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純文学とは……?」への応援コメント

  • 『純文学はオチのない話』と言われて、私も「なるほど!」と思いました。
     私は基本的に(読んでいても書いていても)物語の結末を求めてしまうし、少なくとも物語に大きな動きがあれば(起伏があれば)楽しめる気がする。でも世の中の小説(特に掌編)の中には、まるで話の一場面を切り取った静止画みたいな作品なのに読者から絶賛されるような作品や作風もある。「あれがおそらく純文学なのだろう」「私の求めている方向性が『動』の面白さなのに対して、純文学の場合は『静』の美しさなのだろう」と感じています。

     ……というようなことを今回エッセイを拝見して考えたのですが、同時に「以前は『純文学』についてもう少し別の言葉で自分なりの定義づけをしていたような……」とも思い、自分が書いた昔のエッセイを探したところ、当時の自分なりの定義として『物語の内容如何ではなく、文章力だけで感動させてくれるような作品』『偶然や御都合主義に頼らず、ありきたりな日常の現実感を逸脱しない範囲でのドラマ』という言い方がありました。後者はともかくとして、前者は同じように感じておられる方々も多いかもしれませんね。にゃべ♪様も今回『文芸って文章の芸術』『物語と言うより、表現の方が重視されていると言う感じ』と書いておられますし。

    作者からの返信

    烏川 ハルさん こんにちは。

    純文学が落ちのない話って言う定義は本当に分かりやすいですよね。『静』の美しさと言う表現にも納得です。
    本当、小説は奥が深いですよね。学ぶべき事ばかりです。

  • うわぁ。私もオチは欲しい派です。小説も漫画も映画もオチは欲しいなぁ。以前に派遣で勤めていた職場で昼食をご一緒していた社員さん(女性)が、昼休憩の60分間ずっと話をされるのですが、毎回『オチは無いんかぁい!』と心の中でツッコんでいました。キツかったです。オチのない60分間の話を毎日聞き続けるのって。(;ω;) 彼女って純文学を語っていたのか……。

    作者からの返信

    話に落ちは欲しいですよね。60分落ちのない話を聞くのって辛そうです。お疲れさまです。そう言う人の話が純文学かどうかは分かりませんけど、話の内容が高尚なものなら、純文学と言えるのかも知れませんね。