第2話カニクリームコロッケ、人を殺す

「だずげでえ゛え゛え゛!」

「いやだ、いやだ! いやだー!」

「ママー! ママー!」

「い、命だけは助けてくれ! 金ならやる!」


 阿鼻叫喚。地獄絵図。

 およそ日常とは言えない光景が、日本のとある地域の、とある公園でそれは繰り広げられていた。


 人々は逃げまどう。

 親友を置き去りに。家族を囮にし。愛した女を見捨てて。

 他人を救える余裕などなかった。ただ自分が助かるのに必死だったのだ。


 一人の少女が倒れ込む。

 必死に立ち上がろうとするが、焦りでうまく立てない。もちろん彼女に手を差し伸べるものはいない。皆が自分を通り過ぎていく。

 そして揚げ物の芳しい匂いが近づく。



「アぁ……! やだ! やだやぢゃやぢゃ!」



 少女の華奢な体が掴まれた。赤いカニの鋏に。

 いや、カニの鋏と脚を持つカニクリームコロッケに。

 カニクリームコロッケは悲痛な叫びを上げる彼女を高く持ち上げる。鋏の力は強くない。優しく、器用に彼女の腰を掴んでいる。

 だが、これは良いことではない。むしろ不幸だ。


 カニクリームコロッケは彼女を自らの頭上にまで持っていき、突き刺す。

 彼女を、己の体に。高温のカニクリームコロッケの中に、生きたまま。



「ああああ゛あ゛あ!」



 もはや声にならない叫びが空を切り裂く。その声に振り向く人間は、いない。

 皆前を見て走る。


 彼女のようにならないために。


 粘度の高いクリームは、その高温で彼女の細胞を殺す。皮膚は爛れ、その熱がどんどんと体中に伝播する。それと同時に恐ろしき痛みが彼女を襲う。


 叫び、もがき、苦しむ。

 叫び、もがき、苦しむ。

 叫び、もがき、苦しむ。


 彼女は上記のように活動した後。動かなくなった。

 ただひたすらに。ただひたすらに苦痛を味わい死んだ。


 その事実を語るように、骸は苦悶の表情を浮かべている。

 そんな骸が他に4体、カニクリームコロッケに突き刺さっている。老若男女。何の区別もなく、ただ乱雑にブスブスと刺された人間たち。

 唯一共通していることと言えば、ただ苦しみもがいて死んだということだけだった。



 公園に出現したカニクリームコロッケたちは、人間を殺し出した。

 傷つけずに、なおかつ絶対に逃げられない様にその大きな鋏で人を掴み、自らの高温の体に突っ込んでいく。釜茹での刑が如く、残虐極まりない殺し方だ。もし頭から突っ込んでいればある程度楽に逝けるかもしれない。

 だがヤツラはそんなことはしない。

 必ず顔だけはカニクリームコロッケの外に出す。


 まるで人間の悲鳴を楽しむように。



 人々は逃げる。

 ある男は車に逃げ込み、扉を閉めエンジンをかける。助けてくれ、乗せてくれと懇願する者を無視して走り出す。何名か轢いたかもしれないが、それがどうしたというのだ。絶対にあんな風に死にたくない。生きたい。


 純粋な生への渇望が、男を突き動かしている。


 公園を出て山道を走る。カーブが続く道を出来る限りの高速で走る。本来彼にこれほどのドライビングテクニックはない。

 人は死の淵に立たされれば、時に己が内に眠る隠された才能を開花させることがある。それがまさに今。

 だがその才能が活かされることは、今後ない。


 度重なるカーブを過ぎ、直線の下り坂を走る。正直この辺りになれば恐怖は幾分か和らいでいる。そして湧き出す疑問。

 あいつらは何なのか。何で人を殺すのか。何であのような残虐な殺し方なのか。

 そんな答えが無い疑問がわき出す。


 でも、安心感もある。

 まず、現在の速度。90キロで直線を一気に駆ける自動車に、生物が追いつけるはずがないという慢心。さらに自分を覆っているのは固い金属。

 つまりこの中に居れば安全なのだ。安全であるはず。そう自分に言い聞かせていた。



 運転中に突然、ガコンという衝撃が加わる。



 何か轢いたかと思うも、バックミラーには何も映らず。サイドミラーでも確認しようと思い、チラと横を見る。


 結論を言えば、彼は何も轢いていない。

 だが、窓に張り付く巨大なカニの脚。それが車を覆うように左右4本ずつ。それらが上から、伸びている。


 男の心に冷や汗が流れ出す。


 恐らくカニクリームコロッケは車体に乗っている。パニック映画ならここで車を止め逃げ出すかもしれない。けれど先ほど考えた通り、車体は金属でできている。出ない方が安全。


 という認識は覆される。

 バギリッという破けるような音ともに、車内が明るくなる。心地よい日の光だ。それと同時に広がるカニクリームコロッケの良い匂い。


「あっ、あっ、あっ……」


 言葉が出ない。

 自らの頭上にはっきりと姿を現したカニクリームコロッケ。車の天井版を自慢の鋏で易々とちぎりとり、中の人間を捕らえる。



「や、やめて……」



 やっと出た男の言葉。

 だが、カニクリームコロッケはその言葉に何の反応も示さず、ただ機械的に彼を己の体に納める。


 男はもがき。

 苦しみ。

 悲鳴を上げ。


 死んだ。




 カニクリームコロッケ、人を殺す。

 ただひたすらに残虐な方法で、人を殺す。


 公園の人間はおよそ80%が彼らの餌食になった。そして餌食になった人間はそれだけではない。

 この街に襲来したカニクリームコロッケ、数千体。

 それらは地に降り、人を捕らえ、自らの高温の体に突き刺していく。会社、商店街、市役所。人の集まるところに行き、虐殺を行った。例えどこに逃げようと、彼らはその屈強な鋏を使い、人間を捕まえる。建物の中には居れば地道に壊し、入り込む。そして捕まえ、熱死させるのだ。


 どんな人間であろうと。


 小学校、幼稚園、老人ホーム、病院。どんなに非力であろうと、どんなに幼くとも、カニクリームコロッケは人間を見つけ次第捕らえ殺した。歩けぬ者も、生後数か月の者も、己が何者かすらわからなくなってしまった者ですら。

 それが、どんな人間であろうと。


 

 カニクリームコロッケ、空を飛ぶ。

 その体に多くの人間を入れ込んで。


 醜く歯を食いしばり、目からあらん限りの涙を流した人の顔が、奴らの体から飛び出している。カニクリーム一体にそれがおよそ5人。そしてそんなカニクリームが数千体、空を飛ぶ。

 この日街の人口は3割にまで減った。残された人達は。もはや泣く気力もなくただただ立ち尽くすのみだった。



 夕焼け空に消えていく、カニクリームコロッケたちを眺めながら。

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