「それで、これからどうするのじゃ?」

平間の屋敷……というには少し小ぢんまりとした家は、皇都の南東の一角にある。そこはまだ最近整備された地域で、周囲には未だ手付かずの草原が広がっていた。

座敷に通された壱子は部屋を少し見渡すと、迷わず奥の席*へ座り、言った。

「あと、腹が減った」

「マジでありますか、殿下」

 壱子の向かいに座った平間は、あきれた。

さっき食べた饅頭の大きさは、普通の大人の両手に少し余るほどはあったのに。

「マジじゃ。成長期じゃからの」

「成長期ってすごいんですね」

「ふふん、それほどでもないぞ」

褒めてないのに何でそんなに得意そうなんだろう。

「とりあえず、後で何か作りますから……」

 可能ならさっさと皇都を離れてしまいたいところだが、この時間から準備して行くには関が閉まってしまうだろう。今日は早めに休んで……いや、待てよ……関所!?

「まずいです殿下、関所です」

「関所? それがどうかしたのか」

「どうやって抜けましょう」

「どうやってって、普通に歩いて抜ければ良いじゃろうに」

 またこの皇女様は、世間知らずなんだから……。

「いいですか、殿下。関所を抜けるには身分証か通行証が必要なんですよ……」

「お主のを見せればいいではないか」

「いやいやいや、関所の人は私たちを見て『ふーん役人さんね。ところで誰この子? 皇女?』ってなるじゃないですか」

「……なるかのう」

「まあなりますね」

「……それは、バリヤバであるな」

「お教えした言葉を早速応用していただいて光栄ですが、何とかしませんと」

「よしわかった。通行証を偽造しよう」

「そんな簡単に罪に罪を重ねさせないでください……」

「なんじゃ、通行証を偽造したことも無いのか」

「ありませんよ……これでも真っ当に生きてきたんですから。そういう殿下はあるんですか」

「ある訳なかろ。だって私、皇女じゃもの」

「……どうしよう」

「どうしようかの」

 早速前途多難だ。自分で言うのもなんだが、今まで自分は品行方正に生きてきたつもりだ。法を犯したことなど一度も無い。こういうときは、一旦落ち着くのが一番だ。

 平間は立ち上がり、右手をあごに当てて同じところをぐるぐると歩き回る。考え事をする時はいつもこうするのが彼の癖だ。

「ひとまず明日の段取りですが、出発は早朝としましょう。それならまだ関所も手薄ですから、もしかしたら何とかなるかもしれません」

「ふむ……ところでお主、かなりたくましい脚をしているのじゃな」

「まあ……職務上重い荷を背負って遠い道を歩いていますから、人並み以上には筋肉がついていると思います」

「なるほどの。確かにずいぶんと大きい背嚢を担いでおったものな……喜べ平間! 関を抜けられるぞ」

「はい?」

「喜べと言うに!」

「や、やったー。それで、どうやって関を抜けるのですか」

「よろしい。それについては明日話す。では飯を作ろうか」

「なんと、殿下が作ってくださるんですか?」

 壱子は心底「何を言っているんだこいつは」とでも言いたげな顔をした。

「私が作るわけないじゃろう? 皇女じゃぞ」

「……ですよね」

「なんじゃその残念なものを見るような目は」

「残念な皇女様を見る目です」

「……不敬罪じゃ!」

 頬を膨らませた壱子がぶんぶんと腕を振り回しながら叫んだ。

「ご飯あげませんよ」

「許そう。上に立つものは寛容じゃからの」

 壱子はおとなしく正座した。

「ありがとうございます」

 平間は、だんだん壱子の扱いが分かってきた気がしていた。

 しかし、関を抜ける案とは何だろう。


――次の日、寅の刻

皇都の東の関をぬけて十町ほどの街道上。

平間は相変わらず巨大な荷を背負って歩いていた。

「殿下、そろそろ出てきていいですよ」

「ふむ、ご苦労」

 その声と同時に、荷の中で最も大きな包みの中から壱子が顔を出した。

「案外すんなり通れたのう」

「荷を改められるのではと冷や冷やしていましたよ」 

 壱子の考えとは、自らが平間の荷の中に紛れ込む、というものだった。

「じゃが、乗り心地はあまりよくないのう。改善の必要がありそうじゃ」

「乗り心地って……私は乗り物じゃないんですが」

「まず椅子が欲しい」

「聞いてます?」

「やはりどうしても息苦しさはあるしのう。歩かなくていいのは良いが……」

「降りて歩いてください」

「私、こう見えて道を歩いたことが無いのじゃ。なぜなら――」

「皇女だからでしょ。こう見えても何もそうとしか見えませんから」

「気のせいかと思うが、お主だんだん私の扱いが雑になってないか?」

「殿下、上に立つ者は時に下々の者と同じ目線に立つことも必要だと思うのです」

「というと?」

「降りてください。自分の足で歩いてください」

「よもやお主、私が重いとでも言うのではあるまいな」

 正解でーす。とは色々な意味で言えなかった。というのは、平間は自分の脚力には自信が有ったし、何より、重いなどといったら壱子は怒るだろう。自分で言い始めたくせに。恐らくそれを分かってて言っているのだから性質タチが悪い。

「……とんでもないです」

「それならばいいのじゃ」

 皇女様、にっこりである。しかしそれでひき下がる平間ではない。

「殿下、そういえば昨晩は何を食べましたっけ」

「なんじゃ、作ったお主が忘れておるのか? お米じゃろ、鶏の唐揚げじゃろ、あとは……」

「唐揚げは何個食べましたっけ」

「十八個じゃな」

「それから運動しました?」

「……してない」

「質量増えますよ?」

「……」

 のそのそと壱子か降りてきた。

「よく食べてよく動くのが健康の秘訣じゃからの。仕方ない。私も歩こう」

 良かった、「お主に運動させてやるために私は歩かぬのじゃ」などと言ったら腕ずくで


半刻後――――

「腹が減った」

「朝食を出発前に食べたじゃないですか」

「あの程度では腹の足しにはならんのじゃ……それに、動いたら腹が減る」

「皇族って言うのはこんなに燃費が悪いものなのですか」

「知らぬ。私は母上以外の親類に会ったことが無いからの。その母も皇族の出ではないのじゃ」

 聞いてはいけない話題だったかもしれない。話を逸らそう。

「そういえば殿下、もうすぐ町がありますよ」

「ほう、後どれくらいで着くのじゃ?」

「四半刻後ですね」

「……お主の“もうすぐ”の基準が分からぬ」

「調子がよければ四刻ほどぶっ続けで歩けますので」

「得体の知れぬ部署など辞めて、斥候にでもなれば良いのではないか」

「私、足遅いんですよ」

「話が噛みあわぬな」

「わざとそうしておりますから」

「お主……話をはぐらかす癖でもあるのか?」

「どうなんでしょうね」

「ほらまた」

「……悪癖でしょうか」

「そうでもない」

「無くて七癖といいますしね」

「それ、自分で言うことじゃないじゃろ!」

「お恥ずかしながら、幼い頃から学問ばかりやってきてろくに友人を作ってこなかった後遺症かと思います。これでも昔は神童などと呼ばれておりました」

「すごいではないか。よく分からんが……」

「私、史上最年少で帝立薬学術院に入学しておりますし、卒業時は次席でした」

「これはわかるぞ。すごいな」

「まあ、今は一介の小役人ですから」

「次席ともなれば、もっと高位に上れるのではないのか」

「そうでもないのですよ、この世の中は」

「……随分憎々しげに言うではないか」

「私もそう思っていたので。結局私のような貧しい出自の者は、努力だけで身を立てることは出来ないのですよ。それこそ全てを捨てて学問に打ち込んでも、です」

「……私には何と声をかければいいか分からぬが……しかし、正しいことをし続けていればいつかきっと報われると、母上が言っておった……いや、すまぬ。これも適切ではないかも知れぬな」

「お気遣いしていただけるだけで嬉しゅうございますよ、殿下。それに殿下のおっしゃることもごもっともです。日々の職務を全うしなくてはなりませんね」

「そうか!? 元気が出たか?」

「ええ、ありがとうございます」

「あ、でも早速さきほどの関所で法を犯させてしまった」

「そういうことは言わなくていいです殿下……」

 うなだれる平間を見て、思わず壱子が噴き出した。

 そんな彼らの後をじっと付いて来ている人影に、二人はまだ気付いていなかった。



*奥の席:上座

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