第4話 死ぬことに決めたのかい?

 イチョウに話しかけられた日から半日が過ぎるころ、モミジは思い悩んでいた。

 どうすることが最適なのか、いくら考えても自分にはわからなかった。

 イチョウに出て行けと言われたなんてことを、コハクに相談することはどうしても気が引けて、一人昼寝をするという口実をつくって雪のチラチラ降る中、濡れ縁で丸くなっていた。


「あなたも雪も真っ白だから、雪が積もったら見失ってしまいそうね。」


 コハクは、そう言いながら丸くなるモミジに声をかけた。

 右手には「余計なことを言うな」とでも言いたげなイチョウが抱かれている。

 コハクはモミジの隣に腰を下ろすと降ってくる雪を見上げて少し寂しそうな顔をした。

 イチョウはというと、彼女の右腕からするりと抜けると、今度はコハクの膝の上に陣取って丸くなった。


「わたしね、ずっと独りぼっちだったから。

 イチョウはいてくれたし、わたしは家族みたいに思ってるんだけどね。

 やっぱり猫だし、お話が出来なくて、誰もわたしの話を聞いてくれるひと…いなくて…だから、モミジが来てくれてね、すごいうれしくて…。」


 コハクは、そこまでいうと言葉を詰まらせた。

 どうしたのかと思って、モミジは閉じた目を慌てて開くと、コハクの真っ赤な瞳からは涙の粒が次から次へ零れ落ちていた。


「わたし、しあわせで…でも…これがずっと続かなくて…。

 もっと、もっとお話ししたいし、あなたの記憶を取り戻す手伝いもしたいのに…わたしは、わたしはもうすぐ…、いなくなるから…。」


 モミジは、いつの間にかコハクの涙を舌でそっと舐めて、太い尻尾で泣きじゃくる彼女を囲うとそのまま目を閉じた。

 モミジはいつの間にか寝てしまったことに気が付いて慌てて目を覚ます。

 いつのまにかコハクは自分の尾の中から抜け出して何事もなかったかのように神殿の囲炉裏のそばに座りイチョウの背を撫でていた。

 心なしか、コハクの目が腫れているような気がしたが、モミジは死ぬことが定まっている少女を慰める手段も、言葉も思い付かなかった。

 そんな自分をふがいなく思うだけで何もできず、何も気づかない振りをするしかない自分に昨晩のイチョウの姿を重ねて胸が痛んだ。




「余計なことをコハクに言わなかったのは褒めてやろう。

 で、結局死ぬことに決めたのかい?」


 欠け始めた月が、空高く昇って中庭を照らすころ、大きな狐と小さな老猫は向き合っていた。

 イチョウの問いに、モミジは無言で首を左右に振る。


「俺は、コハクがコハクの人生を歩めるようにしたいだけだ」


「記憶もないお前になにがわかる。

 親からも捨てられ、友人の一人もいないコハクをこれ以上苦しめるつもりか!」


 イチョウは、モミジの言葉を聞くと、思わず怒りを露わにし、全身の毛を逆立てた。

 彼女は、生まれてからずっとコハクを見ていた。コハクが、親に見捨てられるその瞬間も、神の来訪で高熱に苦しんでいるところも、初めての脅威との対峙に泣き叫びながら殺戮を行ったことも。

 イチョウにとって、コハクは娘のようなものなんだと拙い経験しかないモミジにもわかっていた。

 だからこそ、モミジはなんとかしたかったのだ。

 村に縛られてしか生きられない少女と、知りすぎているが故に、すべてを諦めて見守ることしか選べなかった老猫の運命を…。


「たかが少しだけデカい狐風情が、コハクをなんとか出来るなんて思いあがるんじゃない!

 中庭の端にあるあの岩を見てごらん!ここにいたかつての神ですらあの有様だ!」


 忌々しそうにイチョウが言ってのけた先をモミジは見た。

 そこには、ボロボロに砕けた岩があった。砕ける前は確かに大きな、牛くらいの大きさでもあった一塊の岩だったのだろう。

 だが、モミジには大きかったのであろうということしかわからず、イチョウが何を言いたかったのかわからずに、思わず首を傾げた。

 モミジは、気まずそうにイチョウの顔を見直すと、イチョウも呆気にとられた顔をしている。


「まさか…オオイナリ様の石碑が壊れるなんてねぇ…いつ壊れたんじゃ…いや…これは…。」


 イチョウは、モミジがいることも忘れて小声で何かぶつぶつ呟いていたが、モミジの視線を感じるとハッとしたように表情を引き締め、ポカンと空いていた口を閉じた。

 そして、イチョウの体を改めて、上から下までまるで品定めをするかのようにじっくりと見ると先ほどまで烈火のように怒っていたのが嘘のように、イチョウはニヤッと口をゆがめたのだった。


「出ていかないのならいっそのこと殺してやろうかとも思ったが、見逃しておいてやろう。」


 イチョウはそう言い残すと、尻尾をゆらゆらと揺らしながら呆気に取られているモミジを無視して雑木林の奥に消えていった。

 イチョウを追おうと思ったが、追ってもきっと追いつけない気がして、モミジは、ただ闇に飲まれていく老猫の後姿が消えるまで見ているしかできなかった。

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