猫の帽子屋 ②

 どこをどう走ったのか、見覚えのある景色が見えてきた。

 そこには小さな公園があった、ここは学校の近くにある児童公園だ。ブランコとすべり台とジャングルジム、小さな砂場、それと木のベンチが二つ並んでいる。

 中央には大きなメタセコイアの木がある、その根元で誰かがトランペットを吹いていた。

 その人は櫻井部長さくらい ぶちょうだった、前に部室で演奏してくれた、ジョン・コルトレーンの『マイ・フェイバリット・シングス』という古いジャズの曲でした。本来はソプラノサックスの曲だといっていたが、トランペットでの演奏も素晴らしかった。

 そのメロディーに惹かれるように、白猫の私は櫻井部長の側に寄っていった。すると、猫の存在に気づいて、「おや、どこからきたんだい?」演奏を中断して私を抱きあげてくれた。

「この近所の野良猫かな?」

 櫻井部長は猫好きなのか、白猫(私)をだっこして嬉しそう。


 ――そのときだった、私の頭の中に彼の声が聴こえてきたのは――。


《澤木さん、なんで急に帰ったんだろう?》

 私のことを心配してくれている。

《一階で呼び止めたとき、泣いてたみたいだったけど、森さんになにか言われたのかな?》

 そ、そうなんです。

《森さんはクラリネットは上手いけれど、下級生や自分よりヘタな子を見下すところがあって、あんまり性格がよくない》

 えっ、櫻井部長は香里奈ちゃんのこともちゃんと分かってたんだ!

《今日も楽器店に付き合ってとしつこく誘われた。だから、ふたりきりは困るから、ほかにツレがいたら行ってもいいと言ったら、澤木さんが校門で待っていた》

 そうなんだ、だから香里奈ちゃんは私を誘ったのね。

《俺、澤木を見たとき、ちょっと嬉しかったなあ~》

 えっ、えっ? 部長、今なんていったの? 

《あいつ、無口で大人しいけど、みんなのために部室を掃除したり、使ってない楽器の手入れをしたり、そういうことを自主的にやってくれてるんだ》

 えへっ、テレるなぁ~。ちゃんと私のこともみてくれてたんだ。

《自分ちの花を持ってきて、部室に飾ってくれたり、そういう控え目な優しさがグッとくる!》

 もしかして、私のこと褒めてる? これって、櫻井部長の“”なんだよね。


 ――ああ、心の奥の“真実の声”がどんどん聴こえてくる。


《俺のマイ・フェイバリット・シングスのひとつは澤木梨恵さわき りえだ》

 ウッソー! 夢みたい、信じられなぁ~い!!

《澤木が帰ったあとで、森さんに何があったのか訊いたら、急に用事ができたって帰っちゃった。部長に挨拶もしないで梨恵ちゃんって非常識よね。とか、言ってたけど……どうも怪しい。もしかして、ふたりきりになりたいので澤木に何か言って……追い返したのかもしれない》

 そうなんだ。だから急にあんなヒドイこといったのね。

《嫌な気分になって、俺も帰るっていったら……森のやつ、近くのスタバへいこうよって、しつこく誘われた。それも断わって帰ろうとしたら、道端で櫻井さんと付き合いたいとかこくられたけど……》

 マジ!? 最初から香里奈ちゃんの魂胆はそれだったんだ。

《森なんかタイプじゃないし、速攻で断わった! すごい顔で睨まれたけどさ》

 やったー! やったー!! 

《それよりも、俺は澤木のことが気になってる。吹奏楽部やめるとか、いわなきゃいいけど……》

 櫻井部長がいる限り、香里奈ちゃんに何をいわれても退部しません! 

《なあ~白猫くん。俺、澤木になんていったらいいんだろう?》

 白猫(私)の喉を撫でながら、そんなことを訊く。

「あっ!」

 彼の腕から、白猫(私)が逃げ出した。


 メタセコイアの木陰に隠れて、白い猫耳帽子を外したら――元の人間の私に戻っていた。


「櫻井部長……」

「あれっ! 澤木、どっから現れた?」

 急に私が目の前に立っていたので、櫻井部長はビックリしてた。

「さっきは急に帰って、ゴメンなさい」

「いいんだ。澤木が戻ってきてくれただけで……」

「部長……」

 その後、ふたりはしばらく無言で見つめ合っていた。

 なにも言わなくていいんです。――櫻井部長の本心はちゃんと分かってるから、そして、彼の瞳の奥にも真実が光っていました。


 帰り道、夕日に向かってふたりで歩いた。

 先輩が卒業したら、付き合おうってLINEのアドレスを交換して、ふたりだけのホットラインを作った。来年は私も先輩と同じ大学を受験するつもり、こっちはフルートよりもずっと自信がある。

「これからも、ずっと一緒!」

 初めて手を繋いだら、ふたりとも顔が真っ赤になった。――夕日のせいかしら。

 そんなふたりを、塀の上から一匹の黒猫が見ていた。こっちを向いてニャアーと鳴いて、どこかへ消えてしまった。

 ……もしかして、あの黒猫は帽子屋のおばあさんだったりして?

 大学に入ったら、彼が所属する吹奏楽部のマネージャーを希望しようと思っている。だって、いつも彼とその音楽に包まれていたい。

 櫻井部長のマイ・フェイバリット・シングスの私だから――。



                       ― おしまい ―

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