった。やっぱり……それくらいの衝撃よね――と、ミコはソームの大げさな反応にも理解を示していた。むしろ嬉しいくらいだった。同類、ここに居たり――みたいな感じで安心できる。

 しかし聞き手が立ちっぱなしでは話が続かない。そこにソームも気がついたようで掌返すかのように着席。そしてその勢いのままミコに訊き返してきた。

「シャーロック=ロー、こいつがお前さんの話に出てきた事件捜査の際つきまとってきてとても鬱陶しかった子分だっていうのか?」

「ええ。あいつは自称助手とかのたまっていたけどね。まあ現役の医学生は検死に使えたから傍に置いといたんだけど……あいつ、そんなに頭良かったっけ?」

「そりゃお前さんと比べるのは酷だろ」ソームは即答するが、ミコは「そうかしら」と怪訝な顔を崩さない。自分の記憶の中にいるあいつは、自分の思考が導いた真実に驚いてばかりのどこにでもいそうな若造だったから。

 だから――意外だったのだ。あの子がそんなにできる子でしかも恋に一途な純情青年だったなんて。

「わっかんないもんね。わたしの目も節穴なのかな……?」

 ミコは自分の抜け作ぶりを軽く自嘲する。さっき推察視力が62.0とか自慢したのもちょっとアホらしく思える。こんな大事なことを見抜けず放置していたのだから。

(それとも、別にそんなに重要なことでもないという意味かしら――)

 思考の歯車を逆に回して逆説的に考えてもみるミコ。だが、心が受け入れる答えはそっち側ではなかった……。

「やれやれ。また血が騒いじゃったわ……」

 ミコは観念したようにソームには聞こえるか聞こえないかの小声でそうつぶやくと、よっこらせと勿体振った風に立ち上がり、手を組んで頭上に持ち上げて背を伸ばしてから一言、

「探しますか。クララちゃんとやらを――」と宣言したのだ。

 反対側のソファで座ってその様子を眺めていたソームも憑き物の落ちた清々しい顔でミコの一連の行動を見守ってくれていた。そして一言、

「そうくるだろうと思ってたぜ。お前さんはそこそこ世話好きだもんな。こんな事情を知っちまったら、放ってはおけねえタイプの奴だ」

「うん」ミコは恥ずかしがることもなく素直に肯定する。自覚があるから、なんてことはない。この性格は死んでも消えても直らないのだろう、きっと……。

「手助けするぜ。仕事はこの間終わったばかりで、俺もちょっと暇だしな」

 ソームもまた立ち上がり、ミコと同じ高さに視線を上げて助力を申し出てくれる。

 シャーロックよりかは役に立ってくれるわね――ミコは少々不謹慎な評価をする。が、事実なのでしょうがない。先程のソームの台詞ではないが、比べるのは酷だろう。

「ありがと。じゃあ早速だけど、クララちゃんがいなくなったのはいつかわかる?」

「ああ、それはわかる。今月白妙の月の8日だな」

「今日は22日だったわね……。戒厳令か敷かれたのも8日なの?」

「ああ」ソームは首肯する。「クララ嬢が最後に目撃されたのが7日の就寝時。翌日8日の朝に使用人が起こしに行ったときに失踪が発覚したらしい。残されていた書き置きを読んだ使用人は事の重大さに気付きすぐにハンニバルに報告。一時間もせずに戒厳令が出たそうだ。ここは都だから命令、特に戒厳令なんてのは緊急ラインの電話使うからな。街の規模を鑑みても、クララ嬢が既に街を出たって可能性はないだろうな」

「言い切れるだけの理由があるの?」まっすぐなミコの質問。まあ自分基準で考えているから他人にあてはまるかはわからないが、ミコだったら抜け出す際は乗り物を使う。こういうのはスピードが命、いかに早く、どれだけ遠くに行けるかが重要だからだ。

 だが、どうやら他人様の考えは違うらしい。ソームはミコの問いにこう応じた。

「ロスターム家の屋敷にあるビークルは全て手つかずだったそうだ。いなくなった時間帯が夜だけに公共の交通も休んでいるし、あとはタクシーなんかを呼んだ可能性もお前さんは考えているんだろうけどよ、その線もなさそうだぜ。ロスターム家の屋敷には舗装されてない道を使わなくちゃ行けないんだけどな、その日そこを車が通った痕跡――轍は残ってなかったそうだ。逆に残っていたのは足跡、靴のサイズと型からクララ嬢のものに間違いないそうだぜ。あと戒厳令を敷いた直後に近隣12の町や村の警察にも捜索依頼を出したそうだが、発見報告はない。ポスティオに近隣12の町と村を足した領域は直径80キロにもなる。とてもじゃねえが徒歩では抜けねえだろ」

「なるほどね」ソームの説明を聞き取ったミコは、思考の歯車を回し、回路を起動させる。

(皆が寝静まった時間から戒厳令が敷かれるまでの間にこの都及び近隣のエリアを徒歩で抜けるのは確かに厳しいわね。となるとクララちゃんは逃げたのではなく隠れたってことか……。懸賞金に目が眩んだ街の連中が血相変えて探しているのもその証左。失踪から二週間が経ってもなお発見できないことからして、おそらくは匿っている共犯者がいるのでしょうね。徒歩で移動できる場所……? 足跡……えっ?)

 顎に指を当て思索中だったミコの頭の中、真実の海に垂らした釣り針に引っかかった魚――もとい疑問。早速ソームに訊いてみる。

「ねえソーム、ちょっといい? あなたさっきクララちゃんの足跡が本人と照合できたとか言わなかった?」

「おお、言ったぜ」

「それってまさか、その日の天気が雨だったってこと?」

「ん……? 俺はその日仕事で遠出していたからわかんねえけど多分そういうことだろ。なにを……って、ああっ!」

 ソームがミコの質問に込められた真意に気付き大声を上げる。「ちょい待て、すぐ確認する」と言ってすぐにその日の新聞を確認し始める。程なくしてソームは「あったぜ!」と叫んでミコにその新聞を放り投げた。空中をブーメランのように回転しながら飛んでくる新聞。ミコはそれをキャッチすると真っ先に天気欄を確認する。その日は、やはり――。

 

 雨だった。

 

「俺も鈍ったもんだぜ。お前さんはミコ=R=フローレセンス。でもその前は気象一族のレインだったんだよな」

「そうよー。雨を呼び、雨を使い、雨を知る。それがレインの持つ力。わたしにとってはこれ以上ないヒントになるわね。うん、今月の7日〜8日はこの地方一帯雨だったようね。なら簡単だわ。雨の匂いで検索、追跡できる」

「二週間前だぜ? 匂いとか残っているもんなのか?」ソームが訪ねてくるが、ミコは人差し指を立てて振り、「チッチッチ」と答える。

「甘いわね。わたしの雨識感覚は水滴のカテゴリが『雨』であるなら百年前のものでも探知可能よ。発見報告が無いってことは、クララちゃんは雨の日に移動してから隠れたまま。なら可能性は十分よ」

 ミコはレインとしての能力を説明し終わるとソームに少し黙っているように告げ、目を閉じて嗅覚に意識を集中させる。

 雨の匂いに限定して嗅ぎ分けさらに日時と対象人物で絞り込む。検索すること数秒――すると、感じるものがある。それこそ探していた目標の情報!

「見つけたわ。ここから西に約8キロね」ミコが開眼し、探知した情報を提供する。

「マジで?」ソームが目を見開いて感嘆する。ミコ同様目を大きく開いているが、そのもととなる感情は大いに違うだろう。彼のそれはミコの超感覚に対する驚嘆だろうから。

「疑うより見せた方が早いわ。行きましょう」

 ミコは被っていた影帽子の鍔をつまんで深く帽子を被り直すと、テキパキとした動作でさっさとソームの事務所を後にする。その様子を目の当たりにしたソームが「ま、待ってくれ!」と叫びながらガサゴソ物音を立てる。事務所のドアを既に通り抜けていたミコに届くドタバタ音。しまった、またしくじっちゃった――ミコは一人旅のノリで行動してしまった自分の不覚を反省し、閉じたドアに背中を預けてドア越しに声をかける。

「ごめんね。見せた方が早いわなんて言っちゃって。急がないのが……わたしの流儀なのにね。待ってるわ、あなたのこと」

 そう言って目を閉じるミコの背中に伝わるのは、ソームの出発準備の様子。やがてこっちに向かってくることがわかるとミコはよっこらせと預けた背中を解き放ってドアから距離をとる。と同時にドアは開き、支度を整えたソームが出てきた。

「待たせたな」

「いいのよ。じゃ、ついてきて」

 ミコはふんわか柔らかく微笑むと、先導して歩きだした。後ろからソームの足音がついてくる。夕暮れの茜空が、街に焼き付く中、二人は沈む夕日を追いかけるように、西に向かって歩いていった。

 

 

 ソームの事務所から西に向かって歩いてきたミコとソームが辿り着いた場所、そこは学校だった。年季の入った大きな門と、その奥にさらに大きな校舎が隠れることもなく、威風堂々と佇んでいる。

「ここよ」ソームと一緒に門の前まで来てそこで足を止めたミコがソームに告げると、彼はこの学校についてミコに簡単な説明をしてくれた。

「なるほど、盲点かつ納得だ。ここはクララ嬢が現在通っているこの都唯一の大学の校舎。しかも敷地内には学生寮もある。同年代の友達ならクララ嬢の味方にもなるし、隠れ場所としてもうってつけだな」

「ふーん、そうだったの。じゃ、中に入るわよ。手を貸すから掴まって」

 ミコは影帽子のがま口チャックから黒い腕と黒い足をそれぞれ一本、二本取り出した。腕の方はソームの方に向かってその身体を抱え上げた。もう一方の黒い足は、二本がミコの頭から蟹股のように地面に足を着けると、そこからさらに足を伸ばす。それに伴い影帽子を被っているミコの身体と腕で掴んでいるソームの身体は地を離れ、宙に浮きだす。

「おお。さすがは影の秘術、便利だねえ」

「行くわよ」ミコの掛け声と同時に片方の黒い足が一本、高い壁を跨ぎ越し、敷地の中に足を着ける。まずは一歩、侵入に成功。ミコはその一歩にセキュリティが反応しないことを確認するともう片方の足も敷地内へと動かし、身体ごと壁の上を通り越し、まんまと学校の中に侵入してのけたのだ。

「ほいっと到着。ちょろいもんね」黒い足を縮めて自分の足を敷地内の土に着けたミコが黒い足もソームを掴んでいた黒い腕も影帽子の中にしまう。飛び越えて侵入しても咎められない、都市レベルの文明を持つ施設にしてはずいぶんと抜けたセキュリティだと思ったのだ。

 しかし、そんなミコの常識は世間一般のものとは違うらしい。一緒に連れてきたソームがミコの肩に手をのせた。ミコが振り向くとソームはああ無情という目をして顔を左右に振っていた。

「お前の能力は高過ぎんだから、その物差しで世間を評価すんのはちょっと可哀想だぜ。特にここポスティオは気象一族や花一族、自然学派に伝承楽団の面子や秘術使いが常駐しているわけでもないんだしよ。普通なの」

 そらもっともね――ミコも彼の指摘を素直に理解する。自慢じゃないが自分は気象一族史上最高のレインと呼ばれていた女である。かつて神様の出した問題を解くべく高みを目指し力を得た人々の積み重ねにして成れの果て、それが自分――ミコ=R=フローレセンス。かつてレインと名乗っていた雨の属性を受け継いだ者だ。

(しかも神様の問題も解いちゃったしねー。もう少しスペックの高さを自覚すべきかしら……)

 一人旅。ミコは自分の価値観や能力、心の有り様をもとに道中遭遇する様々な人やモノ、現象を判断し、感じる。それは自分の人生なのだから自分基準で問題ないだろう。

 でもソームに指摘された通り、他者や自分以外のモノを自分の基準でさも当然のように断じたのは失敗だ。元気象一族の一員――それだけでマイノリティにもほどがある。特に自分は先程も述べたが人類初兼唯一の神様の問題解決者でもある。マイノリティというより、もう自分対他全部と言ったくらいの構図だろう。孤独だなあ……考えていたらミコはなんだか物悲しくなってきた。ちょっと注意されて反省してたらこれだ。こんなんならあのとき逃げずに神様になっとけばよかったかと一瞬魔が差してしまう。

 でも、そうはならないのがミコ=R=フローレセンスのいいところ。一人でいても、繋がりがないわけではない。こうして注意してくれるソームを始め、『友達』と呼べる気心知れた間柄の仲間がいるし、勝手に抜けたとはいえ気象一族のみんなは未だに自分を追いかけてくれる。さらには神様達までもが自分を捕まえようとあの時空隔絶領域からこの人間・生命世界に降臨して自分を捜してくれている。ほんとうに孤独ならそんなスリルも味わえないだろう。

(やっぱりわたしは幸せ者みたいね、泉さん――)ミコは神々の住居で出会い触れ合いそして別れた嘘の神、泉=ハートに届かないメッセージを送りつつ気を取り直した。

 その後意識を外にいるソームに向けてペコリと一礼、軽く頭を下げる。

「あんたの言う通りだわ。わたしの尺度で世の中測ったらたぶん明日には戦争ね。聞いていてくれたのが注意してくれるあんたで本当によかった。感謝してるわよ、ソーム」

 詫びとありがとうの気持ちを同胞したその所作その詞を、偽りのない正直な心で届けるミコ。そしたらどうしたことだろう、彼は困った顔をして右往左往しだしたのだ。

「どうしたの? 挙動不審よ」ミコがくすりと微笑み逆指摘すると、「だってよ〜」と彼はその理由を語り出した。

「こっちは皮肉とかちょっかいのつもりで軽口叩いたのに、お前いきなりいろいろ深く考えだすし、挙句俺に感謝してるだなんて真摯な気持ちぶつけてきて……もったいねえよ。そういうのは友達止まりの俺なんかじゃなくて。惚れたやつにでもしてやれよ」

「もう、素直じゃないわね。まだ想い人なんていないもの。だから友達にしてあげるのよ」

 あんたは紛れもない友達よ――そうミコは締めくくってソームに背を向け歩きだす。行き先は求める雨の匂いがする場所。おそらくそこにいるはずだ、いろいろ手を焼かされた子分のシャーロック=ローが恋慕しているというお嬢様、クララ=ロスタームが。

 背後からソームのついてくる足音が、踏んだ土に溶けて重くなった低音が聞こえた。

 

「着いたわ。この扉の向こうね」

 雨の匂いを辿って学校の敷地を歩き回りミコがソームを連れて辿り着いたのは古びた学生寮の一室の前。かかっている表札は「ナミコ」となっている。まあ変だとは思わない。

「さて、この先にいるはずだけど……」ミコはもうノック寸前という体勢まで拳を構えているが、こうつぶやくとそれ以上の行動に移ることはしなかった。躊躇しているわけじゃない。ミコはむしろ大胆な行動がとれる方の人間だ。

 にもかかわらずノックをしない理由――横に並んだソームがミコに代わって口にしてくれた。どうやら共通認識を持っていたようだ。

「だよな〜。いきなりお邪魔しても信用されるかどうかだし、そもそもノックしたところで開けてもらえるかどうかもわかんねえしな。お前なら影の秘術で強引に開けることもできるだろうけど、そんなことしたら初対面での印象はがた落ちだろうし……どうするよ?」

「そうなのよねー。ふむぅ……」自分の意見と寸分違わない説明に深々と頷きつつ、ミコはどうしたものかと考える。だがノックのために用意した拳を顎にのせた瞬間、名案が頭の中に降りてきた。思わず顎に当てたばかりの拳をポンと、もう片方の掌に落とす。よく知られたパターンとも言える仕草であるが、偶然である。

「いいこと思いついた。うってつけのものがあるわ」

「なんだよ、そりゃ?」ソームの応答を受けたミコはまたしても影帽子のがま口チャックを開けて中に手を突っ込み、あるものを取り出した。

 手に取ったそれは――携帯電話。情報知都市テクモゼで売られている、最新型の高機能携帯電話。

「携帯電話?」ソームが意外という風に素っ頓狂な声を上げる。どう使うんだよ――続け様に発した至極真っ当なその疑問に、ミコは不敵な笑みを浮かべて答える。

「いいものが入っているのよ。まあ見てなさい。あ、でもちょっと下がろっか」

 ミコはそう言って携帯電話を持ってない手をソームの前に出し、自分同様下がるよう促す。ドアから人一人分くらいの距離をとると、ミコはしばしの間携帯電話を操作してからドアの方に向け押し出す。最後にそこからキーを押すと、携帯電話からかなりの音量で男の声が再生された。

 

『クララ! 僕だよ! シャーロックだよ! 帰ってきたよ!』――と。

 

 たったそれだけの音声。だがその直後ドアの奥から聞こえてくる女の嬌声と騒がしいドタバタ音。するとどうしたことだろう、ドアが内側から開いたではないか!

 そして飛び出してきた、二人の女の子。そう、ミコは自分がノックして開けるのではなく、部屋の中にいるターゲットにドアを開けさせたのだ。なんと悪知恵の働くことか。

「シャーロック、帰ってきたのね!」

 最初に飛び出してきた明るいブロンドの女の子がストレートロングの髪を靡かせながらそう叫びこっちを見る。見て……固まる。

 そりゃそうだろう。そこにいたのはシャーロックではなく、ミコとソームなのだから。彼女からすれば赤の他人である。動揺しない方がおかしい。

「え? あれ? シャーロック?」

 挙動不審になる彼女の後ろから、もう一人の女の子が駆け寄ってきて声をかける。癖のあるブラウン色をしたミディアムヘアの女の子だ。

「ダメよクララちゃん、大声出しちゃ。あなたをここに匿っていることは他の誰も知らせてないの。いくらシャーロックだからって、あれ……?」

 その子もこっちを見て違和感に気付いた模様。だがその子は勘が良いのかすぐにはめられたと気付いたようで、クララの腕を引っ張り部屋に戻ろうとするが、そうは問屋がおろさない。ミコは携帯電話を取り出したときから開いたままにしていたがま口チャックから黒い腕を三本射出し、一本ずつでクララとその腕を引っ張る女の子の口を塞いで引き剥がし、残った一本でドアを開いた状態のままキープする。その手際の良さを見ていたソームが乾いた拍手で讃えてくれていた。

「さっすがミコ。知恵が回るし対応も早いぜ」

「ありがと。……さてお二人さん、ちょっと失礼させてもらうわよ」

 ミコは一方的に通告すると、ソームと一緒に部屋の中に足を踏み入れるとドアを閉めた。

 そしてまたまた携帯電話をいじくると、今度はこんな台詞が再生された。やはり男の声で。

 

『クララ、聞いてくれ。この人はミコ=R=フローレセンスさん。かつてメディケアで起きたコスモサーカス事件を解決した方だ。事件捜査の際、僕を子分として使ってくれた親分だよ!』

 

 その詞を聞いた二人の表情が変わる。瞳孔は開き、驚愕で脈が早まったのが観察できた。頃合いよし――ミコは遂に自分の声で拘束している二人の女の子に話しかける。

「騙すような真似してゴメンね。聞いての通り、わたしはシャーロックの知り合い。この声もあいつと捜査していた際にサンプリングしたものをアフレコソフトで喋らせたのよ。心配しないで、わたし懸賞金には興味がないから。お金は余ってるくらいだし。ただ偶然にも知り合いのシャーロックの恋路が関係していたからちょーっと手助けしてあげようと思っただけ。さて、続きは座って話たいわ。ここまで聞いてわたしたちを信用してくれるようなら指で○サイン、信用できないなら両手で×を作って返事して。悪いけど口は塞がせてもらうわ。これ以上騒ぎになると、お互い困るでしょ?」

 要件を喋り終わったミコは、口を塞いで持ち上げている二人をアイコンタクトで会話できるよう角度を変え、対面させてやる。二人はお互いの目をしばらく見つめ合っていたが、やがて頷き合うと、二人揃ってミコに○サインを見せた。了承戴き――目論見通りの展開となったミコはソームと拳を軽くあわせて達成感を分かち合うと、二人の身体を床に降ろしてその身柄を解放した。黒い腕三本を取り込んだ影帽子のがま口チャックが今度こそ閉じられる。

「改めまして。ミコ=R=フローレセンスよ」

「俺はそのダチで個人郵便やってるソームだ」

「はじめましてですね。クララ=ロスタームです」

「同じくはじめまして。この部屋に寄宿しているクララちゃんの友達のナミコです」

 全員揃って自己紹介を終えると、この部屋の主であるナミコが「こちらへどうぞ」と部屋の奥の方にあるローテーブルにミコ達を案内する。気の利く子――ミコはナミコに感心しつつその誘導に従った。

 そしてテーブルに座る四人。とここで座るや否やクララが会話の口火を切った。

「あなたがシャーロックの手紙に書かれていたミコさんですか。シャーロックが手紙でいろいろ書いてました。影の秘術を使うだの、高性能な頭脳を手持ちぶさたにしているだの。とにかく凄い人だったって」

「あいつ……相変わらず口が軽いわね」クララの話を聞いていたミコは苦虫を噛み潰したかのように酷く苦々しい表情を見せた。あれほどおしゃべりは慎めと言っておいたのに――だんだんむかむかしてきたミコは文句のひとつでも言ってやりたい気分になってきた。

 すると閃く悪魔の一手。ミコはがま口チャックにしまうことなく手元に残しておいた携帯電話に素早くコマンドを打ち込むとその場の三人を片手で『ストップ!』と待たせつつ、電話が繋がるのを自分も待った。そして繋がると同時に携帯電話をテーブルの上に置き、突拍子もない会話をはじめた。

 これには待たせていた周りの三人も会話に参加させる意図があった。なぜなら――。

 電話の相手は、渦中の男シャーロックだったからだ。

「聞こえてるわねシャーロック? わたしよ、ミコ=R=フローレセンス。今ポスティオでクララちゃんと一緒なんだけど、まずは一言、なにか言うべきことがあるんじゃない?」

「え? シャーロック……?」クララが怪訝そうな目つきでテーブルの上の携帯電話を見つめる。すると聞こえてきた男の声は、さっきクララを釣ったときのアフレコソフトの声と寸分違わぬ声質だった。

『ミコさん、お呼び出しいただきありがとうございます! 半年前助手として携帯電話を持たされてからこれが初めての電話ですね。助手としてどんな仕事もこなしてみせます。さあ、このシャーロックになんなりと指示をお申し付けください!』

「違うでしょバカ。あんたは助手じゃなくて子分。あと最初に言うべきことは『親分のこといろいろと恋人への手紙に書いてしまってすいませんでした』でしょうが。あれだけその口堅くしろって言っておいたのに……全然改善されてないようね」

 シャーロックと名乗った男の丁稚奉公のような絶対服従の低姿勢をミコが鬱陶しそうにばっさり断じる。そのやりとりに恋人のはずのクララでさえ、全く口を挟めない。ましてや部外者のソームとナミコはなんぞや。もはや風景みたいな感じで、完全においてけぼりを食らっていた。

 しかし、ミコはその場の空気をちゃんと感じ取っていた。このままでは意図した会話にならないとさっきの説教の最中から認識していたので、いっそこのバカの下請け気質を利用してやることにした。

「いいわ。シャーロック、命令よ。ここにあなたの想い人クララちゃんと彼女を匿っているナミコちゃんがいるわ。後わたしの友達のソームがいるけど……、まだ出番じゃない。まずはあなたとクララちゃんの二人でわたしたち二人にあなたたちの惚気話を惚気ず簡潔に話しなさい。そしてその次にクララちゃんとナミコちゃんで今に至る経緯を説明して。1から1まででいいわ。ただし時間はそれぞれ3分以内に収めること」

「はあ?」クララはミコの説明を理解できなかったようで、首を傾げている。だが、隣にいたナミコはミコの真意を把握したらしく、「わかりました。要件だけかいつまんで話せってことですね」とミコに確認を取る。ミコが「ええ」と頷くと、ナミコはクララと電話先のシャーロックに「まずあなた達から話した方がいいわ」と説明を促す。それを受け、クララとシャーロック、両想いの恋人達がその馴れ初めを語り出した。話す前に3分間と制限時間を設けたのもプラスに働いた。ミコの忠実な子分であるシャーロックがミコの命令を絶対厳守と守ったので、きっちり3分で恋の話は終了。次にシャーロックが外れ代わりにナミコが加わって、二人でクララの家で置きた問題と家出騒動、そしてナミコが匿うに至った経緯をこれまた3分以内で喋り終えた。なんでもナミコが金に執着がなく、かつクララの大学での一番の友達・恋の応援者であったことが決め手だったらしい。

 そんな風に当事者達からの事情説明を聞いたミコとソームだったが、おおむねその内容は事務所でソームから聞いた話と同じだった。もっとも、当事者だからこそ言える生々しい告白や秘蔵情報の提供があったのも事実。特にクララの父ハンニバルがここポスティオ一の郵便会社の社長という立場を笠に着てかなり強引な経営をしているという情報は、ロスターム家の一員でもなければ知ることのできない貴重な知らせだった。それを部外者の自分達に話すあたり、クララの怒りは相当なようだ。

 そしてクララとナミコの説明を聞いて電話の向こうのシャーロックもまた度肝を抜かれたという反応を見せた。そう、ミコが予測した通り、こいつはクララ嬢の身に起きていた騒動を全く知らなかったのである。まあ無理もないことだろう。クララは失踪してからというもの、足が付くのを防ぐため文通もやめていたのである。曲がりなりにもここは郵便都市ポスティオ、手紙の逆探もわけないことと彼女は身を以て知っていたからだ。そしてこれもミコが予想した通りだったが、クララはシャーロックが携帯電話を持っていることを知らなかった。これはそもそもミコが原因。メディケアで助手助手とことあるごとに嘯き自慢するシャーロックを親分として戒める意味で『親分からの命令通知専用』との名目のもと、携帯電話を与えていたのだ。シャーロックはその命令をきちんと守っていたのだ。恋人であるクララにも知らせないほど徹底的に。案の定クララはシャーロックが携帯電話を持っていた事実、そしてそのことを知らせてくれなかったことに不満そうな顔を見せたがこればっかりはミコにも責任の一端があるので粛々と詫びつつ事情を話した。シャーロック本人の口添えもあり、なんとか矛は収めてもらえた。

 そして一連の説明を通して、この場にいる五人全員が同水準の現状把握、共通認識を持つに至った。本題はここからであるが、この前座とも言える行為はそのためには避けては通れないことだったし、本題を円滑に話し合うためにも、この手の手順は必要なのだ。ミコはその点をよく心得ていた。かつて学都スコラテスの弁論学授業で学び、気象一族時代にも活用した経験則だ。

「では、これからどうするか話し合いましょうか」ミコが両手の掌をポンと合わせて音頭を取る。みな一様に頷いた。

 まず手を上げたのは、これまでずっと沈黙を保っていたソームだった。いいかげん喋らせてあげたい――その思いもあったミコは真っ先に彼を指名する。

「まず大前提だけどよ。クララ嬢と子分シャーロックは結婚、したいんだな?」

「もちろん!」『すぐにでも!』

 間髪容れず二人が返事をする。さらに応援者たるナミコが助け舟を出す。

「わたしはずっと見守ってきましたけど、今時の都では珍しいくらい一途で無垢な恋をしてますよ、この二人。ハンニバルおじさんは元々黒い噂もありましたし今回の件は明らかに傲慢だと思います。だからわたしはクララちゃんを匿ったんです」

「なるほどね。となると、俺達はどう手助けするべきかねえ? ミコ」

 腕を組みしみじみと若者達の固い意思を受け取ったソームがミコに話を振る。遂に来たわね、わたしの出番――ミコの回答は早かった。

「うん、本人達が結婚したがっているならした方がいいわ。それもなるべく早いうちにね。このまま隠れていてもいいけど、そしたら多分ハンニバルは既成事実を作りにかかるでしょうね。本人がいないのをいいことに、本人の意思を無視するつもりよ」

「えっ、そこまで?」聞いていたクララが驚きを表すが、一緒に聞いていたナミコはミコの考えを理解しているようで「確かに――」と相槌を打ってきた。

「ミコさんの言う通りです。あのハンニバルおじさんがこのまま手をこまねいているとは思えません。見つからなかったら書類を偽造してでも婚姻関係を成立させにかかるでしょう。おそらく猶予はもう3日もないはずです」

「そんな! じゃあどうすれば……」友の冷静な指摘をショックなものとして受け取るクララ。そこにミコがある提案を出す。

「あなたたちはこれから縁結びの町イトムラサキに行きなさい。あそこで婚姻の儀を行った夫婦は他の場所のどんな法律の縛りも受けない特例になれる。既成事実もひっくり返せるわ。もちろんそんなことさせる前に、こっちが先に婚姻事実を作るわけだけど……。来れるわね? シャーロック」

『もちろん行けます。僕にとってはミコさんの命令は最優先ですからね。でもミコさん、クララをポスティオからどうやって脱出させるんですか?』

「ナミコちゃんもろともソームに運ばせるわ。わたしが囮になるから、その隙に脱出してイトムラサキで式を挙げなさい」

「囮?」ミコ以外の四人の声が重なる。当然の流れよね――ミコは彼等の疑問にも動じない。全て予想の範囲内だ。

「結構高い貴重品けど……いいわ、使わせてあげる。もっと顔近づけて耳を寄せなさい。作戦を説明するわね。いい――」

 そうして全員との距離を縮めたミコが作戦を語り出す。そして話し終わると影帽子のがま口チャックを開けてあるものを取り出した。

 それを目にした周りの顔が今日一番の収穫――思い返してではない。見せた今まさにその瞬間に、ミコははっきりそう感じた――。

 

 

 白妙の月、22日夜。郵便都市ポスティオに敷かれていた戒厳令は解除された。同時に周辺地域の捜査網も解かれた。

 探していたクララ=ロスタームが発見されたから。

 発見したのは、ミコ=R=フローレセンスという女性。浮浪者のたむろする旧市街の廃墟の奥に隠れていた彼女を発見、保護し連絡先に通報した。このニュースはすぐに街中に伝播し、住民達の捜索熱は急激に冷めて皆が穏やかさを取り戻し、都の出入口たる道路の検閲取締も解除された。

 クララの身柄は都市警察に保護されることとなった。もう親が決めた婚約者との結婚式は一週間後に迫っていたので二度と脱走失踪などできないように、厳重な監視下に置いてほしいと、父ハンニバル=ロスタームが依頼したのだ。一方発見者のミコはハンニバル直々の招待を受け、ポスティオ一の高級ホテルにある立派な会議室へとやってきていた。

 その場で待っていたのは、他でもないハンニバル本人。彼はミコと出会うなりいきなり上から口調で語りかけてきた。

「君がクララを見つけてくれた功労者か……案外幼いな。まあいい、父として感謝させてもらう。あのおてんば娘は現実も見ずに理想論を語ってばかりでな。全く……手のかかる子だ」

「そういう話は興味ありません。要件済ませましょう。懸賞金下さい」

 単刀直入。慇懃無礼にミコは返す。するとハンニバルは顔をしかめつつも、懐から小切手を取り出してその場で金額とサインを記入し、ミコに投げ渡した。どうもお互い礼儀がなってないが、それがこの二人のやり方。二人とも相手の無作法を指摘することはなかった。なぜなら二人ともこの短いやりとりの中で、互いの腹の中を探り合っていたからだ。そのとき理解したのだ。こいつは自分と同類――強かで油断のならない相手だと。

 それを知っていれば、先の無礼講などまるで気にならない。というか気にしていられないのである。

 ミコが宙を舞いながら飛んでくる小切手を受け取ると、ミコとハンニバルは目を合わせて牽制の視線を向け合う。だがやがてハンニバルが先に音を上げ引き下がった。

「それでは私はこれで。明日はクララを婚約相手の家に紹介しなくてはならないのでな。今晩はこのホテルの一室に泊まれ。じゃあな目敏い功労者、もう会うこともないだろう」

「どうかしらね」ハンニバルの突き放すような台詞に、ミコは不敵な微笑みを浮かべながら逆の可能性を示唆した。それどころか続けてこんな『予言』を発したのだ。

「予言してあげる。あなたは明日わたしを訪ねに再びその足でここに来るわ。説明と答えを求めにね」

「フン、世迷い言を。少しはできる奴と思ったが、陶酔癖があるようだな」

 そう吐き捨ててハンニバルはミコを残し、会議室を後にした。

 後に残ったのはミコだけ……他にはなにもない。

「やりたい放題ね」そうぼやいたミコは携帯電話でメールを送る。それは、明日への合図――。

 

 翌日、白妙の月の23日。朝からポスティオの街は騒がしかった。

 大勢のニュースボーイが号外の載った新聞を辺り構わず放り投げ、宙に舞ったその号外を群衆達が掴み撮り、読み、そして驚き狂乱乱舞――ミコはその様子を昨晩ハンニバルと話した会議室の窓から目下不敵に眺めていた。携帯電話を手に持って……。

 と、その会議室のドアが突如乱暴に開けられる。中に入ってきたのはミコの予言通り、再度この場を訪れたハンニバルだった。他に複数都市警察の警官と思しき連中を連れている。振り向かなくても余裕でわかる。ガラスに像が映っていたから。

「言った通りね。待ってたわよ」ミコが振り向きもせずに窓ガラスに対して喋る。それでも音は反響するもの。すぐにハンニバルの怒声が返ってきた。

「貴様! これとこれはどういうことだ!」

 そう言ってハンニバルがなにやらこちらに向けてきた。さすがにガラスに反射しただけのぼやけた映像では判断がつかないので、ここでようやくミコはハンニバル達の方へと振り向く。ハンニバルが掲げていたもの、それは――

 

 外の空を埋め尽くしていた号外と、ミコが渡したクララ=ロスタームの動いてない身体。

 

「どういうことだと言われたら、そういうことだと返します。目の前で目の当たりにしている現実が真実ですよ、御当主」

 そう告げてミコは人差し指を向ける。まずは号外に。

「本日白妙の月の23日吉日早朝、縁結びの町イトムラサキにてシャーロック=ローとあなたの娘クララ=ロスタームは婚姻の儀を挙げました。残念でした〜。あの町で結婚した夫婦は俗世のあらゆる法律も命令も無視できる、超法規的特権を持つんだものね〜。ああ、そんなに驚かなくてもいいですよ、このニュースを記事にするよう根回ししたのもわたしですから」

「バカな! イトムラサキにもしっかり捜査網を敷いていたんだ。近隣領域に入っているし、なにより縁結びの町だけに一際人員を割かせていた。それをどうやってかいくぐったというんだ!」

 昂る感情を吐き出すようにハンニバルが難詰する。するとミコは次にハンニバルが掲げていたクララの身体を指差した。

「トリックよ。この街の戒厳令と周辺地域の捜査網を解除させたあとに本物のクララちゃんを移動させたの。シャーロックはノーマークだったからイトムラサキへ向かわせるのも簡単だったけど、クララちゃんの方は信頼できる共犯者以外を欺くための仕掛けが必要だった。そのために囮として用意したのがそれ。生命科学の里ヴァトリエで入手したバイオドール。大切に扱いなさい。一体につき高級金貨2000枚はする貴重品よ」

「ヴァトリエ? 聞いたこともないぞ、そんな町」

「町じゃなくて里。この俗世には気象一族や自然学派といった神様の問題を解こうと研鑽を重ねて力を得た集団がいるのは知ってるでしょう? そいつらが力を悪用されないようにまとまって隠れるように閉じこもって住む秘境を里っていうの。まあヴァトリエの連中は力じゃなくてこの時代の常識を超えた超科学を研究する知識人達の里だけどね……。それでもその技術と知識は遥か未来を行っているわ。バイオドールはコピー元となる人間の細胞を埋め込めばその人間そっくりに変化する生体人形。今回はそれにクララちゃんの細胞を入れて変化させ、囮として差し出したってわけよ。しかも投与した細胞の量で稼働時間が調節できるのが便利でね。ちょうど今頃には止まるように調節していたのよ。戒厳令と捜査網は囮こと偽者クララちゃんを差し出せばすぐにでも解除されると踏んでいたから、それから本物のクララちゃんたちをイトムラサキに運ばせても結婚式は今日の早朝には挙げられると計算した。既にわたしが代理人&支払人として式場の予約も取っていたからね。その分のお金は昨日あなたから戴いた小切手で相殺。タダじゃ囮も買っては出れないもの。現実の厳しさって、そういうものでしょ?」

 得意満面に自分の策略を徹頭徹尾懇切丁寧に解説してやるミコ。その微笑みは不敵で、かつ無敵を感じさせるものだった。

 事実、はめられたことを知ったハンニバルと警官達の顔はぐうの音も出ないと言った風でくしゃくしゃに歪むだけで全く声を出せないでいた。悔しいけど完敗――その認識を拒否できないのだ。

 だが、やはりハンニバルはなかなかの男。ミコに昨日は語ることのなかった論理からその責任を問い質し始めた。

「貴様……自分のしでかしたことがわかっているのか? この新聞記事を見てみろ。クララは嫁入りしたとある。我がロスターム家のかけがえのない一人娘を、後継者の一人娘を、お前は私から奪ったんたぞ!」

 親の論理で攻めてきたか――いい手を打ってきたとミコは心の中で褒めた。しかしそれも一瞬だけ。所詮いい手でも定石。定石には反撃の手も広く知られているものなのだ。

 ミコは影帽子のがま口チャックを展開し、中から黒い腕を一本伸ばし、ハンニバルが抱えていたバイオドールを奪い取る。がま口チャックの中に回収したバイオドールを収納すると何を思ったか、ミコはその黒い腕の手で人差し指を一本立たせ、チッチッチと指を振らせた。

 そしてとんでもないことをさらりと、さも周知の事実のように言い放ったのだ。

「跡継ぎなら他にもいるでしょ? 男の子が四人に女の子が二人だっけ? 浮気をするなとは言わないけど、産ませた非嫡出子をいつまでも認知せずに相続人から外したままにしておくのは親としてどうなのかしらね、御当主?」

 ハンニバルの顔から血の気が引く。周りの警官達がギョッとした目でハンニバルを見る。だけどミコは容赦しない。さらに続けて捲し立てる。

「わたしに隠し事ができると思った時点であなたの負けよ、御当主。わたしはいろんな人と知り合いでね。わたしの声ひとつでみんなからの情報がすぐにこの携帯電話に集まってくるわ。昨晩あなたがこの会議室から立ち去ったあと、その背中に御夫人以外の女の痕跡を見て取ったわたしは携帯電話であなたに関する情報を買いますって告知したの。ささやかな額の謝礼だけどね。それでも情報が来るわ来るわ。女遊びもほどほどにしとかないと、いつ誰にこうして脅されるか、わかったもんじゃないんだから。ちなみに、クララちゃん達にはまだ教えてないわ。シャーロックと違って、わたしは口が堅いからね」

「――っ!」ハンニバルから声にならない悲鳴が漏れる。立たされている立場の違いを嫌というほど思い知らされた彼は、柄にもなくガタガタ震えていらっしゃる。額や握りしめた拳からは脂汗が滲み出ていた。滑稽――ミコは決して顔には出さなかったが、内心くつくつと笑っていた。

 そのまま終わりにしようかと思った矢先、ハンニバルがこんなことを訊いてきた。

「貴様……一体何者なんだ?」と。

(あら、いい質問)

 苦し紛れにしては頭が回ること。ミコはちょっぴり感心し直した。

 せっかくなので名乗ってやる。包み隠さず、堂々と。

 

「わたしはミコ=R=フローレセンス。元気象一族のレインとして活動し、神様の問題を解き明かしたあと、一族を抜けてこうして旅をしている、この影帽子がチャームポイントの旅人よ」

 

 ……ポカーン。

 ハンニバルも周りの警官達も呆気にとられたままマヌケ顔を晒けだす。昨日作戦説明のためにバイオドールを取り出し、見せたときにビックリしてみせたクララ、ナミコ、ソームの表情が昨日一番の収穫なら、今日一番の収穫はこいつらのマヌケ顔だ。まだ朝なのに、もう一日が終わりそうな面白い錯覚さえ感じてしまう。だから旅はやめられない。

 

(さてと、ほんとうに潮時ね――)

 

 ミコはがま口チャックの口の中から新たに黒い腕を一本取り出した。新たに出現した黒い腕、その手には真っ黒な切符とペンが握られていた。影の秘術で作った、黒い切符と黒いペン。

(今は白妙の月の月末……どうやらイトムラサキは雨じゃなくて雪のようだし。もう遠からず雪の季節……覚悟しますか。ふふ、久々の再会ね)

 ミコは先走って未来を演算し終わると、黒いペンを先に出していた黒い腕の手に取らせ、もう片方の手が掴んでいる黒い切符に必要事項を記入する。

 そして記入作業が終わると、黒いペン、そして二対の黒い腕をがま口チャックの中にしまい、放り出された黒い切符を自らの手で掴み取る。切符に記入された『条件』と『行き先』を確認したミコは、ハンニバル達に最後のあいさつ。

「ま、クララちゃんがイトムラサキで結婚し嫁入りした事実はもう覆しようがないのだから、よーく考えることね御当主。わたしは基本クララちゃんの味方だから、これ以上強引な介入をするようだったらいくら口の堅いわたしでも情報漏洩は免れないと思うことね。それじゃあね、バイバイ」

 バイバイ――その意味に彼等が気付いたときにはもう手遅れ。ミコの身体はすでに黒い切符の効力で消え始めていたのだ。

 周囲の風景に同化する? いや、まるで周囲の風景に身体を侵食されるようにミコ=R=フローレセンスの身体はこの会議室から消えていき、程なくして完全に消え失せた。

 なにも残さず。跡形もなく。

 

 

 白妙の月、23日。雪の日。

 縁結びの町イトムラサキの伝統ある式場にて、結婚式を終えたシャーロック=ローとクララ=ロスターム……いや、クララ=ローの新婚夫婦と少なすぎる立会人、ソームとナミコの四人が集まり会食を取っていた。

「残念です……ミコさんが来られないなんて」用意された豪勢な料理を頬張りながらシャーロックがぐずる。

「仕方ねえよ。誰かが囮にならなかったら、こうして先んじて結婚するなんざ不可能だったんだぜ? ミコ以上の適任はいねえ。あいつは気象一族のレインを名乗っていた頃からそういう場数を踏んでるからな」

「ソームさんの意見に同意です。わたしたち素人や一般市民ではあれだけ見事な陽動はできないですよ。それにしても驚きました。元気象一族の上に影の秘術を使ったり、バイオドールを持っていたりしていたこともですけど、一番はあのミコさんが神告宣下で布告された神様の問題を解き明かした人だったなんて」

「そう! 僕にもそのことは言ってくれてなかった。なんで?」

「そうなの、シャーロック? ……でも確かにただ者じゃなかったわね、ミコさん」

 ミコの経歴を知って素直に驚嘆するナミコの意見に個々の思惑はあれど賛同するシャーロックとクララ。そこにソームがなだめるように話してやる。

「あいつはな、俺達のように自分の過去をペチャクチャ話すわけにはいかねえのよ。まだ年端もいかない頃に気象一族のレインとなってからというもの、あいつは修行だけしていたわけじゃねえ。他の一族との戦争や交渉、諜報工作の最前線にいた。力を持つ一族や高次の知識を持つ里の連中ってのは俺達の知らないところでこの俗世の覇権や縄張り、さらには各々が持つ力や知識を巡ってずっと昔から闘いを繰り広げていたんだと。ミコも気象一族のレインとして否応なくその闘いに巻き込まれたわけだ。だがあいつはその闘いをくぐり抜ける中でどんどんどんどん強くなり、一族内での立場を確立。さらに他の連中からもその力を警戒されるようになって、とりあえずの休戦状態――仮初めの平和をもたらした。その頃にはもう、レインとしての力はこの人間・生命世界の生殺与奪を握るほどに強大になっていたって言うし……そのときから心の奥底で畏れていたんだろうな。強くなりすぎた自分の力が誰かに悪用されることを。そして神様の問題を解いて帰還したことで、遂に覚悟を決めたのさ」

「遥か昔に神告宣下があって以来、生まれ出てきた全ての人間に与えられた神様の問題。『私達の大切なものを盗めたら、新たな神様にしてあげましょう』というミッション。でもこの歴史上誰も解けた者はおらず、現代では強制的に知らされても無視するのが当たり前になっていた……。ただでさえ気象一族のレインとして知られていたのに、それを解き明かしたともなれば、その力を放っておく者などもはやいないだろうということですね。ミコさんはそれに嫌気がさしたということでしょうか?」

 ソームの話をナミコが補強する。その聡明な指摘をソームはそうそうと肯定した。

「そ。神々の居場所から気象一族の里に帰還した直後から大変だったらしいぞ。特に老い先短いジジイとババアが向こうから一方的にしつこくいろいろ訊いてくるもんだから鬱陶しくもなって気象一族を抜けたらしい」

 うわー。ナミコ、シャーロック、クララの三人は深くミコに同情した。今年の春に新たな神告宣下で今を生きている全人類が「問題を解き明かした者が出た」と知らされた。最初こそみんなにわかにそわそわしだし、世間の話題にもなっていたが、肝心の解答者の情報が一切明かされないままだったのでやがてまた沈静化していき、無視されるようになったのは、ナミコ達が実体験として経験している。もしそれがミコ(レイン)だと知らされていたら、彼女の旅路はもっととんでもないことになっていたに違いない。

「神様って……なかなか粋なことをしますね」

 ナミコの呟いた結論に、その場にいた皆が賛同した。ミコが辿り着き出会ったという神様は、懐が深く、自分達よりも劣る我々人間のことも思いやれる心を持つ存在なのだろう。触らぬ神に祟りなしとは古から伝わる戒めだが、ひょっとしたらそれは神様の問題を解いたミコにも当てはまるのかもしれない――若い三人、特にナミコはミコ=R=フローレセンスという旅人が抱える『荷物』の大きさ・とてつもなさをひしひしと感じていた。

「いつか……再会できるのなら、ちゃんとお礼を言いたいわ」

 クララの嘘偽り無い真っ白な詞に、シャーロックもソームもナミコも、皆が「ああ」「そうね」と頷いた。

 いつか……また会って話がしたい。笑い合いたい。

 望むのはそれだけ。彼女の力も知識も欲しいとは思わない。

 相手を知ることは大切。でも仲良くなるために必ずしも必要なものではないはずだと、そう思う……だからきっと仲良くなれる。

 クララの告白に続きナミコがその想いを口にすると、やはりみんな頷いた。

 そういう感じに話がまとまると、そこから四人は食事を食べながらの雑談に入った。

 ソームはミコとの出会いや酒場、仕事での思い出を話し。

 シャーロックがメディケアでミコが解決した怪事件でのミコの活躍を名探偵と自慢し。

 聞いていたソームがミコは探偵呼ばわりを嫌うぞと窘め。

 次いであの事件はまだ終わっていないだろと軽口を戒め。

 クララは自分の囮となったバイオドールの出来を賛美し。

 ナミコはミコのカゲナシとしての異様な印象を振り返り。

 ミコとナミコの名前がほぼそっくりであることを訝しむ。

 しかしなにより話題になったのが、結婚の誓いに必ず出てくる誓う相手――絆の神の名前が祝(いわい)=エイプリルフールだとミコから知らされたこと、これに尽きる。

 さすが神様の問題を解いた女よと皆が感心しながら食事を食べ終わった、ちょうどそのとき。

 部屋のドアを叩く音がした。シャーロックが「どうぞ」と言うと、ドアが開き、見知らぬ二人組が入ってきた。

 片方は落語家みたいな着流しを着ながらも品を備えた雰囲気を感じさせる風貌の男。

 もうひとりは灰色のスーツに黒いシャツというキャリアウーマンじみた身なりの女。

 二人ともこちらをじーっと眺めていたが、やがて表情をやわらげると妙に親しみが持てそうな声で話しかけてきた。

「やあやあみなさんはじめまして。ウチらミコ=R=フローレセンスを探しているんですけどね。ちょいと手がかりお教えいただけませんかねえ?」

「落(おち)、自己紹介の方が先よ。はじめまして、わたしはヤエ。こっちの相方は落という名ですわ。よろしくお見知りおきを」

「あ、ああ……」唐突なやりとりに固まった四人の中、ソームがあやふやな返事をする。

 無理もない。突然の訪問の上に質問、それもミコに関することを訊いてきた。警戒しているのである。迂闊なことは喋れない。

 と、黙りこくったソームに代わってナミコが口を開いた。その内容は落とヤエへの逆質問。

「なぜわたしたちからミコさんのことを知れるとお思いになったのですか?」

 ナミコの問いに落が率先して答えようとするがそれをヤエの手が遮る。落に目配せしたヤエは、その目で彼を黙らせて代わりに回答する。

「そりゃこの式場の予約名義がミコ=R=フローレセンスになっていたからですよ。大方あの世話好きちゃんが貴方達若人に力を貸したと見て取ったのです」

「ミコさんを見つけてどうするつもりですか?」ナミコが先程よりさらに強い口調で問い質す。ミコの旅路の『荷物』を重くする手助けなど、言語道断。心外だから。

 すると今度は落が自分の出番と前に出て話しだす。ご丁寧に扇子を手に持って。

「ミコちゃんはなあ、ウチとコント勝負して勝ったんよ。それ以来ウチはミコちゃんのお笑いのセンスに惚れてなあ。お仲間、相方に勧誘したいんやけど生憎その行方は見当もつかへん。だから今回ここの申込名義がミコちゃんと知ってウチら真っ先に飛んできたんや。後生や、教えてつかあさい。ミコちゃんの行方」

 そう言ってその場に膝をつき土下座までする落。その行為といい理由といい、並々ならない覚悟が感じられた。嘘をついているようにも思えない。

 だが、それでも初対面の他人相手にミコの情報は漏らせない。会話の代表となっていたナミコの決意は固かった。なので、正直に真実を話す。

「ごめんなさいね。落さん、ヤエさん。わたしたちもミコさんの行方は知らないんですよ」

 ねえ――そう話を他三人に振るとソームも、シャーロックも、クララも頷いた。そう、昨日陽動作戦を買って出たミコは、そのまま別れて次の旅に出るからとついぞ次の行き先をナミコ達に語ることはなかったのだ。

 その旨を正直に説明してやると、落とヤエは「さいですか」と妙に納得した表情で立ち上がり、「失礼しましたなあ。ほなさいなら。あ、ご結婚おめでとな」と告げて去っていった。

 いったいあの二人、なんだったんだ――謎だらけの二人だったが、今の一件を通して皆が改めて感じたのは、やはりミコが追われる立場にあるということ。結婚式の式場予約の名義がミコである。それだけを嗅ぎ付けて、こうして追っ手がやってきた。なるほど行き先を語らないわけだと、ナミコ達はミコの用心深さに脱帽した。

 だからこそ、こんな楽観的な詞でこの場は締めくくられた。

「ま、ミコさんならきっと大丈夫だと思います」

「ああ、あいつは本当に強いからな」

「ですね。じゃあクララ、式も終わったことだし、一緒にメディケアに戻ろうか」

「ええ、シャーロック……いえ、あなた」

 こうしてシャーロックとクララの結婚式は幕を閉じた。最大の功労者であるミコは、結局最後まで参加しないまま……。

 

 

 イトムラサキの式場を後にした落とヤエの二人は、雪が降る中番傘をさしながら歩いていた。断じて相合傘ではない。一人ひとつの番傘をさしていた。

 歩きながら、落が溜息をつきながら愚痴をこぼす。

「はあ〜、ミコちゃんいなかったやん。せっかく手がかり見つけた思たのに、無駄足やったな」

「そうね、追跡チームの面目丸つぶれ。てか色んな意味でムカつくわ。リベンジしてやろうって意気込んでいたのに、ものの見事に肩透かし。あああ敗北感がたまってくぅ〜」

 ミコを仲間にしたかったという落とは対照的なヤエのミコに対する感情。とここで、落が仰天の一言を発する。

「今日の偽名はヤエだったわな、希(のぞみ)。ほんまお前さんは嘘つきやねえ」

「いいでしょ。それがわたしのアイデンティティ。嘘ハッタリ騙しなんでもござれの一筋縄ではいかない女神。それがわたし、希=ニックネームよ」

「あそこに行ったんも、ほんとはあの子らが祝の名前を口にしてたのを感知したって理由なんやけどな。ほんま、誤魔化すのがうますぎるんちゃう?」

 落のへりくだった指摘にも希は応じない。むしろそれを褒め詞と言わんばかりに威張り散らしながら喋る。大事にしている紫色のセミロングの髪がその際靡き舞い踊る。

「あんたはコント勝負に負けて賭けた設計図を盗まれた。そりゃ相方にもしたいでしょうよ。でもわたしは頭脳戦で負けたのに設計図も取られず見逃されたのよ? あんな悔しい思いは神になってからはじめてだったわよ! 絶対やり返してやるわ。帳と整の情報探索チームから名前を巫=R=フローレセンスに改名したことも知らされているし……逃がすもんですか!」

「設計図使うてくれたらすぐ居場所わかるんやけどな。なかなかミコちゃん使うてくれへんし」

「それでも痕跡を完全抹消はしていないわ。必ず捕まえてみせるわよ。まずは、他の追跡チームへの連絡ね」

「せやな」

 暗闇の神、落=パーフェクトハーモニィ。

 粋の神、希=ニックネーム。

 ミコの行方を追う神々の手は届かずとも確実に、ミコの背後を追いかけ、そして近づいていた……。

 

 

 シャーロックとクララの結婚式から数日後。新玉の月の1日。

 ミコはポスティオ郊外の雪原に立っていた。正確には『現れた』だ。影帽子が保管している影で作った道具のひとつ、黒い切符を利用した時空跳躍だ。それなりの時間を『条件』として消費するのと引き換えに、どこでも任意の『行き先』に移動することができる代物だ。ただし『条件』として消費する時間は基本的にミコが切符を使わずに『行き先』まで移動した場合にかかる時間以上の長さが必要になる。だがそれ以上に消えてしまえば『行き先』に現れるまでの間は完全に世界から消失しているので絶対に捕まらないという利点がある。実質時間移動できるというのも利点。

 ミコは携帯電話の日付を確認する。ちゃんと指定した新玉の月の1日。新年の元旦だ。

 同時に周囲も見渡す。これも指定した通り、ポスティオ近郊の原っぱの真ん中。これから本格的な冬になると予想通り、辺り一面雪だらけだ。一番近くの道に出るまでも結構かかりそうである。ならば。

「たまには道のない旅をしますか。都に行ったせいか、自然が恋しいわ。ちゃんと追いかけてこられるかしらね。ふふっ」

 ミコは不敵な一人言を雪天に呟くと、携帯電話をがま口チャックの中へとしまい、どこへともなく歩き出した。

 一歩一歩と、雪原に足跡を残して。森の中へ。山の奥へと。

 

 

 年が明けた新玉の月。雪の降る冬の日。

 ポスティオ郊外の山の中を駆け抜ける女の子がいた。

 真っ白なシャギーショートの髪に、灰色のコート。ミコよりも年下に見えるあどけなさの残る女の子だった。彼女は深く降り積もった雪をものともせず走っていた。それはその身体の小ささや体重の軽さゆえとかそういう次元の話ではない。彼女は雪原用の靴も履いてないのに、足跡を作る重みさえ雪に与えずに、舗装された道でも走るかのように、水面に浮き、飛ぶかのように走っていた。その走った後には、足跡さえ残らない。

 でもそんな彼女の表情にあったのは……焦り。彼女は急いでいたのだ。追いかける相手が自分のテリトリーを出ないうちに捕まえたい――その一心で。

 数日前に踏みしめられたと思しきまだ消えてない雪の足跡を追いかけ、走り続ける。

 原っぱを抜け森に入る。行き先が地獄だろうが奈落だろうが関係ない。この足跡の先にいるのだ。ずっと求めてやまなかった人物が。

 やがて、足跡を追って森を抜けると、崖と泉が見えた。その周りには木々はなく、少女が追いかけ始めた当初と同じような小さな雪原が広がっていた。

 そして少女が追いかけていた足跡は、泉の淵にあった岩のところで途切れていた。

 そこにいたのだ――だから終点。

 岩に腰掛けてこっちを見ているのは――紛れもなくレイン。

 遂に見つけた――少女は万感の思いで胸をいっぱいにしながらレインに向かって息も切れ切れに啖呵を切る。

「とうとう見つけたわよっ、レイン! 神様の問題を解いたにも関わらず、わたしたち気象一族に還元することなく逃げたあなたを、一族を抜けた裏切り者のあなたを……、今日、わたしが捕まえるぅっ!」

 するとレイン――ミコは岩の上でふふふっと静かに笑うと、

「レインでも構わないけど今はミコって呼んでほしいわね。それがわたしの今の名前よ、スノウ」と答えたのだ。その声からは、どこか余裕と物悲しさを匂わせる。

 熱く迸る身体を臨戦態勢に持って行く少女――スノウ。そんな彼女の挙動を見たミコは座ったままの姿勢を崩さず、優しげな顔をして向き合って、こう告げるのであった。

「待ってあげる。わたしは別に急いでないから」と――。

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